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伝える力

カテゴリー:社会

池上彰 PHPビジネス新書 2007年 840円
かつてNHKの記者や子供ニュースのキャスターを務め、現在はフリーのジャーナリストとして活躍する著者の2007年のエッセイ集。著者の近年の池上ブームといえるほどの大活躍により、改めて本書も脚光を浴び、ベストセラーランキングの上位に名を連ねている。
試しにいくつか目次を拾ってみる。
・深く理解していないと、わかりやすく説明できない
・まずは「自分が知らないことを知る」
・「よい聞き手」となるために
・「型を崩す」のは型があってこそ
・悪口は面と向かって言えるレベルで
・優れた文章を書き写す
・寝かせてから見直す
・アウトプットするには、インプットが必要
・思い立ったらすぐメモ
このように難しいことは何も書かれていない。ただただ人と人との関わり方を易しく易しく書き綴っている。これが「伝える力」の源泉なのだなあと感じる。
振り返って私も平素より「伝える」ことを生業とし、そのことに力を注いでいるつもりであるが、伝える内容の難しさを競うことに自ら陶酔しているところがあるな、とふと気付く。平易であることが大切であることを再認識させてくれる。
また本を読むのに時間がかかる私でさえ、この本を2時間で一気に読み通せた。このような一気に読み通させる迫力も、「伝える力」の本質に一面なのであろうな、と思った。
伝えること、それはその語義からも明らかなように、人が人に云うことである。伝える力を磨くことは、自分を磨くことであり、相手を尊重することであり、伝え、伝えられることの力は、そのような両者の健全で融和な関係の中で生み出されるものであるのであろうな、と考えた。

労働の人間化とディーセント・ワーク

カテゴリー:司法

著者  牛久保  秀樹、    かもがわ出版 
 
 ディーセント・ワークという言葉は耳新しく、まだ聞き慣れません。ディーセント・ワークについて、この本では、人間らしい労働と訳すことを提案しています。ディーセントというのは、こざっぱりとしたという感じの言葉です。
 著者は日本の労働事件をたくさんあつかうなかでILO(国際労働機関)の果たしている大きな役割に注目し、ジュネーブの本部へ何度も足を運んだのでした。九州大学の吾郷真一教授はILOで働いたこともある人物で、そのすすめもあったということです。実は、著者も吾郷教授も、そして私もみんな大学の同級生なのです。そして、著者は1968年に始まる東大闘争で活躍したヒーローです。私などは、いつも著者のアジ演説を聞いて、すごいなすごいなと励まされていた一兵卒でした。
 吾郷教授は、日本の弁護士は、もっと国際法を勉強しないとだめだと叱っているということです。そうなんでしょうね。でも、語学力のなさからつい国際法を敬遠してしまうのです。
 天下の野村證券が社員の女性差別をして裁判になったとき、日本での裁判と同じく影響力を持ったのがスウェーデンにあるGESという投資適格情報提供会社であった。この会社は、裁判所で判決が出て、ILOから是正勧告が出ているのに野村證券はそれを守っていない。そんな会社は投資不適格であるというレポートを全世界に公表した。つまり、国際基準を守らない企業は投資先としても不適格だとしたのである。
 なーるほど、ですね。日本では天下の野村證券であっても、国際的には違法なことを平気でやり通す横暴な企業の一つに過ぎないと判定したわけです。痛快ですね。
著者は日本における労働の意義がおとしこめられていることを鋭く告発しています。この社会の未来を担う若者たちにこそ労働が魅力あるものに、人生をかけるためにふさわしいものとならなければならないと力説しています。まったく同感です。
 私の事務所で働いている30代の女性が、こんどの一斉地方選挙に立候補することになりました。彼女は法律事務所で働きながら、弱い人たちの支えになればと思って一生懸命にがんばってきたが、さらに飛躍してがんばりたいという決意を語ってくれました。私も精一杯に応援するつもりです。若者が働くことに意義を感じることの出来ない社会では、日本に未来はありません。私の好きな言葉は、未来は青年のものというものです。久しぶりに20代の熱き血潮をも思い出させてくれる本でした。
 この本には、このほかフランスやスイスなど、ILO訪問のあいまに訪問した観光地の紹介も載っていて、楽しく読みました。幸い私の行ったところも多く、アヌシーなど再訪したいと思うところもたくさん登場しています。
(2007年3月刊。1800円+税)

