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福島第一原発事故を検証する

カテゴリー:社会

著者   桜井 淳 、 出版   日本評論社
 原子炉建屋の破壊度は尋常ではない。原子炉建屋は、きわめて堅牢につくられている。普通の商業ビルとちがって壁が厚く、鉄筋コンクリートで50センチはある。非常に強固・頑丈なもので、外部から小型ミサイルを撃ち込まれても大丈夫なくらいの強度をもたせている。めったなことでは側壁がすべてきれいに吹き飛ばされるなんて起きるはずがない。それが起きたのは、なぜか?
 周辺のあれだけ厚い壁を全部吹き飛ばす水素の量は、ざっと推定すると、炉心全体でジルカロイと水蒸気の反応が発生してほぼ炉心全体が溶融するような現象が起こらない限りありえない。
 政府首脳は事実を知っていたけれど、国民の様子を見ながら、徐々に情報を出していった。事実を全部いってしまうと社会がパニックに陥ってしまう。そう考えた、きわめて政治的な対応だった。
 日本の原発の第一の特徴は、一つの発電所敷地内に多くの原子炉が設置されていること。なるほど、そうですよね。だから、大きな地震にあうと、連鎖的な大事故に陥る危険性を内包している。
 福島第一原発の事故は天災ではなく、人災である、このように断言する。
 日本では、非常用ディーゼル発電機に絶対的な信頼性をおいている。そして、これを安全性のテーマにすることを意識的に回避してきた。
日本には、個々の機器の信頼性を評価できる専門家は存在するものの、発電所全体の配置や階層別機器などシステム全体の信頼を的確に評価できる専門家が一人もいない。安全審査では、そのような評価が欠落していた。安全審査が的確に実施されていたならば、福島第一原発の事故は、たとえ地震や津波の影響を受けても、発生しなかったと判断できる。福島第一原発の事故は安全審査の欠陥によってもたらされたもの。よって天災ではなく、人災である。
 軽水炉の設計寿命である40年をこえて運転している日本原電。敦賀原発1号機と関西電力・美浜原発1号機は、即刻、運転停止・廃炉にすべきである。
 さらに、1970年代に運転開始した第一世代の軽水炉は、すべて段階的に停止・廃炉にすべきである。まったく同感です。一刻も早く、子どもたちを守り、私たちみんなが安心して住める日本を回復しましょう。「今のところ放射能被害の心配はない」なんて大嘘ついて国民を欺し続けるのは即刻やめてほしいものです。
(2010年7月20日刊。1400円+税)
 このところ相次いで心が震えるほどの素晴らしい歌唱に接することが出来ました。まずは高松でのオペラです。残念ながらイタリア語なので歌詞は聞きとれませんでしたが、その声量に圧倒される思いで聞き入りました。次は、東京で混声合唱です。「わが大地のうた」など、心にしみる歌でした。福島第一原発の事故によって故郷に住めなくなった人々の思いに通じつものでもありました。
 福島から佐賀に避難してきた人の話を聞く機会がありました。「裏切り者」みたいに言われたりしたそうです。でも、5か月の子どものために逃げ出したとのこと。福島では放射能の危険を言うと、風評被害を増やすような受けとめ方もあるということを聞き、本当に世の中は難しいものだと思いました。

