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カテゴリー: ヨーロッパ

「パレスチナ」

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ジョー・サッコ、出版社:いそっぷ社
 マンガ本とはとても思えないマンガ本です。ナチス・ドイツから迫害・虐殺されたユダヤ人をマンガで描いた『マウス』(晶文社)を思い出させます。
 著者はマルタ島生まれのアメリカ人です。アメリカ人がパレスチナの現場を取材するという体裁をとり、パレスチナの現状をマンガで描いています。1987年から1992年まで続いた第一次インティファーダが登場します。イスラエル軍がパレスチナを占領し、若者たちを中心とするパレスチナ人が石を投げて抵抗していくのです。
 はじめは単に石を投げていたのが、次第に殺しあいになっていきます。今もとどまるところを知りません。
 アラブ世界の人々が何を考えているのかをマンガ本で視覚的につかむことのできる本です。日本のマンガとはかなり違います。劇画タッチではなく、語りのために絵があるという感じです。パレスチナの実情を知ることのできるマンガ本としておすすめします。
 庭にグラジオラスが咲いています。今年は白い花のほかに濃い青紫色の花も咲かせてくれました。ひょろひょろしていますので、折れ曲がってしまったのを取って卓上の花瓶に差しました。食卓風景がいっぺんに華やかになり、目を楽しませてくれます。

ダ・ヴィンチ、天才の仕事

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ドメニコ・ロレンツァ、出版社:二見書房
 すごい本です。ダ・ヴィンチのスケッチを立体的な模型をつくって再現してみせてくれます。いかにも精巧な仕組みを目のあたりにすると、ダ・ヴィンチが文句なしに天才であることが、よくよく分かります。
 ダ・ヴィンチは1487年から1519年に死ぬまで、ノートにいろんなスケッチと解説を書きしるした。それをコンピューター・グラフィック(CG)で、ことこまかに再現したのが、この本です。機械仕掛けの翼、空気スクリュー、飛行機があります。
 ダ・ヴィンチはドビウオに着目した。水中でも自由自在に動き飛べるから。この法則をつかみ、それを生かせば、人間も空を飛べるはずだと考えて研究を重ねたのです。ダ・ヴィンチの構想が、こんなに細かく精密なものだったとは知りませんでした。
 ダ・ヴィンチは、武器の開発にも乗り出しています。大砲、多銃身砲、連射式大砲、回転式大砲、防御壁、戦闘馬車、装甲車、要塞などです。
 ダ・ヴィンチの描いたスケッチをもとに、その小さな部品まで全てがことこまかに図解され、再現されています。ただただ驚くしかありません。
 ダ・ヴィンチは後年になって、戦争を「残虐非道な狂気」と呼びましたが、突起のついた車輪など、大量殺戮兵器をいくつも考案して、領主に提案しました。
 ダ・ヴィンチはイタリアで生まれましたが、晩年はフランスのロワール川沿いのアンボワーズで暮らしていました。私も2年前にロワール川のお城めぐりをしたときに、ダ・ヴィンチの遺品を展示した博物館に入ったことがあります。
 ダ・ヴィンチの天才的な創意・工夫のすごさを視覚的に知ることのできる本でした。
 日曜日の午後から、福岡の大学で仏検(一級)を受けました。難しすぎて話になりません。一問目の名詞に換えて同旨の文章につくり変えるのは5問とも全滅でした。二問目の動詞もまったく思いつかないものばかりです。三問目、四問目も厳しく、壊滅状態。長文読解で、ようやく息をつき、仏作文は、それらしい文章にするのに四苦八苦しました。それでも私が一級を受け続けているのは、書き取り試験が7割ほど点がとれるからです。長くフランス語を勉強していますので、耳で聞きとるのだけは、前よりずっと出来るようになりました。自動車を運転しながらシャンソンを聞くのが楽しみです。
 いま、わが家の庭にはグラジオラス(白やピンクの花を咲かせています)、カンナ(斑入りの黄花で、見ると爽やかな風を胸のうちに吹かせてくれます)、そして橙色のノウゼンカズラがフェンスを飾っています。初夏の到来です。

