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カテゴリー: 司法

地下アイドルの法律相談

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 深井 剛志 、 出版 日本加除出版
私はテレビを見ませんし、コンサートに行くこともありませんので、アイドルなる存在とはまったく無縁です。なので、地下アイドルって、何のこと…、という感じです。
AKBが登場したあと、アイドルの活動はテレビからライブに移行し、握手会や物販など、ファンと直接交流する場での活動が中心になっている。
現代におけるアイドルの役割は、多くのファンに活力を与えてくれる、心のオアシスのようなもの。
著者がこれまで相談・依頼を受けたケースを通じて、アイドルと所属事務所との契約は、事務所側に有利な内容になっていることが多く、十分に生活を送れる条件で働くことのできるアイドルはとても少ない。
この本は、契約における不均衡を少しでも是正し、アイドルにとって働きやすい環境をつくるため、法的に契約内容の問題点を指摘している。
契約書では、給料の決め方が具体的に詳しく書かれていないことからトラブルになることが多い。また、アイドルの禁止事項と、それに違反したときに賠償金の額が問題になることもある。さらには、契約終了後、アイドルの移籍や芸能活動を禁止する条項があったりする。なので、契約書にサインする前に、よくよくチェックする必要がある。
そうなんですよね。アイドルとして一人前になろうとするのなら、契約書のチェックをあなたまかせにしてはいけません。
アイドルが未成年のときには、親(親権者)の同意をもらっておく必要がある。アイドルは事務所との業務委託契約を結ぶ。これは、会社員が勤務先の会社と結ぶ労働契約とは別。つまり、アイドルは、いわゆる労働者ではない。しかし、働き方の実態からアイドルが労働契約を結んでいると解されるときには、最低限の給料をもらう権利がある。
たとえば、アイドルが仕事が断ることができない、報酬の決定権限が事務所にあり、著作物の権利も事務所にあって、アイドルは副業禁止というときには、アイドルは労働者にあたり、最低賃金法による給料が保障されるとした判例がある。
アダルトビデオへの出演を強要されたモデルが拒絶したところ、事務所がモデルに損害賠償請求した裁判で、その拒絶は正当であって、違法ではないので、違約金を支払う義務はないとした判決がある。
アイドル志願の若い人にはぜひ読んでほしい本です。福岡で著者のサイン入りの本を購入しました。マンガで状況描写されていますので、とても分かりやすい本になっています。
(2020年7月刊。税込1760円)

ステップファミリー

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 野沢 慎司、菊地 真理 、 出版 角川新書
子どもの親権をめぐる争いは、弁護士にとって、よくある事件の一つです。実際には、どちらの親が毎日、子どもの面倒をみているのかがポイントだと実感しています。
寂しい思いに駆られるのは、親が双方とも子どもを相手に押しつけようとするケースです。結局、子どもは施設に入ることになります。恐らく親は、どちらも面会しないのでしょう…。そんなケースにあたると、本当に残念です。
親の育児放棄から施設に入れられて育った人の依頼を受けたことがありますが、子ども時代の様子は語りたがりませんでした。やはり寂しかったようです。施設によるのだとは思うのですが、卒業したあとの子どもたち同士の交流はないということでした。なので、子ども同士の連帯感が育っていないようでした(これは決して一般論を言っているのではありません。あくまで私が話を聞いた人の話です)。
親の離婚を経験する子どもたちは、50年ほど前に比べて、格段に増えた。2018年の1年間に、21万人にのぼる。この子の親が再婚すると、「ステップファミリー」ができる。現代日本においても、もはやステップファミリーは珍しい家族ではなくなっている。現代は、いつ、誰がステップファミリーの一員になっても不思議ではない時代だ。
ステップファミリーを、両親とその子どもから成る単純な核家族と「同じ」ものとみる視線が日本社会全体に蔓延(まんえん)している。本当に、それでよいのだろうか…。
