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貧者を喰らう国

カテゴリー:中国

著者:阿古智子、出版社:新潮社
 中国の現実の一断面を鋭くえぐり取った本だと思いました。アメリカ社会の格差もすさまじいいと思いますが、お隣の中国大陸も貧富の格差は相当深刻だと改めて思いました。
 なにしろ人口13億人もの巨大国家です。日本の10倍の人口をかかえて、国民がひとしく豊かになるというのは並大抵のことでは実現できないのでしょうね。それにしても、30代の日本人女性が中国の農村部に入って長く生活していた体験に裏づけられていますので、実感がよく伝わってきます。
 中国にエイズ村がある。人口700人のうち、170人は売血で、20人は輸血でHIVに感染し、既に40人が亡くなった。河南省は売血によるHIV感染者の多いことで知られている。これは、省や市・県の当局が売血による地域振興を呼びかけ、血液銀行をつくってすすめていったからである。
 採血は不衛生な環境で行われていた。同じ針をつかって採血していたため、ねずみ算式に感染が広がった。うへーっ、これって怖いですね。
 河南省のHIV感染者は30万人と推定されている。そして、被害者が加害者の責任を追及しようとすると、大きな困難が立ちはだかる。なぜなら、当局がすすめていた事業だから・・・。いやはや、なんということでしょう。
 都市と農村の格差が縮小しない背景には中国特有の戸籍制度がある。農業(農村)戸籍と非農業(都市)戸籍に分ける制度である。
 郷鎮企業は、半官半民で経営される。その所有母体は、郷鎮政府内の資産管理委員会であることがほとんど。1990年代半ばから官民癒着の弊害が指摘され、今では郷鎮企業は、ほとんど消失してしまった。
 中国政府のすすめている社会主義市場経済がうまく機能しないのは、市場原理が健全に働くための前提となる「公平なルール」を政府が保証せず、コミュニティーの中に「信頼」が存在しないため。現在の中国農村には、「信頼」も「公平」も欠けている。不公平・不明瞭なルールの下で、役人たちは農民から富を巻き上げようと腐心し、農民たちは隙あらば隣人を出し抜こうと考え、また隣人が自分を出し抜こうとしているのではと疑心暗鬼になり、あるいは希望を失い自暴自棄になっている。
 中国は表に社会主義の理想を掲げておきながら実際は、資本主義以上に苛酷な競争を大多数の国民、とりわけ農民に強いている。そのため、農民は国を信じず、隣人を信じず、未来を信じなくなっている。もはや、農民が信じられるのは目先の金銭だけ、という荒涼とした拝金主義がはびこっている。
 一時は名望を失っていた毛沢東が死後30年以上も経過した今になって人気を取り戻しつつあるのは、格差拡大を容認する現在の共産党指導部に対する農民の不満が、毛沢東時代の方が希望があったという、よじれた感情にもとづくもの。
 中国の青少年の自殺は多い。15~34歳の青少年の死因の第一位は自殺であり、19%を占める。中国の年間平均自殺者数は10万人に対して23人。これは、国際的な平均水準の2.3倍。もっとも、日本も同じ水準である。
 中国のすさまじい現実の一端を垣間見ることができる本でした。
(2009年12月刊。1400円+税)

