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カテゴリー: 人間

現実を生きるサル、空想を語るヒト

カテゴリー:人間

                              (霧山昴)
著者  トーマス・ズデンドルフ 、 出版  白揚社
 霊長類にとって、他者をじっと見るのは脅しのジェスチャーであることが多い。霊長類は、たいてい視線を合わせることを避ける。
チンパンジーの目には白目がない。人間の目は視線の方向を伝える。自分がどこを眺めるのかはっきりと表に出し、他者がどこを見ているのかを読む。霊長類は、視線の方向をカムフラージュしている。
 模倣は、正常な社会的発達と認知発達にとって欠かせない。
 人間は、しばしば知らないうちに、互いをまねる。相手の姿勢や動き、話し方を無意識のうちにまねる傾向がある。教育は模倣を裏返しにしたもの。
チンパンジーは、団結もし、争いがあれば、相互に助けあう。このような連帯が、チンパンジーの政治的闘争の基盤となっている。
人間と同じように、チンパンジーは、自分を助けてくれた者のほうをよく助ける。チンパンジーは、誰と協力するのが一番いいのかを知っている。
 チンパンジーは、表情で他者に合図したり、他者から何かをせびったり、服従や優越性を示したり、仲直りを求めたりする。
 心のなかでシナリオを構築する能力は、人間では2歳から急激に発達する。
 人間の子どもは、起きているあいだのかなりの時間を費やして空想して遊ぶ。子どもたちは、人形などをつかいながら、シナリオを思い描いて飽きもせずに、それをくり返す。
 思考とは、根本的に、行動や知覚を想像することである。
 子どもは、遊びのなかで仮説を試し、数々の可能性を検討し、因果推論をする。
 子どもは心のなかでシミュレーションすることを学ぶ。要するに、考えることを学ぶのである。
 他者を楽しませるヒトは、性選択で有利な傾向がある。芸術家や俳優・音楽家には、人を楽しませるのではないタイプの人に比べてパートナーが多くいることが多い。
 人間とは何者なのかを、サルやチンパンジーなどと対比させながら考えていった本です。
(2015年1月刊。2700円+税)

楽しく生きる

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                              (霧山昴)
著者  藤野 高明 、 出版  かもがわ出版
 戦後まもなく、小学2年生の夏、弟と一緒に不発弾と知らず扱って遊んでいたとき、爆発して弟は即死、自分は両手と両眼を失ったのです。7歳でした。両手がなくては点字を読めないということで、盲学校にも入れなかったのです。20歳になるまでの13年間、何の教育も受けられませんでした。
 両手がなくても点字は読める。どうやって・・・?
 口、そう手の代わりに唇をつかって点字を読むのです。もちろん、すぐには読めませんでした。でも、慣れたら、唇で点字が読めるのです。といっても、手よりも遅いし疲れます。それでも藤野さんは読みました。ついに20歳で、大阪の盲学校に入学を認められました。
 福岡出身ですが、残念なことに福岡では拒否されました。大阪の盲学校では、福岡まで出張してきて面接し、入学が認められたのです。すごいことですね、よかったですね・・・。
 藤野さんは、20歳で盲学校の中学2年生に入り、それから猛勉強し、高等部を卒業して大学の通信教育部に入り、教員の資格をとって、今度は盲学校で教える側にまわりました。全国初めて、両手・両眼のない教師です。
 今、76歳になる藤野さんは生まれてきて良かった、生きてきて良かったと心から言えます。それは、この人生を楽しく感じられたからです。楽しさの源泉の第一は、人とのつながりにある。第二は、人生に目的ロマンをもつこと。第三に、好奇心とチャレンジ精神をもち続けること。
 藤野さんは、盲学校で30年間、社会科の教員をしてきました。主として世界史を担当しまいた。今でも、センター試験の世界史Bの問題を解いているそうです。
 そして、将棋を指すのも楽しみです。頭のなかに盤上の駒が鮮明に見えるのです。
 これまた、すごいことですよね。楽しみでやっているわけですが、やはり負けると、かなりくやしいそうです。
 大切なことは、見えることだけが人生じゃないということ。障害を受容する。あるがままの自分を受け入れて生きるのは、なかなか難しいけれど、とても大切なこと。
 人間らしく、しっかり生きる術を人間は持っている。一人でできなかったら、家族や友だちが助けてくれる。
 藤野さんは、障害者である前に、当然のことながら一人の市民であり、働き手であり、普通の人間なのです。
 藤野さんが18歳のころ、このころは盲学校にも行っていません。21歳になる看護実習生が、一冊の本をくれたのです。ハンセン病で苦しんだ人が唇で点字を読んだことも書かれている本(『命の初夜』)です。それから、藤野さんも唇で点字を読むようになったのでした。
点字を覚えることによって、新しい人生が開けてきたのを感じた。
 唇で点字を読むと疲れる。どんなにしっかり読んでも、1時間に30頁にもならない。
 唇で読むというのは、身体を倒して首を点字に沿わせるようにするから、肩がこり、首がこる。とても疲れてしまう。そして、唇で読むから、不特定多数の人の手を触れた図書館の本は、衛生上、読めない。
 両手先がなく、両目とも見えない藤野さんですが、将棋を指し、プロ野球を楽しみ、音楽に浸って、人生を大いに楽しんでいるのです。両目が見えているのに、社会の現実を見ようとしないなんて、実にもったいないことですよね・・・。
 本当に心あたたまる、いい本でした。ちょっと、このごろ疲れたなあ・・・、と思っているあなたに、おすすめの一冊です。いつのまにか元気が静かに湧いてきますよ。藤野さん、引き続き、お元気で、人生を楽しんでくださいね。
(2015年3月刊。1500円+税)

