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最高処刑責任者

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョセフ・フィンダー、 発行:新潮文庫
アメリカにある日系家電メーカーの営業マンが苦闘する日々が描かれています。ソニーやパナソニックと肩を並べる世界有数の家電メーカーに勤めているのですが、そこには敏腕営業マンの引き抜き合戦があり、リストラありの厳しい世界なのです。
そして、日本は東京から送られてきたお目付役の日本人が職場を巡回して仕事ぶりを点検します。その日本人は、ごたぶんにもれず、パイロット御用達の分厚いめがねをかけ、およそ個性に欠けるが意見の持ち主だ。公式の肩書きはビジネス・プランニング担当マネージャー。その実態は、夜遅くまでオフィスに居残り、電話やメールで探題の仕事をする。ただし、英語は苦手なので、スパイ活動には困難がともなっている。
主人公の営業マンを助けるのは、もとアメリカ陸軍の特殊部隊にいたスポーツ万能選手です。イラクやアフガニスタンにおける戦場での体験を生かして会社での主人公の立身出世を助けるという展開なので、それはないだろ、と、つい叫び声をあげてしまいそうになりました・・・。
お荷物を雇っておく余裕が、うちの会社にはもうないのだ。これからは、ダーウィン流の生存競争でいく。もっともタフな者だけが生き残れるというわけだ。東京に対して、うちの数字が短期間に大幅に改善するところを示す必要があるのだ。
いやあ、これって目下、日本で進行中の事態ですよね。あんまり似たセリフなのでおかしくて笑いながら悲しくなって涙が出てきました。
株主配当という短期的な業績確保のため、社員をモノ扱いする。この風潮はアメリカ崇拝から導入されました。アメリカの経営者のように年収数百億円もらいたい。労働組合なんて踏みつぶせ。労働者はいくらでも替わりがいる捨てゴマに過ぎない。経営者と労働者は、そこでは持ちつ持たれつの関係ではありません。残念です。
そこには企業の社会的責任なんてカケラもありません。それを率先しているのが日本経団連の前会長のトヨタ、現会長のキャノン、それから、イスズ、ソニー、そしてIBMですよね。ひどいものです。こんな企業経営者たちに、日本人は愛国心が足りないなんて言ってほしくありませんよ。このところ同じようなことを何回も書いていますが、書かずにおれない気分なのです。ゴメンナサイ。
(2008年11月刊。667円+税)

