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カテゴリー: 司法

人間力の磨き方

カテゴリー:司法

著者 萬年 浩雄、 出版 民事法研究会
 弁護士にとって実務に役立つ心がまえやヒントがたくさん盛り込まれている本です。
 弁護士費用を値切る人は無責任な人間であることが多い。
 これは、私も同感です。なんでも値切るような癖のついた人は、要注意です。
 打ち合わせ中でも、電話には出るようにしている。目の前にいる客には失礼になるが、短時間で解決できるときは電話に出て解決するのがいい。
 まったく同感です。下手すると1日に何本どころか何十本も電話がかかってくるのに、それをすべて「あとでこちらからかけなおします」なんて対応していたら、とても事件がまわりません。打合せ中や相談を受けているときには、かけて来た人の名前は目の前にいる客には分からないよう、事務局の書いたメモに従って対応します。事務員が依頼者の名前を呼ぶことは極力ないようにすべきです。
 電話は相手の姿こそ見えないが、相手の品格はよく見える。
 電話するときの姿勢は、そのまま相手に伝わるものだという指摘はあたっていると思います。
 損保会社の顧問弁護士として、被害者本人の直接折衝にあたる。その示談交渉で駆け引きはしない。支払うべき賠償を事前に、または本人の面前で一気に計算し、そのメモを示して示談を迫る。
 示談交渉は、相手の顔の表情を見ながら、一気に示談する。
 示談交渉は、いかに相手方を説得するのか、まさに人間性の勝負なのである。
 電話交渉は難しい。とにかく、弁護士も若いうちは電話で商売してはいけない。足を運んで、相手方と交渉する。そうすると、その人の熱意に打たれて協力する姿勢に変わる。面識のない人が電話で請求してくるときには、適当にあしらったらよい。
 弁護士には、役者の要素がなければいけない。頭を下げたり、怒鳴ったり、ひたすら哀願したり、交渉のシナリオの展開を考えながら、計算して演ずる必要がある。
 交渉は人間性の勝負である。人間性で勝負しながら、計算された演技をするのが交渉術の要諦である。
 刑事弁護人は、被告人を裁いてはいけない。被告人を裁くのは裁判官である。しかしながら、刑事弁護人は常に被告人の言いなりになる必要はない。不合理な弁解に対しては、それでは裁判所に通用しないよと言いながら、法廷では被告人の言うとおりに弁論する。これは、被告人の納得感を満足させるためである。
 民事事件については、基本的に和解で解決すべきものだと考えている。
 この点、私もまったく同感です。
 著者は証人尋問にあたって、もちろん証拠・記録を全部読みなおしたうえでのことでしょうが、メモなしで承認を尋問する。そのほうが躍動感があるからであると強調しています。これは言うは易く、行うは難しです。
弁護士への誘惑の実情、そして危険な落とし穴も紹介されていて、改めて大変勉強になりました。ただ、司法改革やロースクール(法科大学院)についての考え方には賛同できません。そこで優秀かつ真面目な若手がどんどん生まれています。
なにはともあれ、先輩弁護士としての教訓に満ちた本として一読をお勧めします。
著者は、全国に先駆けて当番弁護士を実施した福岡県弁護士会のなかで、その必要性と意義を真っ先に提唱した弁護士でもあります。まさしく先見の明がありました。
 
(2009年3月刊。2800円+税)

