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灘校

カテゴリー:社会

著者 橘木 俊昭、 出版 光文社新書
 日本の現代貧困を分析する第一人者である著者がかの灘高校出身とは……。そして、灘高校を卒業して東大に入らなかった人は人生の落後者ではないのか、という疑問にこたえるのが、本書です。灘高校を出て東大に入らなかった自らの体験もふまえていますので、ともかく実証的ですし、説得力があります。
 私の中学の同級生にも一人だけ、灘高校に入った男がいました(石田君は、いま、どうしているかな…?京都大学に入ったことまでは知っていますが…)。
 1968年、私が大学2年生のときです、灘校はそれまでナンバーワンだった日比谷高校(都立校)を抜いて、東大合格者132人と、全国1位になった。これは、絶対数でも全国1位になったというのですから、すごいものです。
 灘校では、1年生の時から成績順にクラスを編成する。これは毎年変わることになる。徹底した競争主義を実践することで、生徒に努力を喚起するのだ。
 教師の配置も、上位のA・B組には優秀な教師の授業を多く、C・D組にはそれなりの教師を配置し、教材や進度にも変化をつける。
 成績に応じて差を設けるのには、メリットとデメリットがある。メリットは、一部の優秀者と努力家の学業成績がますます上昇すること。デメリットは、差別的な教育を嫌う生徒からやる気を次第に失わせ、勉強をしなくなっていくこと。遠藤周作は、その落ちこぼれ組だった。教師は、ずっと生徒と一緒に持ち上がる。これは、先生のあいだで、学年をグループとした競争意識を生み出す。
 良い生徒がいれば、良い先生も集まる。灘の教師は、出来のいい子を邪魔しないことが責務である。
 灘校の東大合格者の8割は現役生だった。ある学年では、220人ほどの卒業生のうち、東大へ進んだのが150人を超した。7割の生徒が東大に合格するというのは、驚異的な数字である。しかし、多数派の150人と少数派の70人という2組の間に溝があるのでは……?
 勉強ができると言うレッテルを貼られた生徒は、学校生活でも活発だが、できないというレッテルが貼られると、ずっとおとなしくしている。
 灘校には、入試科目に社会がない。無味乾燥な暗記科目は不要だというわけだ。そこで、灘校の生徒の7割強は理科系である。
 灘校の卒業生は、大半が大企業に勤めていて、社長・重役・部長に就いている。卒業生に官僚は意外に少ない。国会議員も少なく、2010年時点で6人しかいない。
 ところが、医師は多い。これは、学生の親の4割が医師ということにもよる。東大理Ⅲ(医学部)90人(1学年)のうち、20人ほどが灘校出身。1962年から2009年までの灘校出身の累計は588人。2位のラ・サール校の292人の2倍という断トツの1位。
 中高一貫校は、良いことづくめなのか?
高校の時から入ってくる新高生のなかに、潜在能力・学力の高くない生徒が入学してくる。そのため、新高生の募集を停止したところがある。その一方、中学校から入った生徒のなかに伸び悩む生徒が少なからずいる。小学生のときに塾などで過度に受験勉強をやりすぎて、燃え尽きてしまったということである。
 そして、中高一貫校に入ってしまうと、生徒の育った家庭環境も生徒もかなり均質であるため、世の中の現実を知る機会が限定される。世の中には、貧乏人や勉強の不得手な人など、いわゆる弱者がいる。それらの人の存在を知る機会がなくて大人になると、偏った人生観をもつ危険がある。
 いろいろなことを深く考えさせる、良い本でした。私は市立中学、県立高校の出身ですが、とりわけ市立中学での経験は、今となっては得難いものだと考えています。殺傷事件を起こして少年院に入った同級生がいて、勉強より歌唱力を伸ばすのに必死の同級生がいました。1クラス50人以上で1学年に13クラスもありましたので、騒然とした雰囲気でした。すぐ隣にある中学校の生徒との番長同士の対決も身近なものであり、暴力事件は日常茶飯事だったのです。世の中の荒波に少しはもまれていたのかな、と今は思うのです。
 そして、それは弁護士になってから、世の中にはさまざまな生き方、考えの人がいることを多少なりとも受け容れることにつながっていて、役に立っています。
 
(2010年3月刊。760円+税)

鳥羽伏見の戦い

カテゴリー:日本史(明治)

