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織田信長のマネー改革

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  武田知弘 、 出版  ソフトバンク新書 
織田信長のやったことを経済学的に解釈していて、なるほど、そういうことだったのかと感嘆させられました。
織田信長は石山本願寺と戦っているとき、鉄甲船をくり出した。新兵器だった。鉄は、当時、貴重品だった。その貴重品を船の全面に貼りつけたのだから、費用は莫大だった。そんなお金を信長は、どこで手に入れていたのか。
信長公は、金、銀、米、銭に不足することがなかった。
寺、城、港が信長を富貴にした。信長は多くの寺社の利権を奪った。
信長は4回も居城を変えたが、そのたびに富貴になった。なぜか?
信長の城は、敵に対しての牽制でもあり、領民に対して威圧と安心を与えるものだった。逆にいうと、安土城は、巨大な税務署でもあった。
信長は、かなり細かい検地を実施した。信長の城つくりは、すなわち街づくりでもあった。街が発展すると、信長にとって戦略物資を調達しやすくなる。そして、市をたてさせ、地子銭はとらないけれど冥加金はとって、収入を増やしていた。
 信長は港を欲した。港によって莫大な関税収入が保障された。
 信長は、中央政権として、日本史上初めて通貨として金銀の使用を促し、金銀と銅銭の価値比率を制定し、体系化した通貨制度をつくった。また、物を量る単位として、「枡」を統一させた。
 信長は道路網整備のために大がかりな掘削工事も行っている。両端には側溝があり、土手もある本格的な道路である。
信長の時代には、人々は安全に、夏は夜間でも安全に旅ができた。
信長は、庶民には減税し、金をもっているものから果敢に税金をとろうとした。それが楽市楽座であり、地子銭の免除、比叡山焼き打ちなのである。
なるほど、なるほど、と思いながら車内で一気に読み終えました。
(2011年7月刊。730円+税)

国旗・国歌と「こころの自由」

カテゴリー:社会

著者   大川 隆司 、 出版   高文研
 卒業式のとき「君が代」を全員起立して歌わせる、歌わせないと処分する。これって、やっぱり異常だと私は思います。
 厳粛な式でなければいけないから、強制するのはやむをえないという考えがあります。
 でも、生徒が卒業式を企画し運営していくというのがあっていいでしょ。泣いたり、笑ったり、あまり型にはめない卒業式のほうがよほど楽しいし、あとで良い思い出になるんじゃないですか。じっと黙ってありがたい祝辞を聞いているだけ。歌いたくないから、口パクだけして時を過ごす。そんなの、いやですよね。私も、実際、口パク組の一人だったように思います。「君が代」って、暗いし、ぴんと来ない歌ですからね。どうせなら、もっと明るい歌にしたらどうなんでしょうか?
 かつての卒業式は、在校生が卒業生の卒業を祝って送り出し、卒業生が在校生を激励する。いわば、生徒のための式典だった。同じく、入学式は在校生が新入生の入学を祝って迎え入れる、やはり生徒のための式典だった。そうですよね。これが本来の姿でしょう・・・。
 日本政府は日の丸掲揚にについて、1920年代まで、まったく熱意をもたなかった。
 「君が代」について、政府の見解は、「天皇を象徴とするわが国」のことだとする。しかし、政府は英語では、はっきり「天皇の治世」としている。今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と発言しました。これこそ日本人の健全な常識合致しているものだと私も思います。
 「日の丸に対する敬意の強制が、思想および両親の自由を損害する強制とならぬよう、慎重な配慮が望まれる」
 これは大阪高裁判決(1998年1月20日)の判決ですが、まさしくそのとおりです。
 反対意見を強制的に排除しはじめると、やがて、それは反対者を根絶することへとつながってしまう。意見の統一を強制することは、ただ墓場という同一化をもたらすだけである。これは、アメリカ連邦最高裁の判決(1943年)です。本当にいいことを言っていますよね。
 子どもたちが学校で伸びのびと学びあうためには、教職員にも自由闊達さを保障しなければいけません。橋下徹のように、上から何でもがんじがらめに統制してしまえば、教職員は萎縮してしまい、子どもたちはおどおど、おろおろするばかりです。橋下徹の教育は一部エリート養成には都合がいいかもしれませんが、日本全体が底無し沼に沈み込んでしまうだけです。
 それにしても、そんな橋下流の「改革」に「底辺」であえぐ若者の多くが同調しているのですから、世の中はまさに矛盾だらけです。
 著者は、私にとって学生セツルメントの大先輩にあたります。
(2006年2月刊。1100円+税)

