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ハロー、僕は生きてるよ

カテゴリー:アメリカ

著者:カーシム・トゥルキ、出版社:大月書店
 イラク戦争が始まったのは、私が弁護士会の役員をしていたときですから、もう5年以上前のことになります。アメリカ軍がイラクに侵入する直前に弁護士会の役員としてベルリンに飛びました。9.11のあとでしたから、どんなテロがあるかも分からないと脅され、決死の覚悟でした。国際刑事裁判所を国際司法裁判所とは別に設立する必要がある。そのとき、弁護士は弁護人としての職責を果たすために何をするべきか、という国際会議でした。日本のなかにも東澤靖弁護士のように、ほとんど手弁当で国際司法(刑事)分野で活躍していることを知り、頭の下がる思いをしたことでした。
 この本は、元イラク兵だった著者が高遠菜穂子さん(例の人質事件の1人であり、多くの心ない日本人からひどいバッシングを受けた人です)たちと連携しながら、イラクの平和のために非暴力主義でがんばっている様子を伝えるブログを活字にしたものです。
 先日、アメリカ映画『告発のとき』を見ました。小さな小さな映画館でした。イラク戦争の戦場に駆り出されたアメリカの青年の心身がボロボロになっていることが見事に描かれていました。人を殺すことが何でもなくなったとき、それは仲間同士でも殺しあいがありうるという衝撃的な事件をふまえて、アメリカ軍を告発する映画です。これ以上は書けませんが、一見の価値はあると思いますので、ぜひ映画館へ足を運んでください。イラクでアメリカ軍がしている非道な行状も画面で少し紹介されます。やはり、戦争は狂気を生み出します。
 この本は、そんな状況をイラク人の立場から描いています。毎日毎日、罪なき市民がアメリカ兵や、その下のイラク兵に殺されています。その仇をうつためにテロリストを志願する人を、どうして止められるでしょうか。
 ぼくたちにとっての唯一の敵は、アメリカ軍戦車とアメリカの狙撃兵なんだ。みんな、どこが安全な通り道か分かっているし、危険を避ける術も身につけている。ところが、バグダッドでは安全なはずの場所で犯罪が多発している。犯罪者はやりたい放題。しかも、警察が犯罪者と収入を分かちあっている。
 アメリカ軍は、ザルカウィのグループはアンバール州に潜伏していると言って掃討作戦をしている。そういうことにしておけば、アメリカ軍がいくらアンバール州の住民を殺したり、建物を破壊しても誰も気にしない。アメリカ軍がやっていることからイラク人の目をそらすいい方法だ。占領に抵抗するラマディの人々を殺しているなんて絶対に言えないから、言い訳が必要だ。だから、ザルカウィというテロリストがアンバール州にいることになっている。なーるほど、ですね。そういうことなんですね。日本の警察が暴力団とか反共右翼を泳がす理由と同じですね。ときどき世間の耳目を集めるような悪いことをやらせたりする理由もよく判ります。
 このように、殺し、殺されが日常化しているもとで育つ子どもたちの心はどうなんでしょうか。未来は子どもたちのものです。そのとき、家族や友人が殺し、殺されて平然としていいなんてことを身につけたとしたら、日本はそれこそ、お先まっ暗でしょう。
 日本のマスコミがアメリカ軍発表という「大本営」発表と同じことしかしない、つまり現地のイラク人民衆の立場からの情報発信をしていないとき、この本はイラクに住むイラクの人々の実感の一端をうかがい知る貴重な本だと思います。
 日曜日、ようやく梅雨が明けましたので、庭に出て、少し手入れをしました。雨が降り続いたためか、ライラックやサザンカの木が枯れていました。グラジオラスが終わりかけています。ヒマワリはまだ咲きません。半畳分を掘り上げ、コンポストの枯れ草や生ごみを埋め、その上に日々草やカスミ草などを植えました。サボテンもたくさんの子をつくって親は死にかけていますので、整理してやらなければいけません。代替わりの季節です。何ごとにも、何物にも寿命があります。諸行無常の響きあり、です。蛇もチョロチョロしていますので、用心しながら庭仕事をしました。といっても、蛇は、我が家の守り神様です。
(2008年4月刊。1500円+税)

