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カテゴリー: 朝鮮・韓国

青い落ち葉

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 キム・ユギョン 、 出版 北海道新聞社
 脱北作家と呼ばれる著者が、さまざまな視点から脱走とは何なのかを描いた短編小説集です。仕事で上京した折に東京の喫茶店で一心に読みふけりました。読んでいるあいだは、周囲のザワザワした音は一切耳に入ってきませんでした。
 脱北者とは、北朝鮮を脱出して韓国に入ってきた人のこと。韓国は、全面的に受け入れ、韓国人として遇するので難民認定は受けない。
韓国に至るルートは主なもので、7つある。中国経由が多い。
 脱北後、朝鮮族のブローカーに騙されて中国人農夫と結婚し、数年後にようやく国外へ逃げ出して韓国に至る人も少なくない。中国にいるあいだは、中国の公安警察の取りしまりに怯(おび)える日々を過ごすことになる。
ほとんどの脱北者は、朝中国境を流れる鴨緑江が豆満江を渡る。渡江するので、この渡江は脱北を意味している。
 脱北者はこれまでの累積総数は3万4千人をこえる。コロナ禍と取りしまりの強化によって、急減しており、2021年はわずか63人、2023年も196人だった。
 1970年代の前半までは、北朝鮮のほうが豊かだと思われていた。しかし、1990年代の「苦難の行軍」のときは、大飢饉によって、大勢の住民が餓死した。
北朝鮮という国を支えている制度に、出身成分による差別がある。核心階層、動揺階層、敵対階層(打倒階級)の三つだ。この出身成分は居住地にも関わっている。
平壌は革命の聖地であって、だれでも住めるわけではない。各集落には30戸単位で人民班が組織されていて、厳しく相互監視している。
 労働者も医師も、その収入にはほとんど差がない。生き残るためには、自給自足を基本としつつ、賄賂(わいろ)の入る仕事をするか、商売に励むしかない。
 脱北者が韓国に暮らすようになると、政府から定着支援として一時金100万円をもらえる。住民支援金もある。そして、身辺保護制度によって脱北者30人ほどを担当する人間がいる。
 脱北して韓国に来て、どうしても日本になじめないとして、下宿にひきこもってしまう人もいる。そうでなくても脱北者の一定数が、ふと、北に帰りたいと思う瞬間がある。それほど、異郷の地での定着は難しい。
 多くの脱北民は韓国社会への定着が困難な状況にある。社会の底辺暮らしを余儀なくされ、うつ病に苦しむ人も少なくない。
北朝鮮では鉄の釜で米を炊く。火と水の加減をうまくしないと、美味しいご飯が炊きあがらない。米のご飯を食べるのは、節句や家族の誕生日くらい。ふだんは、粒ほどの大きさに砕かれたトウモロコシと、ジャガイモの混じった雑穀米を炊いて食べる。トウモロコシをまず茹(ゆ)でて、その上に米粒ほど細かく割ったジャガイモを釜の縁にそって並べ、その中に一握り分の米を入れ、一握り分の米を入れて炊く。
 脱北者の心情、そして彼らを取り巻く社会環境がリアルに活写されています。一読の価値がありました。
(2025年1月刊。2200円+税)

