法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 人間

性のタブーのない日本

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  橋本 治 、 出版  集英社新書
戦国時代に日本にやってきた宣教師は、日本人が好奇心の強いことに驚くと同時に、女性が強いこと、性風俗が開放的なことにもショックを受けていました。ルイズプイスの報告書に書かれています。
古代に「性交」のことを「まぐわう」と書いた。これは目交(まぐわう)であり、視線が合うこと。昔は、家族は別として、男女が顔を合わせることはなかった。だから、他人である男女が顔を合わせてしまったら、もうそこに「性交の合意」が出来てしまう。視線が合うと性交渉になる。 
近代以前の日本には、「おっぱい文化」がない。西洋は、古代ギリシャの女神像以来、オッパイ文化である。しかし、日本の彫刻の中心は仏像であり、仏様は女性ではないので、オッパイがない。江戸時代の日本では、浮世絵春画にも、大の男がオッパイにむしゃぶりつく図柄はまずない。それをするのは、子ども、幼児だけ。
オッパイがボンと出てお尻がバンと張っていると、「鳩胸出っ尻」(でっちり)と言われて、バカにされた。あまり体に凹凸(おうとつ)のない「柳腰」が良いとされていた。浮世絵師は、オッパイを描いても、乳首に色をつけなかった。乳輪も乳首も、肌と同じ白のままにした。
平安時代の貴族の娘は、自分名義の土地建物をもっている。不動産の相続は父から娘へされるのが当然のこと。反対に貴族の息子は相続できない。「住む家がほしけりゃ、自分で女のところに転がり込め」というのが、当時の「通い婚」の実態なので、いつまでも親の家に住んでいられない息子たちは、必死になって女との縁を求めた。結婚が成立したら、男は女の家に転がり込み、しゅうとである女の父から様々な援助を受けて、やがては女の邸を自分のものとし、これを女が生んだ娘に相続させた。
摂関政治の時代に価値があるのは、男ではなく、女だった。この日本は、昔から女が力をもっている国である。平安時代の前に、女帝は何人もいる。桓武天皇は、初めての男の天皇を父とする天皇だった。藤原道長の栄華を支え、摂関家に全盛をもたらした女たちが、今では次代の摂関家を担うはずの男たちの足をひっぱりはじめた。道長に栄華をもたらした、彼の遺産でもある娘たちは、摂関家の息子たちには大きなストレスとなった。競争相手に姉が加わって、頼通と教通の兄弟間の争いが激化するのは、当然のことだった。
日本の女性は、昔から、決しておとなしくなんかない。源頼朝夫人の北条政子。足利義政夫人の日野富子、徳川家康の乳母の春日局。この三人を「日本三大悪女」という。
「戦うのよ、進軍よ」と号令をかけた女性の天皇が二人いる。女帝があたりまえの時代、女性は権力闘争にすすんで参加していた。
私と同じ世代の著者ですが、さすがに学識が深いのに感服します。今や、全国の法律事務所の業務量の相当割合を不倫・男女間のトラブルが占めていると思います。性のタブーは、昔も今も、日本にはあって、ないようなものなんですよね。
(2015年11月刊。780円+税)

「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  茂木健一郎、羽生善治 、 出版  徳間書店
物忘れしない脳の作り方というサブタイトルに惹かれて読んでみました。
脳を若々しく保つためには好奇心をもつこと。運動を定期的にしている人は、認知症になりにくい。運動したほうが、肉体だけでなく、脳も若々しくいられる。私は週1回、プールで1キロ泳いでいます。これだけでは足りないのでしょうか・・・・。
脳は、その人がチャレンジできるぎりぎりのものに挑戦しているときが楽しい。脳は楽をすると、どんどん衰えていく。
度忘れするのは、脳のなかの側頭連合野から前頭前野に記憶を引き出す回路が使われないから。前頭葉は、脳全体の司令塔。前頭葉が活性化すると脳全体も活性化し、回路を強めてくれる。
ドーパミンは、前頭葉のために神様がつくってくれた素晴らしい物質。子どもの脳が若々しいのは、ドーパミンがたくさん出ているから。初めてのことや、びっくりするようなことを経験したときに、ドーパミンは出る。子どもは初めてのことに毎日のように出会う。だから、子どもの脳は、毎日デビュー効果でいっぱいだ。
人間の脳は、何歳になっても、ドーパミンを出す能力がある。人間は不安になることに挑戦しないとドーパミンが出ない。つまり、挑戦してみようという気になるかどうかが、非常に大切。
私は、このところ初めて本格的に小説(フィクション)に挑戦してみました。もちろん、体験と歴史的事実はきちんと踏まえているのですが、それをつなぎあわせるところは、すべてフィクションにしてみたのです。4月には一冊の本に仕上がる予定です。今からワクワク楽しみにしています。売れたらいいな・・・。皆さん、ぜひ買って読んでくださいね。お願いします。ちなみに、著者名は、このコーナーと同じです。
初めてのことに挑戦してドーパミンを出すには、受け身ではなくて、自分から何かをやってそれからうまくいったときのほうがドーパミンは出る。
大人になっても、子どもの心を忘れてはいけない。脳のなかに安全基地がないと挑戦できない。
人間の脳には、自分で自分を治す力、自己治癒力がある。どうしたらマイナスのエネルギーをプラスに変えられるかというと、人との絆が非常に大切である。
個性というのは、出来ることとできないことが一つになって個性なのだ。
人間は、今のありのままの自分を受け入れるのが大事だ。ひとそれぞれの幸福がある。
脳の好奇心や人との絆の大切さがよく分かる本です。
(2015年3月刊。1000円+税)