潜入工作員

カテゴリー:アメリカ

著者:アーロン・コーエン、 発行:原書房
カナダ生まれ、ビバリーヒルズ育ちのユダヤ人青年がイスラエルに渡って猛特訓を経て対テロ特殊部隊員になる展開です。その訓練のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
 両親が離婚し、母親はハリウッドで脚本家、プロデューサーとしての仕事をしはじめた。そのためアーロンは、子どものころ、幾度となく引っ越し、学校もしばしば変わった。
 こんな生活が幼い精神にどれほど混乱を与えたか。ためらいや不安を押し隠し、思考的な壁をめぐらせて、何事にも動じないふりをする術を身につけた。なーるほど、そういうことなんですね。ふり、でしかないのですか・・。
 若い世代のイスラエル人は、もはや分かち合いの犠牲的精神に魅力を感じなくなっている。そのため、キブツでは、手作業や工場での労働に、パレスチナアラブ人やアフリカやアジアからの移民を雇わざるをえなくなっている。そして、キブツの青年たちの中に、麻薬中毒患者の割合が非常に高くなっている。キブツも変わりつつあるようです。
 訓練が始まった。運が良ければ疲労困憊のすえに4時間ほど居眠りできた。将校たちは、1日20時間、ノンストップランニングや腕立て伏せや腹筋運動を課した。そのうえ、24時間内、ずっと眠らせてくれない日もあった。まるで悪夢だ。絶叫、ストレス、苦悩、落胆、そして涙。
 体力的にも精神的にも強さが試されると同時に、あらゆる人格的側面も評価された。誠実さ、スタミナ、正直さとチームワーク、プレッシャーの中での思考力に、状況判断力。教官は、訓練生をバラバラに分解し、ひっくり返し、心の深部に潜む真の姿に迫ろうとする。そして1週間、毎日24時間、ヘブライ語で怒鳴り続けられた。
 毎日の訓練は、適者生存の法則に支配されていた。少しでも弱みを見せると、たちまち攻撃され、食いものにされ、容赦なく罰せられる。100人の内99人までが送り返される。ここで生き残るためには、思情のないロボットに、戦うための機械になりきらねばならなかった。
 基礎訓練のあいだ中、共感は嵐のように訓練生を容赦なく苦しめる。教官は何度もこう言った。
「お前らは役立たずだ。お前らなど必要ない。」
肉体的苦痛だけでも十分きつかったが、精神的加圧はさらに耐え難かった。絶え間なくからかわれ、ののしられる経験は、それまで味わったことのない経験だった。
 長い年月のあいだに、訓練中の若者が命を落としている。基礎訓練のあいだに、体力的にも精神的にも限界ぎりぎりまで追い詰められた。
 基礎訓練で唯一良かったといえることは、睡眠のありがたさが身にしみて分かったこと。ごくわずかな時間でも、最大限の眠りを得られるような身体に鍛え直された。床につく時間が5時間あれば、きっかり300分のあいだ目を閉じていた。夢さえも見ることはなかった。消灯とともに目を閉じたかと思うと、次の瞬間には、起床ラッパとともに目が覚めた。
 睡眠を奪われることは、軍隊生活のもっともつらい面の一つだった。ドゥヴデヴァンは、イスラエル軍で唯一、対テロ作戦を専門とする部隊である。占領地で、隠密に対テロ作戦を遂行することが唯一の目標なのだ。
 そこの訓練は、たとえば、こういうもの。攻撃性トレーニング訓練は、長い一日の野外訓練のあと、バスに乗り込んだとたん、教官が叫ぶ。
「20番の席に座った者は、3番の席に移動しろ。残りの者は全力でそれを阻止せよ」
 バスに乗っている者全員が車内で全力を尽くして戦わなければならない。殴られることへの本能的な恐れを克服するのが、この訓練の狙いだ。無差別暴力、全員参加の乱闘騒ぎだ。基地に着くまでのバス内の2時間、攻撃性トレーニングはノンストップで展開される。2ヶ月のあいだ、毎日30人から40人の相手と戦っていると、人間の精神に重大な変化が起こる。本来備わっていた攻撃性が強められ、常にスイッチが入った状態になる。攻撃性トレーニングは人間の精神に深く浸透し、永遠に人を変えてしまう。
