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カテゴリー: アメリカ

コロンバイン銃乱射事件の真実

カテゴリー:アメリカ

著者   デイヴ・カリン 、 出版   河出書房新社
 1999年4月20日、アメリカ・コロラド州の片田舎の高校で男子生徒2人が教師1人をふくむ13人を銃で殺害し、多数の負傷者を出した。犯人の生徒たちはその場で自殺した。
 マイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』は観ていました。これは、アメリカが銃社会であることが前提となって発生した事件です。
 この本を読んで何より驚いたのは、18歳の男子生徒2人が1年も前から大量殺人を計画し、爆発物と銃器を準備していたということです。ですから、まったく偶発的な事件ではありませんでした。そして、周囲の人のなかには2人の犯行予告に気がついて警察に通報して、警察もそれなりには動いたものの、あまり本気になって未然に防止しようとしなかったのでした。
 2人はインターネットに銃や爆発物の準備状況を書き込み誇示し、詳細な日記を残していました。それを分析した捜査官によると、一人は自殺願望があり、もう一人は完全な精神異常者、サイコパスだということです。
襲撃の1年前、2人は結構の時期と場所を決めた。1999年4月、学校のカフェテリアで。エリック(こちらがサイコパス)は1年かけて計画を練り上げ、武器を用意し、これは現実なのだと相棒のディラン(こちらは自殺願望をもつ)に納得させた。
 サイコパスは自分の偉業がなによりも楽しい。エリックは丸々1年間ものあいだ期待に胸ふくらませて計画を練ることを楽しんだ。支配することにこだわるエリックは、人の生命を思いどおりにできる日が待ちきれなかった。その日がようやく訪れたとき、エリックは図書室で好きなように時間をかけて、一瞬一瞬をかみしめるように味わった。あるときは気まぐれに生徒を殺し、あるときはやすやすと逃がした。
 ところが、日頃のエリックは、バイト先でも、奉仕活動をしている施設でも、相変わらず大人受けが良かった。そして、エリックは日記に本心を書いている。
 「アメリカが自由の国だと?これが自由だなんて、ふざけるな。・・・バカは撃たれて死ね」
 ディランはエリックの大量殺人に付きあう気はなかった。話だけは冗談まじりに楽しんでいたが、心のなかではひそかにエリックに別れを告げていた。
 ディランは、もうすぐ死ぬつもりだった。
エリックは日記に次のように書いた。
 「できるだけたくさん殺すことが目標だ。だから、哀れみや情けといった感情に流されるようなことがあってはならない」
 エリックは人をなんとも思っていなかった。自分は優れていて、それを証明したかった。人々が苦しむ姿を見るのを楽しみにしていた。できるだけ多くの人間を、できるだけ派手に殺すという目的は揺るがなかった。
 エリックが攻撃したのは、彼にとっては憂鬱でたまらないロボット工場であり、青春の象徴である学校だった。
エリックは、どんなとき真実が大人を喜ばせるか、誰に対してどこまで明かせばよいかを本能で知っていた。適切なふるまいを本能で知っていた。そして、適切なふるまいを演じ分けるのはエリックの最大の武器だった。
 エリックの成績は上がって、教師たちは非常に満足していた。他方、ディランの方は成績が低下する一方だった。
エリックもディランも両親がそろっていて、2人兄弟。静かな田舎町で不自由のない暮らしを送る白人の4人家族の次男。2人とも、自分より大きくて力の強い兄の陰で育った。
 エリックの父親は軍人で、転勤が多く、何回も引っ越した。空軍少佐だった。
 この事件は人質をとった立てこもり事件ではない。犯人の2人は、襲撃を始めた49分後、昼12時8分にそろって自殺した。
 2人は、実は大型爆弾を2つ高校内に持ち込んでいた。それが爆発すれば500人もの生命が奪われるところだった。しかし、2人の技術が未熟だったため、幸いにも爆発しなかった。だから、この事件は本当は銃乱射事件ではなく爆発事件というべきものだった。
 エリックには人をだますことが快感だった。エリックは神を信じていなかったが、神と自分を比べるのは好きだった。
 ディランの方は、非常に宗教心の強い若者だった。ディランは道徳、倫理、雷政というものを信じていて、肉体と魂は別物だということについてもよく日記に書いていた。肉体は無意味だが魂は不滅で、行き着く先は安らかな天国か地獄の責め苦のどちらかであると考えていた。
 サイコパスには2つの際立った特徴がある。一つは、他人に対して非常なまでに無関心なこと。ささいな個人的利益のために人をだましたり、傷つけたり殺したりする。二つ目は一つ目の特徴を隠す驚異的な才能だ。この偽装こそがサイコパスの危険なゆえんである。サイコパスは人を欺くことを誇りにし、そこにとてつもない喜びを見出す。楽しみで嘘をつくのは、サイコパスの核心であり、彼をサイコパスたらしめている特徴だ。
 サイコパスを生むのは、先天的なものと後天的なものがからみあっていると考えられている。サイコパスの基本は感じないということだ。サイコパスの治療は難しい。
 攻撃を始めて17分後、彼らは飽きてしまった。退屈しはじめていた。手柄を立てるのは楽しくても、人を殺すのに飽きてしまう。エリックは自分のしたことに満足し、得意になっていたが、すでに退屈しはじめていた。ディランは、躁鬱状態になって自分の行動にあまり関心がなくなる。ディランは死を覚悟してエリックに合わせ、そのリードに従ったのだろう。
 アメリカでは、コロンバイン以降の10年間に、80件以上もの学校における銃乱射事件が起きている。
 500頁をこす大作です。読みすすめるうちに背筋に何度も氷水が流れるのを感じました。本当にアメリカって怖い国です。若者が簡単に銃や爆発物を手にできるなんて間違っていますよね。もっとも、日本でも暴力団があちこちで銃を乱射する事件がよく起きています。そして残念なことに日本の警察は犯人を検挙できなくなっています。心配です。アメリカのような国に日本がなってしまわないことを心から願っています。
(2010年7月刊。2600円+税)

