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人を殺すとはどういうことか

カテゴリー:司法

著者 美達 大和、 出版 新潮社 
 大変重たいテーマを真正面から考えようとしている本です。いろいろ考えさせられました。
 著者は、2件の殺人を犯し(2人の男性を殺害した)、無期懲役刑に処せられ、長期LB級刑務所に収容されています。むしろ本人は死刑を望んでいたので、刑務所から出たいという希望は持っていないといいます。暴力団にも入った人間ではありますが、幼いころから大変賢くて、父親から将来を大いに嘱望されていたようです。この本に書かれている文章も理路整然としており、いかにも知的で、すごいなあという感想をもちました。
 長期刑務所というのは、残刑期が8年以上ある者が服役する刑務所のこと。罪が重く犯罪傾向がすすんでいるものはB級刑務所に収容されるが、そのなかでも長期の期間となるものを収容するものはLB級と呼ばれる。Lはロングのこと。LB級の刑務所は全国に5か所しかない。
 著者は、昭和34年生まれ。在日1世の父と日本人の母の間の一人っ子として、大事に育てられました。金融業を営んでいた父親は裕福であり、自宅には高級外車があり、小学校送迎用のキャデラックまで専属運転手がついていたそうです。そして、小学校時代からずっと成績優秀だったのです。ところが、高校を中退してから、営業関係の仕事をするようになり、21歳のときに金融業を始めました。
32歳で逮捕されるまで、著者は月に単行本を100~200冊、週刊誌を20誌、月刊誌を60~80誌も読んでいたそうです。いやあ、これには、さすがの私もまいりましたね。私も多読乱読ではちょっとひけをとらないと自負しているのですが、単行本は最高時で年に700冊、今は500冊程度ですし、週刊誌はゼロ、月刊誌となると10冊以下だと思います。やはり、上には上がいるものです。
 著者は、自分には男らしさが欠けていたことに法廷で初めて思い至ったのでした。
男らしさというのは、広い心で相手を思いやることや相手の立場や事情、権利を尊重し守るという寛大な精神と温かさが不可欠だった。
 受刑者が集まる場では、反省や悔いについて語るのは、自分をよく見せようとしているやつだ、おかしなやつだ、変人だ、というような空気がある。
 ううむ、なるほど、これではいかんな、いけないぞ、これって……、と思いました。そんな価値観を逆転してもらわないといけませんよね。
 人の生命を奪うということは、生命だけでなく、過去の記憶や未来の希望もすべて破壊しつくすということである。獄という字は、獣や犬がものを言うと書くが、実際に刑務所内に生活してみると、まさにそのとおりであった。正常な感覚を持っている人間は本当に少ない。
 前非を悔い、真っ当に生きようと模索している収容者は、ほんのわずかしかいない。残る大半は、自分の愚行にも人生にも一切の責任を見出すことなく、自分の生まれてきた幸運や運命に対して目を閉ざしたままである。終生、犯罪者として愧(は)じることもなく、社会に寄生していくことを受け入れている。
 受刑者には、もっと悔いたり反省したりしている人がいるだろうと思っていたが、実際に刑務所に入ってみると、そんな考えはまったく吹き飛ばされてしまった。
 受刑者は感情を失ったように無感動だったり、共感性がなかったりする人が大半である。大半の殺人犯は、ふだんはおとなしいが、倫理観については見事なほど欠落している。初めからない人、服役するうちに消えた人、悪い仲間に流され失った人、怒りの情動でそのときのみ喪失した人とさまざまだが、元来ないか、それに等しい状態である。
 LB級刑務所は、教育をまったく受け入れる余地のない受刑者がほとんどで、懲罰という意義も弱くなり、悪党ランドになっている。
 ここでは犯罪行為について雑多な情報が交換され、受刑者はいながらにして犯罪力の強化に努められる。正常な人がここでは異常とみなされ、良い子ぶりやがってと批判されるような大変なところである。
 うひゃあ、これはすごいですね。これが本当の実情だとしたら、刑務所の矯正教育なんて、まったく絵空事でしかありません。これって、昔から変わらないのでしょうか……。
 刑務所のなかの状況を改めて考えさせられる真面目な本でした。
 先日、仏検(準一級)に久しぶりに合格したことを報告しました。同じ封筒に口頭試問の結果(点数)が入っているのを見つけました。合格基準22点のところ、得点25点でした。やれやれ、です。いま『カルメン』を毎朝聴いています。カルメンとホセの恋物語をフランス語で聴いて、書いています。頭の中が若返ります。
(2009年2月刊。1400円+税)

