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イスラエル

カテゴリー:アラブ

著者 臼杵 陽、 出版 岩波新書
 ユダヤ人といっても東欧、ロシア出身の「白人」からエチオピア系の「黒人」まで様々である。アシュケナジームは、ドイツ系ユダヤ人。スファラディームはスペイン系ユダヤ人。エチオピア系ユダヤ人は10万人。貧困層が多く黒い肌の色のために差別されている。そしてイスラエル人口の2割が超正統派ユダヤ教徒である。
 イスラエルには建国前からこの他に住んでいるアラブ人が人口の2割近くもいる。イスラエルの人口は737万人。そのうちアラブ人が148万人いる。740万人に対して150万人だから、アラブ人の占める比率は決して小さいとは言えない。イスラエルに居住するアラブ人はイスラエル国家と文化に決して同化しようとはしない。
 世界で最大のユダヤ人口を擁する国家はアメリカである。アメリカには650万人のユダヤ人がいる。
 イスラエルには憲法がない。憲法に変わる基本法はある。ユダヤ国家においてユダヤ教をどのように位置づけるかを巡ってユダヤ教宗教勢力と世俗勢力が激しく対立し妥協を見出せなかった。そのために憲法を制定することができなかった。
イスラエルの独立宣言はユダヤ国家であると同時に民主国家であると規定している。イスラエル大統領は国事行事を行う国家元首であるが、実権を持たない名誉職である。
 イスラエル建国後の大規模なユダヤ人新移民のほとんどではシオニズムという政治イデオロギーとは無縁の人々だった。そのため、建国前のシオニズムの考え方に共鳴してやって来たユダヤ人移民の性格を根底から変えた。
 1950年代に入ってモロッコ系ユダヤ人(ミズラヒム)が大量に移民してきた。ホロコーストの悲劇を経験しておらず、シオニズムのイデオロギーも信奉せず、モロッコ社会で培われた独自のユダヤ教信仰を持っており、イスラエル社会では異質の人々であった。このようなホロコーストを体験していない人々をイスラエル人として国民統合すべく政治的に利用されたのがホロコーストの神話であり、アイヒマン裁判であった。
 1960年代を通じてホロコーストは、イスラエルの国民統合にとって不可欠なシンボルへ昇格した。というのも、シオニズムがイスラエル国民を統合するためのシンボルとはなりえなったからである。
 1995年11月オスロ合意に調印したラビン首相は和平に反対する熱狂的なユダヤ人青年によって暗殺された。
 私は、このとき、ちょうどデンマークかどこか、ヨーロッパの都市にいました。また戦争が始まる。そんな不安へかき立てられたことをよく覚えています。
 2005年11月、労働党の党首にモロッコ出身のペレツが選出された。
 それまで労働党の支持者はキブツ居住者と都市中間層を中心にする高学歴の欧米系ユダヤ人だった。他方、リクード党は地方都市在住で、中東イスラーム世界出身の貧困層だという大まかな図式があった。それも壊れつつある。
 大きな内部矛盾を抱えるイスラエルという国を垣間見ることができました。
(2009年4月刊。780円+税)

くらげ

カテゴリー:生物

著者 中村 庸夫、 出版 アスペクト
 海月、水母、久羅下。クラゲをあらわす言葉です。海の中をふわりふわりと漂っていくクラゲは夢幻の存在というほか言い表しようがありません。
 英語ではゼリー・フィッシュというそうですが、まさしくゼリー状の姿をしています。でも刺されたら痛い存在です。私も子どもの頃、お盆過ぎに海水浴をして、クラゲに刺されて痛い思いをした記憶があります。
 クラゲは古事記にも登場しているそうですが、なんと、魚や恐竜よりはるか古く、10億年前に地球上に現れたといいます。
 脳も心臓もエラも骨もない。動物でも魚でもない。プランクトンなのである。
 海の中をフワフワと漂っているのは、クラゲの一生の中のほんのわずかな期間であり、その他の期間は「ポリプ」の姿で付着生活をしている。
 さまざまなクラゲの生態が見事な写真で紹介されています。コンパクトな写真集ですが、生物の多様性を発見・実感させるものとなっています。
 漆黒の水中に体を輝かせて浮かぶ姿は、まるでUFOが宇宙から舞い降りてくるような錯覚をおこさせた。
 こんなキャプションがついていますが、まったくそのとおりです。
 しかも、いかにもカラフルな姿がカラー写真で紹介されています。造形美の極致というべきクラゲの姿は、いつまでも見飽きることがありません。
(2009年3月刊。2000円+税)

いっしょがいいね

カテゴリー:生物

著者 間山 公雅、 出版 文藝春秋
 眺めているうちに、心がほんわかあたたまってくる。そんな鳥たちの可愛い写真集です。
 みずみずしい緑の森の中で、枝にとまった2羽のフクロウが仲良く寄り添っています。隣のフクロウの身繕いに手を貸したりもします。
 丹頂鶴に赤ちゃんが生まれました。丹頂鶴は、求愛ダンスで愛を確認しあうと死ぬまでパートナーを変えず添い遂げるそうです。卵は夫婦で交代しながら温め、家族単位で行動します。赤ん坊が親の背中の羽毛に埋もれるようにしてもぐりこみ、頭だけを出しているほほえましい写真もあります。子どもたちは親からエサを分けてもらったりしながら、次第に大きくなっていきます。身体が白いのが親で黄色いのが子どもです。
 ところが、菜の花の咲く頃には、子どもの身体も白くなり親と見分けがつきません。やがて、親にならって求愛ダンスを始めます。
 災害や戦争などを追いかけていたカメラマンが故郷の北海道をまわって写真を撮り始めたのでした。良くできた、小さな写真集です。
(2009年1月刊。1238円+税)

