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カテゴリー: ヨーロッパ

いくさの底

カテゴリー:ヨーロッパ / 日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 古処 誠二 、 出版  角川書店
 福岡県に生まれ、自衛隊にもいた若手の作家です。前に『中尉』という本を書いていて、私はその描写の迫力に圧倒されました。それなりに戦記物を読んでいる私ですが、存在感あふれる細やかな描写のなかに、忍び寄ってくる不気味さに心が震えてしまったのでした。
 『中尉』の紹介文は、こう書かれています。「敗戦間近のビルマ戦線にペスト囲い込みのため派遣された軍医・伊与田中尉。護衛の任に就いたわたしは、風采のあからぬ怠惰な軍医に苛立ちを隠せずにいた。しかし、駐屯する部落では若者の脱走と中尉の誘拐事件が起こるに及んで事情は一変する。誰かスパイと通じていたのか。あの男は、いったい何者だったのか・・・」
 今度の部隊も、ビルマルートを東へ外れた山の中。中国・重慶軍の侵入が見られる一帯というのですから、日本軍は中共軍ではなく、国民党軍と戦っていたわけです。そして、山の中の小さな村に駐屯します。村長が出てきて、それなりに愛想よく応対しますが、村人は冷淡です。そして、日本軍の隊長がある晩に殺されます。現地の人が使う刀によって、音もなく死んだのでした。犯人は分かりません。日本兵かもしれません。
 そして、次の殺人事件の被害者は、なんと村長。同じ手口です。
 戦場ミステリーとしても、本当によく出来ていると感嘆しながら一気に読みあげました。だって、結末を知らないでは、安心して眠ることなんか出来ませんからね・・・。
(2017年11月刊。1600円+税)

フリッツ・バウアー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  ローネン・シュタインケ 、 出版  アルファ・ベータ・ブックス
 アイヒマンを追いつめた検事長というのが本のサブタイトルです。映画にもなりましたので、私もみました。ドイツの未来のため、ナチの戦争犯罪の追及に生涯を捧げた検事長。ところが、順風満帆で追及できたわけではなかったのです。
 ドイツ人の多くは、ナチスのイデオロギーの下で実行した恐ろしい犯罪を戦後になって忘れることを望んだ。フリッツ・バウアーは、1950年から60年代にかけて、それを語るよう強く求め、それを議論すべきテーマとして取り上げた。それは、戦後のドイツ社会で激しい討論を巻き起こした。それまで語られなかったことを、白日の下にさらしたため、フリッツ・バウアーは多くの敵をつくった。
 ナチ政府においてナチスに追随していた者のほとんどが1950年代には司法および行政の機関に完全に舞い戻っていた。連邦刑事警察庁の指導的な47人の官僚のうち33人が元ナチスの親衛隊(S’S)の隊員だった。
 フリッツ・バウアーは、ユダヤ人であり、社会主義者だった。フリッツ・バウアーは1933年に強制収容所に収容されたが、生涯そのことを語らなかった。
ナチスの犯罪者を処罰できない裁判官は、最終的には犯罪者の仲間になる。裁判官が再び殺人集団の加担者になろうとしているのを黙認してはいけない。
 法律は法律なり。悪法であろうとも、法律である以上、それもまた法律なり。しかし、この理屈でナチス法を実行していた法律家を免罪してはならない。私も、そう思います。同じことは日本の戦前の司法官僚にも言えるわけですが、日本ではほとんどの司法官僚が戦後もそのまま温存されました。やがて青法協などの活動が盛んになって時代を大きく動かしていくのですが、それも1970年ころを境に弾圧されていきます。
 ドイツでナチス時代の犯罪行為を正面から取り上げたフリッツ・バウアーの不屈の勇気に日本人の私たちも大いに学ぶ必要があると思いました。
(2017年8月刊。2500円+税)

