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私訳・歎異抄

カテゴリー:社会

著者:五木寛之、出版社:東京書籍
 善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他人の意識にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他人をたのむこころにかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報士の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
 親鸞の有名な文章です。これを著者は次のように現代語訳しました。
 いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力(たりき)に身をまかせようという、絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。
 だが、そのようないわゆる善人であっても、自力(じりき)におぼれる心をあらためて、他力の本願にたちかえるならば、必ず真の救いをうることができるにちがいない。
 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、根源的な悪をかかえた存在である。
 山に獣を追い、海河に魚をとることを業(ごう)が深いという者がいるが、草木国土のいのちをうばう農も業であり、商いもまた業である。敵を倒すことを職とする者は言うまでもない。すなわち、この世の生きる者はことごとく深い業をせおっている。
 わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるであろう。
 おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。
 正直いって、私には、この解説ではもうひとつよく分かりません。あるときには分かったようなつもりになりましたが、本当の意味で理解したというのにはほど遠い状況です。
 わたしたちは常に現世への欲望や執着にとりつかれた哀れな存在であり、それを煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぷ)という。
 これは、私にも、よく分かります。まさしく私は煩悩具足の凡夫そのものです。
 阿弥陀仏の救いに甘えてつくる罪もまた、過去の世の行いの結果である。善い結果も悪い結果も、その業(ごう)の結果であると認識し、ただ仏の慈悲にすがることが、「他力」(たりき)の道なのだ。
 ここらあたりが、私にピンとこないのです。いったい、これはどういうことなのでしょうか。 何度よみ返しても、よく理解できません。果たして、一日一善を心がけてよいものなのでしょうか。それとも無意味なことだというのでしょうか。
 念仏をしようと思いたったとき、その信心は、阿弥陀仏からのはたらきかけによって生じ、阿弥陀仏のちからによってなされるものである。その時点ですでに仏の光明に照らされているのだ。だからこそ死ねば執着を脱し、罪をぬぐい、浄土に導かれるということである。
 それはあくまで仏の大きな慈悲の心によるものだ。このはからいによらなければ、われわれのような罪深い人間が浄土へと往生できるわけがない。一生の問いにする念仏の数々は、この仏の恩を感謝する念仏であると考えよう。
 念仏によって罪を消滅できると期待することは、その行為に励むことによって自己の罪を消し去ろうとする「自力」の行為である。もしそれで浄土へと往生できるのなら、死ぬまで一刻もたえまなく念仏しなければならないが、念仏とはそういうものではあるまい。
 いやあ、なかなかに味わい深い文章であることは間違いありません。とても平易な文章なのですが、まだまだ凡夫の私が理解するのには相当の年月を要すると思いました。
 先週、上京して日弁連会館での会議に参加する前に、日比谷公園で菊花展があっていましたので、立ち寄りました。見事な菊の花がずらりと並んでいて壮観でした。丹精こめた大輪の菊の花が、香りも高らかに美を競いあっていて、ついつい見とれてしまいました。それにしても、いろんな形の菊の花があるのですね。まるで花火のような形をした菊の花を眺めて、手入れがさぞかし大変なことだろうと推察しました。
(2007年9月刊。1200円+税)