ツノゼミ

カテゴリー:生物

著者  丸山  宗利    、 出版  幻冬社   
 ありえない虫。こんなサブタイトルがついています。まさに、ありえない、奇妙奇天列な姿と形、色模様です。こんな虫が私たちの身近にたくさんいるなんて信じられません。でも、実際にたくさんいるというのです。だけど気がつきませんよね。なぜ・・・・?
 その秘密は、体調がわずか数ミリとごく小さいからです。でも、なんという形をしているのでしょう。カブトムシの頭に似ていて、そこから垂直に角が立ち上がったのは分かるとして、そこで4つのこぶがくっつくと、こりゃあ、一体何のため・・・・?不思議です。カサホネツノゼミとなると、丸いこぶの代わりに、日傘の骨みたいなツノが伸びています。
 ウツセミツノゼミは、透明なセミのぬけ殻(空蝉、うつせみ)そのものです。
ツノゼミは名前にセミとつくけれど、セミとは異なるグループの昆虫。大きさは1センチに満たず、だいたい2~25ミリほど。あまりに小さいため、人間の世界では見過ごされやすい。肉眼ではなく、ルーペで拡大してみて、はじめて、そのユニークさが見えてくる。
 正面からみたツノゼミの顔がまたなんとも奇妙な色と形、模様をしています。まるで、戦国武将のヨロイ・カブトのオンパレードです。
ハチマガイツノゼミは、背中のツノがハチそっくりになっている。ツノゼミは、一生を植物の上で過ごす。植物の芽やとげに似せている色や形のものが多い。また、ハチなどの危険な生きものに似せているもの、芋虫のふん、果ては昆虫の脱皮したぬけ殻まで、食べてもおいしくないものになり切っているものも多い。
 ツノゼミは植物の汁を吸って生きている。植物の汁には糖分が多く含まれているので、余った分は水と一緒に対外へ出す。ツノゼミは甘いおしっこをする。アリにとって、このツノゼミが出す甘い露はとても魅力的。1匹のツノゼミに40~50匹のアリが押し寄せてくることもある。
 アリは甘露をもらう代わりにツノゼミの護衛を引き受けている。アリはツノゼミを危険から守ろうと努力する。アリとは持ちつ持たれつの関係にあるのですね。
ツノゼミはオスとメスの交尾時間は長く、数十時間に及ぶことがある。このとき、オスとメスは何らかの交信をしていると考えられている。愛のささやき、ですね。
 そして、子育ては母親の役目です。卵を狙う敵を寄せつけません。ツノゼミの寿命は長くて3ヶ月。
 一読、一見の価値ある写真集ですよ。世界がグーンと広がります。
(2011年6月刊。1300円+税)
 朝、雨戸を開けると一番に目につくのは白っぽいクリーム色で、丸っこい可愛いらしい花を咲かせているシューメイギク(秋明菊)です。そのそばには、紫色の斑入りの不如帰(ほととぎす)の花が、ひっそり咲いています。
 フヨウ(芙蓉)の花は咲き終わって、ある意味のように丸まっています。そのかわりがエンゼルトランペットです。黄色いトランペットの花をたくさんぶら下げています。
 キンモクセイの芳香のなか、モズの甲高い鳴き声を聞きながら、チューリップの球根を植えつけました。

天網恢々

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  林 望    、 出版   光文社
 リンボー先生の小説を読むのは、『薩摩スチューデント、西へ』に次いで、これが2冊目です。もちろん、エッセイ集はいくつも読んでいます。私とほとんど同世代のわけですが、エッセイだけでなく、こうやって小説まで立派に書きあげるとは、まことにうらやましい限りです。
 ときは江戸。主人公は江戸町奉行という重職にある根岸肥前守鎮衛(やすもり)。江戸市中に起きる、さまざまな出来事、そして風説を書きつけていったことで史上有名な人物です。
 そして、この鎮衛、150俵扶持(ぶち)の三男から、とんとん拍子に出世していきます。佐渡奉行からついには江戸の南町奉行にまで昇進した。当代きっての出頭人(しゅっとうにん)である。諸国の珍説綺談を話す人々が寄り集まってきて、それを楽しく聞いて記録した。大耳の持ち主から、耳の九郎左衛門、つづめて耳九郎(みみくろう)の旦那と呼ばれて親しまれていた。
 不義密通から主人を毒殺しようとする番頭。中間奉公の身で100両を手にしたときふと魔がさして持ち逃げを考えたが思いとどまったところ、その100両がすりとられてしまった話・・・・。
 落語の世界、人情話を聞かされている気分になって、ついつい作中のワールドに引きずりこまれてしまいました。うん、うまい。リンボー先生に座布団5枚。
(2011年8月刊。1600円+税)

