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カテゴリー: 司法

檻の中の裁判官

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版 角川新書
この著者の本は、決してすべてではありませんが、何冊も読みました。裁判所と裁判官についての実情認識についてはほとんど異論がありません。
かつて裁判官のなかに印象の鮮やかな人、個性的な人が、多くはなかったが、存在した。人間的な美点、温かみや相当の知性、視点を備えた人が一定の割合でいた。そんな人が減っていった。
かつての裁判所には、ゆとりや隙間があった。ところが今では、裁判所の官僚的支配、統制、管理が進み、職人的裁判官が減り、そつなく事件を処理していく司法官僚に変わっている。
日本の裁判官は、できるかぎり波風を立てず、大過なく、思い切った判決をしない方向へ流れていきやすい。
賄賂で買収される裁判官はいないが、裁判所当局によるコントロールで動いているのが現実だ。これで、本当に自由で公正だと言えるものなのか…。
いま、若手裁判官中心に「コピペ判決」の傾向が強まっている。形式的には一応ととのっているが、その内容は裁判官が自分の頭でじっくり考えて全部を構成したものではないから、中身が薄く、また読みにくいものになっている。
裁判官としての自負やモラル、それを支える基礎的な教養も欠いている裁判官たちだ。権威主義、事大主義的傾向も強まっている。
日本の裁判官は、事案と当事者をよく理解したうえで、個々の事変について、ささやかな正義の実現を図るという志向が十分ではなく、事件を手早く処理する方向に傾きがちだ。そして、大きな正義の実現については、きわめて及び腰で、現状追随、権力補完的傾向が強い。この分析には、残念ながら、まったく同感です。本当に残念ですが、そのとおりとしか言いようのないのが日本の裁判の現状です。なので、ごくごくたまに、「自分なりの視点、物事に対する洞察力、本当の意味での人間知、謙虚さ、人権感覚、民主的感覚」という要素をもった裁判官に出会うと、めったにそんなことはありませんが、心が震えるのが自分で分かるほど感激してしまいます。
ということで、この本に書かれていることの多くは同感なのですが、著者が、何回も「左派法律家」なる存在をあげつらって、ことさら批判するのには大いなる違和感があります。よほど、過去にトラウマになるような「被害」経験でもあったというのでしょうか…。私も、著者のいう「左派法律家」の一員になるのでしょうが、こんな余計な決めつけコトバを抜きに、まともな議論をすすめてほしかったと思いました。その点だけは残念ですが、一読の価値は大いにあります。
(2021年3月刊。税込1034円)

「弁護士のしごと」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 しらぬひ新書
弁護士生活47年になる著者が、これまで扱ってきた事件などを広く市民に知ってもらおうと書いているシリーズ本で、これまで4冊が発刊されています。5冊目のサブタイトルは、「黙過できないときは先手必勝」。たしかに後手にまわると失地挽回は苦しいことが多いですよね。
いくつかのテーマごとに話はまとめられています。今回は、まずは「男と女の法律相談」。著者は20年以上も「商工新聞」で法律相談コーナーを担当しています。短いスペースで要領よく、しかも正確に回答するのは難しいけれど、なんとか続いているそうです。この分野は、弁護士にとって途切れることのない種(たね)になっているといいます。
著者のライフワークのひとつである労働災害をめぐる裁判が紹介されています。家屋の建築・解体現場での足場からの転落事故は重大な後遺障害をもたらすことがある。そんなときに元請会社の責任を問えるのか…。なんとか一定の賠償を勝ちとった話が紹介されていて、いくらか救われます。それにしても、脊髄を損傷した人の日常生活は本当に大変。家屋の改造、そして家族の付き添いなど…。
公事師(くじし)は江戸時代に活躍した、今でいう弁護士のような存在。江戸時代には、実は裁判に訴える人々は多く、公事師のいる公事宿(くじやど)は大いに繁盛していました。ええっ、そんな事実があったの…。しかも、訴状その実例が寺子屋の教材として子どもたちに教えこまれていたというのです。読み書きソロバンを教わった寺子屋の卒業生たちが公正な紛争の解決を求めて裁判所に駆け込む流れはとめられなかった。すると、裁判する側も、いい加減な対応は許されなかった。そんなことをしたら、自分たちの存在意義をなくしてしまうから。なので、当局は、必死で両者の顔を絶つ解決を目ざした、というのが実情だというのです。
そして、最高裁判所がなぜ「サイテー裁判所」と言われることがあるのか…。弁護士会の役員になるには、どんな苦労が必要なのか…。部外者からは分かりにくい当事者の「告白」が満載のシリーズになっています。
興味をもった人は、しらぬひの会(0944-52-6144)へFAXで申し込んだらよいことを紹介します。
(2021年5月刊。税込500円)

