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カテゴリー: ヨーロッパ

赤軍記者、グロースマン

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:アントニー・ビーヴァー、出版社:白水社
 大変面白い本です。いえ、単に面白い本だというと、顰蹙を買ってしまうでしょう。なにしろ、独ソ戦を、赤軍に従軍した記者として描いたグロースマンの生涯を追いかけて明らかにする内容ですので、ずっしりとした重味があります。戦争の悲惨さ、ユダヤ人迫害の実情を深く知ることのできる本です。
 グロースマンは、ユダヤ人でした。スターリンの圧制下に、幸運にも辛うじて生き延びることができました。きっとグロースマンの書いた記事がソ連の民衆に評価されていることをスターリンも無視できなかったのでしょう。
 独ソ戦の初期、スターリンの判断の誤りにより、ソ連軍は壊滅的な敗北を続けました。50万人ものソ連軍捕虜が出て、ドイツ国防軍から残虐な処遇を受けます。生き残った人々は、今度はスターリンから残酷な扱いを受けることになりました。
 そのソ連軍連敗のまっただ中にグロースマンも従軍していましたから、リアルな描写となるのも当然で、読者の評判となりました。
 グロースマンは、壕内の灯心ランプのもとで、野外で、ベッドに寝ながら、すし詰めの農家で、どんな悪条件のなかでも記事を書く特技を身につけた。ただ、筆は遅かった。
 グロースマンは、スターリングラードの戦いにも従軍しています。
 ドイツ軍は、防御陣地をなるべく居心地よく構築しようとした。それを見て、粗末な待遇に慣れていた赤軍兵士はいつもびっくりしていた。なにしろ、赤軍兵士は、零下35度の酷寒のなか雪の上で寝ていたのです。赤軍兵の多くが最大の執念を燃やしたのは、アルコールまたはその代用品の入手だった。
 スターリングラードでは、赤軍兵士が前線から恐怖のあまり逃亡するのを阻止するため、NKVDとコムソモールの逃亡阻止部隊が活躍した。前線の赤軍兵士は、前方にナチス・ドイツ軍がいて、後方には阻止部隊の銃が待ちかまえるなかで戦争させられた。スターリングラード防衛を補強したのは、非情な軍紀だった。戦闘の5ヶ月間に1万 3500人もの赤軍兵士が処刑された。その大部分は初期のころであり、このころは士気が阻喪した兵士が多かった。脱走を試みた戦友を阻止・殺さなかった兵はすべて共犯とみなされた。銃殺されるか、懲罰大隊へ送られた。それは、実質的に死の宣告にほかならなかった。いつも一番危険な任務を与えられ、攻撃する部隊の戦闘に立って地雷原を通過させられた。懲罰大隊の死者は42万 2700人にのぼる。
 その一方、スターリングラードでは女子高生が大活躍していた。女子高生の操作する高射砲隊はおどろくべき奮戦ぶりを見せ、37の砲座が戦車砲で全部破壊されるまでドイツ第16装甲師団の進撃をくい止めた。
 若い女性衛生兵の勇敢さは、全員の尊敬の的となった。第62軍衛生中隊の隊員の大多数はスターリングラードの高校生か卒業生だった。負傷した若い女性がグロースマンの取材に応じた。
 以前あたしが想像していた戦争は、すべてが燃え、子どもらが泣き、ネコがそこらじゅうを走り回るというものだった。スターリングラードに来てみると、すべてがそのとおりで、ただ、もっと悲惨なものだと分かった。
 ただし、ソ連軍にはペペジェと言われる女性たちがいた。陣中妻のことである。高級将校たちは、看護婦や司令部勤務の通信兵や事務員などの女性兵士をメカケとしていた。
 映画『スターリングラード』は狙撃手ザイツェフが主人公でした。グロースマンも狙撃手ザイツェフを取材しています。しかし、ドイツ軍の狙撃手が「ベルリン狙撃手学校」の指導者だったとか、数日間にわたって狙撃手同士の対決が続いたというのは、まったく宣伝バージョンのフィクションのようです。
 ソ連軍の狙撃手が水を運ぶ兵士を片っ端から射殺するので、飲料水欠乏に悩むドイツ軍は一片のパンで現地住民の子どもを買収し、ヴォルガ川への水汲みに行かせた。狙撃手は理由のいかんを問わず敵に協力する民間人は、たとえ子どもであっても射殺せよとの命令が与えられていた。悲惨な話です。
 ここでは数メートルの移動が通常の野戦の条件下での数キロメートルもの移動に匹敵する。隣の建物に立てこもる敵との距離は20歩ほどしかないこともある。師団司令部は、敵から250メートルの距離にある。各連隊や大隊の指揮所も、肉声で簡単に連絡できる。呼べば聞こえるし、そこからも肉声で大隊に伝達できる。
 スターリングラードの息詰まる戦いが想像できます。
 ソ連兵士は、一般に手足を失ったり歩行不自由になるのを死よりも恐れた。四肢を全部失った将兵はサモワールと呼ばれ、首都でうろつかれては見苦しいという理由で、一斉取締の対象となり、極北に移送された。傷痍軍人に対する戦後のソ連当局の処遇は信じられないほどひどいものだった。
 ユダヤ人のグロースマンは、ナチスによるユダヤ人迫害の事実を当然のことながらニュースとして知らせようとしました。しかし、スターリンがそれを認めませんでした。ユダヤ人が被害者であるという発表は禁じられたのです。これにはウクライナ人がユダヤ人の迫害に一役買っていたという事情もありました。
 1944年になると、赤軍派いつのまにか強大な戦闘マシーンと化していた。ソ連の装甲戦力は、ウラルの彼方から続々と送られてくる戦車で絶えず補充されていた。そして、アメリカから供給される車輌によって、赤軍はドイツ軍をはるかに上まわる機動力を獲得した。アメリカの援助は赤軍の急速な前進と中部ヨーロッパの制圧に大いに貢献した。これは今もロシアの歴史家の認めたがらない史実である。
 ずしりと重たい500頁の大作です。読みごたえがあります。
 著者のアントニー・ビーヴァーの『スターリングラード1942ー1943』、『ベルリン陥落、1945』もあわせて一読をおすすめします。
 ヒトラーとスターリンについて知りたかったら、これらの本は必読だと私は思います。

