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カテゴリー: 社会

映画が娯楽の王様だった

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 戸田 学 、 出版 青土社

 淀川長治の神戸、山田洋次の東京、というサブタイトルがついています。かつて東芝日曜洋画劇場というのがあり、淀川長治が番組の冒頭に今日の映画のみどころを簡潔に紹介し、終わったあと、次回を予告し「サイナラ、サイナラ」と言うのが定番になっていて、それが有名でした。

 私の父は映画が大好きで、父と一緒に私も何回も映画を観に行っていました。最後に観たのはドイツの戦車との戦闘場面のあるアメリカの戦争映画だったと思います。なので、昭和2年に父が福岡から上京して東京で苦学生として生活していたときに浅草の映画街にも行ったことがあるはずだと思い、『まだ見たきものあり』(花伝社)には浅草の映画街の様子を調べて紹介しました。

 浅草の映画街は両側にズラリと映画館が立ち並び、よく満員御礼になる状況だったのです。もちろん、当初はサイレント(無声)映画で、有名な徳川夢声のような活動弁士(活弁。カツベン)が活躍していました。チャップリンの映画も多くはサイレントで字幕付きです。

 淀川長治の映画評は、難しい文章は使わない。身体で感じた感覚をあくまで大切にし、こだわった美意識に満ちている。淀川長治は、チャップリンが1936年3月に来日したとき単独会見した。チャップリンが「2.26事件」に巻き込まれそうになったエピソードは有名(知る人ぞ知る)です。

 マリリン・モンローはセックスシンボルの象徴としてあまりにも有名ですが、実は演技派の名優だった。そうなんですよね。演技の勉強のため夜の講座も受講しているのです。

 黒沢明監督の映画「七人の侍」は日本映画屈指の傑作だと思うのですが、昭和29(1954)年のキネマ旬報ベストテンでは、なんと第3位でした。では、第1位は何かというと……、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」でした。たしかに、この「二十四の瞳」もいい映画です。「七人の侍」と比べるほうが無茶というものです(どちらも1位であって当然だと私は思います)。

山田洋次監督の映画にクレイジーキャッツのメンバーが何回となく出場しているのを改めて認識しました。

そして、映画「男はつらいよ」です。48本ある物語は、どれもワンパターンのマンネリズム。でも観客は楽しむことができるし、次回の新しいストーリーがだいたい分かっていても、新作を楽しみにする。また、同じ作品を何度みても毎回ゲラゲラと笑ってしまう。これは落語のエッセンスの情的な部分が根底にあるから。

とらや一家の人々に対し、あたかも自分の親戚や家族であるかのように錯覚し、また会いたいと映画館に足を運んでしまう。まことにそのとおりなのです。

私は正月になると、子どもたちを連れて一家そろって観て楽しんでました。さすがに年2回あったときには夏(お盆)のほうは見逃すことがあり、全部は観ていませんが、ほとんど観ています。葛飾柴又にも何回か行っていますし、矢切の渡しも見ています。

 お互い、愛するが故に喧嘩するというシーンをどう作るか山田洋次監督は苦労したとのこと。私は、今も月に1本は映画を観たいと思っているのですが、ままなりません。見逃して残念に思っている映画が最近いくつもあります。映画は映画館で観るに限るのです。

(2025年12月刊。3520円)

いい経営者は「いい経営」ができるのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 高家 正行 、 出版 海士の風

 私は学生からすぐ弁護士になりましたし、企業を経営したことなんかもちろんありませんし、会社員になったこともありません。ところが、依頼者には中小零細といえども企業の経営者が少なくありませんし、また労務管理を含めて倒産・閉鎖について相談に乗ったりすることも多いのです。なので、いわゆるビジネス書もたまに読むようにしています。

 著者はホームセンター大手のカインズの社長です。カインズはワークマンを傘下に置き、ハンズもその一つです。慶応大学を卒業して三井銀行に入り、「プロ経営者」を目ざして40歳になって脱銀行でミスミに入社。45歳でミスミグループの社長になって、プロ経営者の仲間入りを果たした。

 経営者とは、多くの社員がまだ危機を実感していない平時に、社員にコンフォートゾーンから抜け出てもらい、変革を成し遂げていくもの。変化は持続させなければならない。変革とは、一時的な「変化」ではなく、それが持続すること。変化を持続させる理想の経営を実現するには、最終的には、経営者の存在感が小さくなっていくことこそ望ましい。

