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カテゴリー: 日本史

不屈、瀬長亀次郎日記

カテゴリー:日本史

著者  瀬長 亀次郎  、 出版  琉球新報社   
 すごい人物だと思います。日本の誇れる政治家の一人です。不屈というタイトルのとおり、不屈の一生を貫きとおしました。カメさんの背中に乗って祖国へ復帰しよう、こんなスローガンがあったと聞きます。まさに頼れるカメさんです。
 この本は、瀬長亀次郎の手書きの日記を判読して活字にすると同時に、歴史校証をする解説がついていますので、その日記の意味しているところがよく理解できます。そして、さらに面白いことにアメリカの内部の文書が日記の記述を裏付けています。
瀬長への最善の対処法は、彼がまるでこの世に存在しないかのように振る舞うこと。アメリカの弁務官が彼らの存在を認めることは、彼を実際よりも重要な人物のように見せてしまうことになる。
 人民党を共産党主義政党に指定し、合衆国にとって災いであると宣言しようという考えは別に目新しいものではなかった。しかし、そのような宣言にもとづいた身辺調査プログラムは、人民党に利するだけで、終わりのない、劇場型の訴訟への道を開くことになる。それは、アメリカに不満を持つ沖縄人にとって、人民党が唯一の望みとなることにつながる。人民党の幹部の誰かが離反し、党の陰謀や内部活動を暴露するまで待つべきだ。
 共産主義政党である沖縄人民党は、強いし指導力と組織力により、党員わずか300人、シンパ1200人という規模にもかかわらず、それにつりあわない強力なイメージを作りあげることに成功している。
 人民党の強みは、才能あふれる指導部である。瀬長は沖縄における極左のリーダーであり、拘禁されたり、那覇市長から追放されるなどという波乱にみちた政治人生を生き抜いてきた。
 瀬長亀次郎の勝利(1968年)は、軍事占領に対する抵抗のシンボルとなった男の勝利と言える。アメリカが殉教者をつくり出してしまったことの証だ。瀬長は、庶民性を兼ね備えていて、有権者に話しかけるときは方言を使い、内容はアメリカへの敵意にみちているものの、とても機知に富み、退屈で陳腐な表現をつかわない。
 アメリカから、これほどほめられた政治家がいたなんて、まったく驚きというほかありません。私が大学2年生のとき(1968年)、沖縄に革新政府(屋良朝苗主席)が誕生しました。
 そして、カメジローもそのあと国会に当選したのでした。当時の熱気がムンムンと伝わってくる日記です。丹念な掘り起し、お疲れさまでした。この労作が多くの人に読まれることを私も願います。なんといっても、沖縄は日本の一部なのですからね。今もアメリカ軍基地がある沖縄は特別なんだ、このようなという意識を持ってしまいがちですが、それは私たちの頭の中からきっぱり捨て去るべきだと思います。
 500頁近い本ですが、すらすらと読める本でもありました。
(2011年8月刊。2362円+税)

玉と砕けず

カテゴリー:日本史

著者   秋元 健治 、 出版   現代書館
 大場大尉、サイパンの戦いというサブタイトルのついた本です。最近、映画にもなりました(私はみていません)。
 日本軍が例によって玉砕戦法でバタバタ死んで行ったサイパン島で、終戦のあと、12月まで山中にたてこもり、ついにアメリカ軍と「停戦協定」を結んで投降してきた日本軍集団がいたなんて、驚きますよね。そのリーダーが31歳の大場大尉だったのです。戦後は日本で会社を経営し、市会議員にもなったということです。よほど運も良かったのでしょうし、リーダーシップ(統率力)があった人物なのでしょうね。たいしたものだと感嘆しました。
 サイパン島には、1943年8月、日本人が3万人近く、島人(チヤモロ人)4千人がいた。
 サイパン島ではサトウキビ畑から製糖工場があり、日本本土へ砂糖を販売していた。
 サイパン島の最大の町ガラパンは最盛時、人口1万4千人となり、「南洋の東京」と呼ばれるほどにぎわった。
サイパン島の日本軍守備隊は陸軍が2万8千人、海軍が3万人、合計3万1千人ほど。
 1944年6月15日、アメリカ軍4万3千人が上陸、攻撃を開始した。1週間で日本軍兵士は1万5千人と半減した。そして、民間人1万8千人以上が山中で北方へ逃避行を始めた。
 6月24日、東京の大本営は、サイパン島奪回作戦を中止した。生き残った日本軍将兵は見殺しにされたわけである。
 1945年12月1日、大場大尉の率いる日本兵47人がアメリカ軍と停戦協定を結んで投降した。
 よくぞ終戦後の半年以上も、山中に隠れて生きのびたものですね。アメリカ軍の方も無駄な戦闘でアメリカ兵の死傷者を出したくはなかったようです。
 それにしても、日本軍上層部の玉砕戦法、精神一到主義というのは、おぞましい限りですよね。この過ちが繰り返されないようにするのは、現代に生きる私たちのつとめです。
(2011年3月刊。2000円+税)

