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動物病院24時

カテゴリー:生物

著者 ニック・トラウト、 出版 NTT出版
 アメリカの動物病院の一日24時間を紹介するスタイルの本です。もちろん、患者は犬だけではありませんが、なぜか犬が多いのです。
 僕は天性の外科医ではない。いわゆる手先の器用さには恵まれなかった。ありがたいことに、外科手術の技術は練習で身につけられる。ピアノを弾くのにちょっと似ている。やる気があって、それなりの時間をかけて努力すれば、初めは一本指でたどたどしく弾いていたのが、やがて上達し、鍵盤を正確にたたいてメロディを奏でられるようになる。
 ペットの人気の第1位は猫、2位は犬。そして第3位は、なんとインコ。インコはアメリカだけでも800~1400万羽も飼われている。
 アメリカ人は、ペットの世話のため年間400億ドルもつかう。アメリカでは、この10年で専門資格を取得した獣医師が76%増加し、8000人以上が専門分野をしぼっている。
 ところが、医療従事者全体のなかで、自殺者の率が一番高いのは獣医師である。
 この動物病院の平均治療費は300ドル(3万円)。しかし、人口股間接置換手術は5000ドル(50万円)、心臓ペースメーカー手術は3500~4500ドル(35~45万円)。背骨のMRI検査は2000ドル(20万円)、CTスキャンは1000ドル(10万円)。放射線治療は1コース3000~4000ドル(30~40万円)。化学療法の平均的なコースは3500ドル(35万円)かかる。アメリカのペット保険加入率はわずか1~3%でしかない。ちなみにイギリスは20%が保険に加入している。では、日本は……?ペットを世話するのにもお金がかかりますね。
 臓器が動かなくなり、余病が猛威をふるい、感染症が牙をむき、苦痛を和らげてやれなくなるところまで病気が進行しても生かされている動物を見ると、飼い主の気持ちが分からなくなる。身勝手な動機から意味もなく動物を苦しませ、保護者としての基本的な責任を安易に放棄しているように思えてならない。
 犬や猫の面倒を一生涯見てやることが飼い主のつとめであり、悲しいことだけれども不快感や苦痛を取り除いてやることも保護者としての義務の一部なのだ。たとえそれが、安楽死を選ぶということであっても……。
 動物は嘘も裏切りも不貞も絶対にない関係をくれる。わずかな努力でうまくいき、しかもいつまでも長続きすることが約束された結婚だと思えばいい。結婚前の取り決めはいらないし、離婚の心配もない。つまり、ぎくしゃくし、ひびが入り、2度と元に戻らない危うい関係ばかりのこの世の中で、真実の愛が見つかる可能性がある。心から安心できる愛が見つかる可能性がある。
 なーるほど、だから人間はペットを愛するのですね。そして、深刻なペットロスが生まれるわけなんです……。
 獣医にとってもっとも大切なスキルは、人間とのコミュニケーション術を磨くことにある。獣医の仕事は動物を治療することだが、それは人間のためにすることなのである。
 飼い主の話にしっかりと耳を傾け、共感という言葉になりにくい心の底からの通じ合いを求めようとする。これは難しいことではない。短い診察時間にありったけの誠意とおもいやりと信頼をそそぐこと。そして何よりも、ただ黙って聞き役に徹するべきときを知ることである。
 うむむ、これって弁護士にも共通するものがありますね。大変勉強になりました。面白い本です。動物好きの人には、ぜひ一読をお勧めします。
(2009年11月刊。1900円+税)
 昨日の日曜日はたっぷりの陽光も優しく、春らんまんでした。朝、雨戸を開けるとウグイスのホーケキョという鳴き声が聞こえてきます。まだ長くは鳴かず。発声練習中と思わせる初々しい泣き声でした。
 庭に黄水仙があちこちで咲いています。チューリップの芽はぐんぐん伸びています。サクランボの桜の木が、白い花をたくさん咲かせています。ソメイヨシノと違って地味です。
 膝はおかげでなんとか歩けるようになりましたが、今度は花粉症に悩まされています。うれしい春にも困ったところがあるのです……。

