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カテゴリー: 人間

奇跡の脳

カテゴリー:人間

著者 ジル・ボルト・テイラー、 出版 新潮社
 37歳の若さで脳卒中に倒れた女性脳科学者が、8年後に見事カムバックしたという、奇跡そのものの実話です。本人が脳卒中に倒れた直後の状況を生々しく再現しているのも驚きです。実況中継しているかのようです。
 著者が脳卒中を起こして倒れたのは、1996年12月10日の朝7時のこと。
 眠たくて仕方がなかったとき、突然、左目の裏から脳を突き刺すような激しい痛みを感じた。のろのろと起き上ったものの、目の後ろのズキズキする痛みは鋭く、ちょうどカキ氷を食べたときにキーンとくる、あの感じだった。
 茫然自失のうちに、ズキンズキンとする激痛が脳のなかでエスカレートしていく。
 頭の中に、予想外の騒音が、鋭敏になって、痛む頭を直撃した。
 何が起きてるの? こう自問した。正常な認識能力は途切れがちで、無能力状態になっていたが、どうにか身体を動かしてみた。脳は酩酊状態のような感じ。からだは不安定で重く、動きも非常に緩慢だ。右腕は完全に麻痺して、からだの横に垂れ下がってしまった。
 これほど劇的に精神が無力になっていくのを味わっていても、左脳の自己中心的な心は、生命は不死身だという信念を尊大にも持ち続けていた。いずれ完全に回復できると楽観的に信じていた。
 まったく自覚のなかった先天性の脳動静脈奇形によって大量の血液が大脳の左半球にどっと吐き出された。左脳にある高度な思考中枢に血液が降り注いだため、認知能力の高い機能が失われていった。
 これまでの、からだの境界という感覚がなくなり、自分が宇宙の広大さと一体になった気がした。まぶたの内側では、稲光の嵐が荒れ狂い、頭では雷に打たれたかのような耐え難い痛みが脈動している。体の向きを変えようとしても、限界以上のエネルギーを必要とした。空気を吸うだけで、肋骨が痛む。目を通して入ってくる光が、火炎のように脳を焼く。しゃべることができないので、顔をシーツに埋め、明かりを暗くしてくれるように訴えた。
 著者は精神的には障害を抱えたものの、意識は失わなかった。人間の意識は、同時に進行する多数のプログラムによって作られている。
 外部の世界を知るための知覚は、左右の大脳半球のあいだの絶え間ない情報交換によって、見事に安定している。皮質の左右差によって、脳のそれぞれ半分は少しずつ違う機能に特化し、左右が一緒になったときに、脳は外部の世界の現実な知覚を精密に作ることが出来る。
 自我の中枢と、自分を他人とは違う存在とみる左脳の意識を失ったが、右脳の意義と、からだを作り上げている細胞の意識は保っていた。
 いつもは右脳より優勢なはずの左脳が動かないので、脳の他の部分が目覚めた。
 脳卒中は、現代社会でもっとも人を無力にする病気である。そして右脳より左脳の方で、4倍以上の確率で脳卒中が起きていて、言語障害の原因になっている。
 脳が治っていく過程で、一番力を発揮するのは脳である。そして、睡眠のもっている治癒作用に重きをおくことが大切だ。睡眠、そして学習と認知の訓練の間を縫って睡眠を取ることを大切にすべきだ。
 うまく回復するためには、できないことではなく、できることに注目するのが非常に大切。成功の秘訣の一つは、回復するあいだ、自分で自分の邪魔をしないよう意識的に心がけること。感謝する態度は、肉体面と感情面の治癒に大きな効果をもたらす。
 統合失調症と診断された人の多くが動く物体を見るときに、異常な眼の反応を示す。
 すごい本です。これほど脳卒中で倒れた現場からの、生々しい体験レポートというのはないのではないでしょうか。そして、脳の回復力にも圧倒されます。あきらめるのは早すぎるのです。
(2009年3月刊。1700円+税)

