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ハーフ・ザ・スカイ

カテゴリー:アジア

 著者 ニコラス・D・クリストフ、 英治出版 
 
 世界のなかで女性の実情と展望を語った本です。そこで明らかにされる実情はあまりに暗く、悲惨です。読みすすめるのが辛くなる本でした。それでも勇気をふるって最後まで読み通したのですが、最後に元気の出る話があって少しは救われた気になりました。
逆説的なことだが、強制売春の数が飛び抜けて多いのは、インド、パキスタン、イランといった、もっとも束縛が強く社会の性規範が保守的な国々である。こうした社会では、若者はめったに恋人と寝ることはなく、売春婦で性的欲求を満たすことが容認されている。上流階級の少女は純潔を守り、若者は売春宿で満足を得るというのが社会の暗黙の了解になっている。
売春宿には、ネパールやバングラディシュ、インドの貧しい村から人身売買された奴隷の少女が送られてくる。19世紀の奴隷制との最大の違いは、現代の多くが20代後半までにエイズで死亡すること。
オランダは、2000年に、それまでずっと黙認されてきた売春を公式に合法化した。売春婦に健診と労働チェックを実施することによって未成年者と人身売買犠牲者の売春業への流入を阻止しやすくなると考えたからだ。
 スウェーデンは、1999年に逆のアプローチをとった。性サービスを買うことを処罰の対象とした。売春婦が身体を売ることは処罰の対象とはしなかった。これは、売春婦を犯罪者というより、被害者だと見ることにもとづく。その結果、スウェーデンでは、売春婦は5年間で41%も減り、セックス料金も下落した。
 オランダでは、非合法の売春婦は増え、性感染症やHIVも減ってはいない。
 難しいのは少女を売春宿から救い出すことではなく、売春宿に戻らせないこと。売春宿の多くの少女は、メアンフェタミン依存症になっている。
多くの売春婦は、自由に行動しているわけでなく、奴隷にされているわけでもない。その両極端のあいだのどこか、どちらともつかない世界の中に生きている。
人が神の名の下に行うことで、初夜に出血しなかったという理由で少女を殺すほど残酷なことはない。国連人口基金は、毎年5000件の名誉殺人があると推定する。名誉殺人の逆説は、もっとも厳格な道徳的掟をもつ社会が殺人という最大の反倫理的ふるまいを許容するところにある。
WHOは、2005年に、53万6000人の女性が妊娠中または出産で命を落としたと推計している。妊産婦の死亡の生涯リスクは、貧困国では欧米より1000倍も高い。ところが貧困国でも妊産婦死亡率の高さは不可避というわけでもない。スリランカでは女性の89%が読み書きできることが妊婦による死亡率を低めている。スリランカを見れば、妊産婦の死亡率を低下させるためには、家族計画、結婚を遅らせること、また蚊帳も役に立つことが分かる。
就学率を高めるうえで費用対効果の高い方法の一つは、寄生虫の駆除だ。寄生虫は年に13万人を死亡させる。貧血や腸閉塞が主因であり、貧血は月経(生理)のある少女に影響を与える。高校に通う少女を増やすためには生理(月経)の管理を手助けすること。
ルワンダは、コスタリカやモザンビークと同じように、国会の全議席の3分の1を女性が占める。アフリカでもっとも腐敗が少なく、成長がもっとも速く、最良のガバナンスをもつ国である。
 ルワンダで起きた大虐殺の結果、人口の7割を女性が占めた。国は女性の動因を余儀なくされた。男性は虐殺で信用を失った。女性のほうが虐殺への関与が少なく、殺人罪で投獄された加害者のうち2.3%しか女性はいなかった。女性のほうが責任感があり、虐殺行為に傾きにくいという認識が虐殺後に広く確立し、女性にいっそう大きな役割をまかせる用意が国全体に出来上がっていた。
 日本の株式市場で、女性社員の割合ももっとも高い企業は、もっとも低い企業と比べて50%近くも業績がいい。それは、女性を昇進させるほど革新的な企業はビジネスチャンスへの反応でも一歩先んじている。経済を活性化させたいなら、人材の金脈を埋もれさせ開発せずに放っておく手はない。
アメリカでは、今、ハーバード大学、プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学などの学長が女性である。このほか、フォード財団とロックフェアー財団の会長も女性だ。
全世界の人口の半分を占める女性を活用してこそ地球は救えるという呼びかけがなされています。私も賛成します。いろいろと考えさせられることの多い本でした。
(2010年10月刊。1900円+税)

