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中流社会を捨てた国

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ポリー・トインビー、デイヴィッド・ウォーカー、 出版 東洋経済新報社
 イギリスについて書かれた本です。初めにイギリスの富裕層の暮らしぶりの一端が紹介されます。
 3675万円の時計、94万円のショール、60万円のバッグなどの広告が富裕層向けの新聞広告にあるそうです。買う人がいるわけです。
1997年に労働党が政権についてから、上位10%のもつ個人資産が全体に占める割合は、47%から54%に増えた。
イギリスとアメリカでは、親が裕福だと子どもも裕福になる傾向にある。
1979年、サッチャー政権は誕生すると同時に、所得税の最高税率を83%から60%へ引き下げた。1988年にはさらに40%へ下げられた。
 イギリスの億万長者54人の資産合計は18兆9000億円であるのにもかかわらず、所得税として納めたのは、わずか22億円ほどでしかない。うち32人は所得税をまったく納めていない。高額所得者たちには、自分たちより質素な生活を送っている人々を思いやる姿勢、共感する姿勢が欠けている。資産を持つ喜び、我が子がすくすくと成長を遂げていく喜び、これらを高額所得者のみが独占していいはずがない。
 会社の取締役たちは、マリー・アントワネットも赤面するような巨額な報酬を受け取っている。
 2007年の会社トップの平均報酬額は1億1055万円。これに、ボーナス・年金・ストックオプションが加わる。だからトータルでは平均4億8000万円になる。
 2003年に13%の上昇、2004年に16%増、2005年に28%アップした。2000年から2007年にかけて、実に150%増となった。
 トップに高額報酬が支払われると、企業の効率性が上がるというのは事実に反する。かえって、それが知れ渡ることにより、不満が社内に充満する。
 報酬引き上げの背後には、自らも莫大な利益にあずかるコンサルタント企業の活躍がある。このような過大な報酬は、1980年代にはじまった。
 地位を脅かされた猿が健康を害するのと同じように、おとしめられたものは、猿であれ人間であれ、健康を害する。ですから、ホームレスになった人は長生きできません。あまりにストレスが大きいからです。
 貧困線を下回る家庭で育った子どもは、赤ん坊のうちに死亡する率が平均の3倍、事故で命を落とす確率が5倍、心を病むリスクも高く、寿命も短い。
イギリスの全世帯の中で自前の交通手段を持っていないのは27%。家を持っていない世帯と同じ。26歳を過ぎてバスに頼っているのは、落伍者のしるしである。
 かつて公営団地には技能と意欲を持った労働者階級が住み、団地は活気に満ちていた。だが、彼らは金を貯め、他の土地に自分の家を買って出て行った。不動産を保有しているかどうかは、階層を分ける指標となる。
 イングランドでは400万人が低所得者用賃貸住宅に住んでおり、その多くを占める団地では貧しい年金生活者と子どもの割合が飛びぬけて高い。賃貸住宅に住む人の3分の2以上は、行政から何らかの援助を受けている。イギリスの人口の5分の1にあたる1300万人近くが、政府のいう貧困線を下回る世帯所得で暮らしている。子どもの貧困の第一原因は、親が結婚していないことではなく、親が受け取る給料が低いことにある。
4歳までに、専門職家庭の子どもなら自分に対して発せられた言葉を5000万語、聞く。労働者家庭の子どもは3000万語、福祉家庭の子どもは1200万語だった。すでに3歳の時点で、専門職家庭の子どもは福祉家庭の両親よりも多くの語彙を持つ。
3歳の時点で、専門職家庭の子どもは肯定的な言葉を70万回かけられ、否定的な言葉は8万回だった。福祉家庭の子どもは肯定的な言葉が6万回、否定的な言葉は12万回だった。
言葉で愛情を注ぎ、きちんと褒め、物事の理由を教え、説明する。これを何百万回と繰り返すことで脳は成長し、心は開く。こうした大切な経験を与えられなかった子供たちの可能性はひからびていく。3歳児の到達度が9歳から10歳にかけての状況をきわめて正確に予言している。
いやあ、なるほど、なるほど、そうだろうなと、つくづく私は思います。それでも、こんな数字をあげられると、思わずわが身も振り返ります。
階層を上昇できるかどうかは、当然ながら、お金のあるなしにかかっている。10代のころに貧しいと、人生の展望は暗い。貧しい10代を過ごした大人は、たとえ30代で貧困から抜け出しても、中年になると貧困状態に戻っているリスクが高い。
今や、人の経済的将来を左右するのは、能力ではなく、バックグラウンドである。どんな能力の子どもでも、その子が学校にとどまり、試験を受け、教育の梯子をあがっていくかどうかは、親の社会階層と密接に関わっている。
イギリスについての本ですが、今の日本にとっても大いに参考になる本だと思いました。
金曜日に日比谷公園を歩きました。前日に雨が降ったおかげで青空は澄み切っていて、黄金色の銀杏の葉が光り輝いていました。大勢の人が写生にいそしんでいました。そのなかの一人の絵描きさんに、見事な出来ですねと声をかけたほどです。
 銀杏の葉が道路にたくさん落ちて黄色いじゅうたんとなっていました。紅葉の方は少し色あせていました。
 師走にしては暖か過ぎるほどです。
 
