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「特捜」崩壊

カテゴリー:警察

著者 石塚 健司、 出版 講談社
 東京地検特捜部に対する、ここ数年聞かれる危惧の声は、これまでのものと次元が違ってきている。機能不全の兆候があるという。元特捜検事たちから、古巣の特捜部に対する不審や危惧の言葉を聞くことが増えている。
 特捜部の任籍期間が徐々に短くなっている。かつては10年以上がザラだったが、現在は特捜部長で6年、副部長で5年となっている。人材育成のシステムが失われてしまった。そして、特捜部長の前任地は法務省の行政職だというケースが最近は多い。
 現在の特捜検察の問題点として、上意下達型、悪者中心型、劇場型の3つのキーワードがある。
検事の隠語のなかに、自動販売機というのがある。取調官に迎合し、何でも言われるままに認める状態になった相手の人間を言う。相手が自動販売機になったとき、調子に乗って作文した調書に次々と署名させていった結果、明白な事実と反する内容の調書まで法廷に出す失敗を犯し、弁護側に矛盾を突かれて、調書全体の任意性を否定されたという例もある。だから、自動販売機の取り扱いには細心の注意が必要で、しつこく事実を問い正し、供述の裏付けを取らなければならない。ふむふむ、なんだか思い当たります。
 自民党の新井将敬代議士は、1998年2月、特捜部の捜査を受けていた最中に自殺した。新井代議士は、まったく面識はありませんが、私と同じ団塊世代であり、東大闘争のときには過激派というべき全共闘の闘士だったそうです。
 真実の究明よりも、有罪の判決を得ることのみに全力を注いだように見える取調べ。これが現在の「日本最強の捜査機関」の実態であることはさびしい限りだ。
 そもそも特捜部は、警察には適さない、専門的な法律知識が必要な捜査をすることを建前としている。現在、国税庁、証券取引等監査委員会、公正取引委員会という強制調査権限を持つ3機関からの告発事件の捜査を一手に扱うほか、情報提供や告訴・告発を受けて独自の捜査をすることができる。
 全国に50ある地検のうち、東京・大阪・名古屋の3地検のみに特捜部が置かれている。福岡にはないのですね……。
 東京の特捜部は、検事32人と副検事2人、事務官91人の計125人いる。警視庁捜査2課(知能犯を扱う)や国税局査察部とは、比較にならないほどの小さな組織でしかない。
 検察庁の捜査能力が低下したため、そのかげで高笑いしている政治家や財界人、そして暴力団などの闇の勢力がたくさんいるのでしょうね。残念です。
 お濠のハスの白い花の上を、赤とんぼがたくさん飛んでいます。ツクツクボウシが鳴き始めて、昼間から秋の気配を感じられるようになってきました。
 我が家の庭の秋明菊も、ツボミをふくらませつつあります。夜になると、虫の音も勢いを増してきました。今年は、セイケンコータイ、セイケンコータイと盛大に鳴くのでしょうね。でも、中身が良くなる政権交代でないといけません。看板だけ付け変わることのないようにしたいものです。
(2009年4月刊。1500円+税)

ジャーナリズムの可能性

カテゴリー:社会

著者 原 寿雄、 出版 岩波新書
 いまの日本社会は、ジャーナリズムの貴重な存在価値を忘れているのではないか。著者は警鐘を乱打しています。この本を読んで、なるほど、そうだ、そうだと何度となくうなずいてしまいました。情報栄えて、ジャーナリズム滅び、ジャーナリズム滅びて、民主主義滅ぶ。そうであってはならない。公共的な情報は不要視され、権力監視や社会正義の追及に不可欠なジャーナリズムは滅びてしまいそうだ。しかし、そうであってはならない。
 著者は渾身の力をこめて力説しています。
 そして、絵にならない者はニュースじゃない。こんな映像至上主義。面白さに傾く歓声主義を戒めています。
 アメリカでは、ジャーナリズムの第一の役割を、権力監視のウォッチ・ドッグ(番犬)としている。
 権力と対決するには、メディア組織内の団結が不可欠である。これまで、報道機関は、裁判批判をタブー視してきた。NHK番組改編事件について、政治的干渉を拒否するための「編集の自由」が、政治的圧力を受け入れる自由として最高裁が保障した。おかしな判決である。しかし、公共の利益だけを守り、真実を追求するための編集の自由が、政治的圧力を受けて、企業利益を守るために行使されてはならない。
 新聞・放送の現状は、「自主規制」という名の「自己検閲」が横行している。
 視聴率が番組評価の主な資料となっている。テレビでは、視聴率がそのまま広告料金に跳ね返る。テレビ界の諸悪の根源は視聴率競争にある。
 放送局には、リッチな放送局員(正社員)と、プアーな下請けプロダクション(非正規社員)がいる。両者の格差・不平等な関係が無責任体系を生み出していた。
テレビは公共性が強いのだから、もっと大胆に権力の監視や社会正義の実現に努めようという方向をぜひ打ち出してほしい。私も同感です。
 28日(金)夜6時から、福岡のアクロス国際会議場で、著者もパネリストとして参加するシンポジウムが開かれます。『ここまで来た メディア規制―表現の自由から考える―』です。東大の高橋哲哉教授が「表現の自由と私たち」と題して基調講演し、そのあと、「テレビ報道、どこが問題なのか?」というパネルディスカッションがあります。ぜひ、ご参加ください。
(2009年2月刊。1600円+税)