北朝鮮を解剖する

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 礒﨑 敦仁 、 出版 慶応義塾大学出版会
 人口2600万人の北朝鮮は目が離せない存在です。
 金正日の時代には「先軍時代」でした。ところが、金正恩は「先軍」を過去の遺物として歴史の中に埋めていき、2019年に改正された憲法からは、「先軍」がほとんど消去された。朝鮮労働党の規約にも2021年服に「先軍」の文字はない。これはいったい何を意味するのか…。
 金正恩時代を代表する政治理念は「人民大衆第一主義」である。映画では「豊かさ」に対する憧(あこが)れを肯定的に描いている。
 「人民生活の向上」として、金正恩は2021年に平壌市に5万戸の住宅を建設するとした。5年間にわたって毎年、1万戸の家を建設するというもので、2024年現在、すでに4万戸の住宅が建設された。その多くは高層アパート。
 たしかに平壌市内の写真を見ると、高層住宅がニョキニョキとそびえ立っています。
 北朝鮮は生産手段の社会的所有に強くこだわっていて、民営企業は認めていない。民営企業をまったく認めていないのは、世界の社会主義国家のなかで北朝鮮だけ。
 北朝鮮には民間企業が法律上許容されていないため、商法典は存在しない。
1996年から2000年までは「苦難の行軍」と呼ばれる深刻な経済危機の時代であり、数十万人もの餓死者を出した。
 北朝鮮国民の経済生活において、市場は一定の役割を担うようになってきた。
 2013年に、国営企業や協同農場に一定の経営自主権を与えるという社会主義企業責任管理性が導入された。国営企業や機関の一部門が独立採算の単位として認定され、さまざまな権限が付与された。そのため、部門長は自らの部門の事業とそのメンバーの生活に責任をもつことが期待され、相当なプレッシャーがかかるようになった。
 日常の企業の運営では支配人が采配(さいはい)を振るうとしても、重要な決定は工場の党組織が行うため、党組織の代表のほうが支配人より「偉い」ことになる。
 北朝鮮のサイバー活動は、対外工作機関である朝鮮人民軍偵察総局が主体となっている。キムスキー、ラザルスグループ、ビーグルボーイズなどのサイバー部隊が存在する。
 サイバー領域は兵器開発の導入コスドが低く、高い強度の経済制裁を受けている北朝鮮にとっては参入障壁が低いため、韓国との関係にある通常兵力の差を効果的に縮小することができる。
 北朝鮮はサイバー攻撃への関与を一度も認めたことがない。
 北朝鮮は、暗号資産の奪取や金融機関へのサイバー攻撃能力を急速に向上させており、金融ハッキング部門において世界一位の水準にある。そして、北朝鮮国内と国外居住の双方の北朝鮮サイバー部隊の能力が向上し続けている。
 北朝鮮のサイバー部隊の要因は6800人ほどと推定されている。これは日本の自衛隊のサイバー部隊員が540人であるから、その10倍以上もいるということ。北朝鮮によるサイバー攻撃は2004年の5件が2021年には1462件と、300倍近くも急増している。
 北朝鮮のサイバー攻撃によって、暗号通貨資産7億5000万ドルを窃取した(2023年)とみられている。これが貴重な外貨獲得手段となっているようです。
 金正恩は最近、娘と一緒によく登場してくるようになりました。「尊敬するお子さま」とか「尊貴であられるお子さま」と呼ばれています。いかにも異常です。金王朝を娘に受け継がせるつもりなのでしょうか…。
 男性優位の儒教文化が根強い北朝鮮社会なので、十分な時間をかけて女性指導者の誕生を既成事実化させようという意図が働いている可能性があるとされています。本当なのでしょうか。
 北朝鮮を深く知り、考えるうえで大変勉強になる本でした。
(2024年11月刊。3500円+税)

朝鮮植民地戦争

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 愼 蒼宇 、 出版 有志舎
 近代日本の曲がり角には必ず朝鮮がある。そうなんでしょうね。
 帝国日本は朝鮮半島を植民地として支配していた。これに抗して朝鮮の人々が戦闘を挑んだ。1875年の江華島事件、1882年の壬午軍乱後における公使館守備隊名目の日本軍駐屯、1894~95年の甲午農民戦争、1904~05年の日露戦争、1906~15年の義兵戦争、1919年の三・一独立運動、1918~25年のシベリア戦争と間島虐殺、1931~39年の満州抗日戦争。これらを朝鮮植民地戦争と総称する。
 火賊とは、朝鮮の盗賊団のこと。火賊は、一般人扱いされなかった。
日本の東北地方を歩いたイギリス人女性イザベラ・バードは、1895年1月に東学農民軍の梟首(きょうしゅ)を見ている。
 甲午改革は単なる内政改革ではなく、日本の朝鮮膨張と深く関連したため、その改革の正統性が根本的な秩序・法意識への求心力を強化することにつながった。
朝鮮王朝末期に起きた最大の民衆反乱が1894年の甲午農民戦争。東学農民戦争ともいう。日清戦争が起きた年です。農民軍は行動網領を定め、厳格な規律を維持した。参加したのは半プロ・貧農下層民などが中心。
 11月20日、日本軍と朝鮮政府軍の連合軍と4万人の農民軍とのあいだで、最大の激戦となった(公州の戦い)。当初は数に優る農民軍が優勢だったが、その後は近代的兵器をもつ日本軍による大虐殺となった。
 日露戦争(1904年)のころ、朝鮮半島に日本は鉄道を敷設していった。この苛酷な労働に対して朝鮮の民衆は激しく抵抗した。サボタージュ、逃亡、そして運行の妨害。
 1895年、日本軍の三浦梧楼は閔妃を虐殺した。
 1907年7月、ハーグ密使事件をきっかけに朝鮮王朝高宗が退位に追い込まれ、韓国軍が突如として解散させられた。当時の韓国軍は中央・地方あわせて8480人。そのうち、745人だけが残された。92%の軍人が失業した。これらの失業軍人が各地で義兵となった。
 1919年3月、三・一独立運動が始まった。朝鮮全土で200万人以上が「独立万歳」を唱えて参加した。この三・一独立運動における朝鮮人の被害はわずか2ヶ月間に934人の死者を出した(7500人が殺害されたという学者もいる)。
 日本は、「五家作統」という連座制によって、共同体をコントロールしようとした。
 また、村落を植民地戦争の最前線にし、抗日運動の根拠地のせん滅を図ろうとした。
 ただ、苛烈なせん滅作戦は、他方で逆効果でもあった。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(壬申倭乱)のときも、朝鮮半島の各地で義兵が抵抗しましたが、日本の植民地支配に対しても何波となく義兵が決起しています。近代的兵器を装備した日本軍に圧殺されてしまうわけですが、朝鮮の人々の反抗ぶりもすさまじいものがあったようです。日本側の資料に残っています。
 関東大震災直後の朝鮮人虐殺に日本軍部が手を下したことは事実ですが、その軍人たちは、朝鮮の農民戦争を戦った経験があったという指摘がなされています。なるほど、そうだったのか…と思いました。
 いま多くの日本人に読まれるべき大変貴重な労作だと思いました。
(2024年7月刊。3500円+税)