もうひとつの視覚

カテゴリー:人間

著者:メルヴィン・グッデイル、 発行:新曜社
 見えるというのはどういうことか。「見えない」のに見ている現実がある。意識としては見ていなくても、実は見ているというわけなのです。いやあ、人間の脳の仕組みって、本当に複雑なんですね。限られた容積内の脳を活用するとしたら、要するに組み合わせを変えていくしかないのだと、最近、私も思うようになりました。
この本に主人公として登場してくる女性はイタリア北部の村でプロパンガス中毒(一酸化炭素中毒)で危うく助かったものの、脳の一部が損傷してしまいました。彼女は外見上は何の障害もないように思われたのに、本人からすると何も見えなくなってしまった。ところが、形は分からないのに、物の色や濃淡を見分けることができたのです。なんということでしょう。それでも、やっぱり見えないことには変わりがありません。そして、運動能力には影響がなく、記憶や聴覚、触覚なども変わりませんでした。
彼女は、物が「見えない」のにもかかわらず、目の前にあるエンピツを指で正確につかむことができたのです。つまり、意識的な視覚ではない、気づかないところの視覚能力によって、運動できる能力を保持していたというわけです。
視覚システムにおいては、2つがまったく独立している。一つは行為を誘導し、もう一つは知覚を担当する。知覚を担当するのは腹側経路である。これは、外界に関する豊富で詳細な表象を伝えるが、自己を基準にした光景の詳細な計測情報を捨てている。
 行為の背側経路のほうは、行為に必要な自己中心座標で、物体の正確な計測値を伝えるが、その計算は一瞬のもので、たいていは選択された特定の目標物に限定されている。この二つのシステムはうまく調和しあう必要がある。たとえば、背側経路は、物体の大きさを計算していて、物体に手を近づけながら、空中で手の開き幅を調節している。
 背側経路は、いま現在の視覚入力にほぼ完全に支配されていて、単独では物体の重さを計算できない。背側経路だけでも物体の大きさを計算することはできるが、物体がどんな素材でできているかという点を理解するには、腹側経路が必要である。そして、腹側経路は大きさの計算も材質の計算もできる。結局、腹側経路は、ヒトの知覚体験を構築する上で、休みなく大きさを計算し続けているのだ。
テーブルの上にある物が何かを認識し、そこにある他のものと自分のカップとを区別できるのは腹側経路のおかげである。また、カップの取っ手の部分を選び出せるのも腹側経路のおかげである。しかし、カップの取っ手だと分かり、ある行為を決めてから、取っ手に手や指をうまく持っていけるかどうかは背側経路の視覚運動システムによる。
このように、外界に関する意識的な社会体験は、背側経路ではなく、腹側経路の産物なのである。そして、腹側経路の神経活動と視覚的意識との間には強い相関がある。腹側経路は視覚的意識の回路に必須である。腹側回路がなければ、視覚的意識は生じない。
腹側の知覚経路と背側の行為経路の間には、複雑だが、たえまない相互作用があって、適応的な行動が生み出されている。
うむむ、単に見るというだけでも、それって実は簡単なことではないのですね。とても面白い、脳に関する本でした。
(2008年4月刊。2500円+税)

