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カテゴリー: 日本史(江戸)

戦国日本と大航海時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平川 新 、 出版 中公新書
 本のオビに日本はなぜ「世界最強」スペインの植民地にならなかったのか、という問いかけがなされています。日本もフィリピンのようにヨーロッパ列強のどこかの植民地になる可能性(危険)はあった。なるほど、考えてみれば、そうですよね。
 1608年、フィリピン総督としてロドリゴ・デ・ビベロが着任した。ビベロは、着任早々、江戸湾の浦賀にスペイン船を渡航させ、将軍秀忠と大御所家康に書状を送った。
 ビベロは、日本征服を企国していた。そのためにはキリスト教の布教が必要であり、その布教のためには貿易が必要だと考えていた。
 家康はビベロに対して銀の精錬技術をもった鉱山技師50人をメキシコから派遣してほしいと要請した。これに対して、ビベロは、スペイン船とスペイン人を保護せよというだけでなく、スペイン人が発見して採掘した鉱石の4分の3はスペインのものにする、スペイン人に治外法権を与えよと要求した。うむむ、すごい要求です。家康は応じませんでした。
 日本に武力によって進入するのは困難だとビベロは考えた。なぜなら、住民が多数いて、城郭も堅固。日本人は弓・矢・槍や刀を有し、長銃を巧妙に使う。そのうえ、スペイン人と同じように勇敢なだけでなく、議論と理解の能力においてもこれに劣ることはない。
 メキシコ先住民はいとも簡単に屈服させることができたが、日本人には知性もあり軍事力もあるので征服は困難だと判断した。このフィリピン総督(ビベロ)は、日本滞在中に江戸、駿府、京都、大阪、豊後臼杵などを見てまわっており、要害堅固な城郭に驚嘆していたし、日本が秀吉時代に2度も朝鮮出兵していたことも知っていた。
 その前、イエズス会士(ヴァリニャーノ)の報告書(1582年)にも、日本人は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので征服は困難だとしていた。織田信長と大名たちとの実際の戦闘も見て、日本人の戦闘力の高さを認識していたと思われる。
 イエズス会宣教師は、日本人を奴隷として海外に送り出す奴隷貿易に関与していた。ポルトガル商人の購入した日本人が合法的に奴隷身分とされることを保証するために、宣教師は奴隷交易許可状を発給していた。
 奴隷商人とイエズス会は明らかになれあっていた。何度も奴隷禁止令が出されているが、このことは、逆に言うと奴隷貿易が続いていたことを意味している。日本の奴隷市場は、ポルトガル商人にとってきわめて巨利をもたらすものだった。
 秀吉による朝鮮出兵は、失敗したとはいえ、スペイン勢力に対して日本の軍事力の強大さを否応なく知らせることになった。早く日本を征服してしまえと威勢のよかったフィリピン総督や宣教師たち、世界最強を自負するスペイン人の心胆を寒からしめる効果を発揮した。
 1617年に平戸から出帆したオランダ船の積み荷の88%は中国船等からの捕獲品であり、日本調達は12%にすぎない。オランダは洋上で略奪した物資を平戸へ搬入して日本へ売り込み、また東南アジアへも転送して巨利をあげていた。オランダは海賊をもって交易を成り立たせていた。いやはや、そうだったのですか…。知りませんでした。
 1611(慶長16)年5月、ビスカイノは長銃・小銃、国旗・王旗と太鼓をもった30人の部下を従えて浦賀から江戸に向かった。そして、このスペイン使節の前後には4000人の日本兵が護衛した。このようにして世界最強の国スペインから派遣された国王使節として将軍秀忠と会見した。
スペインと家康・秀忠との関係など、まったく知らないことがたくさん書かれていました。
(2022年12月刊。990円)

