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カテゴリー: 司法

人生、挑戦

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 伊佐山 芳郎 、 出版 花伝社
サブタイトルの嫌煙権弁護士というのを見て、ああ、かの有名な著者の本だと分かります。
タバコをそばで吸われて嫌な思いをしたことが私もあります。昔、飛行機には喫煙席がありました。禁煙席が満席のため仕方なく喫煙席にすわると、離陸後まもなくから隣のサラリーマン男性がタバコを吸いはじめました。私は、その煙が嫌で、しきりに扇子を小刻みに動かして、煙を追い返していました。すると、隣の男性が無言で私をにらみつけるのです。ここは喫煙席なんだ、文句あるのか…というにらみです。私は言い返すこともなく、黙って1時間半を耐え忍びました。
実は、私の両親は酒の小売業とともにタバコも売っていました。なので、小学1年生のときからタバコは身近にありましたが、私はタバコの吸い殻がどうにも汚くて、それこそ1回も、1本もタバコを口にしたことがありません。今でもタバコを吸う習慣がなくて本当に良かったと考えています。
ところで、嫌煙権という言葉を初めて聞いたときは、タバコを吸わない私も、なんて大ゲサな…と、軽い反発すら覚えました。しかし、実はタバコの害は深刻なのです。
夫の喫煙本数が多いほど、タバコを吸わない妻の肺ガンのリスクは高まることが疫学調査で明らかになっている。夫が1日20本以上タバコを吸うとき、妻がタバコを吸わないのに肺ガンにかかって死亡する危険性は、夫がタバコを吸わないときに比べて2倍近く(1.91倍)も高い。したがって、受動喫煙(パッシブ・スモーキング)の被害は、非喫煙者の健康と生命に関わる人権問題なのだ。
著者たちが画期的なのは、単に「嫌煙」ではなく、「嫌煙権」という権利主張を展開した点にある。嫌煙権運動は、個人的な局面ではなく、公共の場所などの喫煙規制の制度化を目指した。すごいことですね。今では、公共の場所での喫煙禁止は当然のこととされています。
家庭内でタバコを吸うことは、児童虐待や家庭内暴力と同じ不法行為なのだ。
ベランダに出てタバコを吸う(ホタル族)は、必要最低限のことなのです。
今から20年以上も前、1998(平成10)年5月、著者たちは、反喫煙運動の第2弾として、タバコ病訴訟を提起した。肺ガン、喉頭ガンなどのタバコ病被害者7人が原告となって、日本タバコ産業(JT)と歴代社長3人、そして国を被告とする損害賠償請求、タバコ自動販売機での販売禁止等を求めて本訴を提起した。ところが、裁判所はタバコのニコチンの依存性を否定した。さらに、タバコの有害性についても、現在のところ、十分に解明されているとは言い難いとした。しかし、タバコを吸うことと肺ガンとの因果関係について「証明されていない」としているのは、世界広しといえども日本タバコ産業と日本の司法くらいなものだ…。驚いてしまう。
著者は中学1年生のときからピアノをひくようになり、70歳になって再開したあげく、ピアノコンクールに出場することにしたのです。そして、結果は、なんと、奨励賞を受賞。すっばらしい…。大変勉強になりました。ますますのご活躍を祈念します。
(2021年9月刊。税込1650円)

