法律相談センター検索 弁護士検索

聞き書きフィリピン占領

カテゴリー:アジア

著者:上田敏明、出版社:勁草書房
 11月にフィリピンに行きましたので、17年前に初めてフィリピンに行ったときに読もうと思って読んでいなかった本を引っぱり出して読みました。
 この本は、今から20年も前にルソン島で日本軍が何をしたのか、聞き出した内容をまとめたものです。
 今回、私たちがフィリピンに行ったとき、マニラでバタンガス出身の人に会い、日本軍の蛮行を糾弾されるのではないかとヒヤヒヤしたと語ったガイド氏がいました。この本を読むと、バタンガスに限らず、日本軍がフィリピンの至るところでひどいことをしたことがよく分かります。いえ、ひどいことをしたという表現は上品すぎます。フィリピンの人々に対して残虐このうえない、強姦や大虐殺をしたという事実があるのです。私たちは、同じ日本人として、その事実に目をそむけるわけにはいきません。それは自虐史観というものではありません。事実は事実として受けとめるしかないのです。
 バタンガスでの日本軍による大虐殺は日本の敗戦間近の1945年2月のことです。ところが、日本軍が、フィリピンの占領を始める1941年12月からフィリピン人の虐殺をはじめていたのです。
 日本軍は支配してすぐに「軍律に関する件」を布告した。これは、要するに、日本軍への反抗を少しでもしたら処刑か重罪に処せられるというもの。それを企図しただけでも処罰されるというわけなので、あってないような要件でした。
 マニラに今も残るサンチャゴ要塞を私たちも見学しましたが、ここは日本軍の恐怖政治を象徴する場所でした。憲兵隊の本部が置かれ、スペイン時代につくられた水牢が囚人を溺死させるものとして活用されていました。
 日本軍による戦争犯罪のフィリピン人被害者は、東京裁判のとき9万人をこえるとされた。戦後、フィリピンが抗日戦の損害賠償を求めた文書には人員損害として111万人とされている。
 フィリピンにスペインがもたらしたのは宗教(キリスト教)、アメリカ人は聖書をもたらした(スペイン人はスペイン語をフィリピン人には教えなかった。フィリピン人は英語によって聖書が読めるようになった)、日本人は鞭打ち(残虐行為)。このように言われるのは悲しいことです。
 二度目のフィリピン訪問でした。有名だったスモーキーマウンテンというゴミの山に住む人々はいなくなりましたが、川の上にバラックで住む人々、線路脇のバラックに住む人々、まさしくスラム街以下の人々の存在をマニラ首都圏のあちこちに見かけました。市内の至るところに大きく近代的なショッピングモールがあって、そこも人々であふれているのですが、スラム街に住む人々もきわめて多く、フィリピンの社会構造が安定しているとは、とても思えませんでした。
(1990年3月刊。2200円+税)

半世紀前からの贈物

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:内田雅敏、出版社:れんが書房新社
 50年以上前の1953年(昭和28年)に発行された小学2年生の文集をもとに、当時の子どもたちの生活を再現した本です。私が小学校に上がったのはそれより2年あとになりますが、およそ同じような状況ですので、親近感を抱きながら読みふけりました。
 著者は1945年生まれで、いまは東京で弁護士として活躍しています。小学校は愛知県蒲郡町立南部小学校(蒲南。がまなん)です。
 かごの中の、じゅうしまつ(十姉妹)はちゅうちゅうないてせまい、かごのなかをとびまわっている、かわいそうだね。
 私の家でも同じように十姉妹を飼っていました。鳥籠を買って、私もその世話をしていました。毎朝、水を取りかえ、アワなどのエサをやり、鳥籠のなかの鳥のフンを始末してきれいにしてやりました。小鳥たちが楽しそうに水浴びしているのを、いい気持ちで眺めました。
 にわとり
 ぼくがおまつりでかったひよこが大きくなってたまごをうんでくれましたが、このごろうまなくなってしまった。
わが家でも鶏小屋をつくって鶏を何羽か飼っていました。私も、そのエサになる雑草をとりに行っていました。丈夫な卵をうんでくれるように、貝殻をこまかく叩いたものもエサとして鶏にやっていました。飼っている鶏を父が絞め殺し、さばく様子を間近で見ていました。卵の生成過程が見事にできているのも見ました。卵の殻が、あとで黄身と白身にかぶさるようになっていく様子もしっかり見て、自然の不思議を実感したことを覚えています。
 当時の少年雑誌は、今のような週刊ではなく、月刊。『冒険王』『少年画報』『少年』など。毎月7日の発売日が待ち遠しかった。
 私の家でも少年雑誌を一つ購入していたように思います。記憶が定かではありませんが、付録に組立できる工作がついていて、その組立が大きな楽しみでした。恐らく『小学○年生』だったと思います。姫路城を再現するような工作がついていました。ワクワクドキドキする豪華版の付録でした。といっても、前号の予告の写真のほうがすごくて、期待に胸をふくらませて開けてみると、なーんだ、こんなものかとガッカリすることもたびたびでした。
 蒲郡市の『広報がまごおり』に1年余にわたって連載したエッセーをもとにした本だということです。護憲派の弁護士として大活躍している著者の原点を知ることのできる好著です。
(2007年10月刊。700円+税)