公事師公事宿の研究

カテゴリー:司法

著者 瀧川 政次郎、 出版 赤坂書院
レック大学の反町勝美学長が最近出された『士業再生』(ダイヤモンド社)を読んでいると、江戸時代の公事師について不当に低い評価がなされていると思いました。そこで、私が改めて読みなおしたこの本を、以下ご紹介します。私のブログでは3回に分けましたが、ここでは一挙公開といきます。ぜひ、お読みください。
いつもと違って長いので、特別に見出しを入れます。
民事裁判と刑事裁判
 江戸時代には、公事訴訟を分って出入物と吟味物との二としたが、この区別は大体今日の民事裁判、刑事裁判の区別に等しい。公事も訴訟も同じ意味であるが、厳格に言えば白洲における対決を伴うものが公事であり、訴状だけで済むものが訴訟である。江戸時代に於いて公事師が取り扱うことを許されたのは出入物だけであって、吟味物には触れることを許されなかった。是の故に公事師は又一に出入師とも呼ばれた。
公事は江戸時代には訴訟の意味であるから、訴訟のことを『公事訴訟』とも言った。しかし、公事と訴訟とを対立して用いるときには、公事は訴が提起せられて相手方が返答書(答弁書)を提出してから後の訴訟事件を言い、訴訟は訴の定期より訴状の争奪に至るまでの手続きを言う。即ち訴訟というのは、まだ相手方の立ち向かわない訴えであり、公事というのは対決する相手のある訴訟事件である。
 江戸時代においては、行政官庁と司法官庁との区別はなく、すべてのお役所は、行政官庁であると同時に裁判所であった。
江戸時代の法定である『お白洲』に於いて『出入』即ち民事事件が審理せられるときには、原告即ち『訴訟人』とその『相手方』である被告とが『差紙』をもって『御白洲』に召喚せられて奉行の取調べを受けたのであって、『目安』即ち訴状の審理だけで採決が下されたのではない。必要があれば、奉行は双方の『対決』即ち口頭弁論をも命じたのである。…公事師が作ったのは願書にあらずして『目安』すなわち訴状である。願書の代書もしたが、公事師の作成した文書のすべてが願書であるわけではない。願書と訴状とは明瞭に区別されていた。
江戸時代の庶民は、決して『裁判所を忌み、訴訟を忌み』嫌わなかった。江戸時代の裁判所は、権柄づくな、強圧的なものではなく、庶民の訴を理すること極めて親切であって、時に強制力を用いることもあるが、それは和解を勤める権宜の処置であって、当事者間に熟談、内済の掛け合いをする意思があれば、何回でも根気よく日延べを許し、奉行は時に諧謔を交えて、法廷には常に和気が漂っていた。
 江戸の庶民は、裁判を嫌忌するどころか、裁判所を人民の最後の拠り所として信頼して、ことあればこれを裁判所に訴え出て、その裁決を仰いだ。
徳川時代奉行所や評定の開廷日に於ける、訴訟公事繁忙の状は、全く吾人の予想外に出でている。水野若狭の内寄合日には、『公事人腰掛ニ大余り、外ニも沢山居、寒気も強く大難渋』であり、評定所金日には、『朝六ツ半(午前七時)評定所腰掛へ行候処、最早居所なし』、『朝六ツ半時分に御評定所へ出。今日は多之公事人ニつき、都合三百人余出ル』とあるほど、多人数が殺到している。此事は徳川時代の民衆が、奉行の『御慈悲』に依頼して、相互の争を解決することが最良の方法であることを、充分に知覚していたことを意味すると同時に、幕府の裁判が民衆の間に、如何に多くの信頼と『御威光』とを、有していたかを物語るものである。

(さらに…)

新参者

カテゴリー:司法

著者 東野 圭吾、 出版 講談社
 いやあ、うまいです。読ませます。無理なくストーリーに引き込まれていきます。いつもながらすごいワザです。感心、感嘆、感激です。
 この著者の本では、『手紙』が印象に残っています。かつて私の担当した、死刑判決を受けた被告人から、遺族への謝罪文を書くときに参考になる本を紹介してほしいと頼まれたとき、ためらうことなく『手紙』を挙げ、被告人に差し入れたことがあります。
 この本を読んで、つい、短編読み切り小説の連作かと思ってしまいました。そうではないのです。たしかに、巻末の初出一覧を見ると、『小説現代』に2004年から2009年までの5年間にわたって連載されていた9編をまとめたもののようですが、なんとなんと、結局のところ、一つの殺人事件をめぐって多角的にとらえているのでした。
 ありふれた日常生活を通して、推理を組み立てていく手法には無理がないどころか、うへーっ、こういうように見るべきなんだと、ついつい居住まいを正されたほどでした。
 たとえば、こんなくだりがあります。
 よく見ていてごらん。右から左に、つまり人形町から浜町に向かって歩いていくサラリーマンには、上着を脱いでいる人が多い。逆に、左から右に歩いて行く人は、きちんと上着を着ている。
 今まで会社の外にいた人、いわゆる外回りの仕事をしている人たち。営業とかサービスをしていた人たちは、ワイシャツ姿で歩いている。反対に、左から右に歩いて行くのは、今まで会社にいた人たち。冷房の利いた部屋にいたから、外回りの人たちみたいに汗だくになっておらず、むしろ身体が少し冷えすぎているくらいだ。それで、上着をきちんときている。比較的年輩の人が多い。もう外回りしなくていい、会社での地位の高い人たちだ。
 推理小説ですから、これ以上のなぞ解きは禁物です。2009年の最後を飾るにふさわしいミステリー本だったことは間違いありません。
 この本を読んで、2009年に読んだ単行本は570冊を超えました。こんなにたくさんの本を読めて、私は幸せです。その一端を分かち合いたくて、書いています。
(2009年12月刊。1600円+税)

