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カテゴリー: 人間

3男1女、東京理Ⅲ合格、百発百中

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版  幻冬舎
著者の本を読むたびに思うことは、家庭が楽しいと子どもは伸び伸び育つこと、勉強も楽しいものにするコツがあるということです。なにより著者の自信にみちた笑顔が素敵です。こんな母親のもとで、一緒に楽しく勉強できたら、東大理Ⅲだってラクラク(!)受かるようになるのでしょうね。
著者の子育て勉強法はきわめて合理的です。子どもたちがいかにして楽しく勉強していけるか徹底して考え抜かれていますので、子どもが東大理Ⅲを目ざさなくても、大いに参考になるところがある「絶対やるべき勉強法」に満ち充ちています。
楽しく勉強するための道具と工夫として、カラー写真でランチボックスや赤ボールペン、特製ノート、プラスチックケース、カラーノートなどが紹介されています。書棚だって、色分けされていますし、教科別、ジャンル別になっていますので、すぐに欲しいものが取り出せます。
4人目の子どもさんは女の子らしく見た目にこだわるのですね。ですから、いろいろなデザインや形、色のランチボックスを買いそろえ、なんと、中学・高校を通して50個以上は買ったといいます。そして、前日の夕飯の残りものを弁当に入れることはしなかったというのです。いやはや、たいしたものです。
著者の子育ての最終目標は、子どもたちが大人になって振り返ったとき、実家での両親や兄弟たちとの生活は楽しかったなあと思ってもらえること。これは大賛成ですね。私自身が達成できたかどうか、不安がありますが、それほど大きな失敗はしていないのではないかと考えています・・。
子どもに、「さっさとやりなさい」とか「きちんとやりなさい」と言ってもダメ。これでは具体性がないから効果がない。何を、いつ、どのようにするかを明確にして、子どもがやりやすいように仕組みをつくってはじめて、言葉が効力を発揮する。
父親は家庭では、「忙しい」とか「疲れている」と言ってはいけない。
勉強は楽しく教え、楽しく習いたいもの。
受け身でなく、主体的に勉強するのが成績を上げる唯一のコツ。
私は、著者の配偶者から贈呈いただきましたが、245頁、1300円の本です。買って読んで損は「絶対に」しません。一読をおすすめします。
(2017年10月刊。1300円+税)

子ども受容のすすめ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 関根 正明 、 出版  学陽書房
ながく中学校の教師として生徒に接してきた体験にもとづくものだけに説得力があります。
こちらの気持ちをそのまま受け取ってくれること。それを受容という。器量の大きな人は、とにかくはじめに受容してくれる。こちらの話を最後まで聞いてくれ、その後、自分の感じたことを静かに話す。こちらが話している途中で、話の腰を折ったりせず、はじめは、ともかく受容してくれる。
上手に付きあうことの根本が、この相手を受容することにある。
人間とは不思議な存在である。自分のことでありながら、自分のことがまるで分からない。
人間の成長する過程で、よくやった、えらい、ほう、なかなかうまいね、たいしたものだ、よくやるもんだ、感心だなあ、アタマいいねえ、うまいものだ、そんな言葉を多くかけてもらえた人ほど幸福だ。反対に、なんだ、そのやり方は、何、やってるんだ、へただなあ、もう少しマトモに出来ないのか、何だ、こりゃあ、さっぱり分からんよ、なんて言葉ばかり与えられて育った人は、マイナスの自己概念、潜在意識、潜在観念を植えつけられるので、不幸だ。
受容は、人の心を安定させる。自分の心が安定しているから、相手を受容できる。許容に比べて、受容は大きい。受容が全面的なのに対して、許容は部分的。
子どもは、幼いときには、それなりに親の期待に応えようとする。自分が無理をしても親の期待にそって親を喜ばせようとする。そのとき、子どもは心理的に無理している。しかし、子ども本人は無理しているとは考えていない。
親の情緒不安、穏やかな表情は、子どもにとっての安定感となる。逆に、親の情緒不安定、険しい表情は、子どもにとって落ち着いていられないものになる。
人は、一般に、広く深く世の中のことを知り、いろいろな体験をしていくうちに角がとれ、丸みができてくる。自己受容して自分が情緒的に安定するうえでも重要なこと。そのためには、多くの分野の本を読み、音楽、美術、芸能に親しむこと、多くの人々とつきあう必要がある。
人間は、所属している集団のなかで自分を何らかの形で表現したいという欲求をもっている。これを自己表出欲求という。そして、その集団に自己の存在を認めてもらいたいという欲求をもっている。これを社会的承認欲求という。この二つの基本的欲求が充足されて人間は情緒的に安定する。
実は、この本は25年以上も前の本なのです。書棚の奥に眠っていた積ん読く本をタイトルに惹かれて読んでみたのでした。読んで良かったと思いました。
(1999年3月刊。1359円+税)

