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カテゴリー: ヨーロッパ

チャップリン、未公開NGフィルムの全貌

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:大野裕之、出版社:NHK出版
 大変な労作です。なにしろチャップリンの映画でNGになったフィルムを全部をみた人は世界に3人しかいないというのに、33歳の日本人がその一人だというのです。たいしたものです。この若さで日本チャップリン協会の会長だというのも当然の偉業です。2年間にわたってロンドンでNGフィルムを見たというのです。
 チャップリンは台本なしに映画をとっていたといいます。台本を書くようになっても、現場でのひらめきや即興演技を何度もやり直すことによって作品を完成させていった。一人で監督・脚本・主演を兼ねていたチャップリンは、自らの演技をフィルムに収めて吟味し、何度も撮影をやり直した。
 チャップリンは、あくまでギャグの論理性、必然性にこだわった。だから脈絡のないシーンは大胆にカットされていった。膨大なNGフィルムが残されていたわけです。
 チャップリンはNGフィルムを焼却処分するように命じていた。しかし、スタッフがチャップリンの命令に反してスタジオに保管していた。良かったですね。今となっては大変貴重なフィルムですよ。
 チャップリンは両親ともミュージック・ホールの歌手だった家庭に生まれた。だから、5歳のときに初舞台をふんでいる。その後、ずっと舞台芸人としてのキャリアを積んでいる。チャップリンの生まれたのは貧しい労働者街。そこでチャップリンは極貧の幼少時代を送った。弱者の味方チャーリーの原点は、この幼少期の体験にある。
 労働者向けの娯楽として、ミュージック・ホールは、豪華絢爛な建築物だった。そこでは大英帝国の一員であることを自覚させられるような催し物が演じられていた。
 なーるほど、そういうことだったんですか・・・。まるで、今の日本のテレビ番組ですよね。馬鹿馬鹿しいお笑い番組を見ているうちに、知らず知らずのうちに自民党政権の体質に同化させられ、反抗の牙が抜かれていくようなものですね。
 チャップリンは、ちょっとしたレストランで演奏できるほどうまく楽器を弾けた。ピアノ、ヴァイオリン、アコーディオン、そしてチェロなど。
 チャップリンの運転手に日本人がいて(高野虎市)、その誠実さからチャップリンは部下としてではなく、友だちとみていたといいます。すごいですね。
 チャップリンはテニスを好んでいて、そのテニスコートはハリウッドの社交場だった。
 チャップリンの最高傑作「街の灯」は600日間、4571テイクにわたって撮り直しが続けられた壮絶な撮影の成果なのだ。
 うーん、さすがです。すごいですね。たしかに「街の灯」は空前絶後の最高傑作だと私も思います。
 第二次大戦で戦勝国となったアメリカで、チャップリンの平和思想が問題とされ、反共主義のマッカーシー旋風が吹き荒れるなか、チャップリンは共産党シンパとして危険視された。
 チャップリンを共産党だというなら、共産党のほうが断然正しいし、優れていることになりますよね。みなさん、そう思いませんか。少なくとも私は、そう思います。
 素顔のチャップリンは、なかなかの美男子です。女性にもてたのも当然です。
 それにしてもチャップリンの映画って、何度みても素晴らしいですよね。古臭さが全然ありません。いつ見ても新鮮で飽きがきません。至高の芸術作品を見せていただいているという気がします。
 チャップリンは、あくまで万人が心から共感できる笑いを得るために苦闘を続けた。
 そうなんです。あの天才チャップリンも、スランプに陥って兄にSOSを発したりしているのです。天才にも凡才のようなところもあったというわけです。でも、そんなことがあったことを知れば、ますますチャップリンに対する敬愛の念が湧いてきます。