昆虫がヒトと救う

カテゴリー:生物

著者:赤池 学、出版社:宝島社新書
 ひゃあ、そうだったのか、知らなかったー・・・。つい、そんな叫びをあげてしまいました。
 ウジ虫が劣悪な衛生環境の中で生きていけるのはなぜなのか?
 こんな発想をもったことがありませんでした。ウジ虫は自分のもっている自然免疫を活性化させているから、ひどい環境のなかでも成長できる。その抗菌力はザルコトキシンによる。これは小型タンパク質の一種、ペプチドである。
 その殺菌力は協力で、1ミリリットルの体液中、1ミリグラムの1万分の1というわずかな量さえあれば、細菌類を殺すことができる。それでいて、動物の培養細胞には何の悪影響も及ぼさない。つまり、悪い菌だけ殺して必要な細胞は殺さない。
 そして、このザルコトキシンは、一度つくられて永久に体内に存在するわけではなく、体が傷つくたびに生成される。この物質から、人間のある種のガンにピンポイントで効果をあらわすものが発見された。うむむ、なんと、なんと、すごい発見です。
 次はシルク。シルクはタンパク質で、糸はタンパク質同士が水素結合でくっついてできた集合体。シルクは昆虫の体内にあるときには液体なのに、外に吐き出されたとき一気に美しい糸になる。糸は直径10ミクロンで、長さは1500メートルもつながっている。
 このシルクには、カビにくいし、質感を変えておいしくする作用がある。カビの発生を遅くし、味が滑らかになる。ふーん、シルクって光沢があるだけではないのですか・・・。
 スズメバチに刺されて死ぬ人が毎年25人ほどいる。それほど猛毒をもつ昆虫である。このスズメバチは巣がないと2〜3日しか生きられない。なぜか?スズメバチは虫などを食べる肉食昆虫なのに、自分で捕ったエサ(肉ダンゴ)を食べることができない。というのは、スズメバチの胸と腹をつなぐ胴がものすごくくびれているため、液体しか通らない。これは、どの方向、どの位置にいる敵に対しても毒針を刺せるよう、自由自在に腹を動かせるためのもの。ところが、その結果、スズメバチは液体流動食しかとれない身体になってしまった。では、そのエサはどうやってとるのか。なんと、幼虫からもらうのです。幼虫は親のスズメバチからもらった肉団子を食べて、大量のアミノ酸ドリンクをつくり、それを親に与える。だから、幼虫がいないと、親は栄養をとることができない。スズメバチの親子は、栄養の交換を通じて、固い絆で結ばれている。
 うむむ、これはすごーい。そして、このアミノ酸ドリンクが、スズメバチの高い運動能力をもたらしていたのです。そこに気がつき、着目した学者は偉いですよね。このアミノ酸ドリンクは、ふだん燃えにくい脂肪を燃やして、エネルギーにして運動しているのです。そして、これは運動しなくても脂肪が燃えるということから、運動なしでやせられる夢のダイエット飲料として着目されました。これが有森裕子と高橋尚子が宣伝するVAAMなのです。
 いやあ、驚きました。ちっぽけな昆虫たちが、たまに人間を殺してしまったり、嫌われもののウジ虫が実は人間のためにすごく役立つ存在でもあったなんて・・・。ホント、世の中は不思議なことだらけです。
(2007年10月刊。700円+税)

