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カテゴリー: 社会

山人の話

カテゴリー:社会

著者:小池善茂・伊藤憲秀、出版社:はる書房
 新潟県の山奥にあった三面村に住んでいた人の昔語りです。残念なことに、今ではダムの湖底に沈んでしまいました。戦前の村の生活が語られています。
春はクマ猟、ゼンマイ採り、夏はカノと呼ぶ焼畑でソバやアズキ、アワなど雑穀をつくる。秋はクマの罠であるオソを切り、キノコを採る。冬は、寒中のカモシカ猟、蓑や笠、ワラジをつくって春に備える。
 昔なつかしい、そして貴重な山の生活の記録です。
 クリ林では、個人でクリを拾うのではなく、村で拾う。明日の朝、クリ拾いするざーい、と夕方のうちに触れをまわす。そして、拾ったものは、みんなで平等に分ける。これは大昔から決めてきたこと。
 壇ノ浦の合戦で平家が負けてから越後の三条に来た人が先祖。池大納言といった。
 人生わずか50年。60歳まで仕事できる人は、ほとんどいないくらいだった。
 寒中(かんちゅう)は、カモシカ狩りが主だった。
 半寒過ぎたら、山駆けるな。雪崩(なだれ)の危険がある。表層雪崩でなく、全層雪崩の危険がある。全層雪崩のときは、表層雪崩のときのように泳ぐようにしてしのげるものではない。雪崩にあわないためには、雪崩の起きるようなところを通らないこと。それ以外に方法はない。人間では、どうにも出来ないのだ。大きな木のないところは、かえって雪崩の危険がある。
 山に入る人を山人(やまど)と言って、猟に行く人だけでなく、たとえば、山に伐採に行く人でも山人と言った。
 雪の時期でも、夏でも、伐採に入るには「木伐山人(きっきりやまど)」と言った。
 山を歩くときには、お腹がすいて歩けなくなったから食べるというのではダメ。すいても、すかなくても、巻狩りする前に食べておく。そうでないとカモシカを逃してしまう。そのためには、お餅を十分に腰について持っていく。戻って来るまで残っているくらいの支度を毎日していかないとダメ。疲れても、遅くなっても、深い雪だって耐えられるけれど、お腹がすいては耐えられない。腹減ったら何もできない。だから、食べ物が一番大切。
 クマと山の中で出あったら、クマより強いんだよ、あんたより強いんだよという態度を示さないとやられてしまう。
 クマは、いよいよ食べ物がなくなると、何日もかけて自分の生まれたところへ行く。クマが休むのは、必ず尾根この上に上る習性を利用して、巻狩りは上へ上げてやる。
 山では人の血は嫌われる。山では、血というのは絶対ダメ。
猟師は山言葉をつかう。山言葉は、村の内で使ってはならない言葉である。
 山境を越えると、猟師と送り人は、言葉を交わさない。猟師は「山の人」であり、送り人は「村の人」であるため。送り人は小屋に着いたら、荷物を置いて、挨拶もせずにそのまま帰っていく。
 山の生活が、巻狩りの方法をふくめて、道具などが図解されていますので、視覚的な想像も出来て理解できる楽しい本になっています。
 つい、マンガの『釣りキチ・三平』を連想してしまいました。
(2010年4月刊。1600円+税)