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト

カテゴリー:人間

著者:ニール・シュービン、 発行:早川書房
 何十億年にわたって、すべての生物は水中にしかすんでいなかった。そのあと、3億
6500万年前の時点では、生物は陸上にも生息していた。水中と陸上という2つの環境における生活は根本的に異なっている。水中で呼吸するためには、陸上で呼吸するのとは非常に異なった器官を必要とする。排出、摂餌、運動についても同じ。だから、それまでとはまったく違った種類の体を作り出さなければならなかった。
 カエルとヒトのあいだには、並はずれた類似性がある。
 上腕・前腕・手首や掌さえもつ最古の動物は、ウロコと膜を持っていた。そして、その動物は、なんと魚だった。
 歯を知らなくして人体について理解することは、事実上、不可能である。歯を調べるだけで、その動物について多くを知ることができる。歯の隆起、くぼみ、畝(うね)は、歯の持ち主が何を食べていたかを反映している。歯は、動物たちの生活様式をのぞきこめる強力な窓になっている。
 哺乳類が持つ、もっとも際立った特徴のいくつかは耳の内部にある。哺乳類の中耳にある骨は、他のいかなる動物のものとも似ていない。哺乳類は、3つの耳骨をもつが、爬虫類や両生類には一つしかない。魚類は一つももっていない。
 爬虫類のアゴの一部を形成したのと同じ鰓弓(さいきゅう)が、哺乳類の耳小骨を形成していた。内耳は、流動性のあるゲル状のリンパ液で満たされている。このリンパ液のなかに、特殊化した神経細胞が毛のような突起を突き出している。リンパ液が動くと、神経細胞の末端サービサが反応する。頭を傾けると、リンパ液に満たされた袋の上にある小さな耳石が動く。すると、この「袋状のもの」に入っている神経端末の感覚毛が曲がり、それが「あなたの頭は傾いている」と知らせる。
 ヒトの感覚器は、地球の重力化で働くように調整されている。宇宙カプセルの無重力状態で働くようにはなっていない。浮遊しながら、ヒトの眼が視覚的な上下を記録していくと、内耳の感覚器はすっかり混乱してしまい、いとも簡単に気分が悪くなってしまう。宇宙酔いは切実な検討課題である。
 ヒトが酒を飲みすぎると、血液中に大量のアルコールを取り込むことになる。耳の管の内部のリンパ液には、最初のうちはほんのわずかしか含まれない。けれども、時間の経過とともに、アルコールが血中から内耳のリンパ液のなかに拡散していく。アルコールはリンパ液よりも軽いので、アルコールが入ってくるにつれてオリーブ油が対流を起こしてリンパ液が渦を巻く。この対流が酔っぱらいに大混乱を引き起こす。有毛細胞が刺激を受けて、脳は自分が動いているのだと考える。しかs、動いてはいない。人の脳が騙されているだけのこと。
 ヒトの身体の不思議、魚との異同などが語られている面白い本です。
(2008年9月刊。2000円+税)

