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略奪的金融の暴走

カテゴリー:社会

著者 鳥畑 与一、 出版 学習の友社
 世界の金融資産規模は、この12年間に4倍以上に増大し、2007年末には230兆ドルとなり、それは実体経済の4.2倍となった。マネーの膨張は、マネーの運動を投資中心から投機中心へと、まさに「量から質へ」の変化を生みだし、略奪的金融の暴走をもたらした。
 2006年末の機関投資家の運用資産62兆ドルのうち、半分の32兆ドルがアメリカに集中している。運用資産100万ドル以上の富裕層950万人が37兆ドルの金融資産を保有しているが、その3分の2はアメリカとヨーロッパに集中している。
 日本は、長年の貿易収支黒字にもとづく対外資本輸出の累積の結果、世界一の純資産大国となった。世界一の借金国アメリカは、302兆円もの債務超過であるが、日本は第2位の純資産大国ドイツの106兆円の2倍以上である250兆円の対外純資産を抱えている。なんとなんと、日本は超大金持ちの国なんですね。ところが、国民に対しては、お金がないから年金や福祉予算を削るしかないと高言して、国民をだまし続けています。
 日本は、2007年の貿易収支12兆円に対して、所得収支は16兆円となっている。つまり、日本は「貿易大国」から「投資大国」に変わりつつある。
 アメリカでは、サブプライムローンによって、1998年から2006年の間に236万軒の住宅が差し押さえられた。今後5年間で、さらに600万軒の住宅差し押さえが発生するものとみられている。
 つい最近までのアメリカでは、ハイリスク層への高金利による貸し出し拡大は、「信用の民主化」として賛美され、上限金利撤廃やARMなどの貸出手法拡大などの金融自由化は、低所得者層やマイノリティのアメリカン・ドリーム(マイホームの実現)を促進するものと考えられていた。
 しかし、今日では、サブプライムローンの拡大は、持続性のある住宅保有基盤を破壊することで、低所得者マイノリティの住宅保有増大に貢献するどころか、既存の住宅を大量に奪う役割を果たしている。
 アメリカでは、カードローンの借入れ残高が1990年の2386億ドルから、2007年には9375億ドルにまで拡大した。自己破産した個人も、1990年の78万件から、2005年には208万件と増大した。
 アメリカでも、規制緩和・自由化が進んでいるが、それによってカードローンでは上位10社で91%、JP・モルガンチェース銀行、シティ銀行、バンクオブアメリカの3行で62%を占めている。
 私には、ちょっと難しすぎるところもありましたが、アメリカの金融危機の解説と日本への波及効果についての予測は参考になりました。
 小雨のパラつくなかを山を降りていたとき麓にある昔ながらの古い民家の石垣の上に小さな可憐な花が咲いているのに目が留まりました。今まで見たこともないような、はっとするほどの美しさです。白い小さな花に、ピンクで縁どりをしていて、絶妙なる美の組み合わせです。家に帰って図鑑で調べてみると、ユキノシタという花だということが分かりました。山野草として名前だけは知っていましたが、実に素敵な花で、つい妙齢の女性にささげたくなりました。
 きれいな声で歌っているスズメほどの大きさの小鳥についても鳥の図鑑で調べたところ、シジュウカラだということが分かりました。澄んだ声を頭上高く響かせていましたが、いろいろと鳴き声を変えて楽しむ小鳥だということです。
 
(2009年2月刊。2000円+税)