原子力、その隠蔽された真実

カテゴリー:アメリカ

著者   ステファニー・クック 、 出版   飛鳥新社
 フクシマで起こったことは、すべて既にどこかで起こっていた。
 これは本のオビに書かれている言葉です。この本を読むと、本当にそのとおりです。原子力発電所は本当に未完成の危険な、人類の手に負えるものではないことがよく分かり、改めて背筋の凍る思いをさせられます。
 この本を読んで私が心底から震えあがったのは1961年にアメリカで起きた事故です。
1961年1月、アイダホフォールズにある海岸の小型原子炉で事故が起きた。救助隊員が原子炉内に飛び込み、まず床に倒れていた2人を発見した。そして、上を見ると飛び出した燃料棒が股間から肩を貫通して天井にはりついていた。クレーンを原子炉内に入れて遺体を回収したが、遺体は放射能汚染がひどい。そこで、頭部や手足など汚染のひどい部分を切断し、ほかの放射性廃棄物とともに埋めた。遺体の残り部分は、ビニール袋、木綿布で包み、さらに鉛容器に入れたあと、黒と黄色の「放射性注意」ステッカーと一緒に銅鉄の棺に納めて厳重に密閉された。アーリントン国立墓地にある墓の前には、「原発事故の犠牲者。遺体は半減期の長い放射性同位体で汚染されているため、原子力委員会の事前承認なしに、ここから遺体を移動させてはならない」という意書きが設置されている。このように、放射線で汚染されて人間は、人生最後の儀式さえ尊厳のある形で行えなかった。
 そして、この事故は、亡くなった3人の作業員が不倫事件のあげくの無理心中だったと推測されている。つまり、安全性の裏付けのない技術であるがうえに、予測不能な人間の行動が加わると、大惨事につながるということである。
 いやはや、これは本当に恐ろしいことです。自殺願望の人間が人類を道連れにして破滅させようと考えたとき、それが容易に実現できるなんて考えただけでもゾクゾク恐ろしさに震えてしまいます。
 放射性はごく少量なら安全だし、むしろ健康に良いと主張する研究者も一部いるものの、一般に放射線量は量に関係なく健康を害するというのが長年の定説だ。
 核エネルギーの二面性とリスクは切っても切れない関係にあって、核の「平和利用」と言っても、そこから兵器転用の可能性を完全に排除するのは簡単ではない。
 核エネルギーは、その誘惑にしても危険にしても、人間ごときが扱いきれるようなものではなかった。原子力エネルギーを平和目的で開発することと、爆弾のために開発することは多くの面で互換性があり、また相互に依存する部分も大きい。
 原子力発電には核燃料が必要だが、それに関わる工程は、そのまま核兵器製造に応用できる。それが唯一にして最大の危険だ。原子炉で燃やしたあとの核燃料にはプルトニウムが含まれていて、それを分離すれば爆弾に使えるのである。
 核エネルギーによる発電が普及すればするほど、核兵器の開発が容易になる。
 ドイツ、イギリス、アメリカ、ソ連、そして日本で建設された増殖炉は、原子力業界における最大の、そしてもっともぜいたくな愚行であったことを数十年かけて証明していった。増殖炉は、冷却剤のナトリウムが漏れて爆発する危険性がつきものだ。
 1976年には20世紀末までに世界に540基の増殖炉は稼働していると予言された。しかし、現実には21世紀を迎えた時点で1基も商用サイズの増殖炉は存在しなかった。
 原子力エネルギーは、次第に経済的に割があわないという事実が明らかになった。隠れコストと未知の負債があまりにも大きいためだ。さらに、原子力の「終末過程」の問題があった。廃棄物、再処理、廃炉とそれらの費用である。
 原子力産業とその関連する学者、科学者は自分たちの利益とその生活のために真実を隠蔽してきたことをすっかり暴露した本です。でも、面白がっているわけにはいきません。日本政府は、3.11から1年になろうというのに、早々と「収束宣言」を出して、原発の再稼働を企んでいるのですから・・・。
 こんな狭い日本の国土に原発なんて一つもいりません。電力不足なんて、まったくの口実ですし、電力不足がもし本当だったとしても、その不便のほうが生命と健康を奪われるよりは断然ましです。ご一読をおすすめします。
(2011年11月刊。2300円+税)