赤ひげ珍療譚

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 周五郎 、 出版 本の泉社
 久しぶりに山本周五郎の時代小説を読みました。劇にもテレビにもなっていますが、その原作です。50年ぶりに読んだのではないかと思います。
読みはじめたら、心がじわっと温まっていきます。それで、これは布団に入って寝る前に読み進めたらいいと思いつき、正月明けのまだ忙しさが本格化する前に、夜に少しずつ読んでいきました。
 さすがは周五郎です。よく出来たストーリーです。泣かせます。本のオビにセリフがあります。
「おまえはばかなやつだ」
「先生のおかげです」
前者は、赤ひげとも呼ばれる新出(にいで)去定(きょじょう)という小石川養成所の所長をつとめる医師が、新米の医師の保本(やすもと)登に言ったセリフです。そして、それに対する返答は保本登による所長へのお礼の言葉です。「ばか」と言われて怒るどころか、本心から感謝の念を伝えようとしています。この本の最後にあるやりとりです。
医が仁術だなどというのは、金もうけ目当てのヤブ医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、エセ医者どものたわ言(ごと)だ。彼らが不当にもうけることを隠蔽するために使うたわ言だ。
仁術どころか、医学は、まだ風邪ひとつ満足に治せはしない。病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ。しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしないエセ医者が大部分なんだ。
どうでしょう、これって、現代にも通じるコトバではありませんか…。いえ、決して医師全体をバカにするつもりではありません。そんな医師も少なくないし、医学だって人間の本来もっている生命力・免疫力に頼っているところが大いにあるということを申し上げたいわけです。
次のセリフは、子どもを食いものにする両親の下で馬鹿なふりをして生きのびてきた娘が言ったものです。
「世間を見ても、貧乏世帯は似たりよったり。子どもを愛している親たちでさえ、貧乏暮らしではどうしようもない。多かれ少なかれ子どもに苦労させる。ことに男がいけない。男は30ちょっと過ぎるとぐれだしてしまう。酒か女か博奕(ばくち)、決まったように道楽を始めて、女房・子どもをかえりみなくなる。男なんてものは、いつか毀(こわ)れてちまう車のようなもの。だから、自分は亭主は持たない」
いやはや、こうまでキッパリ断言されると、同じ男として立つ瀬がありません。
去定は政治のあり方に強く憤慨して、こう言います。
「こんなふうに人間を愚弄(ぐろう)するやり方に眼をつむってはいけない。人間を愚弄し軽侮(けいぶ)するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも、お人好しでもないんだ」
「無力な人間に絶望や苦痛を押しつける奴には、絶望や苦痛がどんなものか味あわせてやらなければならない」
「彼らの罪は、真の能力がないのに権威の座についたこと、知らなければならないことを知らないところにある。彼らは、もっとも貧困であり、もっとも愚かな者より愚かで無知なのだ。彼らこそ憐(あわ)れむべき人間どもなのだ」
どうですか…。私は、このくだりを読んで、今度、5億円以上という裏金づくりに狂奔していながら「不起訴」になった萩生田議員ほかの安倍派幹部連中を、つい連想してしまいました。しかし、愚かだけど、憐れむべき存在だとは考えません。この連中こそ刑事訴追して、国会から追放すべきだと確信しています。そのためには、私たちはもっと怒りの声を上げる必要があると考えているのです。心にうるおいの必要な人に一読を強くおすすめします。
(2023年11月刊。1600円)

雇足軽八州御用

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 辻堂 魁 、 出版 祥伝社
 これはまた、なかなかに読ませる時代小説でした。
 表紙の絵も気品があり、読む意欲をそそりましたので、正月の休みに大きな期待をもって読みはじめたのですが、期待を裏切られることはなく、ずんずんと関八州取締の舞台の奥深まで心地よく深入りさせられました。
 奥付をみると、全然知らなかった著者は私と同じ団塊世代で、「風の市兵衛」シリーズが評判を呼び、連続テレビドラマにまでなっているとのことで、驚き入りました。
 ストーリー展開も情景描写も素晴らしいのですが、細部までよく調べてあるのに驚嘆します。神々は細部に宿るという格言のとおりです。
 時代小説というと、やはり漢字、それも難しい漢字が多用されますが、心配ご無用。ルビがちゃんと振られていて、読めないということはまったくありません。
 江戸時代にも就職を幹旋するところがありました。請人宿(うけにんやど)です。訴訟の世話をするのは公事宿(くじやど)と言います。江戸には馬喰町(ばくろうちょう)などにたくさんの公事宿があり、その主人(公事師)は地方から裁判を起こそうと思って、また訴えられてやってくる人々の宿泊場所であり、裁判の書類づくりや進行上の相談相手になっていました。 
雇足軽(やといあしがる)というのは、関東八州取締出役の下で1年という年期で雇われる存在。手当は1日に銀1匁(もんめ)、つまり80文。ただし、旅費などの費用は勘定所持ち。関東八州取締総出役とは、関東一円の農村を隈なく巡廻し、厳格な取り締まりをする役目の人物。その主要な役目の一つに無宿人対策があった。これは関東農村の復興策の一つ。
無宿人を取り押さえ、罪を犯した者は江戸の公事方勘定所へ送り、罪がない者は素性の確かな取引人に引き取らせた。
出役の調べは、無宿の改め、諸情や事件などの報告、風俗取り締まり、河川普譜の検分、鉄砲改め、酒造制限、倹約の奨励が守られているか、農民の農間渡世の実情調査など、村民の暮らしぶりを寄場役人から聞き取りし、惣代と寄場役人に対応を指示する。
関東取締役出役は、一村一村を見廻るのではなく、寄村の寄村から寄場へと巡廻していく。村では素人博奕(ばくち)があっていた。それを取締るのも関八州取締出役の仕事である。
これに対して玄人の諸場は代官所の陣屋の役人たちが担う。基礎知識はこれくらいにして、あとはストーリー展開ですが、こちらは読んでのお楽しみとします。
いろいろな話が次第に煮詰まっていく様子は、うむむ、この書き手には余裕があるなと感じさせます。それがまた読書の快感にもなっていくのです。いやあ、休日に読んで大いにトクした気分になりました。ご一読をおすすめします。
(2023年9月刊。1750円+税)

