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不破哲三・時代の証言

カテゴリー:社会

著者  不破 哲三    、中央公論新社 出版   
 日本共産党のトップが、あのヨミウリで自分の半生を語った新聞連載が本になりました。
 「意外な新聞社からの意外な話」だと著者も述べていますが、いかにも意外な組み合わせです。しかし、準備に半年かけ、1回の取材に3時間をかけて10回ものインタビューに応じたというのですから、共産党や国会の裏話をふくめて密度の濃い内容になっていて、とても読みごたえがあります。
30回の連載をもとに、さらに記述を膨らましてあるようですので、新聞を読んだ人にも、恐らく重複感は与えないと思います。日本の現代政治史を考える資料の一つとして大いに役立つ内容だと思いながら、私は一気に読了しました。
著者は、幼いころ、虚弱体質、腺病質だったとのこと。泣き虫で、悲しいにつけ、うれしいにつけ、床の間に行ってこっそり泣くので、「床の間」というあだ名がついた。うへーっ、そ、そうなんですか・・・・。とても感情が豊かな子どもだったのでしょうね。私は小学校まで笑い上戸だといって、家族みんなから笑われていました。
そして、著者は本が好きで、小学校3年生のときから小説を書いていたというのです。どひゃあ、恐れ入りましたね。いかにも利発そうなメガネをかけた当時の顔写真が紹介されています。
 戦争中は、ひたすら盲目的な軍団少年だったとのこと。まあ、これは仕方のないことでしょうね。それでも、やはり早熟なんですよね。なんと、16歳、一高生のときに日本共産党に入党したというのです。そして、婚約したのも早く、19歳のときでした。いやはや、早い。
会費制の結婚式を駒場の同窓会館で挙げたとのこと。私も大学一年生のとき、そこで開かれたダンスパーティーに恐る恐る覗きに行って、尻込みして帰ってきました。踊れないので、輪の中に入る勇気がなかったのです。本当は女子大生の手を握って踊りたかったのですけど・・・・。
 著者が共産党の幹部になってから、ソ連や中国共産党からの干渉と戦った話は面白いし、さすがだと感嘆します。大国の党の言いなりにならなかったのですね。アメリカ政府の言いなりになっている自民党や民主党の幹部たちのだらしなさに改めて怒りを覚えました。
 著者は国会論戦でも花形選手として活躍したわけですが、対する首相たちも真剣に耳を傾け対応したようです。
質問していて一番面白かったのは田中角栄だ。官僚を通さず、自分で仕切る実力を感じさせた。このように、意外にも角栄には高い評価が与えられています。大平正芳も真剣に対応したようです。
 この本で、私にとって興味深かったのは、宮本顕治へ引退勧告するのがいかに大変だったか、それが語られていることです。私の敬愛する先輩弁護士のなかでも、引け際を誤って、老醜をさらけ出してしまった人が何人もいます。本人はまだ十分やれると思っていても、周囲はそう見えていない、ということはよくあるものです。老害はどこの世界でも深刻なんだよなと、つい思ってしまったことでした。
 かつて共産党のプリンスと呼ばれたことのある著者も今や80歳。70歳のときにアルプス登山は卒業しました。そして、今、インターネットを通じて社会科学の古典を2万5千人の人に教えているそうです。すごいことですよね。
 先日、毎日新聞の解説員が絶賛していましたが、原発問題についての講話はきわめて明快で、本当に出色でした。目からウロコが落ちるとはこのことかと久しぶりに実感したことでした。小さな小冊子になっていますので、ぜひ手にとってご覧ください。老いてますます盛んな著者の今後ともの活躍を期待します。
(2011年3月刊。1500円+税)

