法律相談センター検索 弁護士検索

考える粘菌

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 中垣 俊之 、 出版 ヤマケイ文庫
 タンパク質分子は、ブラウン運動によって常に激しく小刻みに揺れ動いていて、細胞の端(はし)から端まで数十秒ほどかけて移動する。これは、小ホールの中に満たされたおびただしい数のグリーンピースがすべて振動しながら、数十秒で端から端まで移動する様子を思い浮かべる、そんなイメージ。いやあ、そんなイメージはちょっと出来ませんよね…。
 単細胞には脳がない。だからどうやって情報処理をしているのか…。一般に、生物の情報処理は自律分散的。
 この本のテーマは粘菌。粘菌は数百種類もいる。アメーバには性がある。そして接合する。ところが、性は2つ以上ある。うぬぬ、性が2つ以上あるとは、一体、どういうこと…??
 粘菌にオートミールを餌(えさ)として与えたとき、絶食させたあとと満腹してからでは、食いつき方がまるで違う。なので、単細胞だって人間と同じ生き物だということが分かる。
 そして、粘菌にも歴然とした好みがある。最も好むのは、有機栽培の、オーガニックのもの。タバコの煙も好まない。
 粘菌は紫外線を浴びると危ないので、すぐに逃げ出す。
 生きものの賢さの根源的な性質を調べるためには、粘菌という生物は、またとない、すぐれたモデル生物。
粘菌を迷路実験すると、粘菌には迷路の最短経路を求める能力のあることが判明する。
 人間の脳のなかにも司令官のようなものは存在しない。誰かが全体を見張っていて、それぞれの管に指令を出しているわけではない。
 粘菌は、決して人のようには考えていないにもかかわらず、結果だけ見れば、あたかも考えたかのように見える。考えていないのに、粘菌は考えている、と言える。うむむ、なんだか分かったようで、分からない表現です。
 いやはや、生物の世界も不思議に満ちていますね…。
(2024年1月刊。880円)

徳川幕閣

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 藤野 保 、 出版 吉川弘文館
 江戸幕府は一見すると盤石(ばんじゃく)のようにみえて、その内情は武功派と官僚派の抗争、そして、先代に仕えていた人たちと新しい主(あるじ)の周辺との抗争が絶えることはなかったようです。まあ、当然といえば当然の現象です。
 私は、当初の内部抗争といえば、なんといっても石川数正の出奔を思い出します。家康を支えていた両組頭の1人(もう1人は酒井忠次)が、いわば敵方の秀吉の下に逃げ込んだのですから、家康のショックはきわめて大きかったと思います。それにしても、石川数正も、よくよくの決断だったことでしょう。
 石川数正が家康の下から秀吉方へ出奔したのは1585年11月のこと。関ヶ原の合戦(1500年)のわずか15年前のことです。徳川氏の軍制の機密が秀吉にもれてしまうことを家康は心配したといいますが、当然でしょう。家康は直ちに徳川軍政を改革しました。
 家康は、石川数正と並ぶもう一人の酒井忠次に対して、「お前でも子どもが可愛いか」と最大の皮肉を言ったということが紹介されています。
 家康が長男の信康を妻の築山殿とあわせて殺さなければならなくなったとき、酒井忠次が織田信長を恐れて、2人の助命のために動いてくれなかったことを恨んでの皮肉だったというのです。なるほど戦国から江戸時代にも、そんな意識があったのですね…。
 この本では家康の側近には4つのグループがあったとされています。
 第1は、武士たちのグループ、第2は僧侶と学者のグループ、第3は豪商と代官頭のグループ、そして、第4グループとして、外国人のグループがあったとしています。外国人とは、イギリス人のウィリアム・アダムス(三浦按針)と、オランダ人のヤン・ヨーステンです。
 第1グループのうち、本多正信と子・正純の親子に対して秀忠側近は反感を抱き、ついには対立したというのです。いつの世も変わりませんね…。
 本多正信と大久保忠隣の対立のなかで、正信が勝利したのは、門閥譜代に対する「帰り新参」譜代の勝利、そして武功派に対する吏僚派の勝利を意味した。これによって武功派は、幕政の中枢からまったく姿を消してしまった。
 二代将軍の秀忠はその晩年までに41人もの大名を改易(かいえき)した。外様(とざま)大名が25人、徳川一門、譜代大名16人。また、大名改易と並んで大名転封を強力におしすすめた。
 三代将軍の家光は、外様大名の「優遇」をきっぱりやめると宣言し、強力な大名統制を始めた。ライバルだった弟の忠長を改易し、ついに自害させた(忠長は27歳)。家光もまた秀忠と同じく大名の改易をすすめた。晩年までに49人の大名を改易した。外様大名29人、徳川一門、譜代大名20人である。
 鎖国は、諸大名を世界市場からひき離し、幕閣新首脳のめざす幕藩体制の仕上げに大きな役割を果たした。
 徳川幕府の骨組みを深く認識することのできる本でした。
(2024年2月刊。2200円+税)

