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ジェローム・ロビンスが死んだ

カテゴリー:アメリカ

著者:津野 海太郎、 発行:平凡社
 アメリカのアカ狩りの様子が分かる本です。
 映画「ウェスト・サイド・ストーリー」が上映されたのは、私が中学生の時でした。おそらく3年生だったと思います。新しい友人だった古田君が、「オレはもう3回見た」と言ったのを聞いて驚きました。私も1回は見たのですが、同じ映画を3回も見るなんて、私には考えられもしないことでした。そして、古田君は、ジェスチャー入りで歌をうたいはじめるのです。このシーンは、なぜか今でもよく覚えています。
 この本は、その『ウェストサイド物語』 の監督兼振付家だった人が、アカ狩りのとき密告者になった状況を描いています。「密告者」という点では、エリア・カザンが有名です。『波止場』や『エデンの東』の名監督として有名なのですが、密告者として、よぼよぼの老人になって死ぬまで非難を浴びていました。
 ロビンスは、1953年2月にワシントンの非米活動委員会室で証言し、5月にニューヨーク連邦裁判所の法廷で証言した。
「あなたが共産党員だったという情報は正しいですか?」
「正しいです」
「党員だった期間は?」
「入党申請したのは1943年のクリスマスのころ。初めて会合に出席したのは1944年春。最後に出席したのは1947年春です」
「グループにいた人の名前をあげてください」
 ロビンスは、その問いに答えて、次々と人の名前をあげていきます。これでは密告者と呼ばれても仕方がありません。
 非米活動委員会は、すべてのアメリカ人に、のっぴきならない場に追い込まれた左翼やリベラル派のぶざまなふるまいをリアルタイムで見せつけるのが狙いだった。
 アカ狩りの背景として、1948年6月にベルリン封鎖、1949年8月にソ連が原爆実験に成功、1949年10月に中華人民共和国の成立、1950年6月に朝鮮戦争の勃発があげられる。それまで戦勝気分もあって未来に対して楽観的だったアメリカ社会の空気が一変し、ソ連による原爆攻撃と共産主義による世界制覇への恐怖が広がった。機を逃さず、非米活動委員会は、共産主義者はソ連のスパイとみなし、すべて死刑ないし終身刑に処すべし、という法案を提出した。この脅迫に、ハリウッドの世論は屈してしまった。
 エリア・カザンは、アメリカでもっとも有名な監督だった。誰もが、彼こそはその影響力で非米活動委員会と戦えるだろうと思っていた。なのに、カザンは屈してしまった。
 ロビンスに対して、質問した下院議員は次のように問いかけた。
 「ここで証言して、ほかの人びとの名前を挙げた人をイヌとか密告者と呼んだ者がいる。もちろん、あなたは、他の人の名前をあげた以上、その部類に入れられることは覚悟していますよね?」
「はい」
 非米活動委員会は、彼らを地獄の底に突き落とすこと、その裏切りと自滅の現場をマスメディアを通じてアメリカ国民にしつこく見せ続けること、みせしめと宣伝と愛国イデオロギー教育、これが目的だった。
 ロビンスが若いころ、ナチスの反ユダヤ主義を恐れるアメリカのユダヤ人の多くが、スターリンのソ連に親愛感を抱き、そのうちの少なくない若者がアメリカ共産党に入党した。
1919年の結成当初から、アメリカ共産主義の中心にロシア系のユダヤ人移民がいた。
 1930年代のアメリカ社会で、ユダヤ人差別が比較的少ない場が2つあった。芸能界と共産党である。そして、ロビンスは同性愛者(ゲイ)だった。それこそがロビンスにとって最大の問題だった。ロビンスに対する脅迫の核心は、ゲイであることを暴露するということだったのだ。その当時、公然とゲイだと名指しされるのは、今考えるよりずっと致命的なことであった。
 非米活動委員会によるアカ狩りは、単なる反共キャンペーンというだけでなく、ニューディールの申し子世代に対する集団的リンチであった。それはニューディール時代に冷や飯を食わされた共和党や右派勢力による報復という性格をもっていた。いやあ、そんなこととはちっとも知りませんでした。そうだったんですか……。
 いまさらアカ狩りでもあるまいという気がする。しかし、9.11同時多発テロ以来のアメリカ社会の空気は、急速に変化し、自分と異なる人間の在り方に対して、またたく間に不寛容になっていった。これでは、とうていアカ狩りが過去のものになったとは言えない。
 なるほど、なるほど、そうなんですよね。「自由・平等の国」というイメージのアメリカですが、実際にはひどく民主主義に反することをたくさんやっています。日本にも乗り移ってきましたが、毛色の変わった人をすぐ異端視して排除しようとする不寛容な社会になりつつありますよね。日本で死刑賛成の人が増えているというのも、そのあらわれだと私は考えています。困ったことです。つい最近、国連は日本政府に対して、世論の動向にとらわれず死刑廃止に向かって行動するように、また、国民に対して死刑廃止の意義をよく普及するよう勧告しました。私も、まったく同感です。
(2008年6月刊。2800円+税)