慣れ親しんだ生活のルールから切り離され、新たなルール制定者である見知らぬ「父親」との生活が始まったとき、子どもがそれまでの母や祖母と同等の親として「父親」を認めることに抵抗を感じ、反発したとしても不思議なことではないのではないか…。
これに対して、「父親」は、「娘」の反抗的な態度に直面して、自分の理想やプライドが大きく傷ついたかもしれない…。
子どもにとって、「親」だと思っている人に入れ替わって、別の大人がいきなり「親」として振る舞いはじめたとしたら、子どもにとって適応困難であり、理不尽な苦しみをもたらすことになる。そのうえ、ずっと一緒に暮らしてきて便りにしてきた血縁の親が、この理不尽さを理解してくれず、そこから助けてくれないとしたら、子どもは追い詰められ、絶望的な心境に陥ってしまう。なーるほど、ですね。よく分かるシチュエーションです。
日本は、この半世紀のうちに、結婚が離婚に至るリスクの高い社会へ変貌し、今もそのリスクは高止まりしている。
離婚する夫婦の6割に子どもがいる。再婚は、もはや珍しくはない。
明治以前は、長続きする結婚が少なかった。明治より前は、結婚や離婚は、きわめてプライベートな問題であり、政府も宗教も関わっていなかった。江戸時代の日本は、離婚も再婚も珍しくない社会だった。明治から、離婚・再婚が社会的に抑圧されるようになった。
この本にも『須恵村の女たち』が紹介されています。このコーナーでも先に紹介した本ですが、この本を読んで、私の目が開かれました。江戸時代までの日本女性は「モノ言わぬ妻」なんてものではなかったのです。『女大学』は、実態の「行き過ぎ」(男にとって)を少しブレーキをかけようとしただけの本でしかありません。江戸時代に『女大学』のような現実があったなんていうのは、まったく事実に反しています。
「親権」というコトバ時代が時代遅れ。これは、父が家族の財産を管理・支配していた時代の名残(なごり)にすぎない。なるほど、もっともです。
子どもが親を失わない権利をもつという、発想の転換が必要だ。そのとおりです…。
実父と継父は、互いに競合するものではなく、それぞれ別の存在だ。なので、子どもはどちらかだけを「親」として決める必要はない。なにより子どもが安心感・信頼感をもって生活していくにはどうしたらよいか、これを優先させるべきだという著者の指摘には、まったく同感です。
離婚後の共同親権の実現を急げと著者は強調しています。そのとおりなのでしょうね。考えさせられることの多い、いい本でした。
(2021年1月刊。税込990円)

「弁護士の平成(会報30号)」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
福岡県弁護士会の会報30号が発刊されました。A4サイズで470頁もある大作ですので、なかなか手にとって読んでみようという気にならないかもしれませんので、読みどころを少し紹介します。今回は、民事裁判の現状と克服の方向です。
民事裁判の現状…座談会
第3部の座談会で民事裁判の実情が紹介されています。裁判官が記録を読んでいないのではないか、また積極的に争点整理をしてくれないという不満の声があがっています。
「松本 裁判官が最初から決め打ちしているというケース、これはこういうもんなんだよという感じで、争点整理そのものに行き着かない。争点整理もいいのだけど、主張立証責任の所在で困るところがいっぱいあった。どちらがどのレベルで立証できるのかを深めてやれば、事件はもっと単純に解決できるのではないでしょうか。主張書面もさることながら、それに付随して出す陳述書がやたら攻撃的になっていって和解の機運を失う、裁判所もそれを見ていながら何もしないということがあります。
 神田 争点整理に行き着く前の段階で、そもそも裁判官が記録を読んでいないのではないかなと思うことがあります。そういう裁判官は争点整理を積極的にやってくれないという印象です。また、争点整理自体ではありませんが、弁論や弁論準備の期日に依頼者が同席するケースもあります。期日で、裁判官が記録を確認していなかったり、提出された書面を見ていないということが依頼者に分かってしまうと、その後に和解案が出されたとしても、依頼者が担当裁判官を信頼できず、和解案にも納得してもらえないことになります。和解案自体は妥当なのに、争点整理の前提自体がどうなのかなと思う事件がありました。
