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カテゴリー: 司法

憲法の創造力

カテゴリー:司法

著者  木村 草太 、 出版  NHK出版新書
憲法学会の若き俊英が世に問う、ラディカルで実践的な憲法入門書。これは本のオビにあるキャッチ・フレーズです。そうならば、手にとって読まざるをえません。
 実りある憲法論のためには、何より想像力が重要である。
 そうなんです。条文(案)に何と書いてあるか、それがどういう意味なのかを知るためには、想像力が重要なのです。
 卒業式で、君が代を斉唱させ、日の丸掲揚を義務づけ、それに反する教員を処分する。これは、まさしく憲法問題である。
 著者は、次のように指摘します。そもそも、校長が式典での所作について命令を出すというのは、いかにも強権的である。冷めた目で見てみれば、「歌をうたえ」という職務命令が出ること自体が滑稽ですらあろう。たとえば、教員に対し、「入学式では、ちゃんと『ビューティフル・サンデー』をうたえ」という職務命令を出したり、歌わない教員に戒告処分や減給処分を科したりする学校があったら、多くの人は「変な学校だなあ」と思うのではないか。「ビューティフル・サンデーを歌わなかったこと」を理由とした懲戒免職など、もはやコントの域である。
 まったくもって、そのとおりです。学校を世界の常識が通用しない場にしてはいけません。それでは、何より子どもたちが可哀想です。
 生存権の保障というのは「フツー」の人の支持を「自然に」集められる政策ではない。貧困とは縁のない(と思っている)人々は、国家財政は、救貧施策ではなく、もっと文化的なものや、景気を刺激する政策に使ってほしい、と考えるかもしれない。また、勤労の才能に恵まれた「フツー」の人から見れば、生活保護受給の中には、「怠けている」ように見える人もいるだろう。
 しかし、個人の尊重という規範を貫くためには、生存権保障という「不自然」きわまる制度の意義を「フツー」の人々に十分に理解できるように説明できなくてはならない。
 憲法25条1項は、制度の現状を調査し、そこで何が行われているかに想像力を働かせ、改善のための想像力を発揮することを求めている。
 「最低限度」の生活に何が必要かを真剣に検討し、社会住宅の提供やコミュニティー形成への援助の重要性を憲法教育の現場で教えられていたら、政治や行政の現場も今とは違う状況になっていたかもしれない。
 ちょっと冷静に考えてほしい。休日に政治的行為をする人は、仕事でも政治的に偏ったことをするはずだという信念は、不合理な偏見にすぎない。私も、全く同感です。
憲法9条は、日本国の非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求しているということである。
 日本が非武装を選択できる世界の創造は、終わりがないと思えるほど途方もない仕事かもしれない。しかし、これは世代をこえて受け継がれなければならない仕事である。
 まだ30代前半の若きケンポー学者の指摘には本当に鋭いものがありました。
 多くの人に、とりわけ若い人に読んでほしい憲法の本です。
(2013年7月刊。780円+税)

弁護士の仕事術Ⅱ

カテゴリー:司法

著者  藤井 篤 、 出版  日本加除出版
弁護士が仕事をするにあたって必須のことが縦横無尽に語り尽くされています。著者よりは少しだけ先輩になる私にも大変役に立つ内容です。もちろん、若手・中堅弁護士には大いに活用・実践してほしいものばかりです。
 忘れないうちに書いておきますと、私が早速とりいれようと思ったのは、交渉事件について、当初の委任契約書において、数ヶ月という期限を切っておくべきだという指摘です。これは本当にそうしたらよかったと思いました。
 ヤミ金からの取り立て防止の案件、また消滅時効を主張する案件では、せいぜい1~2ヶ月がヤマで、あとはまず動きがありません。だから、3~6ヶ月で動きがなかったら、事件は終了したものとみなすという条項を付しておいたら、安心して既済事件として処理することができるのです。これまで、私はその条項がないばかりに、1年も2年もたって、みなし既済としていました。
 この本は、東京二弁のフロンティア基金法律事務所の初代所長を8年もつとめた著者による、若手弁護士育成の経験をふまえたマニュアルを集大成したものですから、とにかく、明日と言わず今日からすぐ使える実践的な内容です。
 「正義を分からせたい」と主張する請求は、よくない。
 「とれたお金は全部、弁護士にやってよい。全額寄付する」という言葉を、額面どおりに受けとってはいけない。
 本当に、そのとおりです。私も、何度、このようなセリフを聞かされたことでしょうか・・・。そんなことを言う人は、決して信用してはいけないことを何度も身にしみました。
自分がやれそうもなかったら、他の弁護士を紹介する。
そうなんです。私は、出張仕事は受けないことにしています。その地の弁護士を紹介するのです。同じように、私の活動する地域で起きた事件でしたら、全国各地の弁護士から紹介してもらっています。このようにして、弁護士からの紹介が3割あるという一般統計もあるくらいです。
必要もないのに依頼者の家や会社に出かけない。仕事の話は法律事務所でするのが基本。依頼者に弁護士を自宅や会社に呼びつけて何かやってもらう。この「悪習」を作らないのは大切なこと。対等の関係をあくまで維持する必要があります。安くみられてはいけません。
 また、依頼者を電話で説得しようとするのもいけない。説得は、直接、面談してすべきもの。そして、それも1時間以内にとどめる。そのときに説得できなければ、しばらくあいだをあけて、次回に続行する。
 裁判の報告はA4版ペーパーで1枚くらいで簡潔にする。電話ですまさない方がいい。私は、メールやFAXは使いません。なぜなら、郵便で依頼者に届くまでに、そして、その返事が来るまでに別の仕事ができるからです。メールやFAXだと、あまりに早く応答が来てしまい、他の仕事にとりかかれません。なんでも早ければいいというものではありません。時間を考えた優先順位というものがあるのです。
 うんうん、そうだよね・・・と、何度もうなずきながら読みすすめていきました。
 7冊シリーズの2冊目の本です。本になる前から、このマニュアルの存在を知っていました。多くの弁護士の共有財産にしたい内容が満載です。
(2013年7月刊。2200円+税)