手塚治虫

カテゴリー:社会

著者:竹内 オサム、 発行:ミネルヴァ書房
 手塚治虫は、代々、医者の家系である。手塚治虫の曾祖父にあたる手塚良仙は、江戸末期から明治にかけての開業医で、高名な蘭学医であった緒方洪庵のもとで学び、天然痘から多くの人を救うのに功があった。
 祖父にあたる手塚太郎は、医者にならずに法律家の道に進む。大阪控訴院、大阪始審判事としてつとめたあと、大津と函館・大阪地裁の検事正、仙台地裁所長、名古屋控訴院検事長、長崎控訴院院長を歴任した。ということは、当時の福岡の弁護士もお世話になっていたわけですね。そのころ福岡の弁護士が長崎控訴院に行く時は当然泊まりです。丸山でドンチャン騒ぎしていたという大先輩弁護士の話が記録として残っています。
 手塚治虫は、母に対して限りない感謝と愛情を表明しているのに対して、父に対しては嫌悪感を抱いていた。いやあ、そうだったんですか。父と息子って難しい関係ですよね。
 治虫は、小学校では初め目立たない子どもだったが、次第にその才能が知られていった。家庭において、治虫は泣き虫でないどころか、ふだんはかなり強気で、頑固で、意地っ張りだった。目立ちたがり屋だった。人一倍自己顕示欲が強いが、そのくせ、心の底に鋭敏な感性に根差した弱さをかかえていた。
 手塚家は裕福であったうえに、父親がマンガ好きだった。ドストエフスキーの「罪と罰」は治虫にとって素晴らしい教科書になった。
 治虫は医学部を卒業して医師になったと思っていましたが、少し違うようです。治虫が入ったのは、医学部ではなく、医学専門部でした。卒業までは兵役が免除されるし、兵隊にとられても前線に出されることはないという理由からだった。医専は戦時下で急きょ戦地に赴く軍医を育成するため、にわかに作られた医者養成課程である。医学部と医専とでは、大きな開きがあった。医専は兵役逃れの駆け込み寺といえた。
 手塚は流行に敏感で、子どもの感性を重視する。こうした態度は終生、過敏なまでに手塚の心を支配していった。売れっ子になった手塚は、1日の平均睡眠時間は1〜2時間でしかなかった。眠りながら筆を動かした。
 ストレスと疲労が極限に達すると、手塚は無理難題を原稿取りにやってきた編集者にふっかける。それによって休息するためであった。いやあ、超人的ですね。
 手塚は、ほぼ2,3年ごとにアシスタントの交代を促した。もちろん独立するようにという親心からだが、もう一方には、手塚自身が若い人の感性を吸収するためでもあった。
 手塚は1961年1月に医学博士の学位を取得した。
 手塚は流行を取り入れ、劇画風の画風やテーマを取り入れた。これには大きな苦痛が伴った。体が覚えている、それまでの表現スタイルをスイッチしなければいけないからだ。
 手塚は少しでも自分の人気が下がると落ち込み、もうオレはダメではないかと頭を抱え込んだ。病気で何週間も休むと、読者から忘れ去られてしまうと本気で思い悩んだ。
 手塚治虫全集は、なんと、今400巻。これを総計1900万部売りつくした。手塚の歴史ものは、教科書に出てくるような偉人に焦点を合わせるのではなく、歴史に翻弄される名もなき人々に光を当てる点に特徴がある。
 手塚治虫には、私も大変お世話になりました。「鉄腕アトム」なんて、いま見ても、おそらく最高傑作ではないでしょうか。
(2008年9月刊。2400円+税)

