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カテゴリー: ヨーロッパ

ヒトラーの特攻隊

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 三浦 耕喜、 出版 作品社
 第二次大戦のとき、日本軍は無謀なカミカゼ特攻隊を組織し、あたら有為の青年を多く死に追いやってしまいました。知覧に行くと、純真な青年たちの顔写真がたくさんあり、胸を痛めます。特攻を命じた軍上層部は敗戦と同時に「鬼畜米英」にすり寄っていき、その後輩たちはいまもってアメリカのいいなりの政治に加担しているのですから、浮かばれません。
 このカミカゼ特攻隊をナチス・ドイツも一回だけ真似したことがあるというのが本書で紹介されている話です。ところが、あのナチス・ドイツでは有為のドイツ青年を無駄死にさせるのはもったいないということで、一回きりで終わったというのです。戦前の日本は本当に人命軽視の国でした。
 1945年4月。ドイツの上空に侵入してくる連合国軍爆撃機の編隊に対して、機関砲などの戦闘能力を取り外し、急降下して体当たりするだけの特攻隊「エルベ特別攻撃隊」が出撃した。ドイツ北部のエルベ川周辺に展開したため「エルベ特攻隊」と呼ばれる。戦闘機180機が出撃し、80人が戦死・行方不明となった。
 日本の、カミカゼ特攻隊の第1号は1944年10月25日、レイテ沖でアメリカ艦船に体当たり攻撃を敢行した敷島隊である。このとき、関行男大尉(23歳)は、「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて、日本はおしまいだよ」と出撃の前に言った。いやあ、本当にそうですよね。未来は青年のものです。今の日本のように、平然と派遣切りをしながら、国を愛せなどとうそぶき、青年から仕事も未来も奪ったら、日本の将来はありませんよね。
 ドイツで体当たり特攻作戦が立案されたとき、ヒトラーは命令を下すのをためらった。あくまで自由意志だと強調し、自分の命令であるというのを避けた。
 「特別攻撃隊」という名前は、おおっぴらには使えず、「エルベ教育講習会」という名称で集められた。特攻隊の隊員は、熟練の飛行士ではなく、未熟な若者たちばかり。燃料は1時間分のみ積まれた。動員された180機のうち、故障や燃料不足のため、実際に飛び立ったのは150機ほど。そして、不時着したり、故障のため帰投する機が相次いだため、実際に敵に接触したのは100機程度。
 アメリカ軍の記録によると、墜落8機、大破5機、機体に損傷を被ったのは147機。本帰還者はドイツ側の記録によると77人。ゲッペルスは、日記に「期待したほどのことはなかった」と書いた。そして、エルベ特攻隊は解散してしまった。
 この特攻隊の指揮者だったハヨ・ヘルマンは戦後、弁護士の資格を得てネオ・ナチの弁護人となり、ネオ・ナチ運動に協力していった。95歳の今も健在だ。うへーっ、ひどいものですね。といっても、日本でも岸信介のように戦前の「革新」官僚が戦後日本の首相になったわけですから、ドイツのことを笑うわけにはいきません。
 人命軽視の戦前の日本の考え方は、今も根強いんじゃないかと思います。派遣切りも同じようなものですよね。
(2009年2月刊。1800円+税)

空白の日記

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ケーテ・レヒアイス、 出版 福音館日曜日文庫
 舞台はオーストリアの小さな村です。ナチスの影が平和な村に忍び寄ってきます。あのヒトラーもオーストリアの生まれでした。ですから、ヒトラーを賛美する村人もいます。もちろんヒトラーを軽蔑する人もいました。お城に住んでいるユダヤ人の伯爵夫妻は、ついに村を出ていかなければならなくなります。
 1938年3月、オーストリアにヒトラーが入ってきました。人々は、反対したくても反対できなくなっていました。ドイツへ併合されることを決めた国民投票でも、監視されるなか反対投票することはできなかったのです。人々はヒトラーの旗を家の前に立ててナチスを歓迎せざるをえません。学校の教室にもヒトラーの写真が掲げられるようになりました。
 ナチスが支配するようになると、浮浪者は借り集められ、「病死」させられました。それに異を唱えた司祭も逮捕されます。
 そして、村の若者たちが次々にナチスの軍隊にひっぱられていきます。やがて若者たちの戦死公報が村に届きます。そのうちドイツ本土も連合軍によって空襲されるようになりました。ドイツの敗戦も間近になったのですが、村人たちは今度は連合軍の攻撃に悩まされるのです。
 12歳の少女の目から見た第2次大戦前と戦中・戦後の日常生活が淡々と語られます。
 子どもたちを含めて、当時の多くの人々がナチスによる嘘で固めたいつわりの理想に強く惹きつけられていたいた日常生活の様子が細かく描写されています。
 「空白の日記」とは、あのころの高揚感に燃えた日々のことは、そのあとにきた失望と悔悟の思いから、その反動として記憶から消し去っていたことを意味しています。
 日本人にも、戦前・戦中のことを真正面から向き合いたくない人が多いように思えます。いかがでしょうか。
 