 射撃訓練は、一人につき、1週間に5000発を打つ。反応速度が向上するにつれ、1秒間に3発を続けざまに打ち、いずれの弾も狙った場所を正確に撃ち抜けるようになった。さまざまな距離から正確にターゲットを選んでの狙撃術や、走りながら、あるいはバリケードや壁をまわりこみながら銃を撃つ技術を磨くには、繰り返し何千発も実弾を撃つしか方法はない。
 基礎訓練が始まるときに40人いた訓練生は、2週間も過ぎたときには14人に減っていた。特殊部隊の兵士を育成するには、1人50万ドルから100万ドルの経費がかかる。
 実戦では、あらかじめ決められていた手順にこだわらず、臨機応変に作戦を変更する心構えが必要だ。ロボットにはなるな。第一の作戦がダメなら、第二の作戦、それがダメなら第三の作戦で行く。
 特殊部隊には、対テロ攻撃によって愛する身内を失った経験のある人は入れない。復讐心で正しい判断を失っている者は排除される。作戦遂行中は、感情は厄介者でしかない。判断力を鈍らせ、自分やチームの仲間を死に追いやる。この種の仕事には、客観的で冷たい無関心が必要とされる。
 イスラエル軍がハマスの幹部を次々に殺しているようですが、この本にも幹部を拉致した時の状況が描かれています。周到な準備をして、完璧な欺騙工作によって瞬時のうちにからめ取るのです。
 でも、力で抑えようとしても、結局のところ、反発を生んで暴力の連鎖が深く広がるだけではないでしょうか。
 イスラエルの対テロ特殊部隊の実像の一端が語られている本です。著屋は志願して猛特訓を経て特殊部隊に入ったわけですが、3年間そこにいて、これ以上はもたないと思って退役しました。人を殺すことが人間として耐えられなかったのです。いくら猛特訓をしても人が人を殺すことに慣れてしまうことはできないようです。そうですよね、やっぱり。
 大晦日は、いつも近くのお寺に除夜の鐘をつきに出かけます。山の中腹にある古いお寺です。歩いて20分ほどのところにありますので、完全防寒スタイルを整えて12月31日の夜10時40分ころ出発します。フトコロには生命の水(オードヴィ。つまりブランデーと、アイポッドを市のまえます。どんなに寒い冬でも、坂道を上がっていくと、汗ばむほどになります。お寺の境内には、ちゃんとたき火が用意されています。丸太を組み合わせた本格派のたき火ですので、何時間かは持ちます。
 このところ、到着するのは先頭から3組目ほどです。毎年、一番手の顔ぶれは変わります。私が、年越しの除夜の鐘つきに来るようになったのは、もうかれこれ30年前になりますので、最古参であることは間違いありません。
 今年は鐘つきに並ぶのは少ないのかなと心配しながら待っていると、11時半過ぎになって急に参列する人が増えました。なかには小さい子どもや犬連れもいます。私は列に並ぶと、アイポッドを操作してシャンソンを聞きます。しばらく好きな歌を聴いたあとは、NHKのフランス語講座も聴いて、しっかりフランス語を復習します。なにしろ、語学はリピートが大切なのです。耳慣らしを怠ると、たちまち上の空になってしまいます。
 やがて12時が近づいてきました。先ほどはポツポツと小雨が降る気配すらあったのに、いつのまにか星も見えています。大きな北斗七星がくっきりと頭上高く見えだしました。
 鐘つきを始める前に、若いお坊さんが高齢の簡単な挨拶をします。今年は非正規雇用の人たちが解雇されるなど、厳しい状況でもありますが……、という話でした。短い言葉の中にも、今の世相を反映しているなと思いました。除夜の鐘をついたあと、紅白の小さなお鏡もちをいただいて帰ります。
 その前、0時になったとたん、遠くにあるレジャーランドから続けざまに花火が打ち上がるのがきれいに見えました。いつもは音だけだったのですが、邪魔になっていた林が霧払われて見通しが良くなったおかげです。
(2008年11月刊。1800円+税)

