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TPP亡国論

カテゴリー:社会

著者   中野 剛志 、 出版   集英社新書
いま、日本のマスコミは全体としてTPP推進一色に染まっています。かつての「郵政民営化」推進とまるで同じです。そのおかげで「郵政民営化」すれば日本の経済状況として国民の懐具合が好転するかのように錯覚してしまった人も少なくないと思います。でも、決してそんなことにはならず、身近な郵便局が閉鎖され、郵便の公共性は雲の彼方に消え去って行きました。そして、「郵政」解体をアメリカ財界は依然として狙っています。
日本の多くの庶民にとって、結局のところ「郵政民営化」って百害あって一利なしだったのではないでしょうか・・・。それでも、マスコミはそんな反省の弁を述べませんから、依然として「小泉人気」は高止まりのままです。これって、おかしなことだと私は思います。
TPPに関する議論が世論のレベルでは「開国か、鎖国か」といった単純きわまりない国式の中で進められているのに恐怖すら感じる。そもそも現在の日本は鎖国などしていない。全品目の平均関税率は、日本は韓国はもちろんアメリカよりも低い。
日本の食糧自給率(カロリーベース)は4割程度しかなく、小麦、大豆、トウモロコシはほとんど輸入に頼っているのだから、日本の農業市場は鎖国的どころか、開けっぴろげに開かれてしまっている。
TPPの交渉参加国といえば、ヨーロッパはもちろん、中国も韓国も、さらにインドも参加していない。だから、TPPによってアジアの成長を取り込むなどというのは、まったくの誇大妄想としか言いようがない。
アメリカは農産品輸出国であり、日本の農業市場の開放を望んでいるが、日本からの輸入の増加は望んでいない。TPPはしょせんアメリカの、アメリカによる、アメリカのための貿易協定にすぎない。
アメリカは、日本に輸出の恩恵を与えず、国内の雇用も失わず、日本の農産品市場を一方的に収奪することができる。これがTPPのねらいである。TPPという贈り物は、実は、日本の農業市場の防壁の中から打ち破るための「トロイの木馬」なのだ。
現在、日本経済は、企業部内に貯蓄が累積している。デフレ不況で資金需要がないため、企業がお金の使い道を見つけられずにため込んでいる。そんななかで法人税を減税しても、企業は貯蓄を増やすばかりで投資にまわさない。企業が投資しなければ、景気は上向きにはならない。法人税の減税は景気を刺激する効果をもたないまま、国の税収を減らすだけに終わる。すなわち、法人税が減税されても国民にはほとんど何のメリットもない。
日本のマスコミについての国家統制は、テレビが一番ですが、新聞だって同じようなものですよね。もう少しマスコミはキャンペーンではなく、自由な議論を呼びおこす努力をしてほしいものだと思います。
(2011年4月刊。760円+税)

