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カテゴリー: アメリカ

倒壊する巨塔

カテゴリー:アメリカ

著者  ローレンス・ライト 、 出版  白水社
 アルカイダと9.11への道、というサブタイトルのついた上下2冊の大作です。
 サウド王家、とくにファサイル国王の子供たちとビンラディン家の絆は非常に強かった。父王の載冠前後おけるビンラディンの得難い尽力を、息子たちは決して忘れなかった。
アフガン戦争の最初の数年間、ビンラディンは「生身の参加への恐怖」から、実際の戦場とは十分な距離をとっていた。この事実を、ビンラディンは後に大きく恥じることになる。
 ビンラディンがムジャヒディンのために1000万ドル近く集めたことによって、アフガン・ジハードにおける最高民間財務責任者と目されるようになった。
ビンラディンは、ジハードを戦うアラブ義勇兵とその家族に旅費と住居と生活費をもれなく提供した。毎月の支給額は1家族あたり300ドルだった。このビンラディンの出してくれるお金に惹かれて人が集まってきた。
 サウジ政府はアフガン・ジハードに対して年間5億ドルもの資金提供を行っていた。この資金は、アメリカ政府が管理するスイスの銀行口座に振り込まれ、ムジャヒディンの支援活動につかわれた。
 多くのアラブ青年をペシャワールに呼び寄せた誘因は、アフガニスタンで勝利を勝ち取ることではなく、死を迎えることだった。殉教こそ、まさにアッザームが若者やビデオなどで売り込んだ商品だった。華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的な損失に人々がうちひしがれている場所では、そうした誘惑は、とりわけ甘美に響いた。
 殉教という行為は、報われることのあまりに少ない人生の理想的な代替物をそうした若者に与えた。輝ける死によって、罪人は最初の血のほとばしりとともに許され、死に至る以前に、すでに天国にそのところを得るといわれている。ひとりの殉教者の犠牲により、一族の70人が地獄の業火から救われるかもしれない。
 貧しい殉教者は天国で、地球そのものよりも価値のある宝石で飾られる。カネがなければ女性と知りあうチャンスすらなく、しかも高望みをいとう文化のなかで育った若者が、ひとたび殉教者になりさえすれば、72人の処女と夫婦になる喜びに浸れるという。黒い目の美しい乙女たちが、肉と果物とこのうえなき清浄なワインというご馳走とともに殉教者を待っている。
 アッザームが描いてみせた殉爛たる殉教者のイメージは、死のカルトをつくり出し、やがてアルカイダの中核部分を形成していく。これに対してアフガン人にとって、殉教という行為は、それほど高い価値をもっていなかった。このようにして数千人のアラブ人、実際に戦場に行ったのは数百人ほど、が戦況の推移に実質的な変化をもたらしたことは一度もなかった。