ネコはどうしてわがままか

カテゴリー:生物

著者:日高 敏隆、 発行:新潮文庫
ウグイスが、なぜ、あんなによくさえずるのか?それはウグイスが、なわばり制の鳥だから。ホーホケキョという声は、オスのなわばり宣言なのだ。オスは、こうして守っている自分のなわばりの中に入ってきたメスとつがうのだ。
ドジョウはひげで水底に触りながら、あちらこちらと探ってまわる。食べものは水底で半ば腐った、分化した有機物を食べる。もともと溶けたようなものだから、効率よく腸に吸収され、かすなど残らない。だから、ドジョウの糞は、一緒に吸い込まれた土砂の粒だけ。つまり、ドジョウは糞を出さない。うへーっ、そ、そうなんですか。知りませんでした。
水上のミズスマシは、空中からの敵と水中からの敵と、両方に備える必要がある。だから、もともと左右一つずつある目が、それぞれ上下2つに分かれた。だからミズスマシには目が4つある。うひょーっ、目が4つもあるんですか・・・。
では、ミズスマシは前方をどうやって見るのか?それは波で見る。つまり、水面の波を触角でとらえ、前方の様子を知る。ミズスマシは水面の波にひかれ、その波の源へ近寄っていこうとする。これを走波性という。近寄ってみて異性と分かったら、すぐさま生殖行為に移る。同性だったら、離れようとしてはまた戻るのを何回か繰り返して、ようやく離れていく。
アメンボは、6本ある肢のうち4本の肢の先が油気があるので、水の表面張力で浮かんでいられる。残る2本の肢は油気がないので水にぬれる。この2本の肢を水につっこみ、オールのようにして水をこぐ。だからアメンボは、右にも左にも自由自在に水上をすいすい走ることができる。アメンボは異性に対しては、前肢で水をたたいて波の信号を送る。お互いに前肢で波の信号を送りかわして思いを遂げる。モグラは土の中にトンネルをはりめぐらす。ミミズがそのトンネルに落ちて驚きばたばた音を立てると、その音を聞きつけてモグラが走ってきてミミズを食べる。モグラは目が見えないから、明るくした金鋼パイプの中を走り回る。
 カラスは直径10メートルもあるという大目玉の気球を怖がる。
 カタツムリのセックスは大変だ。ともかく、お互いが男であり、女であるわけだから、一匹の中の男と女が両方とも、その気にならなければならない。出会った2匹は角でなであい、体を触れてくねらし、頭のこぶをふくらませてこすり合って、何時間もかけて口説きあう。ときには半日も一日もかけてやっと機が熟するとお互いに長いペニスを伸ばし、それを互いのメスの部分に挿入する。そして、また長い時間をかけて精子を出す。
タイトルは忘れましたが、このカタツムリのセックスを映像にしたフランスのドキュメント映画があります。いやあ、まるでポルノ映画を見ているような錯覚に陥り、体中ぞくぞくするほど、なまめかしい映像でした。
トンボは、4枚の「はね」を全部別々に動かすことができる。トンボは、独立して羽ばたく4枚の「はね」で「はね」の角度を変えたりできるので、翼が回転するだけのヘリコプターである一般の昆虫より、もっとデリケートな飛行を楽しんでいる。
夕方になると、スズメたちは街路樹に集まって、大変な騒ぎをかき立てる。だけど、なぜ、こんなに騒ぐのか、人間は解明できていない。
ツバメが家の出入り口に巣をかけるのはスズメのため。ツバメはスズメを嫌っている。スズメからヒナがいじめられたりするからだ。それでスズメがやってこないところに巣を作ろうとする。スズメは人間を大変に警戒している。人が絶えず出入りする家の入り口には絶対に巣を作らない。だから、ツバメは、この性質の裏をかいて、できるだけ人の出入りの多い家の軒先に巣を作る。
一匹でじっと獲物を待ち伏せるネコと違い、イヌは歩き回って獲物を探し、見つけたら、追いかけていって狩りとる動物だ。イヌは歩き回ることは、全く苦にならない。それどころか、それが楽しみだ。
イヌをあまり大事にしすぎると、イヌは勘違いする。自分こそがリーダーだと思って、飼い主の言うことを聞かず、勝手気ままに振る舞う。そこで、訓練所では、トレーナーがイヌに鎖をつけて引きまわす。イヌに、リーダーは、自分ではないことを思い知らせるのだ。なーるほど、ですね。
本来は単独生活しているネコたちで親密なのは、親子関係だけ。親子といっても、父親との関係は全くない。子どもは自分の父親を知らない。子どもが知っているのは、授乳して世話をし、育ててくれる母親だけ。子猫が鳴けば、母ネコは飛んでくる。しかし、母ネコが鳴いて子ネコを呼んだからといって、子猫は母ネコのところに飛んでくるわけではない。
ネコたちの「わがまま」は、これで理解できる。
生き物について、さらに理解することができました。とても面白い本です。
 あけましておめでとうございます。今年もぜひご愛読ください。
 お正月は、朝起きて雨戸をあけると薄暗く、雨でも降りそうな気配でした。お節料理をいただいていると、やがて音もなく雪が降ってきました。綿をちぎったようなボタン雪です。地表に落ちた雪は積もる感じではありません。やがて雪は一段と激しく降り、多難な幕開けを予感させました。ところが、ひとしきり降ったかと思うと、そのうちに雪は止み、薄日が差し始めました。午後からはすっかり晴れ上がり、今年の景気も、これほど早く回復してくれたらいいなと思わせます。年賀状を読み終え、ポカポカ容器に誘われて庭に出て、クワをふるって畑仕事を始めました。これが何よりのストレス解消です。畳一枚分の土地を掘り起こすと、ふーっ、と、ため息をもらし、腰に手を当ててしまいます。球根を植えかえてやるのです。球根はどんどん分球していきますので、それをうまく分けて植え付けます。娘から、「それは何という花なの?」と訊かれますが、悲しいことに球根を見て分かるのは、チューリップのほかはダリヤくらいです。花が咲いたら、もう少し花の名前を言うこともできるのですが・・・。
 庭を掘り起こしていると、いつもの愛嬌いいジョービタキがやってきます。やあ、がんばっているね。そんな感じで、声をかけてくれます。これは本当のことです。スズメより一回り大きい名を知らない灰茶色の小鳥もやってきました。掘り起こしたあとの虫を狙っているようです。黄色いロウバイの花が盛りです。においロウバイと言って、通りかかった近所の人がロウバイの匂いですねと声をかけるのですが、残念なことに鼻の悪い私はロウバイの匂いはかすか過ぎて、よく分かりません。
 正月を過ぎて、少しだけ陽の落ちるのが遅くなった気がします。1月3日は、夕方5時10分に日が沈みました。それから30分間、5時40分ころまでは夕方の明るさです。春が待ち遠しいです。
(2008年6月刊。400円+税)

