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名もない顔もない司法

カテゴリー:司法

著者 ダニエル・H・フット、 出版 NTT出版
 はじめに出てくる椅子と靴の話が私にとって衝撃的でした。アメリカの最高裁法廷の写真をよく見ると、そこに並んでいる椅子は、その大きさと形が微妙に違っているのです。つまり、日本の最高裁の法廷(これは、私も2度、現物をこの目で見たことがあります)には同じ規格の椅子しかありません。もちろん高裁以下の地方裁判所でもこれは同じことです。ところが、アメリカでは裁判官が自分の好みで、好きなように高さも形も選べるのです。
 靴の話は、なんと、日本の最高裁判事は、専用車に乗るばかりで歩くことがまったくないので、10年間に買い求めた靴が一足だけだったという、とても信じられない話なのです。
 このように、日本の裁判所では、裁判官は名も顔もなく、誰が事件を担当しようと判決は均一であるという考えが根強い。
 日本の裁判所に対し、自民党がその政治的意向を直接伝えることは決してないが、最高裁の事務総局は自民党の政治的意向をよく理解している。事務総局は、配置転換や昇進の制度を用い、自民党の意向に従う裁判官に利益を与え、その意向に反する裁判官に不利益を与えることによって、自民党の無言の命令を実現する。その結果、この動機づけの枠組みが裁判官に対して政治的圧力をかけることになる。いや、まったく、そのとおりでしょう。最高裁はあれこれ弁明するでしょうが、事実その通りなのですから、動かし難い真実です。
 日本で弁護士が裁判官になりたがらない理由が、アメリカとの比較で明らかにされています。
日本の裁判官は目立たない態度を取ることが期待され、実際にも目立たない。アメリカでは裁判官は人の注目をあびる職業である。裁判官が目立ち、一般市民がそれを認めていることが、アメリカの裁判官に与えられている栄誉を日本よりも実体のあるものにしている。これに対して、アメリカでは大規模な法律事務所に属する弁護士は、巨大なマシンの歯車の一つにすぎない。弁護士は、上司やほかの弁護士から常に監視されている。そして、アメリカの弁護士はノルマを常に意識し、報酬請求時間についてのプレッシャーを常に受けている。アメリカの弁護士は、仕事の態度や服装に至るまで監視され、年単位で評価されている。
 ところが、アメリカの裁判官は、自分以外に上司のいない自由な立場にある。ふむふむ、なるほどですね。
同じように、日本の弁護士は大きな自由を持っている。これに対して、日本の裁判官は巨大な組織の一員である。裁判官は年次評定され、それが昇進、配転などで大きな意味を持っている。日本の裁判官の自由は、日本の弁護士と比べて制約されている。うむむ、そうなんですよね。
下級裁判官の再任審査に国民の意思を反映させる手続が出来たといっても、その透明性が実現されているとは言いにくい。
この点は、私も少しばかり関与していますので、まったく同感だと声を大にして叫びたいと思います。裁判所はいまだに法曹三者と一部の「有力市民」の声を聞けば十分という考えであり、ユーザーである市民の声を広く聞こうという姿勢がきわめて弱いのが実情です。
たとえば、どの裁判官が毎年ある再任審査の対象になったかという基本的な事実さえ裁判所は一般公開していません。裁判所の再任を希望したのに拒否されてしまったら、それはプライバシー保護の対象として明らかにすべきではないというのがその理由です。とんでもない言い分です。私は、裁判所や弁護士会のホームページにおいて、10年ごとの再任審査対象となった裁判官の氏名と所属裁判所、おもな判決の要旨が公開されるべきだと考えています。
 再任審査にあたっての議事録も簡単すぎて、誰が何と言ったのかもわかりません。なぜ、その裁判官が再任を拒否されたのかも分かりません。これでは、裁判に対する国民の信頼が高まるはずもありません。
アメリカでは毎年500万人のアメリカ人が陪審員選任のために呼び出されて裁判員にやってくる。そのうち100万人が実際に陪審員として選任される。これに対して、裁判員裁判では、日本人の最大3万人ほどが裁判員として関与するのみ。これでは少なすぎる。ううむ、そ、そうなんですけど……。
裁判員裁判について、こんなわずらわしい手続に読んでほしくない、人を裁きたくない、嫌だという人が少なくありません。でも、民主主義というのは面倒なことから逃げたらいけないということでしょ。昔は選挙権だって、フツーの市民にはなかったのです。バカな市民に選挙権なんか与えたら、とんでもない国会議員が生まれてメチャクチャな政治がおこなわれることになる、そう言って反対した人たちがいました。
国の主人公として、さばく立場に立つことは権利でもあり義務でもあるのです。どうぞみなさん、ぜひぜひ裁判員としての呼び出し状がきたら、なんとしても裁判所に来て下さいね。そして、市民感覚を裁判に活かしてください。論理に強い裁判官も、事実には弱いのです。裁判員裁判はぜひ成功させたいと思います。
(2007年1月刊。1800円+税)

