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カテゴリー: 人間

宿題の絵日記帳

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 今井 信吾 、 出版  リトルモア
この本の絵と説明の文章を読みながら、はるか昔の子育てのころを思い出し、なつかしさでいっぱいになりました。
パパがときどききかん坊の娘を叩いたりするのです。やはり、つい手を出してしまうのですよね。私も同じでした。こうやって親としての人間性を試されていたのかと思うと、汗が吹き出してしまうほど恥ずかしさで一杯になります。
高度難聴のやんちゃな娘をかかえて、聾話学校に通う娘のために、毎日、画家の父親が描いた絵日記張です。さすが本職の画家によるものだけに、絵が実に生き生きと脈動しています。ああ、子どもって、本当にそうなんだよね、と私は深くうなずいたものでした。
麗(うらら)は、性格が明るく、滅法気が強い。美女でもある。3歳うえの姉という頼りになる指導者にも恵まれて、すくすく育っている。
そんな娘のうららの2歳から6歳までの4年間の日常生活が、ありのまま描かれています。
洗面台にのぼって水遊びして大事なコップを割り、ママにひっぱたかれたうらら。
きげんが悪いと、ごはんを食べないこともあるうらら。
遊びに来た友だちのかずまくんに二度ひっはがれて、二度泣いたうらら。
難聴の子どもの教育でいちばん大切なのは、一日も早く話すことを始めること。舌の動きがなめらかになるためには、そのことが大切。うららは、生後半年で勉強を始めたが、舌の動きには苦労している。
難聴の子って、みんな舌の動きが悪くなるものなのでしょうか・・・。教えてください。
親は、楽しく繰り返して子どもに話しかけた。音と言葉のシャワーを浴びせかけた。
絵日記は、聴覚に障がいのある子どもたちが家庭や学校で言語を獲得していくためには欠くことのできない手がかりとなるので、毎日、描いて学校に持ってきてもらう。これが学校の方針だった。
うららは、普通小学校に入学し、中学、高校と進んで美術大学を卒業し、今では新進の画家であり、同じ画家の夫とともに三人の子どもを育てている。
とても楽しい絵日記でした。こんな素敵な絵が描ける人って、うらやましい限りです。
(2017年9月刊。1600円+税)

忘れらないひと、杉村春子

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 川良 浩和 、 出版  新朝社
「姿の水谷八重子、科白回しの杉村春子」
これは三島由紀夫の言葉。それほど、杉村春子の科白(セリフ)回しは、演劇界の至宝ともいうべきものだった。団塊世代の私は、幸運にも、水谷八重子も杉村春子も、テレビですが、みています。残念ながらこの二人の舞台はみたことがありません。
杉村春子の主な芝居の上演回数は、「女の一生」947回、「華岡青洲の妻」634回、「欲望という名の電車」594回、「ふるあめりカに袖はぬらさじ」365回、「華々しき一族」309回。これに加えて、数多くの映画に出演した。
その杉村春子は、平成7年秋の文化勲章を辞退した。「演劇の賞は喜んでいただきますが、勲章は私に似合わない気がします。ただ、自由に芝居をしたいから」。偉いものですね。たいしたものです。
それにしても、三島由紀夫って、とんでもない男です。三島の「喜びの琴」という作品は松川事件を連想させる列車転覆事件が描かれて、首謀者は右翼の仕業に見せかけた共産党員になっているというのです。ひどい話です。松川事件がアメリカ軍(占領軍)と日本当局による謀略事件であることは明らかになっていますが、その歴史的事実をひっくり返そうとしたのです。文学座は、臨時総会を開いて三島の作品を上演しないことを決めたのでした。当然ですよね。
山田洋次監督は、杉村春子を次のように評価しています。
「ワンカットだけ出演していても映画が落ち着く。つまり、錨(いかり)のような俳優なんだよ。映画の芝居というものは、どうしても空々しくなるものなんだ。その中で、杉村春子が登場してくることで、画面にぐっとリアリティを与え、観客に人間的な共感を抱かせる」
小津安二郎監督は杉村春子を多くつかった。「小津は下手な役者だけを使った。皆が下手だけど誠実に、懸命に演じる中で、桁違いにうまい杉村がその間を縫って、自由自在に動きまわる」
なーるほど、そういうことなんですか・・・。
杉村春子は2回、夫と死別している。その後は、生涯結婚せず、独身で過ごす。杉村春子を慕った森光子も43歳のときに離婚している。二人とも家庭をもたず、人生のすべてを賭けて舞台に生きた。うむむ、まあ仕方のないことなんでしょうが・・・。
団塊世代でNHKに長年つとめていた著者が杉村春子の女優としての生き方にとことん迫った本です。大変勉強にもなりました。
(2017年6月刊。1800円+税)