オバマも救えないアメリカ

カテゴリー:アメリカ

著者   林 壮一 、 出版   新潮新書
 鳴り物入りで登場した変革のヒーロー、オバマ大統領も、人気は今ひとつですね。
 それにしても、アメリカの保守層がオバマ大統領を批判(非難)するとき、オバマは社会主義を目ざしているというのだそうですから驚き、かつ呆れてしまいます。
 国民皆保険がその典型です。アメリカで病気になったら、金持ちは世界最高水準の医療を受けられます。しかし、中間層より下は下手すると自己破産に追い込まれるという苛酷な社会です。ヨーロッパや日本のように国民皆保険を目ざすと、それだけでアカのレッテルを貼られて、社会的に葬り去られてしまうというのですから、とんでもない国です。なんでも自由競争にしてしまえ、なんていう国には絶対に住みたくありません。だから、私はTPPにも反対なのです。
テレビは中身のない薄っぺらな番組が圧倒的だ。哀しいかな、大衆はテレビの映像を容易に信じる傾向にある。だから、大統領選挙においては、いかにテレビの映像で己を演出して票を獲得するかがカギとなる。
 アメリカの内部デトロイトでは卒業証書を手にするのは4分の1にすぎない。全米50州のすべてが高校卒業までを義務教育としているのに・・・。
 デトロイトのホームレスは、住民50人に1人の割合に及ぶ。少なく見積もっても、
1万9000人が雨露を防ぐために廃屋を回って寝場所を探している。貧しさは犯罪を生む。デトロイトの殺人事件は全米平均の5.16倍。放火にいたっては、6.34倍。2007年のデータによると、米国全土のホームレスは74万4000人。ラスベガスでは1万2000人が街をさまよっている。
 貧富の差が拡大する一方のアメリカでは、多くの人々が貧困にあえいでいます。アメリカン・ドリームなんて、夢のまた夢。日本人は、こんなアメリカを手本にしてはいけませんよね。
(2011年6月刊。700円+税)

アフガン諜報戦争(下)