日本紀行

カテゴリー:日本史(明治)

著者:イザベラ・バード、 発行:講談社学術文庫
 明治のはじめ、日本を女性ひとりで旅行した女性の日本観察記です。
 日本ほど、女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う。著者はそう断言しています。うひゃあ、そ、そうなんですかねー・・・。
 日本は花々が大変豊富で、とくに花の咲く灌木に富んでいる。つつじ、椿、アジサイ、モクレン、あやめ、牡丹、桜、梅など。そうなんですよね。我が家の庭にも、椿、アジサイ、モクレン、牡丹、桜、梅があります。四季折々に見事な花が咲き誇り、目を楽しませてくれます。なんとなく心に潤いを感じます。これこそ田舎に住む良さです。
 日本の馬は貧弱で哀れな獣。恨みがましく狡猾な動物で、のろのろと動く、寝ころがる、よろめくの3つの動きで、人間の忍耐力を試そうとする。ひゃあ、そんな……、ここまでいったら、なんだか可哀想ですよ。
 臆病な日本の黄色い犬は、夜間に吠える癖が強い。ええーっ、そうですかね……。
 日本の内陸に住む人々は親切でやさしくて礼儀正しい。ふむふむ、なるほど。
 物乞いや暴徒が日本にはいない。女性は男性のいるなかを、まったく事由に動きまわっている。子どもは父親からも母親からも大事にされている。女性は顔を隠さず、地味な顔だちをしている。だれもが清潔で、きちんとした身なりをしている。みんな、きわめておとなしい。礼儀正しくて、秩序がたもたれている。いやあ、そうですね。日本の女性って、昔から強いのです。弁護士になって35年間、日々、それを実感しています。
 日本人の鼻はぺったんこで、唇は厚く、目は斜めに吊り上がったモンゴル人種のタイプ。これまで会ったなかで、もっとも醜くて、もっとも感じのいい人たちであり、もっとも手際がよくて器用だ。うむむ、これは納得できそうで、できませんが……。
 日本の商店で、買い物をするとき、うるさい値引きの交渉はひとつもない。ふむふむ。
 秋田県の久保田にも地方裁判所がある。司法制度の改革とともに、弁護士が続々と誕生している。ここは、えらく訴訟好きの町ではないかと思えるほど弁護士がいる。法律関係の職業は、たいがいペンをつかうことに長けた士族の好む職業となりつつある。弁護士の免許料は約2ポンド。これは、もうかる職業に違いない。うむむ、昔の秋田にそれほど弁護士がいたなんて……。今は少ないです。
 学校のない地域で子どもたちは教育を受けないままになっていると思っていたが、それは間違いだった。おもだった住民が子どもたちに勉強を教えてくれる若い男を確保し、ある者は衣服を、別のある者は住居と食事を提供する。それより貧しい人々は、月謝を支払い、もっとも貧しい人々は無料で子どもたちに教育を受けさせられる。これは、とてもよくある習慣のようだ。小繋(こつなぎ)では、30人の勉強熱心な子どもたちが台所の一隅で授業を受けていた。ここは、あとで、入会権の裁判で有名になったところです。
 日本の女性や子どもたちが伸びのびと生きていたことをよく教えてくれる本です。
 きのうの日曜日の朝、春雨が降りだす前に春告鳥(はるつげどり)が美しい音色の声を爽やかに響かせてくれました。そうです。ウグイスです。ホーホケキョと済んだ声でした。梅の花も満開、やがて春の初市の季節です。
 今朝の新聞の書評コーナーに私の本が紹介されていました。あまり売れていない本なので、とてもうれしく思いました。元気の出てくる朝でした。
(2008年4月刊。1500円+税)