裁判を住民とともに

カテゴリー:司法

著者    板井 優  、 出版   熊本日日新聞社
 私と同世代の熊本の活躍している弁護士の半生記です。ええっ、早くも自伝なんか出したの・・・、と驚いていましたところ、地元新聞(熊日新聞)が45回にわたって「私を語る」という連載記事をまとめた本でした。それにしても、たいした人物です。こんなに社会的影響のある事件で勝ち続けているなんて・・・。改めて見直しましたよ。
 沖縄出身です。幼いころはナナワラバー(沖縄弁で悪ガキ)と呼ばれていたそうです。今を知る私なんかも、いやはや、さもありなんと、妙に納得したことでした。
 一般民事事件で相手方となったことがありますが、著者のもつド迫力に、私の依頼者は恐れをなしていました・・・。
 著者の両親は沖縄出身ですが、終戦直前に沖縄を離れていて助かり、大阪で結婚し、戦後、沖縄に戻って著者が生まれたのでした。ですから、私と同じくベビーブーム、団塊世代ということになります。
たくましい母親の姿には圧倒されました。土木所を営む父親が気の優しさから保証倒れで差押えされるのを見て、自ら合名会社を設立し、経営の実権を夫から奪って、オート三輪を乗りまわして会社を切り盛りしていたのです。日本の女性は昔から気丈なんですよね・・・。これは何も沖縄に限りません。私の家でも似たようなものです。小売酒屋を営んでいましたが、亭主(父)は酒・ビールの配達に出かけ、母ちゃん(母)が財布をしっかり握っていました。
 沖縄の激戦地でシュガーローフのすぐ近くで育ったとのこと。この『沖縄シュガーローフの戦い』は以前に紹介しました(光人社)。
 小学校は1クラス60人の21クラス、中学校は1クラス60人の18クラスだった。私の場合は、小学校は1クラス50人の4クラス、中学校は1クラス55人の13クラスでした。沖縄のほうがはるかに多いですね。
首里高校2年生のときに生徒会長になったそうですが、私も同じく県立高校で生徒会長(総代と呼んでいました)になりました。何ほどのこともした覚えはありませんが、他校訪問と称して四国や広島の高校まで泊まりがけで出かけたこと、役員になって先輩たちと楽しい関係が出来たことだけは良い思い出として残っています。
著者の場合は、国費で日本留学(大学入学)したのでした。ええーっ、という感じですが、まだ当時の沖縄はアメリカ軍の支配下にあって日本に返還されていなかったのです。
 著者は熊本大学に入り、そこで、今の奥様(医師)にめぐりあいました。弁護士になってから、水俣に法律事務所を開設し、水俣病訴訟を第一線で担いました。9年近い水俣での活動は大変だったようです。それでも、アメリカやギリシャ、そしてブラジルのアマゾン川にまで行って日本の水俣病問題を訴えたのです。すばらしい行動力です。そして、大変な努力のなかで水俣病の全面勝訴判決を勝ちとっていったのでした。
 また、税理士会の政治献金問題訴訟(牛島訴訟)にも関わり、見事な判決を引き出しました。この判決は憲法判例百選に搭載され、司法試験問題にまでなったというのですから、本当に大きな意義をもつものでした。
 ハンセン病訴訟でも実に画期的な勝訴判決を得ています。熊本にある菊池恵楓園があるのに、福岡で提訴する動きがあったそうです。やはり、地元の裁判所でないとダメだと主張して熊本で裁判はすすめられ、裁判官の良心を握り動かすことができたのでした。
川辺川ダム問題にも取り組みました。熊本地裁で敗訴したものの、福岡高裁で逆転勝訴しました。流域2000人の農家の調査をやり遂げたということです。その馬力のすごさには頭が下がります。
 以上で100頁たらずです。あと300頁は、著者の論文集が話を補充するものとして搭載されています。関心のある部分を読めば、さらに理解が深まります。
 板井先生、これからもますます元気でご活躍ください。
(2011年3月刊。2000円+税)

日本語教室

カテゴリー:社会

著者    井上 ひさし 、 出版   新潮新書
私の深く敬愛してきた井上ひさしが日本語について語っています。その蘊蓄の深さには驚かされますし、改めて惜しい人を日本は喪ってしまったものです。残念でなりません。
外国語が上手になるためには、日本語をしっかり、これはたくさんの言葉を覚えるということではなく、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身についていなければならない。母語は道具ではない、精神そのものである。母語より大きい外国語は覚えられない。あくまで、母語を土台として、第二言語、第三言語を習得していく。
言葉というのは常に乱れている。言葉は完璧な多数決なので、どんな間違った言葉でも、大勢の人が使い出すと、それが正しい言葉になってしまう。
ズーズー弁は、東北と出雲と沖縄に残っている。
日本人は3種類の言葉を微妙に使い分けている。「きまり」はやまとことば、「規則」は漢語、「ルール」は英語。日本語は大変だ。やまとことばと漢語と外来語の3つを覚えなければならない。そして、日本人の生活の基本になっているのは、ほとんどやまとことばである。漢語が入ってくる前から、寝たり起きたり食べたりしているのだから、当然である。
「権利」という言葉のもともとの意味は、「力ずくで護る利益」ということ。仏典や中国の『荀子』という道徳書では、「権利」は「権力と利益」という意味で使われている。
日本人は、地上ユートピア主義である。日本人は自分の国が一番いいとは思っていない。たえず、いいところは他にあると思っている。しかし、完璧な国などありえない。必ずどこかで間違いを犯す。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で、必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来がある。過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれる。
日本の悪いところを指摘しながら、それを何とか乗り越えようとしている人たちがたくさんいる。そんな人が売国奴と言われる。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないだろうか・・・。
日本語の発言は非常にやさしく、会話はすぐ上手になれる。しかし、本格的に読んだり書いたりする段階になると、世界でももっとも難しい言葉の一つになる。
うふん、そんな難しい言葉を自由に操れる私って天才かな・・・、と思うのは単なる錯覚でしかありませんよね。日本語と日本人を考え直させてくれる、いい本でした。
(2011年3月刊。680円+税)