カテゴリー:アメリカ

著者  スティーブ・コール 、 出版  白水社
 アメリカがウサマ・ビンラディンを拘束・殺害する計画というのは、昔から、あの9.11より前からあったのですね。CIAの公式計画になっていたのです。それは、遅くとも1996年から始まっています。
 CIAは、1997年にはビンラディンがときおり滞在する住居を知っていた。それはオマル氏が用意したカンダハル市内外の屋敷だった。
 ワシントンは1998年、ビンラディンを捕獲する計画の構想を承認した。ビンラディンを捕まえたら、アフガン南部の洞窟内に3日間拘束する計画だった。カンダハル空港の近くにあるビンラディンの農場を襲撃する計画をCIAは立案した。ところが、実施直前、ぎりぎりのところで、クリントン政権はこの計画を放棄した。
 1998年8月、アフリカのケニア(ナイロビ)とタンザニア(グルエスラサーム)で自爆攻撃があり、アメリカ人を含めて数千人の死傷者を出した。この事件の背後にビンラディンがいる可能性は高いとCIAは分析した。
 CIAの任務はアメリカへの奇襲攻撃を防ぐことだった。そのために何千人もの分析官などが仕事をしていた。
 諜報の泥沼のなかに不気味なパターンが見えた。その一つは、ビンラディンの工作員たちが航空機に関心をもっていることだった。また、ビンラディンがアメリカ本土での攻撃を計画していることが次第に明らかになっていた。CIAが世界規模で活動を強化したにもかかわらず、盗聴からも取り調べからもハンブルクを拠点とする4人のアラブ人が密かにアフガニスタンを出入りしていたことはつかめなかった。
 数年間にわたる努力にもかかわらず、CIAはアルカイダの中核指導部に一人もスパイを獲得できなかった。
 ビンラディンは徹底的で実践的な安全対策をしていた。電話の使い方も用心深かった。身の回りの護衛にはアフガン人を入れず、旧知の信頼できるアラブ人だけを使っていた。絶えず移動ルートを変え、同じ場所に長く滞在せず、行動計画はないリンのアラブ人以外には誰にも明かさなかった。
 CIAの情報源とスパイは主にアフガン人で、ビンラディンの中核指導部にいる護衛と指導グループによって隅に追いやられていた。
 CIA工作員は、ビンラディンの保安上の弱点は、数人の妻たちにあると考えていた。
 ホワイトハウスが国防総省にビンラディンを攻撃し拘束する作戦立案を初めて依頼したのは1998年秋のこと。
 2001年春、CIAのビンラディンに関する脅威報告は、テロ対策センターがめったに見たことがないレベルにまで格上げされた。ビンラディンのチームがアメリカにカナダから爆発物の密輸を試みているという報告を得た。
 8月6日。「ビンラディン、アメリカ攻撃を決意」、これがブッシュ大統領に対する朝の報告の見出しだった。
「我々はもうすぐ攻撃されるだろう」国防総省のテロ対策会議での発言である。
 ハイジャック犯たちの資金は、アラブ首長国連邦に住むアルカイダ関係者から送金されていた。
 CIA最大の凡ミスは、テロ対策センターが2000年の前半にアメリカのビザを所持するアルカイダ支持者2人の存在を知りながら、監視対象者リストに乗せそこなったこと。
 9月9日、アフガニスタンでカメラマンに化けた暗殺者の自爆テロによってCIAと連絡していたマスードは殺された。
 この部厚い本を読むと、アメリカ(CIA)はビンラディンの住所を追い、その動きを一貫して警戒していながら、9.11を防ぐことが出来なかったというわけです。なんだかむなしくなります。テロ防止には武力(軍事力)だけではダメだということを改めて思い知ったような気がします。
(2011年9月刊。3200円+税)