チャヴ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 オーウェン・ジョーンズ 、 出版  海と月社
チャヴとは、イギリスの労働者階級を侮辱することば。この差別用語は、ロマ族のことばで「子ども」を指す「チャヴィ」から来ている。いまや、インターネットでは、チャヴを笑い物にする悪意が満ちている。ロンドンの中流階級は下の階級に不安や嫌悪感をもっていて、それがうまく利用されている。なぜ、労働者階級への嫌悪感がこれほど社会に広がってしまったのか・・・。
チャヴということばには、労働者階級に関連した暴力、怠惰、十代での妊娠、人種差別、アルコール依存など、あらゆるネガティブな特徴が含まれている。
「プロール」とは、プロレタリアートを短縮した軽蔑語で、貧しいから無価値という意味を伝えている。
これには驚きました。マルクス『資本論』発祥の地でプロレタリアートが馬鹿にされているなんて、信じられません・・・。
最下層の人々を劣等視するのは、いつの時代でも、不平等社会を正当化する便利な手段だった。
労働党の議員には、かつては工場や鉱山の現場からスタートした人が多かった。今では、肉体労働していた議員は下院に20人に1人もいない。国会議員のうち、私立校出身者は国民平均の4倍以上。保守党議員は5人のうち3人が私立校の出身者だ。
イギリスのエリートには、中から上にかけての中流階級出身者があふれている。貧困者が犯罪を起こせば、似たような出身の全員が非難はされる。これに対して、中流階級の人間の犯罪はそうはならない。
公営住宅に住んでいるのは貧困層だけ。公営住宅の半数近くは、下から5分の1までの貧しい地区に存在する。30年前は、上から10分の1にあたる富裕層の20%が公営住宅に住んでいた。そのときと現在はまったく様変わりしている。
公営住宅にはイギリスの最貧層が住んでいるので、その地域はチャヴに結びつけられる。公営住宅は、社会の掃きだめのようになってきている。
イギリスの保守党は、裕福な権力者たちの政治執行部門だ。保守党の存在意義は、トップに君臨する人たちのために闘うこと、ここにある。それは、まさに階級闘争だ。ところが保守党は、多くの巧妙な手段で労働者階級の「個人」の機嫌をとって選挙に勝っている。
炭鉱労働者のストライキが敗北したとき、炭鉱労働者はイギリス国内でもっとも強力な労働組合をもっていたのに大敗してしまった。それでは、ほかの者にどんな希望があるというのか・・・。炭鉱労働者を叩きのめせるなら、ほかの誰でも叩きのめせるということ。残ったのは、長年の失望と敗北主義だった。この現実はイギリス映画『ブラス』とか『パレードにようこそ』によく反映されていると思います。
サッチャーたちの攻撃が始まったとき、イギリスの労働者の半数は組合員だった。それが1995年には、3分の1まで後退していた。
イギリスの貧困者は、1979年に500万人だったのに、1992年には1400万人になった。しかし、サッチャー哲学は、「貧困」は現実には存在しないとする。貧しい人々は、自分で失敗しただけのこと。貧困らしきものはあるかもしれない。しかし、それは個人のごく基本的な性格の欠陥だけのこと、こう考える。
いやはや、「自己責任」の論理で「貧困」をないものとするのですね。今の日本とまったく同じですよね、これって・・・。
サッチャーの得票率は最高でも44%。有権者全体の3分の1以上の支持は得ていなかった。それでも、サッチャーが勝ち続けたのは、サッチャーを支持しない熟練と半熟練労働者の60%がどうしようもなく分裂したからだ。
サッカーは、長く労働者階級のアイデンティティの中心にあったスポーツだ。ところが今では、億万長者のよそ者が支配する中流階級の消耗品になってしまった。労働階級のファンは、愚かな暴力に熱中する攻撃的なフーリガンと見なされ、排除されている。
イギリスは、今では階級のない社会という幻想がすっかり定着してしまっている。しかし現実には、これまで以上に階級化されている。
貧困層をマスコミが攻撃し、民間労働者に公務員への敵意をあおる。これって、まるで、現代日本でやられていることですよね。日本の近未来が、こうあってはならないと思わせるに十分なイギリス社会の矛盾を鋭く分析した本です。
(2017年9月刊。2400円+税)

アフガン・緑の大地計画

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 中村 哲 、 出版  石風社
著者は福岡県人の誇り、いえ、日本の宝のような存在です。今なお戦火の絶えないアフガニスタンで、砂漠を肥沃な農地へ変えていっている著者の長年にわたる地道な取り組みを知ると、これこそ日本がやるべきことだと痛感します。
残念なことに現地に常駐する日本人は著者ひとりのようですが、一刻も早く日本の若者たちが現地の人々と交流できるようになってほしいものです。
この本を読むと、砂漠地帯に水路を開設することの大変さが写真と図解でよく理解できます。日本から最新式の大型重機を持ち込んだら工事は速く進捗するかもしれませんが、その管理と保全策を考えると、現地にある機材をつかい、現地の人が技能を身につけるのが一番なのです。その点もよく分かります。
それにしても著者の長年の現地でのご苦労には本当に頭が下がるばかりです。すごいです。養毛剤の使用前と使用後の比較ではありませんが、砂漠で防砂材の植樹を開始したころ(2008年)と現在の緑したたる農場の二つを見せられると、涙がついついこぼれてきます。
農場で育つ乳牛でチーズをつくり、サトウキビから黒砂糖をつくる写真を見ると、これこそ平和な生活の基礎をなすものだと思います。アフガニスタンは、今は砂漠の国と化していますが、本来は豊かな農業国なのですね。水さえあれば、なんとかなるのです。
ところが、急流河川が多く、真冬の水位差が著しい。山麓部にある狭い平野で集約的な農業が営まれているというのがアフガニスタンの特徴。干ばつが起き、ときに大洪水が襲う。
重機やダンプカーをつかってコンクリートの突堤を築いても、その場は良いかもしれないが、長期間もつ保証はない。また、コンピュータ制御は、まともに電気がこない地域なので、無理。そこで登場するのが、福岡の取水堰の経験なのです。
この計画の全部が完成したら、耕地面積1万6500ヘクタール、60数万の農民が生活できるうえ、余剰農産物をアフガニスタン各地へ送ることができる。なんとすばらしい計画でしょうか。日本政府も財政的な後押しをすべきだと私は思います。
著者が現地の人々と一緒に苦労して水路を開設して農地をよみがえったおかげで、ジャララバード北部4郡は、抜群に治安が良いとのこと。ケシ栽培も皆無。食べ物を自給できる。ところが、ジャララバード南部は耕作できないため、多くの失業者を生み出した。現金収入を求めて、やむなく兵士、警察官、武装勢力の傭兵になっていく。治安は過去最悪となっている。やはり、生活が安定しないと、暴力抗争も発生してくるのですよね。
アフガニスタンの農村はかつての日本のように、強い自治性をもっているようです。
したがって、国家的な管理・統制はあまり効かないのです。援助するにしても、現地の自主性を尊重しながらすすめるしかありません。そこを、著者たちは長年の行動で強固な依頼関係を築きあげているのです。
この15年間の歩みが豊富な写真と解説によって私のような土木素人にもよく分かるものになっています。著者が、今後とも身体と健康に留意されてご活躍されることを同じ福岡県人として心より願っています。一人でも多くの人に読んでほしい本です。
(2017年6月刊。2300円+税)