日露戦争の真実

カテゴリー:日本史(明治)

著者   山田 朗、   高文研 出版 
 
 「坂の上の雲」で日露戦争が注目されている今、ぜひとも多くの日本人に読んでもらいたい本です。わずか180頁ほどの本ですが、内容は大変充実していて、私の赤エンピツが次々に出動し、ポケットにしまう間も惜しくなって、ずっと右手に握りしめながら熟読していきました。
 明治は成功、昭和は失敗という司馬流の二分法は間違いである。近代日本の失敗の典型であるアジア太平洋戦争の種は、すべて日露戦争においてまかれている。日露戦争に勝利することによって、日本陸海軍が政治勢力の軍部として政治の舞台に登場した。軍の立場は、日露戦争を経ることで強められ、かつ一つの強固な官僚組織として確立した。
近代日本の大きな失敗の種のもう一つは、日露戦争後、日本が韓国を併合してしまったことにある。そうなんですよね。植民地支配は日本の失敗の源泉です。
 日露戦争によって、アジアの人々を勇気づけたのは事実としても、それは当時の日本が意図したことではない。むしろ日本は、欧米列強の植民地支配を全面的に容認する代償として、列強に韓国支配を容認してもらった。
 日本は、幕末、明治維新のころから、イギリスの世界戦略に巻き込まれ、ロシア脅威論に突き動かされてロシアとの対決路線を強めていった。明治維新以来、日本政府は「お雇い外国人」をたくさん雇ったが、そのなかで一番多かったのはイギリス人だった。だから、基本的にイギリスからの情報で世界を見ていた。イギリスはロシアと世界的に対立していた。このイギリスの反ロシア戦略が、日本の政治家やジャーナリストの意識に影響を与えていった。なーるほど、そうだったのですね。
 日清・日露戦争による軍拡によって国家予算に占める軍事費の割合は27.2%から
39.0%に増えた。軍事の国民総生産に占める割合も平均2.27%から3.93%へと大幅に上昇した。軍事予算が増えると、ろくなことはありません。
日本軍は、土地は占領するがロシア軍の主力に大打撃を与えることができず、ロシア軍は後退しながら増援部隊を得て、どんどん大きくなっていった。これ以上ロシア軍が大きくなると、日本陸軍が全兵力を投入してもまったく太刀打ち出来なくなるというところで、ロシア国内で革命運動が広がり、戦争が継続できなくなったために、戦争がおわった。純粋に軍事的には、極東のロシア軍は日本軍を圧倒できるだけの戦力を蓄積しつつあった。危機一髪のところで、日本軍はロシア軍に「勝っていた」のでしたが、日本国民の多くがそのことを知らされず、気がついていませんでした。だから、「勝った」のに、なぜロシアからもっと戦利品を分捕れないのかという不満が募ったわけです。
 日本は外国からの借金に成功しなかったら、日露戦争はできなかった。お金を貸してくれたのは、イギリスとアメリカ。イギリスは銀行が、アメリカではロスチャイルド系のクーン・レーブ商会というユダヤ金融資本が日本の国債を買ってくれた。このクーン・レーブ商会は満州での鉄道開発に乗り出す意図があった。ところが、日露戦争のあと、日本がロシアと裏で手を結んでアメリカが「満州」に入ってくることをブロックしてしまったから、アメリカは対日感情を悪化させた。ふむふむ、そんな裏の事情があったわけですか・・・・。
 日本軍は、陸軍も海軍も有線電信・有線電話・無線電信による情報伝達網の構築にきわめて熱心で、それによって兵力数の劣勢を補った。野戦における有線電信・電話の使用など、当時のハイテク技術を活用した日本軍の戦いに、イギリス人をはじめとする観戦武官・新聞記者は大いに感心し、注目していた。ところが、この点は秘密にされているうちに、日本軍自身が忘れてしまい、また軽視してしまった。いやはや、秘密主義は自らも滅ぼすというわけです。
 日本軍が旅順攻略を急いだのは、バルチック艦隊がやってきて無傷の旅順艦隊と合流したら、黄海はおろか日本近海の制海権を日本側が確保できなくなって、輸送や補給ができなくなれば、大陸での日本軍の作戦はまったく不可能になってしまう。そこで、バルチック艦隊がやって来る前に、なんとしても旅順を攻略して、旅順艦隊を撃滅しておこうと大本営は考えた。
 バルチック艦隊を日本海軍が撃破したのも、かなり運が良かったともいえるようです。ぜひ、ご一読ください。価値ある本ですよ。
(2010年11月刊。1400円+税)