福岡県弁護士会報(第30号)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 会報編集室、 出版 福岡県弁護士会
弁護士にとってきわめて大切な弁護士自治については、他の論稿とは異って対話形式で展開しています。とても重要なテーマが、大変わかりやすいものになっています。
まずは、弁護士自治は戦後に苦闘の末に認められたということが紹介されています。
イソ弁:え?弁護士自治って司法制度ができたときから認められていたものじゃないんですか。
ボス弁:とんでもない。わが国で弁護士自治が認められたのは、司法の歴史の中でも最 近の話だよ。
戦後も、すんなり認められたわけではなく、依然として裁判所の監督下に置こうという動きがあったのでした。
ボス弁:先達の奮闘にもかかわらず、残念ながら結局は、弁護士自治は戦後の1949 (昭和24)年の現行弁護士法の成立によってようやく獲得されたといえる。しかし、その成立過程も極めて厳しいものだったんだ。
姉弁:当初は弁護士に関する事項も最高裁判所が規則を定めることになっていたのよ。
イソ弁:ええっ、そうだったんですか。
ボス弁:裁判所法要綱案でも、弁護士や弁護士会の監督は裁判所が行うという案が作成されていた。
弁護士の人数が増えていること、会費が高いなかで、会員の意識が多様化していることも紹介されています。
姉弁:ちなみに、1998(平成10)年の福岡県弁護士会の会員は527名だったけれど、2020(令和2)年の会員数は1377名よ。実に2.6倍になっているわ。
 日弁連の会費年額18万円を含めた年間総額でいうと、高いところでは100万円を超える会もある一方、安いところではその半額以下にとどまる会もあるのよね。
イギリスで、弁護士会が自治権を失ってしまったという衝撃的な事実が紹介されています。日本も他山の石とすべきものと思われます。
ボス弁:イギリスでは、弁護士会は、人事権、規則制定権、予算編成権の独立をいずれも奪われ、自治権を失ったと評価されているよ。
イソ弁:イギリスで弁護士自治が奪われた背景にはどのような事情があったのですか。
ボス弁:イギリスの弁護士自治の崩壊は、「英国病」といわれた長い閉塞状態を打破するためにサッチャー政権、ブレア政権の強い意志で進められたといわれている。
イソ弁:日本の場合は、ときの政権が弁護士会に対して直接圧力をかけてくるという可能性は低いですよね。
姉弁:油断は禁物よ。弁護士自治を確立する歴史にあったように、権力側が活動を妨げようとすれば、それは可能だ…。
司法修習生の給費支給がいったん停止されましたが、弁護士会の粘り強い活動によって、ほぼ復活させることができたことも紹介されています。
ボス弁:実に7年の歳月をかけて弁護士会、日弁連を挙げて取り組み、遂に市民、社会からも共感を得ることができた。
姉弁:その結実が2017(平成29)年の修習給付金制度ですね。
以上のように、弁護士自治は昔からあって当然というのではなく、まさしく「油断は禁物」という状況にあることが語られています。ぜひ本文を手にとってお読みください。