市民と司法の架け橋を目ざして

カテゴリー:司法

著者:本林 徹(編)、出版社:日本評論社
 日本司法支援センター(法テラス)のスタッフ弁護士は現在100人ほどが全国で活躍しています。2006年10月の第1期生は24人。そのうち13人が手記を載せています。それがすごいんです。若さ一杯でがんばっています。心から拍手を送ります。
 埼玉の法テラスで活動している谷口太規弁護士は先日、福岡でも講演しましたが、聴いた福岡の弁護士は口々に感動した、実にいい仕事をしていると評価していました。
 埼玉は東京のすぐ近く。弁護士も400人からいる。しかし、そこでも十分なリーガルアクセスは保障されていない。そこで、谷口弁護士は、ケースワーカーとともに、ホームレスの人たちの自立支援宿泊施設へ無料法律相談会に出かけた。すごいことです。むかし、私の学生のころ、セツルメント法律相談部が似たような活動をしていました。今は、それを税金をつかって弁護士がやっているのです。
 ホームレスになった原因が借金をかかえていることにあった人の相談を受け、谷口弁護士が計算してみたら、なんと800万円もの過払いだったことが判明し、東北にいる妻子のいるところに戻ることができた、なんて話も紹介されています。
 もう一つは、高齢者の問題です。父親の年金を精神的な病いをもつ娘がつかいこんでいたというケースです。いやはや、こんなときには弁護士ひとりではどうしようもありませんよね。みんな年齢(とし)をとっていくわけですけど、年寄りに冷たい社会ですね。
 壱岐の浦崎寛泰弁護士も頑張っています。
 ある寒い冬の土曜日の早朝、携帯電話で目が覚めた。土日、祝日にかかわらず、365日「当番」弁護士だ。呼ばれたら当番弁護士として出動せざるをえない。ひき逃げで捕まった若い女性。身に覚えはなく、すぐに釈放された。しかし、マスコミに報道されたら職を失う危険は強い。そこで、地元マスコミにFAXを送って、事情を話す。なんとか実名報道をくい止め、失職を免れることができた。
 な、なーるほど、ですね。やっぱり離島にも身近な弁護士が必要だということがよく分かります。浦崎弁護士は1年半で450件の相談を受け、うち250件は多重債務にかかわるもの。壱岐では、多重債務と弁護士がイメージとして結びついていなかった。まあ、これは全国どこでも、ほとんど同じことなのでしょう・・・。
 高知県須崎市にある法テラスで働く山口剛史弁護士の話もすごいのです。一家4人全員に知的障害が認められ、周囲からいいカモにされてきた。この状況をネットワークによって、なんとか救済できたといいます。
 支援を必要とする人は、地域で孤立している。家族と公的機関のほかには支援者がいないというのが残念ながら地方の実情である。山口弁護士は、このように指摘しています。うむむ、たしかにそうなのです。
 人口6万人の佐渡島に弁護士が1人しかいなかった。2人目の弁護士となったスタッフ弁護士は富田さとこ弁護士。開設して1年たって、相談を受けるのは3週間待ちの状態。だから仕事の優先順位をつけざるをえない。第一に借金、第二に高齢者。いやあ、これって、よく分かります。ホント、そうなんですよね。たしかにこの順番でしょうね。
 鹿児島の鹿屋にできた法テラスの藤井靖志弁護士は1年間に811件の相談を受け、 334件を受任した。今も月に40件の相談、15件を受任している。すごーい。すごいです。よくまわりますね。身体をこわさないようにしてくださいね。
 鳥取県の倉吉市の5人目の弁護士となった一藤剛志弁護士も似たような状況です。1年間に受けた相談が350件。債務整理が6割、離婚・相続などの家事が2割。受任したのは150件。シングルマザーにからむ事件が多いという特徴がある。
 一藤弁護士は自己破産事件で私と同じやり方をしているようです。つまり、自己破産の申立自体は可能でも、その後の収入を確保できる見通しが立たないうちは、申立てを先延ばしにして依頼者の生活状況を見守ったほうがよい場合がある。そうなんです。自己破産申立は早ければいいというのは幻想でしかありません。私は、以前から、それを「一丁あがり方式」と呼んで揶揄してきました。
 旭川の神山昌子弁護士は暴力団が背後にいる事件の処理の難しさを強調しています。そうなんです。これは実に難しいのです。一体、なんのために何をやったのか、あとで苦い思いをすることもしばしばです。それにしても、旭山動物園で有名な旭川に暴力団が根づいているというのは意外でした。旭川って何か利権があるのでしょうか・・・?
 京都の藤浦龍治弁護士の取り組みには頭が下がりました。刑務所まで出かけて、出張法律相談をし、受任して成果をあげているというのです。
 また、埼玉の村木一郎弁護士が国選刑事専門弁護士としてがんばっている状況も紹介されています。なんと、毎月10件というペースで国選弁護事件を引き受けて担当しているというのです。信じられません。
 茨城県下妻市の萩原慎二弁護士も常時10件ほどの国選弁護事件を抱えているが、そのうち4件は外国人が被告人だということです。その苦労たるや、莫大なものがあると思います。
 こうやって法テラスのスタッフ弁護士の奮闘記を読むと、法テラスが法務省のまわし者だなどと非難する人に、ぜひ実情を知ってほしいとつくづく思ったことでした。
 とてもいい本です。弁護士の原点を教えてくれました。ありがとうございます。
(2008年6月刊。1500円+税)

