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カテゴリー: 司法

全盲の僕が弁護士になった理由

カテゴリー:司法

著者   大胡田  誠、 出版   日経BP社
 先天性の緑内障のため、12歳のときに両目の視力を完全に失い、全盲となったにもかかわらず、日本で3人目に司法試験に合格し、今、東京で弁護士として元気に活躍している人の体験記です。読むと元気が出てきます。
 サブタイトルは、あきらめない心の鍛え方となっていますが、まさにぴったりです。
 見えない目で、しっかり相手の目を見て、とことん話を聞く。それが信頼関係を築く第一歩だ。なるほど、です。すごいですよね。見えない目で、しっかり相手の目を見るなんて・・・・。
 そして、奥さんも全盲です。こちらは未熟児網膜症のため、生まれたときから目が見えません。そんな夫婦ですが、1歳の子ども(娘)さんがいます。子育てにも夫婦でがんばっているのです。
 弁護士の仕事は、相手の心を知るところから始まる。口は目ほどにものを言う。声は正直なもの。言葉は選べても、息づかいや抑揚、間のとり方まで装うのは意外に難しい。
 衣ずれや足音や、声以外の音も重要な手がかりとなる、不安やいら立ちが表れる。匂いもその人を物語る。
見えないことはハンディだけれど、だからこそできる仕事もある。見えなくても、きちんと相手の目を見ているつもりで顔を向けて、低く落ち着いたトーンでゆっくりと話す。
 証人尋問では、見えないからこそ有利な面もある。相手の方の証人が、弁護士に言わされているのではなく、自分の意思で自信をもって証言しているかどうか、注意深く観察する。法廷での声の響き方によって、うつむきがちで発言しているか、左右をキョロキョロうかがいながら話しているかも分かる。
 ところで、全国に30万人いる視覚障がい者のうち、点字を満足に読み書きできるのは、1割。大人になってから視力を失った中途視覚障がい者には、点字をまったく読めない人も多い。何歳から点字を覚え始めたかで、読める速さはまったく異なる。
 なーるほど、それはそうでしょうね。
そして、点字を読むのが遅い著者は司法試験を耳で受験したのでした。それにしても、4日間、トータルで36時間30分という長丁場の受験に耐え抜いて合格したなんて、すごいですね。
 試験会場には著者1人に、試験管3人が監督していたというのでした。
 すごいな、すごいなと思いつつ、自然に元気の湧いてくる本です。
(2012年3月刊。1500円+税)