 経営者の意思決定は、ときに合理性を超えた道理性にもとづく。

変革においては、何でもやるのではなく、やるべきことに絞る、着眼大局・着手小局でブレずに続ける。リスクをとって勝負する。最後の、リスクをとって勝負する、というのは勇気と決断がいりますよね……。

 経営者は人間観察業。これは弁護士にも共通します。依頼者・相談者の人間性を見抜き、それに適合する解決法を一緒に探っていくのです。と、一口で言うのは簡単ですが、実際はいつも至難の技(わざ)です。

 工場閉鎖は社員の責任ではなく、経営者の責任。これをやると、会長と経営者に対する不信感は拭(ぬぐ)えない。

 カインズのメンバー(従業員)は、パート・アルバイトを含めて2万人を超える。いやあ、大変な大企業なんですね…..。

「いい経営者」に必要な3つの素養。

 その一つは、論理的・戦略的にものごとを分析し、課題を整理し、意思決定に導く力。

 その二は、自らの意思と覚悟をもって決断し、組織を引っぱり結果を出すまでやり続けるリーダーシップを備えた企業家精神。

 その三は、合理性を超える道理性を備え、信頼と共感によって人を動かし、組織や社会を変えていくことの出来る力。

 「いい経営」をするには、人が育つ環境を整えること。そのためには、人が育つ時間的猶予のある状況をつくる必要がある。必要なのは「自律的」なリーダー。人は育てるものではなく、育つものだから、著者は、衆議独裁を体現するようにしていると言います。

衆議が成立するためには、組織の多様性が不可欠。会議ごとに議長を決め、発言しない人は会議に参加しない、会議に参加する以上は発言してほしい。発言するのには勇気がいる。しかし、発言しないかぎり、賛同も反論も得られない。

 私は、あらゆる出席した会議で1回は発言するよう心がけています。少なくとも質問はします。そして、司会・議長になったら、参加者を指名してまで「全員発言」を求めます。発言していくことで、その組織との関わりが深まりますし、他の人の反応からみて、賛同・反動が足りないように思ったら、考え直すのです。

 大変勉強になるビジネス書でした。

(2025年12月刊。2420円)

「日本スゴイ」の時代

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 早川 タダノリ 、 出版 朝日新書

 日本人や日本が「世界で一番」というのは、今でも右翼の雑誌などでよく見聞しますよね。でも、久しい以前に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出て売れていましたけれど、今では誰もそんなことは言いませんね。だって、日本人の若者の自殺率って、世界のなかで高いほうでしょ。

官僚の汚職が少ないといっても、ないわけではありません。政治の世界を見たら、ワイロ同然の裏金議員が大手を振って国会にのさばっています(とくに萩生田議員)。そして、統一協会なんて、まさしく反日団体そのものですが、そこに媚びを売って当選してきた自民党議員が今回もヌケヌケと当選しています。それで、「ウソの少ない日本」だなんて、誰が言えますか…。

「日本スゴイ」をネット上で作成する業者は、アルバイトのクリエイターに対して、「読み手は中学生ぐらいだと思って」つくるように指示しているとのこと。中学生を馬鹿にしています。といっても、実は新聞一般が中学生に理解できる紙面を目ざしていると聞いています。

この本にも紹介されていますが、昔、「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになったことがありました。ところが、その著者(イザヤ・ベンダサン)は実はユダヤ人ではなく、山本七平という生粋の日本人だということが暴露されたのです。なーんだ、そうだったのかと、当時、私も読んで知って、馬鹿にされた思いでした。

「道徳」の教科書に安倍晋三首相の演説が載っているとのこと。驚きました。そんな教科書を読まされる中学生は可哀想です。

日本人は毎日風呂に入って清潔好きだというのも、客観的にそう言えるものなのか…。日本の住宅に内風呂があるのは全国平均で1963年に6割未満、9割をこしたのは1988年のこと。今でも95%。

日本人が「世界一」清潔好きといえるのか、「ゴミ屋敷」が現代日本の至るところにある現実を無視しているのではないか…。そうなんですよね、客観的に証明されてはいません。

桜井よし子が嘘つきであるのは有名です。ところが、「嘘はつかない。それは日本人の美徳だ」というのです。安倍首相が国会答弁で何百回も嘘をついたことは公式にカウントされて明らかになっています。桜井よし子は、まさしく安倍首相のように口から出まかせで、いつも嘘をついています。

タイのククリット・プラモート元首相の言葉、「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した」というのは、実は出所不明のものにすぎないことが本書で明らかにされています。アジアの諸国は自分の手でそれぞれ独立を勝ちとったのであって、第二次大戦で日本は残酷な加害行為をしたことはあっても、諸国の独立を手助けしたことはまったくありません。歴史の歪曲は許されないところです。