役に立たない読書

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 林  望 、 出版  インターナショナル新書
ほとんど同世代の著者と私は読書に関しては、かなり共通した考えです。
本は買って読むもので、図書館から借りて読むものではない。読んできた本を振り返ることは、自分の人生を振り返ることに他ならない。文学作品を味わう醍醐味の一つは、登場人物の中に自分自身の分身を発見することにある。
自分が読みたい本を読む。これが読書するときの鉄則。そのとき、間口(まぐち)はできるだけ広くしておいたほうがいい。
図書館で借りて読んだ本の知識は、しょせん「借りも物」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んでよかったと感じた本は、座右に備えておくべきだ。
「自腹を切る」ことの対価は、たしかにある。
著者は、自宅の地下に2万冊は入る書庫があるそうです。わが家にも1万冊とは言わない、2万冊近くの本があるように思いますが、最近、少しずつ引き取り手を探して押しつけつつあります。なにしろ、年間500冊以上の本を買って読んでいますので、その行方(所在)は困るばかりなのです。
読書するのには、あらゆる細切れの時間を大切にする必要がある。10分間だけ、別世界を旅する。
まさに、そのとおりです。ですから私は、バス停に立ったら、私のカバンの外側に入れている新書が文庫本を取り出して、立ち読みを始めます。中に入って座れたら(立っていても)ソフトカバーの本を読み出します。ですから、電車の中ではなるべく顔見知りの人と一緒になったり、同席したくはありません。
「我が本」を文字どおり「我が物」にする。これは、借り物ではないのだから、きれいな姿で、次に古本屋に売ろうと思っていないということです。気に入ったらところは折り曲げたり、付箋をつけたり、傍線を引いたり、欄外に注記を書き込んだりする。
書評には、面白くないと思った本は取りあげない。私も同じです。面白くもない本を読み返すほど、私はヒマでありません。何か面白いと思えるところがある本しか、このコーナーで取りあげたことはありません。
日本では昔から識字率も高く、本を読まずにはいられない人が少なくなかった。
滝沢馬琴の本を江戸時代の人々が熱狂していたというのは、現代の私にもよく分かります。ともかく面白いストーリー展開でした。
著者は、漢字仮名まじりの文化が定着している日本では、電子書籍は普及しないと予測しています。紙の本でないと読んだ気がしないというのは、日本語独特の問題があるからだ・・・。日本語は、世界一、同音異義語が多い。多すぎる。
読書には、大きな意味がある。人生は、できるだけ楽しく、豊かに送りたい。豊かに楽しく生きることのヒケツが、すなわち自由な読書だ。それは強制された読書ではない。自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。ただ、それだけのこと・・・。まったく同感です。反語的タイトルの本です。
(2017年4月刊。720円+税)

サバイバル

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版  ちくま文庫
サバイバル登山とは、食料や装備をできるだけ持たず道なき道を歩く長期登山のことをいう。山に持ち込む食料は、調味料と少々の米だけ。電池やコンロ、テントも燃料も持っていかない。登山道や山小屋も出来るだけ避けて通る。
今では、エベレストの山頂に登るのに必要なのは、2ヶ月の自由な時間、600万円、平年並みの好天、健康な肉体、そして、登山の基本だけ。エベレスト登頂者の最高年齢は76歳だということが、これを証明している。
サバイバル登山は、電気製品を山に持ち込まない。ケータイも、無線も、そしてラジオも持たない。つまり、明日の天気予報は知らないということです。台風が来るのかどうか、山で分からないって、怖いですよね・・・。
時計がないので、太陽の角度から時刻を知る。うひゃあー・・・、す、すごいです。
ところが、夏のサバイバル登山で、一番つらいのは、ライトがないことでも、時計がないことでも、空腹でもない。害虫の攻撃だ。アブ、ヤブ蚊、ブヨ・・・。これは怖いし、つらい。やっぱり、蚊取り線香は欠かせない・・・。
昔の人やヒマラヤ民のほうが、多くの食料を持って山を歩いていた。日本の山人は、干しエビや干し魚、味噌などをもって山を歩いていた。ヒマラヤの民は、ヤギの乳からつくる発酵バターを持ち歩く。
天然の岩魚(イワナ)は、夕食で刺身として食べる。口に入れると、ねっとりとしていて、しかも歯ごたえがあり、身切れがいい。シマアジに近い。
山には三種類の人間がいる。登山客、登山者、登山家。登山客とは、山岳ガイドや山小屋の客。登山者とは、山にまつわる出来る限りの要素を自分たちで行ない、その内容にも自分で責任をもつ人。登山家とは、登山者のなかでも登山関係で生活の糧を保ていたり、登山の頻度と内容からして、人生のほとんどを登山に賭けてしまっているような人のこと。
白米に比べて玄米のほうが栄養分の繊維も多く、味があってうまいうえ、排便の調子がいい。大便は沢の近くで出し、沢の水でお尻を洗う。
どうでもいいようで、ないと困るのが、まな板。
焚き火に火をつける現代的な焚きつけの総称がメタ。
サバイバル登山では、摂取カロリーが低いので、雨天には行動しないのが原則。光のない夜を過ごし、朝を迎える。これこそ、現代人が忘れている喜びだ。
ヒキガエルは食料。ヘビは、山では貴重なタンパク源。マムシは、山ウナギとも言われ、ヘビのなかでは、もっともうまい。ええーっ、ホ、本当でしょうか・・・。
今の私には、とても出来ませんけれど、50年前だったら、少しは真似していたかもしれないとは思いました。
(2016年7月刊。800円+税)
映画『少女ファニーと運命の旅』をみました。ユダヤ人の子どもたちがフランスからスイスへの逃亡に成功したという実話が映画化されているもので、主人公のモデルの女性は今もイスラエルに元気にいるとのことです。
主人公の少女ファニーは13歳。まだ大人ではありません。ファニーが逃走チームのリーダーに選ばれたのは賢いからというより性格が頑固だからというのです。なるほどと思いました。そして、泣き顔を見せずにメンバーを引率しろと励まされます。
引率者の青年が途中でいなくなったりして、逃走過程はハプニング続出。それでも知恵と勇気で、ようやくスイスにたどり着くのでした。
子どもたちのけなげさに心が打たれる映画でした。