法廷弁護士

カテゴリー:司法

著者  徏木  信  、 出版   日本評論社
 いい本でした。なにより、弁護士にとって大切なことが盛りだくさんで、弁護士になって
40年近い私も、必死で読みすすめました。著者は私よりひとまわり年下の大阪生まれの弁護士です。初めて小説に挑戦したようですが、その割には、本当によく描けていました。
弁護士の苦労もさることながら、少年(ここでは少女のことを指します)の立ち直りがいかに至難なものであるか、実感をもって描かれていて、さもありなん、そうだよね、と思いながら読みすすめていきました。
 手間を惜しんではいけない。手間をかければかけるほど、事件の理解は深くなる。事件の理解が深まれば深まるほど、仕事のモチベーションは高まり、さらに事件の理解が深まる。事実の理解の深さは、そのまま事件の成果の大小に直結する。
 これまで司法試験の受験生として解いてきた問題は、すべて正解のあるものだろう。でも、実務は違う。実務は正解のない世界なんだ。だから、自分の考える答えが正解であると、相手方、裁判所を説得する仕事が弁護士の仕事なんだ。借り物ではなく、自分の価値判断と論理構成を信じること、それが正しいと分かってもらうために努力することなんだ。
 顧問先をもたないことの意義は何か。いったん顧問契約を結んでしまえば、弁護士はもはやクライアント(依頼者)から自由・独立の立場でいることは難しくなる。しかし、事件を受任するかしないかの自由を、そのつど留保しておきたい。
 依頼者にも、事件を誰に委任するかしないの自由が、そのつど保障されるべきだ。いつでも、どちらからでも関係をつくることも、関係を切ることもできる。そんな緊張感が、ぼくとクライアントの健全な関係を形成する。
 安定が手にはいってしまうと、努力しなくなる。依頼者がワラにもすがる思いで事件を依頼しているのに、弁護士の方はぬくぬくと安全なところにいるのでは、その温度差が大きすぎる。不労所得で食べていこうとする保守的な姿勢で、人のケンカを引き受けて勝てるのか。不安定な状況におかれた方がすっと努力するし、その分成長する。太った家畜でいるより、腹をすかせたライオンでいる方を選ぶ。
うむむ、これは、なかなか難しい指摘です。
 私自身は狭い地域で弁護士活動をしていますので、商売上、顧問先を断ることにしています。この断る理由には、かなりの違いがあります。
 もともと感動的な事件があるというわけではない。どんな事件でも、その事件を扱う弁護士によってつまらなくもなり、感動的なものにもなる。だから、どうすれば感動的な事件になるのか、それを常に考えて事件に取り組むべきだ。
 即時起案。よほど難しい書面でない限り、相談中に書面を起案する。依頼者の面前で即時に書面を起案するほうが、きちんと確認しながら完成させられる。そして、書面は正確かつ臨場感あふれたものになる。目の前で自分の思いが文書化されていく。このことは、自分の考えや気持ちを依頼者が整理するのに役立つ。頼んだ弁護士が自分の話をきちんと受け止めてくれている。このことを実感できる。即時起案の過程は、胸のつかえが溶けていく。加えて、即時起案は依頼者が紛争解決過程に積極的に参加する過程でもある。この過程をたどることで、紛争解決のときの依頼者の達成感や満足感は、より大きくなる。弁護士の力をかりながらも、自分自身の力で、紛争を解決したという実感を味わうことが新たなスタートを切るうえで、大きなエネルギー源となる。
 タイミングは、とても大切なんだ。直ちに、その場で仕事を終えること。それを心がけるようにしないと、どんどんしなければいけないことが積み重なってしまう。
 弁護士も、もっとも必要とされる能力は勝つ能力だ。弁護士は勝たなければならない。勝つことが求められている。依頼者は勝つことに期待して高額な弁護士報酬を支払っている。負けることは許されない。依頼者は、自分では戦っても勝てない相手だったので、自分の代わりに相手とたたかって勝ってほしいとお金を支払って頼んだ。
 説得力、交渉能力、書面作成、能力、事務処理能力、そして尋問能力は、すべて戦いに勝つという最終目標に至る手段としての技術であって、それ自体が目的ではない。手段としての技術レベルがたとえ高くても、目的である勝利が得られなければ、無意味・無駄ということになる。
 ええっ、これって、私には大きな違和感が残りました。なんでも依頼者が勝てばいいというものじゃありませんよね。
正義・公平・原理原則・良心。こちらの主張が、これらの要件をみたしていることが交渉に勝つために必要なこと。そして、交渉には真実性が伴わなければならない。小手先だけの姑息な手段には一切頼らず、正攻法で真正面から突破することだ。
 依頼者の希望・要望を実現することが、その基本的な人権を擁護することになるのか、そして社会正義を実現することになるのか、それを判断することが弁護士には求められている。
 弁護士は借りものではない自分の体験から、豊かに相手方と裁判所の良心に訴えかけることができる。
わずか186頁という薄っぺらな本ですが、私にとってはずっしり重たい本でした。若手弁護士にとっては必読の書だと思います。それだけでなく、司法界に関心ある人には、強く一読をおすすめします。
 
(2012年3月刊。1500円+税)

3.11と憲法

カテゴリー:司法

著者   森 秀樹・白藤 博行ほか 、 出版   日本評論社
 3.11を契機に、改憲派は、「このような緊急事態・非常事態に対応できない日本国憲法は改正しなければならない」と主張しはじめています。こんな火事場泥棒のような主張がサンケイ新聞の社説(3月22日)にあらわれていて驚くばかりです。
 3.11のあと、福島県民の気持ちは複雑に揺れ動いている。
 放射能の危険については、もう聞きたくないという人々がいる。いつまでも放射能の危険性を口にする人は、神経質な人、うとましい人となっている。それも、政府が大丈夫だと言っているからだ。子どもの疎開についても、もうそんなことは言ってくれるなと耳をふさいでしまう人もいる。ここらあたりは本当に悩ましい現実ですよね。
大災害の発生を奇貨として非常事態規定の欠如をあげつらい、憲法改正を声高に主張する国会議員がいる。彼らは国民の権利を制限することを狙っている。
 「自衛隊は軍隊ではない」という建前(政府解釈)は、結果的に「国民を守る」という面をより前に押し出している。自衛隊では国民に銃を向ける治安出動訓練はほとんどなくなり、災害への日常的態勢が強化されている。
 ところが、「軍」の本質は国家を守ることにあり、個々の国民を守ることではない。自衛隊は、「軍」となるのか、「軍隊ではない」という方向にすすむのか、今、大きな岐路に立たされているように私も思います。
 原発をめぐる裁判について、原発差止を認容する判決を書いたことのある元裁判官の次のような指摘は貴重です。
裁判所が判断するのは、その原発において過酷事態が発生する具体的危険があるか否かであって、原発の存置いかんという政策の相当性について判断するわけではない。差止判決は、十分な安全対策をとらないで原発を運転することを禁止しているのであって、およそその原発を運転することを禁止しているのではない。まるで、裁判官が一国の重要な政策を決するかのような言い方をして裁判官に不必要な精神的負担を与えるべきではない。なーるほど、そうなんですか。でも、ある程度は言わざるをえませんよね、どうしても・・・。
 憲法学の学者を中心とした論稿で、大変勉強になりました。
(2012年3月刊。1800円+税)