赤紙と徴兵

カテゴリー:日本史

著者   吉田 敏浩 、 出版   彩流社
 戦前の徴兵制の運用の詳しい実態が村役場の兵事係が終戦時の命令に反して焼却せずに隠匿していた兵事書類を通じて明らかにされた貴重な本です。
 滋賀県長浜市(当時は東浅井郡大郷村)の役場で兵事係をしていた西邑(にしむら)仁平氏は自宅で密かに兵事書類を保管していた。それを戦後60年たって公表した。
 西邑氏は、1930年に25歳で兵事係に任命され、敗戦の年は兵事主任だった。
「これを処分してしまったら、戦争に従った人の労苦や功績がなくなってしまう。遺族にも申し訳ない」こういう気持ちからだったそうです。なるほどですね。
 戦前、兵役は納税と教育とともに、臣民の三大義務の一つだった。ただし、兵役は名誉ある義務とされていたので、6年以上の懲役または禁錮の刑に処せられた者は兵役に服することを得ないと定められていた。
 軍は市町村の兵事係に対して徴兵忌避者は「市町村の恥辱と心得よ」と強制的な姿勢でのぞみ、「百方手段を講じて捜査に努力して、徴兵検査未済者の絶滅を期せ」とした。
 出征するとき、召集兵は、たすきをかけたが、現役兵はかけなかった。
 戦前の日本では、軍隊への入り方は4通りあった。①現役兵、②召集兵(応召兵)、③志願兵、④武官。このうち、①は徴集、②は召集の義務に応じて入隊した。③と④は、徴集や召集をされる前に志願して入隊した。召集兵は、召集令状によって入隊を命じられた者をいう。
  満20歳での徴集検査の結果、現役兵として入隊したとき、現役の期間は陸軍で2年、海軍で3年だった。
 兵役の義務は、17歳から40歳までの23年間にも及んだ。召集令状(赤紙)は自転車に乗って届けた。なぜか夜間が多い。自転車は全速力で走らせ、途中で誰かに話しかけられても応じない。自転車を停めてはいけない。兵事係はそんな指示を受けていた。
 赤紙を受けとった男たちは、それから35時間足らずの後には、召集部隊の兵営の門をくぐらなければならなかった。
 軍は、赤紙を受けとった応召員とその家族が、召集をどのように受けとめているのかを知ることを重視していた。だから、兵事係は応召員とその家族の動向を調べるように定められていた。本人の士気、家族と住民の様子がどうだったか報告しなければならなかった。
 軍は「身材」という言葉を使った。軍隊用語である。体格と健康程度、性質などによって、甲、乙、丙とランク付けされる兵士の身体を、軍隊を構成する材料・素材とみなしていた。
 召集延期者数は、太平洋戦争が始まる前は10万人以下だったが、昭和18年度38万人、19年度は70万人、20年度には85万人にのぼった。この制度は極秘とされた。国民から徴兵制の公平さに対して疑いをもたれないようにするためだった。実際には「軍需生産上、余人をもって代え難い重要な役割を果たす者」というのを各官庁が選んで名簿を提出し、陸軍大臣が決定した。
 兵事係だった西邑仁平氏は2010年に105歳で亡くなった。貴重な資料を残してくれたわけです。戦後の平和な日本、そして韓国のような徴兵制度のない国に生まれ育って、本当に良かったと私は考えています。赤紙一枚で軍隊に引っぱられて、黙って死んでこいなんて、まっぴらごめんです。
(2011年8月刊。2000円+税)

ひろしま

カテゴリー:日本史

著者   石内 都 、 出版   集英社
 1945年夏に広島に生きていた女性たちがそのとき着ていた衣類が鮮明な写真でとられています。
 柳田邦男の解説を紹介します。
 写真家・石内都は徹底的に現物にこだわるが、そのこだわり方が特異だ。
 撮影の対象に選ばれた資料の大部分は、女性のワンピース、ブラウス、スカート、上着、肌着など、一人ひとりの「生と死」の物語を静かに語るもので占められている。石内が伝えようとしているのは、それらのものを受用していた人間の実在と心模様だ。
 衣類の一枚一枚のデザインから、花柄や水玉などの模様、布地に至るまですべてに1945年夏という時代性が投影されている。そして、より注意深く見ると、多くは若い女の子自身の好みで、あるいは母親の娘に対する愛しさをこめて、手作りでこしらえたものであることが分かる。焼け焦げてボロボロになったところや、黒い雨に打たれて全体が黒くなっているものもある。
 写真の一点一点をじっくり見ていくと、広島の原爆被災は「死者約20数万人」などという表現では表面的でしかなく、一人ひとり様々な悲劇が20数万件も起きた事件なんだというとらえ方をしないと、真実に迫ることはできないのだと分かってくる。
 大量殺戮の原爆は、着るものひとつも手繕いして大事にしつつ生きていく心豊かな生活文化のあり方までをもこの地球上から抹殺しようとしたものだったのだ。
 なるほど、この指摘はあたっていることが、写真でよみがえっている衣類のひとつひとつを眺めていると実感として分かります。
 一見の価値ある、貴重な写真集です。
(2008年4月刊。1800円+税)

砂の剣(つるぎ)

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著者  比嘉 慂    、 出版  青林工芸舎  
 太平洋戦争の末期、沖縄でくり広げられた悲惨な地上戦の様子が漫画で再現されています。沖縄出身の著者ならではのきめこまやかな描写で戦争の悲惨さとともに人々のなんということもない日常生活が描かれています。
軍隊は人々を守るためにはその他に住む人々を犠牲にして恥じることがないという実情も暴かれています。
 現実の戦争はもっともっと泥臭く、陰惨なものだったと思いますが、そんな実情の一端は伝えてくれる貴重なマンガだと思いました。
 いいマンガは人の心を打つものですね。たまにはマンガもいいものです。先日フランスに行ってきましたが、MANGAと表示された本屋にはマンガ本があふれていました。
(2010年9月刊。1200円+税)

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