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人生は勉強より世渡り力だ!

カテゴリー:社会

著者:岡野 雅行、 発行:青春新書
 痛くない注射針を作り上げた東京下町の町工場のオヤジさんなのですが、その言葉には重みがあり、なるほど、と思うところがいくつもあります。
 本業以外のプラスアルファを持つことが大切だ。
 勝負は、ふだんから人付き合いにどれくらいお金を使っているか、だ。誰が価値ある情報を持っているか、まずそれを見極めなければいけない。
 世渡り力というのは、こすっからく生きていく、安っぽい手練手管ではない。人間の機微を知り、義理人情をわきまえ、人さまに可愛がられて、引き上げてもらいながら、自分を最大限に活かしていく総合力である。仕事で頭をつかわない奴は伸びない。ただ真面目なだけではダメ。
 自分の仕事は安売りしてはいけない。ただし、そのためには、他人(ひと)にできないことをやる必要がある。
 変わり者と言われるような人間じゃないとダメ。変わっているから、他人(ひと)と違う発想ができるし、違うものが出来る。他人と同じようなことをするのが世渡りのコツだと思うのはとんだマチガイだ。何かしてもらったら、4回、お礼を言う。そうすると、言われた人は感動して、また誘ってやろうという気になる。
 いやあ、さすがに出来る人の言葉は違いますね。変わり者だと言われることも多い私は、この本を読んでひと安心もしました。
 アメリカ領事が日米安保条約の必要性を力説する講演会に出席しました。このとき領事は、北朝鮮がハワイに向けてミサイルを発射したとき、日本の自衛隊は自分の国を攻撃されるわけではないから何もできないことになるが、それではアメリカ国民は納得しないと強調していました。でも、北朝鮮がハワイを狙ってミサイル攻撃をするなんて考えられるのでしょうか。日本本土の上で北朝鮮のミサイルを迎撃してやっつけるというのですが、その真下に住む人は大惨事に巻きこまれてしまいます。ミサイルを確実に撃ち落とすことは不可能です。そもそも北朝鮮がミサイルを発射しないようにするのが政治の義務ではないでしょうか。軍事力は戦争の抑止力になると力説していましたが、本当でしょうか。軍備拡張競争になってしまうのではないでしょうか。アメリカ領事の話は、考えれば考えるほど、本当に日本人として納得できないことばかりでした。
(2008年9月刊。750円+税)

最新・月の科学

カテゴリー:宇宙

著者:渡部 潤一、 発行:NHKブックス
 アポロ計画で持ち帰られた月の岩石を調べたところ、月は地球の年齢と同じくらい古いことが分かった。人類が地球上でもっている月資料のうち、アポロ回収試料は400キログラム。月隕石は100個で34キログラムである。月隕石は南極や砂漠で次々に発見されている。水分子はおろか、鉱物構成要素レベルで水(OH基)もまったくなかった。地球上では生成し得ない岩石・鉱物ばかりが見つかった。月は、非常に高温の過程を経たようだ。
 月は、地球の直径の4分の1、体積の50分の1、質量にして80分の1である。地球よりずっと早く冷え切ってしまい、大気がないので地球のような風化・侵食も起きず、大昔の情報をそのまま保持している、化石のような天体だ。ところが実は、月にも希薄な大気がある。といっても、大気圧が地球の10京分の1(10の17乗分の1)、1立方センチ当たりナトリウム原子が70個、カリウム原子が17個、という希薄さである。これは、超高真空環境に相当する。
 月は地球に表だけを見せながら公転している。月の自転周期が地球を周回する公転周期と一致しているためである。月の表側は裏側に比べて、やや重くなっている。月は、そのお尻を地球に向けて、安定した状態になった末に、そのまま止まってしまったのだ。
 昔の地球は、今よりずっと早く回っていて、月も地球にずっと近いところを回っていた。だから、数億年前の古代史には、地球の1年は365日ではなく、400日前後だった。
 月は、火星級の原始惑星が原始地球をこするように衝突したことで、両者の一部が飛び散って月になったもの。これをジャイアント・インパクト説と呼び、現在の有力説だ。ただし、検証できないという弱点をもつ。
 月の表面は、我が家のベランダから望遠鏡で見ることができます。いかにも静かな砂漠地帯を見ている気になります。そんな月にも、もちろん生成の歴史があったわけですし、地球とのかかわりも面白いものです。
 私たちの身近な天体である月について、少しだけ認識を深めることができました。 
(2008年6月刊。1070円+税)