検事失格

カテゴリー:司法

著者   市川 寛 、 出版   毎日新聞社
 勇気ある告白本です。
 弁護士だけでなく、司法関係者は全員必読の文献ではないかと思いながら読みすすめて行きました。検察庁の体質そして検察官の思考方法がよく描かれていると思います。
今の検察トップは私の同期生なのですが、検察トップの皆さんにもぜひ読んでもらいたいものです。
 初めに著者が検察官を志望したころのことが書かれています。初心って大切なことですよね。
ダイバージョンに大変な魅力を感じ、これを実践できるのは検察官だけだと思って検事を志望した。ダイバージョンとは、迂回という意味。検事や裁判官が判断に迷ったとき、犯罪者が世間からできるだけ烙印を押されないような手続を選ぶことで、その社会復帰を助け、再犯を防ごうという一連の制度をいう。
 学生のころ、検事は不偏不党で公正であるというイメージをもち、そんな検事になりたいと思った。どうでしょうか、現実の検察は必ずしも公正とは言いがたい気がします。
司法修習生のときから、「できるだけ有罪にする」訓練を積まされているから、刑事裁判官が無罪判決を出すのには度胸がいることの下地がつくられているのではないかと思う。
 検察庁は建前と本意が違いすぎる。たとえば、検察教官は、「実務に教唆なし」と言い切る。すべて共同正犯として起訴してしまう。教唆犯という起訴状を見たことがない。
 被疑者を取り調べるときは、被疑者が有罪だと確信して取り調べるようにと指導される。そこには、無罪の推定は働かない。
 検察庁では、被疑者を呼び捨てにする。
 やくざと外国人に人権はない。これが検察庁のモットーだというのです。恐ろしいです。
 千枚通しを目の前に突きつけて、徹底的に罵倒してやる。ええーっ、今どきこんなことをしているのですね。
無罪判決が出ると検事に傷がつく。誰もが責任をとりたくないから、上は下に無理難題を命じるし、下は、その無理難題を拒むことができない。このとき、検事の心理の根底にあるのは保身だ。責められたくない。責任をかぶせられたくない。
自白調書のとり方の奥の手。被疑者が座るなり、お前は聞いていろとだけ言って、すぐに○○の点を認める内容を立会事務官に口授して調書を取らせる。被疑者に言わせる必要なんかない。事務官が調書をとり終わったら、被疑者に見せて「署名しろ」と言うんだ。もちろん、被疑者は署名しないだろう。そのときは、こう言うんだ。これは、お前の調書じゃない。俺の調書だ!とな。オレの調書だから、お前に文句を言う資格はない。さっさと署名しろ。
控訴審議の大半は主任リンチでしかない。問題判決を受けた主任がただでさえ気を落としているのに、後知恵で質問している検事たちの気が知れない。主任がじわじわと追いつめられ、押し黙ることがほとんどだった控訴審議を見ていると、控訴審議はいじめの場だとしか思えなくなる。こんな審議を毎日のようにやっていたら、前向きなやる気よりも、問題判決を受けたら、ひどい目に遭う。問題判決はごめんだという後ろ向きの気持ちが大きくなっていく。こうして、検事は、ただ問題判決を避けるためだけに、法廷でわけの分からない立証活動をしたり、判決を引き延ばすような悪あがきをするようになる。これは知りませんでした。
 年末に問題判決が出ると正月休みに、年度末に出ると検事の移動時期に控訴審議をやらなければならない。だから、検察庁は年末と年度末に問題判決が出ることは徹底的に避けようとする。
 公判検事は、何も用がなくても毎日の法廷が終わったら必ず裁判官室に行って挨拶するように。このように指示される。これを法廷外活動と呼ぶ。
 私も司法修習生のとき、検事が何の用もないのに裁判官室に頻繁に出入りするのを見て、すごい違和感がありました。
検察が不起訴にすると、警察の担当者が検事の部屋に文字どおり怒鳴り込んでくる。「検事さん、今日は勉強させてもらいに来ました。どういうわけで、あの事件を不起訴にしたんですか!」と、ヤクザ顔負けの太い声ですごまれたことがある。
偽証しているのは、検察が請求した証人が圧倒的多数だ、というのが実情である。
 「事件がかわいい」という意味は、事件に身も心も捧げてのめり込み、疑問点を全部洗い出す捜査をして証拠を集める気概があること。
 「狂犬の血」が騒いだ。心底から頭にきて、「ふざけんな、この野郎、ぶっ殺すぞ、おまえ」、と無実の組合長を怒鳴りつけた。組合長が屈服したのは理詰めの質問によるものではなく、その前の暴言だとしか言いようがない。このときから、組合長は検事の言いなりになった。
 2日間は取り調べをせず、「自白調書」をパソコンでつくった。組合長の発言をつなぎあわせて「作文」していた。組合長は、何の文句も言わずに、すべての「自白調書」に署名した。一度も冷静沈着な精神状態で組合長の取り調べにのぞんだことはなかった。
 怒りは日一日どころか、刻一刻と増すばかりだった。
こんな暴言を吐くに至った、当時の佐賀地検の態勢の問題点も紹介されています。こちらも本当にひどい嘆かわしい状況です。
 この本の救いは、実名と顔写真を出していて、自分の間違いを告白していること、亡くなった組合長の霊前でお詫びをし、その遺族から一応の許しを得ていることです。
 それにしても、検察庁というところは想像以上にすさんだ職場ですね。恐ろしいです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
(2012年3月刊。1600円+税)