(2009年9月刊。2000円+税)

百姓たちの江戸時代

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 渡辺 尚志、 出版 ちくまプリマー新書
 江戸時代の人口は、17世紀に急増した。1600年に人口は1200万人から1500万人のあいだと推定される。それが18世紀はじめには3000万人を突破した。100年間で2倍に人口が急増した。その背景には、新田開発による耕地面積の急増と、農業生産力の増大があった。この本には書かれていませんが、戦争がなくなり、平和な時代となったことがその前提として大きかったのではないでしょうか。
 ところが、18世紀から19世紀にかけて、人口は停滞・安定してしまう。
 18世紀に人口増加がストップしたのは、少子化と晩婚化が進んだこと、耕地面積の増加が頭打ちになったこと、飢饉や疫病の影響もあった。
 江戸時代の後期、一家の子どもは2,3人程度だった。子だくさんではなく、人々は少なく生んで、手間ひまかけて子どもを育てるようになった。
 江戸時代の百姓は、一般に苗字をもっていた。百姓に苗字がなかったというのは誤解である。ただ、公的な場で名乗ることを許されていたのは、ごく一部の特権的な百姓に限られていた。
 江戸時代は、百姓が一般的に家を形成したという点で、日本史上画期的な時代なのである。それ以前には、家が成立していなかった。なーるほど、そうだったのですか……。
 江戸時代の庶民の衣料事情は、2回の大きな変化を見せる。1回目は、江戸時代前期に起きた木綿の普及。2回目は、19世紀に入って、庶民がファッションに敏感になり、10年周期で流行が変遷していったこと。
江戸時代の百姓は、米を食べていた。年間1石(150キロ)以上の米を食べていたと思われる。絶対量でみると、今日の日本人(60キロの米を食べる)を上回る米を食べていた。日常的には、米と麦、雑穀を混ぜて炊いた「かてめし」や、かゆ、雑炊を食べ、婚礼などの晴れの日には米だけの飯を食べた。
 江戸時代、介護は女性の役割という観念はなく、介護は家の責任で行うものとされていた。家長が家族の中心になって介護にあたるべきだと考えられていて、家長の統率のもと、家族が協力することが求められた。
 江戸時代の歌舞伎は、村人自身が演じたところに特徴があった。村人が自ら役者となり、歌舞伎を村の鎮守に奉納し、村全体でそれを楽しんだ。
 19世紀の村には、常に誰かしら寺子屋の師匠がいた。
 農家が米をつくるとき、早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)を組み合わせ、収穫時期をずらし、風水害のリスクを回避し、多収穫をバランスよく実現しようとした。
 一家の財布を握り、一家を牛耳るのは、妻だ。妻は家庭内で尊重された地位を占めている。彼女の生活は上流階級の婦人より充実しており、幸せだ。なぜなら彼女らは、生活の糧の稼ぎ手であり、家族の収入の重要な部分をもたらしていて、その言い分は通るし、敬意も払われるからだ。夫婦のうちで、性格の強いものの方が性別とは関係なく家を支配する。
 江戸時代にも、たくましく生きる女性たちが確かに存在していた。
 江戸時代の村の生活の様子が、イメージをもって伝わってくる貴重な新書です。日本は古来、女性は強いのですよ。今の日本を見たら、よく分かることです。
 アメリカはアフガンに増派するということですが、失敗するに決まっていますよね。かつてのベトナム戦争、そしてソ連のアフガン敗退の二の舞を演じるだけでしょう。
 勝てる見込みがまったくないのに、それでもあえて増派するのは、タリバン政権の復活を恐れているからとのことです。アフガニスタンにタリバン政権ができたら、パキスタン政権も危うい。そして、そうなったら、核の管理が心配になり、核兵器をテロリスト集団が持つ心配がある。こんな心配をしないように、アメリカはともかくアフガニスタンに増派するようです。これは、渡辺治教授の話の要旨でした。
 
