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生き物たちの情報戦略

カテゴリー:生物

 著者 針山 孝彦、 化学同人 出版 
 
 南極、マイナス35度のなかで生きる昆虫、スプリングテールは、冬期に車のラジエータに入れるような不凍液を身体に蓄えるしくみをもっている。その不凍液はグリセロールというもので、そのおかげで凝固点が降下し、凍ることがない。
 南極に基地に入ると、初めにサバイバル・トレーニングをする。実際に自らクレバスに落っこちる。40メートルのロープをつけて、氷の割れ目のクレバスに落下する。周囲は青一色の世界となる。クレバスの奥は真っ黒の世界。このクレバスから、ロープをたどって脱出するのではなく、氷の壁に挑戦して自力で脱出する訓練が課される。右手にピッケル、左手にアイスピックを持って、足にはクランポンの金属が靴先に飛び出している。こんな、氷に張りつける道具を準備していても、いくら両手をふり回し、足をバタバタさせても、柔らかい氷の結晶がついた壁は脆い。大汗をかいて努力したものの、ついに力が尽いて、そして張りあげてもらった・・・・。うへーっ、こ、これは怖いですよね・・・・。
南極の寒地では、白夜があるため、日中とほとんど変わらない明るさがある。そのため睡眠障害が起きやすい。この問題を解決するため、基地のなかでは、全員が規則正しい生活を心がける。朝食も夕食もバイキング形式で食べ放題だが、朝は午前7時、夕方は6時に、それぞれ1時間のあいだに全員が一堂に会して食事する。夕食のあとはアルコール。基地のバーが開店して、1杯100円で世界中の高価なお酒が飲める。南極では酒税がかからないので、とても安い。飲みすぎを防ぐためにお金をとるだけ。やっぱり、飲みすぎず、また気分転換を図るって大事なことですよね。
 コンピューター・シュミレーションによって、一世代に一つの突然変異が起こったとすれば、数十万回の世代交代によって、平らな皮膚のような構造からレンズをもったカメラ眼まで形態変化することが証明された。つまり、眼の形成までに1億年かかったとしても、エディアカラ紀の運動性をもった個体群が眼の形成を開始していたら、カンブリア紀に突然、眼ができても不思議ではない。ふえーっ、そんなんですかね・・・・。
 光線に色はない。これはニュートンの言葉。色とは、三種の錐体細胞が下界にある光のスペクトルによって別々に興奮させられ、その興奮の比率が脳に伝わる信号の状態のことをいう。光線が錐体に含まれる光受容細胞に吸収され、細胞が興奮して情報を脳に伝達し、三種の興奮も組み合わせが色という情報に変換される。生物が情報を作っているのである。 
 日常生活においては、すべての物に色がついているわけですけれども、実は、色なるものは、その物に付着しているというわけではないということが、どうにもぴんときませんね。
いずれにせよ、南極からアフリカまで、世界中のいたるところに生活して、生き物とは何かを探求してやまない学者の努力には脱帽せざるをえません。
 
(2007年9月刊。1800円+税)
 梅雨が明けると炎暑の夏が到来しました。車の温度計で38度が表示されているのを見て、計器が暑さで狂ったのかと思ったほどです。しばらく走っても35度でした。熱中症のため、お年寄りが何人も亡くなられています。私も庭仕事をするときには、いつも以上に休み休みし、また水分補給に心がけています。
 夜、寝る前にはベランダニ出て天体望遠鏡で就き世界を見るのが楽しみです。夜風に吹かれて身体を覚ましてくれるのもちょうどいいし、異次元の世界をのぞくうれしさがあります。

源氏物語とその作者たち

カテゴリー:日本史(平安)