ブラックブック

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ポール・バーホーベン、出版社:エンターブレイン
 例年、裁判所の人事異動にあわせて何日間かの春休みをとるのですが、今年は残念なことに一日もとれませんでした。そのかわりに、平日の朝から、福岡の小さな映画館で見たのが、この映画「ブラック・ブック」でした。2時間あまりの大作なのですが、緊迫した場面が続き、身じろぎもせず、あっという間に見終わってしまいました。正直言って、深い疲労感が残りました。投げかけられた問題提起があまりに重いのです。美貌のユダヤ人歌手ラヘルを襲う悲劇とサスペンスは息つぐひまもありませんでした。
 時代は第二次大戦末期のオランダです。ナチスに占領されています。アンネ・フランクが隠れていたのと同じ時期です。裕福なユダヤ人家族を国外へ逃亡させるレジスタンス組織があります。ところが、船に乗って逃亡する途中、突然ナチス・ドイツ軍に襲われ皆殺しにあいます。せっかくの貴金属類などが全部ナチスの手に渡ってしまいます。命からがら救われたラヘルは、レジスタンス組織に匿われ、オランダ人になりすまします。そして、ナチス・ドイツの情報部の将校に近づいていきます。
 サスペンスたっぷりの映画でもありますから、これ以上は書きません。ぜひ映画を見てください。やっぱり、お茶の間ではなくて映画館に足を運んでほしいと思います。
 主人公のラヘルを演じる女性の毅然とした知的な美しさ、その裸体の神々しさは目が魅きつけられてしまいます。女性のたくましさをよく演じています。
 この本は、この映画が決して単なるフィクションではなく、あくまで事実をもとに組み立てたものだということを明らかにしています。
 ユダヤ人にも同胞をナチス・ドイツに売り渡した人間がいました。レジスタンスにも、多くのスパイが潜入していたのです。誰がナチスのスパイか分からないうちに、次々にワナにかかっていく状況が描かれ、誰を信じていいのかゾクゾクしてきます。終戦後、みんながレジスタンスを英雄だとしてもてはやすようになった。しかし、そのレジスタンスにも、さまざまな人物がもぐりこんでいた歴史的事実が描かれています。スパイだった疑いをかけられたとき、そのぬれ衣を晴らす大変さもありました。
 ナチスの本部にラヘルが盗聴器を仕掛けるシーンが出て来ますが、これも実話にもとづく話だそうです。ナチス・ドイツが降伏したあとも、ドイツ軍法会議によって裏切り者として銃殺刑を宣告されていた者について、銃殺刑の執行がなされた事実があるというのも驚きでした。本当に、事実は小説より奇なり、です。
 この本の最後に、次のような言葉があります。本作におけるまことに信じがたい詳細な記述は、想像が介入する余地のない現実からきたものである。
 まあ、それにしても、映画をみると、想像を豊かにかきたててはくれるものです。

マイナス50℃の世界

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:米原万里、出版社:清流出版
 江戸時代、大黒屋光太夫は伊勢の港から江戸へ向かう途中、嵐にあってアリューシャン列島に流されてしまいました。そこからカムチャッカにわたり、当時のロシアのペテルブルグ(今のサンクトペテルブルグ)に向かい、そこで女帝エカテリーナに会って帰国の許可を得ました。大黒屋光太夫が大変難儀した冬の旅程をTBSが再現しようとしたのに著者が通訳として同行したのです。
 ヤクーツクの冬は、日照時間が一日4時間ほど。太陽は午前11時に顔を出したかと思うと、午後2時には隠れてしまう。18時間の夜と6時間のたそがれ時からなっている。
 マイナス40度になると居住霧が発生する。人間や動物の吐く息、車の排気ガス、工場の煙、家庭で煮炊きする湯気などの水分が、ことごとく凍ってしまってできる霧のこと。冬には風は吹かない。この霧が出ていると、視界はせいぜい4メートルほどになってしまう。前を走る車の排気ガスのため、1メートル先が見えなくなる。怖いですね。
 地表面は凍土が凍ったり溶けたりするので、建物は土台からねじれひん曲がり、どんな建物でも50年ともたない。
 しかし、最近のビルは4〜5階建てのコンクリート住宅。凍解をくり返す層よりさらに深い15メートルほど杭をうちこみ、地表面から2メートルほどの高さの杭にビル本体の基礎を置く。つまり高床式のビルをつくるわけ。基礎の杭を固定するには、塩水を隙間に流すだけ。すぐに凍って杭をしっかり支える。
 マイナス50度の戸外で働く労働者は40分間、外で作業すると、20分間はあたたかい室内に戻って身体を温めるというサイクルで仕事をする。
 ヤクートは、世界有数の鉱物資源大国。トンネルや鉱山などの坑道は、掘るのは大変だが、ひとたび出来たら凍結しているので、支えは不要。落盤事故もない。
 氷上で釣りをする。魚がかかったら引きあげる。ピクッピクッ。そして三度目にピクッとする前に魚は凍ってしまう。10秒で天然瞬間冷凍になる。
 マイナス50度の野外ではスキーやスケートはできない。寒いと氷はすべらない。あまりに寒いと、まさつ熱では氷がとけないので水の膜もできないから、スケートもスキーもできない。
 現地の人の家は三重窓の木造平屋。マイナス50度でも、洗濯物は外に干す。トイレは室内になく、すべてこちこちに凍るので臭気はまったくない。うーん、困っちゃいますよね。お尻をマイナス70度にさらすなんて・・・。
 ビニール、プラスチック、ナイロンなどの石油製品はマイナス40度以下の世界では通用しない。ひび割れ破れ、パラパラと粉状になってしまう。現地の人は人工繊維は一切着ない。帽子も手袋もオーバーもブーツも、全部毛皮。下に身につけるのも純毛と純綿。毛皮はぜいたく品ではなく、生活必需品。酷寒のヤクートで育った獣たちの毛皮は、毛並がたっぷり豊かで、密。現地の人がはいている膝まである毛皮のブーツは、トナカイの足の毛皮で作るに限る。
 こんな寒い国に生きている人々なのにロシア第二の長寿国だ。不思議なことですね。
 著者は昨年5月、がんのため亡くなられました。愛読者の一人として、その早すぎた死が惜しまれてなりません。この本は、著者がまだ30代の元気ハツラツな女性だったころに小学生向けに書かれた紀行文をまとめたものです。文才があることがよく分かります。おかげでマイナス50度の驚異の世界を知ることができました。