朝鮮民衆の社会史

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 趙 景達 、 出版 岩波新書
 隣の国であり、顔つきもそっくりなので、道を歩いている人が韓国(朝鮮)人かどうか、一見して分かりません。
 ところが、生活習慣などはかなりの違いがあります。この本を読んで、ますます違いの大きさ、深さを知ることができました。
朝鮮王朝が建国したのは1392年。太祖は李成桂。朝鮮は朱子学革命によって建国された国家だった。
 朝鮮は貴族制を廃そうとはしたが、身分制を廃することはなかった。
 朝鮮の身分は四区分。両班(ヤンバン)、中人、良人(常人、常民、良民)、賤人(賤民)。儒教的民本主義は五つ。第一は一君万民。第二は、公論直訴、第三は観農教化、第四は賑怵(しんじゅつ)扶助、第五は平均分配。
 王権は門閥政治、臣権の強大性に脅かされ、士禍や党争などの熾烈(しれつ)な抗争が長きにわたって中央政治を歪めた。そして、地方政治では情実が支配した。
 儒教国家というのは、法律があっても、その運用は情理によるのを良しとした。
朝鮮では土地売買が原則として自由であり、民衆の移動率はきわめて高かった。戸籍によると、3年の間に20~30%が移動している。
 いやあ、これはまったく知りませんでした。日本と同じように、民衆は生まれた土地にしばりつけられているとばかり思っていました。
 戸籍は、職役を把握するためのものなので、賄賂をつかって戸籍に登録せず、良役を逃れる人が少なくなかった。
 朝鮮では、人々は簡単に移住していたようです。そうなると、土地にしばりつけられてきた日本とは決定的に違いますよね。近世日本の村は、「閉ざされた村社会」でしたが、朝鮮はまったく異なるようです。
 朝鮮全体が巨大な相互扶助社会だった。人々は、村民同士でひんぱんに行きかって食を分けあったが、よそ者に対しても同様だった。だから、人々は、見も知らぬ人々の善意と扶助をあてにして住みなれた村を出ていくことができた。いやあ、これは日本ではまったく考えられない状況です。
 朝鮮人は大食。多く食べるのは名誉なこととされた。
 朝鮮は、現実には、儒教一色の社会ではなかった。民衆世界は儒教的統治原理を受け入れ、朱子学をヘゲモニー教学として認めた。必ずしも儒教が優位していたわけではない。
 朝鮮仏教の特徴は、護国信仰的な性格をもつだけでなく、あらゆる教学を一つにした総合仏教的な性格をあわせもち、道教や巫俗とも習合した点にある。
 朝鮮の芸能民は、一般に広大とか才人と総称される。
 白丁は、もとは、特定の職役をもたず、土地の支給も受けない職人身分の人々を言った。白丁は、一般民との通婚ができなかったので、仲間内で婚姻するしかなかった。
 褓負商(ポプサン)とは行商人のこと。賤民ではないが、賤民視されていた。
 朝鮮社会にあっては、妻や娘は、男性にとって一種の所有物であった。女性は名前さえ満足につけられなかった。朝鮮時代、女性の地位は、時代が下がっていくにつれて低くなっていった。
 離婚するのは、実質的にはなかなか難しいものがあった。野良仕事について、女性はもっぱら畑作で、稲作は基本的に男性の仕事。
 男子15歳、女子14歳という早婚は悲劇をもたらした。朝鮮の女性殺人犯の63%は夫殺しだった。女性の再婚は、両班社会では許されなかった。
甲午改革のなかで、断髪令は最大の失政だった。断髪令に反発したのは士族も平民も同じだった。
 1900年3月ころから活貧党が活動した。三大盗賊の洪吉同をモチーフとした小説に出てくる義賊集団にならったもの。富者の墓を掘り返して遺体を奪って脅迫した。身代金ならぬ骨代金を要求するというわけで、日本では考えられません。死骸に宗教的な価値を置く儒教国家ならではの犯罪。
民衆にとって、火賊は恐怖しつつも、親愛を覚える対象だった。
朝鮮は、はい上がり型志向と分かちあい型志向という相反する論理が混淆(こんこう)した社会であった。
 朝鮮社会が昔から矛盾にみちみちた社会であることを、今さらながら認識させられました。大変、知的刺激にみちた本です。あなたにも、ご一読を強くおすすめします。
(2024年8月刊。1120円+税)