黒の狩人

カテゴリー:社会

著者:大沢 在昌、 発行:幻冬舎
新宿警察署の刑事が特命で事件を担当することになります。そうです。舞台は、いつもの新宿。新宿の闇にうごめく黒社会の連中と、それにまつわる警察官たちが登場します。ヤクザの用心棒のような存在の刑事も登場してきて、大沢ワールドは、いつものように底知れぬ闇の深さを感じさせます。救いようのないほど深い闇が、この東京の一部に厳として存在するわけなのです。知らぬが仏とは、よく言ったものです。
私の事務所の若い女性事務員は、大学生の頃、上京したついでにみんなで歌舞伎町ツアーを敢行したと話していました。夜の歌舞伎町には昔、私も何回か行ったことがありますが、なんだかとても落ち着かない気分になりました。はっきり言って、怖い町です。
この本は、中国から出稼ぎでやってきた中国人たちの活動状況を底流としています。そこに中国政府の意向を代弁する中国の国家安全部の役人が関わってくるのです。もちろん、小説ですから、現実をどの程度反映しているのか、私には分かりません。
日本に来る中国人が一番ほしいのはお金だ。ところが、うまく金儲けできる人と、そうでない人がいる。うまく金儲けできる人の最初の条件は、日本語がうまいこと。お金儲けのうまくない人は、たいてい日本語が下手だ。それは、つまり、それだけ努力をしていないということを意味している。
台湾マフィアと中国マフィアは違いがある。台湾マフィアは、日本に来る前から本職だったところが、中国マフィアは、カタギが日本に来てマフィア化する連中が少なくとも当初は大半だった。もとが学生だから、頭もいい。パチンコの裏ロムや偽のクレジットカードも簡単に作れる。そのうえ、中国本土での犯歴がないので、指紋などのデータがない。
中国にいるときはカタギ、日本に来たらマフィア。これでは、捕らえようがない。ふーん、なるほど、そういうことなんですか。
かつて、簡単に稼いだお金を「あぶく銭」と呼んで、人は軽蔑した。しかし、今は「あぶく銭」をつかむ者が尊敬される。手段ではなく、目的優先の時代である。「成金」という、一代で財を成した者へつかわれる侮蔑的な呼び方もなくなった。かわりに広く使われている言葉は「セレブ」だ。このわけの分からない呼び方が広がっているのは恐ろしい。お金さえ持っていれば「セレブ」。それを見せびらかすことで憧れられる存在になるのが人生の目的と自負する人が増えた。そんな日本に対して、出稼ぎにやってくる中国人が好意を持つはずはない。いやあ、まったくその通りです。
ヤクザによる警官の買収には、実は限界がある。それは、ヤクザの側に、買収される警察官への侮蔑があるからだ。それを感じてもなお、たかり続けられるほど誇りのない警察官は、そういない。
中国は、日本と比べものにならないほど公務員の腐敗が深刻だ。買収に関しては、する側もされる側も、それに慣れていて、侮蔑や後悔の感情がなく、行為が成立する。
腐った警察官は、泥棒、強盗、詐欺師、あらゆる犯罪者よりもたちの悪い、職業犯罪者と化す。刑事殺しまで発生します。さあ、この続きはどうなるのだろうかと、ワクワクする思いで読み進めていきました。
夜の新宿をめぐる大沢在昌ワールドの真骨頂が描かれ、そのなかで主人公が活躍します。
(2008年9月刊。1700円+税)

