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カテゴリー: 司法

近代日本における勧解・調停

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 林 真貴子 、 出版 大阪大学出版会
 明治時代、日本人は今では信じられないほど臆せず裁判を利用していました。なので、日本人は昔から裁判が嫌いだったなんていう俗説はまったくの間違いなのです。法社会学者として高名な川島武宣は私が大学に入ってからすぐに知り、とても尊敬する学者ですが、同じような過ちをおかしています。
 日本の裁判制度は明治に入ってフランスやドイツの法伸を直輸入していて、江戸時代までの裁判手続とは縁もゆかりもないというのも不正確のようです。
 この本では、明治期の法制度について、江戸時代的要素の強い連続面もあり、西洋由来の法制度という断絶面とは、ウラとオモテとして、同時に存在していたとされています。私も同感です。
 勧解は、明治期に導入されたもので、区裁判所(治安裁判所)において裁判官が紛争解決を勧める制度。非常によく利用された。勧解は本人出頭が原則で訴状や証拠書類を必要とせず、口頭で申立できた。費用は実費で(安いということ)、敗訴者負担もない。法律にこだわらす、実情に応じた解決が目ざされた。
 勧解は1875(明治8)年8月から、東京で、次に12月から全国で行われた。
 勧解を担当したのは原則として判事補。そして、本人訴訟が原則だったが、実は、代言人などが代理人をつとめていた。勧解での代理を業とする人々までいた。
 私は本書を読むまで、勧解ができたので裁判が多かったと思い込んでいましたが、実は、裁判が急激に増加したことから、その対処策として勧解が導入されたのでした。原因と結果が真逆というわけです。この勧解は、フランスの勧解制度を制度に継受したもの。
 勧解は、商事にかかり急速を要する案件と諸官庁に対する事件は除外された。なーるほど、ですね。
勧解制度は、1875(明治8)年に成立し、1891の民事訴訟法の施行とともに消滅した。
労働紛争において勧解の利用率は高かった。使用者側からは、職場から逃げ出した労働者を連れ戻そうとした。労働者側からは、不払い賃金を請求した。
 使用者側から雇人を取り戻す裁判が次々に提起されたが、その多く、約半数は請求が棄却された。また、債務者側に有利な借金整理案が示されていたようです。ちっとも知りませんでした。
 債務者からの申立は審理期間が短く、調停の成功率は8割近いほど高かった。
 勧解は非常によく利用された制度であり、この制度は急激に増加した裁判件数の軽減を狙ったもの。
とても実証的な記述のオンパレードでした。明治初~中期の日本の裁判制度の運用状況を知ることができ、大変面白く読み通しました。
(2022年10月刊。6400円+税)