王朝文学の楽しみ

カテゴリー:日本史

著者    尾崎 左永子 、 出版   岩波新書
「枕草子」の書き出し、春は曙・・・をフランス語訳で読み、それがすっかり気に入って、丸暗記するまでには至っていませんが、何度となく朝に繰り返しています。とてもよく出来たフランス語訳なのです。プロはさすがです。
古典を読むのには、「じっくり、しっかり、ゆっくり」読む法(A)と、何が書いてあるのか、さらっと「ななめ読み」しながら、興味を持ったところに眼を止めて、そこを詳細に読む法(B)とがある。このA法とB法をうまく組み合わせるのが、一番自分に適した読み方を身につける早道だ。私は、この指摘に文句なしに大賛成です。
同じ日本語でも古語と現代語で意味が異なるのですね。たとえば、
やがて・・・・現代語は「しばらくして」、古語では「そのまま」
やをら・・・・現代語は「急に、突然」、古語では「静かに、音を立てずに」
あたらし・・・・現代語は「新しい」、古語では「もったいないことに」
ゆかし・・・・現代語は「控え目で教養の深い」、古語では「見たい、知りたい」
恥(はずか)しは、古語では、褒めことばだ。あまりに立派で、こちらが恥じてしまうほど、見事な態度という意味。うむむ、こんな違いがあるのですね。
『源氏物語』の原文を読み進めるには、『古今和歌集』を十分に身につけていないと、理解が行き届かない。この『古今和歌集』も、当時の王朝人にとっては「現代詩」だった。なーるほど、もちろん、そういうことだったのしょうね・・・。
平安時代、紙は貴重なものだった。『源氏物語』の著者がなぜ厖大な紙を使えたのか。そこに強力な後援者がいたから。『枕草子』には、これを書くのに定子皇后から多くの紙を賜ったことが記されている。『和泉式部日記』についても、和泉式部は道長のすすめがあって書いた。このように、はじめに紙ありき。紙は道長の権威の象徴でもある。
『源氏物語』について、戦時中は、天皇崇拝の軍部指導下にあったから、宮廷内の不倫を題材とするこの物語は、触れてはならぬもののように扱われていた。
『源氏物語』には流麗な文章が小気味よく続いている。それは必ず、和歌が下敷きになっていた。音声的伸動、すなわち五七五七七の歌の伸調が筆致のなかに自然に生かされている。その意味で『源氏物語』は、根本的に「歌物語」なのである。
平安時代の貴族の恋愛が成就するまでには、多くの恋文がいきかった。それは主として歌であり、そこに多少の文章が添えたれた。
当時は、現代のような「信書の秘密」はない。届いた恋文は、姫君に届く前に、周囲にいる乳母(めのと)やお付きの女房たちの審査を経ることになる。恋文の巧拙、文字の巧拙、紙の色合いや、添える折り枝の取り合わせ、届けるタイミングに至るまで、その審査の対象となる。そこで合格となって初めて姫君に恋文を見せる。姫君がよいと言えば、返事を出す。
左手使いのことを「左ぎっちょ」というのは、毬杖(ぎっちょう)からきたもの毬杖とは、馬に乗って毬(まり)を打つ、今でいうとポロ競技のようなもの。なーるほど、そういうことだったのですか・・・。
日本の古典にも改めて親しみたいものだと思いました。
(2011年2月刊。760円+税)