原発と裁判官

カテゴリー:司法

著者  磯村健太郎・山口栄二 、 出版  朝日新聞出版
3.11原発事故について、東京電力の社長連中は不起訴で終わりそうです。とんでもないことではないでしょうか。東電の社長が未必の故意による殺人、少なくとも業務上過失致死傷で起訴されないというのでは、日本の検察庁も口ほどのこともない、大した能力のある組織ではないということです。2年以上たって、やおら不起訴を決めるという手法にも腹が立ちます。もう、みんな忘れているだろうということです。だって、今では原発再稼働どころか、日本の原発を海外へ輸出しようというのですからね。開いた口がふさがらないとはこのことです。
 原発輸出を口にしている人には、家族ともども福島に、原発のすぐ近くに移住する気持ちがあるのですか、と問いただしたいと思います。今でも15万人もの人々が住み慣れた故郷に戻れず、仮設住宅に住まざるをえない現実をどう考えているのでしょうか・・・。
 原発の危険さは、3.11の前には裁判所ではほとんど無視されてしまいました。でも、危ないと言った裁判所も二つだけはあったのですね。偉いものです。先見の明がありました。でも、そんな判決を書くのには、よほどの勇気が必要だったようです。
 そして、原発の危険性を否定した裁判官は反省の弁を語ります。
 私が原発訴訟を担当したとき、全電源の喪失はまったく頭になかった。裁判官時代の私には、原発への関心や認識に甘さがあったかと思う。国の審査指針は専門家が集まってつくったのだから、司法としては、見逃すことのできない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重する。
 私が裁判長をしていたとき、なんで住民はそんなことを恐れているんだ、気にするのはおかしいだろうと思っていた。
 原発事故ではヒューマンエラーが重なっていることが分かった。そんなことが起こるとは思っていなかった。
 原発は、テロの攻撃対象にもなりうる。
 東電の従業員の誠実さを信頼してよいと思った。しかし、会社ぐるみの不正が次々と明らかになった。原発のデータ隠しが露見したのを見て、実態はこんなにだめな組織だったのかと驚いた。
国家の意思にそぐわない判決を出すと、自分の処遇にどういうかたちで返ってくるだろうか。そのように考えるのは組織人として自然なこと。だから、無難な結論ですませておいたほうがいいかな、そう思うことが十分ありうる。
 行政を負かせる判決は、ある程度のプレッシャーになる。
 裁判官のホンネを知ることのできる本です。
(2013年3月刊。1300円+税)

自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!

カテゴリー:司法

著者  小林節・伊藤真 、 出版  合同出版
改憲派の小林節氏と護憲派の伊藤真氏。改憲には意見を異にする点もあるが、立憲主義を否定する自民党の改憲草案への批評では、意気投合!
このオビに欠かれた文章のとおり、不思議なほど、小林教授と伊藤弁護士は共鳴しあいます。まあ、それほど自民党の改憲草案はひどすぎるというわけです。
 問題は、この自民党の改憲草案のひどさが国民全体のものにまだなっていないところにあります。では、どこが、どんなにひどいのか・・・。
 自民党も、決して日本をダメにしようとか、悪い国にしようと思っているわけではないだろう。しかし、自分たちが考えているような、いい国をつくりたい。それに邪魔になるものは排除する。国民はそれに従わせようという感じがする。
 民主主義というよりエリート支配。ところが、実はエリートでも何でもない人が自分たちはエリートだと思い込み、自分たちがうまくやるから、みんな黙っていろと言っている。そんな感じを受ける。
 自民党の改憲草案の起草委員会のメンバーである片山さつきはツイッターで次のように言った。
 「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論はやめよう。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて、国を維持するには自分に何ができるかを、みなで考えるような前文にした」
 おそろしい発言だ(小林節)。別の自民党の議員は、日本の主権は国民ではなくて、歴史や伝統にあると言い切った。
 自民党の改憲派の議員は教養がないから、ほんとに自由だ。恥というものを知らない。自分にも弱さがあるし、間違いも犯すという発想がまったくない。
 自民党の改憲草案9条の2の第3項は、致命的にダメ。海外派兵の条件を法律(国会)にゆだねてしまっている。急ぐときには、国会の承認なしにも海外派兵するということ。
 軍隊は間違うことがないから大丈夫。自分たちは間違えないから大丈夫だ、という発想が自民党改憲草案にはある。
 人権は、誰かから与えられるものではなく、生まれながらにもっているもの。そして、国家権力と人権とは、どっちが上にあるか。人の権利が上にある。
 自民党の改憲草案の全文が現行憲法との対比で最後に紹介されています。ぜひ、比較対照してお読みください。日本の政権党である自民党のレベルの低さ、そして傲慢さがよく分かります。こんな憲法改正は絶対に許してはなりません。
(2013年3月刊。1300円+税)