(1997年5月刊。1700円+税)

中世世界とは何か

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 佐藤 彰一、 出版 岩波書店
 ヨーロッパ中世のころ、土地は皇帝から下賜された。法的に完全な所有権の名義で領有できたが、領主が皇帝の不興を買うような不始末をしたときには、その土地が皇帝のもとに回収された。その意味で、皇帝への忠誠とねんごろな奉仕を条件として与えられた目的贈与であった。授与者への忠誠を条件とする譲渡という法的性質が、主君への忠誠を条件とする封建制度の封にも継承されたのである。
 封建制は、このように、もともと別個に発展してきた2つの制度である主従制と恩貸地制とが結合したことにより生まれた。
 カール・マルテルは、732年のトゥール・ポワティエの戦いで、イスラーム騎馬兵の脅威に震撼し、本格的な徴兵制への転換を図った。
 ヨーロッパでそれまで飼育されてきたのは、イスラーム騎馬兵が乗りこなしている馬と比べて、馬体も小さく、重量も軽い、見劣りする馬種だった。そこで、カール・マルテルはアラブ馬を入手し、それを基礎とした高速移動の騎馬隊の整備に乗り出した。
 鐙(あぶみ)の使用による大きな槍のしっかりした固定化、これが騎兵の威力を格段に高めた。重装騎兵の誕生である。
 軍隊の高速かつ機動的な展開に必要な騎馬兵を大量につくり出す目的で、カール・マルテルとその息子たちは、教会や修道院の土地を没収して家臣たちに配分した。騎馬兵制は、歩兵制に比べて、装備と訓練に多額の費用がかかるために、兵に十分な経済的基盤を与える必要があった。
 生まれ育った家や故郷を離れ、地位を求めて遍歴する二男、三男層の騎士の中には、僥倖を得て、上層の貴族の末娘を妻に迎える者もあった。新たな門地を立てるのに成功した騎士の血統の高貴さは、往々にして母方の血統からもたらされた。男系血族優位の趨勢の中でも、一門の栄光の源泉として女系の寄与もまた看過しえないものがあった。
 このようにしてヨーロッパの歴史において、初めて身分としての貴族が誕生した。
 事実上の貴族から法的身分としての貴族に脱皮するには、騎士理念の普及・長子の単独相続制という、それまでのヨーロッパにおいて原理として確立していなかった新しい要素が必要だった。
 国王の権威によって、一片の書状(貴族叙任状)により貴族の列に加わることができたということは、それまでのヨーロッパにはなかった、まったく新しい貴族像の出現を意味した。1500年までの200年間に、年平均10通の貴族叙任状が発給され、合計で2000通を数えた。
中世フランスの身分貴族にとって、イングランドとの百年戦争(1337~1453年)は一大惨禍であった。1300年に存在していた貴族家門の大部分が、1500年には断絶していた。1424年にシャルル7世が敗北を喫したヴェルサイユの戦いで、シャルル王の騎士貴族の大半が戦死した。そして捕虜となった家族の身代金調達は、多くの門閥を疲弊させ、没落させた。このあと貴族となったのは、中世貴族との系譲関係をもたない新参者たちの家系であった。
 中世イングランドでは、フランスと同じ意味での貴族身分は成立しなかった。
 フランスのような貴族叙任状が発給されることはなかった。荘園領主、国王役人、地方政治の主要メンバーである騎士などが圧倒的多数の平民に君臨していた。
 イングランドでは、中世の貴族を規定するための唯一有効な定義は、その者が貴族のような服装をして、貴族のように振舞って、物笑いにならないことである。そして、イングランド王権は、議会という枠組みのなかで貴族を位置づけた。
 十分に理解できないところも多々ありましたが、貴族の発生についてのフランスとイギリスの違いは、面白いと思ったことでした。ヨーロッパでは、今でも事実上、貴族身分というのが生きているそうですから驚きます。
 春らんまんの候となりました。朝、雨戸を開けると、色とりどりのチューリップが目に入ります。パステルカラーというのでしょうか、鮮やかなピンク色のチューリップがひと固まり咲いて、春だよ、うれしいなと声をかけあっています。見ていると、心が軽く浮き浮きしてきます。
 朝、咲いている本数を数え、午後からまた数えると、倍近くも増えています。20日の午前中に数えたら、80本ほどでした。
(2008年11月刊。2800円+税)