風の中のマリア

カテゴリー:生物

著者 百田 尚樹、 出版 講談社
 オオスズメバチの30日という短い一生をたどった物語です。知識としては知っていましたが、読み物仕立てになったストーリー展開は見事なものです。一気に読み上げ、オオスズメバチの雄々しくも(実のところ、戦士はメスたちばかりなのですが…)短い一生を知って、感慨深い余韻がありました。
 オオスズメバチは、最大のスズメバチである。女王バチは50ミリほど、ハタラキバチは40ミリ以下、オスバチは40ミリ前後もある。非常に獰猛(どうもう)で、攻撃力も極めて高く、他の昆虫を襲って幼虫のエサにする。
 大アゴの力は強力で、固い甲虫類の甲殻も噛み砕いてしまう。太い針から噴出する毒液は、大型の哺乳動物も殺傷する力がある。秋の繁殖期には、ミツバチや他のスズメバチの巣を集団で襲い、サナギと幼虫を奪い取る。
 オオスズメバチは幼虫時代は肉食だが、成虫になると、逆に肉などの固形物は一切食べない。そのため、樹液や花密が食物の代わりとなる。最高の栄養源は、幼虫の出す唾液だ。そこには特殊なアミノ酸化化合物が含まれていて、そのおかげでオオスズメバチのワーカーは体内の脂肪を直接燃やしてエネルギーに変換できる。
 脂肪を直接燃やすことのできるオオスズメバチは、体内に乳酸を発生させないので、どれほど運動しても、ほとんど筋肉疲労を起こさない。オオスズメバチが一日に100キロ以上も飛べる驚異的な運動量を誇る秘密は、そこにある。
 ミツバチはエサ場を見つけると巣に戻って尻振りダンスで仲間にその場所を知らせる。オオスズメバチは、フェロモンで仲間をあつめる。フェロモンを察知して集まったワーカーは、3頭以上になると行動を一変させ、殺りくに終始する。飛来してくるワーカーの中には、仲間に栄養を補給するものもいる。戦場から巣にもどるときには、殺した敵の肉だけでなく、死んだ仲間の肉も持ち帰る。
 攻撃は、たいてい一日で終わるが、ときに2~3日もかかる。集団攻撃を受けたスズメバチ類は、ほとんど全滅してしまう。
 ニホンミツバチは、オオスズメバチの偵察ワーカーが分泌する「エサ場マークフェロモン」に反応して「蜂球」行動に移る。つまり、ニホンミツバチは、オオスズメバチがやってくると、大勢で取り囲んで、蜂球をつくる。そのなかは、摂氏46度まで上がる。オオスズメバチは、46度を超える高温にさらされると死んでしまうのだ。ニホンミツバチは46度までは耐えられる。その差が彼らの死生を分ける。
 女王バチ、兵隊バチ、そしてオスバチなどがそれぞれ書き分けられていますし、隣接するハチなどが襲われていく状況などは憐れみも誘います。でも、そうしないとオオスズメバチは生き残れないのです。
 自然界の過酷な生存競争について考えさせる面白い小説でした。
 連休中、久しぶりに近くの小山へハイキングに出かけました。昼から雨はあがるという天気予報を信じて、小雨が少しぱらついていましたが、おにぎり弁当をもって小さなリュックを背負って出かけました。
 土手には野アザミが一面に咲いていました。すっくと伸び立つ紫色のアザミの花は気品を感じさせます。山のふもとにあるミカン畑では、白いミカンの花が満艦飾でした。隣にビワ畑もあり、こちらは袋かけがおわっています。
 ポツポツ降っている小雨が止みそうもありませんでしたので、頂上まで行くのは断念し、見晴らしのいい丘で腰をおろして弁当開きとしました。ウグイスやら名前のわからない小鳥がきれいな声でさえずってくれるなかで、おにぎりを美味しくいただきました。
 なかなか晴れ上がってくれないなと思いながら帰路に着きました。家に戻って休んでいると、やがて雨は本格的に降り出し、天気予報もあてにはならないと思ったことでした。
(2009年3月刊。1500円+税)

すごい空の見つけかた

カテゴリー:宇宙

著者 武田 康男、 出版 草思社
 年齢(とし)をとったせいでしょうか、空に雲がながれていくのを飽きることなく見ていることがあります。とりわけ、近くの小山にのぼって、頂上で上半身裸になって汗をふき、下着をとりかえたあと、ひなたぼっこしながら、はるか上空を漂い、流れていく雲をじっと眺めていると、地球と一体になった気がして、心に安らぎを覚えます。
 この本は、空と雲を取り続けてきたプロ写真家の解説つきの写真集です。空のこと、そして、写真のとりかたの双方を深く知ることができます。
 わたしのカメラは、まだ基本的にフィルム・カメラです。ブログ用にデジカメもつかいますが、長年愛着のあるフィルム・カメラをポイ捨てする気にはなれません。でも、そのうち、フィルム・カメラはきっと使わなくなるでしょうね。だって、フィルムがいつまで売られていることでしょうか……。カセットテープがなくなり、8ミリビデオがなくなったので、全部、CDやDVDに変換してしまいました。
 日の出を見るなら、50分ほど前から空を見ること。空の色は、虹と同じような色の変化が、上から下に連なる。低い空ほど、太陽光があたる大気が濃くなり、赤っぽい色の光しか通り抜けられなくなるからだ。
 空が青いのは、空気分子による散乱のため。青っぽい光は散乱されやすいので、空に散らばり、とくに太陽から90度の方向からは、散乱された光のうち、青い光ばかりが目に飛び込んでくるので、濃い青色になる。
 夕陽が赤いのは、厚い大気を通り抜けるあいだに青っぽい光が散らばってなくなってしまい、赤っぽい光だけになってしまうから。太陽だけでなく、まわりの空も赤いのは、空気の中の雲やチリなどに赤い光が当たるため。
 夕陽が消える瞬間に緑色の光点が印象的に残ることがある。これをグリーンフラッシュという。ふむふむ、そういうものがあるのですね。でも、私は、残念ながらまだ見たことがありません。
 雲が美しく虹色に染まる現象を、彩雲という。すごく綺麗な雲の色です。ええーーっ、こんな雲って見たことないよー…、と叫んでしまいました。
 大気は、朝方より夕方のほうが温度が高く、水蒸気量や浮遊物質も多い傾向にある。だから、朝日は橙色でまぶしく、夕日は赤みが強くて輝きが弱い。
 朝焼け雲は澄んだ色合いで雲の輝きが強く、夕焼け雲は赤みが強くて雲がやや暗い。青い空に美しく色づいた朝焼け雲は、空気の澄んだ朝ならではの光景だ。
 いやあ、空をもう一度よく見てみましょう。そして、その色の移りかわりを体感することにします。澄み切った青空に高くのぼりつめた白い雲を見ると、学生時代、奥那須の山奥で見た入道雲を思い出します。セツルメント活動に夢中だったころのことです。夏合宿の思い出は今なお強烈です。夜にはきゃん分ファイヤーをしました。火を囲んで肩を組んでうたう歌声が心を揺さぶりました。恋い焦がれる思いで異性と話し込み、夜を徹して語り明かしたものです。青空を見るたびに40年前に戻りたい衝動に駆られます。
 