違法捜査と冤罪

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 木谷 明 、 出版 日本評論社
この本のオビに、周防正行・映画監督(映画『それでもボクはやっていない』の監督)が、「まさか、こんなことで冤罪(えんざい)は起きるのか」と書いています。でも、弁護士生活47年間になる私には、冤罪をつくり出すのは、実はそんなに難しいことではないと実感しています。何もしていない人に「自白」させるのは、ベテラン刑事なら、お手のもの。警察から送られてきた「自白」調書は、何か変だなと思っても、たいていの検察官は、警察に逆らって不要な波風を立てたくなくて、上塗り調書を巻いて(つくって)起訴にもち込む。裁判官は、検察官がクロだと言っているのなら、そりゃあクロに決まっていると確信し、法廷で目の前にいる被告人がいくら無罪を訴え、それを支える証拠があっても、無視してしまう。そして、弁護人も目の前にいる被告人が一生懸命に無罪を訴えているのに、ろくに調書を読まず、被告人の訴えに耳を貸すことなく、面会すらせいぜい1回、お説教して、短時間で切りあげる。これでは罪なき人だって、「有罪」とされるのは必至でしょう…(もちろん、みんながそうだというのではありません)。
この本は、2018年から21年にかけて、日本評論社のウェブマガジンに著者が毎月連載した、「捜査官、その行為は違法です」を再構成して、まとめたもの。なので、とてもよく日本の刑事司法の問題点がまとまっています。
日本の刑事司法の第一線で、長く活動してきた著者は信じられないほどの無罪判決を出し、そのまま確定をさせたという伝説的な裁判官として有名です。
違法捜査にもとづく重大な冤罪事件は決して過去のことではない。この種の冤罪事件は、今もかなりの頻度で発生している。
弁護人が公判直前まで被告人と接見していない。そのため、被告人の言い分をろくに理解できていない、否認している被告人に撤回させようとしたり、否認するのなら私選弁護人でやってくれと言う、被告人が否認しようとしているのに、「自白」事件として弁護するだけの弁護人。いやあ、困りますよね、こんな弁護人だったら…。
裁判所は冤罪を阻止するための責任を負う、唯一、最終の国家機関であるのに、冤罪阻止のために十分な役割を果たしてこなかった。自白を偏重・過信する。違法捜査を指摘しない。ひどい人質司法を平然と続ける。客観的証拠にあわない不合理な供述調書なのに、それを合理化してしまう。
そして、現在、検察官の証拠隠しを法律は阻止できない。公益の代表者であるはずの検察官が自分に都合の悪い証拠は、ないものとして隠してしまい、ひどいときには証拠を改ざんしてしまう。そんなことは許さないと法で定めるべきだ。また、裁判所が出した再審を開始する決定に対して検察官が不服申立できるのは、やめさせるべき。本当にそう思います。再審法廷で検察官が十分に主張・立証する機会が保障されているのですから…。
それにしても、本書で紹介されている冤罪事件は実にひどいものです。
重要な証拠が捜査当局によって「紛失」してしまう。客観的事実を無視した判決。
検察官が被告人に決定的に有利な証拠を隠匿したら、それは犯罪である。まことに、そのとおりです。特別公務員職権濫用罪が成立します。でも、これが適用されたケースを私は残念ながら知りません。
冤罪を許さないとして告発した警察官や裁判官が例外的に存在します。ところが、その警察官は、免職となって警察官人生を棒に振ってしまいました。
検察官は、「法廷では多少のウソはついてもよいのだ。そのウソは、大きな意味で正義にかなうからだ」と内部で教育されている。ええっ、そ、そうなんですか…。いやはや、冤罪を生み出さない一努力というのは、今なお必要だと痛感させられる本でした。
(2021年10月刊。税込1980円)

やさしい猫

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 中島 京子 、 出版 中央公論社
日本にやって来たスリランカ人がビザの期限が切れているのが品川駅で警察官から不審尋問を受けて発覚。不法滞在者として身柄は東京入国管理局に拘束された。しかし、彼には日本人女性とのあいだで結婚の話があり、紆余曲折しながらも入籍していた。入管当局は、この結婚を偽装結婚として、国外退去を命じた。これに異議申立して、ついに東京地裁で裁判が始まる。
オビに「圧巻の法廷ドラマ」とありますが、まったくそのとおりです。入管行政の問題に詳しい指宿昭一弁護士に丹念に取材してこの本が出来あがったことがよく分かります。女性の訴務検事が、偽装結婚を認めさせようと、根堀り葉掘り、嫌らしく問い詰める様子は、まったくそのとおりで、この人(女性検事)は何が楽しくて、こんな尋問をしているのか、自問自答することはないのかと、小説ではありますが、とても気になります。
そして、法廷で証言することの大変さが、高校生の娘の心理描写で、ひしひしと伝わってきます。
入管行政の問題点が、この本を読むと、すんなり頭に入ってきます。要するに、日本政府は「優良外人」(モノを言わず、ただひたすら働くだけの人々)だけがほしいのです。少しでも当局に歯向こうものなら、たちまち本国に身ひとつ帰国するよう指示します。
そして、収容所での処遇は劣悪と言うほかありません。
茨城県牛久市にある入管の収容所(東日本入国管理センター)だと、東京から往復で4時間もかかってしまう。とても辺鄙な土地にある。
「小さな家族を見舞った大事件」とオビに書かれていますが、まったくそのとおりのストーリー展開です。本当に話の運びが自然ですし、読ませます。最後は、あえなく敗訴してしまうのかと心配していたら、なんとハッピーエンドでした。
来日した外国人の毎日の生活の実情について、詳しく紹介されてて勉強になります。
タイトルだけでは何をテーマとした小説なのか、さっぱり分かりませんが、読み出したら止まりません。いつもながら、さすがの著者の筆力に驚嘆し、圧倒されました。
(2021年10月刊。税込2090円)