プレニテュード

カテゴリー:アメリカ

著者  ジュリエット・B・ショア 、 出版  岩波書店
この本を読んで一番おどろいたのは、次の一節です。
衣料品は、今や一着いくらではなく、一ポンド(450グラム)の山が1ドルといった低価格で購入される。ええーっ、そうなんですか・・・。そう言えば、私の町にもアメリカの古着を安く、大量に売っている倉庫のような大型店舗があります。
西洋では、衣料品は生産が高くつき、何世紀にもわたって高価で基調な商品だった。いったん作られると、衣服はさまざまに用途を変えながら、長期間つかわれてきた。
 今のアメリカでは、事実上無価値な衣料品を文字どおり山積みにしている。消費システムは、作られた製品をほとんど瞬間時に不要にする。衣料品の山ができたのは価格の急速な下落があったから。頻繁に買うことは、衣料品全体のあり方を変えることになった。数年単位で比較的ゆっくりと変化するデザインから、刻々と変化する流行を特徴とするファッションへの転換があった。
今や、おしゃれではなくなっているという理由だけでモノを捨てることが出来る。そういう浪費する余裕があることを顕示するために、私たちはファッションを喜んで受け入れている。ファッションは、ある程度は軽率さへの受であり、少なくとも必要からの逃走である。
 私自身は衣料品を店で買うことがほとんどありませんが、衣料品を一山いくらで買うという発想にはショックを受けました。現代の浪費はここまで来ているのですね・・・。
 衣料品の廃棄物が劇的に増加している。古着産業は10億ドルをこえる。
 コンピューターはペーパーレス社会を実現すると考えられていたが、現実には、アメリカの1人あたりの紙の消費量は1980年から増加し、2005年には300キロ近くになって世界最大となった。世界人口の4.5%を占めるアメリカが紙消費の3分の1を占めている。
 私たちは、ただならぬ時代に生きている。現代の消費ブームは歴史的に異常である。減少すると予測されていたモノの移動は、加速された。これほど多くの人が、これほど短期間に、これだけたくさん買ったことはなかった。しかし、どんなドンチャン騒ぎにも終わりがある。
アメリカの平均的な労働者は2006年には1979年より180時間も多く働いている。働き過ぎている労働者は、ストレスレベルがとても高く、身体的な健康状態も悪く、うつ病にかかる割合も高く、身の回りのことを自分でできる能力も低い。
 アメリカの、あまりにも営利を追求する民間会社主導の健康保険制度は崩壊しつつある。アメリカ企業は、めまいがしそうな勢いで労働者を削減している。2009年10月までに800万人の雇用が失われ、勤労者の6人に1人が失業者か半失業者と化した。私たちは生産性の伸びを利用し、各仕事にともなう労働時間を削減する必要がある。こうすることで、企業は人員をレイオフすることなしに革新を行い、売り上げ減を緩和し、需要が拡大したときには仕事を増やすことが出来る。
 時短は富を生み出し、富を共有する解決策なのである。時短の前進に再び取り組まなければ、少なすぎる仕事に労働者が押し寄せて、失業が増えるだろう。
 いったい何が幸福度を高めるのか。より多くの時間を家族や友人たちとともに過ごすこと、より多くの時間を親しい人との関係のために使うこと、食事やエクササイズにもっと時間をかけること。自然そのものも幸福の源泉である。
 この本のタイトルであるプレニテュードとは聞き慣れない言葉ですが、豊かさのことです。
 豊かさには4つの原理がある。第一は、新たな時間の配分。第二は、自分のために何かを作ったり、育たり、行ったりすること。第三は、消費について環境を意識したアプローチをすること。第四は、お互い同士と私たちのコミュニティの投資を回復させる必要性。
 豊かさに関する個人の原理は、労働と消費を減らし、創造と絆を増やすことである。これは、エコロジー的利益と、楽しみと健康を増やすと言う人間的利益を生み出すものでもある。
 この本のあとがきに、本のタイトルをどうするか悩んだと書いてあります。たしかにプレニテュードなんて書かれても何の本だか、まるで見当もつきません。内容がとてもいい本なので、やっぱりタイトルは変えてほしいものだと思いました。むしろ、サブタイトルである「新しい〈豊かさ〉の経済学」というほうが、私をふくめて一般にピンとくるし、読んでみようかなと思わせると思います。やっぱり本は読まれなくてはどうにも仕方ありません。本のタイトルは大切です。
この本も訳者の一人である川人博弁護士より贈呈を受けました。いい本をありがとうございました。
(2011年11月刊。2000円+税)

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