生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 最相 葉月 、 出版  ポプラ社
  著者の名前は、「さいしょうはづき」と読みます。その『絶対音感』という本を読んだときには内容に圧倒された覚えが鮮明にあります。東京工業大学で朝一限目の講義をしたものが本になっています。当代一流の人々が登場して、その苦労話を語り聞かせてくれるのですから、面白くないはずがありません。
テーマは大切。テーマに対する思いが一番大事だ。
  人間は、ものごとが発見された順序にそって説明されると、一番よく理解できる。
  ああ、そうなのか・・・。だから、ほとんどの本で、結論から書いてなくて結論に至るプロセスから説明されているのですね。これまでは、まどろっこしくて、たまりませんでしたが、少し考えを変えてみましょう・・・・。
  生物が進化するシステムが次のように説明されています。DNAは、A(アデニン)とT(チミン)とG(グアニン)とC(シトシン)という4つの塩基で構成されている。このA,C,G,Tの分子の中で、何もしなくてもプロトンという水素結合のところが二本になることが、ごくたまにある。これは1万分の1くらいの確率。そうすると、Cが三本の腕で手を結んでいたGのところにAが来るようなことが起きてしまう。これが進化の原因である。つまり、生物というのは賢くて、天然にある量子科学的ゆらぎを利用して進化している。なんとなく分ったような気がします。
  生物の外観が美しければ、進化したと考える。見て、異常で、醜悪なものは、進化ではなく、異常個体とみなす。
ショート・ショートで有名な星新一は、アイデア捻出の原則は一つしかないと断言した。それは、異質なもの同士を結びつけること。
  SF作家は、矛盾したものを衝突させて、いわば夫婦ゲンカをさせて、次数が上がった世界を導き出し、それを起点として物事を書こうとしている。
  新しい話(アイデア)はこの世にないものだから、明後日(あさって)の世界からとってくるしかない。
人と会話するときには、事前に準備することが必要。
ともかく、継続、そしてやる気を長持ちさせることだ。
  統合失調症に親和的な人は、かすかな兆候を読む能力が傑出している人が多い。人間にとって必要不可欠な機能の失調による病気が統合失調症である。
私にとって、かなり(というか、ほとんど)難しすぎる本でした。それでも、人間の身体の神秘の一端には触れた思いがしました。死を覚悟した人にとっては、何も怖いものがないということも聞いていて、よく分りました。
テーマ選びの大切さをしっかり認識しました。
(2016年1月刊。1500円+税)

哲学な日々

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 野矢茂樹 、 出版  講談社
  著者は西日本新聞にエッセイを連載していたそうです。私は読んでいたかもしれませんが、記憶にありませんでした。東大に理系で入って、大学生として12年もいて、今では東大で哲学を教えているそうです。しかも、座禅まで教えているなんて・・・。東大駒場に、そんな場所があったなんて、信じられません。
  哲学は体育に似ている。実技なのだ。教師が問題を提示して学生が受けとめる。簡単に答えは見つからない。知識を伝えるというより、哲学を体験してほしいということ・・・。
不測の事態は必ず起きる。そんなとき、スピードと効率だけを考えて前のめりに行動していると視野が狭くなり、柔軟性を失う。だから哲学が必要となる。いったい、これは何なんだと自分のやっていることを問い直すのが哲学だ。
  座禅は、1分間に吐いて吸ってを3回以下の速さで、ゆっくりやる。吐く息とともに、今しょい込んでいる余計なものをすべて吐き出すような気持ちで静かに吐き出す。自分を空っぽにしていく。何も考えない。囚われない。こだわらない。呼吸だけに集中して、ただ空気が自分の体を通って巡っていく。そうすると、透明感と言えるような澄んだ感覚になる。
  うひゃあ、そ、そういうものなんですか、座禅って・・・。
  座禅中は、いっさいの価値判断を捨てなければいけない。
子どもを「ほめて育てる」という方針は根本的に間違っている。ほめられて育った子は、ほめられるためにがんばるようになる。そして、そこから抜け出せない。そうではなく、共に喜ぶこと。一緒に喜んで、子どもが感じている喜びを増幅する。そして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげる。
  なるほど、この点はまったく同感です。
哲学というのは、他の学問分野と比べて、妄想力の比重が大きい。
考えるためには言葉がなければならない。言葉によってはじめて、思考が成立する。だが、言葉はまた、思考を停止させる力も持っている。思考を停止させる言葉に対抗するには、やはり言葉しかない。冷静で、明晰な言葉を、私たちは手放してはならない。
  さすがに哲学者の書いた本だけあって、普段なら考えないような点をいろいろ考えさせられました。
(2015年12月刊。1350円+税)
 わが家の近くの電柱にカササギが巣をつくっています。山に近いからだと思いますが、3個もあります。通勤途上にカササギが枝を口にくわえて運んでいるのを見かけます。それにしても巣づくりの初めは難しいと思います。うまく落ちないように枝を組み合わせていくのですよね。誰にも教えられずに本能だけで巣づくりをします。そして、少々の強風が吹いたくらいでは巣は壊れません。
 実は、わが家の庭にあるビックリグミの木にも高いところに巣をかけましたが、結局、使われませんでした。
 電柱の巣は九電が毎年撤去してしまうのです。カササギは、それにめげずに巣をつくって、子育てするのです。偉いですね・・・。