少年院のかたち

カテゴリー:司法

著者:毛利 甚八、 発行:現代人文社
 マンガ『家栽の人』は本当によくできています。これが裁判官を取材せずに、まったく想像でつくられた本だなんて、驚きの一語に尽きます。
 僕は小説を書くために雑誌の世界に入った。大学(日大芸術学部文芸科)時代に数編の小説を書いた経緯から、取材する力がなければ職業として数多くの小説を書くことはできないと考えた。
 『家栽の人』は、『家裁少年審判部』(全司法労働組合。大月書店)と少年法を頼りに、前15巻のうちの最初の3巻は、まったく想像によって書いた。僕は主人公の桑田判事に「家族が大切」「子どもの気持ちが大事」という、ひどく古臭いメッセージを、さまざまな言葉に変奏して語らせ続けた。いま振り返ってみると、裁判所を何も知らない人間が描いたにしては、意外によくできていると思う。そして、現実の裁判官などに会って話を聞くと、自分が描いているような裁判官など、どこにも存在しないことがわかった。
 いやあ、そうでもないんじゃないでしょうか・・・。そして、著者は大分の少年院の篤志面接委員になったのです。ウクレレを教えたりしているそうです。すごいですね。
 少年院にいる子どもは、総じて成功体験が少ない。挑戦して失敗するところを他人(ひと)に見られるのが恐ろしい。少年院に来る子どもは隠し事をしてきた。こっそり悪いことをしているので、嘘をつくことから始まる。そこで、この業界の人間は、その点の嗅覚は発達している。
子どもたちは、もともと甘えたいという気持ちが蓄積されている。誰に対しても甘えが出てくる子どもがいる。
 この本の後半は、小説『法務教官・深瀬幸介の件』というものです。財団法人・矯正協会の『刑政』に連載されたそうですが、なかなか良くできています。法務教官の悩み、失敗、そして生き甲斐が語られ、ホロリとし、また考えさせられます。
亡くなった義父は久里浜少年院につとめていました。特別少年院だったので、大変だったようです。事務畑ですが、とても真面目な人でした。そんなこともあって、私は、法務教官とか矯正現場の人たちの日頃の大変な労苦に思わず親近感を覚えます。
 なんでも処罰してしまえばいいという風潮が日本で強まっていますが、本当に困ったことです。もっと社会が温かい心をもって犯罪に走った人に接しないと、日本はますますギスギスした国になってしまいます。
 先日、見知らぬ男性とたまたま路上で論争する機会がありました。その男性は、今の子どもたちはなっとらん。道徳教育が必要だと盛んに息巻いていました。これに対して、私は、子どもは大人社会の反映なんです。もっと大人がゆとりを持って、ゆっくり子どもと接することができるようにならないとダメでしょう。年寄りを差別したり、若者に不安定雇用を押しつけて人生の展望を奪っておきながら、子どもばかりに道徳教育なんかしたって意味はないと反論しました。その男性は、まず大人を変えないといけないということですか……と絶句し、なるほど、そうかもしれないと言って、首をかしげながら帰って行きました。はじめは会話が成り立つか不安でしたが、なんとか成り立ちました。路上といえども、やっぱり話し込むのは大切なんだと実感したことでした。
(2008年7月刊。1700円+税)

人生は勉強より世渡り力だ!