法服の王国(上)

カテゴリー:司法

著者  黒木 亮 、 出版  産経新聞出版
久し振りに司法改革の前夜の暗黒面を生々しく思い起こしました。
 この本でははっきり書かれていませんが、私が司法修習生になったころ(40年前のことです)は、合格者の身辺を公安調査庁の調査官が聞き込みに動きました。前職のある人は、その勤め先、私のような学生上がりだと下宿先の大家さんをふくめて周辺を訊いて回るのです。狙いは、要するに思想チェックです。合格者は500人ほどでしたので、やろうと思えばやれたわけです。そして、その調査結果は研修所の裁判教官にそれとなく伝えられていたようなのです。任官をすすめるかどうかという点で教官の心覚えに欠かせない資料となっていました。この点は、私自身が体験したことです。任官志望など、考えてもいませんでしたから、差別されたなんて思いませんでしたが、ああ、ここまでやっているのかと思いました。私は、学生運動していたわけではありません(少なくとも、本人は・・・)。ただ、セツルメントという学生サークルに所属していたというだけです。それでも、当時、有名だった三菱樹脂事件の高野さんが大学生協の活動家だったことで採用拒否されたのと重ねあわせて考えていました。
 この本では、そんな私より4年も前の修習22期生で裁判官になった人たちの人生が語られてスタートします。
 青法協(青年法律家協会)の活動が盛んでしたから、元気なモノ言う修習生があふれるようにいた時代です。22期生だとクラスの過半数が青法協の会員だったと聞いています。私のときでも、3分の1は会員でした。ですから、活動はいつだって、おおっぴらにやっていました。クラス毎の新聞も日刊のように発行していました。まだガリ版印刷でした。私もガリ切りしていました。セツルメント活動で日常的にやっていましたので、日刊のクラス通信なんて、軽いものです。2年間、それなりの給料をもらって勉強だけしていればいいのですから、こんなに幸せな環境はありません。私が国選刑事弁護を今もいとわずにやっているのは、若いころに税金で勉強させてもらった恩返しと思っているからです。今のように貸与制だと、そうはいかないでしょうね。
 立法府(国会)にケチくさい、自分のことしか考えない議員が増えたことによる重大な誤りが、ここにもあります。
 主人公の一人、裁判官なる村木は、憲法の精神を護るという使命感に燃えて修習生になったから、すぐに青年法律家協会に加入し、勉強会などに積極的に参加した。
 私も青法協の活動には積極的に参加しました。富士山の裾野に自衛隊の演習場があります。忍野(おしの)村です。逆さ富士でも有名な絶景の地です。そこで、自衛隊が実弾演習するというのです。先日、富士山は世界遺産に登録されましたが、その裾野では、日米両軍が実弾射撃を今もしています。そんなキナ臭い場所に使うなんて、即刻、辞めてほしいと思いますが、マスコミは口をつぐんで報道しません。
青法協主宰の勉強会といえば、四日市大気汚染公害判決が出たばかりでしたので、当時はまだ現職裁判官だった江田五月・元参議院議長を講師として招いたものもありました。
 元気のいいモノ言う裁判官も多かったので、大阪地裁では裁判官会議が実質的な議論をしていて、いろんなことが裁決で決められていました。上意下達の場ではなかったのです。しかし、そこに弾圧の手が及んできます。それに反抗する裁判官は、人事異動で地方(支部)へはじき飛ばされてしまうのです。逆にいうと、支部に気骨のある裁判官がいるようになりました。
 昭和40年(1971年)3月、宮本康昭裁判官(13期)が再任を拒否され、23期の阪口徳雄修習生が修習終了式を騒がしたとして罷免された。いずれも石田和外長官のときのこと。自民党タカ派の言いなりに最高裁は動いていました。
 明るく、自由闊達な裁判所の雰囲気が暗転しました。配達証明つきで退会届を青法協に送ってくる裁判官が続出したのでした。少し前の町田顕・最高裁判官もその一人でした。
 この本は、「小説・裁判官」となっていますので、主人公などは仮名ですが、もはや歴史上の人物は実名で登場しますので、その生々しさは言うことありません。下巻が楽しみです。
(2013年7月刊。1800円+税)

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