八路軍(パーロ)とともに

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社
 ようやく改訂、増刷できました。
 モノカキとして書くのは楽しみですし、一冊の本にまとめるのは喜びです。でも、出来あがった本を売るのは大変です。書いているときは一人の作業ですが、本にまとめ、売るとなると、大勢の人の手を借り、たすけてもらわないといけません。もちろん、それが嫌やだというのではありません。本にするのは形として見えますが、売るとなると、まったく見えてこない作業になります。ベストセラーになれば、形が見えてくるのかもしれませんが、そんな状況は期待できませんので、ひたすら各方面に送りつけ、人の噂を高めてもらおうとするしかありません。
 その意味で、本書がなんとかかんとか増刷にこぎつけることが出来たのは、思いがけない人の助けがいくつもあったからです。ありがとうございます。
 なんとかして増刷したかったのは、いくつかの誤記はともかくとして、付加・訂正したいところがあちこちあったからです。その一つが、帝銀事件と七三一部隊の関わりです。
 青酸カリ化合物を扱う手慣れた様子から「犯人」とされた平沢貞通氏のような画家がやれるはずはないと思うのですが、GHQの圧力で、七三一部隊員の方面の捜査は中止させられました。平沢氏は長く獄中について、ついに無念の死を迎えてしまいました。
 この本の主人公の久は関東軍の一兵士として敗戦時、鉄嶺にいましたが、のちに柳川市長をつとめた古賀杉夫氏も満州国の高級官僚として鉄嶺にいたことを本人の著書で知りましたので、そのことを付加しました。
 八路軍から逮捕命令が出たのを知って、満鉄の掃除夫になりすまし、機関車のうしろの石炭車の上に腹ばいになって逃げたというのです。逃げ遅れた日本人の高級官僚13人は河原で銃殺され、その遺体は無惨にも野犬に食い荒されたとのこと。
 古賀杉夫元市長の息子は古賀一成元代議士であり、大学の同級生でもあります。
主人公の久たちは八路軍とともに満州各地を転戦しますが、そのとき、「西の蒙古方面行きのワンヤメヨウ線」に乗ったとしました。「ワンヤメヨウ」とは何か分からなかったのです。満州に詳しい人に照会して、「王爺廟」と漢字で書くことが分かり、白温線という路線だということも判明しました。何事にも先達がいるものです。
 八路軍の百団大戦によって日本軍の拠点が次々に撃破され、両親を亡くした4歳の女の子が八路軍に救出され、日本軍に送り届けたというエピソードを紹介しています。その女の子(栫美穂子)が郷里の宮崎で無事に成人していたのが探し出され、救出した八路軍司令の聶(じょう)栄瑧(えいしん)将軍(80歳になっていました)と北京の人民大会堂で再会したという話です。この女の子の父親がつとめていたのは、井陘(せいけい)炭鉱駅でした。
 満州(中国東北部)をめぐる国共内戦の最終段階にあった錦州改防戦のとき、圧倒的不利を悟った国民党軍の司令官が八路軍に投降してきたとき、八路軍はどうしたか…。八路軍は捕虜に温かく接し、場合によっては旅費まで与えて釈放していたのですが、この司令官と家族を大八車で荷物とともに護衛つきで北京まで送り届けたというのです。このことが広く知れ渡ると、北京・天津にいた国民党軍は戦意喪失・投降する将兵が続出し、双方の死傷者が少なくして決着ついたというのです。
歴史の真偽を知るのはなかなか容易なことではありませんが、こんなエピソードをまじえて生きた歴史をもっともっと学び、生かしていきたいものです。
 ぜひ、この改訂・増刷分を購入してお読みください。ご協力をお願いします。
(2024年4月刊。1650円)