 著者 中村 亨 、文春新書 出版 
 
  弁護士になって、浮気や不倫・不貞は日常茶飯事であり、ありふれたことの一つでしかないことを痛感します。この36年あまりの弁護士生活において、不貞にからむ事件が絶えたことはありません。金銭貸借をめぐるトラブルと同じように、申し訳ありませんが弁護士にとってのメシのタネの一つです。
 この体験からすると、不貞行為は日本人の本性に深いところで根づいているものではないかと思わざるをえません。源氏物語は、そのような日本人の心性の始まりを文学的に描いた作品ではないでしょうか。つまるところ、男女の浮気、不貞、不倫を奨励するかのような話のオンパレードなのですから・・・・。
そして、著者は、源氏物語の作者は紫式部一人ではなかった、多くの読者が書き写しながら勝手に書き足していった集大成なのだと主張しています。
 今のように、活版印刷による本なんて当然なく、すべては人の手によって書き写していた時代ですから、写し間違いだけではなく、故意に書き足し、書き落としがあったのでしょう。また、それは避けられないことでした。だって、誰にせよ、どれが原本(正本)なのか、分かるはずがなかったのですから・・・・。
 源氏物語が、必ずしも「いづれの御時にか」から書き出されたとは限らないという考えは昔の人も持っていたらしい。紫の上につながる話は紫式部の原作であり、玉鬘(たまかずら)系の巻々は複数の別人の筆になるものだろうと考えられている。
 うむむ、そうなんですか・・・・。
 読者はすぐに作者になることにためらいのない時代であった。・・・・えーっ、そうでしたか・・・・。藤原頼通も源氏物語の作者のひとり、少なくとも作者たりえた存在である。
 ふむふむ、そのように考えられるのですか・・・・。これだから歴史物の本を読むのはやめられませんね。固定観念がうちこわされてしまう面白い本でした。
(2010年3月刊。770円+税)

天空の星たちへ

カテゴリー:社会

著者:青山透子、出版社:マガジンランド
 日航123便、あの日の記憶というサブ・タイトルがついています。今から25年も前のことになります。1985年8月12日、日航ジャンボ機が墜落して乗員乗客520人が亡くなり、生存者は4人でした。
 著者は元JALスチュワーデスです。あの不可解な事故がきちんと解明されていないという叫び、そして、今の破産状態にあるJAL体制は安全運航が確保されているのか、深刻な疑問を投げかけています。
 新任のスチュワーデスのとき、言われた言葉。緊張が顔に出てはいけない。安心感を与えることが、乗り物への恐怖心をもつ客にたいして不可欠のこと。自分が不安がってはいけない。そうなんです。でも、言うは易し、行うは難しですよね。
 123便のスチュワーデスが、異常事態が発生したあとも客を冷静にしようと努めていたこと、最後まで自己の使命をまっとうしようとしたことがボイス・レコーダーに残っている。同時に、亡くなった乗客のとった写真(1990年になって初めて公開された)にも明らかである。なるほど、この機内の写真によると、乗客は全員が着席していて乱れておらず、また、みなマスクを顔に着けています。 
 上下関係の厳しさは、本気度のあらわれである。とくに機内では、指揮命令系統がしっかりしていないと、いざというときに対応できない。同じ空で働く者同士が責任をもって育てないと、自分も危ない目にあってしまう。
 著者は、自らがJALのスチュワーデスであった体験をふまえて、日航123便事故を報道した当時の新聞記事を逐一検証していきます。
 アメリカで尻もち事故を起こしたという隔壁破壊が墜落の原因だとすると、客室内を爆風が吹き抜けることが前提条件となる。そして、爆風が吹くほどの急激な減圧となると、乗客の耳は聞こえなくなり、航空性中耳炎となる。しかし、生存者4人は、救出直後からインタビューに答えている。つまり、鼓膜は破れていない。どうも違う・・・。
 覚悟を決めた機長は、どーんといこうやと周りを安心させ、自分の腹をすえた。その状況から逃げないで、最後まで役目を果たす。それが究極のプロ精神なのだ。機長は、まったく意のままに動かない巨大な宙に浮く塊を必死に操縦していた。
 しかも、本書が初めてではありませんが、アメリカ空軍の中尉が墜落の20分後には墜落地点に到達し、その通報を受けて夜9時5分には海兵隊の救難チームのヘリコプターが現場に到着したということです。ところが、このヘリコプターはなぜか現場に降り立つこともなく、厚木基地に戻っています。
 生存者4人が発見されたのは、それから実に12時間後のことです。生存者は、自分の周囲に、まだ生きている人は他にもいたと語っていたのです。
 そして、生存者を発見したのは、地元の消防団であり、自衛隊ではありませんでした。
 ヘリコプターで生存者を救出する場面ばかりが有名ですが、実は、アメリカ軍も自衛隊も、徒歩で山に分けいった地元の消防団に「遅れ」をとったのです。
 それは意図的なものだったかもしれない・・・。考えさせられるところです。
 今から25年前に起きた事故ではありますが、日本の空の安全を考えるうえでは欠かせない本の一つだと思います。なにしろ、私など、月1回以上は飛行機に乗っていますので、安全性こそ最優先してほしいと切望します。
(2010年5月刊。1429円+税)