檻の中の裁判官

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版 角川新書
私より6歳ほど年下の著者の本は何冊も読んでいますが、巻末の著者紹介によると、私の読んでいない本が何冊もあることを知りました。この本は本年6月に続いて2回目の紹介になります。2度も読んだのです。
著者は裁判官として33年間を過ごし、そのあいだに最高裁事務総局にもいましたので、最高裁による裁判官の人事統制の実情については、内側から知る立場にもいたことになり、説得力があります。私は、著者の指摘は、おおよそあたっていると考えていますが、何かしらの違和感が絶えずつきまとっているのも事実です。そこの感覚を自分でも文字化できないところにもどかしさを感じています。
それまで比較的良心的でいい裁判官だった人が、所長になったら豹変(ひょうへん)することが、時にある。福岡では、あまりそれを感じたことはありません。おしなべて福岡地裁の所長には、いわゆる人格者が就任しているからです。
「お殿様的な高裁の裁判長」というのは、もうそれ以上「上」にはいかず、転勤もないので、「心穏やかに安心していられる地位にある」。定年間際の高裁の裁判長が世間的にあっと驚かす判決を書くことがあります。いいことなんですが、なんで、もっと早く、それを実行してくれなかったのか…という思いが、いつもあります。これは、ないものねだりなのかもしれませんが…。そして、良い判決が出ると、うれしくなります。
近年の裁判官の不祥事で目立っているのは、性的非行関係だという指摘には、まったく驚いてしまいました。ええっ、そ、そうなの…、という統計です。これには著者も大きなショックを受けたとのこと。そりゃあ、そうですよね。
裁判官会議は、実際上、完全なセレモニーと化している。もし、何か意見でも言おうものなら、所長から目のかたきにされ、評価に影響し、集団の中で孤立しかねない。むむむ…、本当に、そうなんでしょうか。まあ、そうなんでしょうね…。
東京地裁の所長代行は選挙で選んでいたそうです(今も、でしょうか…?)。このとき、誰に投票するか上から指定される完全な八百長選挙だった。こんなことが、本当に今も続いているのでしょうか…、ぜひ、教えてください。
裁判官だって、「人の子」だという心理が説明されています。たとえば、自分より優れているとは思えない後輩たちに先を越された時の裁判官たちの嘆き…。やっぱり認められたいよね、ちゃんと処遇してもらいたいよね、という当然の声が上がっている。当然ですね…。
この本を読んで、「怖さ」を感じたのは次の文章です。いえ、これは著者に対する「怖さ」では決してありません。そうではなくて、システム化されていることの恐ろしさを感じた、ということです。
「報復は必ず行われるが、いつ、どのようにして行われるのかはまったく分からない」というシステム(ルール)だ。このシステムは、人を極端に委縮させる。
この本で知って、問題だと思ったことは、最高裁判事のあと、原発裁判をかかえている東芝や東京電力に就職した人がいるというのです。これって、いやですよね。もう、そんなにお金は必要ないはずなのに、まだお金に執着する人がいるんですね…。嫌です、いやです、いったい誰なんでしょうか…。
東京地裁の労働部の裁判官に求められるものは、能力でも識見でもなく、法廷での精神的にまいってしまわないこと。な、なーるほど、ですね…。
多くの場合、きわめて保守的で、訴訟指揮も厳しい裁判官が部長になるが、たまに苦労人で話のわかる、かつ打たれ強い人を部長にする。権力というのは、それほどしたたかなものだ。この指摘は、きっとそうなんだろうなと納得しました。
みずからの良心を貫く判決の書ける裁判官がどれだけいるかという問いに対して、5~10%という答えがかえってきたとあります。これは、実は私の実感にもあっています。本当に、ときとしてそんな裁判官にあたることがあり、そのときには、裁判官も、まだまだ捨てたものではないなと思い直して弁護士を続けています。
弁護士任官がうまくいってないのを、著者は、最高裁の外向けのポーズに弁護士会がいちおう協力している傾向が強いと指摘しています。この点にはその手続に長く関わってきた一人として異議があります。弁護士会の責任を論する前に、裁判所は、自分の風土にあわないと思った弁護士が参入しようとするのと、それを全力で阻止してきたし、阻止しているのが現実なのです。だから、裁判官改革がまだまだ不十分だというのは私も同感なのですが、著者は、その点の十分な事実認識がないように思われます。でも、大変勉強になる本でした。
(2021年3月刊。税込1034円)