プルーストとイカ

カテゴリー:人間

著者:メアリアン・ウルフ、 発行:インターシフト
 サブ・タイトルは、読書は脳をどのように変えるのか?です。
 人類が文字を読むようになってわずか数千年しかたっていない。ところが、これによって脳の構造そのものが組み直されて、考え方に広がりが生まれ、それが人類の知能の進化を一変させた。読むというのは、歴史上もっとも素晴らしい発明のひとつだ。
現在のヒトの脳と四万年前の文字を持っていなかったころのヒトの脳に、構造的な違いはほとんどない。なーるほど、字を読むというのも大きな進化だったのですね。
 アルファベットは、文字数を節約したことで、ハイレベルの効率性を手に入れた。楔形文字は900字、ヒエログリフは数千字を数えるのに対して、アルファベットはわずか26文字である。今日、世界にある3000言語のうち、文字をもっているのはわずか78言語でしかない。
 日本語の読み手は、漢字だけを読むときには中国語と同様の経路を使う。ところが、規則性が高く平明なかな文字を読むときは、むしろアルファベットの読み手に近い経路を使う。かたかなとひらがな、そして漢字との間を行き来しながら読み進める能力を備えた日本語の読み手の脳は、現存するもっとも複雑な読字回路のひとつを備えていると言える。     
アルファベット脳は、左半球の一部の領域のみを賦活させているのに対し、中国語脳は左右両半球の多数の領域を賦活させる。その結果、脳梗塞になったとき、中国語は読めなくなったけれど、英語は読めるということが起きる。
 ですから、日本人の多くが英語を苦手としているのは、脳の回路の運用が異なるからだという説には合理性があります。
 脳は、自らの設計を順応させる驚異の能力を備えているので、読み手はどんな言語でも、効率性を極めることができる。
言語の発達にとって大切なことは、子どもに対する話しかけ、読み聞かせ、子どもの言葉に耳を傾けることである。
 幼児期に身につけた語彙が少ないと、その後の成長過程で大きな差となって現れる。親との接触に乏しい子どもが多いせいか、アメリカの子どもの40%が学習不振児である。
 文章を追う目の動きは、一見すると、単純のように見える。いかし、実は、眼球は絶えずサッカードと呼ばれる小さな運動を続けており、その合間にごく瞬間的に停留と呼ばれる眼球がほぼ停止する状態が起こる。読んでいる時間の10%は戻り運動という、既に読んだところに戻って、前の情報を拾い上げる運動にさかれる。
いやあ、そうなんですか。目の働きと視野って、単純ではないのですね。
大人が読むときにサッカードでとらえられる文字数は8文字ほどで、子どもはそれより少ない。このおかげで、文章の行にそって周辺領域まで先読みすることができる。このようにして、常に先にあるものを下見しているので、数ミリ秒後に行う認識が容易になって、自動性が一層高まる。
 ディスレクシア(読字障害)を持つ天才・偉人は多い。トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなどである。彼らは小児期に読字障害を抱えていた。
 ところが、ディスレクシアの人々の大半は、非凡な才能に恵まれている。なぜか?
 ディスレクシアの人々の脳は、左半球に問題があるため、右半球を使わざるをえなくなり、その結果として、右半球の接続のすべてが増強されて、何をするにも独自のストラテジーを展開するようになった。文字を読むには不向きでも、建築物や芸術作品の創造やパターン認識には不可欠なものがある。
ディスレクシアは、脳が、そもそも文字を読むようには配線されていなかったことを示す、もっとも分かりやすい証拠である。
日本人が英語を長年にわたって勉強していても、ちっともうまく話せないのは、決して日本人が他の国の人より劣っているからではなく、脳の回路の使い方なんだということがよくわかる本でもあります。
 東京にあるちひろ美術館に行ってきました。高田馬場から西武新宿線に乗って各駅停車で20分ほどの上井草の駅で降ります。駅前に案内表示がありますので、それを見て踏切を渡ります。両側が小さな商店街になっていて、昔懐かしい駄菓子屋もありました。電柱に案内が出ていて、迷うことなく右折し、左折し、また右折するといった具合に住宅街のなかを歩きます。土曜日のお昼前、11月上旬の陽気でしたから、ちょうどいい散歩です。ちひろ美術館は、元は松本善明代議士(弁護士)の自宅をそっくり改造した新しい建物です。すぐ前にマンションも建っていますが、まったくの住宅街です。高級住宅地というのではありません。昔は練馬大根でもとれていたのではないかという感じです。
 空調のよくきいた部屋にちひろの絵があります。やわらかい、ふっくらした子どもたちの顔がなんとも言えず心を落ち着かせます。昔からちひろの絵は大好きなので、うちの子どもたちにもたくさん童話を読み聞かせしてやりました。
 ちひろの絵は、幼い子の小さな手指までしっかり描かれているうえ、ボカシが見事だったり、色彩感覚にも素晴らしいものがあります。絵の中の子どもたちは、動きはありますがどちらかというとじっとたたずんで、こちらを見つめています。変に胸騒ぎのする絵ではありません。
 ただ、戦火の中の女の子は、厳しく、寂しげな表情をしています。視線はあらぬ方向を見ていて、決して私たちと目線をあわせようとはしません。目線をあわせてニッコリ微笑んでくれるなんて期待できないのです。みている人の気持ちを悲しませます。戦争反対とただ叫ぶのより、よほど気持ちがひしひしと伝わってきます。
 たくさんのちひろの絵を眺め、ちひろのアトリエをのぞいて、すっかり満ち足りた思いで、また住宅街のなかをゆっくり駅に向かいました。いい一日でした。
 今度は長野にあるちひろ美術館にもぜひ行ってみたいと思います。
(2008年12月刊。2400円+税)