(2009年4月刊。1600円+税)

白雲の彼方へ

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 山上 藤吾、 出版 光文社
 幕末の掛川城(今の静岡県)における尊王派と攘夷派との抗争を背景とした時代小説です。アメリカのペリーが来て、ロシアのプチャーチンがやって来たころ、1854年(嘉永7年)のことです。
 ロシアの地に渡った日本人、橘耕斎は、和露辞書を発刊した(1857年、安政4年)。ロシアに着く前から、伊豆の戸田でロシア語を自由に話していたようです。大したものです。
 耕斎は、明治7年(1874年)に日本に帰国し、明治18年(1885年)に亡くなりました。
 私は、今から40年も前の大学1年生のとき、伊豆の戸田(とだ、ではなく、へだ、と呼びます)に行きました。なぜか、大学の寮がそこにあったのです。海岸に無数の夜光虫がいました。夜、海岸を裸足で歩くと、足跡が青白く光るのです。不気味というより、幻想的な光景でした。
 その戸田で、難破したロシアの水兵たちが本国へ帰るため足止めをくい、日本の船大工が見よう見まねで外国船をつくりあげていったのです。橘耕斎は、そこに派遣されて、ロシア語を習得しました。
 読み物に仕立て上げた著者の筆力に感心・感嘆しました。これが新人の作品とは恐れ入りました、という作家の評が載っていますが、私もまったく同感です。まさに、後世、恐るべしです。こんな本に出会うと、小説を読む楽しみがあります。でも、私は、こんな本を書きたいのです。読む人の魂を揺さぶってやまないような本をぜひ書いてみたいと思っています。
 
(2009年2月刊。1500円+税)

西太后の不老術

カテゴリー:人間

著者 宮原 桂、 出版 新潮新書
 高麗人参は現在、そのほとんどが栽培物である。収穫するまでに6、7年かかるうえに、畑の養分を全部吸収してしまうため、収穫後の数年間は畑を休ませる必要がある。そのため、栽培物であっても高価である。野生種となると、栽培物の50~100倍の値がつく貴重品だ。
清朝の皇帝のうち、乾隆帝の長寿の秘訣は「参麦飲」にあった。高麗人参と麦門冬(ばくもんどう)という二つの生薬(しょうやく)から構成されていた。高麗人参は「百草の王」とも呼ばれ、清代には、良質なものは同量の黄金の値を上回った。す、すごいですね、これって。
西太后は、日頃から高麗人参の切れはしをそのまましゃぶっていた。高麗人参には、消化器系と呼吸器系を補強するだけでなく、血圧調節作用もある。
 高麗人参は、ウコギ科オタネニンジンの肥大根で、その効能は元気を補い、消化器系を健やかにし、からだを潤し、精神を安定させ、思惟活動を活性化する、つまり幅広くからだを助ける。
 ストレスにもめげず74歳まで長生きした西太后の食生活を、カルテなどをもとに追究した本です。不老長寿とまではいかなかったわけですが、滋養強壮力の強い生薬を用いた薬膳料理を好んだのでした。
 私も、実は20年来、高麗人参酒を愛飲しています。おちょこで一杯のむのが毎晩の楽しみです。
 
(2009年3月刊。1100円+税)

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