劉暁波と中国民主化のゆくえ

カテゴリー:中国

著者    矢吹晋・加藤哲郎・及川淳子  、 出版   花伝社
 天安門事件の真相が語られています。解放軍の戒厳部隊が広場にいた学生などを虐殺した。その数、およそ4千人という報道があふれていました。ところが、その後、いくつか本を読んでも、そんな状況は描かれていません。おかしいと思っていましたところ、現場にいた学生たちのリーダーが威厳軍の現場指揮官と話し合って、広場での死者を出さずに撤退していたというのです。中国当局の公式発表の死者319人よりも多いものの、千人の大台をこえることはまずないということです。そして、日本のマスコミはそのことを現場に記者がいて知りながら訂正記事を出さなかったというのですから、ひどいものです。
 今度、ノーベル賞をもらった劉暁波は、広場からの撤退をリードした指揮者の一人でした。そして、天安門事件のおよそ3週間後に中国当局に逮捕されました。
 劉暁波は1955年生まれ。中国のあの文化大革命時代に青年期を送り、そのとき撤退的に考え、思想形成をした。
 文化大革命が終わると、中国の知識人が、なぜこんなにもデタラメなのかと劉暁波は怒った。中国共産党の心ある人たちも、今のままではいけないと思っている。しかし、それを実現するためには、中国共産党がスムーズに複数政党制や民主主義に離陸できるような路線を敷いてくれないといけない。そうでないと、騒乱状態、暴力対立が起きてしまう。こんなロジックに、知識人がからめとられている。
 中国の民主化運動の指導者たちは、外国に亡命したら、国内に拠点がなくなり、根無し草で何もできない。中国の温家宝の息子や全人代委員長の呉邦国の娘婿や李瑞環の息子たち、政治局の幹部の子弟はアメリカの投資企業などのドルに汚染されてしまっている。
中国内部はバラバラ、明らかに差別構造が強固に存在する。国内植民地をつくる体制だ。農民から収奪し、安い労働力として使えるだけ使うが、都市民の持っている福利厚生は一切与えない。
 貧しい民が大勢いるなかで、輸出一辺倒の政策をとるのは、飢餓輸出になる。
 いま中国は、特権まみれの社会である国家資本主義というより、官僚制資本主義である。石油、電力、兵器、通信、運輸など、大企業はすべて軍産複合体である。育ってきた民営企業は、あまりにもうかると、どこかに邪魔をされる。それを防ぐため、有力な国営企業に株をもってもらい、保障してもらう。
 今や、太子党の全盛時代である。太子党とは、革命元老党、革命元勲党、解放軍元老党、既得利益擁護党という強大な利益集団の別称である。革命後60年、中国の老幹部たちは、恵まれた特権や高給を保障され、それを子々孫々継承してきた。このような特権を贈与し、贈与されつつ既保権益を死守する精神が、中国共産党の建党精神とまったく乖離しているのは明らかだった。しかし、このような利権まみれ幹部の子孫、特権の世代間承継者こそが太子党のイメージである。
 そこで、腐敗がすすむと、この体制が崩壊するかというと、おそらく絶対に崩壊しない。なぜなら、崩壊させる人々や活動家がいないから。中国では、支配する階級と膨大な被支配階級に分裂している。いい大学を出て党幹部のエリートコースを昇り、上に行く可能性は開かれている。だから、支配体制はけっこう強い。党の内部では、ある程度、昇進の道が開かれている。
 7800万人の党員がいて、メールで密告するボランティア監視人は30万人もいる。中国共産党は決して弱い組織ではない。
 膨大な地下資源の眠るアフリカは典型的な発展途上国地帯で中国資本の開拓地となっている。中南米にも、ものすごい勢いで中国資本が入っている。
 中国は2006年までに4000億ドルのアメリカ国債を買い、今では1兆ドルに近い。だからもう米中は敵対関係ではなく、「利益共同体」だ、アメリカのゼーリック国務副長官がこのように宣言した。中国の債権は最大であり、アメリカの対外債務の2割も持っている。だから、アメリカは中国を味方にするしかないと決意した。アメリカはもう日本を頼りにしていない。
ところが、日本のマスコミは、日中が対立したときには「アメリカが助けてくれる」という幻想をふりまいている。とんでもない世迷い言である。アメリカの国益からしたら、日中どちらかの二者択一を迫られたら、文句なしに中国を選ぶはずだ。アメリカが中国と本当に対立したら、核戦争を免れない。それを避ける装置が対中戦略対話なのだ。
 現代中国の本質を知ることのできる貴重な本だと思います。
(2011年4月刊。2200円+税)