民法改正

カテゴリー:司法

著者   内田 貴 、 出版   ちくま新書
 40年近く弁護士をやっていて、法律が変わると、ついていないと悲鳴をあげてしまいます。脳が新しいものを受けつけないのです。商法は今では完全に投げています。まるで分かりません。有限会社がなくなってしまって、私の時代は過ぎたという気がします。
 最後の頼みの綱である民法までも変わってしまったら、もう弁護士廃業するしかありません。トホホ・・・。
 日本民法は明治31年(1898年)7月に施行されています。公布(1896年)から、すでに115年が経過しています。現在、拘束力を持っている法律で民法より古いものは5つしかない。ええーっ、5つもあるのですか・・・。何でしょう?
 爆発物取締罰則、決闘罪に関する件などです。なーるほどですね。
 法律の学習は外国語の習得と似ている。日本語で書いてあるから読めば分かるだろうなどと思ってはいけない。日常語などと思ってはいけない。日常語とは違う言葉であり、日常とは違う文法があるのだ。
 なるほど、なるほど、そうなんですね。英語ができるからといって、アメリカですぐ弁護士になれるわけではないのですよね。
 日本民法の成り立ちを改めて勉強しました。
 日本民法は、内容的には、フランスとドイツの影響を半々程度に受けた法典である。イギリスやベルギーの影響を受けた規定もある。したがって、フランスとドイツをともに母法とする法典と言える。
 日本民法は条文の数が極端に少ないという特色がある。フランスは2486条、ドイツは
2385条なのに、日本は半分以下の1044条しかない。これは、細かな条文を全部落として、原則だけ、それも非常にシンプルに書くという方針が採用されたことによる。
 日本の民法をつくるとき、法典の名宛人から、一般国民は完全に抜け落ちた。西洋式の民法はできても、その条文だけでは裁判ができない。あるいは行動の具体的な指針を民法から導くことができないことになった。
 初期の段階から、条文に書いてあることと解釈論が乖離していた。条文はフランスからきているが、解釈論は異なる条文を前提としたドイツからきているということが珍しくなかった。解釈といいながら条文の解釈などしていないというのが日本の解釈論の難しさの原因だということが分かりました。
 いま、国際的に、消滅時効期間の短縮化が大きな流れになっている。ドイツでは時効
30年から3年に短縮した。フランスも30年を5年にした。
 日本でも20年を除斥期間ではなく、時効と解する動きが出ている。
 約款は19世紀の末にできた日本民法典の知らない現象である。
 ええーっ、なんということでしょうか・・・?読んでもいない約款条件が、なぜ契約内容になっている当事者を拘束するのか、というのは難問である。
 ふむふむ、そう言えば、そうでしょうね・・・。
 民法改正の必要性を実に分かりやすく解説した本として、感心しながら読みすすめました。まだまだ、いろいろ難所はたくさんあるようですが・・・。
(2011年11月刊。760円+税)

ラーメンと愛国

カテゴリー:社会

著者  速水健朗 、 出版  講談社現代新書
ダイエットにいそしんでいる私はラーメンをほとんど食べません。いえ、好きなのです。ラーメンとギョーザなんて最高です。でも、我慢、ガマンです。
トンコツ・ラーメンを食べ慣れていましたので、高校生のとき修学旅行で初めて東京に言ってラーメンを食べて、そのまずさにびっくりしました。なに、これ、ウドンじゃないの。東京の醤油味ラーメンに舌がついていけませんでした。東京で大学生になってからは、タンメンを愛好しました。やっぱり野菜を少しでも摂ろうとしたのです。
 ラーメンほど激しく変化する食べものも珍しい。
 醤油やみそ、塩が定番だった時代から、現在の主流はとんこつ魚介、しょうゆとんこつ、そしてつけ麺が定番となった。ラーメンの具も、ナルトとほうれん草が消え、海苔と煮玉子が登場し、定着している。
 ラーメンほど呼び名が変わる料理も珍しい。かつては南京そば、以後、支那そば、中華そば、ラーメンと変わってきた。いまどきのラーメン屋は、ラーメンとは名乗らず、麺屋、麺処などが主流。
 南京そばがラーメンに変わるには3つの大きな発明があった。一つは、スープに醤油を入れたこと、二つ目は、かつお節やニボシなど和風ダシを加えたこと。三つ目には、麺を縮らせたこと。
 ふむふむ、ラーメンといっても、この100年という短い歴史の中で呼び名も中味も大きく変化してるんですね。
 戦前の支那そばは、都市下層民の深夜飲食の楽しみとして、娯楽的に食していたもの。また、深夜労働者が安価な夜食として食していたものだった。
 戦後はじまった「サザエさん」のなかで、シナソバが中華そばに変わったのは1950年のこと。
カップヌードルが普及したのは1972年のあさま山荘事件のとき、警察が愛用しているのをテレビで放映されたことによる。
 2005年7月、宇宙食ラーメンとしてスペースシャトルに搭載された。実はラーメンという言葉がいつどこで生まれ、誰が命名したのか、定説はない。1900年より前のことではある。1970年ころ、フランチャイズのラーメン店が全国に広がった。札幌ラーメン系なのである。1990年代末、ラーメン屋を代表するスタイルとして作務衣系が定着した。
インスタントラーメンは915億食。中国がダントツの1億。ベトナムではエースコックが26億食。「マルちゃん」はカルフォルニアの刑務所で人気がある。通貨がわりとしても通用している。
ラーメンって、すごい力を持っているのですね。よく調べてあるのに驚嘆しました。
(2011年10月刊。760円+税)

