法律相談センター検索 弁護士検索

ちいさな言葉

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 俵 万智 、 出版 岩波書店
 コトバを話しはじめた2歳ころから5歳ころまでの子どもの話が丹念にフォローされている、楽しい本です。
 本当に子どもって天才ですよね…。でも、それがたいていいつのまにか、フツーの大人になってしまうのです。もったいないことです。
 著者は大阪の生まれですが、高校は福井だったようです。今回の地震で、福井の人は大変だった(過去形ではありません)と思います。その福井弁に「こっぺ」というコトバがあるそうです。こっぺな子どもを「こっぺくさい」と言います。生意気、賢(さか)しら、おませ、かわいげのない感じをミックスしたコトバだそうです。
 私の育った地域の方言でいうと、「ひゅーなか」に少し似ているのかもしれません。
 朝起きて、パンツ一丁のまま遊んでいる我が子を見つけた著者が、「ズボン脱いじゃあダメでは」と言うと、「脱いでないよ、はじめからはいてないんだよ」と得意顔。分かりますよね、こんな生意気を言う子ども。憎たらしいけど、そこまで知恵がまわるようになったのかと安心もしますし…。
  5歳になったら、自分でゴハンを食べるというのが、母親と息子の約束であり目標だった。ところが、外はともかく、家で母親と二人きりになると、母親に食べさせてもらおうとする。キレた母親が、「なんでそんなに食べさせてもらうのがいいのよ。自分で食べたほうが、てっとり早いでは」と言うと…。 その返事は、なんと、「愛の気持ちを感じるから…」
 ええっ、こ、こんな答え、あるの…。腰が抜けましたよ、私は。5歳の男の子が母親に言うセリフなんでしょうか、これって…。信じられません。母親は、つい大いに納得して、食べさせてやったそうです。愛の力は畏(おそ)るべしか…。
 著者が取材でフランスはボルドーへ行き、ワインの作り手にインタビューしたときのこと。
 「ブドウは、手間や愛情をかければ、かけたぶんだけ、いい方向に伸びてくれます。でも、子どもはそうとは限りません」
 いやあ、すごいコトバです。そして、著者は、こう考えました。
 「手間や愛情のかけかたを間違えると、その逆になるよ」
 でも私は、50年になる弁護士生活を通して、手間や愛情を惜しみなくかけていて、間違えることは、まずないと確信しています。出し惜しみしていると、つまり手間も愛情もかけないでいると、たいてい間違ってしまうと考えています。ただし、ダメな親に代わる人が身近にいて、そちらでカバーされたら違うとも考えています。皆さん、いかがでしょうか。
 著者には大変失礼ながら、この本を読んで、つい笑ってしまった一節がありました。
 著者が27年ぶりに福井の高校の同窓会に出席したときの話です。
 「高校2年のときの失恋、あれがなかったら早稲田に行ってなかったかもしれないし、そうしたら自分は短歌を作っていなかったかもしれないなあ」
 ということは、著者を「振った」男性は、大ゲサに言えば、日本を救ったことになるわけです。いやはや、すごいことですよね。人生って、何が「吉」になるか分からないっていうことなんです。なので、一回きりの人生って、面白いのですよね…。
 この本は2010年に発行されたもので、そのもとは2006年から2009年まで発行されていた月刊誌などに書かれています。本棚の奥に眠っていた気になる本をひっぱり出して読みました。とても面白い本でした。息子さんは今どこで何をしているのでしょうか…。
(2010年4月刊。1500円+税)