原の辻遺跡

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 宮崎 貴夫、 出版 同成社
 壱岐島へ行ったら、ぜひ原の辻遺跡にも行ってみてください。一見の価値はあります。吉野ヶ里遺跡ほどのすごさはありませんが、古代日本が朝鮮半島そして中国と密接なつながりを持っていたことを実感させてくれる遺跡です。今では、立派な博物館もすぐ近くに併設されていて、解説によってさらに理解できます。
 原の辻遺跡は、「一支国(いきこく)」の中心となる王都であることが今では確定している。「一支国」は、3世紀の中国の正史「三国志」魏書東夷伝倭人の条。いわゆる『魏志倭人伝』に登場している国の一つである。「官を卑狗(ひこ)と言い、副を卑奴母離(ひなもり)という」「3千ばかりの家」があるとされている。他の国が「戸」という世帯数で表されているのに、一支国と不弥国のみ「家」というあいまいな表現になっている。これは、島民の航海のための長期にわたる海外出張や、大陸や本土からやってくる交易のための渡航者が多いため、人数が確定しにくく、魏の使者から人口を問われて、あいまいに答えたことによると考えられている。
 うへーっ、そんな違いがありうるのですか……。
 遺跡から、ココヤシ製笛、青銅製ヤリガンナ、権(はかり。チキリのこと)が出土した。環濠に棄てられた人骨は、男と女、子どもも含んでおり、北部弥生人や西北九州弥生人タイプも認められた。そして、人骨には関節がついた状態や刃物の痕跡も認められた。
 4世紀の壱岐をめぐる情勢は、高句麗が313年に楽浪郡を、314年に帯方郡を滅ぼし、315年に玄蒐城を攻破している。原の辻遺跡は、中国との対外交渉の場所である楽浪郡・帯方郡との足がかりを失ったことが決定的な打撃となった。また、日本列島のほうでは、中国の魏と西晋を後ろ盾とした「邪馬台国連合体制」から「ヤマト政権」への再編がすすんでいた。そのなかで原の辻遺跡の存立基盤が失われていた。
原の辻遺跡には、船着場跡がある。これは、日本最古であり、東アジアにおけるもっとも古い船着場跡でもある。原の辻遺跡には、楽浪系土器、三翼鏃(やじり)、五鎌銭(前漢)などの中国系文物も出土している。韓人、倭人のほか、楽浪漢人も訪れ、交易をしていたことが分かる。
 王奔の「新」14年に作られた「貨泉」も出土している。
 原の辻遺跡は、まだ10%が発掘されたにすぎないそうです。だったら、これからの発掘調査の進展が楽しみですね。
 現場は、だだっぴろい平野地帯です。人家もあまりありませんので、これからも続々すごい遺物が出てくるのではないでしょうか。大いに期待しています。
 土曜美に大分に行ってきました。夜、フグをしっかり賞味しました。いやあ、美味しかったです。フグ肝がこんなに素晴らしい味だとは思いませんでした。いえフグ肝を初めて食べたのではありません。とにかく形は大きいし、その柔らかさといい、とろけるほどの舌触りで、なんとも言えない絶品です。私の前にいた大分の弁護士は、だけどこれを食べ過ぎると痛風になってしまうんだよね、と言いつつ食していました。
 フグ刺しも身が厚くて、ネギを巻いて堪能しました。あっ、フグの唐揚げも絶妙な味でしたよ。それに、あのヒレ酒が出てきたのですが、これがまたなんとも言えぬほどのまろやかな味わいで、ついついおかわりを所望したくなるほどでした。ごちそうさま。
(2008年11月刊。1800円+税)