(2009年6月刊。760円+税)

思い出を切りぬくとき

カテゴリー:社会

著者 萩尾 望都、 出版 河出文庫
 萩尾望都の漫画家生活はもう40年になるそうです。すごいですね。私の一つ年下のようですが、私の母と著者のお母様は女学校の友だちとして親しかったので、私もお母様とは顔を合わせることが何回もありました。最近、著者の顔写真を新聞で拝見して、私の記憶にあるお母様にあまりに似ているので、びっくりしてしまいました。もちろん、これは我が家のアルバムにあるお母様の顔写真も脳裏に焼き付いているからでしょう。
 この本に書かれているエッセーは、実はかなり古いものです。一番古いものは1976年とありますから、昭和でいうと51年です。まだ私が横浜弁護士会に登録していたころです。
 私が駆け出しの弁護士になったばかりのころ、既に著者は人気の漫画家でした。それも当然ですよね。『ポーの一族』なんて、すごいですよね。しびれてしまいますね。あとになりますが、『残酷な神が支配する』という漫画は、どうやってこんなストーリーを思いついたのか、不思議でなりませんでした。
 著者は、漫画家志望の子に対して、本をたくさん読むように、劇をたくさん観るようにすすめています。その点は、私もまったく同感です。想像力を働かせるには、自分の体験だけでは足りないと思うからです。
 そして著者は、何かのストーリーを描いているときにうける「ほんの15分のインタビュー」や「ほんの5分で描けるカット」の依頼をなぜ断るのかについて語っていますが、これまた、弁護士である私にも同感至極です。
 頭を切り替えるのは簡単ではない。漫画のストーリーを考えているのを止めて、カットのほうに気を入れなければいけない。この気持ちの切り替えだけで半日かかったりしてしまう。ストーリーを考案しているときには精神を集中する必要がある。その集中力をいったんとかないといけない。
 渡部昇一の『知的生活の方法』にも、仕事している最中に電話でそれを中断されると、仕事のボルテージが極度に下がってしまうと書かれている。まさしく、そのとおりなのだ。
 そうなんです。だから私は事務所にいても電話で話すのは必要最小限にとどめています。相手によっては私は出ずに、事務局でそのまま対応してもらいます。私はそばにいて、「こう返事しなさい」と耳元でささやくだけです。それでいいのです。私は頭を切り替えるムダを省いて、本来の、やりかけの書面作りに専念できるからです。
 著者は福岡県大牟田出身ですが、いまは千葉在住のようです。今後、ますますのご活躍を同年輩の一人として心から祈念しています。
 全国クレサラ集会のとき二宮厚美教授の基調講演のなかで印象に残る指摘がありました。
 それは日本は経済危機が深刻だといってもアメリカや中国とは決定的に異なっている。つまり日本の国債は日本国民自身が自分の貯蓄の中で買い支え得ているとうこと。
 IMFなど外国資金によって支えられているわけではないので自国内で解決できる。だから福祉を充実させて内需を拡大することで解決の展望があるのだということでした。なるほどですね。
(2009年11月刊。570円+税)

三国志談義

カテゴリー:中国

著者 安野 光雄・半藤 一利、 出版 平凡社
 私は「三国志」も「水滸伝」も大好きです。胸をワクワクさせながら読みふけりました。豪傑たちへのあこがれは、今もあります。
 魏の曹操は、徹底的に悪者になっている。しかし、『正史』を読むと、立派な人だということが分かる。人材の使い方にすぐれ、適材適所の登用により各人の能力を存分にふるわせた。感情を抑え、計算をしっかりとし、その人物の過去にこだわらなかった。戦略戦術は実に見事で、天下を大きく動かした。まさに絶賛に価する。
 しかも、曹操は大武将であるうえ、息子の曹丕(そうひ)、曹植の親子三人が、いずれもすぐれた詩を残している。そして、曹操は、いつも陣頭指揮の人であった。自分の部下もきちんとほめる。
 いやあ、知りませんでしたね、曹操って本当は偉い人物だったのですか……。かの魯迅が曹操を評価しているということも初めて知りました。
 曹操は非常に才幹のある人物であり、一個の英雄として、非常に敬服している。
 なーるほど、曹操って、実に偉い人なんですね。
 うむむ、なるほど、これもたいしたことですよね。
 曹操の詩に、人生というものは、日が出るとたちまち乾いて消える朝露のようにはかないものであるというものがある。なーるほど、そういうものなんでしょうか……。
 呉の孫権は、人をつかうとき、疑いがあるなら使ってはいけない。しかし、使った限りは疑うな、こう言った。孫権はずっとこれを守った。それで、孫権は19歳のときに王になってから、71歳までの52年間、トップに居続けることができた。
 「白浪五人男」の由来。「白浪」というのは盗賊を意味する。これは、「三国志」の冒頭、黄巾の乱で、大将の張角が戦死したあと、残党の白波(はくは)賊が、白波谷に籠って抵抗したことに由来している。つまり、白波を白浪に変えたのだ。
 危急存亡の秋(あきではなく、とき)。進退谷まる(たにではなく、きわ)。日本語の読み方はとても難しいですよね。
 『三国志』をめぐって、大家の放談を聞くと、いろんなことを知ることができます。
(2009年6月刊。1400円+税)