歴史と花を巡る旅

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 福山 孔市良、 出版 清風堂書店
 大阪の先輩弁護士による旅行エッセーですが、なんと『弁護士の散歩道』シリーズの第5弾なのです。実は、私も同じようなものを書いていますが、最近は文章より写真を主体にしています。ちなみに、私の方は、『スイスでバカンスを』(1999年2月)、『北京西安そしてシルクロード』(2004年8月)、『サンテミリオンの風に吹かれて』(2005年12月)、『南フランスの夏』(2008年11月)、『ちょこっとスイス』(2009年12月)です。いずれも16頁の大判で写真を主体とする旅行記です。その前は文章を主体とする新書版の旅行記でしたが、写真で知ってほしいという思いが強くなったのと、文章を短くしたいという手抜き発想から変えています。
 著者の福山弁護士は、遺跡をいくつも歩いているようです。私もこのなかの三内円山遺跡(青森)と、菜畑遺跡(佐賀)だけは行ってきました。そして、遠野には花巻に行ったときに出かけたのです。途中で時間がなくなって引き返してしまいました。残念です。日本にも、まだまだ生きたいところはたくさんあります。それにしても、弁護士はその気になれば、いくらでもあちこち全国どこへでも行けるので、本当にいい職業です。ありがたいことです。
 著者はスペインの旅に何回も挑戦しています。私はスペインは行ったことがありません。やっぱり少しだけ話せるフランス語を頼りにフランスに行きたいと思います。なんといっても言葉が通じるというのは安心なのです。
 奥付を見ると、ちょうど私より10歳だけ年長だと言うことがわかりました。まだまだ大変お元気のようです。今後とも大いに旅行して下さい。
 花の名前を実によく知っておられるのにも感心しました。山を歩いていて、咲いている花を見て、ただきれいだねというだけでなく、花の名前を言えて、少しくらい花について開設できること。これが旅行の楽しみを深めるものです。
 著者はアルコールを卒業されたようです。私はまだ卒業はしていませんが、美味しい赤ワインを少々飲めればうれしいというところです。ビールのほうは私も卒業しました。ビールはもう2年ほど飲んでいません。
(2010年1月刊。1429円+税)

カメムシはなぜ群れる?

カテゴリー:生物

著者 藤崎 憲治、 出版 京都大学学術出版会
 ホオズキカメムシは成虫が体長1センチほどの黒褐色をした地味な色合いのカメムシ。ホオズキという植物の語源は、ホウがつく植物のこと。ホウというのは、カメムシをさす古語。私の家の庭にもホズキがありますが、それがカメムシ由来の名前だと言うのには驚きました。
 ホオズキカメムシは、幼虫のとき、強い集合性を持っている。寄り集まって、みな外側を向いた円陣隊形をとる。
 ホオズキカメムシが襲われたとき、その個体が警報フェロモンを発するため、他の個体は速やかに逃避する。自らが犠牲になることによって兄弟が助かると、遺伝子は兄弟経由で次世代に受け継がれていく。利他的な行動のように見えて、実は利己的な行動なのである。
 ホオズキカメムシは成虫になっても初めのうちは幼虫のときと同じく、オスもメスも一緒に仲良く集合して吸汁している。ところが、性的に成熟し、繁殖期が始まると様相が一変する。オス同士が互いに排斥しあうようになる。
 ホオズキカメムシのオスはハレムをつくり、10匹のメスを占有する。
 カメムシたちが群れることには意味があることを、実証的に明らかにした面白い本です。学者って本当に偉いですね。こんなことをじっとじっと見つめていて、その違いを掘り下げて研究し、論文を書いていくわけなんですからね。たいしたものですよ。
 
(2009年10月刊。1800円+税

江戸の本屋さん

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 今田 洋三、 出版 平凡社ライブラリー
 江戸時代には、大量の本が出版されていて、本の買えない庶民には貸本屋があって、大繁盛していたのでした。
 そうなんです。日本人は、昔から本大好き人間が多かったのです。今の日本と同じです。
 江戸時代に出版業者は刊行物の目録を作るようになった。1670年の目録には3900点の書物が登録されており、1692年には7200点にも達している。元禄時代の日本に刊行されていた書物は、1万点にものぼる。流通していた冊数は1千万冊にも及ぶものとみられる。
 うへーっ、す、すごいですよね。私も読書家の一人ですが、蔵書は1万冊あるでしょうか。年間500冊以上の本を読み、購読して読んでいない人も相当ありますので……。
 江戸時代、書物の読者が増え、劇場の観客が激増したのは、都市の発達と関連していた。京都も大阪も30万都市であり、江戸には武士と町人あわせると100万人に達した。この時代に人口100万人を超える都市は、世界中探しても他に見つからない。
 文化・文政期は三都がかつてなく繁栄した。江戸では文化の享受層が、田沼時代の上層町人中心から、中下層の町人・職人層に拡大し、文化の大衆化が進行した。都市における読書人口は、かつてなく増大した。毎年40種近く発刊される合巻は、それぞれ5千部から8千部も売れた。近世前期に、上方中心であった出版界は、完全に江戸中心となった。
江戸時代には、どの地方にも貸本屋があった。大坂には300人の貸本屋がいて、江戸の貸本屋は800軒と言われていた。江戸だけで10万軒に及ぶ貸本読者がいた。こうなると、有料図書館とでもいうべき存在である。
 貸本屋は出版統制・言論統制のまことに厳しい江戸時代にあって、とくに政治批判や政治の実態を曝露する文献を、読者にひそかに貸し出す人々でもあった。
 江戸の講釈師・馬場文耕は、金森氏が藩政不行届のかどで改易されたのを講談にしたところ、浅草で獄門に処された(1758年)。
 日本人の読書好きには歴史があり、権力への反骨精神も太々としたものがあったことが、よくわかる面白い本です。
 