ティーガー戦車・戦場写真集

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:広田厚司、出版社:光人社
 第二次世界大戦中、ドイツのティーガー戦車と呼ばれる重戦車は連合軍を次々に撃破し、鋼鉄の虎と呼ばれ、恐れられました。その実像に迫った写真集です。
 いやあ、ともかくでかいです。これぞまさしく重戦車と呼ぶのにぴったりです。
 1949年7月のクルスク大会戦は史上最大の戦車戦(チタデル戦)でした。ソ連赤軍とドイツ国防軍の双方で1000両以上の装甲戦闘車両が10数キロの幅で激突したのです。このとき、ティーガー戦車は115両も参加しました。400両もの赤軍戦車を撃破したとされています。
 ティーガー戦車は1943年から45年にかけて1800両ほど生産された。
 ティーガー戦車の時速は実際には20〜25キロ。
 ティーガー戦車は1943年夏には履帯の故障が続出した。
 昼間は時速10キロで走り、最初の5キロ地点に第1の修理所があり、次いで10〜 15キロごとに修理班が待機し、メンテナンスを行いつつ集結地に向かった。
 大戦後半のティーガー戦車の稼働率は68〜70%だった。パンター戦車(62%)よりは良かった。40〜45両のティーガー戦車を運用するのに、実に1000人ほどの大隊要員を必要とした。
 ティーガー戦車は、赤軍のT34戦車を距離1400〜1500メートルで撃破するのを最適距離とした。重量56トン。全長8.45メートル、前面装甲は100ミリ厚。そして強力な8.8センチ戦車砲を装備していた。ただし、非常に高価で、多くの製造工程を必要としたので、大量生産が難しかった。
 訓練不足の要員と悪い保守管理が重なると、長所を生かすことができなかった。とくに履帯の交換方式は実用的でなく、燃費も1.6キロ走行あたり12.5リットルを必要とし、航続距離は140〜150キロと短かった。砲手と車長が操作する油圧と主導のいずれも砲塔回転速度が遅く、戦闘時、目標を捕捉するのに影響を与えた。
 エンジンの短命さと変速機の信頼性も不足していた。
 生産テンポが遅かったため、当初考えられていた戦車師団に重戦車大隊を配備する計画を実行することはできなかった。広大な戦線にばらまかれたティーガー戦車は少ないままだった。
 1944年12月から始まったドイツの最後の反撃戦(バルジの戦い)に、ティーガー戦車123両が参加した。作戦稼動数は64%の79両だった。しかし、決定的な燃料の枯渇により、多くの戦車が放棄され、アルデンヌ攻勢はついに失敗した。
 赤軍の重戦車であるスターリン戦車は、近距離ではティーガー戦車との交戦を避けようとしたが、距離2000メートル以上だと砲力優勢により積極的となった。
 ティーガー戦車は、遠距離砲撃では、スターリン戦車の前面装甲を貫通できなかった。
 史上最強という伝説のあるティーガー戦車なるものの実体を、写真とともに知ることができました。
(2008年4月刊。1900円+税)