土の科学

カテゴリー:生物

 著者 久馬 一剛、 PHPサイエンス・ワールド新書 出版 
 
 世界の土が紹介されています。動物や鳥が土をなめたり、食べたりするのはテレビで見て知ってはいましたが、人間も土を食べるところがあるのですね。私にとって、日曜日の午後からの庭づくりは土に触れあう貴重な機会です。昔の子どものころの泥んこ遊びを思い出して気分転換に絶大なる効果があります。不耕起農法というものがあり、とても良いということですが、私はせっせと庭を耕し、EM菌を混ぜた生ゴミ処理の産物を庭に投入し、またコンポストで落ち葉や枯れ草を肥料にしたものを混ぜ込んでいます。おかげで庭の土は黒々、ふかふかしています。そのためミミズは繁盛し、モグラが縦横に地下に道を掘り、ヘビが庭を徘徊しています。ヘビとの共存は困難な課題です。
 日本の水田面積は、昭和40年ころには300万ヘクタールをこえ、国土の総面積の9%を占めていた。ところが、今では、イネの作付面積は200万ヘクタールにまで減少している。日本の米消費量は減少し、100年前に1人1年間に130キログラムになっている。
 稲作技術は進歩して、単位面積当たりのイネ収量は2倍をこえた。
 イネを畑で連作すると、やはり障害が起きる。しかし、水田は、水を張る湛水時と水を落として畑の状態にするというように交替でつかうため、連作障害の原因となる病原性生物がはびこるのを妨げている。そのため水田の稲作に連作障害は起きない。
 うへーっ、そういうことだったんですね。今、わが家のすぐ下の田んぼは作り手が老齢のために耕作が放棄されてしまい、水を入れて水田になることはなくなって残念です。夏の蛙の大合唱が開かれなくなりました。うるさくて閉口してはいたのですけど、蛙がいなくなってしまうと寂しいものです・・・・。
 畑も畠も、いずれも日本でつくられた国家であり、中国の漢字にはなかった。
 アフリカのタンザニアでは、妊婦が土を食べている。日本でも昔、同じように妊婦が土を食べていた。タンザニアの市場で売られている土は白色と茶色の二つあるようです。写真が紹介されています。 
 たまには、土を知ってみるのもいいかと思って読んでみました。面白かったですよ。
(2010年7月刊。800円+税)

深重の橋(上)

カテゴリー:日本史(中世)

 著者 澤田 ふじ子 、中央公論新社 出版 
 
 ときは応仁の乱のころです。深重は、じんじゅうと読みます。すごいんです。すごいですね、作家の想像力には、ほとほと感嘆します。
 15世紀、一条兼良(かねら)が活躍しているころの京都です。将軍足利義政、義尚の政治下にありますが、無法もまかり通っています。
 人々は死に近くなると鴨川のほとりに無造作に投げ捨てられ、まだ生きているうちから着物をはぎ取られてしまいます。野犬に食われ、カラスに身体をつつかれ、洪水とともに川下に流されていくのが遺体の始末となっていました。
 そんな世の中ですから、人買いが横行し、若い男女が辻に立たせられて売られていきます。そんな境遇にあっても希望を捨てずに字を学び、算盤を習得し、たくましく生き抜こうという若者たちがいました。すると、それを支えよう、助けようという人々もいるのです。
 面白い展開です。下巻が楽しみです。
 
(2010年2月刊。1700円+税)

パリ・娼婦の館

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 鹿島 茂、 角川学芸出版 出版 
 
19世紀のパリの娼婦の館、メゾン・クローズ(閉じられた家)についての実証的な研究書です。この当時、パリにいた日本人の体験記も、ふんだんに引用されていますから、臨場感があります。
このころ、パリの娼婦について真面目に取り組まれた公的な調査の結果が紹介されています。それによると、娼婦になった原因の第一は、貧困と劣悪な家庭環境、第二は贅沢へのあこがれ。娼婦は、その性器が普通の女性と異なっているわけでも、性欲が異常に強いものでもなく、欲しているのは「愛」であることも明らかにされています。
 パリの当局が娼婦についての規制を徹底しようとしたのは、性病とくに梅毒のまん延を防ぐ目的のためだった。
娼婦として体を張っても、客の払う50フランのうち、女主人が30フランを取り、自分の手には20フランしか残らない。これでは割りにあわない。女中の方がまだましと考える女性もいた。
 娼婦予備軍をもっとも簡単にリクルートでできるのは、実は性病患者用の施療院だった。そして、そこで性病は感知しないまま退院していた。うむむ、なんということでしょうか・・・・。
高級なメゾン・クローズは、かつて王侯貴族や大ブルジョアの住んでいた大邸宅を改造したところが多かった。
 メゾン・クローズでは、公開オーディション方式がもっとも一般的である。これに対して、日本では、どんなに破廉恥な風俗が普及しても、根本のところに羞恥と謙遜という美徳があるせいか、ずらりと整列した複数の娼婦のなかから一人だけ自分の好みの敵婦(あいかた)を選び出すという「公開方式」は採用されない。そして、このとき娼婦は、全員、靴だけははいている。これが娼婦としての「正装」であり、これで客と対峙するという礼儀があった。
 女の子たちの勤務時間は午後2時から午前2時までの12時間。一晩に30人から40人の客をとる。客からもらったチップも店として折半する。
娼婦は、病気と弁当は自分もちの原則がある。娼婦の楽しみは食事だけだったから、食事は概して手の込んだ美味しいものだった。ここで、客にケチると娼婦が居つかないので、女将も食事にだけは気をつかっていた。
日本では、擬似恋愛を核としたキャバクラや高級クラブが単独で成立しているが、これは日本独特のものである。フランスに限らず、どの国でも、接待役の女性が横にはべるタイプの社交的サービス業は、これ単独で成立することは少なく、合法非合法の別はあっても、その後の客の要望をみたす直接的サービスを用意していた。二次過程のない一時過程というのは、欧米ではおよそ考えつかないような業態なのである。
うひょう、そうなんですか・・・・。ちっとも知りませんでした。
メゾン・クローズに住み込んでいる娼婦でも、2週間に一度は外出の許可を与えられ、その日は恋人かヒモと一緒にピクニックに出かけたり、ダンスホールで踊り明かしたりして楽しんだ。娼婦にとっては、恋人やヒモと外出する瞬間だけが、つらい「労働」に耐えるための生き甲斐となっていた。というのも、メゾン・クローズの生活は息が詰まり、単調な繰り返しの連続だった。そんな生活になんとか耐えていくには、ガス抜きが不可欠だった。
娼婦たちは、外出させないと逃げるし、外出させても逃げた。メゾン・クローズにとって、娼婦の外出は両刃の剣だった。 
江戸・吉原の花魁の話と似ていますよね。私と同世代の著者ですが、よくぞここまで調べあげたものです。 
 