ブドウ畑で長靴をはいて

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:新井順子、出版社:集英社インターナショナル
 ロワール地方にはたくさんのシャトーがあります。ブロワ城や有名なシュノンソー城もロワール河の支流シェール川沿いにあります。そのシェール河近くに日本人女性がワイン畑のオーナーとなり、無農薬でブドウを栽培してワインをつくっているのです。すごーい。日本女性をまたまた見直しました。
 1ヘクタールに6000本のブドウの樹が植わり、8ヘクタールのうち2ヘクタールは休耕地になっているから、6ヘクタールだと3万6000本。これを一本一本、手で剪定していく。一本の樹に5分から15分かかる。
 ブドウの赤ちゃんに「元気に育ってね。たくさんお世話するからね」と話しかける。ブドウの樹は人間よりずっと頭がいいから、フランス語でも日本語でも分かる。
 ブドウの樹は6月ころ花を咲かせ始める。気がつかないほど小さな白い花がプチプチ咲く。とても愛らしい。花が咲いて100日後にブドウの収穫が始まる。花が咲くと、その年の収量を調整するため芽かき作業をする。一本の樹から多くて10房までとした。ゴメンナサイネと謝りながら、残酷にもブドウの芽を摘んでいく。
 ワイン用の樹は小さく育て、皮を厚く実を小粒にして糖度を上げていく。
 8月は放っておいてもブドウが熟成するので、ワイナリーはバカンスをとる。
 ブドウジュースを樽に移し替えるとすぐに発酵が始まる。
 「チチチチ・・・・」
 木樽に耳を当てていると、発酵の始まった音が聞こえてきた。ワインが息をしはじめ、発酵が健全に動き出した証拠だ。音で確認できる。
 足踏み作業は醸造の大切な過程だ。水着の上にTシャツを着て、素足で開放桶に飛びこむ。ズボボボーと足がブドウの粒の中に沈んでいく。踏むというより、まるで底なし沼でもがいているようだ。それも酸欠状態で。笑いごとではない。桶の中にいる人間は要注意だ。ときどき桶から顔を出して息継ぎする。
 著者はスポーツ・ウーマンでもあります。19歳から29歳までの10年間、空手にいそしみ、3段をとっています。お稽古事にもいろいろ手を出しました。料理、華道、茶道、着付け教室、そしてワインスクールに通うようになったのが、彼女の運命を決めたのです。
 一級テイスターに合格第1号でした。なにしろ、1時間で15アイテムのワインをブラインド・テイスティングで14アイテム以上の銘柄を正解しないと合格できないというのです。よほど繊細な舌をもっているのでしょうね。私などは、これがまったくダメです。コンビニの安ワインの方を高級ワインよりおいしいと思ってしまうほどの舌でしかありません。残念です。年に4000本から6000本のワインをテイスティングしたというのですから、さすがプロを目ざす人は違います。
 彼女は、ワインは自分でお金を出して飲みなさいとすすめています。
 生徒の前に3つのコップがおかれる。どれも一見すると、タダの水。一杯を飲む。なんともない。2杯目、うむ、なんかある。3杯目、いよいよ何かある。3杯目のコップに何も感じなかったら鑑定家のプロになる資格はない。2番目のコップには、1リットルあたり1ミリグラムの砂糖が入っており、3番目のコップには3ミリグラムの砂糖が入っていた。これが分からないような舌では、まるでつかいものにならない。うーむ、厳しいんですね。恐らく私はダメでしょうね。
 丹精こめてブドウの樹を育て、心をこめてワインをつくっている姿が写真と文章でしっかり伝わってきます。実にうらやましい。生き生きした笑顔が輝いています。一度、彼女のワインを飲んでみたくなりました。
 庭にチューリップの花が50本ほど咲いています。まだまだ、これからが本番です。ピンクに白いふちどりのあるチューリップの花に気品を感じます。クロッカスの白い花、青紫色のムスカリの花が並んで咲いてくれました。お互いにひきたてあっています。まさに春到来です。雨戸を開けて庭を見るのが毎朝、楽しみです。