「パレスチナ」

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ジョー・サッコ、出版社:いそっぷ社
 マンガ本とはとても思えないマンガ本です。ナチス・ドイツから迫害・虐殺されたユダヤ人をマンガで描いた『マウス』(晶文社)を思い出させます。
 著者はマルタ島生まれのアメリカ人です。アメリカ人がパレスチナの現場を取材するという体裁をとり、パレスチナの現状をマンガで描いています。1987年から1992年まで続いた第一次インティファーダが登場します。イスラエル軍がパレスチナを占領し、若者たちを中心とするパレスチナ人が石を投げて抵抗していくのです。
 はじめは単に石を投げていたのが、次第に殺しあいになっていきます。今もとどまるところを知りません。
 アラブ世界の人々が何を考えているのかをマンガ本で視覚的につかむことのできる本です。日本のマンガとはかなり違います。劇画タッチではなく、語りのために絵があるという感じです。パレスチナの実情を知ることのできるマンガ本としておすすめします。
 庭にグラジオラスが咲いています。今年は白い花のほかに濃い青紫色の花も咲かせてくれました。ひょろひょろしていますので、折れ曲がってしまったのを取って卓上の花瓶に差しました。食卓風景がいっぺんに華やかになり、目を楽しませてくれます。

ダ・ヴィンチ、天才の仕事

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ドメニコ・ロレンツァ、出版社:二見書房
 すごい本です。ダ・ヴィンチのスケッチを立体的な模型をつくって再現してみせてくれます。いかにも精巧な仕組みを目のあたりにすると、ダ・ヴィンチが文句なしに天才であることが、よくよく分かります。
 ダ・ヴィンチは1487年から1519年に死ぬまで、ノートにいろんなスケッチと解説を書きしるした。それをコンピューター・グラフィック(CG)で、ことこまかに再現したのが、この本です。機械仕掛けの翼、空気スクリュー、飛行機があります。
 ダ・ヴィンチはドビウオに着目した。水中でも自由自在に動き飛べるから。この法則をつかみ、それを生かせば、人間も空を飛べるはずだと考えて研究を重ねたのです。ダ・ヴィンチの構想が、こんなに細かく精密なものだったとは知りませんでした。
 ダ・ヴィンチは、武器の開発にも乗り出しています。大砲、多銃身砲、連射式大砲、回転式大砲、防御壁、戦闘馬車、装甲車、要塞などです。
 ダ・ヴィンチの描いたスケッチをもとに、その小さな部品まで全てがことこまかに図解され、再現されています。ただただ驚くしかありません。
 ダ・ヴィンチは後年になって、戦争を「残虐非道な狂気」と呼びましたが、突起のついた車輪など、大量殺戮兵器をいくつも考案して、領主に提案しました。
 ダ・ヴィンチはイタリアで生まれましたが、晩年はフランスのロワール川沿いのアンボワーズで暮らしていました。私も2年前にロワール川のお城めぐりをしたときに、ダ・ヴィンチの遺品を展示した博物館に入ったことがあります。
 ダ・ヴィンチの天才的な創意・工夫のすごさを視覚的に知ることのできる本でした。
 日曜日の午後から、福岡の大学で仏検(一級)を受けました。難しすぎて話になりません。一問目の名詞に換えて同旨の文章につくり変えるのは5問とも全滅でした。二問目の動詞もまったく思いつかないものばかりです。三問目、四問目も厳しく、壊滅状態。長文読解で、ようやく息をつき、仏作文は、それらしい文章にするのに四苦八苦しました。それでも私が一級を受け続けているのは、書き取り試験が7割ほど点がとれるからです。長くフランス語を勉強していますので、耳で聞きとるのだけは、前よりずっと出来るようになりました。自動車を運転しながらシャンソンを聞くのが楽しみです。
 いま、わが家の庭にはグラジオラス(白やピンクの花を咲かせています)、カンナ(斑入りの黄花で、見ると爽やかな風を胸のうちに吹かせてくれます)、そして橙色のノウゼンカズラがフェンスを飾っています。初夏の到来です。