裁判員制度が始まる

カテゴリー:司法

著者:土屋美明、出版社:花伝社
 もともと社会の病理を映し出すのが犯罪なのだから、新しい制度に変わったからといって、刑事裁判が、突然、夢のようなバラ色になるはずもない。日本国憲法との整合性に疑問をなげかける違憲論、刑事手続の重大な欠陥を指摘する反対論が根強く聞かれるのも、ある意味では当然だ。制度の行く末には、大きな期待とともに、懸念も抱かざるをえない。
 法学部出身で共同通信の論説委員をつとめる著者の指摘は、なるほどと思います。
 今なぜ、一般国民を引っぱり出す面倒な新しい司法制度を始めることになったのか。それは日本国憲法に主権が国民に存すると明記し、立法・行政・司法という国家の三つの権力のうち、司法だけには主権者であるはずの国民の本格的な参加がなかった。司法が国民参加と縁遠くて、果たして国民主権の国家と言えるだろうか。主権者であるはずの国民が、実は、ほとんど主権者らしくふるまえない状況がこれからも続いていって良いのか。日本の社会に、自分の住む社会のあり方を他人まかせにすることなく、自らすすんで公共の利益のために奉仕する精神がもっと育ってほしいものだ。
 刑事裁判への国民参加は、世界80ヶ国で行われている。日本の裁判はイタリアの重罪院と同じ構成。つまり、裁判官3人と裁判員(市民)6人。フランスの重罪院は裁判官3人に参審員9人だ。そうなんです。市民の司法参加は欧米ではあたりまえのことなんです。 裁判員裁判の対象事件は、強盗致傷(1110件)、殺人、放火、強姦致死傷、危険運転致死などで全体の3%、3629件になる(現在におきかえると)。
 市民が裁判員にあたる割合は、毎年2800人に1人程度。
 戦前の日本でも欧米のような陪審裁判があっていた。1923年に成立した陪審法によって、1928年から1943年に停止されるまで、全国で484件、年平均30件の陪審裁判があっていた。このように刑事司法への国民参加は、既に日本でも戦前の陪審裁判の経験がある。昭和の人々にできたことが、今の日本人にできないわけがない。日本人は、思慮深く、遠慮がちだが、まじめで優しい国民性だ。裁判員制度もきっとうまくいくはずである。
 市民が裁判員に選ばれると、その法的地位は公務員になるので、職務に関して金品を受けとると、収賄罪が成立する。
 日本では控訴審には裁判員が関与することはない。フランスでは重罪院の判決に対する控訴審については、別の重罪院が参審員を9人から3人ふやして12人とする。
 著者は裁判員裁判に反対する意見について、次のように批判しています。
 裁判員裁判を延期あるいは廃止して残るものは何か。それは、これまで多くの法曹関係者と市民が批判してきた従来の刑事裁判そのものではないか。議論の出発点として、これまでの刑事司法があまりに技巧的で精緻にすぎ、どこの国でも、こんな裁判はしていないという事実があった。
 私は著者の真面目な人柄と豊かな見識を高く評価しています。なるほど、と思わせる指摘です。少しダブリがあったり、市民向けの本だとしたら不要ではないかと思われる記述もありました。それでも、全体としては裁判員裁判をとても分かりやすく解説した本です。
(2008年6月刊。2000円+税)

