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カテゴリー: 司法

扉をひらく

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 村山 晃 、 出版 かもがわ出版
 京都の村山晃弁護士(以下、旧知の間柄なので「村山さん」と呼びます)が弁護士生活50年をふり返った貴重な記録集です。
 村山さんは法廷で訴訟指揮をする弁護士だ。法廷で裁判官の仕切りが悪いと、あれこれ裁判官に注文をつけて進行を早めたり、相手方弁護士に「もっと早くできるでしょう」などと言ったりする。
村山さんは、証人尋問の異議の出し方も独特。処分取り消しを求める裁判で、本人への反対尋問で相手方弁護士が、「あなたは処分される理由はまったくないと考えているんですか?」と訊いたとき、村山さんは、「異議あり」とも言わずに大きな声でこう言った。
 「私だって、あなただって、裁判官だって、みんな課題を抱えているんですよ。それが当たり前じゃないですか。そんな質問がありますか」と、相手の弁護士をたしなめ、本人のピンチを救った。いやあ、これはすごいです。私は、とても真似できません。
 弁護士は、その言葉どおり、弁論で人々の権利を護(まも)るのを職責とする。だから、誰にでも理解できるコトバ、できるだけ短いコトバ、核心をついたコトバで、裁判官や相手方、当事者やサポーターに語りかけて理解させる必要がある。なので、できるかぎり原稿を読まず、話す相手の顔を見て、その反応を確かめながら、自分のコトバで語りかけるように努めている。語りかけは、相手の心に届かなければ意味はない。
 過労死事件は、高裁で逆転勝訴するという法則がある。こんなフレーズがあるそうです。実際、一審で労働者側が敗訴した事件を関西では高裁で何件も逆転勝訴したようです。もちろん、こんな「法則」があるからといって、村山さんたちが手を抜いたのではありません。一身とは別の攻め口を考え、実行し、詰めていった成果です。
 この本を読んでいて、もっとも驚かされたのは、民事の一審判決の言い渡しのとき、裁判官が主文を後回しにして、理由を述べはじめた事件があったというくだりです。刑事の死刑判決では、死刑にするという主文を読み上げたら、理由は被告人は卒倒するだろうし、マスコミも傍聴人も判決理由なんてまともに聞かないだろうから、判決理由を述べたあと、死刑宣告の主文を読みあげるという確立した慣行があります。ところが、行政処分取消を求める民事裁判で同じことがなされたというのです。そんなこと聞いたこともありませんでした。判決を書いた裁判官からすると、それだけ、みんなに理由こそ聞いてほしかったのでしょう。それほど心血そそいだ苦心の判決だったわけです。やはり裁判官の感性を揺さぶることが、いかに大切かを物語ってあまりあります。
 関西電力を被告とする人権侵害事件は、1971年に裁判が始まり、1995年に最高裁で労働者側の勝訴が確定するという、24年間もの長期裁判でした。ところが、この本で元原告団長は、「無我夢中で取り組み、あっという間の24年でした」と語っています。どんなに大変で苦労した事件であっても、終わってしまえば、振り返ったら、「あっという間」の出来事になってしまうものなんですよね…。
 この裁判では会社(関西重力)が共産党員だとみなした社員を徹底して監視し、差別していたのですが、あるとき、その詳細を記述した「マル秘」の労務管理資料が差別されている側に渡ったのでした。それでも会社側は、ノラリクラリと差別の合理性を立証しようとしたため、こんな長期間の裁判になってしまったのです。
 同じような思想差別撤回を求める裁判では、原告団は、ジュネーブの国連人権委員会にまで出かけています。その結果、国連は、日本の外務省を通じて、大企業に対して差別の改善を求める指導をしたとのこと。こんな国際的な取り組みも必要なのですね…。
 そして、支援活動のため、東京から新幹線で車両1両を貸し切って駆けつけてくれる仲間たちがいたといいます。すばらしいことですよね、お互い元気が出ますよね。
 関電本社を包囲する抗議集会は、1996年5月に始まったときは1000人ほどだった。それが9月には5000人にまで増え、その後、1997年も1998年も5000人は下まわらなかった。そして、ついに1999年9月には6000人もの大集会になったのでした。要請署名も実に25万筆が集まりました。
 そんな大々的な取り組みが効を奏して、関電に差別を是正させ、12億円もの和解金を支払わせることができました。みんなみんな、本当によくがんばったのですね。村山さんは、その勢いをつくる中心的な役割を担ったのです。すごいことです。
 喜寿(77歳)を迎えた村山さんは、今も現役の弁護士として元気一杯。子ども3人の子育ては配偶者のがんばりのようですが、孫が7人というのですから、幸せなものです。
 そして、47都道府県で行っていないエリアは存在しません(これは私も同じです)。しかも、海外旅行で行った先はなんと41ヶ国にのぼるとのこと。これはうらやましい限りです。私は14ヶ国かな。私は少しだけフランス語ができますから、フランスには何回も行きましたが…。うらやましい限りです。
村山さんの50年間の弁護士生活で、こんなすごいことをやってきたんだと改めて襟を正して村山さんを見直した次第です。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2023年6月刊。1650円)
 先日受験したフランス語検定試験(1級)の結果が分かりました。150点満点のところ、56点です。もちろん不合格。4割に届きませんでした。恥ずかしながら、実は自己採点では71点だったのです。今回は少し良かったと慢心していたのですが…。こんなに差が出たのは、仏作文と書き取りの自己評価が大甘すぎたということです。反省するしかありません。トホホ…。それでも、毎朝、NHKフランス語の聞き取り、書き取りは続けています。