葛藤する法廷

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 水野 浩二 、 出版 有斐閣
 「ハイカラ民事訴訟と近代日本」というサブタイトルのついた本です。「ハイカラさんが通る」って、なんか聞いたことがありますよね。いったいいつの話なのかな…。
 なんと、この本は明治24年(1891)年に施行された民事訴訟法の運用と、その改正法が成立・施行された1929(昭和4)年までの動きを追っているのです。
 なんで、私がそんな古い民事訴訟法に興味をもったかというと、江戸時代の民事裁判と明治時代のドイツ直輸入とされている民事訴訟法の異同また関連性の有無を知りたかったからなのです。
 私の畏友の園尾隆って元裁判官(現弁護士)は江戸時代の民事訴訟手続は明治時代にも生きていて、受け継がれているところがあると指摘しています。私も漠然と、この指摘に賛同しているのです。
 ところが、この本の著者には、その視点が残念ながら欠如しているようです(あるのかもしれませんが、私には読みとれませんでした)。それはともかくとして、この本で話題になっているところは、現代の裁判にも共通するところが多いのに驚かされました。
 たとえば釈明権の行使です。昔(明治から昭和初め)の裁判所は釈明権の行使に消極的であったらしく、弁護士の側は、それへの不満を多く述べています。
 裁判官の多くは不干渉主義をとっていたようです。当事者にまかせっきりで、裁判官がきちんと交通整理(争点の整理)をしないのです。今も少なからず存在しますが、こんな裁判官は無責任としか言いようがありません。裁判官による「過剰な介入」という批判は多くなかったとのこと。これまた、今も同じです。
このころ弁護士は、判検事とは別の弁護士試験というものがあって、それに合格すると、すぐに弁護士業務ができていました。すると、実務修習がないわけですので、初めての弁護士は勝手が分からず、困ったでしょうし、周囲も困惑させられたことでしょう。
 また、裁判にあたって、弁護士を代理人として選任しないことも少なくなかった。それは裁判官を困らせた。そこで、弁護士強制の制度の導入を唱える人たちも一定いましたが、法改正にまで結びつけることができませんでした。
 本人訴訟は、明治の当時も令和の今も一定数まちがいなく存在します。私は、これからもあまり減ることなく存続するとみています。日本人のなかには昔も今も裁判が好きでたまらないという人が一定数いるのです。これは私の実感です。
明治民訴法の下では、法廷での証人尋問は、すべて裁判官を通じて発問することになっていたようです。驚きました。
 法廷に立って証言する証人は、そのほとんどすべてが前もって訴訟当事者のいずれかからよくよく言いふくめられていた。証人は法廷では嘘をつくものだと多くの裁判官に考えられていた。
 口頭弁論というのは、昔も今も、書面を提出するだけで、実際には口頭での「やり取り」はありません。
 清瀬一郎弁護士(戦後、国会議員にもなった、有名な人ですよね…)は、東京のほうは法律解釈に重きを置き、大阪のほうは事実の真相を得ようとする点に重きを置くので、東西でかなり力点が違うとみていた。
 弁護士からすると、現実の裁判官(これも当時の…)は、しばしば近代法の常識を「権威主義的に」ふりまわす「非常識」な存在だった。逆に言うと、弁護士は、「常識や人格を備えた名判官」への憧憬があった。これは現代でも同じですね。実際には、そんな裁判官は残念ながらきわめて少数なのですが…。
ほとんどの裁判官は自分で思っているほど常識はなく、なにより「強い者」に歯向かう勇気がありません。まあ、これは、ないものねだりなのかもしれませんが…。
 明治の裁判では、法廷での証言よりも、書証に圧倒的な重点が置かれていました。法廷では偽証が多いと思われていたのです。
 それにしても、法廷で弁護士そして当事者が証人に直接尋問できなかったというのは驚きです。ただし、今もヨーロッパでは裁判官しか尋問できないという国があると聞いた気がします。フランスだったかと思いますが、これは間違っているでしょうか…。そうだとすると、日本の弁護士にとって不可欠な反対尋問ができないというわけですから、完全な欲求不満に陥ってしまいますよね。
 ということで、面白く370頁もの学術書を読み通しました。
(2022年3月刊。7700円+税)