著者 野口 武彦、 出版 中公新書
 幕末に起きた戦争のうち、禁門の変というのは少し知っていましたが、鳥羽伏見の戦いについては、その実相をまったく知らなかったことを、この本を読んでほとほと実感させられました。
 この本は、「幕府の命運を決した4日間」というサブタイトルをつけて、激戦だった鳥羽伏見の戦いを忠実に再現しようとした画期的な労作です。
 幕府軍は決して一方的に敗退していったのではなかったのです。フランスからヨーロッパ最新式の銃を大量に仕入れていて、それが戦場で大活躍したのでした。そして、両軍は白兵戦の前に大砲で撃ち合い、銃を活用して戦ったのです。
 幕府軍が決定的に敗北したのは、何より将軍慶喜の日和見にありました。やはり、戦争では司令官の姿勢はきわめて大きく、選挙区を左右するのですね。
 明治になってからも長生きした最後の将軍慶喜に対して酷評が加えられています。しかし、それも考えようによっては、それだからこそ、明治維新が早まったといえるのです。ただ、それは、上からの革命を推進してしまったことにつながっているから、下からの民衆主体の革命にならなかったという弱点をともなったという著者の指摘は鋭いと思いました。
 慶応4年(1868年)1月3日から6日までの4日間、京都市南部の鳥羽と伏見で、薩摩軍を中心とする新政府軍と徳川慶喜を擁する幕府軍が激戦を交えた。両軍合わせて2万人の兵士が激突する。戦死者は幕府軍290人、新政府軍100人。戦闘は、武力討幕派の圧勝に終わった。幕府軍にはフランス伝習兵と呼ばれる最新装備の部隊がいた。伝習隊には2大隊があり、1大隊800人として、1600人が訓練されていた。そして、シャスポー銃という元込式の最新式をもっていた。
 大政奉還は、将軍職を差し出すのと引き換えに、徳川家の実験を残しておこうという捨て身の業だった。
 シャスポー銃は、1866年にフランスで制式歩兵銃に採用され、1870年の普仏戦争で活躍した。敗戦後のパリ・コミューンで反乱兵鎮圧に使われた悪名高い銃である。射程距離600メートル、充填は速く、1分間に6回発射できました。
 鳥羽伏見の戦いで幕府軍が負けたのは銃砲の性能が悪かったからというのは、間違った俗説である。著者は、しきりにこの点を強調していますが、なるほど、と思いました。
 戦いの当初、徳川慶喜の脳裏には、先発勢が優勢な兵員数で薩摩藩を威圧しつつ二条城に入り、下地を整えたところで自分がおもむろに上京すると言うイメージがあった。その幻想がもろくも崩れてしまった。
 戦局の大勢を決したのは、大砲である。戦場の主役は、大砲対大砲の砲戦になっていた。
弾丸が命中して倒れた兵士は、たいがい短刀で自決した。この時代は、腹に銃創を受けるとまず助からない。たとえ即死しなくても、腹膜炎を発して苦しんだ末に絶命する。なまじ苦痛を長引かせるよりはと潔く自刃するのである。沼へ飛び込んでノドを突く姿は悲壮だった。
 徳川慶喜には、頭脳明晰、言語明瞭、音吐朗々と三拍子そろっていながら、惜しむらくはただ一つ、肉体的勇気が欠けていた。一陣の臆病風が歴史の流向を変えてしまった。
 慶喜がいなくなったと知った大坂城は、上を下への大混乱に陥った。それは260年ものあいだ、維持されてきた徳川家の権威が超スピードで消散していく数時間であり、とうに形骸化していた政治権力が屋体崩しのように自己解体していく光景でもあった。置き去りにされた将兵を支配した感情は、怒りでも悲しみでもなく、集団的なシラケだった。自分たちは、こんな主君のために我が身の血を流していたのか、という何ともやりきれない徒労感だった。
 徳川慶喜は大阪湾から船に乗って江戸に向かった。このとき、まずはアメリカの軍艦に乗り込んでいるが、これもあらかじめ用意されていた。つまり、徳川慶喜はアメリカの庇護のもとに逃亡したのだった。うへーっ、今も昔もアメリカ頼みなんですか……。
 そして、日本の軍艦「開陽」に乗り込んだあと、徳川慶喜は「自分は江戸に戻ったら抗戦せずに恭順するつもりだ」と初めて引き連れていた重臣たちに本心を明かした。
 そしてこのとき徳川慶喜は愛人まで連れて船に乗り込んでいたのです……。
 江戸に着いても、徳川慶喜はすぐには江戸城に乗り込まなかった。なぜなら、将軍になってから一度も江戸城に入ったことがなかったので、旗本たちの気心が分からず、不安だった。身辺の安全を確保できると慎重に見極めをつけてから入城した。
 なんとなんと、自分の身の安全しか考えていなかったというわけです……。いやはや、大した徳川将軍ですね。
 徳川慶喜は、12月16日に、英・仏・蘭・米・プロシア・伊の6国代表と謁見し、外交権は手放していなかった。そして、旧幕府から国体を引き継つぐのを忘れていた新政府は無一文であり、徳川慶喜に泣きついて5万両を引き出した。
 明治維新の成り立ちを知るうえでは、欠かせない本だと思いました。一読をおすすめします。
 