イラク崩壊

カテゴリー:未分類

著者:吉岡 一、 発行:合同出版
 日本は今もアメリカのイラク侵略戦争に深く関わっています。一見、平和な日本は遠く離れたイラクの人々をアメリカ軍が殺しているのに加担していることは動かしがたい事実です。4月の名古屋高裁判決も、そのことを明確に指摘しています。ところが、多くの日本人は私を含めて、そのことの実感が持てないままでいます。無理もありません。イラクの実情がほとんど日本に伝えられていないためです。
 この本は、朝日新聞の元中東アフリカ総局特派員として、バクダッドにも駐在していた記者による生々しいレポートです。支局周辺だけでなく、イラクに住む普通の人々のナマの現実をもっと知りたいと思いますが、そうは言っても、この本だけでもすごい迫力があります。アメリカのイラク侵略戦争が間違いだということは、この本からも明らかです。ですから、少なくとも日本は一刻も早くアメリカのイラク侵略戦争に加担するのをやめるべきです。
 バグダッド陥落時にアメリカ軍が真っ先に占領したイラク石油省を、アメリカは2004年春に手放した。アメリカのつぎ込んだ戦費が91兆円(8,450億ドル)。アメリカの支払った代価の総額は324兆円(3兆ドル)をこえたと言われる今、石油利権だけでイラク戦争を説明するのは難しい。
イラクにいたとき、強盗に襲われることを考えて、1万ドルの現金を次のように小分けして身体に身につけていた。まず、4000ドルを二つにわけ、ビニール袋に入れて靴底に隠す。財布の中には800ドルを入れ、最初に強盗にくれてやる分とする。さらに1200ドルをウェストポーチの隠しポケットに入れる。強盗が「まだあるだろう」と言ってきたときに差し出す。さらに、腹巻の中に残る4000ドルを隠す。命を奪われそうな時にはこれを差し出す。
 うーん、な、なーるほど。ここまで小分けして次の手を繰り出して時間を稼いで、生命だけは助かろうというのですね。すごい工夫ですよね。
 イラク人は、武器を家庭に備える習慣がある。だから、一家に1丁や2丁は必ず拳銃がある。 
 大きな問題は、アメリカ軍がいい加減なタレこみ情報に基づいて「容疑者」宅を襲撃すること、そして、男ならだれでも捕まえてしまうやり方にあった。容疑者には、2500ドルの報奨金がアメリカ軍から支払われる。そして、アメリカ兵は家宅捜索のたびに、イラク人の持っている現金を持ち去る。
 アメリカ兵にとって、見えない敵、不気味な沈黙、突然の襲撃、というゲリラ戦の恐怖が次第に募った。それが、無実の市民の拘束や誤射による市民の殺害、デモ隊への発砲という不始末を積み重ねる要因となっていった。
 イラクの人は次のように言う。
 ここの人間は、今や誰でもアメリカと戦う。子どもも同じだ。いま、アメリカと戦う人間は2種類いる。直接に武器を持って戦う人間、そして、聖戦士に資金を援助する人間だ。
 アメリカ軍は、今なお、アメリカ軍に対する攻撃者をテロリストと呼んでいる。しかし、それはもはや、一部の孤立した武装集団による攻撃ではない。イラクの国民運動なのである。
 いま、イラク政府の腐敗はすさまじい。イラク国防省では、ヘリ購入契約を巡って250億円が闇に消えた。電力省は、2億ドルの発電所建設契約をアメリカの企業と結んだ。しかし、実際に支払われたのは3億ドル。しかも、発電所は完成されなかった。
 イラク復興資金は20億ドルを使ったというが、まともに使われたのは500万ドルもあるだろうか、という状況である。
 イラクでは、2005年の1月に月に2回、国政選挙があった。どちらもシーア派が過半数をとった。ところがアメリカが介入した。アメリカは敵国イランの強い影響下にあるシーア派政権を認めることが出来ない。そこで、多数党派の連立政権が誕生した。政党の間で内戦に突入していった。犠牲者は1日80人ペースにまでなった。
 挙国一致内閣は、身動きならず、なにも出来ないままだった。
 アメリカは、イラクだけでなく、中東全体で民文化の芽を摘んでしまったことになる。2008年時点で、500万人のイラク人が家そして故郷さらに国を追われて異郷の地をさまよっている。これはイラク人口の2750万人の20%に近い。
 イラクの自爆件数は、08年7月末まで658件。爆弾テロによる死者は1万6千人、負傷者はその2倍の3万4千人近い。爆弾テロのうち自爆テロが37%を占める。
 自爆攻撃で死ぬのは、常に若者であり、命じる年長者は最後まで死なない。
 殉教攻撃で死んだ者は天国に行くことができる。そこでは、一生72人の処女が付き従ってくれる。このように信じて死地に赴く。自爆テロを止めるには、アメリカ軍がイラクから撤退するしかない。
 イラクにアメリカ兵は16万人いる。基地業務などで働く民間人が15万人をこえる。民間軍事(戦争)会社の要因が1万3千人。そのすべてが、イラクの国内法の適用が除外される特権的な存在である。
 この本の最後に、私もよく知っている高松あすなろの会の鍋谷賢一氏の名前があがっていたのに驚きました。最初に原稿を読んで応援したのだそうです。えらいものです。
 日弁連会館前にある日比谷公園は、すっかり秋景色でした。皇居前広場の銀杏並木は見事に黄金色となっていました。晩秋になって寒さも一入、コート姿が目立つようになりました。皆さん、風邪などひかれませんように。
(2008年9月刊。1800円+税)