子どもは、みんな問題児

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                              (霧山昴)
著者  中川 季枝子 、 出版  新潮社
 絵本「ぐりとぐら」は、うちの子どもたちに大好評でしたし、私も大好きでしたので、何度も何度も読み聞かせました。子どもを膝の上に乗せて絵本を読んでいるときは、人生の至福のひとときだと思います。
 著者は、保育園で主任保母として働いていました。絵本も、その体験をふまえて生まれたのでした。それでも納得のいく絵本は、そんなにつくれなかったというのです。やっぱり、何事も簡単なことではないのですね・・・。
 子どもの時代というのは、大変なもの。実にきびしい。何をやるにも一生けん命なので、欲ばる子は、欲ばって欲ばって、欲ばる。本当に、いつも全力で生きている。そんな子どもたちをみていると、自分がもう一度、子どもになりたいと思わない。
 大人はウソをつけるし、いい加減なことも言えるし、ごまかすこともできる。なんて気楽なことか・・・。だから、子どもは偉いものだと、いつも感心している。
 実は、私も同感なのです。私は子ども時代には戻りたくありません。私が戻りたいと思う時代は、大学1年生と2年生の2年間だけです。不安でいっぱいでしたが、まだ将来を考えるゆとりが少しはあったからです・・・。3年生からは将来への不安が強くなり、戻りたくはありません。高校生よりも前にも戻りたくありません。
子どもは、お母さんが大好き。ナンバーワンは、お母さん。ナンバーツーはお父さん、スリーがおじいちゃんとおばあちゃん。保育者はナンバーフォー以下。
 男の子は、お母さん、べったり。保育園で子どもを注意するとき、「そんなことをしたら、お母さんが悲しむでしょう」というのが、一番効果がある。子どもにとって、自分の大好きな人を悲しませるわけにはいかない。
 遊びは、子どもの自治の世界なので、大人は無神経に踏み込んではいけない。しかし、子どもから決して目を離してはいけない。常に全神経を子どもに向ける。
保育園の魅力は、家庭では味わえない、もっと大がかりな遊び場があること、そして、知恵も体力も対等な同年齢の子どもがいること。
 子どもは人に関心をもつことが大切だ。子どもは、常に成長したがっている。まさに、全身これ成長願望のかたまりである。
 子育てはスリル満点で、だからこそ面白い。
 子どもをバカにしないこと、バカにされないこと。私は私、子どもは子ども。ひとりの個人として付き合うことも必要で、無理して子どもに合わせることはない。
 著者の「いやいやえん」も、私は大好きでした。子どもが大きくなって絵本を読む機会がなくなってしまったのが残念です。
(2015年4月刊。1000円+税)