まぁ、それにしても、今回の2月の総選挙で、「サナ活」とかいって、大量のSNSインチキ情報に踊らされた日本人が少なくないことに、私は恐ろしさを感じます。

何かやってくれるんじゃないかと期待したい気持ちは、私にも理解できます。でも、彼女がこれまで何を言ってきたか、やってきたかをすっかり忘れて、調べることもなく、流されてしまっているのに、怖さを感じてしまうのです。

「日本と日本人、スゴイ」って、あなたは、そんなにスゴイ人ですか…。そんなことはないでしょ。フツーの人ですよね。私も同じです。だったら、もっと足を地に着けて考え、行動するしかありません。そう思いませんか…。 

(2025年6月刊。990円)

43歳が人生の頂点だという本を読みましたので、私は43歳のころ何をしていたのか、1991年の訟廷日誌をふり返ってみました。

 すると、まず目についたのは、当時は土曜日も当然のように事務所は営業していて、市役所の法律相談も土曜日の午前中に開かれていました。

 事務所でも午前中に何人もの相談を受けていました。

 家庭のほうは、まだ子育て中で、下の子の保育園の運動会に参加したり、上の子が中学生まで思春期病で入院したりしています。

 事件の関係では、前年暮れに、共産党の演説会の告知ポスターを電柱に貼っていた男女がパトカーに連行され逮捕された事件について、無事に不起訴を勝ちとった経緯を小冊子にまとめています。しんぶん赤旗のコラムで紹介されていました。

 当時、筑後地区の弁護士は全部で30人ほどしかいなくて(今は100人超)、なんとか弁護士を増やさないと大変だよと話し合っていました。

 43歳というのは、私にとっては、まだまだで、頂点というのは、いくら何でも早すぎると思いました。

「東京物語」から「男はつらいよ」へ

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 吉村 英夫 、 出版 中日新聞社

 今の若い人に映画「男はつらいよ」を観たことのない人が多いのは残念でなりません。テレビで繰り返し放映されていますので、ぜひ観てほしいと思います。

 私は「男はつらいよ」第1作を東京で、大学3年生の夏に観ました。映画になる前、テレビで放映したというのは残念ながら観ていません。大学生ころは、テレビを観る時間も余裕もありませんでした。

 著者はシリーズ第8作『寅次郎恋歌』が出色の出来だとしています。 黒沢明の有名な映画『七人の侍』で主人公の一人を演じた志村喬が老学者として登場します。学問一途に生き、家庭を大事にせず、子育てにも関わらなかった。そして、妻は死んでしまった。

 「暗い夜道を歩いていると、一軒の農家が見え、灯りのついた茶の間で家族がにぎやかに食事している。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていて、縁側はあけっ放し。これが本当の人間の生活ってもんじゃないか」と気がついた。

 この光景は、実はフランス文学のフロベール(「ボヴァリー夫人」の作者)の描写から来ているそうです。なかなか奥の深い話なんですね。ところが、寅さんが柴又のダンゴ屋の茶の間で紹介すると、みんながひやかし半分でまぜっかえすのです。 いやはや、すごい展開です。まさしく喜劇になってしまうのでした。

 もう一つ。著者はフランスの劇作家マルセル・パニョルの「ファニー」三部作の影響もあると指摘しています。パニョルの映画は、フランスかぶれの私はいくつか観ていますが、パニョルの映画が山田洋次の作品とつながっているとは、思ってもいませんでした。

 ちなみに、映画「男はつらいよ」は全シリーズフィルムによる撮影とのこと。デジタル作品ではないとのことです。

「男はつらいよ」の家族構成は複雑です。寅さんと妹のさくらは両親を共通する兄妹ではありません。

 家族は、血のつながりも重要で、基本的要素だが、血のつながりがいささかイレギュラーであっても、家族が家族であるという信頼と親愛の意思をもつことが、家族の重要条件だ。