・・・・
 小倉 相手側代理人が、こちらの書面の枝葉末節に噛みついて、何が争点なのかぼやけてきて、裁判官もまとめきれなくなり、事件は漂流するケースがありました。積極的に争点整理しましょうと言う裁判官は、小倉支部ではそう多くない印象です。記録を読んでいないのではないかと強く疑われる裁判官も実際にいます。争点整理がされないまま、双方が   自由に主張を出し合って、判決を受け取った段階で初めて『えっ、ここが争点だったの』という判決もありました。私は初めて控訴状で『争点整理の仕方が間違っている』と控訴理由に書きました。高裁の裁判官から『違うのですか』と訊かれて『絶対違います』と返答しましたが、思い込みも含めて勝手に争点整理されると怖いです」(354頁)
裁判官が記録を読んでいないのではないかと当事者が不信感をもったら、まとまる話もまとまらなくなります。また、裁判官が積極的にリードしてくれなかったので、当事者間の感情的対立が高まって困ったという話も出ています。
「染谷 裁判所側の問題としては、個々の裁判官の資質かもしれませんが、明らかに記録を読み込んでいない様子で、何となく期日を重ねて当事者に主張させたあと、それぞれの主張を足して二で割ったような和解案をポンと出して、『あとは当事者でやってください』という対応があります。これは争点整理の仕方がまずかったというよりは、そもそも争点整理がされていないという問題である気もします。争点整理に取り組む認識のある代理人や裁判所に当たったときには、争点整理自体が問題だなと感じたことはありません。
 石本 相続関係の民事訴訟でしたが、相手方代理人の訴訟活動で困った点として、要件事実ではないいわゆる事情(親族間の長年にわたる恨みつらみ)を厖大に主張された結果、結論に影響しない対立点が増えてしまったことがありました。そして、裁判所の訴訟指導で困った点として、要件事実との関連性を確認することなく、『では、反論を』と放置されたことがありました。その結果、争点整理がどんどん漂流してしまうとともに、当事者間の感情的対立が高まって、和解の機運を逃してしまったことがありました」(353頁)
 7割の事件で、争点整理によって裁判官は心証をとっているのではないか、この後藤裕弁護士の問いかけに対しては肯定的な反応です。
 「後藤 『争点整理で7割決まる』というのが、全体の7割ぐらいの事件では裁判所の心証が争点整理の段階でほぼ決まっているという意味ではどうでしょうか。
  染谷 私も『争点整理で7割決まる』というのは、実感とそう離れていません。多くの裁判官もだいたい証人尋問前にはほとんど心証が固まっていて、よほどのことがないと尋問結果で心証が変わることはない、と色々なところで聴きます。もっと言えば、これは私の勝手な印象ですが、訴訟と答弁書の段階でかなり心証を取っているのではないかと感じます。
  裁判官としても最初に出てくる訴状と答弁書、それの裏付けとして出されている基本証書と呼ばれるもの、その内容を見れば大体この事件はどういう事件なのか概要をつかんで、この事件はこういう心理の仕方、これはどう頑張っても判決の事件だ、あるいはこれがどこかで和解はできるかもしれない、そこまでシビアにやらなくて良いかもしれないと、方向性を決めてやるのではないかという印象を持っています。もちろんその後の主張、立証によって心証が変わることもあるとは思うのですが、ファーストインプレッションという言葉があるように、第一印象、最初に持たれた事件の印象を後から大きく覆すのはかなり難しいと感じます。
   石本 私も同じ感覚です。人証で結論が決まるような事案だと、そもそも訴訟を回避して何とか交渉でまとめることも一定数あると思うので、証拠調べ前に7割方心証が固まるのは、おかしなことではないと思います。
   小倉 たまに争点整理しても結論が分からない、悩ましいという裁判官もいます」(361頁)
裁判利用者の18%しか満足していない
 民事裁判の現状については、次のように紹介されています(214頁)
   「本人尋問や証人尋問をしない裁判が薬3000件増え、検証と鑑定は10年間で約3分の1に激減している。