わが盲想

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                                (霧山昴)
著者  モハメド・オマル・アブティン 、 出版  ポプラ文庫
 アフリカはスーダンから19歳のときに日本へやって来た盲目の青年の哀しくも面白い奮闘記です。
 私の娘も、突然、弱視になって盲学校に在学中ですので、目が見えないことの不便さをしのびながら読みました。
 それにしても、底抜けの楽天性であるので、まるで漫談を読んでいるように気楽に読める本です。じめじめした暗さがのないのが救いです。
 著者は、今37歳。19歳の時に日本に来たので、もう20年近く日本にいるから、もちろん日本語はぺらぺらだ。それも、おやじギャグがうまい。
 本をつくるには、視覚障害者向けに、音声読み上げソフトがついたパソコンを使う。イヤホンをつけてキーボードを打つと、打った文字を機会が読み上げてくれる。漢字変換するにしても、「ごとう」と打って変換キーを押すと、「前後の後」、「藤の花のフジ」と機会が言うので、正しい漢字が読みあげられたときにエンターキーを押す。このように、すべて音声による作業である。
 著者が日本に来たのは1998年1月のこと。東京は雪景色だったから、寒さに震えてしまった。そして初めて食べた日本食はカレーライス。あっという間に三杯をたいらげた。
 スーダンでも、イスラムの世界ではどこでも、自分の裸を他人に見せてはいけない規則がある。だから、公衆浴場は困る。そうなんですか・・・。
 福井県で勉強を初め、こてこての福井弁になじんだようです。
 「スーダンって、どこにあるのですか?」
 「ヨルダンという国があるでしょ。その隣にヒルダンがあって、その真ん中にアサダンとスーダンがあるんです」
 これって生真面目な人が聞いたら、本気にしてしまいますよね。
 著者はスーダンの女性と結婚することが出来ました。その女性が示した条件は二つ。
 お酒を飲んでいませんか?
 お祈りをしていますか?
 スーダンでは、酒飲みは社会的信用は低い。実は、著者は日本に来て、お酒を飲んでいた時期があったのです。でも、お酒はやめていたので、飲んでいないと即答することができたのです。偉い!
 スーダンでは、結婚する前に、新郎と新婦の家族が、それぞれ相手の家族について調べる習慣がある。近所の評判とか、両親の職場での評判を聞いて、家族同士のつきあいができるかどうか判断するのだ。こうして、著者はたった1ヶ月前に電話で知りあった女性と結婚した。スーダンでは、あることだが、日本では口が裂けても話せない。
 スーダンの伝統的結婚儀礼では女性しか出席しない。それぞれ女性が50人ずつ集まった。新婦は新郎に向かって牛乳を口にふくむと、遠慮なく吹っかけた。
 『恋するソマリア』を書いた高野秀行氏が著者の友人とのことで、最後に二人の対談ものっています。
 お寿司が大好きな盲目のスーダン人です。こうやって人間の輪が広がっていくのって、いいですよね・・・。これこそ、まさに積極的な平和主義の実践だと思いました
(2015年2月刊。640円+税)

無人島に生きる七六人

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                               (霧山昴)
著者  須川 邦彦 、 出版  新潮文庫
 明治32年4月から12月まで、太平洋の真只中で、日本人船員16人が遭難したあと無人島にたどり着いて全員が無事に日本に帰り着いたという実話です。
 明治の日本の男たちは、実にたくましいと驚嘆しました。
 私が何より感嘆したのは、16人の男たちが守り通した「四つのきまり」です。
 一つ、島で手にはいるもので、暮らしていく。
 二つ、出来ない相談を言わない。
 三つ、規律正しい生活をする。
 四つ、愉快な生活を心がける。
 無人島に生活するに当たっての誓いです。最後の四つがいいですね、笑いを忘れないようにしたのです。
 そして、勉強もしたというのですから、本当に偉い人たちです。
 船の運用術、航海術の授業。数学と作文の授業もある。習字は、砂の上に木を削った細い棒の筆で書く。石板の代わりにシャベルを使い、石筆にはウニの針を使う。漢字と英会話、英作文もある。
 一日の仕事がすんで、夕方になると総員の運動が始まる。相撲、綱引き、ぼう押し、水泳、島のまわりを駆け足でまわる。それから海のお風呂に入って、そのあと夕食。規則正しく、毎日これを繰り返す。月夜には、夜になってすもうをとる。そのために立派な土俵をつくった。
 夕食後には、唱歌。詩吟も流行した。
 雨の日は、みんなほがらかに、にこにこした。雨水は、飲用水になる。午後から茶話会をし、おやつを食べた。米のおかゆを雨水でつくって食べる。実に美味しい。
 余興の隠し芸を披露して、おなかの皮をよじって大笑いする。ウミガメ(正覚坊)の卵はうまい。そして、海藻を食べているから、肉も美味しい。
 無人島にいるとき、ぽかんと手をあけて、ぶらぶら遊んでいるのが、一番いけないこと。
 16人は、順番に、まわりもちに決めた。見張り、炊事、たきぎ集め、まき割り、魚とり、ウミガメ(正覚坊)の牧場当番、塩づくり、宿舎掃除せいとん、万年灯、雑業・・・。
これらの仕事は、どれも自分たちが生き延びるためには、ぜひやらなければいけない仕事だ。みんな熱心に自分の仕事に励んだ。
 涙の出てくるほど、美しく、たくましい和装「ロビンソン・クルーソー」集団の話です。
 実話なので、感慨深いものがあります。ちょっと疲れ気味だと感じているあなたにご一読をおすすめします。私の生まれる直前、昭和23年6月10日の本が復刊したものです。
(2010年6月刊。430円+税)

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