あなた、それでも裁判官?

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 中村 久瑠美 、 出版 論創社
 このタイトルから、敗訴判決をもらった弁護士が、判決を書いた裁判官が初歩的な事実認定ないし法律判断を誤ったことへの批判だと想像しました。50年近い弁護士生活のなかで、何度も何度も、裁判官の間違った判決に泣かされてきました。もちろん、法律構成や判断については私のほうが裁判官に教えられることは多々ありました。そのときは、ありがたく感謝しました。そうではなくて、事実判断のレベルで、基本的な常識に欠けるレベルでの誤りをしているとしか思えない判決に何度も何度も接しました。そして、高裁で、その点を指摘しても、ほとんどの高裁の裁判官はことなかれ主義で、仲間としての裁判官をかばい、書きやすい判決に流れていく気がしてなりませんでした。あと、行政に弱いのは、ほとんどの裁判官に言えることです。まさしく、三権分立を担っているという裁判官の気概を感じたことは残念ながら皆無と言って言い過ぎではありません。
 私が裁判官評価アンケートに長く積極的に関わっているのは、この状況を少しでも改善したい、そのためには出来るだけ状況認識を多くの弁護士の共通のものにしたいという思いからです。
前置きが長くなりましたが、この本のタイトルは、そんなものとは無縁です。つまりは、DV夫が裁判官だったということです。東大卒の自称エリート裁判官が、自宅では新婚の妻に文字どおり身体的暴力を働き、また精神的なDVを繰り返していたというのです。
 知的で議論好き、博学でちょっとニトルなところのある男。しかし、その夫は妻に対して平気で暴力を振るう男でもあった。新婚旅行から帰ったその晩から、妻は夫の激しい殴打にあった。殴打ばかりではない。突き飛ばされ、足蹴にもされた。
 妻はいつからかサングラスが手放せなくなった。夫は、かんしゃくを起こすと、決まって妻の顔を殴った。目のまわりや頬はアザとハレが絶えなかった。それを隠すため、いつもサングラスをかけていた。ところが、夫は、他人の前ではやたらと社交的に愛想をふりまき、気をつかい、まさに「気配りの人」のように見せる。ところが、自宅では、絶望的な不機嫌さ、身も凍りつきそうな冷酷な態度だった。
 人前と妻の前でのご機嫌が天と地ほども変わった。妻は常に夫の機嫌を損ねないように気をつかい、かゆいところはここかあそこかと手をさしのべ、一から十まで世話を焼き、「殿よ、殿よ」とあがめていないと夫の暴力を防ぐことはできなかった。
 なぜ、そんな夫と妻が我慢していたのか…。暴力がおさまったあと、夫はまるで手のひらを返したように優しくなって、妻にベタベタしてしまうから。これで妻は、機嫌を直して、自分が悪かった、もっと夫に気に入られるようにしようと反省するのだった。これは「虐待のサイクル」といって、多くのDV加害者に通じるパターン(サイクル)だ。
 「オレほどの頭があり、仕事ができる男は日本中にいない。おまえはオレが仕事しやすいような最高の環境をつくらなきゃいかんのよ。ご主人が判決書きに忙しいときは、書き終えるまで何時間でも官舎のまわりを赤ん坊を背負って、ぐるぐる回り続けるのが普通なんだぜ…」
いやあ、信じられませんね、こんなセリフを吐くだなんて…。
 「あなた、それでも裁判官?」
 「ああ、オレは裁判官さ。書記官たちに聞いてみろ。オレくらい被告人の人権を考えている裁判官はいないって、誰もが言うぞ…」
 1年半もの交渉のあげく、慰謝料200万円、子の養育費は月2万円で協議離婚が成立した。その裁判官の月給は10万円の時代だった。まあ、それでも離婚して(できて)よかったですね。
そして、著者が司法試験に合格して30期の司法修習生になったとき、司法研修所の教官たちは、女性修習生にこう言い放った。
 「男が生命をかけている司法界に、女の進出を許してなるものか」
 「娘さんが司法試験に合格して親は嘆いたでしょう」
 「女なんかに、裁判は分かりませんよ」
 信じられない暴言です。でも、これらは当時の裁判官たちのホンネだったことは間違いありません。さてさて、今はどうなんでしょうか…。
 初版は2009年で、10年以上たっての再版の本を読みました。いやはや驚くべき内容でした。
(2020年7月刊。2200円)