カワセミ都市トーキョー

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 柳瀬 博一 、 出版 平凡社新書
 この本によると、目が慣れると、東京都内はカワセミだらけだったというのです。驚きました。
 なので、著者は都内6ヶ所でカワセミを定期的に観察しているそうです。
カワセミが活発に活動するのは2月から6月のこと。この期間は、観察するため6ヶ所をぐるぐる回るので、大忙しなのです。
 カワセミがいるのは、川のすぐ近く、湧水のつくった水辺のある森の近く。そして、著者の結論は、カワセミは東京の未来のまちづくりの先生だということ。
 カワセミは、川のつくった流域地形に生息する生き物の一種として、世界中に分布している。アジア・ヨーロッパ全域から北部アフリカまで、生息域は広い。
 ただし、住む地形を厳格に選ぶ。水中の生物のみを捉え、川が削った崖に巣穴をつくるカワセミは水辺から離れることはできない。
 カワセミは、英語でキングフィッシャーと呼ぶ。ブッポウソウ目カワセミ科の一種、スズメよりひとまわりほど大きい程度。日本では、『古事記』に既に登場している。
 カワセミの餌は、魚やエビ、カニ、オタマジャクシなどの水生昆虫、1羽1羽がなわばりを持ち、繁殖期でないときには、オスとメスとでも縄張り争いをする。
 カワセミは、年に1度から2度、繁殖活動をする。
 カワセミは1980年代に入って、東京都内に少しずつ戻ってきた。公害対策の成果だ。
 カワセミのメスは下唇が赤い。カワセミを見つけるには、その白いウンチ跡があるのを見るのが一番。白いペンキを細く飛ばしたようなしみが何本も残っていたら、それはカワセミのウンチの跡なので、近くにカワセミがいた証拠。
東京のカワセミは、人が声をあげても、体を動かしても驚かないというほど、都会生活に適応(順応)している。カワセミ夫婦は、抱卵も餌狩りも、餌運びも役割分担せずに一緒にやる。完全な共働き。
カワセミは狩りをして、獲物を食べて、お腹が一杯になったら、お風呂に入る。羽を清潔にしておかないと生命にかかわる。カワセミの生活は規則正しい。
東京でカワセミが繁殖するための3条件とは…。
① 餌(えさ)となる水生生物が豊富にいること。
② 巣穴をつくる穴があること。
③ 十分な縄張りの範囲が確保されていること。
巣穴については、コンクリート壁の水抜き穴で子育てをしてるのは間違いない。
構造色のライトブルーの可愛らしい小鳥がカワセミです。我が家の近くの小川でも先日、見かけました。 はっとする、美しい鳥です。そんな小鳥が東京にわんさかいるとは驚きです。
(2024年1月刊。1100円+税)

絶滅危惧個人商店

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 井上 理津子 、 出版 ちくま文庫
 私は少し前まではコンビニなんて利用しないぞ、と決意していました。しかし、今では、コンビニ愛好者の1人になってしまっています。だって、コンビニではない個人商店が全然ないからです。否応がありません。
 商店街は、全国どこに行っても、昼間からシャッターの降りているほうが多く、残念ながらシャッター街になってしまっています。
 近頃、マチにはやるもの、コンビニ、ドラックストアーそしてコインランドリーです。町の様相がまったく様変わりしてしまいました。
 それでも、まだ健在な個人商店を訪れ、その歴史をたどっている本です。
東京の野菜市場は24時間営業なので、夜も営業をしている。そして、「先取り」という方法で真っ先にいいものを買い付けて確保することが許されている。
 千代田区神田に今もある豆腐店「越後屋」は、バブルのとき、地上げ改勢にあった。わすか23坪なのに、なんとなんと、5億円に始まり、7億、10億、15億、そして、ついに20億円近くまで買値が上がったとのこと。まさしく狂気の沙汰というほか、ありません。
 私の父は小売酒屋を営んでいましたが、税務署のニラみが効いていて、距離規制がありました。この本でわずか220メートルごとに豆腐屋の距離規制があるのを知りました。小売酒屋なら、酒税法の関係で少しは理解できますけど、小さな豆腐屋にまで距離規制があるなんて、信じられない思いがします。
 個人商売を大切にしたいものです。なんて言っても、もう遅いのでしょうね。
 私の小学1年生のとき、父が小売酒店を始めました。父は小企業で「長」として働いていましたので、庶民が客としてやって来たとき、頭が下げられませんでした。子ども心に、もっと「頭(ず)を低くしたらよいのにな…」と思って見ていました。
(2024年2月刊。840円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.