実録アングラマネー

カテゴリー:社会

著者 有森 隆+グループK、 出版 講談社α新書
 山口組若頭の宅見勝は1997年8月、神戸のホテルで4人組の暗殺団に射殺された。享年61歳。宅見は配下に企業舎弟を数千人もち、3200億円の資金力を誇り、オールジャパンの裏経済を支配していた。
 東京都内だけで、暴力団のフロント企業は1000社以上ある。この数字は警視庁が確認したもの。金融、不動産、建設がフロント企業の御三家。風俗、飲食、自動車販売、産廃処理、経営コンサルタント、そしてコンビニ、ペットショップ、俳優養成学校、探偵、人材派遣など……。うひゃあ、す、すごい分野にまで進出しているんですね。驚きました。
2007年現在の暴力団員は8万4200人。正式構成員が4万3300人。準構成員は、
1995年に3万2700人だったのに対して、それから3割も増えている。暴対法は、山口組への一極集中を生んだ。山口組と住吉会と稲川会の3団体で、今や暴力団の73%を占め、寡占化が進んでいる。
 山口組の上納金は幹部クラスで月100万円、他の直系組長で月80万円。
 旭鷲山が引退したのは、暴力団の住吉会系組長に脅迫されたから。モンゴルの金鉱山の開発利権をめぐって、住吉と関西系に2重売りしたのが発覚してのことだった。うむむ、なーるほど、そういうことだったのですか。
 英会話教室最大手のNOVAで創業社長が追放されたのは、資金調達を闇の勢力に頼ろうとしたからだった。猿橋前社長は、業績不振のワンマン銀行の頭取を巻き込んで、見せ金増資を錬金術の舞台につかった。見せ金増資に協力するという名目で、巨額の融資を銀行から引き出そうとしたのである。いやいや、とんだことです。大勢の真面目な教師と生徒が泣かされましたね。
 海軍鎮守府が於かれた横須賀で、沖仲士を取り仕切る近代ヤクザとして生まれたのが小泉組。軍港ヤクザの小泉組の2代目、小泉又次郎が、あの小泉純一郎の祖父である。
 いやはや、現代日本社会って想像以上にヤクザに食いものにされていますよね。知らぬが仏、とはこのことです。仏といえるかどうかは、私たち次第ですが・・・。
(2008年10月刊。933円+税)

パラダイス・イデオロギー

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 渡邊 博史、 出版 窓社
 奇妙な写真のオンパレードです。通りに人がいません。当然そこにあるべき雑踏というものが見あたらないのです。ええーっ、いったい、人民、いや、民衆はどこに行ったの・・・、と、つい疑問に思ってしまいます。
 街角に映画館があります。タイトルには「海賊王」という漢字が読めます。でも、通行人がまったくいません。不思議です。まるで映画撮影のためのスタジオのようです。黒沢明監督の映画「酔いどれ天使」の看板もかかっています。でも、そこに登場するのは、ホーキをもった清掃のおばちゃん一人です。「乳房拡張美容器店」とか「神経痛」という看板を掲げた店もあります。でも、誰もうつっていません。明るい昼日中の写真なのに、人っ子ひとり歩いていない商店街なのです。あたかも中性子爆弾が落とされて、人間だけが消滅してしまった町並みを撮った写真です。
 偉大なる金正日将軍のどでかい絵の前に、わずかに通行人がいます。そして、大きなビルの前の広場に何かのパフォーマンスを見ている着飾った観客がいます。でも、奇妙です。みんなあまりにも着飾っています。普段着の人が見あたらないのは、やはり居心地の悪さを感じさせます。
 地下鉄のホームには、わずかに雑踏らしきものを感じさせます。それでも、ホームの床があまりにもピカピカすぎて、ふだんは人が利用していないんじゃないの、そうとしか思えません。
 異例づくめの写真集です。大勢の美男・美女がかしこまって出てきます。そこには、残念ながら、暖かい人間味がちっとも感じられません。地上の楽園(パラダイス)というには、あまりにも人工的な、こしらえものの「楽園」としか思えません。
 北朝鮮っていう国は、やっぱり異常な国だと、つくづく思わせる写真集です。
(2008年12月刊。3800円+税)