視覚はよみがえる

カテゴリー:人間

著者    スーザン・バリー 、 出版   筑摩選書
人間は三次元で思考する。48歳にして立体視力を奇跡的に取り戻した神経生物学者が、見えることの神秘、脳と視覚の真実に迫る。
これは本のオビに書かれているフレーズです。脳って固定的なものではないのですね。これがダメなら、あれでいこう。あれがダメなときには、とりあえず、こうやって対応しておこう。こんな具合に融通無碍に対応できる、とても可望性に富んだ器官なんです。
宇宙飛行士が地球に戻ってきたとき、しばらくはヘマばかりしてしまう。なぜか・・・?
大気圏外の自由落下状態にいると、内耳の感覚器官である前庭器官が正常に働かなくなる。宇宙飛行士は、帰還して3日目にようやく正常に戻ることが出来た。むむむ、うへーっ・・・。
人間の赤ちゃんは、生後四ヶ月までは、立体的に物を見ていない。目を内側に寄せる能力、ふたつの像を融合させる能力、立体的な奥行きを認識する能力の三つは、ほぼ同時期に発達する。視力(視精度)が良好なことと視覚が良好なことは、同じではない。文章を読むには、1.0の視力以外のものが必要だ。文字の羅列から意味を読みとれなくてはならない。
ほとんどの人は、文章を読むときに必ずしもページの同じ場所に二つの目を向けてはいない。読む時間の50%は、左目が見る文字のひとつが、ふたつ右の文字を右目が見ている。読み手にとって、この状態は問題を生じない。というのも脳がふたつ目の像を一つに融合しているからだ。情報は協調のとれた形で結合されている。ふむふむ、さてさて・・・。
世界をなんらかの形で細かく知覚しようと思ったら、同時に身体を動かさなくてはいけない。それどころか、体の動きを計画する行動は、おおむね無意識に行われるが、この計画行為こそが目や耳や指の感覚を研ぎすませている可能性がある。知覚と体の動きは、双方向的。絶え間ない会話によって密接に結びついている。
人間の脳のなかには、未開発の配線が数多くあり、その配線は、たとえば新しい技術を身につけるとか、脳卒中から回復するとかいった状態によって活動せざるをえなくなるまで、いつまでも未開発でありつづける。損傷から回復したり、新しい技術を学んだり、知覚を同上させたり、さらには新たな主観的な感覚を身につけたりするために、脳は一生のあいだ配線を変えつづける。
著者は、幼いころ内斜視を発症し、その後、3回の外科手術によって目の位置はそろったものの、二つの目で同時に物を見ること、すなわち両眼視がうまく出来ないまま成人しました。そして、40代の半ばを過ぎて視能療法を受けて思いがけずに立体視ができるようになったのでした。そのことへ驚きと喜びと戸惑いの入りまじった強烈な感情がこの本にしるされています。
視覚障害者とは、単に目の見えない人ではなく、むしろ視覚なしで世界で対処できる脳と技術を発達させた人なのである。このように書かれていますが、この本を読むと、それが納得させられます。
(2010年12月刊。1600円+税)

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