在郷軍人会

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:藤井忠俊、出版社:岩波書店
 戦前の日本の実情を深く知った気になりました。在郷軍人会というのも決して一枚岩ではなく、矛盾にみちみちた存在であったようです。
 1910年(明治43年)に発足した在郷軍人会は最盛時には300万人に及ぶ会員がいた。しかし、会員に軍服の着用をすすめても、軍服を着た会員はほとんどいなかった。軍服を着た市民があふれたのは戦後日本の平和な社会であった。個々の在郷軍人は軍服を着たがらなかったのである。ただし、米騒動で騒動の先頭に立った者が軍服姿となり、また、神戸の造船所での大ストライキのとき、労働者側の在郷軍人が軍服を着て市中をデモンストレーションして人々を驚かせた。デモクラシーの波が、この皮肉な反抗を演出した。
 日露戦争のとき、日露両軍が全兵力を投入した大会戦の戦い方を通して、将来の戦争と在郷軍人の関係に気づいた軍人の一人に田中義一がいる。
 その実戦の中で、常備師団に比べて後備師団は弱い。しかし、今後の戦争は在郷軍人が主体になる。なぜなら、来るべき戦争は総力戦であり、現役兵だけでは絶対に兵力が足りない。数倍の在郷軍人が召集されなければならない。それは補充のレベルではなく、従来の後備師団が逆に主体にならなければならないというものだ。そのためには訓練と戦意が大切であり、国民の支持が絶対要件である。田中義一は、在郷軍人会の組織と経営に熱意をもった。
 在郷軍人会は会費収入を期待できなかった。軍隊生活を除隊した経歴の在郷軍人には、心底から貧乏くじを引いた思いがある。表面上、いかに光栄ある国家の干城と言われても、入営中、出陣中の家計・生活上のマイナスはたしかなこと。したがって在郷軍人会が成立しても、事業にみあうような会費を出してまで会員になる在郷軍人は、まずいない。当初から、町村の有志の援助をあてにした集団だった。
 日露戦争後、帰郷した在郷軍人のモラルにはよい評価を与えられなかった。兵隊あがりという蔑称さえつけられた。そして、在郷軍人の半数以上が一種の詐欺的行為にあり、委任状を渡して年金を他人にとられていた。
 米騒動(1918年、大正7年夏)に参加した在郷軍人は多く、刑事処分を受けた人の
12.1%を占めた。このことに在郷軍人会は驚愕した。工場でのストライキ、そして農村で起こった小作争議でも指導層にも在郷軍人が多かったからだ。騒動や争議は社会不安につながったが、下層民の社会的力量を押し上げもした。在郷軍人は、広く考えると、この下層民の押し上げにも乗っていた。
 在郷軍人という基盤の上に立った在郷軍人会は、当時の組織された民衆としては最大のものであり、普通選挙が実施されたら最大の選挙民になる可能性があった。この大正デモクラシーに対しては、軍全体で、その風潮に対抗する措置がとられた。それほど大正デモクラシーは、在郷軍人にも大きな影響を及ぼした。在郷軍人会自体も民主化に対応しなければならなかった。
 在郷軍人会本部が大正末期につくった悪思想退治のレコードを紹介します。野口雨情の作詞、中山晋平の作曲です。
 狭い心で世の中渡りゃ、マルキシズムにだまされる。マルキシズムにだまされりゃ、可哀想だが心が腐る。
 なんと恐ろしい偏向した歌でしょう・・・。怖いですね。
 日中戦争の大動員が始まると、質的にも量的にも、国防婦人会の役割が急上昇した。出征兵士の見送り行事には決定的な役割を果たし、不可欠の要素となった。
 作戦本位の軍部も、国民の支持に頼らなければならなかった。国防婦人会の見せるパフォーマンスの威力は、日本全国をゆるがせた。これは軍部の予想しなかったことであり、慌てた。
 逆に、在郷軍人は、もはや銃後の構成員とは言えなくなった。大動員によって、在郷軍人会の社会的活動は大幅に後退せざるをえなくなった。
 1937年中に動員された兵士は93万人に達した。現役兵は33万6千人に対して、開戦後の召集兵は59万4千人。これらの召集兵は、充員召集であれ赤紙召集であれ、在郷軍人である。
 日中戦争では、たしかに在郷軍人の大量動員で数量的には在郷軍人が主体となった。しかし、出来上がった形に軍は動揺した。在郷軍人の質が問題だ。特設師団は戦闘主力として使えるのか。未入営補充兵をどのように訓練して戦闘にまにあわせるのか。当惑が渦巻いた。
 特設師団は編成・素質不良にて、訓練の時間なく、幹部の死傷者が多いのは、近接戦闘において自ら先頭に立たないと兵が従わないため。
 日中戦争途中の帰還兵を待っていたのは、きわめて冷たい出迎えだった。派手な出迎えはしない。歓迎会は禁止、楽隊は絶対禁止。軍紀を基準にした言動調査で、盛り上がりつつある銃後の戦意昂揚に水をさすような実践談をされては困るのだった・・・。
 戦場の実態について、美談や大和魂でしか伝わっていない国民のなかに、戦場の実態が赤裸々に語られるマイナスが当局の心配事になった。戦場における兵たちの軍紀の乱れを国民に知られないようにする必要があった。
 1941年(昭和16年)の関特演(関東軍特殊演習)による秘密動員については、暗い秘密動員として記憶された。つまり、夜中に誰にも気づかれないように普段着を着て、召集場所に集まるようにとのことだった。この秘密大動員は、軍に士気の衰えを感じさせた。高揚するかと思われた国民の気持ちを萎えさせるように働いたのだった。
 在郷軍人会は、徴兵制を維持し、国民の支持を得るための最大の地域組織だった。
 十分に本書を理解できたという自信はありませんが、読んでいて、とても納得感のある本でした。
(2009年11月刊。2800円+税)