モーツアルトの手紙

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:高橋英郎、出版社:小学館
 モーツアルトが肉親に対して茶目っ気たっぷりのスカトロジックな手紙を書いていたのは、前にも本を読んで、少しは知っていました。この本は、モーツアルトの手紙を父親のものを含めて系統的に並べていますので、その人間性と心理状況がよく分かります。写真や図版もありますので、500頁で大判の本ですが、すらすらと読みすすめることができました。
 モーツアルトは、幼いころから、誰からも愛される性格だった。親しい人たちに、「ぼく好き?」と質問を連発したのも、ぼくはきみを好きなんだから、きみだってぼくを好きだよね、という愛の相互確認だった。
 父親は手紙にこう書いています。
 坊主は誰とでも、とくにお役人たちと大変うちとけてしまい、まるでもう生まれたときからの知りあいのようだ。
 文豪ゲーテは14歳のとき、7歳のモーツアルトの演奏を聞いて強い印象を受けたそうです。同時代の人たちなんですね。
 啓蒙派学者のヴォルテールは10歳のモーツアルトに会えなかったのを残念がった。
 モーツアルトは、姉ナンネルと、ふだん口笛で応答していた。
 激しい仕事に没頭するほど、遊び心を求めるのは、晩年に三大シンフォニーを書きながら、奔放卑猥なカノンを乱発したことから明らかである。モーツアルトは、常にバランスをとっていた。
 そうなんですよね。天才じゃなくても、常に精神のバランスをどうとるか、考えておく必要がありますね。私は、読書に没頭することと、土いじり(ガーデニング)です。花を育てて、咲くのを見てると、心が洗われます。
 モーツアルトは、マリア・テレジア女帝からは冷遇された。わざわざ、無用な人間を雇うなという回状までまわされた。うむむ、いつの世にも反対派はいるものなんですね。
 恋はモーツアルトにとって生きる原動力だった。作品と並ぶ、最優先事項なのだ。
 モーツアルトの母親までもが、夫に対して、息子顔負けのスカトロジーたっぷりの手紙を書いていたなんて知りませんでした。ここでは、その引用はやめておきます。
 南チロル出身のきわどいジョーク好きの母親の血を、息子であるモーツアルトが受けついだのだ。著者は、このように分析しています。なーるほど、ですね。日本人には、とても考えられません。
 モーツアルトはある人を訪ねたとき、モーツアルトではないかと訊かれて、いえ、トラツォームと言いますと答えた。これはモーツアルトを逆に呼んだ名前ふざけたわけだ。私も、子どものころ、自分の名前を友だち同士で逆さ読みしていたことを思い出しました。
 モーツアルトは大きくなると、大事なことは父親に相談せず、父親の意見に逆らっても独断でことをすすめた。息子として、父親に見切りをつけていた。
 モーツアルトのスカトロジックな手紙文から、フロイドを引用して、いい年をして、幼児性があるなどと論評する人がいるが、それは間違っている。モーツアルトには、感性の無限の開放があった。類い稀な人間が存在していることに気づくべきだ。
 この著者は、そのように主張しています。なるほど、そういうことなんでしょうね。それにしても、とても引用できない内容ではあります。一言でいうと、ウンコとオナラのオンパレードなのです。
 モーツアルトは父親に対して、次のような手紙も書きました。
 ぼくの色恋沙汰については、もう忘れてください。もうだいぶ以前に心から後悔しました。傷ついてこそ叡智が生まれます。ぼくはまだ若い。でも、若い歳月を、乞食のような境遇で無為に過ごすとすれば、とても悲しいことであり、損失でもあります。
 モーツアルトの音楽が心打つのは、その生活の不安定感からくる真情がある。
 モーツアルトは一日、せいぜい3〜4時間しか作曲していない。モーツアルトは、推敲にこだわるタイプではなかった。
 モーツアルトは秘密結社フリーメイソンに加入した。フリーメイソンの盟友が、モーツアルトにお金を貸して、その生活を支えた。モーツアルトの遺体はフリーメイソンの黒の装束に包まれた。ミサもあげられることなく、共同墓地に埋葬された。25年ごとに掘り返される貧民墓地だった。
 この本を読んで、私はモーツアルトは、短いけれど豊かな人生を送ったのだと思いました。

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