北の砦

カテゴリー:司法

著者 今崎 暁巳、 出版 日本評論社
 東京都北区にある東京北法律事務所の島生忠佑弁護士の活動を紹介した本です。
 東京都北区にどっしりと根を下ろした、市民の、地域の守り手として活動している島生弁護士の生い立ち、その弁護活動があますところなく語られています。後輩の弁護士にとって大変役に立つ内容でもあります。
 島生弁護士は1932年の生まれですから、今77歳です。弁護士になったのは60年安保の1年前。ですから、60年安保闘争のとき、警官隊によるデモ隊員への暴行・傷害事件を担当することから弁護活動を始めたのです。
 このとき、島生弁護士は、某所から警察手帳を借り受け、「警視庁警察官警棒等使用及び取扱規程」を見つけ、早速、裁判に生かしたのでした。今も、このような規程はあるのしょうか……?
 私が司法修習生のころ、どぶ川訴訟という取り組みを聞いて勉強したことがあります。子どもたちが住宅街を流れる用水路に落ちて何人も亡くなったのでした。金網を張って立ち入り禁止にしておけば防げた事故です。北区が責任を認めないため、裁判が起こされ、住民側が勝訴しました。そこで、区役所の総務部長が島生弁護士に電話をかけてきました。賠償金を支払うので、振込口座を教えてください、と。それに対して島生弁護士が何と返答したか。
「部長さん、民法484条によって賠償金は持参債務と定められています。私の事務所に遺族に来てもらいますから、区長がまず謝って、その日までの利子もきちんと付加して賠償金を支払ってください。賠償金といえども区民の税金がつかわれるから、心に銘じていただきたいものです」
 小林区長がやってきて、賠償金を差し出し、「残念なことで、申し訳なく思っています」と言った。島生弁護士はそれを聞いて、次のように言いました。
「区長さん、あなたの言葉は謝罪になりません。子どもさんへの気持ちが分かるような言葉と態度で謝るべきです」
 いやあ、すごいですね。
 そして島生弁護士は、慰霊祭を北区に提案しました。無宗教です。主催は弁護団。区は献花すること。
 これには参りましたね。こういう方法もあるのですね。
 ごみ焼却場、イタイイタイ病、新幹線騒音公害訴訟などにも島生弁護士は取り組み、画期的な公害防止協定を結ばせるのに成功しました。すごいことです。
 インチキ商法の被害回復の訴訟にも取り組んでいます。このとき、和解交渉の過程で弁護団が提示した金額を不満とする住民について、次のような記述があります。
 金額を不満として、弁護団はもっとがんばれという声が上がる。このような発言をする人のほとんどは、裁判の傍聴にも団体交渉にも参加せず、弁護団の苦労を知らない人たちである。
 そうなんですね。ビラまきやら団体交渉、裁判傍聴といった地道な活動に参加しない人ほど、威勢のいい、勇ましいことを言う傾向があります。恐らく、日頃の自分の怠慢を言葉だけでもカバーしようという自己保身なのでしょうね。
 手形訴訟が起こされてから判決まで、9年もかかった(かけさせた)ということが紹介されています。今ではあり得ないと思いますが、弁護団の執念の賜物です。
 弁護士の素敵な生きざまを知ることのできるいい本でした。
 マイケル・ムーア監督の映画「キャピタリズム」を観ました。とてもいい映画です。アメリカで一部の金持ちが政治を動かし、大勢のまじめな市民が仕事を奪われ、住まいを失っている悲惨な状況がよくわかるように紹介されていました。
 日本は、アメリカの悪い真似をしていますが、一刻もはやくアメリカ型の政治をやめさせたいものです。映画の最後に『インターナショナル』の歌が流れます。久しぶりに聞く歌です。本当に起て飢えたる者です。みんながあきらめずに政治を良い方向に変えていきたいものです。その元気も出てくる映画にもなっています。ぜひ見てみてください。
(2009年6月刊。1800円+税)

一見落着

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著者 稲田 寛、 出版 中央大学出版部
 直接の面識はありませんが、著者は日弁連事務総長などを歴任された先輩弁護士ですので、顔と名前は知っています。この本を読むと、そのユーモアと機智人情にあふれた弁護活動が、縦横無尽というか、軽妙洒脱の筆致で描かれていて、うんうんと共感の思いで読みすすめながらも、弁護士として大いに勉強になるのでした。
 とりわけ弁護士としての失敗談は大いに参考になります。誰だって失敗するわけですが、それを活字にしてくれる人は案外少ないのです。証人尋問のときの失敗。依頼者に騙されてしまった失敗……。
内容証明郵便を相手方の弁護士に出すときにも、通り一遍の文面ではなく、この手紙が事件を解決する糸口になればという思いで書くように心がけているというくだりには、はっと思い当りました。
 そうなんですよね。弁護士から手紙をもらった人の気持ちを考えて起案すべきだと思った次第です。
 85歳の男性が、妻の死後、身の回りの世話をしてくれた65歳の女性と再婚しようというとき、決まって子どもたちが反対します。親の財産を自分たちがもらえるはずのものと期待しているからです。でも、本当にそれでいいのでしょうか……。本件では、その障害を弁護士の説得で乗り越えたことが紹介されています。説得できたとは、たいしたものです。
 スモン弁護団で活躍し、弁護士会でも活動してきた著者ですが、胃がんが見つかり、切除手術を受けました。幸い術後は順調で、再発の心配もないとのことです。
 今後ともお元気でご活躍ください。
 弁護士としての活動をすすめるうえで、とても参考になり、また、さらっと読める本です。
 
(2007年11月刊。1800円+税)

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