マーシャの日記

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版  新日本出版社
マーシャは、1927年にリトアニアに生まれたユダヤ人。父は弁護士で、ナチス・ドイツと戦った。母と妹・弟はゲットー閉鎖のときに射殺され、マーシャだけ強制収容所に入れられ、苛酷な環境の下で、奇跡的に生きのびました。
14歳から17歳の少女になるまでの3年間、ずっと書いていた日記をもとに当時の状況が刻明に再現されています。
マーシャはあちこち移動させられていますが、日記を持ち歩いていたようです。その意味でも幸運でした。「生きて帰れたら、自分で話そう。帰れなかったら、日記を読んでもらおう」と日記の冒頭に書いています。
マーシャは、非人間的な状況のなかで記録することを使命としてメモを書き続けた。ゲットーで、また強制収容所で。紙と鉛筆を探し、書いたメモを隠し、書けないときには「記憶術」で頭に焼きつけて、記録し続けた。
解放された直後のマーシャの顔写真がありますが、いかにも聡明な美少女です。
マーシャの父親は弁護士として、さらに国際革命運動犠牲者救援会(モップル)に所属して、地下活動をしている共産主義者たちを裁判で弁護していた。
マーシャは、明日死ななければならないと思うと、恐ろしかった。ついこの間まで勉強したり、廊下を走ったり、授業で答えていたのに、突然、もう死ぬなんて、嫌だ。だって、まだ少ししか生きていないのに・・・。それに、誰ともお別れをしていない、パパとさえ・・・。
ユダヤ人はゲットーに入れられた。ゲットーの門の外側には、「注意!ユダヤ人街区。伝染の危険あり。部外者の立入禁止」と大書した看板がある。
第二ゲットーが閉鎖された。そこには9000人がいた。明け方、マーシャたちのいる第一ゲットーの門の近くで、第二ゲットーからはいずって逃げてきた産婦が見つかった。路上で子どもを産み、たどり着けずに死んだのだ。生まれたばかりの女の子はゲットーに運び込まれた。赤ちゃんには、ゲットーチカという名前がつけられた。
ゲットー内でコンサートが開かれていたのに驚きました。劇も上演されていたのです。
やはり、苦しいときでも文化は生きる希望として必要なのですよね。
コーラスもあった。困難なほど、情熱が燃える。オーケストラには団員が集まっている。
ナチスは、女性が化粧品を使うことを禁止し、装飾品をつけてはいけないと命令した。干からびた口紅が路上にあるのを見て、そばにいた女性を殴りつけた。
ユダヤ人警察として熱心にしていた男性が銃殺された。どんなに特権を与えられていても、どんなに熱心に占領軍・ナチスに尽くしても、結局のところ、ユダヤ人共通の運命は避けられなかった。
収容所のなかで、マーシャは幸運にも針を見つけた。ほんものの、ちゃんとした針。拾うためにかがみこんだのを見られて護送兵に殴られたけれどマーシャは平気だった。少なくとも、服をちゃんと繕えるから・・・。
マーシャは木靴をもらうとき、囚人番号5007が受領したと記録される。ここでは、姓も名前もなく、あるのは番号だけ。
この世には、収容所と作業と空腹と、そしてものすごい寒さ以外には存在しない気がする。点呼中に誰かが動いたように思われると、罰として、極寒の中に夜中まで立たされる。
大勢の男性が収容所から連れ去られた。道路や野原の地雷を除去するために。それは、地雷に触れて飛ばされるまで、地雷が埋まっている野原をただ歩かされるということ。
マーシャは、ソ連赤軍により解放されたときには18歳になっていました。そして、マーシャは、戦後になって自分の日記を出版し語り部になったのです。
マーシャは昨年(2016年)に亡くなりました。89歳だったのですから、少女期に苛酷な体験しても長生きできたわけです。
このような体験記は永く読み継がれていく必要があると思いました。戦争の愚かさを知るために。安倍首相のように力づくで北朝鮮をおさえこもうとしても悪い方向に動くだけです。もっと、広い心で対話を試みるしかないと思います。この秋、一読をおすすめします。
(2017年8月刊。2200円+税)

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