60歳からのマジック入門

カテゴリー:社会

著者   麦谷眞里 、 出版  東京堂出版
 私はマジックにとても興味があります。ハウステンボスに泊まったとき、2度ほど大がかりなマジックショーを見ました。舞台の上でオートバイに乗っていて、姿が消えたと思ったら、会場の奥、舞台の反対側からオートバイに乗って同じ人物が姿を現すのです。まさに瞬間移動術です。これんなことが出来るのなら、飛行機なんて不要ですよね。ドラえもんの「どこでもドア」と同じなのですからね。私も欲しいです。
 そして、いかにも重たい本物のゾウが舞台(地面そのものです)にいて、そのゾウの周囲を大きな鏡で取り囲んでしまいます。そして、鏡を開け放ったときには、なんとゾウの姿はどこにも見当たらない。そんなマジックに驚嘆しました。
 東京には手品ショーを身近でやってくれるスナックがあります。知り合いの弁護士に連れていってもらいました。お札がどんどん増えていく手品もあります。これじゃあ、まともに働くことなんてバカバカしくなってしまいますよね。こんなのマジックの種明かしをぜひ知りたいと常々思っているところに、本書を手にしました。
 著者は、なんと厚生労働省の現役官僚で、日頃は高齢者対策に関わっています。そして、マジック歴50年という医師でもあります。つまり、子どものころからマジックに取りつかれた人なのでした。
 マジックは、見ている観客が錯覚を楽しむ高尚な娯楽である。
 手を目より早く動かすことはできない。観客が実際に見ているものや見えているものが大事なのではなくて、観客の「心」が本当に何を見ているのかが重要なのだ。観客の「心」を別方向に誘導することに成功すれば、どんなマジックも上手に演じることが出来る。
 観客の「心」の誘導は、実は、人生経験が豊富な人ほど巧みなのだ。だから、マジックを60歳から始めるのは時宜を得ている。うむむ、そうなんですか。といっても、私のように不器用ではむずかしいのでしょうね・・・。
 マジックは、これから何が始まるのかをあらかじめ観客に言わないのが大原則である。ハンカチーフを丸めて握った手のなかに入れていくと、手を開いたときには卵になっているというマジックのタネ明かしがされています。なーんだ、そういうことだったのか、というネタです。
 また、コップのなかの大量の牛乳を丸めた新聞紙に注ぎ込んでいき、その新聞紙を開いてみると、どこにもミルクがない。ミルクは、いったい、どこに消えたのか?
このネタ明かしは、コップが2重になっていて、大量のミルクと見えたのが錯覚なのでした。やっぱり、何にでも、タネも仕掛けもあるのですよね。
かなりの練習を必要とするようですし、私には向いていないと思いますが、そうは言っても、マジックの一つくらい身につけておいて、若い女性の前で披露して注目を集めてみたいものなんですが・・・。
(2011年9月刊。2500円+税)
 明けましておめでとうございます。
 今年も引き続きご愛読ください。
 正月休みに恒例の人間ドック入しましたが、今年はなんと肥満と診断されてしまいました。ガーン、ショックです。体重がそれほど増えていないのですが、お腹まわりがぷっくらしています。いま注目のタツノオトシゴはオスが子育てするので、ぷっくらでもメスにモテるそうですが、今さらお腹ぷっくらでもてても仕方ありませんよね。なんとかウエストを減らすつもりです。
 お正月はせっせと庭づくりに励みました。おかげで庭がすっきりしています。春に向けての手入れが欠かせません。
 いま黄色いロウバイの花が盛りです。ジョウビタキの姿を見かけるのが少ないのが残念です。
 今年が良い一年であることを願っています。

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