いなべんの哲学(第8、9巻)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 千田 實 、 出版 (株)MJM
 80歳になった著者が50年間の弁護士生活を振り返った、含蓄あふれる小冊子シリーズです。著者は「生涯100冊発刊」の目標を立てて、なんと、それを達成し、ついに140冊になったとのこと。すごいです。
 読むと、今すぐに始めたほうが良いことがいくつも指摘されています。たとえば…、明日から徹底してやるより、少しでもよいから今すぐにやることが大切。気がついたらすぐやるほうが実行しやすいし、効果があがる。
失敗のない人生は、目的を果たそうとしなかった人生だったということ。失敗のない人生なんて、それこそ失敗だ。つまり、何か目的をもって生きようとしなかった人生なんてつまらない、ということ。これまた、激しく同感です。
 著者の哲学の根本は、人生は楽しめばよい、つまり面白く生きるということ。
 著者は弁護士として生きているうちに、「人生は、刑に服しているのではないか」と思うようになったとのこと。いや、それではいかん。60歳を過ぎたころから、「人生を刑務所からパラダイス(楽園)に変えてやると決心したとのこと。つまらないことにこだわり、すったもんだを繰り返してきた60年間は、身も心もすり減らしてしまった。これからは、ものごとにこだわらず、青空道中を生き(生き)たいと考えた。
 煩悩(ぼんのう)は、生きるためのエネルギー源。
 離婚問題を弁護士として扱い、解決するうえで一番気をつかうのは、困る人が出ないようにすること。もっとも困る人が出るのは戦争。戦争は絶対にしてはならない。戦争こそ紛争の代表。紛争は避けるのが利口。
 たとえ正義でも戦争は大嫌い。正義のための戦争より、不正義でも平和がいい。
 正義のための戦争なんかしてはいけない。戦争とは、人殺し。
 戦争に勝つために巨額のお金を費やし、戦争を増強するより、戦争にならないように知恵を出したほうがいい。
 戦争をしなければ、戦力は不要。不要な戦力に巨額の予算を投じる国や政治家には、もっとよい気づかいをしてほしい。
 ステルス戦闘機やミサイルにお金をつかう前に、原発(原子力発電所)の安全を確保することに、もっと気をつかうべき。
 まったくもって、著者の指摘するとおりです。本当に、自民・公明そして維新は根本的に間違っています。
ミンミンと泣く総理蝉(ぜみ)、
民を忘れ 飴(アメ)にすり寄る
兵隊 蟻(アリ)にす
国民を苦しめ、アメリカにすり寄るばかりの小泉そしてアベ首相を皮肉っています。憲法9条と日本の平和を守らなければいけません。
「経済力向上」「戦力増強」「富国強兵」をスローガンにかかげて欲望の衝空を激化させる政治家はより、欲望の衝空を避ける工夫をしてほしい。
 著者は、その経験上、持てる欲は少なくても、捨てることの効果は絶大だと強調しています。これまた、まったく同感です。
 著者は今、80歳。これだけの著書を書けるだけ元気一杯。でも、60代で大病をし、入院して臨死経験もしているし、厳しい食事制限(カロリー制限、塩分制限)も長らくしています。だから、著者は、人生には明日の保障はないのだから、人生は、今の一瞬を、まわりの人と一緒に楽しみ尽くすのみだと強調するのです。
 教えられることの多い冊子2冊をまとめて紹介させていただきました。
(2022年4月刊。1100円)