 アルカイダは、アフガニスタンで新兵を採用した。新兵はビンラディンに忠誠を近いというサインをし、秘密厳守を誓った。その見返りとして、独身者は月1000ドルのサラリー、既婚者は月1500ドルを受けとる。全員に毎年、故郷への往復チケットが支給され、1ヵ月の休暇が与えられ、健康保険制度も完備していた。
ビンラディンはアフガン・ジハードのさい、サウド王家のメンバーと密かに接触し、アメリカの参戦に対する感謝の気持ちを伝えている。
サウジアラビアの駐米大使、バンダル・ビン・スルタン王子は、ビンラディンが訪ねてきて、こう言ったことを憶えている。
 「ありがとうございます。世俗主義者、不信心者のソ連を排除するため、我々にアメリカ人をもたらしてくれたことに感謝します」
 世界にあまたの国があるけれど、互いにかくも異なりながら、かくも深い相互依存にある二国間関係はほとんど例がない。それがアメリカとサウジアラビアの関係だった。
同時多発的な自爆攻撃スタイルをアルカイダはとった。これは目新しく、リスクをともなう戦法だ。複雑で手間がかかるため、失敗の可能性や当局に事前に察知される危険性がそれだけ増す。だが、ひとたび成功すれば、比較にならないほど注目を全世界から集めることが出来る。
 アメリカの情報機関にとって、ビンラディンやザワヒリの動向をつかむ最善の方策は、彼らが使用する衛星電話の追尾だった。探索機を当核地域の上空に飛ばしていれば、電話を逆探知することによって正確な位置を割り出す手がかりが得られる。
 2000年10月12日、イエメンの港町アデンにいたアメリカ海軍のミサイル駆遂艦「コール」にモーターボートが近づいてきて爆発した。死者17人、負傷者39人。この攻撃はビンラディンにとって大勝利だった。そのおかげでアフガニスタンにあるアルカイダ系の基地は新兵たちであふれかえり、湾岸諸国の篤志諸国の篤志家立ちはオイルダラーの詰まったサムソナイトのスーツケースを携えてやってきた。資金が隅々まで行きわたりだした。
 タリバン政権の指導部は、この国にビンラディンがいるとの是非をめぐって意見対立を続けていたが、カネ回りが良くなるにつれ、制裁や報復への懸念はあるものの、アルカイダに対してより協力的になっていった。
 2001年7月5日、アメリカの国家対テロ調整官ディック・クラークは、アメリカ国内を管轄する各政府機関FAA(連邦航空局)、INS(移民帰化局)、沿岸警備隊、FBI、シークレット・サービスなどの代表を一堂に集め、ひとつの警告を発した。
 「何か非常に人目をひくような、派手な出来事が、それも近々起こるはずである」と全員に申しわたした。
 9.11のあった日の夜、私は何も知らずに福岡の先輩弁護士たちと会食し、ホテルに戻ってテレビをつけたのでした。最初みたとき、何の映像が理解できませんでした。世の中には信じられないことが起きるものです。
この本を読むと、あのテロ行為は、アメリカが育成したテロリストたちがアメリカに牙を向いたという意味で必然だったということが分かります。とんでもないことですが、結局、アメリカの暴力的体質は報復の連鎖を生むものだと言うことなのです。根本的な発想の転換が求められています。
(2009年10月刊。2400円+税)