第2に、訴訟代理人から、『裁判所が証人調べをしない、強引な和解がある、判決の理由が乏しくなっている、高裁の1回結審が増えている』などの不満が出ている(東京弁護士会の1997(平成9)年の調査)。また、第1回期日について被告代理人の変更申請を認めず、原告とだけで裁判をするという例が増えている。
第3に、裁判利用者で今の訴訟制度に満足した人は、わずか18%しかいない』。
集中審理、陳述書の活用はいいとしても、陳述書に本来ありえないはずの事実上の証拠力が認められることがあるのが実情であり、これは弊害と言うほかない。
判決に事実認定の緻密さが欠けてきているという批判を裁判官経験者がしている。『紛争発生後に当事者等が作成する陳述書は、当事者側のストーリーが入りがちで、紛争発生前から存在する客観的証拠との照合が欠かせないが、紛争発生前から存在する証拠はしばしば断片的であるため、客観的であるにもかかわらず、無視されがちである』
また、急ぐあまり審理の適正・充実がおろそかにされていないか。高裁での1回結審の原則的運用には当事者双方から大きな不満の声があがっている。
『日本の裁判官は、事件を早く終わらせたいのか、事実発見、真相究明よりも、効率的且つ迅速な裁判遂行を優先させ、人証の採用に消極的で、人数を制限するだけでなく、主尋問、反対尋問の時間まで制限する。じっくり時間をかけて、重要証人の尋問を聞こうとする耳を持たず、その意欲もなければ、余裕も全くない』という指摘は悲しいかな、今なお日本の裁判官の現状ではないか」(214頁)
裁判官おまかせ主義の弁護士
 ところが、裁判所の側から弁護士の訴訟活動について手厳しい批判の声があることも紹介されています。「裁判所依存」、「裁判官おまかせ主義」の弁護士の存在です。
   「弁護士任官で裁判官になった田川和幸弁護士は法廷の裁判官席からみた弁護士の実情を次のように手厳しく批判した。
   『現実の法廷では、ほとんど証拠の収集をせず、本人尋問だけに頼る弁護士が少なくないので、閉口してしまう。ろくに訴訟準備もしない、適切な主張もしない、ちゃんとした尋問もしない』
   『弁護士が、いい加減に主張立証しただけで、その役割をすませたような顔をされているのをみると、腹立たしくなる。しかも、若い弁護士にこのような方が少なくない。未熟さ故というには、あまりに熱意が窺われず、無責任さばかり感じられて、依頼者が可哀想に思えてしまうこともある。同様な弁護士が増えていくと、裁判所に寄せる国民の期待を裏切ることになると、大上段に構えたくなるが、かかる弁護士が自由競争で淘汰されるのを待つしかないのであろうか。弁護士の倫理の高揚と弁護士会の研修に期待するところが大きい』
   『弁護士の訴訟における裁判所依存である。みずから適正な訴訟活動をしないで、真実を発見して判決したいと考えている裁判官の思いに乗っかって、報酬を稼ぐ弁護士。判事室では、この種の弁護士の話が満ち溢れている』
   『裁判所依存、さらにステレオ・タイプ化して言うと、「裁判官おまかせ主義」の弁護士の数が少なくないことに驚いた。そのような弁護士には、弁護士会が倫理性と研鑽を求める必要がある』
   これはなかなか耳の痛い批判であり、弁護士はこのようなことを言われないよう主体性をもて不断に研鑽に務める必要がある」(218頁)
現状を克服するには…
 現状をそのままにしておくわけにはいきません。心ある人はともかく声をあげ、気がついたところから実践していくしかありません。
   「ながく裁判官をつとめ、弁護士8年目の金馬健二弁護士は医療関係訴訟において弁護士のほうで積極的に働きかけ、裁判官を育てるつもりで審理を動かしていくことをすすめている。
    『裁判官が記録をきちっと読んで、身を乗り出して当事者の言い分に耳を傾け、洞察力をもって、事案を的確に把握し、できるだけ当事者に負担をかけないような合理的審理を図り、解明すべき点についての必要十分な資料の提出を当事者双方に平衡に配慮して促し、適時の和解勧告をして公正な解決を図り、鑑定が必要な場合でも鑑定人に丸投げせず、自らの判断の補助(本来の鑑定)とするように工夫を凝らし、また、直接的な証拠の中身に拘泥せず、自らの頭で洞察力を働かせて推理し、的確な推認による批判に耐えうる事実認定をする方向で、謙虚に審理を進めてくれれば、医療関係訴訟は迅速適正な解決に向かいます。しかし、そのような審理のできる裁判官は少ないことが分かってきました。そうであるなら、訴訟進行を裁判官に委ねることなく、当事者の方でイニシアチブをとって、裁判官を育てるつもりで、裁判官に積極的に働きかけ、私たちが求める方向に審理を動かしてゆくしかないとの思いを強くしています』」(218頁)