平和憲法をつくった男、鈴木義男

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 仁昌寺 正一 、 出版 筑摩書房
「ギダンさん」と呼ばれる、福島県出身の法学者、弁護士そして政治家がいて、戦後、日本国憲法の成立する過程で第9条に「平和」の文言を加え、また、25条の生存権の追加に大きな役割を果たしたというのです。恥ずかしながら、まったく知りませんでした。
 私はどちらも視ていませんが、NHKは2017年のNHKスペシャルで「憲法70年、『平和国家』はこうして生まれた」で鈴木義男の「平和」条項挿入への関与を取りあげ、また2020年のETV特集「義男(ギダン)さんと憲法誕生」でも、鈴木義男が憲法制定過程で大きな役割を果たしたことを紹介したとのこと。いやはや、知らないことは世の中に、こんなに多いのですね…。
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法25条1項)は、本当に大切な権利です。自民・公明そして維新は「憲法改正」に必死ですが、その前に政党がやるべきなのは、この憲法25条を現実のものにすることです。
 司法権の独立、三権分立の点で意味のある、天皇が最高裁長官を任命するという憲法6条2項の修正にも鈴木義男が提案し、結論をリードしたとのこと、すごいことです。
鈴木義男は戦前、学者を辞めたあと弁護士になったが、そのとき、鈴木自身は賛同しないマルクス主義の立場をとる学者・知識人が被告人となった治安維持法違反の弁護活動もしています。これまた、すばらしいことです。
鈴木義男の父・義一は、キリスト教的人道主義の立場から明治末の社会主義者であり、幸徳秋水とも親交があり、警察の尾行・監視つきの生活だった。
鈴木義男は東北帝大の法学部教授のとき、大学での軍事教育に反対する論陣を張って当局からにらまれた。文部省が1926年9月に作成した「左傾教授」のリストに名前があげられている。ひょっとして今の文科省も、こんなリストをつくっているのでは…、ちょっと心配になりますよね。
鈴木義男は、「すいかのように外観は青くても、中味は赤い」と河北新報で評された(1926年9月20日)。
鈴木義男は宮本百合子の弁護人もつとめ、その生活も支援したとのことです。
日本敗戦後のまもなく(1947年6月)誕生した社会党の片山内閣で、鈴木義男は法務総裁(法務大臣)になった。
日本国憲法について、単純にアメリカによる押しつけ憲法だとする人が、今も少なくありませんが、憲法制定国会では真剣な議論があり、それなりに修正されたことを改めて知ることのできる本でもありました。
(2023年1月刊。1800円+税)

元ヤクザ弁護士

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 諸橋 仁智 、 出版 彩図社
 タイトルからして、とても本当のことだとは思えませんが、実際に東京で弁護士として活動している著者は、若いころヤクザの世界に身を置き、覚せい剤中毒そして密売していたので、逮捕され刑事裁判も受けたのです。そのとき、裁判官から、法廷で「きみなら司法試験は受かると思うので、がんばりなさい」と励まされたそうです。いい裁判官にあたりましたね。
表紙に現在の精気あふれる顔写真と、ヤクザ時代の怖い顔を対比させています。本文を読むと、なるほど、同じ人間がこんなに違う、変われるものなのかを実感させてくれます。
元ヤクザといっても、その前は福島県いわき市一番の進学校(高校)で、成績優秀者に入っていたのです。つまり、基礎学力はしっかり身についていたということです。これがないと、いくらがんばっても、司法試験に合格するのは決して容易なことではありません。小学校や中学校の勉強を馬鹿にしてはいけないのです。
 では、なぜ、そんな成績優秀者がグレてヤクザになったのか…。
著者は継続力がなく、他人(ひと)に流されやすいのが欠点。コツコツ努力する継続力が欠けていた。
 私は、自分でもそれほど能力があるとは考えていませんが、このコツコツ、あきもせず継続して努力する根気良さがあるので、幾多の難試験も幸いパスすることができました。
 著者は、上京して覚せい剤、大麻に手を出しました。そして、麻雀が好きで、雀荘に入りびたりの生活を送るようになったのです。
 ギャンブルで時間と体力を浪費したから、当然、大学受験には失敗し、二浪となります。ヤクザのアニキにあこがれ、刺青を背中に入れました。シャブ(覚せい剤)だけでなく、ヤミ金で働くようになります。東京・神田のヤミ金です。
 ここで、しつこさがあれば、たいがいのことはうまくいく。これを身につけた。まあ、ヤミ金で悪いことをしただけでなく、いいことも身につけたということなんでしょうね…。
 著者は38歳で弁護士になり、現在46歳。事件処理はともかくとして、仕事をとってくる能力はひけをとらないと自負している。もちろん、昔のヤクザ稼業の人脈には頼らない。
著者は、大平光代弁護士の本を読んで発奮した。
 まず宅建試験を目ざし、次に司法書士試験に合格した。そして、司法試験も一発合格です。すごいですね…。
そのコツは、朝型の生活リズムを崩さない。ケータイをもたない。東京の仲間に連絡しない。麻雀などギャンブルをしない。これを自分のルールとした。執行猶予の判決をもらって7年間かけて司法試験に合格した。いやはや、すごいことです。
 読んでいて元気の湧いてくる本でした。人間はやはり変わることができるのですね…。
(2023年6月刊。1540円)

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