フランス父親事情

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:浅野素女、出版社:築地書館
 フランスは日本と違って出生率を回復しています。EU諸国の平均が1.5に対して、フランスは2.0です。いろんな出産優遇措置の成果だとされています。
 たとえば、2002年から、父親手帳なるものが誕生し、父親にも2週間の出産休暇が認められました。先の大統領選挙で惜敗した社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルが家族・児童担当大臣だったときにスタートした制度です。父親学級だってあります。妻の出産に立ち会うのも、今や普通のことです。私は3人の子どもたちの出産に一度も立ち会ったことがありません。いつも、部屋の外で待っていました。
 フランスでは、2人に1人の子どもが婚姻関係にない父親から生まれる。フランスでは、生まれたときの名前が生涯を通じての正式名であり、日本のように結婚して名前が変わるという制度はない。
 2006年には、100組のカップルのうち42組が離婚する計算となる。カップルの寿命はますます短くなる傾向にある。1990年に共同生活を始めたカップルの15%が5年後に別れ、10年後には30%が別れている。
 中絶権は、女性たちの手にあり、父親の意思が反映される余地はまったくない。
 いまや、世界の真理は女性たちの手に握られている。そして、男たちは表面上は女性に対する理解にあふれている。だが内心、男たちは、戦々恐々、強くなった女性たちに畏れをなしている。
 父親の2週間の出産休暇は、3人に2人が活用している。このとき、給料の8割が保証される。これって、いい制度ですよね。うらやましいですね。
 父親は、子どもの前に、「他者」として立ちはだかる最初の人間だ。一方的に、母親の伴侶としての現実の父親の存在があって、もう一方に、頭の中につくられる父親像がある。むしろ、頭の中でつくりあげられた父親のイメージを通して、息子たちは、今度は自分が父親になるのである。なーるほど、ですね。
 フランスには、パクス(市民連帯契約)という制度があります。
 同性カップル、男女のカップルでも結婚したくないけれど、ある程度の社会的認知や保護がほしいときに有効です。これは結婚とちがって、市役所を通さず、裁判所の書記官を通すこと、ひとりの一方的な決断だけで契約解消できること、双方が自動的な遺産相続人とはならないことが大きな違いです。健康保険や税金面では、婚姻関係にあるカップルと同じ優遇措置が受けられます。
 うむむ、これはすごいですね。日本ではまったく考えられませんよね。日本の少子化を政府が本気で心配するのなら、若い人たちが安心して子どもを産んで育てられる環境をととのえるべきだと思います。その点が今の日本にはまったく欠けています。

シュメル人たちの物語、5000年前の日常

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:小林登志子、出版社:新潮選書
 シュメル人とは、どこからやって来たのか分からない民族系統不詳の人々である。シュメル語は、日本語と同じように、「てにをは」のような接辞をもつ言語だった。
 石碑に書かれたシュメル語の碑文が解読されています。学者ってホント、たいしたものですね。
 碑文は神に読んでもらうためのもの。当時の民衆の識字率は低く、民衆のほとんどが碑文を読めなかった。王自身も文字の読み書きができるとは限らなかった。
 シュメル人の衣服は縫わなかった。シーツのようなたっぷりした布を身体に巻きつけて、ピンでとめていた。
 王や王子たちは文字の読み書きができなくても差し支えなかった。そのかわり、王に仕える書記、つまり役人は文字の読み書きができなくては仕事にならない。書記になろうとする男の子たちは学校へ通わされた。シュメルの父親は教育熱心だった。
 シュメルは文明社会であり、法によって治められる社会だった。殺人は死刑と定められていた。
 シュメル人の庶民の結婚には父親の同意が不可欠だった。婚姻契約を結び、王の名にかけて証人の前で婚姻締結を宣言した。女性の処女性は重視されており、妻は夫に貞操義務があった。契約書なしの内縁関係では、離婚するとき慰謝料を支払う必要はなかった。夫婦は同居の義務があったが、財産は別だった。
 夫の家庭内暴力から逃げ出した妻がいるという話も紹介されます。
 シュメルで女性は、いくつかの重要な法的権利をもっていて、財産を所有できたし、証人として出廷できた。
 シュメル人の死生観には地獄がない一方で、天国や極楽もない。一度だけの生をよく生きると定めざるをえない。あの世よりも、この世を大切に生きた。死者は生前のおこないの善悪にかかわらず、死ねば一律にクルヌギに行き、飲食物に不自由するので、生きている者は死者のために供養する義務があると考えられていた。
 5000年前、古代メソポタミアの人々の生活が案外、今の私たちと同じようなものであることに驚いてしまいました。古代の文字が解読されるって、ホントすごいことです。

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