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カテゴリー: 人間

脚本力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 倉本 聰 、 出版 幻冬舎新書
 脚本家としてプロデューサーと会って話をして、創作本能が揺さぶられるようなら受ける。そうでないなら、断る。実に単純明快。
 長所が見えただけでは、その人を理解したってことにはならない。欠点が見えないと、面白くない。欠点をきちんと書いてやれば、必ずそれが個性になって出てくる。本人も気がついてはいるけれど、困りはてている欠点、隠しきれなくて困っている欠点、それがつかめたら、もうしめたもの。
 テーマとモチーフは違う。テーマは主題で、モチーフは創作の基礎になる着想ないし題材。テーマは、作者の伝えたい「核」。自分が本当に書きたいもの。つまりテーマを、相手の持ち出したモチーフの中に忍び込ませる。
ある原作にもとづいて脚本をつくるとき、原作は全部読まず、読むのは最初の3頁くらいで、あとは誰かに読んでもらって、粗筋(アラスジ)を教えてもらう。そうすると、原作にとらわれずに脚本が書ける。
なーるほど、そんな手もあるのですね…。
脚本の中で人物をつくりあげるとき、三つの要素から人物をつくっていく。その一は、モデルとして実在の人物を見る。その二は、それを演じる役者。その三は、自分の創作。この三つを登場人物によって比率を変えていく。
ふむふむ、なるほど、なるほど、です…。
登場人物の名前は大切。まず書きやすいこと。簡単に、どこかでてごろな名前を拾ってきてはいけない。名前は、人物に色を塗ったり、色を足すものだったりするので、大事だ。
ドラマでは、意外性というのも大切。
チャップリンは、こう言った。
「世の中のことは、近くで(アップで)見ると、全部が悲劇だ。しかし、遠く離れて(ロングで)見ると喜劇だ」
まさに、それが世の中なんですよね。
創作というコトバがある。しかし、創と作は違うもの。作は、知識とお金を使って、前例にならって行うこと。創のほうは、前例のないものを、知識ではなくて知恵によって生み出すこと。
創の仕事をしていると、楽しい。創るというのは生きること。だけど、遊んでいないと創れない。同時に、創るというのは狂うこのでもある。遊ぶというのは楽しむこと。つまり、自分が楽しむこと。狂うっていうのは熱中するということ。
私も創作の創のほうに目下、挑戦中です。乞う、ご期待なのですが、どうなりますやら…。
(2022年9月刊。税込1034円)

僕らが学校に行く理由

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 渋谷 敦志 、 出版 ポプラ社
 いま、日本では少年の非行事件が激減しています。かつては毎日のように深夜に爆音を聞かされていましたが、暴走族という現象も見られなくなりました。子どもたちは、まるで去勢されたかのように家に閉じこもり、ゲームに終始しています。不登校、ひきこもりが日本社会の重大な病理現象の一つという状況が続いているのです。
 ところが、世界中を見渡すと、大勢の子どもたちが学校に行きたくてもいけないという状況がありふれています。戦争、そして貧困が原因です。
世界中には、就学年齢に達しているにもかかわらず、小学校に通っていない子どもが5900万人もいる。アフリカでは、サハラ砂漠より南の国の子どもの5人に1人は学校に通っていない。たとえば、南スーダン共和国の識字率は30%未満。国民も70%以上が適切な教育を受ける機会を奪われている。この国では内戦によって、16万人以上が国内避難民となり、220万人以上が隣国に逃れて難民生活を余儀なくされている。
バングラデシュでは、国民の7割近くが農村に住んでいる。そのほとんどが自分の土地を持っていない貧困家庭。子どもたちは自ら働きはじめる。5歳や7歳から働いている。それは学校にいけないことを意味する。
カンボジアでは、親から暴力を振るわれたりして、子どもたちがストリート・チルドレンになる。周囲の人間に対して強い不信感をもち、反抗的で暴力的なところがある。そして、人身売買の対象になっていく。
 アフリカのウガンダには日本の「あしなが育英会」が開設した「テラコヤ」がある。エイズなどで親を喪った遺児を支援して教育の機会を提供するもの。ウガンダでは、子どもの教育にお金がかかるので、そこを埋めようとする取り組みだ。日本政府はハコモノづくりよりも、こんな援助にこそ、もっと力を入れるべきだと私は思います。
ウガンダで学校を途中で辞めざるをえなくなった少女シャロンは、自分の夢を語った。
「私の夢はいつかまた学校に行って勉強をやり直すこと。そして、将来、医者になって家族を助けたい」
岸田首相は、軍事予算を増やすことしか頭にないようですが、もっと人間を大切にする政策にお金を使ってください。
バングラデシュで大洪水によって被災した少女マクーシャはこう言った。
「将来は、先生になって家族を助けたい。村の子どもたちに勉強を教えたい。そのためにも勉強をがんばりたい」
日本の子どもたちも、社会に大きく目を開いて、自分の存在を社会と結びつけて考えられるようになれば、すすんで学校に行きたいと思うようになることでしょう。
カネ、カネ。万事がカネ。そして、ガンジ・ガラメの校則。もうこんなのはやめましょうよ。もっと伸びのび、ハツラツと子どもたちが生きられる温かい社会を目ざしましょう。
目がキラキラ輝いている素敵な子どもたちの、いい写真をたくさん、ありがとうございました。
(2022年8月刊。税込2420円)