 ぜひ、会報30号の現物にチャレンジしてみてください。得られるものは、きっと大きいはずです。
 

お気の毒な弁護士

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山浦 善樹 、 出版 弘文堂
いやあ大変勉強になりました。これから弁護士になろうと思っている若い人にぜひ読んでもらいたいものだと思います。
お金は、あると役には立つが、人生の目標はお金ではない。お金を目標として生きるのではなく、金銭は一つの道具にすぎない。だから弁護士にとっては、法律だけでなく、目の前にいる依頼者がもっている夢や希望、好きな人との約束が実現するよう応援し、また他人には理解されないかもしれない心の隙間を理解し、一緒になって新しい生き方を探るという姿勢をもち続けることが大切。それがマチ弁の仕事。
そうなんです。著者はマチ弁として、弁護士1人、事務員1人の法律事務所を営んできて、最高裁判所の判事になり、定年退官したあと、また元の事務所を再開してマチ弁に戻ったのでした。
事件の依頼を受けたら、現場には必ず行き、依頼者の自宅や店舗を訪問する。そして、依頼者から、事件以外の昔話やムダ話を聞く。依頼者は最良の証拠であり、現場や依頼者の記憶には、必ず痕跡が残っている。著者が事実を徹底して調べ尽くし、また、依頼者(相手方のときも)とじっくり何度も話し込んでいって解決した話は、まさしく感動的です。
都心の巨大法律事務所のパートナーになり、何人もの弁護士を雇った、多額の収入があったということを自慢するより、地域の人々から頼りにされた、依頼を得たと子や孫たちが誇りに思うような生き方を選ぶ。
著者の言葉に、マチ弁ならぬ田舎弁の私は強く共感します。
法律事務所の損益基準は1件決算とか1年決算ではない。「人生」そのものを期間損益の単位としている。
いやはや、まったく同感です。著者は20年前の事件の依頼者が再訪してくれる喜びを紹介していますが、私も同じです。
口コミの威力はすごい。生涯を一会計年度として考えるべき…。
恒産が必要か否か…。恒産がないと弁護士業はできないというのであれば、金持ちしか弁護士にはなれないし、やっていけないことになる。やっぱり、そうではありませんよね。
著者は、酒も飲まない、ゴルフもやめた。自宅は雨露をしのぐ程度のもの(木造2階建て、敷地28坪)。お昼はコンビニ弁当かサンドウィッチ、ネクタイは1000円程度の安物。住宅ローン、学費ローンもあった…。
それでも多くの依頼者に恵まれ、「マイ・クライアント」がいて、その仲間たちが「恒産」だ。
なにしろ最高裁判事になるとき、手持ち金があまりないので、裁判所に「支度金」を求めて、担当者が絶句した…というのです。恐れ入ります。
父親は日雇労働者(にこよん。日給240円)、母親は内職。そして、質屋通いの生活。ゴミ捨て場に行ってくず鉄を拾って換金してあんパンを手に入れて空腹をみたす生活。いやあ、これにはまいりましたね。私は、小売酒屋の息子として育ちましたので、こずかいこそもらえず、紙芝居を間近で見ることができない寂しさはありましたが、ゴミ捨て場でくず鉄拾いするほどの貧しさは体験していません。
そして、著者は中学を卒業したら、就職するつもりだったのです。信用金庫に入るつもりでそろばん2級をとっています。ところが、担任の教師が、高校には奨学金制度があるからと言って、親を説得して高校に進学できたのです。教師はありがたいものでよす。
高校では新聞班に入り、また、英字新聞を定期購読したとのこと。親が偉いですね。そして、対人関係がうまくやれないことを自覚し、それを克服すべく生徒会長に立候補。
私も高校では生徒会長をつとめました。休み時間にタスキがけで立候補の挨拶をして3学年の全クラスをまわったことを覚えています。そのころは、それが当然でした。