カテゴリー:日本史(中世)

著者 下川 博、出版社 小学館
 黒澤明の『七人の侍』をよみがえらせたような小説です。ただし、舞台は戦国時代よりはるかにさかのぼった14世紀の半ば、南北朝のころです。まだ荘園が健在だったころのことです。
 14世紀の百姓を、貧しく哀れな存在と決めつけるのは間違い。侍を雇えるくらいには豊かで、百姓はたくましく力強く自立していた。
 この本は、横浜市金沢区に今もある称名寺(しょうみょうじ)に残されている古文書。とくに結解状(げちじょう。土地の収支報告書)をもとにして当時の百姓たちがいかにして村を守ったのか、そのためにお金を出して侍を雇っていたことを明らかにしています。まさしく『七人の侍』と同じ状況が日本の農村に実際にあったのですね。驚きました。
 荘園において、ある田んぼの百姓の耕作権は永続的に保障されていたのではない。個人契約であり、毎年、領主の代理人である雑掌と契約を結び直す。毎年、百姓の耕す田んぼは違うのだが、立地条件によって、収穫の多い良田、収穫の少ない悪田の違いがどうしても生じる。
 農民が土地に執着するというのは、近世になって出来た神話であり、このころの農民は、得にならないと思えば、案外あっさりと土地を捨てた。
 長者の屋敷は卯花垣(うのはながき)に取り囲まれている。卯花垣は長者の象徴だ。屋敷を卯花垣で囲むことが長者の証なのだった。
 弩(ど)は、弓と似ていて、矢が空を飛ぶ。しかし、形状と操作手順が弓とはまるで異なる。弓は縦に構えるが、これは地面と平行に横に構える。弓を引きしぼって弦(つる)を留金(とめがね)に掛けておく。次に矢を番(つが)える。引き金を引いて留金を外す。矢が飛び出す。和弓と違って矢を引きしぼった状態に保っておく必要がない。そのため、素人でも狙いが定めやすく、的に面白いほどよく当たった。
 弩の歴史は古い。秦の始皇帝の兵馬傭坑からは、保存状態の良い弩が数多く出土している。日本に入ってきたのは弥生時代のころ。実用の武器としては、蝦夷(えみし)対策用の武器として大和朝廷が採用している。
 ただし、弩は日本に一度つかわれたものの、やがて廃(すた)れた。というのも、弩には武器として大きな弱点があるから。的に良く当たるが、一度、発射してしまうと、二の矢を撃つのに手間がかかる。強い弓を撃つためには、弓を引きしぼらねばならず、半端でない力がいる。
 この弱点を補うため、分業という工夫がなされた。矢を撃つ者、弓を引きしぼる者、矢をつがえる者、3人を1組にし、作業を分担した。しかし、日本では戦場で分業が必要な武器には人気が集まらなかった。威力があっても攻撃に空白が生じてしまう武器は人心に不安を生じさせるため、どうしても不人気になる。
 この時期、百姓が侍を雇うのが珍しくない時代になっていた。村を襲う領主の暴力から守るため、侍を雇い、知恵をしぼって、分業体制をとって戦ったのです。ここらあたりは『七人の侍』と同じパターンです。
 日本人の多くが昔から長いものには巻かれろということでは必ずしもなかったことのよく分かる面白い本です。一読をおすすめします。
(2009年7月刊。1700円+税)