吉野源三郎の生涯

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 岩倉 博 、 出版 花伝社
 『君たちはどう生きるか』は、最近読みましたが、本当によくよく考えさせてくれる、いい本です。そして、驚くべきことに、この初版本は戦前に刊行されているのですよね。すごいことです。
 「日本少国民文庫」の編集主任をしていた吉野は、最終巻を書くはずの山本有三(『路傍の石』の著者)が病気のため書けなくなったので、その代わりに吉野が書くことになった。
 吉野は1936年11月、執筆に取りかかった。1936年といったら、2、26事件が起きて、日本がキナ臭い雰囲気にあったころのことですね。
 教育・文化の軍国主義化が進むなか、ナポレオン的武勇が賛美され、人間らしさや人類の進歩をいう視点が子どもたちには欠けている。感受性が柔軟で、価値感情が汚れていないうちに、多様な価値意識の必要性、人間の素晴らしさ、人間らしい価値を伝えたい。少年たちの日常的で平凡な事柄を手がかりに、それらの思索を推し進めていくような方法を…。
 1937年5月に吉野は書き終わり、7月に刊行された。この本を読んで、丸山真男は感動し、常盤炭鉱の労働者たちは読者会のテーマ本とした。これって、すごいことですよね。
 最近でたマンガ本もよく出来ています。感心しました。
 1936年から37年に書かれた本というより、現代日本の世相にぴったりマッチする本。現代に生きる本です。
 吉野源三郎は1922年4月に東大経済学部に入学し、大正デモクラシーの洗礼を受けています。東大には新人会という社会科学やマルクス主義に関心を寄せる学生たちのグループがありました。そのなかに吉野もいたのです。そして吉野は、経済学部から文学部哲学科に移りました。
 当時は徴兵制がありました。吉野は甲種合格なので、3年は兵役に就かなければいけません。そこで、1年志願制で兵役に就いたのです。いやあ、私は徴兵制のない時代に生きて、本当に良かったと思います。吉野は陸軍砲兵少尉でした。
 そして、マルクス主義に近づき、実践活動に誘われたのです。治安維持法にひっかかって、3回も逮捕されていますが、少尉階級の在郷軍人なので、普通裁判ではなく、軍法会議にかけられました。このとき、吉野は自殺未遂もしています。
 結局、吉野は岩波書店に入社しますが、岩波茂雄は「治安維持法のおかげで、優秀な人間を獲得できた」と喜んだとのこと。うむむ、そういう表現もできるのですね。
 そして、1938年に、吉野は岩波書店から、居間に続く岩波新書(赤版)を発刊したのでした。
 岩波新書には、私も大変勉強させてもらいました。モノカキを自称する私も、一度は岩波新書レベルの本を書きたいものだと夢見ています。
 1938年11月に、岩波新書として20冊が同時発売されたというのですから、たいしたものです。
 戦後、岩波新書(青版)が再刊された。定価は70~100円。1万3千部から1万8千部の発行部数。私も大学に入ってから、むさぼるように読みました。駒場寮で読書会もしました。
 戦後、吉野は憲法改正反対、ベトナム戦争に反対、核兵器なくせ、などの実践課題に深く関わった。
 東大全共闘の代表になった山本義隆は吉野の娘の家庭教師をしていた。しかし、吉野は全共闘の暴力主義路線には一貫して批判的だった。これには私も関わっていますので断言できますが、全共闘の本質は暴力賛美にあります。全共闘を今なお持ち上げようとする人が少なくありませんが、私は本当に無責任だと思います。これって、ロシアの戦争を手放しで肯定するのと同じことなんです。なにしろ、「敵は殺せ」を公然と掲げていたのが全共闘なのですから。そして、全共闘は内ゲバによって、何十人という人が殺され、傷ついたという現実をぜひ直視してほしいと思います。
 吉野源三郎の生き方をたどることのできる本でした。
(2022年5月刊。税込2200円)