第二次世界大戦・影の主役

カテゴリー:アメリカ

著者  ポール・ケネディ 、 出版  日本経済新聞出版社
 1943年秋、ドイツ空軍は押し寄せる米軍機の大編隊を相手に、明白な勝利を収めていた。
 ノルマンディー上陸作戦の開始当時、フランス鉄道網は年初と比べて30%にまで減少していた。7月当初には、わずか10%に減っていた。だから、ドイツ軍は、フランス西部に応援部隊を送るどころか、前方部隊を引き揚げることもできなかった。
 1946年6月から10月までのあいだに、ドイツのパイロットと搭乗員1万3000人が戦死した。ドイツ空軍の編隊長クラスは、おもにマスタングに撃墜されていた。その痛手からドイツ空軍は立ち直れなかった。このようにして連合軍がヨーロッパ西部の制空権を握ったのは、Dデーのわずか3ヵ月ほど前だった。
 1944年2月から5月にかけてのドイツ空軍打倒は、接戦だったかもしれないが、史上最大の勝敗を決する軍事行動でもあった。
 戦略航空攻勢は、ドイツ国民の士気を打ち砕くことはできなかった。いくら打ちのめされても、ドイツ人は戦いをやめようとはしなかったし、ナチス政権打倒に立ち上がろうともしなかった。英米空軍の無差別爆撃は、かえってドイツ国民の戦意を高揚させてしまった。
 1943年2月、アフリカ大陸はチュニジア中部の岩山の戦略的要路カセリーヌ峠をめぐって、アメリカ軍部隊が初めてドイツ軍と本格的に交戦した。カセリーヌ峠の戦いは、1942年始めにフィリピンでマッカーサーのアメリカ軍が日本軍に敗北して以来、アメリカ軍が第二次世界大戦で味わった最大の屈辱だった。カセリーヌ峠の戦いにはアメリカ兵3万人が投入され、そのうち6000人を失った、戦車183両、半装軌車104両、砲20門以上、ジープとトラック500台以上を失った。これに対してドイツ軍の死者はわずか201人だった。
 ところがドイツ軍の電撃戦も、その後は停止させられた。それはイギリス軍のシャーマン戦車ばかりではなく、広大な地雷原と、大量の砲とバズーカ砲を使用する特殊な対戦車大隊が功を奏した。
 イギリス軍のモントゴメリー将軍は全面的な攻勢をかけ、ドイツのロンメルは苦戦した。壮絶な戦いが終わったとき、イギリス軍の戦車は200両が大破し、走行不能に陥っていたが、それでも600両が残っていた。これに対して、ロンメルには30両しか残っていなかった。
 ドイツは3つの戦線で戦い、いっぽうソ連はドイツとだけ戦っていた。連合軍が北アフリカと地中海に進出したことにより、ドイツ国防軍最高司令部は、もっとも精強な師団をスターリングラードの戦いから引き抜かざるをえなかった。そもそもドイツが全方面で強力な軍事力を発揮するのは無理だったのだ。北アフリカに上陸した英米連合軍は、スターリングラードの戦いにも影響を及ぼした。また、シチリア上陸も、クルスクの戦い(戦車戦)に影響を与えた。
 ソ連のつくった初期のT-34戦車は、欠陥の塊で、戦場では全く信頼できなかった。T-34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。
 T-34戦車は、ドイツ軍とのクルクス戦車戦で敗退したあと、望まれていた改良が修理・製造工場で進められた。
 ジューコフは、大規模な地雷原の敷設に専念した。これは、ロンメルやモントゴメリーが地雷を重用したのと同じだ。アメリカ軍は地雷戦をあまり利用していない。エルアラメインの戦いで示されたように、地雷原は攻撃側がそれを突破するのに苦労するため、防御側に行動する貴重な時間をもたらす。
 クルスクの戦いでは、これがさらに大規模に実証され、世界最大の地雷原戦とまで呼ばれている。ドイツ軍の高速の装甲攻撃を擾乱するのに、縦深地雷原にしくものはない。
 赤軍の防御地雷原は、優秀な土木工兵部隊が敷設し、奥行が25~40キロあった。
 1943年半ば以降、アメリカからソ連に対して、スチュードベイカーのトラックが陸続と送られ、ジープも至るところにあった。赤軍の車両の半数以上(66万5000台のうち58%)は国産だったが、アメリカ製のトラックとジープのほうが、はるかに頑丈で信頼できた。アメリカ製の車両はもっぱら戦闘部隊の武器弾薬の輸送に使われ、ソ連製のトラックは予備の補給品の輸送や傷病者の後送に使われた。
 アメリカ製トラックをイギリスの輸送船国が運び、ジューコフの前線部隊の機動性が向上したというのは不思議な共存関係だ。
 赤軍のクルスク防御の成功と翌年の着実な西進には、赤軍がドイツ軍よりも優れていた三つの事柄が役立った。架橋能力、欺瞞の技術、そして膨大なパルチザン網だ。
 第二次世界大戦の戦史を読むときには欠かせない視点が満載の大変な力作でした。知らなかったことが多く、最後まで興味深く読みとおしました。
(2013年8月刊。3500円+税)