(2010年1月刊。860円+税)

人は愛するに足り、真心は信ずるに足る

カテゴリー:アラブ

著者 中村 哲・澤地 久枝、 出版 岩波書店
 実にタイムリーな、いい本です。たくさんの日本人に読まれることを私からも望みます。私からも、と書いたのは、この本の聞き手である澤地久枝さんが、はじめにのところで、アフガニスタンで一人がんばっている中村哲医師のために何か役に立ちたいと考えて、中村哲医師の本をつくり、その本がよく売れるようにつとめ、その印税によって若干なりとも助けたいと思ったからだと書いていることによります。
 そう言えば、私は最近とんとペシャワール会へのカンパをしていないなと反省させられたことでした。
 この本を読んで、初めて知ったことが3つありました。
 その一は、中村医師は最近、流れ弾に当たって負傷したということです。幸い足のけがですんだそうです。しかも、自分で足のケガを2針縫ったというのです。アメリカ軍の「誤爆」という危険もありますよね。中村医師の無事を改めて祈りたいと思います。
 その二は、有名な作家である火野葦平との関係です。中村医師は火野葦平の甥にあたるのでした。中村医師の母は、火野葦平の妹なのです。
 中村医師の父親は戦前の社会主義者で、刑務所にも入れられたことのある人です。そのことは、前に、この欄で紹介したことがあります。
 火野葦平も一時期はマルクス主義に傾倒していたようです。その後、「転向」して戦記作家として有名になりましたが、戦後、そのことを気に病んで、53歳のとき自決したようです。
 その三は、中村医師のプライバシーにかかわることなので伏せておきます。別に変なことではありません。私生活を世間にさらしたくないというご本人の意向を私も尊重したいと思います。
 日本人は、自分の身は針で刺されても飛び上がるけれど、相手の身体は槍で突いても平気だと言う感覚をしている。これをなくさないとだめだ。
 マドラッサというのは、地域の共同体のカナメである、マドラッサで学ぶ子どものタリバンと政治勢力としてのタイバンは違う。国連も、欧米そして日本も、マドラッサつまりモスクを中心にして行われている学校教育は危険思想の中心だと考えている。しかし、地域のアイデンティティのもとなのである。
 マドラッサがないことには、アフガニスタンの地域共同社会というのは成り立たない。いま、ペシャワール会はマドラッサを建てている。そこで、ペシャワール会はタリバンのシンパじゃないかと偏見を持つ人がいる。しかし、イスラムの過激論者は、農村部には発生する土壌がない。ほとんど都市部である。自分の生きる根拠を失った人々が極端な行動に走りやすい。
 ペシャワール会の職員で、日本人の伊藤さんのほかに5人が亡くなった。弾にあたって死んだ人のほかは、事故死。
 ペシャワール会のかんがい事業は、150人の従業員と数十万人の命を預かっている。
 62歳になって、体力の限界を迎えているが、「身から出たサビ」と考えて、一人、アフガニスタンに止まっている。代役は、そう簡単に見つからないと思う。
 アメリカ軍は、アフガニスタンに十万人派兵すると言う。しかし、襲撃されるから地上移動を極度に制限している。そこで、アフガニスタン国軍を育てようとしている。
 ところが、アフガニスタンという国は、イラクより二枚も三枚も上手である。遠からず、自分が育てたアフガン国軍兵士がアメリカ軍と対決する構図になることが大いにありうる。
 中村さん、ぜひ、安全と健康に気をつけて、今後とも大いに頑張ってください。心より応援しています。
 ぜひ、あなたも、この本を買って読んでください。それが、ペシャワール会を助けるのですから……。
 
(2010年3月刊。1900円+税)