(2010年3月刊。2500円+税)
 私がパリに泊る時は、カルチェ・ラタンのプチホテルにしています。毎回ホテルは変えています。おかげでカルチェ・ラタンの通りには随分詳しくなりました。セーヌ川沿いには古本を売る露天商が並んでいますし、ノートルダム寺院も歩いてすぐのところにあります。見事なプラタナスの街路樹のサンジェルマンデプレ大通りもすぐ出たところにあります。
 ルーブルもオランジュリーも、美術館には歩いて行けるのでとても便利です。そして、レストランもカフェーもたくさんあります。

カウントダウン

カテゴリー:社会

 著者 佐々木 譲、 毎日新聞社 出版 
 
 いつも秀逸な警察小説を読ませてくれる著者が、同じ北海道を舞台としながら、赤字まみれの地方自治体の再生を探る社会派小説に挑戦しました。同じような炭鉱閉山の市や町をいくつもかかえる福岡県にとっても他人事(ひとごと)ではない展開ですので、一気に読み上げました。
 多選のワンマン市長の愚政と、ほとんど「オール与党」の市議会という構図は、日本全国、どこにいっても同じようなものですよね。野党だった社会党が消え去った今、愚政に異議申立をきちんとしているのは政党としては共産党だけになってしまいました。残念ですね、これって・・・・。
 この本には選挙ブローカーが登場してきます。たしかにいるんですね。日本全国の選挙を渡り歩いて職業として食べていけるというのですから、不思議なものです。
選挙は、結局のところ候補だ。タマだ。選挙戦術でどうにかなるのは、全得票のせいぜい10%でしかない。タマ選びからやれるんなら、勝利は確実なんだ。
 これは行政広報と選挙のプロの言葉です。
20年間で、18勝3敗。市議会は、きみと共産党市議以外は、全員が市長支持派だ。市役所の幹部も同じ。市の職員組合も、長年、市長に飼い慣らされてしまった。商工会にも、地区労にも、農業団体にも、現職市長に挑む意思のある者なんていない。
こうやって選挙ブローカーは、まだ市議一期目の森下を市長選に出るようけしかけるのでした。
 第三セクターへ巨額の出資をしていながら、その第三セクターの経理状況を質問すると、市長は民間会社のような経営状況なんて公開できるはずがないとうそぶいて居直り、開示しない。
森下と共産党市議以外の議員はみな与党であり、現職市長の翼賛団体であるという議会。保守政党はもちろん、現職市長がかつて市職労の委員長であったことから、市職労は一貫して現職市長を組織内候補として応援した。市職が中心となっている地区労も、その上部団体としての連合支部も、現職市長の20年間の市政を貫いて支持した。
 この町には現職市長を批判する勢力はなく、市長のもたらすうまみを、有力団体すべてが享受してきた。議会はやるべき市政の監視機関ではなかった。でたらめ機関の追認する機関でしかなかった。
 まさに、そのとおりです。だからこそ「オール与党」の一員にとどまりたいのです。
 阿久根、名古屋そして大阪の議会を見ていると、「オール与党」である議会の大半は、実質的に何もしていないも同然なので、そこに市民の怒りが殺到しているように思います。「オール与党」の議会構成だったら、市民の怒りは無為無策のより身近な「市議会」に集中します。そこに議員なんて不要だとか、議会の定数を大幅に削減してしまえという意見の生まれる根拠があります。まことに罪深いのは「オール与党」体制です。
 森下はついに市長選への立候補を決意します。そのときのメインの政策は福祉でした。福祉と先進医療の町として再生をはかる。お年寄りに優しい町として看板をつくる。
 私も、これしかないと、以前から考えてきました。ハコものをつくるのではなく、人間を大切にすること。これこそ地方自治体に求められているものではないでしょうか。地方自治体には乏しいながらも利権があり、それをめぐってたかる人々の群れも活写されています。
 来年4月に地方選に立候補を考えている知人にこそこの本を読むようすすめたばかりです。あなたもぜひ、ご一読ください。
(2010年9月刊。1600円+税)

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