山人たちの賦

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  甲斐崎 圭 、 出版  ヤマケイ文庫
 今から30年前、1986年に刊行された本の文庫版です。ですから、今ではもうマタギの文化なんて、東北でもなくなっているのではないでしょうか・・・。その意味では、貴重な記録になっていると思いながら、興味深く読みすすめました。著者は私と同じ団塊世代です。
 ヒグマを撃つのは、7~80メートルの至近距離。ヒグマが確実に襲いかかってくる体勢をとり、スワッという瞬間に引鉄(ひきがね)をひく。つまり、運が悪ければヒグマに逆襲され、命さえ落としかねない覚悟でヒグマに立ち向かう。ヒグマ撃ちは、一瞬が勝負。弾が急所を少しでも外れると、ひとたまりもなく襲われる。慎重に的を狙うという余裕はない。ヒグマに関しては、逃れる方法はない。ヒグマも人間が怖いので、ただひたすらにらめっこをする。すると、だいたい逃げていく。
 ヒグマ撃ちに師匠はいない。自分で体験して覚えるもの。猟師にとっての三種の神器は、犬、足、鉄砲。犬は猟師の手、足、七感となる。アイヌ犬は、ヒグマと対等に戦える猟犬だ。
 マタギの狩猟には、厳然とした役割分担がある。集団を統率するリーダーは「シカリ」と呼ぶ。鉄砲の撃ち手は「ブッパ」、獲物をおいあげる役は「勢子(せこ)」、そして全体をみて獲物を確実に仕留めるよう指図するのは「ムカイマッテ」という。マタギ言葉では熊を「イタチ」と呼ぶ。
 長野県の白馬岳のボッカが荷を担ぐときに必要なのは、力じゃなくてバランス。重量物は訓練すれば担げるようになる。自分の体重の2倍の重さなら背負う。ただ、水ものはバランスがとりにくくて、背負いにくい。
 ボッカは休憩するといっても、決して荷をおろしたり、腰をおろして休むことはない。立ちどまって、20秒か30秒のあいだ、呼吸をととのえるだけ。荷杖を尻にあてて、これにすがるようにして立ったまま休む。
ボッカにとって、胃ほど大切なものはない。胃をこわしたら、山は歩けない。
雪渓を歩くには、なにより足を濡らさないこと。足を冷やすと、歩きにくくなる。
これらの山人をたずねて文章にしたころは、著者は千葉県の公団住宅に住んでいた。コンクリート・ジャングルである。そして30年後の今は、三重県尾鷹市に根をおろしている。
 山人の生活は、うらやましくもあり、ちょっと真似できないものでもあります。
 しばし、山人の生活を偲んでみました。でも、私にはヒグマやマムシに遭遇するかもしれない、そんな山中の生活はとても無理です。そんな勇気はありません。
(2015年12月刊。880円+税)
しばらく孫が来ていました。まだ1歳になりませんので、つかまり立ちは出来ますが、歩けません。はいはいしながら母親を必死で後追いする様子はいじらしい限りです。
 手の届くところにあるものには何でも触ってみようとします。好奇心旺盛で、何か変わったものがあると、すぐに飛びつきます。離乳食なので、食事をつくるのは大変でした(もちろん、私は出来上がるのを見ているだけです)。話せませんが、一生けん命、声をかけました。こちらの言っていることは分かっているのです。右手を上げて「ハーイ」というポーズをしてくれるので、声かけは楽しいです。孫たちが帰っていくと、怒濤の日々から、夫婦二人きりの静かな毎日に戻ってしまいました。孫は、来てうれしい、帰ってうれしい存在です。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.