1968年(下)

カテゴリー:社会

著者:小熊英二、出版社:新曜社
 下巻だけで1000頁もある大部な本です。いやはや、なんとも大変な労作です。上巻は私も大学生のころに少しばかり関わっていました東大闘争のことが触れられていましたので一気に読了しましたが、下巻はベ平連とか連合赤軍事件など、ちょっと遠い存在でしたので、さすがに読了するのに時間がかかりました。
 1968年10月の新宿駅騒動は学生だけでなく、多くの青年労働者が加わった。
 当時の東京には、地方からやってきた青壮年男性が突出して多く、娯楽のない彼らは闘争現場に見物に出かけ、ときには腹いせに警官や機動隊に対して投石までした。
 娯楽の乏しい大都会でのハプニングに飛び込んでいった労働者群がいたということです。これは、私自身の実感でもあります。学生セツルメント運動として、青年サークルを組織するという活動をしていましたが、テレビのほか娯楽のない青年労働者が町のあちこちにごろごろしていました。ですから、河川敷でソフトボール試合をしたり、町内会館を借りてフォークダンスなどをすると、若者たちが集まってきました。オールナイト・スケートや早朝ボーリングも流行していました。
 10月21日の群衆に、ただ騒動を見物にきたヤジ馬が多かったことは明らかだった。新宿事件の群衆は、一過性の破壊行為を行っただけで、そこからは何も生まれなかった。
 1969年9月、京都大学の全共闘による時計塔の封鎖は機動隊が導入されて解除された。このとき籠城していた学生は、わずか8人だった。
 奥田京大総長(当時)の証言によると、機動隊の導入はセクト主導の京大全共闘の依頼だった。
 わずか8人しかいないなら、京大の民青に頼めば簡単に排除できた。しかし、全共闘が民青の行動隊に排除されるのは絶対に承服できない。だけど警察ならやむをえないと大学に要望してきたからだ。時計台にはセクト名を大書した旗や横断幕が掲げられ、我がセクトが国家権力と勇敢に闘ったというアピールがなされた。こんな内情バクロ話を聞かされると嫌になりますよね。
 全共闘運動の内実は、日大全共闘を除いて、ひどいものだった。大学のバリケードは、あまりに空虚な退屈におおわれていた。
 社会に出て徹底してやれると思うのは幻想であるから、大学の中では徹底してやるという。大学が特殊な逃げ場に使われている。結局、彼らは企業にとりこまれるだろう・・・。
 1969年の全共闘運動は、参加した学生の主観的なメンタリティの真剣さはともかく、若い学生が就職前の祝祭として楽しむ流行に堕していた側面がなかったとはいえない。
 元全共闘運動に参加していた人のうち、運動から離れた主因の1位は内ゲバであり、2位は連合赤軍事件だった。連合赤軍事件については、あまりにも悲惨かつ陰惨な事件なので、私のようにまったく無縁な人間にとっても、あまり直視したくはない事件です。ただ、この本を読むと、この連合赤軍事件が、思想性に起因するものなんかじゃないし、総括するにも価しない事件だと当事者の一人が語っていることに、少しだけ救われた気がしました。
 赤軍派にオルグされた学生が当時の心境を次のように語ったというのを知って、びっくり仰天しました。
 東大の入試が中止された。政府の危機である。だから、政府の危機を政治の危機に。このスローガンに共鳴した。革命の現実性はある。少数者革命は可能かもしれない。
 うへーっ、東大入試の中止が政府の危機だなんて、当時、私は考えたこともありませんでした。むしろ、権力は余裕をもっていて東大をぶっつぶし、もっと管理しやすい大学をつくろうとしていると思っていました。