救える死

カテゴリー:社会

著者  天笠  崇       、 出版  新日本出版社 
 日本では自殺者3万人を時代が続いている。あと2年もすれば、累計で45万人となる。これは大都市1個分に相当する人口が消滅したことを意味する。もう少しすると、鳥取県一つが消滅するに等しい人口である。この13年間に、3000人に1人の日本人が自殺で命を落としている。交通事故による死者は年間4812人(2010年)なのでその7倍に近い。これって、本当に大変なことですよね。東京マラソンの参加者は3万人だそうですが、その光景をビデオで見ながら、3万人というのはすごい人数だと思ったことでした。
自殺者3万人の前半は中高年齢層の増加が目立った。最近では、30代を中心とした若年層へシフトしてきている。これは、うつ病をふくむ気分感情障害の患者数の推移と一致している。毎年決算期の3月に自死者数が多い。また、10月も増加している。
男性の自死者数が全体の7割をこえる。20代、30代の男性で上昇しているが、とくに20代の上昇が大きい。65歳以上では、男女とも自死死亡率が減少している。40代、50代の男性の自死の原因は、経済・生活問題がもっとも多い。
 自死は、15~39歳の死因の第一位。20~24歳では死因の半数を占める。場所は自宅が最多。月初や月末。連休明け、月曜日に多い。男性は6時台、5時台が多く、女性は12時台、15時台が多い。
競争、競争をあおる昨今の日本の風潮は自死を促す大きなストレス要因になっていると思います。その意味で大阪の橋下知事の相変わらずの強権的な言動は責任重大です。もっとゆったり、心安らかに生活できるようにするのが政治のつとめではありませんか。競争にうち勝つ教育を子どもたちに押しつけるなんて、最悪・最低の府知事と思います。弱い子、ハンディを持つ子どもは生きる資格がないと橋下知事は考えているのでしょうか。そんな弱者切り捨ての政治こそすぐにやめさせるべきだと思います。
もっと生活にゆとりのある、心やさしい社会を目ざしましようよ。
(2011年8月刊。1500円+税)