俺の上には空がある広い空が

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 桜井 昌司 、 出版 マガジンハウス
1967年8月、茨城県の利根町で62歳の男性が殺され預金が奪われた。強盗殺人事件。布川(ふかわ)事件と呼ばれるのは、その男性の自宅のあった地名から。
犯人として、10月に利根町出身の2人の不良青年(20歳と21歳)が逮捕された。窃盗容疑での別件逮捕。警察は2人の若者を「お前は人殺しだ。認めなければ助からない」と責め立てて、ついに2人とも自らの犯行だと認めて「自白」する。
2人と事件をむすびつける物証は何もなく、目撃者も当初はこの2人とは違うといっていたし、現場の毛髪も2人のものではなかった。しかし、検察庁は自白調書をもとに起訴した。裁判所は「やっていない者が自白できるはずがない」として有罪(無期懲役)。高裁も最高裁も一新有罪を是認し、2人は、ついに刑務所へ。29年間、2人は刑務所の中。そして、仮出所後に申立した第二次再審請求が認められて、完全無罪。事件発生から43年がたっていた。
事件が起きた1967年(昭和42年)というと、私が上京して大学1年生(18歳)の秋のことです。貧乏な寮生でしたが、10月ころは試験あとの秋休みで寮生仲間の故郷の長野へ遊びに行っていました。同時に、セツルメント活動にも本格的に身をいれていたころのことになります。
著者は自由を縛られた刑務所の中で、20代を失い、30代を失った。
人間の心をも断ち切る刑務所の中で、母も失い、父も失い、何もできないままに、ひたすら耐え続ける歳月。
裁判のたびに誤判が重ねられて、それでも本人はやめるわけにはいかない。
20歳の秋に始まり、64歳の初夏に終わった冤罪との闘い。43年7ヶ月に及んだ歳月は、まったく無駄な時間ではなかった。自分にとって必要な時間だった。
20歳のころ、著者は意思が弱くて、怠け者で、小悪党のような生活をしていた。
なぜ、無実の人が嘘の自白をしてしまったのか…。当事者になると、それは意外に簡単だった。「やった」と認めた以上は「知らない」とは言えないため、事実の記憶を、日付や時間を事件にあわせて置き換え、嘘を重ねていく。
最初は、「おまえが犯人だ」と責められる目の前の苦痛から逃れたかった。そのうえ、杉山が犯人だと思わされたので、自分の無実は証明されると楽観視があった。警察に戻されると、今後は「死刑」と脅された。そして、後任の検事から「救ってやりようがない」と言われた。ここまでくると、嘘でも「やった」と言ってしまった自分のほうが悪いという気持ちになった。せめて死刑にだけはなりたくなかった。まさか嘘の自白で無期懲役の有罪が確定するとは思わなかった。こんなメカニズムがあるのですね…。
警察は犯人と疑いはじめたら最後、話を聞く耳をもたない。人間は、自分の話を聞いてもらえると思うから話ができる。何を話しても否定され、責められたら、人間は弱いもので心が折れてしまう。警察・検察・裁判所の過ちによって冤罪にされたが、そもそも冤罪を招いたのは自分自身だ。疑われるような生活をしていた自分が悪い。逮捕のきっかけをつくったのは自分なので、誰も責めないし、誰も恨んでいない。
刑務所は不自由が原則だった。自由が許されたのは、考えることだけだった。著者は詩を書き、作詞作曲に励んだ。そのことを自分の生きた証(あか)しにしようと思った。
刑務所は寒さも熱さも敵だ。でも、本当に大変なのは、人間関係だ。もめごとは尽きなかった。刑務所ではケンカ両成敗だ。片方だけを処罰すると遺恨を生んで、さらに深刻なもめごとに発展する恐れがあるから…。下手に仲裁して、ケンカ沙汰になったら、仲裁者も無事ではすまない。そこに意地の悪い刑務官が加わると、ますます面倒なことになった。
靴を縫う仕事を内職でした。1足250円で、月に1万2000円にもなった。10年続けて100万円をこえるお金をもつことができた。
社会に戻ってしたいことの一つが、闇の中を歩くこと。これには驚きました。というのは、拘置所にも刑務所にも闇がない。夜になっても、常に監視する常夜灯がついているからなのです。そして、2011年に四国巡礼を始めた。
著者の歌を聞いたことはありませんが、その話は間近で聞いたことがありました。長い辛い獄中生活の割には、明るくて前向きの生き方をしているんだなと感じました。
この本を読んで、一層その感を深くしました。ご一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1540円)