若者の労働と生活世界

カテゴリー:社会

著者 本田 由紀、 出版 大月書店
 非典型雇用ないし失業や無業の状態にある若者は3人に1人に達している。非典型雇用の規模は、他の先進諸国と比較しても相当に大きい。
 しかも、典型雇用と非典型雇用のあいだの賃金格差が他の先進諸国と比べても著しく、また『典型雇用への参入』が新規学卒時に限定されがちであることから、いったん非典型雇用・失業・無業の状態に陥った若者は、ほぼ永続的に困窮状態に置かれる確率が高くなっている。
 なぜ若者が自らフリーターや無業の状態を選び取っていくのか?
 その答えの一つは、若者たちが生きる文化に見出すことが出来る。中学時代の友人関係をベースにした場所・時間・金銭の共有を重視する文化的態度(地元つながり文化)の存在こそが、現在の状態を積極的に選び取る背景となっている。
 コンビニ店の売り上げは、1992年をピークとして、対前年比マイナス傾向にある。セブン・イレブンの加盟店の平均日収は1992年の68万2000円をピークとして、2005年の
62万7000円というように低下傾向にある。
 高齢者介護の現場にあっては、気がきくことが良い介護とは限らない。利用者の考えることに気づき、先回りして次々と用事を済ませてしまう。これは、利用者の「主体性」を奪うことでもある。そうではなく、介助者はあくまで利用者の「手足」でさえあればよい。
 うーん、これは難しいことですね……。
 現在の生徒には、自己肯定感が欠如している。生徒一人ひとりが自分を価値ある者にする。世の中に役立つ、自分はこれでいいんだという自信、その自己肯定感が発達させられていないことがあまりにも多い。自己肯定感を通じて社会に飛び込んでいける存在として、生徒を育てることが現在の学校に求められているものだ。
 大学入試と違って、就職採用という選抜システムは騙し合いである。うひょーっ、そ、そうなんでしょうか……。
 過食症が増加している。10年間で5倍にも増加した。過食症は女子中学生の300人に1人、女子高校生の50人に1人、女子大学生の50人に1人と推定される。一般の人が無理したところで食べきれないほどの量を食べる。過度な減量の反動としての過食である。
 身体に食べ物が入っていない状態が基本になっている。過食症者は過食をしていないときには、食事をほとんどとっていない。
 多くの過食症者は、過去にダイエットに成功している。意思の力で食欲を抑えることのできた経験があるからこそ、その後、過食症者は過食を身体的な問題ではなく、精神力や意思の弱さの現われとして受け止める。
 だから、その克服にあたっては「頑張らないこと」の重要性が指摘されている。接触層会社は、自分をコントロールしようとしすぎることで、摂食障害という状況に陥っている。
 摂食障害者は、ダイエットを継続する過程で、痩せている自分には価値があるが、痩せていない自分には価値がないと感じるようになっていく。それとともに、過食や嘔吐を繰り返すなかで、自分はだめだという気持ちを募らせていく。摂食障害の状況が自己否定を生み、自己否定が強くなるからこそ、なおさらに痩せることに固執するという悪循環がある。
 過食を治すために行うものに、食事を抜かず、規則正しく一定量を食べるという食事訓練がある。拒食症や過食症の人にとって、吐かずに普通に食べること、食事の量を増やしていくことは、非常に難しいことである。
 貧困を、経済的貧困、つまりお金がなく貧乏なこと、と素朴に考えている限り、「意欲の貧困」は貧困概念の中に自らの位置を持たず、常に自己責任論の餌食になるほかない。したがって、貧困とは「意欲の貧困」を含むものだと貧困論を構成する必要がある。非根を経済的生活困窮状態(所得や貯蓄)の問題に還元すべきではない。
 「意欲の貧困」とは、自分の限界まで意欲を振り絞ったとしても、それが多くの人たちが思い描く「当然ここまでは出せるはず」という領域にまで到達できない、という事態である。
 「意欲の貧困」は、もはや自己責任論の彼岸にある。そして、自己責任論は、つきつめれば死の容認へと至る。しかし、それは、「社会」という存在の自己否定である。
 現代日本における若者たちの置かれている状況について、現実をふまえて理論的にも深めることのできた本でした。
(2008年6月刊。2400円+税)