亡国の中学受験

カテゴリー:社会

 著者 瀬川 松子、光文社新書 出版 
 
 いまの日本では、中高一貫校が大人気ですし、公立中学・高校の不人気は定着しています。公立学校は暴力の支配する恐ろしいところというイメージが世間にすっかり根づいているからです。いったい、どうしたら、こんな状況を打破できるのでしょうか・・・・。
 中学受験に関するアドバイスの指摘の大半は、利害関係のある人によってなされている。つまり、決して中立の立場から語られているわけではない。
 ある中高一貫の女子高では、中一から高校卒業までのあいだに30人がいなくなった。いなくなった理由は、拒食やリスト(手首)カットとか、精神的限界であった。私立の中高一貫校を退学にさせられる理由は、成績不振。心の問題を抱えている生徒がいることなど・・・・。
 学校では、ハイレベルの問題を雨あられのように降らせておけば、そこそこできる生徒は吸収するだろう。残りは知らない。こんな環境が、中位より下の子にとって本当にいいのかは疑問である。高校側は、はじめから、上澄みの生徒(成績優秀者)以外には、達成できそうもない目標地を描いている。
 中高一貫校でも、仲間はずれはふつうにある。そして、多くの生徒は、無礼や仲間はずれを軽いいじめと捉えていない。教師のなかにも、見て見ぬふりをする教師がいる。
小学校の授業は「つまずき」をかかえて「理解」の積み重ねが出来ないままとなってくる。その結果、子どもに寄りそう前に、子どもをとりまく変化について正確に理解しておく必要がある。その現実を理解したら、多くの親は、成績の伸び悩むわが子に対して、あせりや苛立ちではなく、同情を覚えると思う。なーるほど、ですね。
 現在の大手塾のシステムは、こうした「つまずき」を抱える子どもの原因治療にやくだっていない。塾にとって、塾の合格実績に貢献してくれる上位2割が大事で、残りの8割は「お客様」と呼ばれている。
 この商売は、本気でやったら、絶対にもうからない。教育というジャンルでビジネスをやっているだけで、教育そのものはそれほど重視しているわけではない。なるほど、そういうことなんでしょう。でも、これって、寂しいことですよね・・・・。
 子どもが「ついていけなく」なってしまう原因は、子どもの努力や能力だけでなく、システムの限界にある。
 九州にも全寮制の中高一貫校がいくつもありますが、私は中学生のときから家を出て親と離れて生活するのがいいことなのか、少しばかり疑問を感じます。もちろん、思春期の一番むずかしい年頃なのですが、自分の父親がどういう行動をするのか、父親と一緒に暮らすことによって少しはつかんでいくし、それって大切なのではないかなと思います。その意味で、寮に入って、親と共同生活しなくなることに不安を感じるのです。
 たしかに荒れる中学校があり、大量に退学していく高校があります。それらの人々は、完全に脱落していたのでしょう。しかし、これらの人々を単に取り残された存在のままにしておいて本当にいいのでしょうか。
 中高一貫校にいる同級生は、家庭環境も大同小異でしょうから、住み心地はきっといいことでしょう。その結果、異質な人間が世の中には少なくないことを実感することが出来なくなります。私自身は、市立中学校そして県立高校に行きましたが、それはそれで良かったと今でも思っています。私の中学には番町グループがいて、すぐ隣にあった中学校の不良グループとよくケンカなどしていました。それでも、1学年に13クラスありましたので、そんな乱暴者だけではなかったのです。それこそ、いろんな中学生がいました。必ずしも暴力が支配していませんでした。それほど人数が多かったのです。
 中高一貫校に入って、その授業進度についていけなくなった子どもは、どうしたら良いのでしょう。そのことについて、親をふくめて、みんなが真剣に考えていないような気がしてなりません。
(2009年11月刊。740円+税)
 この夏、二度目のハゼマケを体験しました。1回目は腕の所だけだったし、原因もはっきりしていましたが、2回目は原因不明のうえ、胸からあご、そして逆に顔にまで被害が及びました。日曜日にハゼの木の汁に触ってのでしょうが、顔に発疹が出たのはなんと木曜日の夜のことです。小学生の時には学校を1週間も休んでしまいましたが、今回はそんなわけにもいきません。自生していたハゼの木は切り倒すことにします。残念ですが仕方ありません。