サバイバル登山家

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版  みすず書房
すさまじい山行記のオンパレードです。私には絶対に出来ませんし、まねしたくもありません。そんな私がこの手の本を読むのは、まさしく、怖いもの見たさ、です。お化け屋敷なんか、のぞきたくもありませんが、冬の山をほとんど何も持たずに単独行するなんて、まさしく人間技(わざ)を超えていますし、気狂い沙汰というか正気の沙汰ではありません。
山には逃れようのない厳しさがある。そこには死の匂いが漂っている。
だからこそ、そこには絶対的な感情がある気がする。
生きようとする自分を経験すること、登山のオリジナルは、そこにある。それは今も変わらない。
自分の内側から出てくる意思や感情を求めていた。厳しい現実が次から次へと降りかかってくるような窮地や、思いもよらなかった美しいものを目にしたときに、自分が何を感じるのかを知りたかった。
サバイバル登山のときは、電池で動くものは何も持っていかない。時計、ヘッドランプ、ラジオはもたない。太陽によって時間を知る。コンロとか燃料ももっていかない。マットやテントもおいていく。
最大11日間の山行にもっていく食料は、お米5合、黒砂糖300グラム、お茶、塩、胡椒だけ。タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山茶を食べ、草を敷いてその上に眠り、山にのぼる。
ヤマカガシ(毒ヘビ)を見つけると、頭を踏んづける。腹から溶けかけたカエルが出てきたら、この未消化カエルとヤマカガシとヒラタケを塩味のスープにする。
岩魚を釣ったら、内臓はスープ用にとっておき、卵は塩漬けにする。
岩魚は、さばいたら塩・胡椒をして、近くの枝にぶら下げておく。こうしておくと、よけいな水分が抜け出て、くん製づくりがうまくいく。
カエルは皮をむいて、毒腺から出た毒をよく洗い、内臓はごめんなさいと森に投げ、身だけをくん製にする。
夜は暗く、怖い。朝、明るくなると自然に目が覚め、ふたたび、光のもとに戻ってこれたことを感謝する。太陽の高さで時間を知り、雲の流れで天気を予想する。焚き火をおこして夜に備える。山のなかで、自分の身体がたしかに存在しているのを感じる。
サバイバル登山を経て、生きるための知識と能力が少しずつ増えているのが分かる。そして、自分が強くなった手応を感じる。
岩魚は、大物は刺身、その他はくん製にする。岩魚をさばくのも一仕事だ。ワタ(内臓)もアラも捨てない。捨てるのは、胃袋の中身とニガリ玉とエラだけ。それが岩魚への礼儀だ。
岩魚のくん製は、保存のきく行動食であり、おかずであり、味噌汁の出汁でもある。カエルは、おやつ専用だ。
岩魚を焚き火でくん製にするとき、3種類ある。汁っ気の多い塩焼き、しっとりとしたくん製、カリカリの焼き枯らし。
乾いた衣服と寝袋そして雨をさえぎってくれる空間があれば、そう簡単に人は死なない。
行動用の服と泊まり場用の服を分けておく。泊まり場用の服とは、毛の下着、ステテコとラクダのシャツ。完全防水を可能するビニール袋が必携。
朝は5時半から6時のあいだに出発する。そして午前9時を過ぎるまでザックはおろさないし、何も食べない。午前9時を過ぎたら1時間ごとに休みはじめ、ちょくちょく何かを食べる。昼の12時から14時までに、その日の泊まり場を決める。
いやあ、すごいですね、こんな登山家がいるのですね。恐れいりました。
(2015年12月刊。2400円+税)

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