帝国の落日(上巻)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ジャン・モリス、  講談社 出版 
 
大英帝国の繁栄から衰退までを描いた帝国史です。
1897年6月、ヴィクトリア女王は即位60周年記念式典を心豊かに祝うことができた。
19世紀末の時点で、英国民は帝国民としてふるまうのが習い性になっていた。世界の4分の1を統治する技量からいっても他国に負けない力を持っていた。
この時期、ヨーロッパ各国の野望が集中したのはアフリカである。そこではアフリカ争奪戦と呼ばれる取りあいと自己弁護の醜い争いが繰り広げられていた。やりたい放題だった。当時のヨーロッパ人にとって、アフリカ先住の黒人は、ほとんど人の数にも入らない存在で、アフリカの土地をヨーロッパ人が占領し、思うままに支配し、改善し、搾取するのは当然とみなされていた。
南アフリカにおいて、英国人とボーア人は長年の仇敵同士だった。ボーア人は容易に融和しなかった。ボーア人は生まれながらの非正規兵で、世界でもっとも優れたゲリラ兵といってもよかった。武器はヨーロッパの国々から入手した最新のものであり、生まれ育った土地を知り尽くしていた。
1902年5月、ボーア人はついに降伏した。しかし、英国兵の戦死者は2万2,000.その3分の2がコレラと腸チフスの犠牲者だった。ボーア人の死者2万4,000人、そのうち2万人が婦女子だった。すぐに戦闘は終わると思ってイギリスと出た派遣軍は8万5,000人。しかし、戦争終結時には、45万人となっていた。英国の首相は、戦費がかさみすぎて英国は三等国に成り下がったと公言した。
ヴィクトリア女王が亡くなり、あとを継いだエドワード7世は大英帝国にあまり関心がなかった。第一次大戦が始まった。
英国にとって、トルコ軍とのガリポリの戦いは、アメリカ独立戦争以来、最大の敗北となった。帝国特有の虚勢が再燃するなかで作戦が開始され、最終的には帝国の伝統に押しつぶされるようにして敗北した。英国軍の将軍たちは、兵と距離を置くことが多すぎた。
英国は大戦によって決定的に変化した。70万人もの若者が死んだのだから、当然といえば当然だった。
英国は第一次大戦への参戦諸国のなかで、もっとも強大なまま終戦を迎えたように見えた。工業はまったく被害を受けず、財政も大打撃を受けたというのにはほど遠かった。軍事力も、世界最強の空軍、最強の海軍と、世界有数の強力な陸軍を有していた。しかし、多くの悲哀を経験するなかで、成功に伴うはずの生気を失って、革命に揺れるロシアが発する共産主義の狼煙(のろし)や米国が提案するウィルソン流のリベラリズムに対抗する壮大な理念も、希望や変化を思わせるメッセージも提示することはできなかった。ドイツとの講和条約が調印され、戦後世界の運命が決定されるヴェルサイユ会議にあって、英国は決定的役割が果たせなかった。
英国にとって、アジアやアフリカでも悩みは尽きなかったが、何にも増して悩ませたのは、帝国領土のなかで、もっとも地理的に近く、もっとも古く、もっとも不満の大きい場所、アイルランドだった。たしかに、アイルランド紛争はごく最近まで続いていましたね。このあと、インドの独立に至るガンジーの活躍が記述されています。パックス・ブリタニカの実情を知ることのできる本格的な歴史概説書です。
                   (2010年9月刊。2400円+税)