ミレニアム1(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 スティーグ・ラーソン、 出版 早川書房
 衝撃の結末です。その内容は読む人の楽しみを奪ってしまいますので、紹介を遠慮しておきます。上巻につづいて、ハラハラドキドキの展開が続き、意外な犯人、予期せぬ真相が語られ、舞台は国際的になるとだけ言っておきましょう。
 オビの文句、幾重にも張り巡らされた謎、愛と復讐、壮大な構想で描き上げるエンターテインメント大作、というのは、大いにうなづけます。面白さいっぱいの本でした。
 主人公は、スウェーデンの刑務所に2ヶ月間収監されるのですが、週末の外出許可というくだりにはあっと驚きました。刑務所内にはジムがあり、休憩時間には仲間と賭けポーカーをしたりします。そして、独房内にパソコンを持ち込んで本の執筆にいそしむのです。
 末尾についている解説を紹介します。
 アガサ・クリスティーが得意とした閉ざされた孤島という設定を大きく拡大し、スケールの大きな不可能状況下での人間(少女)消失事件。死者からの贈り物、暗号解読、連続殺人、見立て殺人など、ミステリ趣味が次々に描き出される。
 さらにスウェーデンという国のかげの部分を指摘する社会派色も強い。とりわけ暴利をむさぼる実業家や金もうけ至上主義が容赦なく糾弾される。
 本書の最大の特徴は、全篇にみなぎるジャーナリストとしての気骨である。著者は雑誌ジャーナリズムの出身だけあって、権力的なモノや巨悪に対して不屈の精神を持っている。
 私も、スウェーデンの「刑事マルティコ・ベック」シリーズ(マイ・シューヴァルとペール・ヴァールー)は読んでいますが、このシリーズより一段と味わい深いものがあると感じました。
 さあ、あなたも読んでみてください。
 今朝、庭に出てチューリップの咲いている花を数えてみると、28本ありました。まだ庭のあちこちにポツポツ咲いているという感じです。近所の桜も花を咲かせ始めました。日本のソメイヨシノが全国的に老木となっているそうですね。心配です。
(2008年12月刊。1619円+税)

ディファイナンス

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ネハマ・テック、 出版 ランダムハウス講談社
 ナチスに占領されたベラルーシでナチスと戦い、ユダヤ人1200人とともに森の中を生き抜いたユダヤ人3兄弟の話です。この実話が同じタイトルで映画となりましたので、私も福岡の映画館で観ました。この本を読むと、ユダヤ人3兄弟には問題行動もあったようですが、それでも同じユダヤ人といっても階層も考え方も違う1200人もの人々をまとめて生き延びたことは偉大な成果だったことは大いに評価されてよいと思いました。
 ユダヤ人もただナチスに殺されていった人たちだけではなく、銃を持って戦った人たちもいたわけです。でも、そこにも問題がありました。
 主人公のトゥヴィアは、他の何よりも重要なのは同胞(ユダヤ人)を助けることだ。20人のドイツ人を殺すことより、1人のユダヤ人の命を救うことのほうが大切だ、と強調した。
 しかし、人々は生き延びたいから森にやって来た。子どもや女、武器を持たない男たちの数が増えることは、お荷物が増えるということでもある。森の中に全員にいきわたるだけの食料が果たして確保されるのか。だから、役に立たない人たちを切り捨てたいと考えるものもいた。
 ところが、トゥヴィアは、武器を持っているか、戦闘力があるかどうかに関係なく、基地にたどり着いたあらゆるユダヤ人を迎え入れた。しかし、部隊の規模拡大は、内部の緊張を生み出した。
 メンバーの4分の3が年寄りと子供だった。武装した青年や武器を扱える人びとは20~30%だった。大半はあまり教育を受けていない人々だった。上流または中流階級の出身者はごく少数しかいなかった。この少数派の大半は、女性だった。
 ナチスの虐殺の初期のターゲットは、ユダヤ人エリートたちであり、ユダヤ人指導者の中で逃げ切れた人はごく一部だった。そして、彼らは都市生活者だったので、森の中での暮らしを選んだ人はほとんどいなかった。
 食事について、原則として全員が同じ分量と種類の食事がもらえるはずだったが、実際にはそうはいかなかった。2種類の炊事場が作られ、一つは司令部と3兄弟一族用、そしてもう一つは残りの人々用とされた。
 公平でいるのはとても難しかった。3兄弟と家族は、ロマノフ王朝と呼ばれていた。そんな証言もある。
 単純で平凡な若者たちが、戦争前なら手の届かない存在だった社会的地位を持つ女性をたやすく手に入れることができた。女性たちは自分を守ってくれる男性と出会い、生き延びる道を選んだ。
ユダヤ人部隊は、ソ連のパルチザンとも提携していたが、反ユダヤ主義の影響を受けているソ連のパルチザンとは、かなりの緊張関係にもあった。この点は、映画にも反映されています。
 ポーランド人のパルチザンは、ソ連の支配下にはいるのを嫌った。ナチスと戦う点では一致しても、内部には複雑な状況があった。こんなこともこの本を読むとよく分かります。
 そんな難しいなかで、よくぞ1200人ものユダヤ人がまとまって生き延びたものです。工場があり、学校があり、刑務所まであったというのです。たいしたものです。
(2009年1月刊。1500円+税)

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