概論アメリカの法曹倫理

カテゴリー:司法

著者   ロナルド・D・ロタンダ 、 出版   彩流社
 沖縄の当山尚幸弁護士(元九弁連理事長)が翻訳した本です。すごいですね、340頁もの本を訳して出版したとは。大いに感嘆しながら、そして内容としても難しい論点をやさしく解説してあることに驚倒しながら読みすすめていきました。
いま、私は弁護士会の中で弁護士倫理にかかわる手続に関与していますが、そこで取り上げられているケースには、かなり微妙なところが少なくないことがあって、本書はその意味でも役に立ちました。
依頼者は、いつでも弁護士を解任できるし、弁護士はたとえ解任理由が釈然としなくても手を引かなければならない。
そうなんですよね。解任されたとき、良かったと思うこともあれば、なぜなのか納得できない思いが残ることもあります。
弁護士は、より短い時間で効率的に仕事を処理すべきである。より効率よく仕事をする弁護士は、たいていより高い時間給を請求する。これは許されるが、時間の架空計上をすることは許されない。
報酬の妥当性を判断するときに重要なことは、依頼者を欺いていないか、信頼関係を悪用していないか、あるいは報酬の内訳その他の関連事項の説明が誠実でなかったかどうか、などである。
 完全成功報酬契約は、弁護士の利益のみのためにあるのではなく、それを望む依頼者の利益のためにあるべきものである。
 ホットポテト法則というのがあることを知りました。要するに利害相反の事件は受けられないということです。私の法律事務所も、いまでは弁護士が6人もいますので、「敵」側の関係者が相談に来ることを見逃してしまうことがあります(事前チェックを励行しているのでが・・・)。そのときには、潔く双方から手を引けという法則です。せっかくの事件を受任できなくなって「損」した気分になることもありますが、あとで疑われるよりはましだと自分に言いきかせています。
弁護士は依頼者に対し、生活費を貸しつけたり、保証人になったりして、訴訟を「援助」してはならない。ただ、弁護士が裁判費用や訴訟費用を立て替え、その返還を訴訟の成功にかからしめることを禁じてはいない。
 もしも依頼者が偽証しようとするときには、弁護士は拱手傍観してはならない。弁護士は、その偽証を明示する必要がある。
 依頼者が偽証の供述をしていることが分かったときは、弁護士は詐欺的行為を防止する合理的手段を講じなければならない。まず弁護士は依頼者に証言の訂正を忠告すべきである。それが奏功しないときには、裁判官に偽証を知らしめるなどの他の措置を講ずる必要がある。
 依頼者が偽証したことを知ったとき、弁護士は辞任することがありうる。しかし辞任の事実を公表すること自体が依頼者の秘密を害するときには、どうするか。依頼者は弁護士に辞任を公表しないで忍び足で静かに去ってほしいと願う。しかし、弁護士はそれでは足りない。ここらあたりになると、大変微妙なところだと思います。
弁護人の守秘義務など、日本とアメリカは法制度としての違いは大きいのですが、共通しているところも多々あると思いながら読みすすめていきました。当山弁護士の「あとがき」によると、3年がかりの翻訳とのこと。まことにお疲れさまでした。大変勉強になりました。
(2012年2月刊。2800円+税)

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