そして、ついに一橋大学の法学部に進学。大学ではベトナム反戦運動とアルバイトに明け暮れていたそうです。築地魚市場そして立川の米軍基地で社会の実相をじっくり体験。
私もベトナム反戦の集会とデモには何十回となく参加しました。あとは、セツルメント活動に没頭する日々です。いえ、もちろんアルバイトもしました。家庭教師、オカムラ家具の搬出入、そして、ぬいぐるみで格闘。
著者は宝生流の能もサークルで演じています。そんな余裕もあったのですね…。
そして、卒業論文を書いたとのこと。これには驚きました。私は卒論なんて書いていませんし、考えたこともありません。私はゼミにも所属していませんので、東大教授と新しく話したことは大学生のとき1度もありません。遠くから仰ぎ見るだけの壇上の人でした。
著者は三菱銀行に入社したものの、たちまち後悔して、すぐに退社。
このとき、奥様から、「いい加減にしなさい。ぐずぐず言うあんた、嫌いよ」と叱られ、「そんなとこ、もう辞めなさい。私が食わしてやるから」と言われたといいます。すごい奥様(高校の同級生)です。そして妻の「ひも」になって、猛勉強して、1年で合格したというのです。
その受験生活がすさまじい。6畳1間のアパート。妻は昼間は薬剤師の仕事に出かける。一日中、そのアパートで勉強。朝8時から夜中の2時まで。エアコンがないので、お尻はあせもで真っ赤っか。座るのも辛いほど。家を出るのは1週間に1日だけ近くの銭湯に行く。そして月に2回、本屋に「ジュリスト」を買いに行く。そして、真法会の答練を郵便で送る。それだけ…。いやはや、これは、すごい。すごすぎます。私も、『司法試験』(花伝社)に自分の受験生活を描きましたが、寮生活でしたので、もう少し、うるおいがありました(女っ気は、ほとんどありませんでしたが…)。著者は、そんな猛勉強の甲斐あって、上位1割に入っていたとのこと。私のほうは、辛うじて「2桁」でした。
論文試験のとき、細字と太字の2本の万年筆を使用できて、答案で差をつけたとのこと。ええっ、そ、そんなことが許されていたのですか…。知りませんでした(今では禁止)。
司法試験に合格したことを報告に、郷里のお世話になったお寺に行くと、そこの和尚から「それは、お気の毒に…」と言われたといいます。この本のタイトルですが、今なお私には、よく分からない禅問答です。
司法修習生のとき、教官に「勝つな負けるな、ほどほどに」と言われ、そのときは理解できなかったとあります。しかし、私も、今では、本気でそう考えています。一般民事事件では、勝ちすぎるのは、あまり良いことではないのが大半だと考えています。「ほどほど」にしないと相手方に恨みが残って、よくないのです。
著者は最高裁の判事として再婚禁止100日間の期間事件と夫婦同氏強制違憲訴訟に関与して、それこそマチ弁の感覚を生かしたとのこと。再婚事件は13対2、夫婦同氏事件では10対5と、15人の最高裁判事の意見が分かれた。
裁判官は法律にしたがって事件を審理しているようにみえるが、その根底にあるのは裁判官の人生観や価値観。
これもまた、まったく同感です。その人生観・価値観が薄っぺらになりすぎている裁判官があまりに多い、多すぎるのが現状で、その点が残念でなりません。
ただ、その点について、著者は、若い人たちに指導する側のマインド、指導力に問題があるのではないかと、耳の痛い指摘もしています。
450頁もの大部の本です。実は、読む前は、タイトルもピンと来ないし、どうなのかな…と思っていたのです。朝7時の電車に乗って、読みはじめると、たちまち惹きつけられ、午前中のフランス語教室のあと昼食をとりながら、また、コーヒーを飲みながら、ずっと読み続けて午後3時に読了しました。まったく面識はありませんが、同期(26期)で最高裁判事になった人なので読んでおこうかなという軽い気持ちでしたが、ずんずんと来る手応えがありました。
少し高価ですが、改めて若い人にぜひ読んでほしいと繰り返します。
(2021年3月刊。税込3850円)

日米安保と砂川判決の黒い霧

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版 彩流社
1959年(昭和34年)12月16日、砂川事件の最高裁判決はおぞましいほどの汚辱(おじょく)にまみれていて、先例とすべきものでないことが、今では明らかです。