現代アメリカ選挙の集票過程

カテゴリー:アメリカ

著者 渡辺 将人、 出版 日本評論社
 危機的状況にあるアメリカの建て直しを期待されて登場したオバマ大統領ですが、いろいろと難航して大変なようです。それにしても、日本がいつまでもアメリカ頼みというのは情けない話ですよね。もう少し対等な立場で交渉できるようになりたいものです。首都にアメリカの広大な基地があったり、何千億円もアメリカ軍人のために「贈与」したあげく、日本人女性がアメリカ兵から暴行され続けて、ろくに裁判にかけることも出来ないなんて、まさに屈辱的な状況が続いています。クリントン国務長官が日本にやってきて、アメリカ軍基地をグアムに移転するとき、日本は6000億円を負担することが正式に決まりました。大変な税金の無駄遣いです。例の中川前大臣の国辱もののふるまいの陰に埋もれてしまいました……。早く転換したいものです。
 この本は、アメリカの大統領選挙の実情をつぶさに紹介していて、大変勉強になりました。
 アウトリーチとは、外側の対象に向けて手を差し伸べていくという意味。選挙アウトリーチは、選挙戦の特定の局面に限定されるものではない。現職候補の日常の政治活動から始まり、キャンペーンでは「空中戦」と呼ばれるメディア戦略と、「地上戦」と呼ばれるフィールドでの動員戦略の双方にまたがって、支持層分析から票の取り込みをめぐって包括的に責任を負う活動である。
 アメリカの投票率は、先進諸国に比べて決して高くない。50%程度でしかない。
 アメリカ特有の作業として、有権者登録の促進と手助けがキャンペーンの過程で大切な作業となる。実際に投票所で投票してもらうための努力に選挙当日まで最善を尽くす。投票直前の電話説得(フォーンバンク)や、戸別訪問(キャンバシング)、当日の投票所までの車の送り迎え(ライド)、投票所までの沿道の案内と宣伝(ビジビリティ)、投票所の担当(ポール・ウォッチング)などに陣営はボランティアを投入する。
 このような投票率を上げるための選挙直前の動員作業を、総称してGOTV活動と呼ぶ。
 共和党は、基本的に黒人票を全面的にあきらめることと引き換えに、反黒人感情を持つ白人票の取り込みに成功した。かつて民主党の地盤だった南部は、共和党の地盤へと変貌をとげた。1932年から1986年のあいだに、深南部の民主党支持は、90%から
26%に転落した。
 オバマは、生い立ちからして典型的なアメリカの黒人社会には縁が薄かったにもかかわらず、あえて「黒人」になろうとしたことに特徴がある。
 オバマは、東海岸のアッパー・ミドル階級としての生活に甘んじることなく、あえてシカゴ南部のゲットーの苦悩や、黒人コミュニティの公民権運動の記憶を共有しようと努め、ウッズのように「脱人種」として無色透明でいることを選んだ黒人成功者とはやや違う道を選んだ。
 アメリカの総人口は1990年代に13%の上昇を記録し、依然として上昇傾向にある。2006年に2億9900万人とされている。その内訳は、白人69.1%、黒人12.1%、アジア人3.6%、ヒスパニック起源12.5%などとなっている。アメリカの国勢調査には、「人種」のほか「祖先」という欄まである。エスニック・バックグラウンドとは、みずから規定するものということ。「祖先」のなかではドイツ系としたものが一番多く、15.2%。
ユダヤ系は集団単位で民主党を支持しており、その民主党支持率は現在に至るまで高い割合を保っている。ユダヤ系は、アイルランド系やイタリア系のように経済的成功に比例して共和党に鞍替えするという傾向はまったくない。ユダヤ系の大多数は民主党支持のままリベラルな政策を好み続ける。ユダヤ系の少なくない人が、20世紀初頭の左翼政党の結党の駆動力となった。共和党に親しみを持つユダヤ系は若い層であり、高齢者層の民主党支持は9割を下回ることがない。
 プロテスタントに比べると、カトリックでは有権者人口では全体の4分の1を占めるに過ぎないが、共和党、民主党の双方に激戦州で拮抗した際に、勝敗を左右する重要な選挙民集団であると考えられている。カトリックは、共和党と民主党の両方に支持が分散しており、選挙や候補者、争点によって支持の方向性が揺れる。特定の党や候補者を半永久的に支持するということはしない。その裏返しとして、アウトリーチ次第で、いかようにも候補者への評価が逆転する可能性のある融通性の高い投票集団である。
 2004年の大統領選挙の結果、白人の年収3万ドル以下の層であっても、週に1度は宗教的な行事に参加する層は、共和党に圧倒的に多く投票した。
 年収15万ドルを超えている高所得の白人でも、宗教には一切関与しないと回答した人は圧倒的に民主党である。このように、教会によく通う低所得の人のほうが、同じように教会によく通う高所得の人よりも民主党寄りである。教会にまったく通わないというグループのなかでも、高所得者層のあいだでは共和党が支持を集めた。
 この集団・グループはこのような傾向をもっているから、こんな方法でやってみよう。そのように、きめ細かく分析対象をあげて、それぞれに最善と思われるアプローチで攻めていくのがアメリカの選挙運動です。それにしても、日本の戸別訪問禁止規定は、そろそろ廃止してもいいのではないでしょうか……。だって、戸別訪問が買収、供応の温床だというのですよ。それって、まったく根拠がないことではありませんか。
(2008年7月刊。3600円+税)