少数株主

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 牛島 信 、 出版 幻冬舎文庫
東京で企業法務の弁護士として活躍している著者は、司法にからめた企業小説の書き手でもあります。先日、顔写真つきで大きなインタビュー記事がのっていましたが、なんと私と同じ団塊世代(私のほうが1歳だけ年長)です。
今回の本も、企業法務は扱っていない私にとっても大変勉強になりました。
資産のある会社、老齢になり始めたオーナー夫妻、その離婚、夫の側の不貞行為、夫の隠し子、密かにしかし公式につくられた信託財産、会社の未来、会社のステークホルダー…。こんなケースこそ弁護士としての腕の振るい甲斐がある。なるほど、うん、そうですね…。
今回の舞台は非上場会社の少数株主の扱い。少数派のもっている株は、配当還元といって、配当金が年にいくらかで値段が決まるのがふつう。ところで、非上場会社の株は、会社の承認がないと買うことができない。
それで、最近、法改正によって、少数株主は、自分の株式を会社に買取請求できることになったようです。買ってもらえるとして、問題は、その値段。
非上場会社の少数株主に矛盾とそのしわ寄せが集中している。フェアな扱いを受けていない。もっと払える配当、高値で買い戻せる株、もっと投資にまわせる内部留保、放置されたまま眠り続けている土地の含み益…。
勝率を誇る弁護士を軽蔑する。むずかしい事件をやらず、勝てそうな事件だけをやれば勝率は上がる。でも、それは、18歳になって、中学校の入試問題だけを解いているようなものだ。
対象となった非上場会社については、将来の収益力(DCF)と純資産評価を50対50の割合で足しあわせるべきだ。すると帳簿価格として算定した金額の3倍以上になった。それを前提として少数株主権を会社に買い取ってもらう。裁判所を介入させたら、それが可能になる。
弁護士は不思議な職業だ。超高級ナイフのような切れ味でしゃべりまくったところで、滝の水が勢いよく流れ落ちるように、とうとうと論理を展開してみせたところで、話している中身が信用できると相手が受けとってくれるとは限らない。弁護士にとって相手を煙に巻くのは仕事の一部にすぎない。かえって反発を買うことも多い。才気走ったところを見せるのは不興を買うだけになりかねない。
著者は、代理人業が気に入って、何十年も弁護士をしているとのこと。依頼者へは真っ当な法的サービスを提供する。もし依頼者自身が弁護士だったら実現したいだろうことすべてを代って行う。なーるほど、ですね。でも、なかなか出来ません。
社外取締役によるチェックは限界がある。企業のトップと会計責任者とが組んで経理処理をしたら、社外取締役なんて知るよしもない。そして、それを防ぐ手立てはない。そのとおりです。
いやあ、難しい内容をよくぞここまで分かりやすく解説したものだと思いました。
(2021年5月刊。税込963円)

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