北朝鮮に出勤します

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 キム・ミンジュ 、 出版 新泉社
 何、このタイトルは…?
 北朝鮮に開城(ケソン)工業団地という韓国企業の運営するところがあり、そこに韓国人が常駐していたのです。毎週月曜日の朝、ソウル市内でバスに乗り込み、軍事境界線を越えて北朝鮮へ出勤。平日は北で過ごして週末に韓国に戻る。そんな生活をした著者の体験記です。
この本を読むと、北朝鮮の庶民は厳しい統制下にあっても、同じフツーの人々だということがよく分かります。
 たとえば、韓国では美容整形手術が一般的ですが(日本からも大勢それを受けに行って
います)、北朝鮮でも同じのようです。食堂で働く7人の職員のうち3人は二重まぶたの手術を闇(ヤミ)で受けていた。
 北朝鮮の人が国に対する自負心、指導者の自慢や尊敬の念を示すのは、必ず他の人がいるとき、一人のときは体制の話なんかせず、子どもや夫など、家族の話ばかりする。
 北朝鮮には、「総和」という全人民に課せられた反省会(批判集会)がある。労働態度や職務の失態を自己批判し、あわせて同僚の欠陥を相互批判させられる。
 開城工業団地で働く人々は、北朝鮮では、かなり恵まれた富裕層。北朝鮮では自転車を持っていると、韓国で自動車を持っているのと同じレベルで裕福だとみられている。
 北朝鮮の人々は、数人だけになると純朴。ところが、人目のある場所では行動が攻撃的になる。北の人が南の人と会うときには暗黙の了解がある。一人では絶対に南の人と同じ空間にいてはならない。
 北の職員が南の人である著者と話すときには、必ず2人以上でやってきた。この原則は、工場内のエレベーターでも同じように厳守される。
開城の人は、恩着せがましく渡されるプレゼントは受け取らない。なにげなく、そっと、でも気をつかいながら差し出されると、うれしくもないふりをしながら受け取る。そして、お礼を言うことはない。
 本当はうれしく、喜んでいる。でも、他の人がいるところでは、絶対に言えない。お礼が言えないことを、心の内では申し訳なく思っている。
北朝鮮では、常にお互いを監視している。
 北の軍人は、南の軍人に比べて背が低く、黒色でやせている。
 ところが、北の消防団員は、一般的な北朝鮮男性に比べて体格が良い。
開城の工場で働く女性に美味しいものを与えても、食べるふりだけして、家に持ち帰り、子どもや夫に食べさせる。
 北朝鮮では、みかんは貴重品。南の温暖な土地でしかとれないからだ…。
 北朝鮮の庶民の生活感覚を実感できる、貴重な体験記になっています。
(2024年9月刊。2200円+税)

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