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いま、憲法は「時代遅れ」か

カテゴリー:社会

著者  樋口 陽一    、 出版  平凡社
 大日本帝国憲法を制定するための会議のなかで、伊藤博文は次のように言った。
そもそも憲法を設ける趣旨は、第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保全することにある。
驚きましたね。伊藤博文の言うとおりなのです。
 憲法を中心にして世の中を組み立てていく立法主義の考え方の根本は、国民の意思によって権力を縛ることにある。
そうなんです。憲法は一般の法律とは、まったく違うものなのです。自民党も民主党も、発表した改憲案のなかで、憲法とは国民の行動の規範だとしていますが、根本的に間違っています。
アメリカでは、連邦最高裁の9人の裁判官の宗教的分布が絶えず問題になる。かつてはプロテスタントばっかりだったようですが、今ではカトリック6人、ユダヤ教3人になっているとのことです。国民の宗教分布とは明らかに異なっています。
 日本で、15人の最高裁判事がどの宗教を信じているのか、誰も知ろうとも思わない。そこは、日米の大きな違いだ。そうですよね。15人の判事のなかにキリスト教の信者もいるかもしれませんが、おそらく大半はあまり熱心ではない仏教徒ということになるのでしょう。
 いま、アメリカの大統領の候補者が何人も取り沙汰されていますが、有力候補二人がモルモン教徒だというのが話題になっています。日本にも布教のために若者を送り込んでくる、かつては一夫多妻を公認していた宗教です。アメリカも変わりつつあるのでしょうか。
 アメリカのイラク攻撃にいち早く賛同した小泉首相(当時)すら、自衛隊を送るとき、イギリスやイタリア、スペインの首相とは違って、「戦争をしに行く」とは言えなかった。それだけの規制力を憲法9条は今でも持っている。9条の旗はボロボロになってはいるが、日本国民はまだ握って放さない。品川正治氏の指摘するとおりだと思います。
 アメリカの憲法には、今でも日本国憲法の25条とか28条のような社会権を保障する規定がない。アメリカでは国民皆保険を主張する人はアカだと思われるといいます。とんでもない偏見にみちた国です。
リベラルという言葉は、アメリカとヨーロッパでは、意味がまったく違う。アメリカでリベラルというのは通常、進歩的なこと、左派を意味している。ところが、ヨーロッパでは、経済活動領域における自由放任主義を指している。したがって、リベラルとは右派を指す。ええっ、そうなんですか・・・・。  
近ごろ日本の学校では、民主主義とは、他人に迷惑をかけないことと教えているという。これでは世の中の雰囲気に順応する無定見な生き方が結果として奨励されてしまう。そうですよね、民主主義って、そんなものじゃないでしょ。
55年体制にも功があった。自民党による長期政権にもかかわらず、ある種のコンセンサス政治が行われ、特定の政治勢力の一方的な切り捨て、排除という意味の独裁政治ではなかった。というのも、自民党の実態は、複数の中小の政党の連立政権だった。そして、議会外の要素として、労働運動、学生運動、マスメディア、論壇という場面で、野党の勢力と共通の主張がむしろ一貫して影響力を維持し続けてきた。そして、憲法9条をめぐる「偽善の効用」が、歯止めのない軍事化を抑止した。
「霞ヶ関退治」の掛け声が意味しているのは、プロフェッショナル攻撃である。かわりに登場するのが素人支配。経済界のリーダーたちをはじめとする素人が、さまざまの公的あるいは私的の審議会をつくり、そこで決めたことが経済政策以外でも、いわば排他的に政策として貫徹していく。
「官から民へ」という掛け声とともに登場してくるのは、弱者を犠牲にして恥じない大企業なのですよね。
久しぶりにスカッとする思いでした。憲法をめぐる状況を改めて考えさせてくれる本として、一読をおすすめします。
(2011年2月刊。1500円+税)