 いまや作家として名高い北方謙三は、私より一つだけ年長であり、中大全共闘の活動家でした。北方は、よそのセクトに捕まって、すぐに自己批判してしまいました。そのときの屈辱の傷がずっと尾を引いて、その後は圧力や恐怖に屈せずに闘う男たちを描くハードボイルド小説を書き続けているという著者の指摘には、なるほど、そういうことかと思い至りました。
 赤軍派は出発点から内ゲバやリンチと不可分だった。そして、公安警察は、赤軍派の事情を詳細に知っていた。1969年11月5日、大菩薩峠に集まった赤軍派53人は、  100人の公安と288人の機動隊員によって全員が逮捕された。このとき、「福ちゃん壮」には、公安刑事が内偵していただけでなく、スクープを狙った読売新聞の記者まで泊まりこんでいた。なんということでしょう。テレビで再現現場を観たことがありますが、ここまでくると悲惨というより、喜劇ですね。
 森恒夫は、赤軍派がブントと内ゲバしたときに逃亡して、大阪の町工場で板金工として働いていた。それを見つけ出して復帰させたが、森自身は自分が逃走した負い目から過激な闘争方針を出すようになった。
 森は、人から強く言われると迎合する。信念のなさ、困難を避けようとする小心者の森が赤軍派の最高指導者になったのは、他のすべての幹部が去ったためだった。
 赤軍派のいう「処刑」は、「首相官邸占拠」や「世界同時革命」などと同じく大言壮語の一種で、本気で殺す気などなかったと思われる。だが、永田洋子や坂口は森の言葉を本気で受けとってしまった。大言壮語のわりには実行はいいかげんな関西ブント気質を受けつぐ赤軍派と、生真面目な革命左派の気質の相違が、悲劇を生んだ。
 森の大言壮語に革命左派が煽られて処刑を行った。だが処刑後は、森は革命左派に劣等感をもち、理論的な優位だけでは革命左派を吸収合併できないと考えるようになり、処刑や「せん滅戦」を部下に叱咤するようになった。いわば、両派は互いに煽りあうようにして悪循環に入っていった。
 森と永田は、自分の身を守るため、逃亡や反抗の恐れがあるとみなした人間を、口実をつけて「総括」していったのではないか。
 連合赤軍事件の遺体の発掘は、前日に予行演習が行われ、一度掘って死体を確認し、その後をもとどおりにしておいた。記者席まで設定されているところで、死体が掘り出された。ここでも、警察のショーが演じられていたのですね。これもまた、おぞましいことです。そうやって警察は国民を誘導していたのです。
この警察の演出は、見事に成功した。リンチ死の報道は新左翼に大打撃を与えた。
 いえ、新左翼だけではないでしょうね。左翼全般に対して、格別の思想をもっていると、こんなところに帰着することになるんだぞ、ということで、スターリンのテロルを連想させる効果もあったように私は思います。これで社会の雰囲気がぐっと変わりました。
 この事件を機に運動に失望し、手を引いた若者は少なくなかった。
 連合赤軍事件の原因は何だったのかとか、無理に総括しようとしても、ろくな結論なんか出てこない。何も出てこないという当事者の意見に著者は賛成しています。
 なるほど、そうなのかなと私も思います。
 理想とか倫理とか正義を動機としてリンチ殺人事件があったわけではないことを著者は強調していますが、恐らくそのとおりだと私も思います。それにしても、今にも強い影響の残る重大な社会的事件でした。
 1968年から69年に起きた社会現象を振り返って考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれる本だと私は思いました。
(2009年8月刊。6800円+税)