歌集・空白地帯

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 柳 重雄 、 出版 現代短歌社
 私と同じ団塊世代の、埼玉で今も弁護士として活躍している著者による短歌集。
 著者は高校・大学と短歌をたしなんでいましたが、司法試験を経て弁護士活動のなかで短歌とは遠ざかっていたとのこと。ところが、2017年に奥様が亡くなられて、初心を思い出して短歌の道に邁進して、今回の歌集にたどり着いたそうです。
 私には短歌の良さがよく分かりませんが、私の心にヒットしたものを少し紹介してみます。
 まずは、高校生のときから大学生初めのころまでの作品です。
 雫(しずく)這う ガラスの外は 今宵のあめ 受話器にきみの声 明るくて
 きみを乗せ 雨の夕べに 動き出す 列車のあとに来る 悲しみは
 薄闇に 木々の塊 くろぐろと 己に迫る 底深きもの
 頬に五月のひかり 射せども 林立するゲバ棒の前に たじろぐ思索
 これらは初恋の思ひ出、そして学園闘争の渦中での心象風景だと思いました。
 続いては、今は亡き奥様を偲んでいる短歌です。著者の長女がフランスはパリに留学していて、奥様と何回も訪問したとのこと。その楽しい思い出が何回となく思い出されています。
 セーヌ川 の風さわやかに パリの街 暮れつつ灯(あかり)が ともり始めて
 オペラ座の 大通り行く この夕べ 妻と腕組み パリジャンとなる
 カルカッソンヌの 町を囲める 城壁を 妻と歩めり 風に吹かれて
 著者と同じく、私もフランスには何回も行きました。ロワールの城めぐり、モン・サン・ミッシェル、リヨン、カルカッソンヌ、トゥールーズなど、行ったことのある町の風情を思い出します。
 そして亡き奥様を思い出す思いの哀切さ…。
 君を恋う 最もリアルな 感情を 詠(うた)いえたるは 君逝きし時
 背広着て スーパーに菜(さい) 買うときに ふいにこみあげ きたる悲しみ
 灯明の 炎の中に 君がいる そう思いつつ 君と会話す
 たたなずく 雲の向こうに 君はいて メールの返信 返ってきそう
 長年の知己である著者から贈呈していただきました。お互い、健康に留意して、もう少し現役の弁護士としてがんばりましょうね。
(2022年12月刊。税込2750円)

裸で泳ぐ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 詩織 、 出版 岩波書店
 レイプ犯(今も臆面もなく表通りを歩いているジャーナリストの山口敬之氏)が逮捕される寸前で、中村格という幹部警察官(ついに警察庁長官にのぼりつめたものの、安倍銃撃事件で引責辞任を余儀なくされた)がストップをかけたというのを忘れるわけにはいきません。
 そして、その被害者がどんな心境に置かれるのかが赤裸々につづられている本です。
 レイプの被害者が実名を出し、マスコミに顔をさらすと、70万件ものネットの書き込みがあった。そのうち名誉毀損的なものは3万件、グレーなものも5万件あった。いやあ、大変な数ですね。私の想像を絶します。いったい、この書評をどれほどの人が読んでいるのか、ときに知りたいと思います。少し前に聞いたときは、1日に300件ほど、ということでした。
なので、今でも、著者は自分へのネットは自分では開けず、スタッフに開いてもらっているとのこと。
 そして、交際していた彼も、ネットのほうを信じて、「本当のことを聞きたい」と著者を問いつめたとのこと…。いやはや、ネットの恐ろしさといったら、すごいものなんですね。
 この痛みと苦しみを鎮めてくれる薬など存在しない。周りから、時間が解決してくれる、時間がたてば痛みが和らぐからと言われることに、うんざりした。いったい、どれくらいの時間を彼らは言っていたのだろう。おばあちゃんになったら…?元「慰安婦」のハルモニは、苦しみは死ぬまで終わらないと言っている…。
 モンスターは、心の中に潜んでいて、内側から私を引き裂こうとする。私はモンスターじゃない。でも私は、心の中のモンスターとは、もう引き離されることがない。それは私の一部になっていて、自分自身の一体感を感じられないことが、モンスターのせいにされている。
 でも、私は思う。私の中には、もともとモンスターが住んでいたんだと。たぶん、モンスターは、誰の心の中にも潜んでいる。大きくなると、自分でコントロールすることが難しく、心を内側から引き裂いていくんだ。
 著者は高校のときからアメリカ留学したりして、英語のスピーチのほうが日本語より、よほど言いたいいことが言えるとのこと。すごいですね。そして、あふれんばかりの好奇心と行動力、そして何より鋭敏な感受性に心を打たれました。
 著者の肩書は映像ジャーナリストとのこと。残念ながら、その映像を見たことはありません。
(2022年10月刊。税込1760円)

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