セカンド・チャンス

カテゴリー:司法

著者  セカンドチャンス 編    、 出版  新科学出版社 
 いい本です。読んでいて、心がじわんと温まってきました。だって、少年院を出て立派に自信を持って人生を歩いている人たちが、こんなにいるって。うれしいじゃありませんか。
 立ち直った元犯罪者と、まだ現役の犯罪者の話すことの違いは、3点にある。
第1. 本物の私は磨けば光るダイヤモンドの原石であるという発見をしていること。
第2. 自らの運命を支配できるという楽観主義に立っていること。
第3. 社会、とりわけ次の世代にお返しをしたい、貢献したいという気持ちをもっていること。
これって、大切なことですよね。どうせ自分はダメな存在なんだと、つくづく自らを卑下して、足を一歩前へ踏み出すことのできない若者がなんと多いことでしょう・・・。
 少年院を出て通信制の高校を卒業。そして社会人推薦で大学の夜間部に入学した人がいます。そして、大学では犯罪社会学の授業を受けたのです。少年院を出て、今は牧師になっている人がいる。少年院を出て、ブラジルに行って新聞記者になった人がいる。少年院を出て、ダルクの職員をしている人がいる。
少年院で働いていた人が代表をしているのがセカンドチャンスなんだ。すごいことですね。こんなネットワークが日本全国に広がるといいですね。
 元レディース総長だった女性の体験談も壮絶です。12歳でセックスした。タバコを吸った。13歳で万引した。シンナーを吸った。15歳の総長。雑誌に取り上げられて、絶好調だった。少年院を出てもとの仲間に会ったとき、リンチされた。
 「みんな、お前のことをねたんでいたんだよ」
「てめーだけ雑誌に取りあげられて、さぞかし、いい気分だっただろう」
 そして今、34歳。4人の子の母親。同じく13歳でセックスし、風俗嬢になり、少年院を出たあと大検をとって2年間のアメリカ生活。そして今は大学生という女性も登場します。
 周りに認められたいという思いをセックスでなんとか埋めようとした。身体を求められているということは自分が必要とされているということだって思い、「13歳」というブランドを武器に、どんどん自分の身体を大人に委ねていった。
 お金を手にするたびに、自分にはこれだけの価値があるって、どこか満たされた気持ちになっていた。これって錯覚なんですよね。それに気がつくまでに時間がかかることとは思いますが・・・・。
 少年院を出た16~17%が少年院に再入し、10年以内に2割弱が刑務所に入っている。このことは少年院で身につけたことが良好な社会生活を保障するわけではないことを意味している。非行少年が社会でやり直すことの難しさを示している。しかし、逆に8割は、それなりに社会で生活していることも見落としてはならない。これは、すごいこと。
立ち直った人のストーリーには共通点が3つある。
 一つは、生育過程で家庭あるいは学校から十分な保護や支援を受けていないことが非行の遠因となっている。ある意味で過酷な運命の被害者だったのが、ある時点で自分の人生の主人公となっている。
 二つ目に、人との関係性、あるいは運命といった大きな流れに自分が生かされていることの気付きと感謝がある。
 三つ目に、自分にできることで社会に役立ちたい。非行から立ち直った経験を生かして、立ち直り途上にある後輩を助けることが自分の努めであり、もっとも自信を持って自分にできることだと考えていること。
 このようなセカンドチャンスです。これからも元気でがんばってくださいね。応援しています。
(2011年1月刊。1500円+税)

リンカン(上)