中原中也、悲しみからはじまる

カテゴリー:社会

著者:佐々木幹郎、出版社:みすず書房
 この10月に山口の湯田温泉に行ってきました。小さな温泉街です。町なかにしゃれた美術館がありました。中原中也美術館です。この本はそこで買いました。私は美術館に行ったときには、DVDを見るようにしています。よくまとまっていますので、便利です。詩人の中原中也は湯田温泉に生まれました。父親は中原医院を開業している、有名な医者でした。期待した息子(長男)が医者にならず詩人になるのを認めなかったそうです。でも、こればかりは仕方のないことですよね。私も長男が弁護士をめざすと言ったときにはうれしく思い、別の道を歩みはじめたときには少し寂しさを感じました。だけど、自分にあった道を歩むのが一番です。父親だからといって私の意見を押しつける気はさらさらありません。
 この本を読んで、中原中也の早熟さに驚き、かつ呆れてしまいました。
 十代の中学生のとき、中原中也は早々と詩を書く以外にない、眼が覚めたとき詩人である自分がいた、というのです。
 中原中也が、かの有名な評論家である小林秀雄と同世代であり、三角関係にあったということも初めて知りました。小林秀雄は、中原中也に魅力と嫌悪を同時に感じたといいます。いわば早熟男が別の早熟男に魅力と嫌悪を感じたということだろうと著者は解説しています。
 中原中也は、小林秀雄の批判に対して、「それが早熟の不潔さなのだよ」と言い返しました。なんという言い方でしょうか。さすがは詩人です。私にはとても発想できない言葉のつかい方です。
 中原中也は、中学4年生17歳のときに、6歳年上で23歳の女優である長谷川泰子と京都の下宿で同棲生活をはじめます。
 うむむ、なんと早熟な・・・。
 そして、小林秀雄が親友の恋人(泰子)に惚れてしまい、泰子は小林秀雄と一緒になる道を選ぶのです。中原中也は親友に恋人を奪われ、失恋してしまったわけです。
 日本の文芸批評を創始した小林秀雄は、一人の女性と一人の詩人を通して評論家になった。著者はこのように解説しています。ところが、中原中也は小林秀雄との絶交状態をいつのまにか解消して、つきあいを復活させるのです。なんということでしょう。ここらあたりになると、凡人の私の理解をこえます。
 この本には中原中也の詩が推敲される過程が原文の写真つきで紹介されています。
 中原中也は語勢を大切にした。語勢とは、詩のリズムをあらわす、中原中也らしい表現である。詩の世界では、言葉というものの面白さをどのように引き出すかが、いつも問われる。
 汚れちまつた悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れちまつた悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる
 たまには声を出して詩を読んでみるのもいいものです。
(2005年9月刊。1300円+税)

借金取りの王子

カテゴリー:社会

著者:垣根涼介、出版社:新潮社
 団塊世代は、とっくに定年期を迎えています。第二の人生を意気高く迎えて過ごしている人もいるでしょうし、なんとなく鬱々とした思いでその日が過ぎているだけの人も多いことだと思います。会社内でリストラをする側にまわったらどう思うか、リストラされる側になったとき、どんな気持ちなのか、自分にひき寄せながら、身につまされつつ読みすすめていきました。
 主人公はリストラする側の会社員です。
 嫉妬。出世競争の中に生きる男がもつ、もっとも醜い感情の一つだ。同期の陰口を叩く。ないしは悪意のあるうわさ話を流す。あるいは実際の業務で足を引っ張る。そして相手が出世コースを外れていくまで、それらの行為をあくことなく続ける。ある意味、女の嫉妬より陰湿で始末が悪い。
 たいていの会社では派閥抗争があるようです。そして、頼っていた上司がコケたら、部下まで一蓮托生でコケていく。そんなリスクを背負いたくないから、上司に仲人を頼まなくなった。そんな話を聞いたことがあります。ドライな人間関係が好まれるワケです。
 出世なんて、しょせんはオセロと同じだ。ある一時の局面では優位になったとしても、ほんのちょっとした油断やミスから、またたく間に盤の目はひっくり返る。勝っていたと思っている状況からひっくり返されるから、より悲惨だ。カッコもつかない。
 自分の努力だけでなく、ときの運が必要なのは、多かれ少なかれどんな職業にもあるとは思いますが、気持ちのいいものではありませんよね。
 あるサラ金会社の話。支店の雰囲気が悪い理由はいろいろあるが、その最たるものが社内不倫だ。上司が部下に手を出す。既婚者の同僚同士で道ならぬ恋に落ちる。男もそうだが、会社で同等の仕事を任されている女も数字に追われ、絶えず激しいストレスにさらされている。気持ちが徹底的に乾いている。なにかにすがりたくなる。そこに、自分の苦しい状況を何度も救ってくれる相手がいると、それが白馬に乗った、自分のように情けなくない、王子に見える。つい抜き差しならない仲になってしまう。分からないでもない。
 社内不倫は、これまた、あらゆる職場で横行しています。私の身近なところでも、いくつか見聞しました。
 「おけえらカスだ。人間のクズだ。いいからもう全員死ねよ」
 これは、サラ金会社の支店長同士でお互いを罵倒しあう時間にあびせる言葉です。一人の店長について、10分間、他の店長から集中砲火を浴びせられます。相手の欠点を何がなんでも責め立てるのです。
 「努力が足りない」
 「意識が低い」
 「数字の読みが低い」
 「部下の指導力が弱い」
 「ったくよお。それが年収1000万円以上もらっている人間の働きか。おいっ」
 いくら高給とりとはいえ、人間じゃないように責め立てられて生き残る人って、何者なんでしょうね。
 小説としても、なかなかに読ませるものとなっていました。
 日曜日に、チューリップの球根を庭に植えました。久しく雨が降っていないので、その前後にたっぷり水をかけてやりました。いまエンゼルストランペットの黄色の花と、と白とピンクの花が満艦飾です。もう少し寒くなると霜で全滅してしまいます。師走に入って寒くなったとはいえ、まだ霜がおりるほどではありません。夜になって久しぶりに恵みの雨が降りました。
(2007年9月刊。1500円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.