イラストでひもとく仏像のフシギ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 田中 ひろみ 、 出版 小学館
 仏像のことが何でも分かる、楽しい本です。仏像がすごく写実的なイラストで紹介されています。著者が仏像を好きになったのは独身でヒマだった叔父さんに連れられて、あちこちのお寺をまわってたくさんの仏像を見ていたからです。幼いときは、アイスクリームや美味しいご飯につられて行っていたのですが、それが、ついに仏像と恋に落ちるまでになったのでした。いやはや、そういうことも世の中にはあるのですね…。
 そして、仏像をよく見ていると、人間と同じように1体1体が違っていて、ちゃんと個性があるということに気がつきます。見る位置によって仏様の表情は変わるし、尊格を知るには、ポーズや髪型などの細部に注目しなくてはいけない。そして、時代による流行がある。
 仏像のもともとのモデルはお釈迦さま、その人。釈迦は本名(個人名)ではなく、一族の名前。本当はゴータマ・シッダールタ。ゴータマは「聖なる牛」、シッダールタは、「目的を達成した人」の意味。
 お釈迦さまは、29歳のとき、妻子も王子の位も捨て、出家します。そのとき髪を剃りました。悟りを開いたのは35歳のとき。80歳のとき、キノコ料理で食中毒になり死亡しました。
 釈迦は、母親の右腕から生まれたとのこと。それが当時の観念でした。
仏像には4種類あり、如来、菩薩、明王、天という。如来は、悟りを開いた仏さまで、最上位の仏像である。2番目が菩薩。
観音菩薩には女性になぞらえた仏像が多くある。観音菩薩は、この世に生きるものすべてを救い、あらゆる願いをかなえるべく、33の姿に変身する。
弥勒(みろく)菩薩は、お釈迦さまが亡くなってから、56億7千万年後に、この世界に現れ、悟りを開いて、如来となって命あるすべてのものを救う。
普賢(ふげん)菩薩は、女性も男性と同様に悟りを開いて、仏になることができると説いたので、女性からの信仰を集めた。
明王は、密教によって仏教に導入された仏のグループ。不動明王は、36の童子が、おのおの1000万の従者をもつとされているので、3億6000万の従者が不動明王を手助けしている。
インドには、古くから手のしぐさで気持ちを伝える習慣がある。たとえば、両手を合わせることで、仏さまと生きとし生けるものが合体し、成仏するという意味になる。
インドでは、牛は神の使い、そうなんでしたか…。だからインドの人々は牛を食べないのですね。
お釈迦さまは、生前、弟子たちに自分の姿を写したり、彫刻してはいけないと伝えていた。ところが、死後500年もたつと、どんな人柄だったのか知りたいと思う人が圧倒して、仏像がつくられるようになった。うひゃあ、知りませんでした。
昔は、それこそメールも写真もありませんでしたから、すべては想像です。大工さんの独自の解釈の余地が生まれ、その結果、ユニークな仏像が全国各地に誕生したというわけです。
仏像は、もともと鑑賞の対象ではなく、信仰の対象である。なるほど、そうなんですよね。でも、眺めて美しいと思ってしまうのも許されることではないかと思います。
実に見事な仏像のイラストで、ため息の出るほど驚嘆してしまいました。一読をおすすめします。
(2023年10月刊。1760円)

ガラム・マサラ!

カテゴリー:インド

(霧山昴)
著者 ラーフル・ライナ 、 出版 文芸春秋
 インドの若き作家によるデビュー作のミステリー小説です。
 登場人物がやるのは、まずは替え玉受験です。貧困地域に生まれ、暴力親父とともに屋台のチャイ屋で働いていた少年が替え玉受験して、なんと全国共通試験で全国トップの得点をあげ、大金持ちのドラ息子がインド最高の天才少年として、持ち上げられるところから話は始まります。もちろん、ドラ息子は天才ではなく、それどころか怠け者です。
 日本でも韓国でも受験競争は「戦争」と言われるほど苛烈ですが、インドも同じようです。そこで登場してくるのは「教育コンサルタント」。これは、進路指導とか受験指導というのではなく、裏口入学を斡旋するという違法行為に手を染める業者なのです。
日本でも少し前に替え玉受験が発覚しましたが、発覚しなかったケースもあったのでしょう。そのとき、本人はそれを自覚していると思います。どんな気持ちで卒業していったのでしょうか、私は少し気になります。
 替え玉受験のおかげで「天才少年」として注目されたドラ息子は、テレビのクイズ番組に出演するようになり、ますます注目を集めます。代わって受験をした少年は、その世話役としてずっと身近にいて付き添いとして活動します。そして、誘拐事件が発生…。あとはドタバタの活劇映画さながらで展開していきます。
 私は、インド映画を、決して多くはありませんが、それなりにみています。最近では、「バーフバリ」や「RRR」です。インド映画特有の歌と踊りが途中で何度も登場してきますから、いつだって面白い活劇として堪能しています。
 この本は、貧困や教育の格差を背景としつつ、悪いことって本当に悪いことなのか…と問いかけている小説なんだと解説に書かれていました。
 日本のIT産業にインド人のIT技術者が大量に入ってきていますが、その背景を知るのにも役立ちそうなミステリー小説です。
(2023年10月刊。2200円+税)