佐藤可士和の超整理術

カテゴリー:社会

著者:佐藤可土和、出版社:日本経済新聞出版社
 小さなころから、僕は整理するのが好きだった。整理したあとの、なんとも言えないスッキリ感がたまらなかった。もやもやした霧がパッと晴れたような爽快感といったらいいだろうか。整理すること自体が、僕にとって何よりのエンタテイメントだった。
 いやあ、これって私にもピッタリです。私も、大学受験勉強のころ、気分転換にすることと言えば、子ども部屋の模様変えでした。整理整頓して部屋のなかをスッキリさせると、気分までスッキリ爽快となり、勉強もはかどりました。
 答えはいつも、自分ではなく、相手のなかにある。それを引き出すために相手の思いを整理するのが、すごく重要なこと。
 整理するには、客観的な視点が不可欠。対象から離れて冷静に見つめないと、たくさんの要素に優先順位をつけたり、いらないものをバッサリ切り捨てたりすることはできない。徐々に大切なものに焦点をあわせ、磨きあげて、洗練されたかたちにしていく。
 なーるほど、ですね。著者は、とても若い人ですが、大いに学ぶところのある、鋭い指摘だと感心しながら読みました。
 現代社会は非常に複雑な状況にある。いくつもの世界が混在し、とてつもないカオス状態が蔓延している。混沌としている現代社会においては、現状を把握するのが、不可能なほど難しい。
 空間の整理の目的は、快適な仕事環境をつくること。
 捨てることは不安との闘いである。
 捨てることは、「とりあえずとっておこう」との闘いでもある。
 広告が単に刺激的なだけでは、一瞬目を引くだけで終わってしまう。心の奥までは浸透していかない。
 相手の理解を得たり興味を引いたりしないと、本当に心を捉えたことにはならない。まず何が言いたいのかという趣旨をはっきりさせ、そのうえでどんなトーンで伝えるのかという工夫をすることが大切。
 思考を情報化するためにはどうしたらいいか。必要不可欠なのが、無意識の意識化というプロセス。漠然とした状態の心理や、心の奥深くに埋もれている大切な思いなどを掘り起こして、はっきりと意識する。そのとき一番大切なことは、言語化していくこと。言語かすることで、思考は情報になる。
 そうなんですね。すべては、コトバにすることから始まるのです。しかも、そのコトバが鮮烈な印象を与え、心をゆさぶるものになるためには、大いなる工夫が求められるのです。そこが難しいんです。モノカキをこころざす私は、一見、簡単にみえる言語化が難しいことを、日々、実感しています。
 Tシャツをペットボトルで販売するということを考え出した著者の大胆な発想とそれを支えているユニークかつ堅実な発想にも大変刺激を受けました。
(2007年9月刊。1500円プラス税)

森の「いろいろ事情がありまして」

カテゴリー:生物

著者:ピッキオ・石塚徹、出版社:信濃毎日新聞社
 カラー写真を眺めているだけでも楽しい本です。長野の森に生きる大小さまざまな動植物が生き生きと紹介されています。
 軽井沢に野鳥の森があり、クマが町中にも出没していることを知りました。小鳥たちのたくさん棲む森なのですが、かつては、今の何十倍もの小鳥たちがいたというのです。人間の乱開発は小鳥たちの棲み家を奪っているわけです。
 春夏秋冬の四季に分けて、長野の森とそこに躍動する生き物の姿が描かれています。早春に咲くアズマイチゲの白い花は、地上に芽を出してから花が咲くまで、わずか3日、その後10日間咲いて、実をつけた半月後には葉も枯れはじめ、芽を出して1ヶ月半後には地上から姿を消す。1年間も姿をあらわさず、その間に葉はあわただしく光合成して、その養分を地下にたくわえる。これを毎年くり返し、10年目にしてようやく花をつけるという。つまり多年草なのです。
 スミレは、種をたくさん詰めこんだ袋をはじけさせて遠くへ子どもたちを飛ばす。このほか、アリに食べてもらって、遠くへ運んでもらう。こうやって、遠くへ遠くへ子孫を残していく。
 軽井沢の町周辺に出没するツキノワグマの生態も明らかにされています。電波発信器をつけて探ったのです。それによると、オスとメスとでは、断然、行動範囲が違います。メスは東西5キロ、南北4キロとか、東西2キロ、南北2キロという狭い範囲でしか行動していない。オスは、東西15キロ、南北10キロ、また東西15キロ、南北8キロという広さで行動していた。
 軽井沢の町はクマの行動圏内なのですね。
 ニホンザルも軽井沢の町周辺に2群いるそうです。同じようにサルにも電波発信器をつけて調べました。
 ミソサザイという小鳥の調査も面白いですよ。大きな鏡を彼のナワバリのなかにすえつけ、テープレコーダーで仲間の声を流したのです。すると、すぐに飛んできてさえずりして応戦します。鏡にうつった自分の姿を見て、反応しました。くるっ、くるっとその場で一周ずつ回転しては、翼をぱっぱっと半開きしたり閉じたり、鏡の中のライバルに自分の姿を見せつけ、回転ダンスの儀式で決着をつけようとした。ミソサザイは尾を立てて歌い、それを回す動作は模様のコントラストを誇示し、それで相手をひるませたり、メスに選ばれたりする効果があるのだ。その写真を見ると、なるほどね、と思います。鏡にうつった自分の姿に真剣に対抗しようとする姿には笑ってしまいます。
 秋になってヒタキの声がします。ジョウビタキと思うのですが、残念なことに、まだ姿を見ていません。いつも秋から冬にやって来る、お腹ぷっくりの可愛らしい姿を早く拝みたいものです。
(2007年7月刊。1600円プラス税)