イマイと申します

カテゴリー:社会

著者:日本テレビ報道特捜プロジェクト、 発行:新潮文庫
 私も最近、振り込め詐欺の被害者から相談を受けました。例の葉書が送られてきたので、ケータイ料金を滞納したという督促内容に心当たりはなかったものの、つい心配して電話をかけてしまったところ、わずか二日間で200万円もの送金してしまったという事件でした。そのとき、東京の「弁護士」が二人登場してきます。そして、被害者は20代の独身女性でしたが、50代の母親も止め役にはならず、一緒になって定期預金を解約してまで娘のために送金してしまったというのです。
 この本は、振り込め詐欺や宝くじ詐欺の犯人団に迫り、海外まで飛んで行って、その実像を暴こうとしたものです。
ドイツ国営のロトサービスセンターから、宝くじ800万円に当選したという手紙が届いので、そのために30万円も振り込んでしまったという。日テレの取材班が代わって電話すると、コールセンターは実はドイツではなく、オーストラリアのシドニーにあることが判明した。海外にインターネットを利用したIP電話で転送されているらしい。
 そこで、日テレ取材班はシドニーに飛んだ。そこには、日本人女性を含んだテレコールセンターが確かに存在した。しかし、日本人女性たちは素顔をさらすことはなかった。
 昔、豊田商事というのがありました。金の延べ取引をしてもうけているという宣伝文句でしたが、実際には純金なんてまったく扱っていなかったというインチキ商法でした。このときもパートのおばちゃんたちによるテレコールセンターが「活躍」しました。時給1000円でひっかける役割を担ったのです。自分が話す儲け話のセールストークが本物なら、時給1000円なんてものではありません。 ところが、パートの女性たちは時給1000円をもらいながら、100万円を投資したら数ヶ月で何百万円にもなるというような夢のような話を売り込んでいたのです。シドニーにいた日本人女性も、同じようなことをしていた(させられていた)わけです。
 日本で海外宝くじの販売は違法である。このダイレクトメールは、一通当たり200〜300円のコストがかかっている。いったい日本、そして世界にどれだけ送られているのだろうか。ダイレクトメールはフランスから送られ、その返信先はすべてオランダ。オランダの私書箱が返信用封筒の宛先となっている。
 フランスから発送するのが最も安いから。ただ、大量に送ると日本の税関に捨てられてしまうので、小分けにして何回も送る。1年間に送るダイレクトメールは、日本だけで500〜600万通。世界全体では年に8000万通になる。宝くじにあたった人は一人もいない。まるでインチキなのである。いやあ、これってすごい数ですよね。それだけの経費をかけても十分採算があうのですね。
 ハガキに書かれている電話番号は、電話転送を請け負う業者のもの。そこに電話をかけると、自動的に転送されて、この振り込め詐欺グループの携帯電話にかかる。間に転送業者をはさむため、詐欺グループが電話を受けたときも、転送業者への支払いが発生する。
振り込め詐欺の舞台裏を暴くという点ではもうひとつ物足りなさを覚えましたが、その真相に迫るという点で、勉強になりました。
(2008年9月刊。740円+税)