時効捜査

カテゴリー:警察

著者:竹内 明、出版社:講談社
 警察庁長官狙撃事件が起きたのは1995年3月30日の朝。そして15年たった今年、2010年3月30日に公訴時効が成立した。
 警察トップが狙撃され、日本警察のメンツがかかっていた事件で、警察は犯人を検挙することが、ついに出来ませんでした。この事実の前に、何人と言えども、もはや日本の警察は世界一優秀だなんて言うことは許されないでしょう。
 警視庁本部庁舎14階、最高の眺望を誇る区画には公安部幹部が陣取っている。皇居を望むエリアには、公安部長(キャリア)、公安部ナンバー3にあたる部付(ノンキャリア)、筆頭課長である公安総務課長(キャリア)が執務室を構える。ナンバー2である参事官(キャリア)は公安一課長(ノンキャリア)とともに、桜田通りを見おろす窓側に個室を持つ。公安捜査員は1200人いる。いやはや、大変な人数です。それでも、無能だとのそしりを免れません。共産党の合法ビラ配布の尾行捜査は得意のようなんですがね・・・。
 国松長官は狙撃されて死線をさまよっている状況にあった。このとき、警視総監の井上幸彦(昭和37年入省)は、公安部をモトダチ(捜査の中核となる部署)とした。刑事部と公安部の捜査は、警視総監が一元化する。オウムとは全庁あげて闘うという井上総監の主張に、一期下の関口警察庁次長は異論を封じ込められた。現場での捜査経験のないまま公安部の幹部ポストに就任する警察キャリアが捜査に首を突っ込んで方向性を示してしまうと、真実とはかけ離れた事件の構図を作り出してしまうことがある。
 うへーっ、これって恐ろしいことですよね。そしてまた、これって警察キャリアの存在意義を否定するものでもありますよね・・・。
 この事件では、オウムの信者である公安警察官が犯人として執拗な取り調べを受けました。その点について、次のように指摘されています。
 ヨコガキの世界に生きてきた公安捜査員の弱点が露呈した。ヨコガキとは、供述内容をまとめた取り調べメモや捜査報告書のこと。つまり、刑事事件の捜査で作成する「タテガキ」すなわち司法警察員面前調書の書き方など、刑事訴訟法にもとづいた手続を学ばずにきた公安幹部が、刑事事件捜査を進めることになったとき、その弱点を露呈してしまった。刑事警察と公安警察の違いは根深いものがあるようです。
 「現場警官が国松長官狙撃を供述」と新聞に大々的に報道した。しかし、このとき警察庁は警視庁に対して激しく怒っていた。
 刑事と公安の捜査員の気質は違う。刑事は捜査方針をめぐって上司にかみつくことも辞さない。信じるべきは現場に残された証拠のみ。
 公安の指揮官は現場の捜査員に余計な情報をインプットしない。公安捜査員は捜査の全体像を求めることなく、与えられた任務のみに機械のように没頭し、与えられた範囲内で任務を着実に遂行しようとする。公安は組織を重んじ、個人の意思は存在しない。情報を獲得し、上司の命令に忠実に働く者が評価される。
 時効完成の翌日、警視中は「捜査結果概要」なるものをインターネット上に掲載した。前代未聞の行動である。そこでは、「オウムの犯行であると認めた」と明記されている。しかし、これは、司法手続をまったく無視したものであり、警察権限を無視した暴挙としか言いようがない。
 まったくもって、そうですよね。私は、オウム教団を擁護するつもりなんて、まったくありませんが、警察が、立件できなかったくせに「犯人はやっぱりあいつだ」なんてインターネット上で言うなんて狂気の沙汰です。これでは、裁判なんて不要だということ、つまり私刑の世界に逆戻りしたことになってしまいます。
 それほど警視庁(公安部)の実力低下と、それによる不安感を裏づけるものはありません。ですから、警察のためにも残念な行為だったとしか言いようがありませんよ。
(2010年4月刊。1900円+税)
 白いアサガオの花が咲きました。純白無垢で、すがすがしさを感じます。アサガオには黄色い花が無いそうですね。黒いチューリップや青いバラがないのと同じのようですが、植物にも色との相性があるわけなんでしょう。これも自然界の不思議です…。

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