狙われるマンション

カテゴリー:社会

 著者 山岡 淳一郎、 朝日新聞 出版 
 
 
いやはや、マンション住まいとは、こんなに大変なものなんですね・・・・。私は古い一戸建て団地の一角に住んでいます。もう30年になります。子ども会が消滅し、老人会もなくなり、団地の公民館は市内の連協から脱退してしまいました。夜の会合に参加できる体力・条件のある人がいないという理由です。老齢化がすすみ、空き家も増えています。東京や大阪に住む息子や娘たちのところに引き取られて、転出していくのです。寂しい限りです。
いま、マンションでも、「二つの老い」が進行していて、郊外の団地を衰退させている。建物の老朽化と住民の高齢化である。日本の分譲マンションの戸数は540万戸、1400万人が生活している。東京都中央区では11万5000人の区民の9割が集合住宅に住み、1割以上が高さ60メートル(20階)をこえる超高層で暮らしている。2011年には、築後30年をこえるマンションが100万戸に達する。
現在、20階建て以上の超高層マンションは463棟、14万3826戸、そこに30万人以上が暮らしている。この超高層の9割超は小泉内閣の成立した2001年以降の竣工である。首都圏が7割を占めている。超高層マンションは一般マンションと違って、値崩れが起きにくい。
そして、マンションの行く末を託した不動産、建設会社が次々に倒産している。
多くのマンション住人は、住むために買っている。その5割は永住するつもりであり、永住志向は年々高まっている。いずれは、住み替えるつもりという回答は2割を下まわる。
法定立て替えは、8割の賛成者が2割の反対者の所有権を半ば強引に「時価」で買い取り、形式上は「全員の合意」があるようにして事業を進める手法だ。立て替えに反対するマンション住人は排除される。
1962年に制定されたマンション法(区分所有法)は、建物の経年変化をほとんど考えていなかったので、建物の老朽化による立て替えについての手当てがなされていなかった。1983年の法改正のとき「5分の4」要件が盛り込まれた。このとき、修繕費が再建費の半分をこえるとき、「過分の費用」がかかるとして、認められることになった。そして、ゼネコンは「半分をこえる修理費用」の見積もりを出した。
ところが、実のところゼネコンは新築一辺倒で歩んできたから、実際の修繕ノウハウを持たず、少年の修繕工事の経験もほとんどなかった。
いやはや、なんということでしょうか・・・・。マンションの管理組合の修繕積立金が横領されるという事件も全国で続出している。管理会社の社員が8年間で8000万円(19管理組合)とか、7年間で9800万円(4管理組合)を横領していた。2003年以降、国交省が把握した修繕積立金の横領は127物件、12億円にのぼっている。
一般にマンション業界では土地代を除く総工事費は販売価格の3~4割である。30数戸の偽装マンションの新築時の販売総額は17億円。うち土地代は7億円で、工事費は6億円だった。マンションは、宣伝販売費など巨額の間接経費をかけている。
管理会社は何もいわなければ、何もしない。ハードルを高くしたら、ついてくる。すべて住民次第なのである。管理会社は、どこでも五十歩百歩。
 超高層マンションの人気は高いが、建物の維持管理、管理組合運営の両面で難題が横たわっている。超高層マンションは、近年に急激に建てられたため、建物の経年変化への対応策が確立していない。不具合の修繕費用は高い。歳月の経過とともに維持管理コストが急上昇する。膨張する管理コストは悩ましい。実際の修繕工事には、高層階の修繕に多くの費用がかかる。だから、低層階の住民は、高層階の金持ちのために「平等に」床面積に応じての費用負担に不満をもらす。
そして、「防災」は最重要のテーマとなっている。2年ごとに都心の超高層賃貸マンションを住み替える「タワー族」と呼ばれる家族層が存在する。
この本では超高層マンションの管理組合がうまく運営さているところも紹介されていて大変参考になりました。マンションの住民同士で感情的ないがみあいとなっているところも少なくないようです。実務的にも大変勉強になる本として、マンション入居者、これから買おうとする人に一読を強くおすすめします。
(2010年5月刊。1500円+税)