「声」の秘密

カテゴリー:人間

著者:アン・カープ、 発行:草思社
 声は人間が持つきわめて強力な道具であり、意思の疎通において何より重要なもの。声は体の一部であると同時に、心の一部でもある。
 誰かのことを本当に知りたいなら、その人が話すのを聞いた方がいい。
 いやあ、本当にそうですよね。聞いているだけでうっとりする声ってありますよね。その点、アソー氏なんて最悪です。聞いていると、悪代官かギャングを連想させてしまう悪声です。
 声は聴診器でもある。体の異常を絞り出し、病名まで教えてくれる。疲れも確実に声から聞き取れる。声はコミュニケーションのカギを握っている。にもかかわらず、その大切さをほとんど気づいていない。
 映画の吹き替えは、どんなにうまくやっても肝心の効果が薄い。私は映画は字幕版しか見ないようにしています。
海外に出かけて困ることの一つは、自分の国にいるのと違って、声から情報を引き出せなくなること。
 耳は1400種類の周波数(ピッチ)を聞き分ける。声の周波数と大きさとをさまざまに組み合わせると、耳は30万~40万の音を聞き分けている。
 自分の声の録音を聞かされると、自分の声とは思えないのは、自分の声を聞くときには、空気を解す(空気伝導)ではなく、骨を介して(骨伝導)聞いているから。いわば、自分の頭の中を通った音を聴いているから。
 胎児は、妊娠14週で音に反応しはじめ、28週で聴覚刺激に反応し、声を識別している。母親の声は胎児の心拍数を大幅に遅くする。心を落ち着かせるということだ。新生児は、生まれたその日から大人の話す言葉に合わせて体を動かしている。なーるほど、すごいですね。
 大人が年をとるにつれ、声は同性の親に似てくる。そうなんですよね。良かれ悪しかれ……。
 法廷で一番重要な道具は声だ。その使い方を心得ている者こそ偉大な弁護士と呼ばれる。場の雰囲気を声で自在に作り出せない弁護士は成功しない。いやあ、そういわれると、そうなんでしょうが……。
 失語症グループにアメリカのレーガン大統領(当時)の演説を聞かせると、腹を抱えて笑いだした。わざとらしさや嘘を声から感じ取ったのだ。ふむふむ、なるほど、ですね。
女性の声帯は1日に100万回以上も振動する。男性だと50万回ほど。男女の声が違うのは、咽頭・喉仏の違いによる。
 男性の方が声が低いのは、女性よりも咽頭が大きく、声帯も長く厚いから。思春期に体が変化した少年の声帯は1センチも大きくなり、喉仏が出るのに対して、少女の声帯は3、4ミリしか大きくならない。男性の声の平均ピッチ(周波数)は120ヘルツ。女性の方は225ヘルツである。
 生後6か月までは男児も女児も声の高さは85~97ヘルツ。生後1年たつと、女児は110ヘルツに上がるのに、男児は80ヘルツに落ちる。
 日本人女性ほど高い声で話す女性は世界のどこにもいない。日本人女性が丁寧にしゃべっていると、450ヘルツという異常なほどの高音になる。イギリス人女性は320ヘルツを超えることはない。
 ヒトラーは、書き言葉より話し言葉を好んだ。話す言葉には魔力があると考えていた。ヒトラーは洗練された演説手法を慎重に計算して用いていた。原稿を読むのではなく、主な項目とキーワードを記した大まかなメモを見ながら演説した。そうすると、自分の心の赴くままに話しているような自然さと親しさが感じられる。ヒトラーは野次を飛ばす人間にもうまく対処できたし、喝采を浴びたときには、拍手が収まりかけた絶妙のタイミングで口を開くコツを心得ていた。
 ヒトラーは会場のホールにわざと遅れて入っていく。そして、耐えがたいほど長く間をとった。それから、ゆっくりと語りだす。滑り出しの調子を低く抑えることで緊張を高めるのだ。次第に声を大きくしていき、野次を受けて口調も戦闘的になって、痛烈な皮肉を織り交ぜていく。叩き潰す、力、容赦なく、憎悪といった言葉を意図的に繰り返しながら自らを叱咤激励していき、ほとんどヒステリックといえる領域まで声を高くして強い憤りを吐き出す。最高潮になるとヒトラーの声はかすれる。だが、決して我を忘れることはない。
 普通の人が怒ったときの声は200ヘルツであるのに対して、ヒトラーの演説は228ヘルツもあった。この高い声と声にともなう感情が聴く者を受け身の状態に置く。
 ヒトラーの大演説はあまりに攻撃的だったので、聴衆が選べる選択肢は一つしかない。自分が攻撃されたくなければ、攻撃者に賛同するほかないのだ。
 いやあ、大変勉強になりました。学者って、ホントすごいですね。
(2008年10月刊。2200円+税)

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