 この指摘は、50年以上の弁護士生活を踏まえた私の実感とぴったりあいます。

家族というものが仲良くしていくためには、家族が家族であろうとする努力、そういう意思の力、それが必要なんじゃないか。

 山田洋次は、こう言っていますが、本当にそのとおりです。また、次のようにも言います。

 「血のつながりをとても大事にする考え方は、時として人間を不幸にするんじゃないかとすら思います」「血縁を強調する社会は、どうしても排他的になってしまう。」

いやぁ、まったくそのとおりです。「家族としてのつながりをお互いに見いだして、そのつながりをより豊かなものにするために努力していく苦労が必要なんだ」

よくよく考え抜かれた指摘だと思います。

 「男はつらいよ」シリーズは48作も続いた世界一長いシリーズですが、第9作に吉永小百合がマドンナとして登場したのが、長期シリーズとしての出発だったとのこと。吉永小百合は、自称サユリストの私からしても憧れの永遠の美女ですが、当時はまだ25歳で、絶大な人気を誇っていました。渥美清も吉永小百合の登場を期待したといいます。

 フランス人であるクロード・ルブランの「山田洋次が見てきた日本」(大月書店)は、このコーナーで先に紹介していますが、その本のなかで、著者の本も紹介されています。

 この本は小津安二郎についても触れられています。というか、その半分は小津安二郎の映画「東京物語」などを細かく分析し、論評しているのですが、私は「東京物語」以外は観ていませんので、ここでは割愛します。

(2025年9月刊。1800円+税)

 いま、我が家の庭は黄色いロウバイが咲き終わり、黄水仙の可憐な花があちこちに咲いています。水仙は白より黄色が私の好みです。

 そして、紅梅と白梅が隣同士に競いあって咲いています。今年は梅の当たり年になるのかもしれません。近所にカササギが巣をつくったせいで、庭によくやってきます。パンくずをまいておくと、すぐに見つけて運び去っていきます。

 日が長くなりました。春の近さを感じます。近く、ジャガイモの種を孫たちと植えつけます。

戸籍の日本史

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 遠藤 正敬 、 出版 インターナショナル新書

 今ではかなり知られていることですが、天皇には戸籍がない。住民票もない。氏や姓も持たない。皇族も氏姓はない。しかし、天皇を「無戸籍者」と同じに考えたら間違い。

 戸籍とは、人民を「天皇の臣民」として登録するもの、つまり「臣民簿」なのだ。だから、臣民ではなく、臣民を支配する天皇とその一族が戸籍に載るなどありえない。皇族が皇籍を離脱して臣民になるのを「臣籍降下」と呼んでいた。そこで、戸籍に代わるものがないのかというと、今はある。「皇統譜」である。ただし、これは昔からあったのではない。昭和になってからのこと。

なぜなかったのか…。それは、誰を天皇と認めるか、争いがあったから。たとえば、神功(じんぐう)皇后を天皇として認めるのか、南北朝時代の五代にわたる北朝方の天皇をどう扱うか、容易に決まらなかったから…。

 なお、天皇も皇族も参政権がない。これは「国民」ではないからであって、戸籍法の適用がないからという理解は間違い。

 著者は戸籍というのは、いわば無用の長物だといいます。戸籍がなくても、パスポートはつくれるし、住民票はつくれる。

マイナンバーは、戸籍より徹底した住民管理システムを目ざすもの。だから、私はそれが嫌なので、マイナンバーは持ちませんし、使いません。税金申告時にも、マイナンバーの欄には大きく×印をわざとつけておきます。だって、今の日本政府に管理なんかされたくありません。

戸籍は日本人しか載せない。排外主義を原則としている。

戸籍とは家。戸籍が「家族」を決める。明治民法によって生まれたもの。江戸時代には戸籍はなかったし、誰も自分が日本人だと考えてもいなかった。

日本も江戸時代までは夫婦別姓だったし、死んだら、夫婦はそれぞれ自分の実家の墓に入っていた。明治民法になって夫婦同姓を強制し、「常識」とした。

ただ、この本で江戸時代までの庶民が氏をもっていなかったとしているのは疑問です。持っていても、それを外部には簡単には明かさなかったから、氏を持たないと誤解されたという説があります。私もそうではないかと考えています。

 戸籍は徴兵制度と結びついている。徴兵から逃れるため、夏目漱石は25歳のとき、北海道に本籍を移した。いえーい、そんなこと初めて聞きました。誰だって兵隊にとられたくないもんですよね。屯田兵があったから、北海道の人は徴兵されなかった時期があったのです。

 戦前、戸籍には前科も載っていた。破産者も載っていたことがあります。そして、「私生子男」とか「庶子女」という記載もありました。

 日本が支配していたときの台湾戸籍には、種族・前科・アヘンの吸引歴まで載っていた。満州国には戸籍がなかった。

戸籍なるものは、弁護士の仕事としては便利なものですが、プライバシーの固まりなので、世界の流れにならってなくす方向にすべきです。大変勉強になる本でした。

(2025年11月刊。1090円+税)

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