「闘って正社員になった」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 東リ偽装請負争議原告・弁護団 、 出版 耕文社
 私が50年近く前、神奈川県川崎市で弁護士として活動を始めたころ、東京にも神奈川にも争議団がいくつもありました。会社の経営がうまくいかなくなると、偽装倒産して労働者を全員解雇し、工場を高く身売りして経営陣だけは「苦境」を逃れようとするのが典型でした。もちろん、不当労働行為もありました。国労争議団にみられるように、大型争議も絶え間なく起きていました。そして、争議団は連絡会をつくっていましたし、それを支援する労働組合がたくさんありました。ストライキや労働者による職場占拠も珍しくなかった時代です。
 ところが、時が過ぎて、今や現代日本社会ではストライキはほとんど死語同然。最近デパートの労働組合がストライキをうちましたが、それが大きなニュースになる状況です。このとき、連合は何もしませんでした。芳野会長は自民党と連携することに血道を上げるばかりで、労働組合の本来の使命を完全に忘却しています。
 そんな状況はぜひ何とかしてほしいと思ったところに、6年間も闘った争議団が関西にあり、しかも全員が正社員になって職場復帰したというのです。そして、その結果を冊子にまとめたと聞いて、早速注文して読んでみました。
 この会社(東リ)は床と壁のつなぎ目に使われる巾木(はばき)と接着剤を製造する会社です。原告となった労働者は「東リ」の社員ではなく、請負会社の社員です。
 ところが、実際には仕事は「東リ」の指示を受けているのですから、請負というのは形だけで、実質的には東リの社員というべき存在なんです。
 東リの工場で働けなくなった労働者5人が「東リ」を相手に地位確認を求めて提訴した(2017年11月)ところ、1審の神戸地裁では請求棄却。すぐに控訴したら、大阪高裁は証人調べをやり直し、「東リ」との労働契約関係にあることを認めたのです(2021年11月4日)。「東リ」は上告しましたが、最高裁は受理せず(上告棄却)勝訴が確定しました。
 ところが、「東リ」は確定した司法判断に従いません。そこで、争議団は支援団体とともに団体交渉を続け、金銭解決ではなく、正社員としての就労を勝ちとったのです。
問題となった偽装請負とは、書類のうえでは形式的に請負契約になっていますが、実態としては労働者派遣であるものを指します。違法です。
請負ではなく派遣だというのは、仕事の発注者と受託者である労働者との間に指揮命令関係がある(派遣)か、ない(請負)かによって決まります。
一審の神戸地裁は契約書を重視し、東リからの連絡は概ね請負会社の常勤主任や主任へ連絡されていて、現場の社員へは指示されていないので、請負であって派遣ではないと判断しました。これに対して大阪高裁は、東リが個々の社員に直接連絡しないのは指示系統によるもので、実態を実質的に判断して、東リの指示は注文者の立場をこえていると判断し、偽装請負としました。
もう一つ論点があります。派遣法40条の6には、適用要件として偽装請負であるという客観的事実だけでなく、「東リが法の適用を免れる目的」をもって契約して就労させていたという要件をみたさなければなりません。したがって、何をもって「法の適用を免れる目的がある」といえるかが問題となります。
この点、大阪高裁は、「日常的かつ継続的に仮装請負等の状態を続けていたことが認められる場合は、特段の事情がない限り」認められるとしました。順当な判断だと思います。
村田浩二弁護士の「あとがき」によると、正社員になったのは原告となって裁判を闘った5人だけでなく、裁判の途中で請負会社の他の社員も東リの正社員になったとのことです。原告らの闘いは自分たちだけでなく、他の社員にも波及効果を上げていたというのですから、素晴らしいことです。
そして、「普通の人々でもこれだけのことがやれる」ことを知って、この本を参考にして働く者の権利のために立ち上がってほしいと呼びかけています。本当に必要な呼びかけです。
それにしても、1審で証人尋問したのに、高裁でまた証人尋問するというのは「異例中の異例」。多く(ほとんど)の高裁で・問答無用式に「1回結審」ばかりが目立つなかでの快挙です。よほど良い裁判所に恵まれたということなのでしょうか…。
多くの人に読まれてほしい冊子(136頁)です。
(2023年11月刊。1540円)