廃墟に乞う

カテゴリー:警察

著者 佐々木 譲、 出版 文藝春秋
 うまいものです。いつ読んでもたいしたものだと感心します。ただ、今回は連作小説なので、謎解きがちょっとばかり早すぎて、少々物足りない感もありました。
 北海道警本部捜査一課の仙道孝司警部補は心の痛手を癒すために上司から休職を命じられています。休職中は新聞も読まず、温泉にでも入って何も考えたらいけないと医師から指示されているのでした。
 そんな仙道に、知人から次々に依頼があるのです。捜査権限もないのに、どうやって事件に関われるか。昔の同僚に教えを乞い、現場の捜査員たちから「邪魔してくれるな」と言われながらも、仙道は関係者を訪ねて歩き回るのでした。
 犯罪は捜査員の心までも傷つける。帯に書かれた言葉です。なるほどそうだろうなと思わせます。
 私もいま被疑者国選弁護事件を引き受け、毎日とまでは行きませんが、警察にしょっちゅう出入りしています。応対する警察官もいろいろです。臨機応変に対応してくれる人もいれば、四角四面の人もいます。
 一日中、灰色の部屋に缶詰になっている警察官について、哀れだなと感じることがあります。交際範囲が限定され、狭くて窮屈な階級社会のなかで、毎日とてもストレスがたまるばかりではないでしょうか。
 先日、私の面会した被疑者が厚手の長袖を着ていたので驚きました。冷房の効き過ぎで寒いからだと言います。恐らく留置所係員のために冷房をきかせているのでしょう。まさか、それって逃亡防止ではないでしょうね…。
(2009年7月刊。1600円+税)

江戸の病

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 氏家 幹人、 出版 講談社選書メチエ
 新型インフルエンザの大流行が心配されています。明治23年に流行した日本初のインフルエンザを、当時の人は「お染(そめ)風(かぜ)」と呼んだ。浄瑠璃の主人公のお染と久松である。そして、東京ではインフルエンザつまりお染風にかからないように、家の軒に「久松留守」と書いた紙札を張り付けるのが流行った。「お染さん、お前さんが惚れた久松さんは、この家には居ないから、通り過ぎておくれ」というこころである。いやあ、現代の日本人も、血液型占いのように迷信深いですけど、同じなんですね。
 日本人は眼病大国。そして、梅毒が蔓延していた。杉田玄白の収入は年に250~643両もあった。曲亭馬琴は年収40両ほどだったから、けたはずれに大きい。これは、梅毒の蔓延によるもの。城崎(きのさき)温泉が繁盛したのは、梅毒に効果的という評価を得ていたから。江戸の成人の半分が梅毒に感染していた可能性がある。このころ、梅毒は、まだ感染症だということが十分に認識されていなかった。
 幕末の日本にいたオランダ人医師ポンペは、日本人は夫婦以外のルーズな性行為を悪い事とは思っていない。しかし、厳重な対策が必要だと強調していた。これも、現代日本と同じようなものですよね。
 吉原の花魁(おいらん)を見物に来たのは、男だけではなかった。女たちは、今日の女性アイドルやセレブに抱くような羨望と感嘆の情を抱いて見ていた。そのとき、憐れみとか蔑みより、まあキレイと率直に賞嘆していたのである。うむむ、そうだったのですか……。
 60歳以上で亡くなった人の平均死亡年齢は73歳。18世紀の江戸は、今日の日本人が想像するほど短命社会ではなかった。ただし、60歳になるまでに亡くなる人が想像以上に多かった。
 江戸で男女の別なく、若者の最大の敵は肺結核(労咳)だった。ただし、20代の女性についていうと、出産に伴う体調不良が原因で死亡したケースの方が多かった。
 江戸時代は、頼まれたらこちらの乳が不足しない限り、乳をやるのが常識だった。自分の子だって、いつ母乳が出なくなって空腹を訴えて泣き叫ばないとも限らないからだ。幕臣の間での乳の繋がり、乳縁は重要な役割を果たしていた事実がある。
 医者と坊主は、一人前の人間が就く職業ではない。これは、比里柴三郎が父親から言われた言葉(明治4年)だそうです。うむむ、信じられませんね。
 江戸時代、医者になるのは今日と比べものにならないほどやさしかった。
 江戸時代には、老若男女の別なく、お灸が日常的に行われていた。
 江戸時代の病気の状況と医療界の実相が紹介されていて、面白く読みました。医師って、ホントに大変な職業ですよね。毎日毎日、日常的に死と直面し、本人や家族と言葉を死を意識しつつ交わさなければならないのですから、いやはや大変なことです。
 
(2009年4月刊。1600円+税)

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