カテゴリー:社会

著者:岡野 雅行、 発行:青春新書
 痛くない注射針を作り上げた東京下町の町工場のオヤジさんなのですが、その言葉には重みがあり、なるほど、と思うところがいくつもあります。
 本業以外のプラスアルファを持つことが大切だ。
 勝負は、ふだんから人付き合いにどれくらいお金を使っているか、だ。誰が価値ある情報を持っているか、まずそれを見極めなければいけない。
 世渡り力というのは、こすっからく生きていく、安っぽい手練手管ではない。人間の機微を知り、義理人情をわきまえ、人さまに可愛がられて、引き上げてもらいながら、自分を最大限に活かしていく総合力である。仕事で頭をつかわない奴は伸びない。ただ真面目なだけではダメ。
 自分の仕事は安売りしてはいけない。ただし、そのためには、他人(ひと)にできないことをやる必要がある。
 変わり者と言われるような人間じゃないとダメ。変わっているから、他人(ひと)と違う発想ができるし、違うものが出来る。他人と同じようなことをするのが世渡りのコツだと思うのはとんだマチガイだ。何かしてもらったら、4回、お礼を言う。そうすると、言われた人は感動して、また誘ってやろうという気になる。
 いやあ、さすがに出来る人の言葉は違いますね。変わり者だと言われることも多い私は、この本を読んでひと安心もしました。
 アメリカ領事が日米安保条約の必要性を力説する講演会に出席しました。このとき領事は、北朝鮮がハワイに向けてミサイルを発射したとき、日本の自衛隊は自分の国を攻撃されるわけではないから何もできないことになるが、それではアメリカ国民は納得しないと強調していました。でも、北朝鮮がハワイを狙ってミサイル攻撃をするなんて考えられるのでしょうか。日本本土の上で北朝鮮のミサイルを迎撃してやっつけるというのですが、その真下に住む人は大惨事に巻きこまれてしまいます。ミサイルを確実に撃ち落とすことは不可能です。そもそも北朝鮮がミサイルを発射しないようにするのが政治の義務ではないでしょうか。軍事力は戦争の抑止力になると力説していましたが、本当でしょうか。軍備拡張競争になってしまうのではないでしょうか。アメリカ領事の話は、考えれば考えるほど、本当に日本人として納得できないことばかりでした。
(2008年9月刊。750円+税)

最新・月の科学

カテゴリー:宇宙

著者:渡部 潤一、 発行:NHKブックス
 アポロ計画で持ち帰られた月の岩石を調べたところ、月は地球の年齢と同じくらい古いことが分かった。人類が地球上でもっている月資料のうち、アポロ回収試料は400キログラム。月隕石は100個で34キログラムである。月隕石は南極や砂漠で次々に発見されている。水分子はおろか、鉱物構成要素レベルで水(OH基)もまったくなかった。地球上では生成し得ない岩石・鉱物ばかりが見つかった。月は、非常に高温の過程を経たようだ。
 月は、地球の直径の4分の1、体積の50分の1、質量にして80分の1である。地球よりずっと早く冷え切ってしまい、大気がないので地球のような風化・侵食も起きず、大昔の情報をそのまま保持している、化石のような天体だ。ところが実は、月にも希薄な大気がある。といっても、大気圧が地球の10京分の1(10の17乗分の1)、1立方センチ当たりナトリウム原子が70個、カリウム原子が17個、という希薄さである。これは、超高真空環境に相当する。
 月は地球に表だけを見せながら公転している。月の自転周期が地球を周回する公転周期と一致しているためである。月の表側は裏側に比べて、やや重くなっている。月は、そのお尻を地球に向けて、安定した状態になった末に、そのまま止まってしまったのだ。
 昔の地球は、今よりずっと早く回っていて、月も地球にずっと近いところを回っていた。だから、数億年前の古代史には、地球の1年は365日ではなく、400日前後だった。
 月は、火星級の原始惑星が原始地球をこするように衝突したことで、両者の一部が飛び散って月になったもの。これをジャイアント・インパクト説と呼び、現在の有力説だ。ただし、検証できないという弱点をもつ。
 月の表面は、我が家のベランダから望遠鏡で見ることができます。いかにも静かな砂漠地帯を見ている気になります。そんな月にも、もちろん生成の歴史があったわけですし、地球とのかかわりも面白いものです。
 私たちの身近な天体である月について、少しだけ認識を深めることができました。 
(2008年6月刊。1070円+税)

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