新聞―資本と経営の昭和史

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:今西 光男、 発行:朝日新聞社
 朝日新聞社から出版され、朝日の記者が書いた、朝日の裏面を鋭くえぐった画期的な労作です。
 大正14年(1925年)ごろ、大阪では朝日と毎日新聞が激しくしのぎを削っていた。朝日は夏目漱石を迎え入れ、毎日は原敬を年俸5000円で社長に招聘した。
 原敬が大阪毎日新聞社の社長として勤めていたことを初めて知りました。
 この両紙は、関東大震災前にそれぞれ100万部を超える巨大紙になっていた。
 ところが、大震災によって東京各紙は壊滅的な打撃を受け、朝日、毎日という大阪紙が首都でも席捲することになる。そこで、廃刊の危機にあった読売新聞を内務官僚だった正力松太郎が買収し、面白い新聞、売れる新聞を前面に押し出した激しい販売攻勢をかけた。
 このころ、新聞は「政権打倒」を標榜し、政権側も新聞の政治的影響力を無視できなかった。そこで、寺内内閣は内相の後藤新平が先頭に立って公安刑事に内偵を命じるなど、権力を動員して虎視眈々と新聞社弾圧の口実を探っていた。
 大阪朝日は、時の権力から「一大敵国」と名指しされ、言論弾圧の標的とされた。
 そして、事件が起こり、ついに朝日新聞は、権力に全面屈服した。編集綱領に定められた「不偏不党」は、「偏った政権批判」をしないという恭順の誓いだった。そうなんですよね。今でも新聞は、結局、政権与党ですよね。
 ところで、朝日新聞社はスタートした時点で政府から資金援助を受けていた。政府の機密費から2万5千円が支払われていたのである。
 政府は、朝日のような中立的大衆紙を、御用新聞や政権新聞としてではなく、報道主義を中心とした新聞に育てて国民の信頼を得、あわせて、そのような新聞によって官民の調和を図ろうとしたと推測される。
 朝日をはじめとする言論機関が、安寧秩序、朝憲紊乱という天皇政護持を口実にした権力の弾圧や、右翼による物理的な脅迫にはきわめて弱いことをさらけ出した。1925年1月、朝日の社長と勘違いした右翼が緒方竹虎編集局長を帝国ホテルで襲った。このとき、朝日は右翼に裏金を支払った。それが広告主への圧力が新聞社脅迫の手段として有効であることを右翼に教え、以後、この種の右翼交渉には金銭的解決をはかることが常套化した。
 1928年、朝日は右翼からの襲撃に備えて、東京編集局長室に何丁かのピストルを用意して壁にぶらさげた。当時は、一定の条件がある人は護身用のピストルを所持することができた。社内でピストルを調達するのに困難はなかった。緒方竹虎は日本刀を会社に持ってきた。また、浅草のヤクザに頼んで、人を集めて社屋を警戒する「自警団」を組織した。
 うひょーっ、こ、こんなことが朝日新聞社であっていたのですね。右翼の襲撃に備えて、日本刀やピストルを編集局長室などに用意していたなんて、とても言論機関のなすべきこととは思えません。信じられない記述でした。
 済南事件、満州事変による中国大陸での戦争勃発によって、新聞は再び号外競争に突入した。号外は、当時、最大最強の速報手段だった。
 朝日も毎日も、関東軍を中心とする日本軍の「快進撃」を連日報道し、満州の日本の権益擁護に同調していた。やがて、朝日は、満州事変容認、政府支援が社論統一の大方針となった。
 この社論転換は、ただちに軍部に伝わった。憲兵司令部から参謀本部次長への極秘通報がある。当局は、昔も今もジャーナリズムをこまかく監視しているわけです。
 満州事変が勃発してから、朝日新聞の販売部数の増加はすさまじい。1931年に91万部だったのが、1932年には105万部となった。全社で39万部増えて182万部となった。まさに、戦争は新聞にとって神風だった。
 日中戦争が激化すると、朝日新聞は1937年(昭和17年)7月から、軍用機献納運動を読者に呼びかけ、1ヶ月で462万円ものお金を集めた。
 残念なことに、いまや朝日新聞も含めた日本の新聞は「一大敵国」と呼ばれるような、権力から本当に恐れられるような存在ではもはやないようだ。権力によって新聞が「馴化」された面もなしとしない。
 本当にそのとおりだと思います。自民党と民主党とでは本当はどこが違うのか、また本質的には同じではないのか、もっと広く市民の声を反映するにはどうしたらよいのか、いろいろ本質的なところで日本のジャーナリズムは安心できないところが多々あります。いえ、ありすぎます。その本質的根源がこの本によって究明されています。
 私と同じ団塊世代の著者から贈呈されて読みました。ありがとうございました。
 渡り鳥のジョウビタキの鳴き声が聞かれるようになりました。人にすごく近づき、尻尾をチョンチョンと振って挨拶する愛想のいい小鳥です。
 曇り空の日曜日、チューリップの球根を200個植え付けました。富山産で、40個で1000円しません。1個20円あまり。畳一枚ほどの区画を掘り起こして整備して植え付けていきました。これで500個近くにはなりました。
(2007年6月刊。1400円+税)

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