最後のウォルター・ローリー

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:櫻井 正一郎、 発行:みすず書房
 ウォルター・ローリーはイギリスでは有名な人物だそうです。と、言われてもピンと来ませんでした。ところが、映画「エリザベス、ゴールデン・エイジ」を見た人は分かるでしょ、と言われると、はたと思い出しました。たしかにエリザベス女王に世界を航海する楽しさを力説する男伊達の近衛隊長が登場し、エリザベス女王をうらやましがらせるのです。そう、その近衛隊長こそ、この本の主役であるサー・ウォルター・ローリー、その人なのです。
ウォルター・ローリーは、なんと1618年10月29日、ロンドンで断首されます。ところが、その直前に45分間にわたってスピーチしたのでした。そして、そのスピーチのおかげで、生前のローリーの悪評判は一転し、その死後、ローリーはヒーローのようにもてはやされることになったというわけです。
 ええーっ、死刑に処されられる罪人が、公衆の前でスピーチする、それも、45分間もスピーチできたなんて、ウソでしょ。そう思いたくなるのですが、スピーチを聞いた人が何人もいて記録しているのですから、これこそ歴史的な事実なのです。なぜ、そんなことが可能だったのか。この本は、それを解き明かします。
 ローリーが処刑されたのは、スペイン嫌いに原因があった。エリザベス女王からジェイムズ1世の時代になって、スペインとの宥和政策がとられるようになると、ローリーがスペインと衝突していたことから、スペインはイギリスに対しローリーを死刑にせよと要求し、ジェイムズ1世は、それを呑むしかなかった。
 ローリーは、エリザベス女王の侍女と秘密裏に結婚し、それが女王に露見して、ロンドン塔に入れられた。そして、エリザベス女王が死んでジェイムズ1世が即位したあと、陰謀事件に連座してローリーは死刑判決を受け、ロンドン塔で13年間を過ごした。この13年のうちに、ローリーは「世界の歴史」を書き上げた。
 ローリーは、処刑されたとき64歳。10月29日の早朝、教誨師が訪れた。朝食をとり、白ワインを飲んだ。このころ、囚人は処刑される前に必ず白ワインを飲んだ。
 ローリーは、断首台にのぼって、できないかもしれないと思っていたスピーチができた。スピーチは午前8時過ぎから45分間に及んだ。処刑は公開で、処刑場に居合わせた人々が一部始終を書きとめた。ローリーは、処刑のあと崇拝されて聖者になった。急転して、そうなったのだ。ローリーのスピーチは、体制に寄り添うように見せかけながら、その実質は体制に対立していた。ローリーのスピーチの意義は、早い時期における王権への抵抗にあった。というのも、処刑台に登った罪人たちは、決まったスピーチと決まった仕草ができるように、しかも心の底からそれができるように教化されていた。決まった筋書きに従ってスピーチがなされたので、処刑台は芝居の舞台、囚人は役者に等しかった。より多くの庶民が、仲間の死から学んで、国王と政府と教会に従順になることが期待されていた。
 恐らくジェームズ1世の判断停止によって、ローリーは念願のスピーチができた。不覚にも掘られてしまった小穴が、絶対王制という大河の、堤防がやがて決壊するのを助けたことになる。
 なーるほど、そういうことだったのですか・・・。歴史の皮肉というか、めぐりあわせなのですね。
(2008年10月刊。3800円+税)

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