天空の星たちへ

カテゴリー:社会

著者:青山透子、出版社:マガジンランド
 日航123便、あの日の記憶というサブ・タイトルがついています。今から25年も前のことになります。1985年8月12日、日航ジャンボ機が墜落して乗員乗客520人が亡くなり、生存者は4人でした。
 著者は元JALスチュワーデスです。あの不可解な事故がきちんと解明されていないという叫び、そして、今の破産状態にあるJAL体制は安全運航が確保されているのか、深刻な疑問を投げかけています。
 新任のスチュワーデスのとき、言われた言葉。緊張が顔に出てはいけない。安心感を与えることが、乗り物への恐怖心をもつ客にたいして不可欠のこと。自分が不安がってはいけない。そうなんです。でも、言うは易し、行うは難しですよね。
 123便のスチュワーデスが、異常事態が発生したあとも客を冷静にしようと努めていたこと、最後まで自己の使命をまっとうしようとしたことがボイス・レコーダーに残っている。同時に、亡くなった乗客のとった写真(1990年になって初めて公開された)にも明らかである。なるほど、この機内の写真によると、乗客は全員が着席していて乱れておらず、また、みなマスクを顔に着けています。 
 上下関係の厳しさは、本気度のあらわれである。とくに機内では、指揮命令系統がしっかりしていないと、いざというときに対応できない。同じ空で働く者同士が責任をもって育てないと、自分も危ない目にあってしまう。
 著者は、自らがJALのスチュワーデスであった体験をふまえて、日航123便事故を報道した当時の新聞記事を逐一検証していきます。
 アメリカで尻もち事故を起こしたという隔壁破壊が墜落の原因だとすると、客室内を爆風が吹き抜けることが前提条件となる。そして、爆風が吹くほどの急激な減圧となると、乗客の耳は聞こえなくなり、航空性中耳炎となる。しかし、生存者4人は、救出直後からインタビューに答えている。つまり、鼓膜は破れていない。どうも違う・・・。
 覚悟を決めた機長は、どーんといこうやと周りを安心させ、自分の腹をすえた。その状況から逃げないで、最後まで役目を果たす。それが究極のプロ精神なのだ。機長は、まったく意のままに動かない巨大な宙に浮く塊を必死に操縦していた。
 しかも、本書が初めてではありませんが、アメリカ空軍の中尉が墜落の20分後には墜落地点に到達し、その通報を受けて夜9時5分には海兵隊の救難チームのヘリコプターが現場に到着したということです。ところが、このヘリコプターはなぜか現場に降り立つこともなく、厚木基地に戻っています。
 生存者4人が発見されたのは、それから実に12時間後のことです。生存者は、自分の周囲に、まだ生きている人は他にもいたと語っていたのです。
 そして、生存者を発見したのは、地元の消防団であり、自衛隊ではありませんでした。
 ヘリコプターで生存者を救出する場面ばかりが有名ですが、実は、アメリカ軍も自衛隊も、徒歩で山に分けいった地元の消防団に「遅れ」をとったのです。
 それは意図的なものだったかもしれない・・・。考えさせられるところです。
 今から25年前に起きた事故ではありますが、日本の空の安全を考えるうえでは欠かせない本の一つだと思います。なにしろ、私など、月1回以上は飛行機に乗っていますので、安全性こそ最優先してほしいと切望します。
(2010年5月刊。1429円+税)

1968年(下)