古文の読解

カテゴリー:社会

著者  小西  甚一  、 出版  ちくま学芸文庫  
 小西甚一というと、私にとっては高校生のころ大学受験のための『古文読解法』で大変お世話になった印象深い先生です。今も、その本は書棚の片隅に眠っています。捨てるのがあまりに忍びがたいのです。
 入試で合格点のとれる古文学習法なるものが紹介されていますが、私にとってあまりにも高度すぎて、かつて古文を得意科目としていた私なのですが、すっかり自信喪失させられてしまいました。
 著者はおよそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしにこの本を書いたそうです。初版は1981年夏のことだそうですから、今から30年前のことになります。
平安時代の人々が住んでいた家は天井が高く、畳もない。冬の寒さをしのぐよりも夏の暑さのほうが冬よりも辛かったからに違いない。暑さに対抗するには、どうしても風通しのよい構造の家にする必要があった。
徒然草にも「家の造りようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住まひは、たへがたきことなり」とある。
そうなんですよね。自宅にエアコンのない私は、夏には休みの日でもクーラーのある事務所に出ていって書面を書いています。汗をだらだらながしながらでは、とても書面書きに集中することができません。冬の寒さなら、何枚も着重ねすればなんとかなるのですが・・・・。
平安時代の人々は、一般に短命だった。40歳になると、四十(よそじ)の賀という祝いをした。現代なら40歳まで生きたのが目出たいなどという感覚はないが、当時は祝宴をするほどのものだった。なーるほど、そうなんですね。信長のころは50歳といってましたよね。
裳は一番上につけるもので、下着ではない。平安時代の女性は帯を使わない。ボタンの代わりの紐で、あちこちを留めているだけ。
 女性も男性も、寝室でフトンを使わなかった。褥(しとね)という薄いマットを敷き、着物を脱いで単衣だけになり、今脱いだ着物をかけて寝た。
 平安時代の酒は、ドブロク(濁酒)に過ぎなかった。清酒はまだなかった。腕時計なんぞ持っていない平安時代の人たちにとって、むしろ季節によって伸び縮みする時間のほうが自然だった。
掌の大筋が灯火なしに見えてくるときを夜から昼の境、逆に、それが灯火なしでは見えなくなってくるときを昼から夜の境とした。ふむふむ、自分の手で判断するというわけですか。
現在の宮中の婚礼儀式は平安時代のものではなく、明治時代につくられたもので、ずい分新しい。平安時代の貴族の結婚は、次のような手順ですすめられた。
① 仲人が橋わたしをして縁談をまとめる。
② 男から女に申し込む形をとるのが原則。
③ 申し込みは手紙でする。それを省略するのが現代式となっていた。
④ 嫁入りではなく、聟入りの形式を取るのが普通。
⑤ 結婚の第一、第二夜は、当人同士だけで過ごし、親は表面に出ない。
⑥ 第一夜を過ごしたあと、儀礼として男から女に手紙をやる。
⑦ 第三夜になって、はじめて親も顔を出し、親類にも披露する。そのとき、聟が誰であるか、はっきりする。これを、「ところあらわし」という。
 こう見ると、本人同士で決めていたようですね。
方違(かたたがえ)とか物忌(ものいみ)は、それを口実として、こっそり息抜きをすることも珍しくはなかった。ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですね・・・。
清少納言は『枕草子』のなかで、実にいろんな場合に「をかし」「をかし」と繰り返している。をかしは、人事・主観的・描写的なもの。これに対して紫式部は「あはれ」を好んでつかった。『源氏物語』のなかには、大変な分量の「あはれ」が登場してくる。「をかし」が理性的・観察的というなら、「あはれ」は感情的・主体的である。
「いきいきした、しかも洗練された感じ」が「いき」。「つう」とは「通」で、よくその方面に通じていること、つまり何から何まで知り抜いていることをいう。通人は、どうも小さなことにとらわれがちで、のんびりしたところがなく、消極的になりがちである。
江戸時代の前期を代表する精神が「いき」で、後期の特色を示すのが「つう」である。形容詞「ゆかし」は、もともと「行かし」であって、そこへ行ってみたいという意味だった。「奥ゆかし」といえば、ずっと奥まで見たい、奥まで知りたいという意味。
日本語は、ヨーロッパ語に比べて、主語を示すことが少ないという特徴をもつ。そうなんですよね。私も準備書面は別として、極力、主語抜きの文書を書くようにしています。
英語にだって面倒な敬語がある。英語に敬語がないというのは誤解だ。敬語を正しく使いこなさないと、中流以上の人たちとつきあうとき、とんだ結果が生じかねない。
「枕冊子」には、耳の鋭敏な人について「蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべこそありしか」という表現がある。
蚊のまつげの落つる音だってお聞きつけになりそうなほどだった。という意味です。蚊にまつげなんてあるはずもありません(そうですよね?)が、なんとなく、ごくごく微かな音のたとえとしてよく分かる表現です。清少納言にすごい文才があると改めて思い知りました。
日本の和歌に出てくる梅は、みな白梅と考えてよい。中国人は紅梅が好きだけど・・・・。
「放下着(ほうげちゃく)」とは禅僧の口ぐせ。「持っているものを捨てろ!」ということ。普通の人は、いろんなものを背負いこんでいる。カネがほしい、遊びたい。好きな女性に会いたい。明日の試合に勝ちたい。あげれば限りない。しかし禅僧に言わせると、そんなものを背負い込んでいるから、ものごとがうまくいかない。捨てるのがよろしい、「カネがほしい」とい考えを捨てたとき、はじめて思い切った営業活動ができて、カネのほうから進んでころがり込んでくる。重荷は思い切りよく捨てるに限る。
500頁もある部厚い文庫本です。パリまでの13時間という長い飛行機のなかで一心に読みふけっていました。古文も漢文も自由自在に読みこなしてみたいものです。
著者は4年前に亡くなっておられますが、英語・フランス語・中国語もマスターしておられたそうですから、まさに語学の達人ですね。しかも、趣味として、能、狂言さらには俳句までたしなまれていたとのこと。偉大なる先達でした・・・・。
 
(2011年1月刊。1500円+税)

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