みんなが笑顔になる認知症の話

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 竹田 伸也 、 出版  遠見書房
ガンという病気も身近な存在ですが、同じように認知症も恐ろしく身近にある病気ですよね。
現在、65歳以上の人のうち、7人に1人、500万人が認知症。これからますます増え、2025年には65歳以上の人の5人に1人が認知症になると予想されている。認知症の一番のリスクは、「年をとること」にある。認知症は、脳の老化がもとで起こる脳の病気。
大脳が壊れてうまく働かなくなり、日常生活に支障が出てしまう病気。
脳の奥深くにある大脳基底核や小脳は認知症によって障害を受けにくい場所なので、動作として覚えた記憶は残る。
認知症でもっとも多いのは、アルツハイマー型認知症。
ヒントを与えられると思い出せることは「再認」といい、これが出来ないのが病的なモノ忘れ。
認知症になると、それまで当たり前のように出来ていたことが、当たり前でなくなる。
認知症は死因となりうる病気。
認知症は、長い時間をかけて、少しずつ症状があらわれる。認知症と診断されたあとも、しばらくのあいだ一人暮らしをしている人は多い。
認知症は早目に見つけることができると、薬によって進行を遅らせることができる。
認知症の予防は、認知症になりにくい生活習慣を送ることが大切。ストレスをためるのは認知症にとって良くない。
認知症の人への対応の基本は「安心」を届けること。
相手が怒り出したら、ほとぼりが冷めるまで、しばらく相手から離れていること。まずは相手の訴えをよく聴く。そして否定も肯定もしない対応をする。相手の尊厳を支えるコミュニケーションをする。
読んでるとチョッピリ安心も出来る、認知症についての本です。
(2016年11月刊。1400円+税)

息子カムは今日もゆく

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 しおり 、 出版  セブン&アイ出版
難聴のため話せない、そのうえ発達障害、睡眠障害をもつ息子との日々の「格闘」が、ほのぼの系のマンガに描かれています。
母親になった女性の偉大さには、まったく頭が下がるばかりです。毎日毎日、本当に大変だと思うのですが、この4コマ、マンガに描かれているカム君は、まさしく愛すべき存在です。ママとの毎日のかかわりは、ほほえましいエピソードにみちみちています。なるほど、こうやってマンガのネタになるといいものですね・・・。
カム君は胎児のときにサイトメガロウィルスによって、生まれつき耳が聞こえません。そして、話せません。発達障害、睡眠障害、摂食障害があります。感覚過敏で、強いこだわりがあります。10歳になっても、まだオムツがとれないようです。それでも親は、カム君と一緒に大笑いしたり、喜びや楽しみがあり、こうやってマンガに描ける幸せがあるのです。これはこれで、本当に人間らしい素晴らしい生き方だと私は思いました。
インスタグラムで2万人がフォローしているということですが、なるほど、それだけの価値はあります。ほのぼの系のマンガ(絵)なので、なんだか見ている人の気持ちが、ほっこり、ゆったりしてくるのです。
実際の日常生活は、なにかと大変だろうと思いますが、こうやって幸せ感を世の中に広めてくれる「ママ」の力は偉大です。
一人でも多くの人の目に触れてほしいマンガです。
(2017年5月刊。1000円+税)

アンのゆりかご、村岡花子の生涯

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 村岡 恵理 、 出版  新潮文庫
「赤毛のアン」は、私も昔よみました。カナダのプリンス・エドワード島の大自然の描写に心が強く惹かれたことを覚えています。その訳者の村岡花子の生涯を孫娘にあたる著者が時代背景をきちんとふまえて丹念に文章化していて読ませます。
村岡花子が「赤毛のアン」を翻訳したのは戦前だったのですね。そして、出版されたのは、敗戦後7年たった1952年(昭和27年)5月のこと。1冊250円の本が圧倒的に人気を集めたのでした。日本中の若い女性たちの心をつかんだのです。それには訳文の素晴らしさもありました。なにしろ村岡花子はカナダ人教師たちから徹底して教育され、英語が抜群にできたうえ、実は日本語の素養も深かったのです。
翻訳するには単に英語ができるだけではダメ。日本の古典文学や短歌俳句に触れておくことも大切。季節や自然、色彩、情感を表現する日本語の豊かな歴史を体得しておく必要がある。豊富な語彙(ごい)をもち、そのなかの微妙なニュアンスを汲んで言葉を選ぶ感受性は、英語の語学力と同じくらい、いや、それ以上に大切な要素である。
村岡花子は、7歳のときに大病をした。そのとき、次のような辞世の歌を詠(よ)んでいる。
まだまだとおもいてすごしおるうちに はや死のみちへむかうものなり
す、すごいですね。これが7歳の少女の辞世の句ですか・・・。
幸い病気が治って学校に戻ったときに、次の歌を詠んだ。
まなびやにかえりてみればさくら花 今をさかりにさきほこるなり
村岡花子の父親は社会主義者だったとのこと。勉強のよく出来た花子をミッション・スクー
ルの寄宿舎へ入れたのでした。華族の娘たちのたくさん通う学校に入って、初めのうちは気遅れしていた花子は猛勉強し、英語力を身につけました。
東洋英和女学校時代の花子の友人に、柳原白蓮(燁子・あきこ)がいました。炭鉱玉と結
婚し、東大生の宮崎青年と駆け落ちしたことで有名な白蓮です。
 英語がとてもよく出来た村岡花子ですが、実はアメリカにもカナダにも行ってなかったとのこと。これには驚きました。そしてプリンス・エドワード島には娘たちとともに行く機会があったものの、「現実を目にすれば、心の中で慈(いつく)しんでいた想像の世界が失われてしまう恐れ」があるとして、「夢を夢のままで置いておく」ために結局、行かなかったというのです。これまた、すごい決断です。
 花子を取り巻く家庭と社会状況の変遷が大変よく分かる本になっています。
 クリスチャンだった実母が死んだとき、仏式の葬式を営んだということにも驚かされました。形式ではなく、実質を尊重したのですね・・・。
 「赤毛のアン」シリーズを再読してみたくなりました。
(2014年6月刊。750円+税)

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