司法はこれでいいのか

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 23期弁護士ネットワーク 、 出版 現代書館
1971年4月5日午前10時40分、23期司法修習生の修了式が司法研修所の大講堂で始まった。守田直所長の開会の式辞が始まろうとしたとき、阪口徳雄クラス委員会委員長が自席で起立挙手して発言を求めた。そして檀上の守田所長に近づき、演壇のマイクを手にもって、「任官不採用者に10分だけ話をさせてあげてほしい」と言った。守田所長は黙って降壇し、自席に戻る。すると司会の中島事務局長が「終了式を終了しまーす」と宣言。開始宣言から終了宣言まで、わずか1分15秒間のこと。
ところが、この阪口委員長に対して、その夜8時半すぎ、司法修習生を罷免するという書面が交付された。罷免理由について、最高裁の矢口洪一・人事局長は国会において、「制止をきかず約10分間混乱させ、式を続行不能にした」と説明した。500人もの司法修習生の目前で起きたことがまったく事実がねじ曲げられたのだ。
司法研修所の教官たち(50人ほど)は、式のあと長時間の会議での議論を経て無記名投票したが、「罷免」という結論ではなかった。にもかかわらず、矢口人事局長の誤った報告をもとに「罷免」の結論がまもなく出され、本人に伝えられた。
驚くべき展開というほかありません。この4月5日の罷免は、その直前の3月に熊本地裁の宮本康昭判事補が青法協会員であることを理由として(当局は認めていませんが…)、再任拒否があったことに直結しています。いえ、それだけではなく、裁判官の採用拒否がずっと続いていたこととも関連しています。
任官拒否は23期から7人、その前の22期で3人、24期3人、25期2人、26期2人、27期4人、28期3人、29期3人、30期2人、31期5人、少しとんで34期2人、35期5人、39期3人、総数53人にものぼった。
私は、この53人の人たちが裁判官になっていたら、その後の日本の裁判所は今とはまったく雰囲気が違うのではないかと確信しています。要するに、自由にモノが言える雰囲気です。
23期で裁判官となり、定年直前に福岡高裁の裁判長(部総括)をつとめた森野俊彦弁護士の体験記が出色です。
森野さんは、裁判官時代、裁判官会議でしばしば発言した。他の裁判官が沈黙しているのを見て、「このような重大問題で何もしゃべらず黙っているのはおかしい」と一席ぶった。すると、翌日、裁判長から「きのう会議で熱弁をふるったそうだね」と揶揄されたとのこと。
そして高裁長官たちから、「おまえはまだお尻が青い…」と言われた(青法協の青のことです)。それでも森野さんはめげずにがんばったわけですが、たいていの人はやはり心が折れてしまいますよね。実際、23期の裁判官でこの本に登場しているのは森野さん一人です。ことほどさように今に尾を引いているのです。
この本を読んで救われるのは、罷免された阪口修習生が2年遅れで罷免を取り消されて弁護士となり、大阪で今も元気に大活躍していることも書かれていることです。
私が司法研修所に入所したのは、23期の修了式のあった翌年でした。守田所長に草場良八事務局長でした。私もクラス委員の一人として研修所側との交渉の場に出席したことがありますが、草場事務局長の、いかにも官僚然として横柄な態度が強く印象に残っています。そのとき私は何も発言していないと思いますが、草場事務局長からすると、今どきの修習生は先輩に対する口にきき方も知らない、生意気な連中ばかりだと内心きっと思っていただろうとも思います。まったくそのとおりです。私は23歳、怖いもの知らずの年頃ですし、東大闘争をふくめた学園闘争を多かれ少なかれ経験していましたので、多少のことには動じないだけの度胸もありましたので…。
この本には、その後の23期の弁護士たちの縦横無尽の大活躍ぶりが語られています。まさしく、「花も嵐もある23期生」です。タイトルにある、司法はこれでよいのかという問いかけに対しては、これでよいはずはないと私は答えます。
(2021年4月刊。税込2200円)

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