後藤田正晴と矢口洪一の統率力

カテゴリー:司法

 著者 御厨 貴 、朝日新聞出版 
 カミソリ後藤田。そして、ミスター司法行政。団塊世代の私にとって、この二人は、「敵」陣営のカリスマ的ご本尊でした。でも、今の若い人には、どれだけ知られているのでしょうか・・・・? 
 後藤田正晴は、東大法学部を出て警察庁長官になり、その後は内閣官房副長官となったうえ政治家となって、内閣官房長官から副総理まで歴任した。
 矢口洪一は京大法学部を出て、裁判所に入ったものの、裁判所の中では「裁判をしない裁判官」として司法行政一筋に歩んだ。最高裁判所事務総長から最高裁判所長官になり、ミスター司法行政と呼ばれるほどのプロになった。
矢口は、裁判の本質は精緻な判決を書くことにあるわけではない、と言う。
 後藤田は、常識さえあれば勤まるのが警察だ。秀才はいらない。秀才はかえって邪魔になる。性格が偏っているやつも邪魔だ、と言った。警察は、軍隊のような先手必勝ではない。後手(ごて)で、先(せん)を取るところ。後手で必勝は情報だ。
 矢口はこう断言する。
 今までの日本は、法律にのっとって物事をやってはいなかった。だから、裁判所が軽い存在なのは当然のこと。
 矢口は、最高裁事務総局に20年間もいた。ミスター司法行政と呼ばれる所以です。
 警察での中での出世のカギは会計課長と人事課長である。この二つをつとめた者が官房長になる。会計課長が政治家との関係が深くなる。このとき、後藤田は田中角栄との関係が深くなった。
 裁判官には、まともな人や普通の人はならない。少し偏屈な、そういう人間が裁判官になる。あれは、会社員とか行政官は、ちょっと無理だな、そんな人がなる。これが矢口の考えである。まことに、そのとおりだと私は思います。これは36年間の弁護士生活の体験にもとづいて断言できます。
 後藤田正晴と矢口洪一は同世代の人間として、私的にも家族ぐるみで交際していた。そして、裁判官に対するいろいろな行政上の問題について、矢口洪一は、いちいち後藤田正晴の了解をとっていたというのです。これには、驚きましたね。ええっ、なんと言うことでしょうか・・・・。司法の独立なんて、これっぽっちも矢口洪一の頭の中にはなかったのでしょうね。
それにしてもオーラル・ヒストリーというのは大切な手法だと思いました。元気なうちに内幕話を聞いておきたい人って、たくさんいますよね。そのうちに・・・・、なんて言ってると、相手が亡くなったり、こちらが忙しくて問題意識がなくなったりします。思いついたときにやるのが一番なのです。そうは言っても、ままならないのが世の中の常ではあります・・・・。
(2010年3月刊。2200円+税)