マツヤマの記憶

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:松山大学 出版社:成文社
 日露戦争100年とロシア兵捕虜というサブ・タイトルがついた本です。203高地争奪戦のあと、旅順を守っていたロシア軍が降伏すると、日本へ大量のロシア兵捕虜が連行されてきました。当時の日本は、捕虜を人道的に扱い、国際社会で名誉ある地位を占めました。この本では、その実情と、隠された捕虜虐殺、そして捕虜処遇費用をロシアに全額弁償させた事実が紹介されています。飫肥に行ったときに小村寿太郎記念館で買い求めた本ですが、勉強になりました。世の中には知らないことって、ホント、たくさんあります。
 1904年の日露戦争開戦は、ひとつくれよと露にゲンコ、というゴロあわせて暗記しました。2004年は、開戦100年にあたります。
 松山収容所には、最大瞬間人員で3000人台後半から4000人台前半いた。埋葬者数は98人で、全国でもっとも多い。
 松山が捕虜収容所として選ばれたのは、道後温泉が近くにあるため。日本側は、捕虜となるのは戦傷病兵で、戦闘意欲を失った兵達だろうと予測していたから。つまり、松山収容所の特色は、将校と傷病兵を主として受け入れたことにある。
 ロシア兵捕虜の総数は7万9000人。捕虜になった場所は、旅順・開城4万4000人、奉天2万人、日本海海戦6100人、サハリン4700人だった。日本に連れてこられたロシア兵捕虜は、1905年11月から1906年2月にかけてロシア側に引き渡された。
 戦争の最中、松山は、帝国の品位をかけて捕虜優遇策をとった。官民あげて観光客なみにもてなした。たとえば、朝はバター付・パンと牛乳入り紅茶。昼はバター付パンとスープ玉子付のライスカレー、紅茶。夕はバター付パンと野菜スープ、タンカツレツ、紅茶。そして、将校のなかには、町中に日本家屋を借り、女中を雇うのものもいた。
 日本政府は、ロシア兵捕虜の給養に莫大な金額をつかった。食費だけで、将校には一日あたり60銭、下士官と兵卒には30銭を充てた。これに対して、日本の兵卒の食費は一日16銭にすぎなかった。破格の厚遇である。
 日本政府は、戦争中、捕虜のため4900万円もの予算を割りあてた。これは開戦前の国家予算の2割にあたる。この経費は、日本政府が国の内外から借金してまかなった。そして、これを戦後になって、ロシア政府に返済させた。
 日本側のかけた費用は、5000万円に達した。ロシア側は、2000人の日本人捕虜に対して、160万ルーブルをつかった。
 捕虜将校には、自由散歩制度がとられていた。月水金は午前6時から正午まで、火木土は正午から午後6時まで。海水浴が許され、自転車で外出することも認められていた。
 捕虜の将校は所持金も多く、戦時下の松山経済に好影響を与えた。当時の道後温泉は史上最高の収益を上げた。ロシアの捕虜は個人で1円50銭の貸し切りで1時間も楽しんだ。1日に300人も400人も入浴した。日本人は一人5厘、捕虜は一人1銭だった。
 ところが、日露戦争の末期、南樺太(南サハリン)で、日本軍はロシア軍の敗残兵を捕虜としたのち、翌日、残らず銃殺した。ロシア兵捕虜を優遇しただけではなかったのです。
 ふむふむ、知らなかったことだらけです。
(2004年3月刊。2000円+税)