フランス父親事情

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:浅野素女、出版社:築地書館
 フランスは日本と違って出生率を回復しています。EU諸国の平均が1.5に対して、フランスは2.0です。いろんな出産優遇措置の成果だとされています。
 たとえば、2002年から、父親手帳なるものが誕生し、父親にも2週間の出産休暇が認められました。先の大統領選挙で惜敗した社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルが家族・児童担当大臣だったときにスタートした制度です。父親学級だってあります。妻の出産に立ち会うのも、今や普通のことです。私は3人の子どもたちの出産に一度も立ち会ったことがありません。いつも、部屋の外で待っていました。
 フランスでは、2人に1人の子どもが婚姻関係にない父親から生まれる。フランスでは、生まれたときの名前が生涯を通じての正式名であり、日本のように結婚して名前が変わるという制度はない。
 2006年には、100組のカップルのうち42組が離婚する計算となる。カップルの寿命はますます短くなる傾向にある。1990年に共同生活を始めたカップルの15%が5年後に別れ、10年後には30%が別れている。
 中絶権は、女性たちの手にあり、父親の意思が反映される余地はまったくない。
 いまや、世界の真理は女性たちの手に握られている。そして、男たちは表面上は女性に対する理解にあふれている。だが内心、男たちは、戦々恐々、強くなった女性たちに畏れをなしている。
 父親の2週間の出産休暇は、3人に2人が活用している。このとき、給料の8割が保証される。これって、いい制度ですよね。うらやましいですね。
 父親は、子どもの前に、「他者」として立ちはだかる最初の人間だ。一方的に、母親の伴侶としての現実の父親の存在があって、もう一方に、頭の中につくられる父親像がある。むしろ、頭の中でつくりあげられた父親のイメージを通して、息子たちは、今度は自分が父親になるのである。なーるほど、ですね。
 フランスには、パクス(市民連帯契約)という制度があります。
 同性カップル、男女のカップルでも結婚したくないけれど、ある程度の社会的認知や保護がほしいときに有効です。これは結婚とちがって、市役所を通さず、裁判所の書記官を通すこと、ひとりの一方的な決断だけで契約解消できること、双方が自動的な遺産相続人とはならないことが大きな違いです。健康保険や税金面では、婚姻関係にあるカップルと同じ優遇措置が受けられます。
 うむむ、これはすごいですね。日本ではまったく考えられませんよね。日本の少子化を政府が本気で心配するのなら、若い人たちが安心して子どもを産んで育てられる環境をととのえるべきだと思います。その点が今の日本にはまったく欠けています。

シュメル人たちの物語、5000年前の日常

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:小林登志子、出版社:新潮選書
 シュメル人とは、どこからやって来たのか分からない民族系統不詳の人々である。シュメル語は、日本語と同じように、「てにをは」のような接辞をもつ言語だった。
 石碑に書かれたシュメル語の碑文が解読されています。学者ってホント、たいしたものですね。
 碑文は神に読んでもらうためのもの。当時の民衆の識字率は低く、民衆のほとんどが碑文を読めなかった。王自身も文字の読み書きができるとは限らなかった。
 シュメル人の衣服は縫わなかった。シーツのようなたっぷりした布を身体に巻きつけて、ピンでとめていた。
 王や王子たちは文字の読み書きができなくても差し支えなかった。そのかわり、王に仕える書記、つまり役人は文字の読み書きができなくては仕事にならない。書記になろうとする男の子たちは学校へ通わされた。シュメルの父親は教育熱心だった。
 シュメルは文明社会であり、法によって治められる社会だった。殺人は死刑と定められていた。
 シュメル人の庶民の結婚には父親の同意が不可欠だった。婚姻契約を結び、王の名にかけて証人の前で婚姻締結を宣言した。女性の処女性は重視されており、妻は夫に貞操義務があった。契約書なしの内縁関係では、離婚するとき慰謝料を支払う必要はなかった。夫婦は同居の義務があったが、財産は別だった。
 夫の家庭内暴力から逃げ出した妻がいるという話も紹介されます。
 シュメルで女性は、いくつかの重要な法的権利をもっていて、財産を所有できたし、証人として出廷できた。
 シュメル人の死生観には地獄がない一方で、天国や極楽もない。一度だけの生をよく生きると定めざるをえない。あの世よりも、この世を大切に生きた。死者は生前のおこないの善悪にかかわらず、死ねば一律にクルヌギに行き、飲食物に不自由するので、生きている者は死者のために供養する義務があると考えられていた。
 5000年前、古代メソポタミアの人々の生活が案外、今の私たちと同じようなものであることに驚いてしまいました。古代の文字が解読されるって、ホントすごいことです。