「真実を求めて」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 布川事件の国賠訴訟を支援する会 、 自費出版
 冤罪・布川(ふかわ)事件の国賠訴訟をふり返った記録集です。A4版、75頁の記録集ですが、内容も体裁(編集)も実に素晴らしい出来上がりで、心より感動しました。桜井昌司さんの冒頭の「最後のご挨拶になりました」にも心を打たれます。
「不良少年」だった20歳のときに逮捕されて有罪となり、以来、54年間に及ぶ国家権力との「仁義なき闘い」を勝ち抜いた桜井さんに対して心から拍手を送ります。桜井さんは「挨拶」のなかで「末期がんで余命1年を宣告」されたとのことですが、いえいえまだ元気で全国を駆けめぐっています。
 最近は飯塚事件(すでに死刑執行ずみ)の再審請求で福岡まで来られたようです。
 「皆さん、本当にありがとうございました。54年間に及んだ闘いは愉しかったです。皆さんとお会いできたことが人生の宝です」
心にしみる挨拶文です。桜井さんとコンビを組んで冤罪を晴らすために闘っていた杉山さんは病死されましたが、杉山さんのお墓まいりの写真も紹介されています。
 写真といえば、桜井さんは2012年から2014年にかけて四国巡礼したようで、巡礼服の桜井さんが記録集の各所で紹介されていて、これまた心をなごませます。
 単なる活動記録集になっていないのは、「支援する会」の代表委員でもある豊崎七絵・九大法学研究院教授の講演と弁護団の谷萩陽一団長の報告が紹介されていることから、布川事件の闘いの意義、そして国賠訴訟が切り拓いた意義を確認することができます。
まずは豊崎教授の講演です。教授は、布川事件の闘いの意義は三つ。第一に、松川・白鳥(しらとり)、八海(やかい)、そして仁保(にほ)事件という、戦後の著名な冤罪事件の闘いを継承しつつ、それらを上回って、再審・国賠を闘い抜いたうえ、大変筋の通った勝ち方をした。第二に、他の冤罪事件にとって偉大なる道しるべになったこと、桜井さんが結び目(結節点)となっていること。第三に、不備の多い再審法改正の立法事実を示したこと。
 最後に、教授は今後の課題として三つをあげています。その一は、裁判所が冤罪の原因と責任の所在を明らかにするのをためらってはいけない。その二は、冤罪の責任は、警察と検察だけでなく、裁判官にもあること。その三は、冤罪の原因と責任を究明する仕組みを立法で設けること。
 いやあ、すばらしい指摘です。いずれも大賛成です。多くの裁判官は検察官の顔色をうかがうばかりで本当に勇気がありません。残念です。たまに気骨のある裁判官に出会うと、ほっと救われた気がしますが、本当にたまにです。
 続いて谷萩弁護士の報告です。国賠訴訟の判決は検察官には手持ち証拠を全部開示する義務があるとした。このことを高く評価しています。本当にそうです。検察官が私物化していいはずはありません。洪水でなくなったとか、嘘を言って提出しないなんて、公益の代表者として許されていいはずがありません。証拠を隠した検察官は職務濫用として免官のうえ処罰されるべきです。そして、最後に谷萩弁護団長は、桜井さんが本当にがんばったし、弁護団も支援する会もがんばったけれど、裁判官(遠藤浩太郎判事)に恵まれたとしています。裁判官の良心を奪い立たせるほどの運動と取組があったということでしょうね。本当に、裁判は裁判官次第だというのは、日頃の私の強く実感するところです。
 この記録集のなかには私のメッセージも載っています。本当に読みやすい体裁でもありますので、みなさん手にとって読んでみてください。桜井さん、本当にお疲れさまでした。引き続き、冤罪犠牲者の会でもがんばってください。
(2023年4月刊。非売品)

続々・千曲川の岸辺

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 伊藤 眞 、 出版 有斐閣
 民事訴訟法学者として高名な著者は、私にとっては破産法の学者として関わりがありました。著者が名古屋大学の教授のころです。なので、同じく破産法の学者として走り出し中の宮川知法教授の業続を偲ぶ論述に触れてなつかしさがこみあげてきました。といっても、私は宮川教授ご本人とは直接の面識がありません。それでも、熊本大学にいた宮川教授の論稿は、当時の私にとって実に援軍来たるという思いがしていました。というのも、当時、クレジット・サラ金問題対策に取り組む弁護士の多数派は多重債務の原因は生活苦なのだから、一刻も早く破産・免責して苦悩から解放してやるべきだという大合唱だったのです。いやいや、多重債務の原因は「生活苦」だけではなく、ギャンブルも浪費も相当あるし、免責が早ければいいなんていうことではないと主張し、対抗していたからです。宮川教授は、私の意見にストレートに賛成していたということではありませんが、債務者更生手続を新設する必要があるという点では一致していました。これに対して、「多数派」はそんなことは必要ないと切り捨てるばかりでした(と思います)。私は、そんな「多数派」に対して、そんなのは「一丁あがり方式」だと反発していました。すると、自ら「一丁あがり方式」を実践していた弁護士から、「反省した」という声もいくらか聞こえてきましたが、多くは感情的な反発を受けました。そんなわけで「クレサラ対協」のなかで、私は一貫して「少数・強力派」にとどまったのです。それでも実践と豊富なデータ分析に裏づけられた私の主張を、「多数派」といえども無視することはできませんでした。
 著者に対して、私は自費出版した冊子をふくめて、何冊もの本を送り届けましたが、その都度、必ず自筆のお礼状が届いて恐縮しました。この本には、その点について、次のように記述されています。
 いただいた書物については、礼状はできる限り稚拙な手書きによることにしている。
 ここは「知拙な手書き」とありますが、決してそうではなく、味わい深い「手書き」なので、捨てるのがもったいなくて私は全部をファイルに保存しています。
 ついでにいうと、著者は日本人なら、欧米の教養人にとってラテン語が必須であるのと同様に最低限の漢語文読解力は備えた方がいいと思うとしています。
 いやあ、これにはまいりましたね。漢語文読解力なんて、私は考えたこともありません。なので、この本には、時折、私の見知らぬ漢語が登場します。たとえば、「燃犀之明」です。物事の本質を見抜く明知。犀(さい)の角を燃やすと、その火は非常に明るくて、水の中まで透き通ってよく見えるという意味だそうです。まったく知りませんでした。
 著者が、労働委員会の公益委員をしていたとき、主張書面の要旨を口頭で述べるように求めると、代理人が「書面を読んでもらえれば分かる」と答えたのに対して、「要旨を述べられないような書面を読むつもりはない」と言い返したというのは、衝撃的でした。
 私なら、待ってましたとばかり、口頭で何か言ったと思います。通常の民事訴訟で、「書面のとおりです」としか言わないことに著者は大変不満なのですが、それも当然です。もっと「口頭弁論」は実質化されるべきだと私も思います。
 しかし、それには、裁判官が、双方の主張書面をじっくり読んでいて、争点をそれなり把握していることが不可欠です。ところが、現実には、それをしっかりやっている裁判官は実のところ少数派なのではないでしょうか。
 著者は大学教授を卒業したあと、「五大事務所」に入って弁護士として活動していますが、その事務所では月1回の昼食講演会があり、著者も年1回は登壇しているとのこと。なるほど、このような所内研修の機会があれば、質的向上は確保されることだろうと思い、とてもうらやましく思いました。
 いろいろ勉強になる本でした。
(2022年4月刊。2800円+税)