というのは、当時の最高裁長官であった田中耕太郎(意識的に呼び捨てにしています。まさしく唾棄(だき)すべき男です。最高裁長官のあと、アメリカの全面的支持を得て、国際司法裁判所判事にまでなっています)が、アメリカ大使と密談して裁判の内情を何回も具体的に報告し、その指示を受け、激励されていたという驚くべき事実がアメリカ側の公文書によって明らかにされたからです。
砂川事件最高裁判決は、アメリカ政府による露骨な内政干渉があり、田中耕太郎は売国奴よろしく裁判情報を漏洩していた。まさしく違法・不正な行為があっていた。このことは、アメリカ国立公文書館にあった公文書が、秘密指定解除によって公開されたことで具体的に裏付けられている。
砂川事件というのは、1957年7月8日に起きたもの。アメリカ軍の立川基地の拡張に反対する運動に関与した7人の労働者・学生が起訴された。この砂川事件について、1959年3月30日、東京地裁(伊達秋雄裁判長)が、アメリカ軍の駐留は憲法違反なので、そのための刑特法は無効なので、被告人は無罪と判決した。予想外の判決に驚いたアメリカ政府はマッカーサー大使を通じて、藤山愛一郎外相に圧力をかけて、最高裁への跳躍上告をうながした。このことも、アメリカ政府側の公文書に記録されている。
さらに、マッカーサー大使は、田中耕太郎とも会って、密談を重ねた。その内容は具体的かつ詳細であり、単なる儀礼上の挨拶なんかではないし、抽象的なものでもない。
「本件は優先権が与えられている」
「判決は、おそらく12月だろう」
「争点は事実問題ではなく、法的問題に閉じ込める決心を固めている」
「口頭弁論は、1週につき2回、午前と午後に開廷して、3週間で終えると確信している」
「できれば、裁判官全員が一致して、適切で現実的な基盤に立って事件に取り組むこと」
田中耕太郎は、裁判の事実上の一方当事者であるアメリカ政府を代表するアメリカ大使に対して、判決の内容と判決事件をこっそり会って伝えていたのです。とても信じられませんが、これは証拠のある明らかな事実なのです。
もちろん、裁判所法は、裁判官に対して評議の秘密を守れと定めています。こんなことが判明したら、国会にある弾劾裁判所で、田中耕太郎は直ちに罷免されていたはずです。
こんなトンデモ判決で有罪にされた被告人はたまりませんよね。もちろん、真相がはっきりしたあとで、再審請求をしたのです。ところが、東京地裁(田辺三保子裁判長)は、再審請求を認めませんでした。なぜか…。田中耕太郎がアメリカ大使と面談した事実はさすがに否認できません。そこで、裁判所は最高裁長官とアメリカ大使の面談は、国際礼譲であって、田中耕太郎の言動は「裁判に関する一般論・抽象論にとどまり、評議の秘密の漏洩にはあたら」ないとした。これが東京地裁の判決です。
東京地裁判決の論理でいうと、裁判の見通しや時期、それに至る話はすべて「裁判に関する一般論・抽象論にとどまり、評議の秘密の漏洩にあたらない」というのです。
それが正しいのだったら、最高裁は、法の解釈指針として、「裁判に関する一般論・抽象論」は自由に語っていいことを裁判官と裁判員になった人々にきちんと伝えるべきです。
ところで、誰が考えたって、判決の見通しや評議の具体的状況を第三者に伝えたことが一般論かつ抽象論だとは思えません。要するに、再審請求は、理論の問題以前の、勇気の欠けた裁判官にあたってしまったのです。
アベ前首相は、この砂川事件の最高裁判決を口実として最大限利用して集団的自衛権を根拠づけようとしました。しかし、砂川事件では日本国内にあるアメリカ軍基地の存在こそ問題となりましたが、そこには集団的自衛権の話はまったくでてきません。アベ政権は、根拠なく「こじつけ」をしただけなのです。
いやあ、それにしても、東京地裁の一般論・抽象論を述べただけ」とか、「評議の秘密が漏洩したとはいえない」という判決には腰を抜かしてしまうほど驚きました。田中耕太郎もひどいけれど、こんな判決を恥ずかし気もなく、よくも書けたものです。読んでるこちらのほうが恥ずかしくなります。
田中耕太郎(故人です)は司法界から完全に抹殺すべきです。それをかばう裁判官もまた同類とみなすしかありません。残念ですが…。
(2020年10月刊。税込1650円)

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