IKEA、超巨大小売業、成功の秘訣

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:リュディガー・マングブルート、出版社:日本経済新聞出版社
 北欧デザイン、垢抜けたセンスの安い家具として、世界中で売り出しているIKEA躍進の秘密を探った本です。
 創業者は若いころナチス・ヒトラーの信奉者でした。それはヒトラー死亡まで続きました。祖母の影響だったようです。11歳のときから商売をしていたというのも驚きです。種物商から種を買い付けて、近辺の農民に売って歩き、本当にお金をもうけたというのです。信じられませんが、どうやら本当の話のようです。
 IKEAは、世界33ヶ国に230店を展開する。多国籍企業なのだ。2005年度のイケアの総売上高は148億ユーロ。イケアのカタログは1億6000万部。世界一だ。創業者イングヴァル・カンプラードは世界屈指の億万長者の一人であり、総資産は230億ドル。
 祖父母はドイツのザクセン地方からスウェーデンに移住した。祖父はやがてスウェーデンへの移住が失敗だったと絶望し、銃で自殺した。しかし、祖母は開き直ってがんばった。
 カンプラートは高等商業学校に在学中のころ商売を始めた。万年筆をつくっているパリの会社に500本を注文して、スウェーデン中を売り歩いて成功した。
 28歳のとき、大きな家具展示場を開設して家具を売り出し、大あたりした。初日に 1000人のお客が行列して並んでいた。
 カンプラートは、カタログのテキストを自分で書いた。マーケティングのプロだった。なにより人心掌握にたけていた。売れはじめると、イケアは、ポーランドで家具製造をはじめた。
 カンプラート自身には、美的感覚はまったくなかった。自分で無粋な人間だと言った。いくらデザインが最高でも、人々がそれを買えなければ、何にもならないじゃないか。
 イケアは家具販売にキャッシュ・アンド・キャリーの原則をもち込んだ。お客は商品を買って、お金を払い、すぐ自分で持ち帰る。そして自分で組み立てる。
 イケアの家具は、明るい自然な色。イケアの戸棚は開け広げで、実に軽やか。イケアは生意気な若者のイメージをまとうようになった。
 スウェーデンの人々は、長くて暗い冬を家の中にしばりつけられて過ごすから、明るく優しい感じの材質を好み、シンプルで直線的なデザインを求めた。壁や天井に明るい色調を用いることで、光を最大限にとり入れる。鮮やかな色彩の家具に接すると、人は自分は若くてエキサイティングな人生を過ごしているような気分になるものだ。
 ところが、アメリカでイケアは苦戦した。イケアのヒット商品は、アメリカ人の生活習慣にあわなかった。
 イケアは原則として品質第一とは考えていない。日常の要求に数年こたえればそれでいいというのがイケアの基本方針。それ以上の耐用性は求めない。大事なのは使い勝手がいいということ。だから書棚の表面は、台所の調理台のように頑強である必要はなく、質もほどほどでいい。人目につかない部分には安い材料をつかう。家具を頻繁に取り替えましょうとイケアは宣伝する。
 値段の安さがイケア成功の第一要因だとすると、第二の要因はデザインである。文句なく魅力的なデザインだ。イケアはただの家具店ではない。ここはライフスタイルを学ぶ場所でもある。
 なーるほど、一度、イケアの家具を見てみたい、使ってみたいものだと思わせる本でした。
 大型連休はじっとおとなしく庭の手入れなどをして過ごしました。枯れたチューリップの地上部を刈り取り、雑草を抜いて、初夏にそなえました。今は、アイリスから濃紫色のアヤメそして黄色いカキツバタの花が咲いています。アクロステンマの白にピンクの筋の入った花に目が魅かれます。クレマチスは相変わらず次々と咲いてくれています。濃紫色の花弁が見事です。赤紫色の金魚草もいいですね。サクランボの実を食べにヒヨドリがやってきます。庭にヒマワリのタネを置く台をつくってみました。どんな小鳥が来てくれるか楽しみです。

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