ちっちゃな捕虜

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 リーセ・クリステンセン 、 出版 高文研
 第二次大戦中の日本軍の抑留所を生きのびたノルウェー人少女の話です。いったい北欧のノルウェー人がどうして日本軍の収容所にいたのか不思議でしたが、舞台がインドネシアだと分かって納得できました。日本軍はインドシナ半島を制圧したあとインドネシアまで占領したのです。それも他と同じように凶暴な圧制を敷いたのでした。
 日本軍によって、ジャカルタ(当時はバタビア)に住んでいたノルウェー人一家である著者たちも「捕虜収容所」に入れられたのです。
 日本軍がしたことは「点呼」(テンコー)で、まず人員確認。炎天下に飲まず食わずに並ばせ立たせておいても平気です。そして若い女性を見つけるとひっ立てて行き、小屋へ連れていきます。日本兵の慰安のためと言ってはばかりません。寝るところは不潔そのもの。ネズミがいて、ゴキブリがいて、蚊がいて…。そして、とにかく臭い。悪臭のなかでの生活。
 食べ物もろくに与えられず、病気になっても薬なんか全然なし。
 次々に死者が出て、外へ運び出し、山積み状態…。本当に、日本軍(皇軍と呼んでいました)って残虐なことをしたんですね。これでもか、これでもかって、読み進めるのが辛くなります。
 日本軍が東南アジアの民衆のために解放してやったんだという言説がいかにインチキで、真実に反しているか、嫌というほど思い知らされます。
子どもたちのために秘密の教室が開かれ、そこで教えていた若い女性は日本軍に発見されると残虐なやり方で死に至ります。
 著者は「天使の死」と名づけていますが、どんなに無念だったことでしょう。
 著者はまだ10歳の、好奇心いっぱいの少女でした。よくぞ苛酷な「収容所」生活を生きのびたものです。生きるためには、少々の「泥棒」もしています。
 日本敗戦でインドネシアに平和が戻ったかというと、簡単ではありませんでした。でも、そこはまだ少女には分かりません。そして、ノルウェーに無事に帰国したあと、両親の不仲は解消されず離婚に至ったことなど、戦争の傷跡はあとあとまで家族の心のうちに深く深く残っていたことが語られます。
 そして、ドイツとは違って日本政府が責任を認めず、学校で侵略と虐殺の歴史的事実を教えていないことを厳しく糾弾しています。本当に、そのとおりです。
 過去の事実をなかったことのようにしてしまうのは、将来また大きな間違いをする可能性があるということです。大軍拡予算がまかり通ろうとしている今、読まれるべき本の一つだと思いました。
(2023年10月刊。2700円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.