北欧、考える旅

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 薗部 英夫、 出版 全障研出版部
 私もスウェーデンとデンマークには一度だけ行ったことがあります。言葉の問題がなければ、今度はツアーの一員ではなく、ゆっくり訪問してみたい国々です。
 デンマークのある市では、1.5万人の地区ごとに275人の福祉スタッフ(公務員)が配置され、高齢者住宅が206箇所もある。そのうち105箇所は、特別養護老人ホーム。そして、医療費も介護料も、なんとすべてタダなのである。
 むひょう、そ、それは暮らしやすいですよ。老後の心配をしなくていいのですから……。これって、日本人がもっと知って良い事実です。
 フィンランドの学力は世界一。フィンランドではテストがない。高校受験も大学受験もない。あるのは大学進学資格試験のみ。大学進学率は40%。なりたい職業の1位は教師だ。教師が社会から尊敬されているって、本当に大切なことですよね。
 すべての子どもが大学まで無償で教育を受けることができる。教員の専門的知識や技量のレベルは高く、研修が充実している。遅れた子を置いていかない教育がなされているため、平均点は高い。学校現場に裁量が与えられ、力を出し切れる環境が整っている。カリキュラムは、教員が父母と協議して、学校独自に決める。国の決めたものが押し付けられることはない。これって、すごく大切なことだと思います。
 義務教育のときには、教科書も文房具も、もちろん給食も無償である。
 消費税は25%と高いが、日常生活費は除外されている。所得税も50%と高い。しかし、老後の生活費や医療・介護費の心配はまったくしなくていいので、そのための保険や貯金の必要はない。
 これを支えているのが、80%前後の高い投票率。そうなんです。日本も現状を変えるためには、皆が投票所に足を運ぶしかありません。いえ、みんなが、8割の人が投票所へ足を運ぶようになれば、日本も、世の中が劇的に変化すると思います。
 日本では投票に行かないこと、棄権を勧めるマスコミや文化人が目立ちます。でも、それは結局、現体制を黙って支持しろ、文句も言わずに現体制に従えということなのです。世の中を良い方向に変えるためには、投票所に足を運ぶ手間を惜しんではいけません。
 ただ、今のように政権交代、政権交代と中身抜きに叫ばれると、いったい中身の方はどうなってんの、と叫びたくなります。高速道路料金をタダにするとか、1000円にするとかだけが争点ではないはずです。アメリカとの関係をどうするのか、憲法をどうするのか、国の根本についての議論が抜け落ちている気がしてなりません。
写真付きの楽しく分かりやすい旅行記でもあります。
(2009年5月刊。1700円+税)

任天堂

カテゴリー:社会

著者 井上 理、 出版 日本経済新聞出版社
 2009年3月、任天堂のケータイ型ゲーム機(ニンテンドーDS)は世界累計販売台数が1億の大台に乗り、据え置き型ゲーム機(wii)も5000万台を突破した。
 今やニンテンドーは、トヨタと肩を並べる世界的なブランドとなった。2008年度の売上高は、5年前に比べて3.3倍の1兆6724億円。営業利益は4.9倍の4872億円になった。3800人いる従業員1人あたりの売上高は4.4億円。2009年3月、売上高、そして営業利益は過去最高の5300億円となり、トヨタを抜いて国内首位となった。
 私はテレビを見ませんし、ゲームもまったくしません。興味ないからです。30年前にインベーダーゲームが流行したとき、2回か3回したことがありましたが、私には時間の無駄、つまらないものでしかありませんでした。任天堂は、私のような人間を初めからターゲットにしていません。それでも、大人がゲームをする余裕をなくしたことに目をつけ、そこで挽回しようと考えたというのです。すごい発想です。
 海外で売れているというニンテンドッグスは、画面のなかの愛犬の世話をするものだそうです。ひところ流行したタマゴっちのようなものですね。愛犬の名前を呼ぶと、音声認識機能で反応する。世界累計で2167万本も売れているそうです。すごいことです。
 電源をオフにした状態でも、ネットからの情報収集を続ける機能を残す。そのため、恐るべき低消費電力の眠らないマシンを開発し、完成させた。
 任天堂の研究開発費は、年々、増加傾向にある。2007年度は370億円。1人あたり3500万円もつかえる計算になる。キャノンは1200万円。任天堂の3分の1だ。
 任天堂のオーナー山内溥は日本一の大富豪。自分がビデオゲームで遊ぶことはなく、クリエイターでもない。しかし、その直感がズバリあたってきた。
 任天堂は、努力したあとは運を天に任せるという独特の世界観でやってきた。重圧に押しつぶされたり、悲壮感に打ちひしがれたりすることなく、ニコニコしながら種(タネ)を仕込み続ける。
 まさに世はソフトの時代である。今は、モノがあふれかえる飽和の時代。基本性能や耐久性がモノを言う時代は終わり、デザインや使い心地、利便性が消費者の心をつかむ分かれ目となっている。
 ゲームの世界の奥深さを感じさせる本でした。
 
(2009年5月刊。1700円+税)

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