いくさ物語の世界

カテゴリー:日本史(中世)

著者:日下 力、 発行:岩波新書
 いくさ物語、つまり、軍記物語として、保元(ほうげん)物語、平治(へいじ)物語、平家物語、承久(じょうきゅう)物語の4作品が取り上げられています。いずれも鎌倉時代、1230~1240年ころに生まれた作品です。
過去の戦いをふりかえり、文字化しえた背景には、久しぶりに訪れた平和があった。
 平家物語が成立当初より琵琶の語り物だったとは考えがたい。その文体と語りとを結びつけるのは難しい。1300年ころには、琵琶法師が、「保元」「平治」「平家」三物語をそらんじていた。さまざまな過程で、口頭の芸と交渉をもった軍記物語は、民衆の中に受け入れられていき、かつ、庶民の望む方向へ成熟させられた。正しい歴史事実を伝えるよりも、人々と感動を共有することが求められた。
 軍記文学には年齢の記述が欠かせない。熱病に冒されながら頼朝の首を我が墓前にと言い残して死んだ清盛は64歳。白髪を黒く染めて見事な討ち死にを遂げた斉藤別当実盛(べっとうさねもり)は70有余歳。人々は、その実人生に思いを馳せる。年齢の記述は、その人物の現実社会における生と死を、具体的に想像させる重要な機能も果たしている。とくに年齢が強調されるのは、戦いの犠牲となった幼い子どもたちの悲話。
「平家物語」の一の谷の戦に出てくる敦盛(あつもり)、師盛(もろもり)、知章(ともあきら)、業盛(なりもり)の4人は10代、16歳前後だった。16という年齢は、若くして戦場に散った薄幸の少年たちを象徴するものであった。いくさの無情さが、この年齢に託されている。
 軍記物語が扱うのは内戦に過ぎない。そのためか、勝敗を相対化する社会が内在している。少年平敦盛(あつもり)の首を取った熊谷直実(なおざね)は、武士の家に生まれた我が身の出自を嘆く。勝つことが絶対的価値を持つものではなく、勝者も単純には喜びえない戦いの現実がものがたられている。
 東国から改めて上がる武士たちの行動には、皇室の権威などに臆せぬ小気味の良さがある。「鎌倉勝たば鎌倉に付きなんず。京方勝たば京方に付きなんず。弓箭(ゆみや)取る身の習ひぞかし」
つまり、勝つ方に付くのが武士の常道であることを堂々とこたえた。
 現在を生き抜く計算、功利的な価値観が、武士の行動の原点であった。
武器使用に心得のある者は等しく「武士」である。貴族のなかにも、自らを「武士」と称する人物がいた。力をもつことへの渇望が、社会全体に偏在していた。
 平家が壊滅した一の谷の合戦は、平家群万に対して、源氏軍はその10分の1ほど。にもかかわらず、平家はあっけなく壊滅した。なぜか?
平家軍に対して朝廷側が平和の使者を派遣し、平家側は、それを受け入れようとしていたところに、突然、源氏の軍勢が襲いかかってきたためである。幕府の記録である「吾妻鏡」が、宮廷貴族の姑息な策謀に乗って手中にした勝利を、素直にこう書くはずはない。武士の活券にかかわるからである。「平家物語」には、実際にあった醜いかけひきの影はみじんもない。物語は、この合戦を、勲功に野心を燃やして果敢にふるまう、熊谷のごとき東国武士たちと、その野心に欠けるゆえに悠長な、かつ、駆り集められたゆえに団結力にも欠ける平家武士たちとの戦いとを描いた。
 一方で、集団を誘導する人心掌握術にたけた総大将義経を描くと同時に、他方、集団から守られることなく、非業の死を遂げていく歌人忠度(ただのり)や笛の名手敦盛といった、野蛮な東国人と気質を異にする教養ある平家の人々の姿を描いた。その見事な作劇のため、今日まで歴史記述をも誤らせてきたのだ。うむむ、なるほど、そういうことだったのですか・・・。面白い本です。
(2008年6月刊。740円+税)

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