カテゴリー:アメリカ

著者    ドリス・カーンズ・グッドウィン  、 出版   中央公論新社
 人民の、人民による、人民のための政治。
 忘れることの出来ない、きわめて簡潔な民主主義政治を言いあらわした言葉(フレーズ)です。アメリカを二分して何十万人もの戦死者を出した南北戦争。それを引っぱっていったアメリカの大統領として、リンカン大統領ほど有名なアメリカの大統領はいません。そのリンカンは、実は貧乏な家に生まれ無名の弁護士としてスタートしたのでした。そして、意外にも大統領選挙に勝ち抜くや、それまでの政敵たちを自らの内閣の有力メンバーに取り込み、しかも相互に深い信頼関係を築き上げたというのです。オバマ大統領がヒラリー・クリントンを国務長官にしたのと似ていますね。ただ、リンカンも、軍隊の指導部の人選には苦労したようです。さまざまな派閥均衡人事が軍事作戦にプラスするとは限らないのでした。ただ、リンカンには時の運がありました。
 リンカンの容貌は、とても美男子に属するものではなかった。漆黒のもじゃもじゃ頭、しわの深く刻まれた褐色の顔、深く窪んだ両眼は、実際の年齢よりも老けこませていた。しかし、リンカンがいったん口を切ると、悲哀にみちた表情はたちまち霧散した。愛嬌のある笑顔を輝かせ、一瞬前まで悲しみで凍てついていたところに、鋭敏な知性を、心底からの本物の優しさを、そして真の友情の絆を認めることができた。なーるほど、すごいですよね。
リンカンは、人生を肯定するのに十分なユーモアのセンスと失敗からはいあがる絶大な回復力を有していた。若いリンカンに強い自信をもたせたのは立派な体格と腕力だった。明るく冴えた、好奇心の強い、そして極端に辛抱強い心根は、リンカンの持つ生来の資質だった。
 子どものころ、父親のにっちもさっちもいかない田畑で長時間はたらかされた経験のあるリンカンは、土を耕すことがロマンチックだとも気晴らしになるとも一向に思えなかった。
 当時のアメリカは、若者たちの国だった。28歳のリンカンも文化講演会で熱っぽく語った。リンカンの父親は、読み書きを一度も学んだことがなく、文字を書くといっても、自分の名前をへたくそに署名するだけだった。
 リンカンの育つ過程で最初の自信を植えつけたのが実母の愛情と支援のなせる業であったとしたら、それを後々支払えたのは、リンカンを実子のように愛した継母だった。
 1850年ころのアメリカは、人口2300万人。その大部分は田園地帯の広がる国で、人々の最大の関心事は政治と公共の問題だった。政治の闘士の第一の武器は弁舌力だ。雄弁の才能は政治の世界で成功を手にするカギだった。リンカンも幼いころから、その切り株の上に立って遊び仲間に演説しては腕を磨いていた。
 1852年に発刊された『アンクル・トムの小屋』は、1年のうちに30万部を売り上げた。リンカンは奴隷所有者を手酷く叱りつけるよりは、むしろ彼らの立場に立って共感することで理解しようと努めた。
リンカンは、努力、技量、幸運の組み合わせによって着実に地歩を固めていった。リンカンは確実に知っていること以外はみだりに口にしなかった。言葉に対する生来の細心な感受性と精確さ。また、さまざまな聴衆を前にして滅多に迎合しなかった。
奴隷制度問題だけに争点をしぼって選挙を戦っていたら、リンカンは敗北していたかもしれない。
 南北戦争が始まったとき、北部の熱狂的な連帯意識は、南部の勢力と覚悟を見くびっていた。戦争を60日以内に終結するものと予測していた。しかし、ブルラン戦での目をむくばかりのどんでん返しと壊滅的な敗走を経て、北部人たちの抱いていた勝利への容易な錯覚は霧散した。
 上巻はリンカンが大統領になるまでの苦労、そして南北戦争がついに勃発したところで終わっています。リンカンを知るって、アメリカを理解するためには不可欠なんだと改めて思いました。上巻だけで630頁をこす大作であり、読みごたえ十分です。
(2011年2月刊。3800円+税)