癌ノート

カテゴリー:人間

著者 米長邦雄、 出版 ワニブックス新書
 かの有名な勝負師が、癌と宣告されてからの体験記です。かなり赤裸々に書かれていますので、ここで紹介するのもはばかられるほどです。ガンに関心のある人はぜひ現物を手にとってお読みください。きっと参考になると思います。
 著者のガンは前立腺癌ですから、女性には無縁です。でも、まったくなんの自覚症状もなかったそうです。
 ところが、ある日突然、「あなたは癌です」と宣告されたのでした。男性機能が喪失する。セックスができなくなる。著者はこの点を大いに心配します。私より5歳も年長ですが、さすが週刊誌を騒がせたこともある勝負師ですから、その点こそまさしく一大事なのでした。
 前立腺肥大症と前立腺癌は違う。場所から違います。尿道を取り囲んでいる部分が大きくなるのが肥大症。尿道から離れた外側にできやすいのが癌。前立腺は、胃とか肺と違って、取ってしまってもあまり困らない臓器。前立腺を取ってしまうと、射精できないし、子どもも出来なくなる。前立腺癌になるのは比較的高齢者に多い。
 前立腺癌の治療法として小線源療法がある。これは、前立腺の中に放射線が出る線源を埋め込む手法。その線源から1年くらいの時間をかけて放射線を放出し、癌細胞をやっつける。体内の線源は永久に残るけれど、別に困らない。
 小線源治療の中に、低線量率組織内照射と、高線量率組織内照射がある。低線量率組織内照射のとき、挿入する線源1個が6000円。それを70個ほど入れる。入院費を含め100万円かかる。患者負担を3割として、35万円かかる。
 医師を選ぶときは、運の良い医師を選ぶ。
 ねたみ、そねみ、うらみ、ひがみを持つと、その人の人生は終わる。そして、そういうものを持っている人と付き合うと、自分の運気も落ちる。運が良い人とつきあうのは大切だ。もう一つは、謙虚さがある人。医師を選ぶときには、絶対的な自信があって、しかも謙虚な人であること。なーるほど、ですね……。
 自分で納得のいくまで、よくよく調べつくして悔いのない選択をしたこと、手術のあと便漏れに悩んだことなどが率直に紹介されています。
 術後に、将棋連盟の会長に再び立候補するなど、以前と変わらぬ活躍をしています。たいしたものです。
 前立腺癌は自分で治療法を決められる。誰だって、「あなたは癌です」と言われたら嫌だし、落ち込む。でも、そんなときだからこそ笑いが必要である。治療を楽しむというわけではないが、医師や看護師と仲良くして、男の命をかける一局の治療にのぞむのがいい。
 なかなか実践的な本です。癌家系の私にも大変教訓に満ちた本でした。
 
 全国クレサラ集会のとき、帚木蓬生氏と身近に話すことができました。氏の最新作『水神』は先日ご紹介しましたが、本当に感動的なものでした。氏は年間1作を書くとのことで、5,6年先までテーマが決まっていて、その5年ほどのあいだに資料を集め、1年かけて書き上げるとのことです。資料集めには神田の古書店が一番だということでした。一つのテーマで100冊の本を読むそうです。
 朝4時に起きて6時までの2時間を執筆時間にあてておられるとのこと。ですから夜は8時に就寝。
 そして、氏は、私と同じ手書き派です。清書する人がいて、出版社とも5回以上、校正段階でやりとりするとのことでした。
 大変勉強になりました。
(2009年10月刊。700円+税)

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