正しいパンツのたたみ方

カテゴリー:社会

著者   南野 忠晴  、 出版   岩波ジュニア新書
タイトルをみて、まさか本当にパンツのたたみ方が図解されているとは思いませんでした。
洗たくものを洗たく機からとり出して干し、乾いたところでたたみます。ところが、これって案外むずかしいのですよね。だから独身時代の私は、いつもハンガーにかかったまま、乾いたものをそのまま着ていました。いえ、洗たく自体は昔からこまめにしていたのです。
親元を離れて初めて寮生活をしたときには、一週間分の洗たくを、深夜に2台の洗たく機を使ってしたこともありました。まだ乾燥機もなんてありませんでしたから、広い室内にロープを張って吊して干していました。寮は6人部屋だったので、広々としていたのです。ベッドと机と本棚しかなく、間仕切りのカーテンもありませんでしたが、のびのびと寮生活を謳歌していました。
この本は家庭科を担当する男性教師が書いています。高校1年生を担当した年、この3年間、自分で弁当を作ってみてください。それをやり通せたら、どれだけの自信になるか計り知れない、ぜひ挑戦してみてくださいと挨拶したのだそうです。たぶん誰もやらないだろうと半ば思っていたのでした。
ところが、3年後、それを見事にやり通した女子生徒がいたというのです。いやあ、それはすごい、すごいですね。その生徒が著者に言いました。
「先生のことを、恨みに思ったこともあったけど、今は続けて良かったと思っている。先生が言っていたとおり自信になった。先生、ありがとう」
そりゃあ、そうですよね。3年間、1日も休まずに弁当を作りつづけたなんて、これは何でもないようで実はたいしたことですよ。私も、こうやって毎日休まずに書評を書きつづっていますけれど、たまに、それなりにたいしたものだと自分をほめてやっているのですよ。なにしろ、始めたのは、あの9.11のあった年ですから、もう10年も続いているんです。それだけ健康管理にも気をつかっているということでもあります。ぜひ、みなさん続けて読んでくださいな。あるとき、誰かが、1日に200人は読んでくれているらしいと教えてくれたことがあります。モノカキののはしくれとして、残念ながら売れないモノカキではありますが、1日に1万人の読者がついて、ついにやったぜベストセラー、と叫んでみたいという夢を私も抱いているのですけど・・・。ノーベル文学賞はダメでも、せめてどこかの文学賞はもらえないのかと内心ひそかに真面目に狙っているんですよ、これでも。
すみません。弁当の話でした。私は公立中学校でしたが、給食は小学校で終わり、中学・高校と母親のつくった弁当を当然のように食べていました。自分でつくるなんて考えたこともありません。母、つくる人。私、食べる人。そんな型を疑ったこともありません。
弁当づくりのポイントは、どうしたら手軽に、短時間に、楽しんで出来るか、その方法を発見すること。著者は、前の日のおかずの残りも活用し、朝の手間は10分か15分位しかかけていないそうです。
さわやかな朝の目覚めのために、校長先生は次のようにすすめます。目覚まし時計がなったら、まず、両手を布団から出してバンザイの格好をする。すると寒くなって目が覚める。次に上半身を布団から出す。その状態だと寒くて長くは寝ていられない。さっさと起きて服を着たくなる。そうやって毎朝起きている。なーるほど、ですね。
朝、自分の力で起きると、一日を自分で考えてやりくりしていく力がついてくる。これは、自立した生活者のなるのに、とても大切な力だ。時間と、どう折り合いをつけていくかで、自分の生活が快適に送れるかどうかが決まる。そのためには、起きる理由、その目的や楽しみがあることが大切だ。
私は、平日は朝7時に、休みの日はなるべく朝6時には起きるようにしています。休みの日はごろごろ寝ていたいなんて思ったことはありません。むしろ、休みの日こそ自分の日なんだから自分のために有効に使おう、もったいなくて寝てなんかいられない。そんな感じでスパッと起きます。
起きるのが楽しくなってきたら、人生は半分成功したようなもの。一日の始まりを、自分でコントロールできるようになったら、おのずと時間とのつきあいも濃厚で深いものになっていることうけあいだ。
 著者のうけあいに、私も大賛成です。一度きりの人生なんですから、時間は大切に使いたいものです。高校生向けの本のようですが、大人、しかも還暦を過ぎた私が読んでも、いいこと、大切なことが書いてある本だな、そう感嘆しながら読んでいきました。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2010年10月刊。1800円+税)
 日曜日に梅ちぎりをしました。紅梅、白梅のうち白梅のほうです。小ぶりの梅の実がたくさんなってくれました。必死にもぎると、大ざるに2つ山盛りとなりました。2.8キロもあり、梅酒が3瓶できました。
 下の田んぼで蛇が昼寝をしているのを見つけました。初めは死んでいるのかもしれないと、泥団子を投げてみると、動き出し、舌をチロチロさせて怒っています。こんなところで昼寝なんかしたらダメだと泥を投げ続けると、走って逃げていきました。1メートルはある、茶色の若い蛇です。マムシではないと思います。