証拠改竄

カテゴリー:司法

著者    朝日新聞取材班  、 出版   朝日新聞出版
 検察官が被告人に有利な重要証拠を隠すというのは古くからありました。松川事件の諏訪メモが有名です。しかし、被告人を不利にするため、証拠をいじって不利なものにする(改ざんする)というのは、初めて聞いたとき、まさかそこまで・・・と信じられませんでした。弁護士生活38年になる私自身もいつのまにか法曹一家意識に毒されてしまっていたのですね。大いに反省させられました。警察も検察も我が身の保身のためなら平気で証拠をつくりかえてしまう。これは古今東西、どこにでもある、ありふれた話なのです。そんな権力の不正とたたかうために私たち弁護士が憲法上の存在として位置づけられているわけなのです。申し訳ありませんが、久しぶりに弁護士の責務の原点にまで思いを至らせました。
 それにしても大阪地検の特捜部の対応はお粗末でしたね。前田検事の証拠改ざんを容認したかどうかはともかくとして(起訴された特捜部長は刑事責任を争っています)、それを聞知した時点で公表し、被告人に対して謝罪すべきは当然でしょう。その時点までに、特捜部内で大激論になったとされていますので、そのとき臭いものに蓋をしてしまった上層部の責任は重大ではないでしょうか。
 本件の発覚する端著はご多聞にもれず、内部告発でした。やっぱり、これだけひどいことが起きると、闇から闇に始末するのは許せないと思う人が出てくるものなのですよね。それにしてもフロッピーディスクで改ざんの立証が出来てよかったですね。客観的な裏付けがないと、問題があいまいにされてしまう危険が大いにありますからね・・・。
 検察用語でフタをするというのは、対多者に都合の悪い調書をつくっておいて、裏切ったら暴露するぞ、別件で逮捕するぞと脅しの道具に使うこと。なーるほど、それも駆け引きの道具なのですね。
 大阪地検特捜部の主任検事は、検事や検察事務官からの捜査報告書や供述調書など、担当する事件すべての証拠に目を通す。特捜部長よりも事件の構図を詳しく把握し、権限はなくても捜査を実質的に指摘していると言える。
 フォレンジック調査。コンピュータに関する犯罪があったとき、電子的記録を分析し、データ上で起きたことの証拠を集める調査技術のこと。不正アクセスの痕跡を探ったり、破壊・消去されたデータを復元したりすることから、電子記録に対する鑑識作業とも言われる。費用は1件あたり数十万円から100万円ほど。本件では20万円かかった。
 事件の容疑者や参考人から重要な供述を引き出すことを「割る」と検察では呼ぶ。それに長けた検事は「割り屋」と呼ばれる。
 関西検察。大阪高検が管轄する近畿2府4県を中心に、大阪高検と各地検を軸に、異動をくり返してキャリアを積んでいく検事たちが築く人的ネットワークのことをさす。関西検察に対して、関東検察という言い方はしない。関西検察の幹部たちは、大阪地検特捜部に配属された経験をもつ検事が多い。特捜部は関西検察にとって、いわば母胎のような組織だ。
 検察の底知れぬ腐敗が暴かれた事件を追った迫真の本です。
(2011年3月刊。1400円+税)

どうすれば「人」を創れるか

カテゴリー:人間

著者  石黒 浩    、 出版   新潮社
 自分にそっくりのロボットがいて、それを操作できるとしたら・・・・。これって、便利なようで、実は怖い話のような気がします。
 アンドロイドとは、人間酷似型ロボットのこと。アンドロイドがいると、何が見えてくるのか、そのアンドロイドは自分に何を教えてくれるのかを、この本は考えています。
 ロボット大国日本と威張っていたように思いますが、福島原発事故では、残念ながら日本のロボットは活躍できませんでした。これも「絶対安全」の神話のもとではロボットの必要性がなかったということなのでしょうか。何億円もかけていたようですが・・・・。
ロボットには不気味の谷というものがある。見かけは人間そっくりなのに、動きがぎこちないと、非常に不気味なアンドロイドになる。まるでゾンビのような不気味さが出る。見かけが人間らしいものであればあるほど、動きも人間らしくないと、人は非常に不気味な感じをもつ。
 ロボットらしい見かけから、人間の生々しい声が聞こえてきたら、見かけと声のバランスが崩れ、奇妙に思ってしまう。だから、ロボットのしゃべる声は、あらかじめ録音された合成音にしている。
アンドロイドを遠隔操作が出来るようにした。長く遠隔操作していると、だんだんそのロボットの体が自分の体のように思えてくるようになる。
 私たちは、他人が見ることのない左右逆転した鏡の中の自分の顔を自分だと重い、他人が見ている写真の顔を本当の自分とは少し違う自分と思ってみている。つまり、私たちは常に自分に対して、少し誤解しながらに日々を過ごしている。左右を入れ替えた画像は一方が男っぽい顔となり、もう一方が女っぽい顔になる。なーるほど、いつも鏡に映った顔を自分の顔とばかり思ってみていましたが、それは他人の見ているものと微妙に異なるのですね・・・・。
 時間さえかければ、人間はたいていのものに人間らしさを感じるようになる。人とは、それほどまでに適応性が高い。
電車の中でケータイで話しているのを聞くと迷惑に感じるが、客同士の会話は、それほどではない。そうでしょうか・・・・。そこで、遠隔操作のアンドロイドと話しているとどうなるか。ケータイと同じ仕組みになのに、人はやがて迷惑と感じなくなる・・・・。
 アンドロイドをつくっていくのは人間とは一体いかなる存在なのかを考えさせるものでもあることがよく分かる本でした。でも、自分そっくりロボットがいて、いつまでも若々しかったら、ちょっとどうでしょうか・・・・。やっぱり、お互い困りますよね。面白い本でした。
(2011年4月刊。1400円+税)

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