負け組の戦国史

カテゴリー:日本史(戦国)

著者:鈴木眞哉、出版社:平凡社新書
 戦国時代がいつ始まり、いつ終わったとみるべきか。
 著者は、応仁の乱の始まった1467年から、大坂落城の元和(げんな)元年(1615年)までとみるべきだと主張します。江戸時代から、元和偃武(げんなえんぶ)と呼ばれていたのは理由のあることで、戦国時代は150年以上も続いた。
 応仁の乱は、日本全体の身代の入れ替わりであり、その以前にあった多くの家がことごとく潰れて、それ以後、今日まで継続している家は、ことごとく新しく起こった家だ。このような説があるそうです。なーるほど、ですね。
 著者は、今川義元の死について、天下に手をかけようとして敗死したのではなく、つまり上洛の途上で死んだのではなく、単に隣国との国境紛争の過程で起きたことに過ぎないと主張します。織田信長が謀略で殺されたという説も著者は否定しています。足利義昭黒幕説というものもあるそうですが、それは完全な誤りだと強調しています。
 足利義昭は、豊臣秀吉の天下統一が確実になったころ、ようやくあきらめ、秀吉の傘下に入って出家し、1万石の捨て扶持を受けることになった。もっとも、その前、秀吉が征夷大将軍になりたくて猶子(義子)にして欲しいと頼んできたときには、さすがに拒否した。その程度の誇りは残っていた。
 義昭と秀吉は同年齢だが、義昭のほうが1年早く病死した。
 織田信長には、分かっているだけでも11人の息子がいた。長男・信忠は信長と同じ日に二条御所で明智勢と戦って死んだ。次男信雄(のぶかつ)と三男信孝が成人していた。三男の信孝は柴田勝家と結んで抵抗し、敗れた翌年、再び挙兵したが、自殺に追いこまれた。信雄の方は、秀吉が小田原攻めで天下統一をなしたあと、突然、追放されてしまった。
 信長のあとの子どもたちは、豊臣家に仕えたが、病死したり、関ヶ原で戦死したりした。
 結局、信長の息子の血統としては、信雄の子孫が徳川大名として幕末まで続き、最終的には出羽天童2万石の身代だった。ほかに、七男信高、九男信貞の系統が江戸幕府の旗本として残った。
 秀吉は信忠の遺児である3歳の幼児(後の秀信)を家督に押し通し、信孝を後見役とした。そうなると、兄の信雄がおさまらない。無能な人間であったが、野心だけは人並み以上にもちあわせていた。なんとか信孝に対抗したい信雄と、本音では信孝よりも丸めこみやすい信雄と組みたい秀吉の利害が一致して、二人は提携した。秀吉はなにごとも信雄を表面に押し立てて、自分の野心の隠れみのにしていた。
 戦闘では、たしかに信雄・家康側が勝利した場面もあったが、戦争としては秀吉側が完全に押していた。信雄・家康側は、次第に追い詰められていった。
 秀吉は徹底して西に目を向けていた。当時、海外との通商拠点の多くは九州にあった。したがって、九州全土を支配する者は大変な力をもつことになる。信長は、それを阻止するとともに、自らが巨大な利権を手中にするつもりだった。
 信雄については、健在なうちから、阿呆かと罵られている。彼に対する周囲の評価は、そういうものだった。
 この戦国時代の一般の武士には、二君に仕えずという観念は、そもそもない。
 著者の本は、いくつも読みましたが、そのたびに、目を開かされる思いでした。ところが、今でも、武田軍団(騎馬隊)は織田・徳川軍からも千挺の鉄砲を3段撃ちするなかを無理矢理に突撃して全滅したという「通説」がまかり通っています。恐るべきは「思いこみ」ですよね。
 歴史を見る目が変わる貴重な一冊です。
(2007年9月刊。760円+税)

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