米軍基地の現場から

カテゴリー:社会

著者   沖縄タイムズほか  、 出版   高文研
東日本大震災で在日米軍がトモダチ作戦ということで救援活動をしていることから、日本のマスコミは日米安保条約をますます無条件肯定の報道をしています。しかし、本当に日米安保条約のあるおかげで日本は助かっているのか、私は大いに疑問を感じています。イラクやアフガニスタンで大々的な侵略戦争を展開しているアメリカ軍が、急に日本で平和活動のみに従事しているなんて、そんな思い込みはあまりにもお人好しとしかいいようがないのではないでしょうか・・・。
この本では、日本安保は、本当に日本の平和を守ってきたのかという疑問で貫かれています。私は、この疑問を日本人は忘れてはいけないと思います。
横須賀基地に配属されているアメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンは、放射性廃棄物を1トンも貨物船で搬出した。放射能の心配がある。
アメリカ軍のグアム移転の費用について、アメリカ軍は実際より過大な人員と費用を計上していたことが暴露されました。これは日本側の負担割合を小さく見せるための工夫だというのです。実に日本国民を馬鹿にしています。自民党そして民主党政権も、きっとそんなことは知っていたでしょうから、日本国民だましでは共犯関係にあります。日本政府だけでなくアメリカ政府の言うことも、そのまま信じてはいけませんよね。トモダチ作戦でアメリカ軍が実際には何をしたのか、一部の新聞に少しずつ実相が明らかにされています。
アメリカ本土から海兵隊の放射能対処専門部隊150人が派遣されて日本に来たことは大きく報道されました。しかし、結局、福島県内に入ることもなく、アメリカに帰っていきました。アメリカ政府が福島第一原発から80キロ圏内を退避区域として設定したことによるようです。
アメリカ軍が最大時で人員2万人、艦船20隻、航空機160機を動員したことは事実です。そして、これらの部隊の大半が4月上旬には撤退しました。アメリカ政府による作戦の予算上限8000万ドル(68億円)に近づいたためです。
そして、ここで見逃せないのは、アメリカ軍と自衛隊が指令部機能の一体化が急速に進んだという事実です。そして、日本のマスコミと世論のなかで、アメリカのおかげで助かったというムードを醸成し、日米安保肯定論を強化できました。
この本を読んで改めて日本人として腹が立つのは、アメリカ軍人が日本国内で犯罪をおかしても、まともに逮捕も捜査もされないという事実です。これでは、日本はアメリカの植民地のようなものです。
2004年8月の沖縄国際大学にアメリカ海兵隊のヘリコプターが墜落炎上した事故についても、結局、アメリカ軍の整備士4人は全員が不起訴処分となっています。公務中の事故なので、そもそも日本には裁判権がありませんでした。くやしいです・・・!!
1995年から2008年までにアメリカ軍関係者の起こした凶悪事件は110件、逮捕者
152人。このうち日本が起訴前の犯人引き渡しを求めたのは横須賀のタクシー強盗殺人など、6件、6人にすぎない。事実上、日本に裁量権はない。いやはや、ぐやじー、許せない・・・!!!
そして、アメリカ兵が逮捕されて実刑となって刑務所に入っても、見事に優遇されます。この本では朝食しか紹介されていませんが、フレンチトーストにシリアル、ベーコン、オムレツ、さらにミルクとバナナ持つく充実ぶり。夕食にはステーキもつくといいますから、日本人の収容者とは比べものになりません。
 アメリカ軍の飛行機の出す爆音がひどすぎるというので、これまで日本の裁判所は何回となく受忍限度をこえる違法な爆音だとして損害賠償を命じてきました。ところが、アメリカはまったく賠償金を負担せず、すべては日本政府がアメリカ軍に代わって日本国民の税金でまかなっているのです。なんとひどいことでしょう。
 アメリカ政府もアメリカ軍も日本国民を守るために日本に基地を置いているわけではないと再三再四、高言しています。ところが、日本政府と日本のマスコミだけは相変わらず、アメリカ軍がいるおかげで日本の平和と安全が保たれていると言い続けています。こんなことって奇妙ですよね。アメリカ軍が本気になって日本を守る気があるなんて、私にはとても思えません。
(2011年5月刊。1700円+税)