赤き心を

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 古川 智映子 、 出版 潮文庫
 幕末の京都で活躍した、おんな勤王志士として高名な松尾多勢子の生涯を紹介した小説(フィクション)です。
 それでも、作者が小説の中の大きな事件は、できるだけ史実に忠実に書くようにしたとしているだけあって、いかにもリアリティが感じられます。
 松尾多勢子が信州・下伊那(長野)から幕末・騒乱の京都にのぼったのは数え年52歳のときのこと。そして幕末の世を生きのび、明治27年に84歳の天寿を全うしています。
 10人の子を産み、うち子ども3人を死なせたものの、残る7人を育て上げ、家業もやり遂げたうえ、夫と家族の了解を得て、天誅(てんちゅう。暗殺)の相次ぐ騒乱状態の京都に入り、単独で隠密の行動を展開しました。
 没後には正五位の勲章が送られていますが、それは、孝明天皇暗殺という幕府方の密謀を探り出したこと、また岩倉具視(とのみ)の命を助けたことによります。
 多勢子は信州で歌詠(よ)みの一人でもあった。その技量を生かして、公家社会にも入り込み、勤王志士との間の連絡役をつとめ、「肝っ玉母さん」のような役割を果たした。
 京都から故郷の下伊那に帰ってからも、勤王派のために力を尽くした。つまり幕府の追及を逃れて都落ちしてきた志士たちを匿(かくま)い、その生活を支えた。
 明治に入ると、かつての同志の多くたちが明治政府の要職に就いた。品川弥二郎、そして岩倉具視など・・・。
 1990年に刊行されたものに加筆修正のうえ、文庫化したというものです。読ませました。
 50歳になった日本の女性のなかに、幕末のころ、こんなに元気に活躍していた人がいるのを知って、改めて敬意を表したいと思いました。
(2023年6月刊。1100円)

江戸の好奇心、花ひらく「科学」

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 池内 了 、 出版 集英社新書
 江戸時代についての本は相当よんできたつもりの私ですが、この本に接して、いやいや、まだまだ知らないことがいかに多いか、思わずため息が出ました。でも、そんな出会いがあるから、人生って面白いのですよね・・・。
 たとえば、江戸時代にはアサガオ栽培が盛んで、変わりアサガオがもてはやされ、高値で取引されていました。これは私も知っていました。
 アサガオは奈良時代には、その種は「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、下剤として重宝された薬用植物だった。江戸時代に入るまで、花の色は青だけだった。四大将軍野家綱の時代の本(1664年)には青と白の2色になった。ところが、17世紀末になると、赤や浅黄(淡青)、そして瑠璃(るり)色の花も生まれた。18世紀半ばに第一次アサガオブームが起きて、アサガオは地味な花から派手な花へ変貌した。19世紀半ばに第二次アサガオブームが起き、明治に入って、第三次ブームも起きている。
 次に菊です。18世紀前半の本に、金7両(35万円)で菊1鉢が売買されたと記されている。菊の「1本造り」は、1本の台木に接ぎ木して100種もの異なった菊の花を咲かせた。
 菊の花を持ち寄って、左右に別れて優劣を競い合う「菊合わせ」があっていた。入選すると、「勝ち菊」とし、負けたら「負け菊」を決めていた。
 オモトも高値で取引されていた天保年間(1803~44年)がオモト人気のピークで、1鉢が100両とか200両することがざらだった。
そして、タチバナ。18世紀の終わりころ、タチバナは「百両金」として1鉢300両とか400両で取引されていた。種1粒が何両もしていた。
 次に、驚くべきことにネズミを江戸の人々は飼っていて、毛色の変わったネズミや形・大きさの異なるネズミを生み出していた。たとえば、白ネズミとか・・・。とくに大坂には白ネズミの需要があったようです。そのうえ、ネズミに芸を仕込んでいたのでした。
 金魚。江戸時代に金魚がブームとなり、そのときから庶民にも身近な存在となった。江戸時代初期は、金魚は非常に高価だった。ビードロの金魚玉が発明されてから、庶民に広まった。懇切丁寧な金魚の飼育法が紹介されています。
江戸には鳥ブームも起きました。鳥を飼って、鳴かせる。カナリア、ハト、イソヒヨドリを多数飼っている人は目立つばかり・・・。
 江戸時代に入ると、庶民が広く虫を飼い、誰もがその音を楽しむようになった。スズムシ、ミツバチ、カイコ(蚕)。いやはや、現代日本人と、ちっとも変わりませんよね、これって・・・。
 江戸時代の人々は好奇心が旺盛で、遊び好きで、凝(こ)ると、損得を忘れて夢中になる、そんな気質にみちあふれていた。改めて、江戸時代の人々を見直しました。
(2023年7月刊。1210円)

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