象虫

カテゴリー:生物

著者 小檜山 賢二、 出版 出版芸術社
 コクゾウムシ。幼いころはコクンゾムシと呼んでいました。米びつにわく小さな虫です。つまんで外に捨てていました。今は昔の話です。
 ゾウムシは、このコクゾウムシの一つです。すごい写真集です。圧倒されます。体長3~6ミリの小さなゾウムシなのですが、それをくっきり鮮明なまま、超拡大写真で見せてくれます。怪獣です。それも、想像を絶する怪獣たちのオンパレードです。ヘンテコリンな顔や形。鼻も目も不気味な形をしています。色は怪しげに光り輝いています。
ゾウムシは世界に6万種いる。恐らく20万種はいるだろう。日本では1300種が確認されている。日本の蝶が200種なのに比べて、いかにゾウムシの種類が多いか分かる。ゾウムシは生物界でもっとも種数の多いグループなのである。
 ゾウムシは1億年1上の年月にわたって命をつないで進化してきた、進化のトップランナーである。ゾウムシのキーワードは、多様性。色、形、大きさ、ともに多様性に富んでいる。ゾウムシは高度に進化した昆虫なのである。
 この写真集を見れば、まさしくそのことが実感としてよく分かります。
長い鼻を持っているように見えるが、実は鼻ではなく、口。口吻(こうふん)という。
 ゾウムシの仲間は飛ぶことが苦手だ。飛ぶことをあきらめて、身体を鎧で固めたのが、カタゾウムシである。
 大部分のゾウムシは、死んだふりをして敵をやり過ごそうとする。
 擬死は、あくまで死んだふりである。地上に落ち、やがて動き出して逃走する。
 まず、カブトムシとかクワガタムシを想像して下さい。そして、派手な色をその体にペインティングします。さらに鼻(口吻)を長く伸ばします。眼はトンボやハエのような複眼です。背中はカミキリムシのようなスッキリしたものもあれば、毛がふさふさ生えているものもあります。その部分を拡大した写真があります。色つき真珠を背中にちりばめたような情景です。
 いやあ、この世にはこんな生きものが無数にうごめいているのですよね。生命の神秘をひしひしと実感させてくれる、素晴らしい写真集です。
(2009年7月刊。2500円+税)
 玄関脇に赤いチューリップが10本咲いています。一番遅いグループです。夜帰ったときは静かに迎えてくれますし、朝出かける時には元気ハツラツで行ってらっしゃいと見送ってくれます。奥の方には黒いチューリップも咲いています。真っ黒ではありませんが、かなり黒っぽいのです。アレクサンドルの小説「黒いチューリップ」を思い出します。
 昔、オランダというかヨーロッパでチューリップの球根が投機の対象となったことがありました。
 アイリスがたくさん咲いています。甘い芳香を漂わせるフリージアのほか、イキシアやシラーも咲いています。春の花園に入ると、身も心も軽く、浮かれてしまいそうです。

日本でいちばん大切にしたい会社2

カテゴリー:社会

著者:坂本光司、出版社:あさ出版
 鳩山首相が国会の所信表明演説で引用・紹介したこともあって、大変人気を呼んでいる本の第2弾です。
 トヨタやキャノンのような、労働者を人間(ひと)と思わず使い捨てにすることしか考えない経営者にこそ、ぜひ読んでもらいたい本だと思いました。
 この本の良いところ、読んで感動を呼び起こすところは、日本はアメリカのように株主優先であってはいけない、社員とその家族、今と将来のお客さん、そして地域住民とりわけ障がい者や高齢者を大切にするのが本当の企業経営だと実例をあげて力説しているところです。
 株主(出資者)の幸福・満足は結果としてもたらされるものであって、追及する必要はないものなのだ。本当にそうですよね。株主へ高配当しようとして短期の業績を追い求めると、ろくなことは起きません。
 もうかっていない会社は、例外なく本社機能が大きい。総務・人事・経理の社員が多すぎる。本社の社員は、社員が多すぎると思わせないように、「管理」という仕事を考え出す。管理しようと、本社がいろいろと口出しをしたり、手を出しすぎたりすると、現場の思考能力が停止する。すると、社員は自発的にものを考えなくなり、モチベーションが下がって、結果としてもうからなくなる。
 二流、三流の会社は本社が大きく、一流の会社は本社が小さい。本社が小さいと、よけいな口出しができなくなるため、自然に分権がすすむ。何より、本社部分のコストが下がり、低コスト経営ができる。
 ホウ(報)レン(連絡)ソウ(相談)をもてはやす企業は多いけれど、ホウレンソウを禁止し、なにより自分の頭で考えろという会社がある。
 うへーっ、ホウレンソウというのは経営向上マニュアルのなかでも必須のものだと思っていましたが、企業によっては禁止しているところもあるのですね。
 たしかに、社員一人ひとりが自分の頭で意欲的に考えたほうが企業の業績を上げ、その長続きに貢献する結果を生み出すだろうことは大いに賛同できます。
 第3弾にも、大いに期待したい本です。
(2010年2月刊。1400円+税)

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