失われた弥勒の手

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:松本 猛・菊池 恩恵、 発行:講談社
安曇野(あずみの)伝統というサブタイトルのついた古代史の謎とロマンを語る現代小説です。
平安時代から鎌倉時代にかけて、弥勒(みろく)仏が盛んにつくられていた。戦乱の余になって、絶望的な末法思想が広がった。民衆はどこかに希望を見出したい。そこに信仰が生まれる。
 弥勒菩薩は、釈尊が亡くなってから56億7千万年後に、この世に訪れて人々を救済すある未来仏だ。弥勒は、仏教の世界観で言うと、與率天(とそつてん)という。まだ修行的な段階なので、苦しくて足を組んでいて手を頬について瞑想にふける姿で表現されることが多い。これが半跏思惟(はんかしい)像だ。
 日本人の中にも渡来人だった人が多く存在する。大和朝廷の中枢にはたくさんの渡来人が居た。秦(はた)、錦織(にしきおり)、綾部(あやべ)、海部(かいふ)というのは、みな渡来系の姓である。
 岩戸山(いわとやま)古墳は、北部九州最大の前方後円墳である。「日本書紀」によると、大和朝廷は、新羅に奪われた仼那を奪還するために、近江毛野臣(おうみのけなのおみ)に6万の軍勢を率いて渡海させることにしたが、新羅は密かに筑紫君磐井(いわい)に賄賂を送って毛野臣の渡海を妨害させようとした。磐井は、肥(佐賀、長崎、熊本)と豊(福岡東部、大分)の2国の勢力で朝廷に立ち向かった。大和朝廷は、物部大連鹿火(もののべのおおむらじのあらかひ)を遣わして討伐した。磐井は継体22年(528年)11月、御井郡において激戦の末に斬られた。
 ところが、「筑後国国土記」には、磐井は、大分県の瀬戸内海に面したあたりに逃れたと記されている。岩戸山にある墓は、磐井が生前に造った寿墓というもの。磐井が逃げて捕まえきれなかった大和朝廷の軍勢が岩戸山の寿墓を壊したのだ。
磐井の乱によって大和王権から北九州を追われ、新羅に伽耶を追われた安曇族のかなりの集団が6世紀に信州(長野県)安曇野に移住してきた。そこには、すでに渡来系の人々の生活基盤があったからだ。このように、福岡・八女と信州・安曇野とが昔、密接な関連があったなどという話に目が開かれる思いでした。
 2世紀から4世紀まで、安曇族は志賀島を本拠地とし、糟屋(かすや)の屯倉(みやけ)をふくむ博多湾周辺を活動の中心地としていた。
 安曇族は、朝鮮半島南部の伽那や筑紫の君、磐井と強い繋がりを持っていた。ところが527年の磐井の乱のとき筑紫の君について負けたために本拠地を失い、各国に散らばっていった。たとえば、滋賀県。ここに志賀町や南志賀という地名がある。安曇と志賀という地名のあるところは、安曇族が転出していったところである。全国に50ヶ所以上もある。
 ふむふむ、日本の古代史も面白いですよね。この本は小説仕立てですから大変読みやすくなっています。
(2008年4月刊。1800円+税)

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