カテゴリー:社会

著者:小熊英二、出版社:新曜社
 下巻だけで1000頁もある大部な本です。いやはや、なんとも大変な労作です。上巻は私も大学生のころに少しばかり関わっていました東大闘争のことが触れられていましたので一気に読了しましたが、下巻はベ平連とか連合赤軍事件など、ちょっと遠い存在でしたので、さすがに読了するのに時間がかかりました。
 1968年10月の新宿駅騒動は学生だけでなく、多くの青年労働者が加わった。
 当時の東京には、地方からやってきた青壮年男性が突出して多く、娯楽のない彼らは闘争現場に見物に出かけ、ときには腹いせに警官や機動隊に対して投石までした。
 娯楽の乏しい大都会でのハプニングに飛び込んでいった労働者群がいたということです。これは、私自身の実感でもあります。学生セツルメント運動として、青年サークルを組織するという活動をしていましたが、テレビのほか娯楽のない青年労働者が町のあちこちにごろごろしていました。ですから、河川敷でソフトボール試合をしたり、町内会館を借りてフォークダンスなどをすると、若者たちが集まってきました。オールナイト・スケートや早朝ボーリングも流行していました。
 10月21日の群衆に、ただ騒動を見物にきたヤジ馬が多かったことは明らかだった。新宿事件の群衆は、一過性の破壊行為を行っただけで、そこからは何も生まれなかった。
 1969年9月、京都大学の全共闘による時計塔の封鎖は機動隊が導入されて解除された。このとき籠城していた学生は、わずか8人だった。
 奥田京大総長(当時)の証言によると、機動隊の導入はセクト主導の京大全共闘の依頼だった。
 わずか8人しかいないなら、京大の民青に頼めば簡単に排除できた。しかし、全共闘が民青の行動隊に排除されるのは絶対に承服できない。だけど警察ならやむをえないと大学に要望してきたからだ。時計台にはセクト名を大書した旗や横断幕が掲げられ、我がセクトが国家権力と勇敢に闘ったというアピールがなされた。こんな内情バクロ話を聞かされると嫌になりますよね。
 全共闘運動の内実は、日大全共闘を除いて、ひどいものだった。大学のバリケードは、あまりに空虚な退屈におおわれていた。
 社会に出て徹底してやれると思うのは幻想であるから、大学の中では徹底してやるという。大学が特殊な逃げ場に使われている。結局、彼らは企業にとりこまれるだろう・・・。
 1969年の全共闘運動は、参加した学生の主観的なメンタリティの真剣さはともかく、若い学生が就職前の祝祭として楽しむ流行に堕していた側面がなかったとはいえない。
 元全共闘運動に参加していた人のうち、運動から離れた主因の1位は内ゲバであり、2位は連合赤軍事件だった。連合赤軍事件については、あまりにも悲惨かつ陰惨な事件なので、私のようにまったく無縁な人間にとっても、あまり直視したくはない事件です。ただ、この本を読むと、この連合赤軍事件が、思想性に起因するものなんかじゃないし、総括するにも価しない事件だと当事者の一人が語っていることに、少しだけ救われた気がしました。
 赤軍派にオルグされた学生が当時の心境を次のように語ったというのを知って、びっくり仰天しました。
 東大の入試が中止された。政府の危機である。だから、政府の危機を政治の危機に。このスローガンに共鳴した。革命の現実性はある。少数者革命は可能かもしれない。
 うへーっ、東大入試の中止が政府の危機だなんて、当時、私は考えたこともありませんでした。むしろ、権力は余裕をもっていて東大をぶっつぶし、もっと管理しやすい大学をつくろうとしていると思っていました。
 いまや作家として名高い北方謙三は、私より一つだけ年長であり、中大全共闘の活動家でした。北方は、よそのセクトに捕まって、すぐに自己批判してしまいました。そのときの屈辱の傷がずっと尾を引いて、その後は圧力や恐怖に屈せずに闘う男たちを描くハードボイルド小説を書き続けているという著者の指摘には、なるほど、そういうことかと思い至りました。
 赤軍派は出発点から内ゲバやリンチと不可分だった。そして、公安警察は、赤軍派の事情を詳細に知っていた。1969年11月5日、大菩薩峠に集まった赤軍派53人は、  100人の公安と288人の機動隊員によって全員が逮捕された。このとき、「福ちゃん壮」には、公安刑事が内偵していただけでなく、スクープを狙った読売新聞の記者まで泊まりこんでいた。なんということでしょう。テレビで再現現場を観たことがありますが、ここまでくると悲惨というより、喜劇ですね。
 森恒夫は、赤軍派がブントと内ゲバしたときに逃亡して、大阪の町工場で板金工として働いていた。それを見つけ出して復帰させたが、森自身は自分が逃走した負い目から過激な闘争方針を出すようになった。
 森は、人から強く言われると迎合する。信念のなさ、困難を避けようとする小心者の森が赤軍派の最高指導者になったのは、他のすべての幹部が去ったためだった。
 赤軍派のいう「処刑」は、「首相官邸占拠」や「世界同時革命」などと同じく大言壮語の一種で、本気で殺す気などなかったと思われる。だが、永田洋子や坂口は森の言葉を本気で受けとってしまった。大言壮語のわりには実行はいいかげんな関西ブント気質を受けつぐ赤軍派と、生真面目な革命左派の気質の相違が、悲劇を生んだ。
 森の大言壮語に革命左派が煽られて処刑を行った。だが処刑後は、森は革命左派に劣等感をもち、理論的な優位だけでは革命左派を吸収合併できないと考えるようになり、処刑や「せん滅戦」を部下に叱咤するようになった。いわば、両派は互いに煽りあうようにして悪循環に入っていった。
 森と永田は、自分の身を守るため、逃亡や反抗の恐れがあるとみなした人間を、口実をつけて「総括」していったのではないか。
 連合赤軍事件の遺体の発掘は、前日に予行演習が行われ、一度掘って死体を確認し、その後をもとどおりにしておいた。記者席まで設定されているところで、死体が掘り出された。ここでも、警察のショーが演じられていたのですね。これもまた、おぞましいことです。そうやって警察は国民を誘導していたのです。
この警察の演出は、見事に成功した。リンチ死の報道は新左翼に大打撃を与えた。
 いえ、新左翼だけではないでしょうね。左翼全般に対して、格別の思想をもっていると、こんなところに帰着することになるんだぞ、ということで、スターリンのテロルを連想させる効果もあったように私は思います。これで社会の雰囲気がぐっと変わりました。
 この事件を機に運動に失望し、手を引いた若者は少なくなかった。
 連合赤軍事件の原因は何だったのかとか、無理に総括しようとしても、ろくな結論なんか出てこない。何も出てこないという当事者の意見に著者は賛成しています。
 なるほど、そうなのかなと私も思います。
 理想とか倫理とか正義を動機としてリンチ殺人事件があったわけではないことを著者は強調していますが、恐らくそのとおりだと私も思います。それにしても、今にも強い影響の残る重大な社会的事件でした。
 1968年から69年に起きた社会現象を振り返って考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれる本だと私は思いました。
(2009年8月刊。6800円+税)

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