(2009年11月刊。1300円+税)

戦場の哲学者

カテゴリー:アメリカ

著者 J・グレン・グレイ、 出版 PHP研究所
 第二次大戦にアメリカ軍の少尉として従軍した著者が、戦場体験をふまえて、戦争で人がなぜ平気で人を殺せるのかを考察した本です。
 無数の兵士たちが程度の差はあれ進んで命を投げ出してきたのは、国、名誉、信仰、あるいはそのほかの抽象的な善のためではなく、持ち場を捨てて己が助かろうとすれば、仲間をより大きな危険にさらすはめになるのをよくよく心得ていたからである。
 まとまりのない大集団内にいる者は、小規模ながらも組織化された集団に対しては自分たちの分が非常に悪いことに、常々気づいているものである。捕虜からなる巨大な群集がいくつも、ライフルを背中に下げた数名の監視員によって捕虜収容所へと移動させられている光景は、哀感に満ちている。これらの捕虜たちが監視員を前にして無力なのは、武器を携帯していないせいではない。共有の意思が欠如しているため、すなわち、ほかの者も自分と協同して征服者に対するはずだとの確信を持てないためである。
 戦闘中にともに奮闘する経験は、条件の変化した近代戦においてさえ、兵士たちの生涯で最高のときである。恐怖や疲労、汚れ、憎悪などがあるにもかかわらず、ほかの者とともに戦闘の危険に加わることには忘れがたいものがあり、その機会を逃したことはなかったはずである。
 自由をわくわくするような現実、つまり真剣だが喜びに満ちたものとして経験できるのは何か具体的な目標に向かって他者と一致して行動しており、しかも、その目標は絶対的な犠牲を払わねば達成できないような場合に限られる。男たちが真の仲間となるのは、互いが相手のために熟考することも個人的な損失を考えることもなく、自らの命を投げ出す覚悟がある場合のみである。自分の命を仲間と共有している者にとって、死はいくぶん非現実的で信じがたいものとなる。
 破壊の喜びには、ほかの二つと同様に人を有頂天にさせる性質がある。人間は破壊行為に圧倒され、外部から羽交い絞めにされ、これを変えたり支配することなどとてもできないと感じる。これは一体化なしの忘我状態なのである。
 これが軍隊仲間の戦友会(同窓会)の盛んな理由なのですね。初めて分かりました。
 戦時下には性愛が優先時となる。多くの女性が偶然出会った兵士への激しい思いに突如として駆られる。性的な表現に対する抑制が弱まるのみならず、互いのなかに相手の性への強烈な興味が存在し、それは平時の場合よりはるかに激しいものがある。通常なら他の関心事に心を奪われている男女が、気がつくと性愛の渦に巻き込まれていて、この愛が現下の優先事となる。戦時中は婚姻数が増加し、出生率が上昇する。
 兵士は故郷の精神的なよりどころや、地域社会といった背景から引き離されて、どこにも所属しなくなり、心配、脅威、孤独、寂しさにさらされる。男ばかりの敵意に満ちた環境にあって、兵士が切望するのは、自分を保護してくれる穏やかな存在であり、その象徴が女性であり、家庭なのである。兵士が性行動にのめりこむのは、失ったものに対するある種の埋め合わせとなる。いうなれば、不適応状態の表れである。戦争でぞっとするような、あるいはなにもこれと言って特徴のない昼夜を何日も過ごした後で、従順でやさしく愛撫してくれる女性を腕に抱くことは、報いのないことに慣れきっていた兵士にとっては途方もなく素晴らしいことだった。
 女性は、自分の親兄弟と戦いを交えて殺戮していた敵(連合軍)の兵士を愛することができた。もっとも自明なのは、基本的本能と言われている自己保存の本能や、利己心、自己本位の動機すべてに反して、人間は行動できるということである。
 死に直面して臆病になるものと、生来の臆病者を区別しなければならない。ほぼ誰にでも、ときには臆病者になる自分が潜在している。臆病者は戦闘中に何度も死ぬ思いをする。そのたびに計り知れないほどの精神的な辛さを味わう。
 戦争は人間を人間でない存在にするのですね。体験にもとづいての考察ですので、言いたいことがよく伝わってきます。
 
(2009年9月刊。1700円+税)

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