想像するちから

カテゴリー:人間

著者    松沢 哲郎 、 出版   岩波新書
人間とは何か、どういう存在なのか。そのことをチンパンジーとの比較を通じて、じっくり考えさせてくれる良書です。著者は私とほとんど同世代の学者ですが、ながくチンパンジーを観察し、研究してきただけに、その論説にはとても説得力があります。
 サルとは目が合わない。サルは人間の目を見ると、キャッといって逃げるか、ガッと言って怒る。サルにとって、目を見るというのは、「ガンを飛ばす」という意味しかない。ところが、1歳になったばかりのチンパンジーのアイを著者が見たとき、アイはじっと見つめ返した。そして、著者が腕につけていた袖当てを腕から抜いてアイに渡すと、アイは、すーっと手をそこに通した。著者がええっと驚いていると、またもやすーっと腕から抜いて「はい」って返した。このように、チンパンジーは目と目で見つめ合うことができる。自発的に真似る。そして、何か心に響くものがある。
 チンパンジーには、人間の言語のような言葉はない。でも、彼らなりの心があり、ある意味で人間以上に深いきずながある。ふむふむ、そうなんですね・・・。
 動物分類学上、ヒト科は四属である。ヒト科ヒト属(ホモ属)、だけでなく、ヒト科チンパンジー属(パン属)、ヒト科ゴリラ属、ヒト科オランウータン属の四属である。日本の法律ではチンパンジーはヒト科に分類されている。
 人間とチンパンジーの全ゲノムを比較した結果、DNAの塩基の並び方は98.8%同じである。人間とチンパンジーとサルの三者では、人間とチンパンジーがよく似ていて、サルが違う生き物なのだ。三者に共通する祖先がいて、3000万年前に分かれて、サルはサルになった。その時点では、人間とチンパンジーは同じひとつの生き物だった。
チンパンジーの寿命は50歳。チンパンジーのコミュニティーでは、女性は10歳前後のころ、つまり妊娠できる年頃になると、群れの外へ出ていく。
 チンパンジーは、基本的にはベジタリアンだ。しかし、シロアリやアリといった昆虫も食べる。そして、センザンコウ(動物)を捕ることもある。
道具はまれにたまたま使うというのではなく、生存するのに必須なものとして、いつも使う。
チンパンジーは、音声でコミュニケーションする。音声のバリエーションは30種類ある。
 チンパンジーは、50歳になっても子どもを産む。チンパンジーの女性は死ぬまで生み続ける。だから、チンパンジーには祖母はいない。子どもを産み終えて孫の世話をする役割、それを担う年寄りの女性という存在はない。このように、チンパンジーにはおばあさんはいないが、人間にはおばあさんがいる。
チンパンジーは5年に一度、出産する。だから、年子がいない。チンパンジーの子どもは4歳ころまでずっと母親の乳首を吸っている。子育ては母親が一人でする。チンパンジーの父親の役割は、「心の杖」といえる。父親がいると、女性や子どもはすごく大胆にふるまう。チンパンジーは子どもを抱くだけではなく、「高い、高い」をしたり、わざわざ引き離して、顔と顔を合わせ、見つめあう。
 チンパンジーの赤ちゃんは夜泣きしない。夜泣きするのは人間だけ。チンパンジーの赤ちゃんは、お母さんがすぐそばにいるから呼ぶ必要がない。ひもじくて母乳がほしければ、自分で乳首を探して吸えばよい。
 人間の赤ちゃんは仰向けの姿勢になっているから両手が自由で早くから物が扱える。
 人間の赤ちゃんは、異様に可愛くて、異様に愛想がよい。それは、お母さんだけではなく、お父さん、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、みんなからの助けを必要とするから。仰向けの姿勢で安定して、にっこりと微笑むように人間の赤ちゃんはできている。人間は一歳のときに人間になるのではなくて、生まれながらにして人間なのだ。人間は生まれながらにして、見つめあい、微笑みあい、声でやりとりをして、自由な手で物を扱う。そういう存在として生まれている。
人間の子どもは、一歳をすぎるころから「自分で!」と言って自分で食べるようになる。もう少し大きくなると、「お母さんも!」と言って母親にも食べさせようとする。これは、チンパンジーには決して見られない行動だ。人間は、すすんで他者に物を与える。お互いに物を与えあう。さらには、自分の命を差し出してまで、他者に尽くす。利他性の先にある、互恵性、さらには自己犠牲。これは、人間の人間らしい知性のあり方である。なーるほど、そういうことなんですか・・・。
 チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには、親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。チンパンジーを見せ物や金もうけの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーは挨拶や性行動ができなくなる。
このように、著者はチンパンジーを群れのなかで観察する手法を実践しています。なるほど、すごいです。
 チンパンジーは、「今、ここの世界」に生きている。人間のように、百年先のことを考えたり、百年先のことに思いを馳せたり、地球の裏側にすんでいる人に心を寄せるというようなことは決してしない。今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。自分はどうなってしまうんだろうとは考えない。恐らく明日のことさえ思い煩ってはいないだろう。
人間とは何か。それは想像するちからを駆使して、希望を持てるのが人間だ。先のことを考えて悩んだり、他者を思いやる心をなくしてしまったら、もはや人間ではないということなんですね。我が身を振り返るうえでも、とても考えさせるいい本でした。あなたにも一読をおすすめします。
(2011年2月刊。1900円+税)

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