特務機関長・許斐氏利

カテゴリー:日本史

著者   牧 久、  ウェッジ 出版 
 
 軍隊・日本軍を美化する風潮も根強いものがありますが、その実体を知れば知るほど、こんなひどい利権集団に国の運命をまかせるわけにはいかないものだと痛感します。国を守るなんて言いながら、その内実は利己主義者の集団だったのではないでしょうか。そんな軍の手先の一つが特務機関でした。中国大陸で金にあかせて暗躍し、暴虐の限りを尽くしたのです。そして、戦後の日本に私物化した大金をひそかに持ち帰って、またもや日本で贅沢三昧しました。
許斐は、このみと読みます。宗像(むなかた)大社を護る許斐城の城主だったということです。私の中学校の同級生にも、この許斐姓がいましたので、私は、抵抗感なく、このみと読めるのです。
 許斐氏利は、沖縄で牛島中将とともに自決した長勇参謀長のナンバー2だった。長勇参謀長を英傑と評価する人も少なくないようですが、私には、無責任な帝国軍人の典型としか思えません。
 日本軍は中国にいくつかの特務機関を設置した。その活動資金は軍の機密費から出ていた。日本軍による南京大虐殺にも、この許斐氏利は、長勇とともに関与しているようです。中国が30万人もの大虐殺があったと主張している大変な事件です。正確な人数はともかくとして、日本軍が大虐殺を敢行したこと自体は間違いないのです。ところが、人数の大小を問題にして、その責任を素直に認めようとしない議論をする日本人がいるのが私には不思議でなりません。
 許斐氏利は27歳のとき、中国人の配下70人をふくめて100人もの人数を擁する特務機関長として暗躍した。そして、軍の機密費は禁制品の阿片取引から出ていた。満州国政府は、阿片を専売制にして、その収入は国家予算の6分の1を占めていた。日本政府も、中国における占拠地の運営の正規予算のなかに阿片による収入計画を組み込み、実行していた。日本は、阿片を計画的に入手し、それを自治政府に分配していた。阿片による収入がなければ、日本は、これだけ大規模な戦争を遂行することは出来なかった。そして、この阿片取引には、日本政府の下で、三井物産も三菱商事もかかわっていた。   
三井と三菱が中国大陸における阿片の売買でもうけていたこと、そして、戦後の中国に対して謝罪もしていないことを知りました。阿片をすすめて多くの人間を廃人にしながら、自分だけは涼しい顔をして「文化的」な生活をするなんて、許せませんよね。
(2010年10月刊。1800円+税)
 先日、あるパーティーの席で福岡の岩本洋一弁護士から、この本は読んだかと尋ねられました。もちろん、こうやって読んでいたわけです。ときどき面白い本を薦めらます。これからも、どうぞご紹介下さい。
 ところで、日曜日と月曜日はすごい雪が降りましたね。高速道路も一時ストップしていたようです。そんな寒さで、いつもなら咲いている水仙の花が今年は開花が遅いそうです。でも、チューリップの芽が地上から、あちこちで顔を出しています。2月は逃げるそうです。もうすぐ春が来るのですよね。

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