ウォルマートに呑みこまれる世界

カテゴリー:アメリカ

著者:チャールズ・フィッシュマン、出版社:ダイヤモンド社
 毎週1億人以上が、アメリカ国民の3分の1がウォルマートで買い物している。1年を通すと、アメリカの全世帯の93%が少なくとも一度はウォルマートで買い物をしている。2005年のアメリカでのウォルマートの売上げは、一世帯あたり2060ドルをこす。
 ウォルマートは、メキシコ、カナダにおいても最大の小売企業である。イギリスでは食品小売業として第2位。全世界で2006年にウォルマートで買い物した客は72億人にのぼった。世界の人口65億人よりも多い。
 ウォルマートの従業員は160万人。エクソンモービルの従業員は9万人。300万人もの人がウォルマートに商品供給する仕事に従事している。
 ウォルマートは旧態を打破できず、進化できないでいる。つまり、労働環境に問題がある。2005年秋までにアメリカ各地でウォルマートに対して従業員から40件もの訴訟が起こされた。休憩時間なしで働かされたとか、退社時刻のあとも無給で働かされたというもの。そして、外国人従業員245人が不法就労者として逮捕され、ウォルマートは連邦政府へ1100万ドルもの制裁金を支払った。
 サム・ウォルトンが1992年に亡くなったとき、ウォルマートの年間売上げは440億ドル、従業員は37万人だった。死後13年たった2005年に従業員はさらに120万人、売上高は2400億ドルも増えた。
 ウォルマートには、長年、一サプライヤーの売上げの30%以上のシェアは占めないという非公式のルールがある。一企業の運命を左右するという見られ方をしたくないから。つまり、ウォルマートと最大30%まで取引している企業でも、残り70%は他の販路を通じて販売している。
 ウォルマートは、やはり最後は価格がものを言うと主張している。他社より少しでも安く、というわけだ。
 ウォルマートの新規出店は、アメリカの雇用を増やしているのか、単に自社の従業員を増やしているだけなのか。
 過去7年間のアメリカ小売業界の雇用増加分の7割以上はウォルマートの成長によるものだった。ウォルマートが新規出店すると、最初の年は、地域の雇用は100人ふえる。つまり、ウォルマートの従業員が150人、同じ地域内で小売の仕事についていた50人は職を失う。ウォルマートの出店後、数年にわたって、小売業の雇用数は減り続け、5年たつと小売業の新規雇用数は100人ではなく50人にまで減る。
 人口500人から1000人の小さな町で小売店の売上げが47%も減っている。住民の多くがウォルマートへ来るまで買い物に出かけたからだ。アイオワ州内のウォルマートの店舗が45にまでふえたため、男子・紳士衣料品店の43%が閉鎖した。
 ウォルマートは、進出した地域の食品小売ビジネスの15〜30%程度のシェアを一気に地元の既存の食品店から奪いとる。
 従業員が20人未満の小さい小売店の数が減る。ウォルマートの新規出店から2年以内に3店がつぶれ、5年内に4店が閉鎖する。つまり、ウォルマートの出店とその成功は、既存の地元小売店の犠牲の上に成りたっている。新しく出店したウォルマートは、たしかに従業員を新規に300人雇用するかもしれない。しかし、その一方で、近くの小売店の従業員250人が職を失い、小売店4店が姿を消している。
 つまり、ウォルマートは何百人もの従業員を雇うが、新規出店から5年たつと、創出された新規雇用数合計は50人ではなく、20人を差し引いて30人になってしまう。たったの30人である。結論として、世論の関心度の高さに比べて、ウォルマートの新規出店による雇用創出効果はそれほど大きいものではなかった。
 私の生活する町の近くにイーオンが、でっかい郊外型ショッピングセンターをつくると言います。先日、宮崎に行ったら、郊外にありました。町中のシャッター通りはひどいものです。便利さの裏で、歩いて安心して買い物できる地域環境がなくなっています。
 ウォルマートで買い物する人は、ふだん忙しくて一度に大量に物を買う人たち。安くて質が悪くても、あまり気にはしない。
 ウォルマートが原因で地域に貧困世帯が増えている。アメリカ全国にすると2万世帯が貧困に陥っている。ウォルマートが新規出店して5年内に4つの小規模ビジネスが姿を消している。ジョージア州の貧困世帯の健康保険制度に加入していた子どものうち1万人以上が親はウォルマートで働いていた。
 ニューヨークにも、インドにもウォルマートは一店もない。ドイツや日本でも苦戦している。
 アメリカで消費されるサケのほとんどはアトランティック・サーモンだ。養殖サケの 95%を占める。チリ産だ。養殖サケは、養豚場の豚と同じ。狭いところに押しこまれ、病気を治すためでなく、予防のために大量の抗生物質がつかわれている。海底には大量の排泄物が堆積し、その周囲は死の海と化す。100万匹のサケが出す排泄物の量は、人口6万5000人の町の排泄量に相当する。そのうえ、サケに与えるエサも海洋汚染の原因になっている。
 大きいことはいいことだ。安いことはいいことだ。価格破壊、万歳。こう叫んでいるツケは高いと思いました。
(2007年8月刊。2000円+税)

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