微生物の不思議な力

カテゴリー:生物

小幡 斎・加藤 順子 著 、関西大学出版部 出版
 まことに生き物というのは不思議なものです。信じられない悪条件の下で、綿々と生き延びている生き物がいるのに驚きというより、圧倒されてしまいます。
 たとえば、フィリピン海溝の深度1万メートル、1000気圧の水圧のかかっている堆積物に細菌が棲んでいます。1000気圧で増殖する好圧性の細菌がいるのです。
 そして上空です。ジェット機の飛んでいる10キロメートルほどの上空にも、1立方メートルあたり1~2個の密度で、微生物が生息している。
 地球上の微生物として32億年前の化石が見つかっている。そして、この微生物は、他の惑星から飛来したのではないかと考えられている。うへーっ、こ、これではUFOではありませんか。宇宙には地球上のほかにも生物がいるのは間違いないようです。でも、やたらと接触したら、きっとお互いに生命の危機なのでしょうね・・・・。
 地球上で、カビは微生物の36%を占めていて、その種類は少なくとも10万種類になる。ふむふむ、じとーっとして気持ちの悪い梅雨も、もうすぐやってきます。そのとき、カビが大活躍して困るのです。
 草食動物は、草ばかり食べて、タンパク質はほとんど取っていない。しかし、牛の胃袋の中には、多くの微生物が棲んでいて、その微生物が草を分解消化し、必要なアミノ酸を得ている。
天然ガスを栄養源として微生物を増殖し、その微生物タンパク質を食料に転換できたら、食糧不足の心配は解消される。
 生物の多様性を認識できる本です。
 
(2010年3月刊。2400円+税)

キムラ弁護士、小説と闘う

カテゴリー:社会

著者:木村晋介、出版社:本の雑誌社
 私の敬愛するシンスケ先生の最新作です。この本を読んで、私は早速、3冊の本を注文しました。読書中毒症の私は、他人(ひと)が素直に面白いと言ってすすめている本はなるべく読むようにしているのです。
 書評でもない、評論でもない。裁判記録を読むように小説を熟読玩味する、キムラ弁護士ならではの面白小説論。
 オビに書かれた、このキャッチフレーズのとおりの本でした。
 いやはや、よくぞここまで読み尽くし、また書き尽くしてあるかと、ほとほと感嘆・感動、感銘を受けました。
 たくさんの本がとりあげられています。年間500冊以上の読書量を誇る私ですが、その大半は読んでいない本でした。というより、読んだ本は何冊かしかなく、我ながら不思議に思ったほどです。
 シンスケ先生は「月光仮面」にあこがれ、「ペリーメイスン」をみて弁護士を志したということです。「月光仮面」をみたのは私が小学生のころです。まだ我が家にはテレビがなくて、よその家で見せてもらっていたように思います。
 近くの銭湯には、奥の居間にテレビがありました。内風呂はありますが、銭湯を利用しないとテレビをみせてはもらえませんので、銭湯に入ったこともありました。
 紅白歌合戦の何日か前、テレビがついに我が家にもすえつけられて大喜びしたことを思い出します。
 「ペリーメイスン」は、日曜日の午前中に放映されていた記憶があります。私の実家は小売業の酒屋でしたから、毎月1回、掛け売りの集金と空き瓶の回収に社宅をまわりました。そのとき、テレビで「ペリーメイスン」をやっていて、見れないのが残念だと思っていました。
 シンスケ先生、これからも落語とあわせて書評にもぜひ健筆を奮ってください。
(2010年2月刊。1600円+税)

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