法律事務所「総合力」経営の実務

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  長井 友之・仁本 恒夫 ほか 、 出版  日本加除出版
 法律事務所で事務職員を活用しているか、できているか、というのは、とても大切です。事務職員がやる気があって、明るく前向きに働いているところは、法律事務所の雰囲気が良いので、相談に来た人は安心して相談できますし、事件解決を一緒にたってくれそうだと依頼され、新規の受任にもつながっていきます。
 事務職員の能力向上に主体的に取り組む組織として一般社団法人日本弁護士補助職協会(JALAP)が存在します。
 日弁連は2009年から、毎年1回、能力認定試験を実施しています。15科目の基本応用研修が出題範囲で4択60問を2時間で回答します。合格には7割の正答が必要で、合格率は受験者の5割前後です。2022年5月までに4695人の合格者を出しています。
 ただ、この認定試験に合格したからといって、直ちに給与が上がったり、仕事が質的に拡大する(できる)というものではありません。今のところは、あくまで事務職員の質の向上に姿するというものでしかありません。
 そこで著者たちは、一つの提案をしています。それが「弁護助手」です。「弁護士の助手」を体現したものですよね。ただし、弁護助手でなく法律事務職員が、ここからは関与できないとか、そんなものをつくってはいけないともしています。ここらあたりが実に悩ましく、難しいところです。
アメリカではパラリーガル職がすっかり定着していますし、日本でも大手の法律事務所ではパラリーガルと名乗って働いている人たちが多数いて、それなりの処遇も受けているようです。私は20年前に「一級秘書」という名称はどうかと提案しましたが、受けは良くありませんでした。
この本によると、アメリカの大規模法律事務所では、経営者弁護士に依頼したら、時給で400~800ドル。「イソ弁」だと時給225~400ドル。パラリーガルだと時給100~300ドルだとのこと。
 ちなみに、ニューヨークでは、スタッフをもっていない「一人弁護士」も珍しくないそうです。日本でも、最近は、事務所(オフィス)をもたず、パソコンとケータイだけで仕事をしているという若手の弁護士が少しずつ増えていると聞きます。
 この本は、事務職員の採用面接についても手の内を明かしています。3回の面接で、向上心のある人、明るい人を選ぶ。最後は、なんといっても、一緒に働きたいと思えるかどうかに尽きる。まったく、そのとおりです。
 「法律事務職員活用のバイブル」というのがサブタイトルになっています。この本を読んで大いに「総合力」をアップさせ、経営と生活を安定させましょう。この分野に関心のある方には強く一読をおすすめします。
(2023年2月刊。3300円+税)

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