見た、聞いた、キューバ改革最前線

カテゴリー:アメリカ

著者  千葉県AALA連帯委員会 、 出版  AALA連帯委員会
 昨年2月の10日間のキューバ訪問の旅が160頁ほどの小冊子になっています。キューバの現状とかかえている問題点がよく分かりました。
 私も、一度はキューバに行ってみたいと思うのですが、世の中、思うようにはいきません。そこで、旅行体験記を読んで、行ったつもりになるのです。
 それにしても、この冊子はよくまとまっています。半年近くの研究・編集作業が結実したもののようです。
 カリブ海にあるキューバは、アメリカから150キロメートルしか離れていないのに、アメリカによる経済封鎖が続いています。残念なことに、わが日本もアメリカに命じられ、いつものようにアメリカに逆らうことなく、キューバへの経済封鎖に加担しています。
 キューバの人口は1125万人。白人65%、黒人10%、混血25%。カトリック人口が85%。
 キューバ人の平均寿命は79.3歳と高い。60歳以上の人口は18.3%。
キューバでは、選挙権は16歳以上。国会議員の被選挙権は18歳以上だが、県会議員のほうは16歳以上。日本でも18歳以上に早くすべきだと思います。自民党が抵抗しているのです。
 キューバは共産党の一党独裁ということになっているが、国会にも20%の非党員の議員がいる。
キューバは物不足。スーパーの品ぞろえも少ない。そのため、買い物を楽しめるほどの選択の幅はない。欲望をあおり立てない社会なので、落ち着いている。しかし、物不足だから、欲望をあおり立てたら国民の不満が噴出することは十分に考えられる。
1990年からソ連経済が悪化し、キューバは非常時体制に入った。それまでソ連圏から輸入していた燃料や農業機械の補修部品が入手困難になり、機械化農業ができなくなった。そこで、都市農業運動が本格化した。
アメリカによるキューバ経済封鎖によって、キューバ経済は、いかなる緊急事態にも対処するため、「戦時経済」という性格を与えられ、過剰な在庫の保持など、経済構造が歪んでしまった。
 キューバの医師養成は目を見張るものがあります。累計では世界128ヶ国から、のべ5万人の学生が学んだ。アフリカからも、35ヶ国から学生がキューバに来ている。
 医学校では、入学金、授業料、宿泊料、食費、インターネットの使用が、すべて無料。ただし、キューバまでの往復の旅費は自己負担。
 修了するのに8年かかり、卒業後にキューバで医療活動をする義務はない。
 キューバの医療は、基本的に無料。アメリカのマイケル・ムーア監督の映画「シッコ」に、アメリカ人が病気を治すためにキューバへ行ったときの情景が出ていました。
ただ、キューバの医師の賃金はタクシー運転手のそれより低い。そのため、キューバの誇るファミリー・ドクター(家庭医)が激減している。
キューバの教育も素晴らしいものがあります。ユネスコは、フィンランドとともにキューバを教育のモデル国として推薦している。
 キューバでは、保育園から大学まで学費がすべて無料で、高校も基本的に全入。一学級の定員は15~20人。うらやましいですよね、これって・・・。
アメリカのキューバ制裁が解除されないのは、国会で3分の2以上の賛成を要するところ、オバマ政権は他の重要案件を先行させ、キューバ問題の比重を軽くみて、後まわしにしているから。
 なーるほどと思いました。大変勉強になりました。ありがとうございます。
(2013年9月刊。1000円+税)

ザ・ファイト

カテゴリー:アメリカ

著者  ノーマン・メイラー 、 出版  集英社
 カシアス・クレイ改めモハメッド・アリが、1974年、アフリカはザイールで行われたジョージ・フォアマンとのタイトル・マッチを描いた本です。
 私の父はプロレスの熱心なファンでした。テレビにかじりついて、身体をよじって応援していました。同じようにキックボクシングについても、プロレスほどではありませんが見ていました。
 1974年というと私が弁護士になった年です。モハメッド・アリがフォアマンにKO勝ちしたのは記憶に残っていますが、アフリカでの試合とは知りませんでした。そのボクシング試合の観戦記なのですが、さすがはノーマン・メイラーです。心理描写がすぐれていて、格好の読み物になっています。
 リングでのモハメッド・アリの強みは、自分の心理状態に忠実であること。マスコミに向かってしゃべるときには、甲高くもヒステリカルな調子でまくし立てるが、リングに上がったときには、決して半狂乱になったりはしない。
 アリはリングの上で、蝶のように舞い、蜂のように刺す。
 これは、すごいフレーズですよね。
ベストコンディションとは、どういう状態なのか。ボクシングでは他人にはうかがいしれないものがある。ヘヴィ級において、15ラウンドを最良のスピードでこなしうる心身を維持するのは、至難の技である。
 モハメッド・アリは、徴兵を公衆の面前で拒否した。そのときのアリの言葉は、
「ベトコンは、おれを黒人坊と呼んだことなどない」 というもの。
 荒々しい力を養うにはどういうわけか、肉を食べる必要があるようだ。
 重いサンド・バックを長時間たたき続けるほど、ボクサーにとって辛いことはない。それは腕を痛め、頭を痛め、両手によくバンデージを巻いておかないと、拳の骨を折りかねない。
80ポンド以上はある重い物で、タックル用の人形みたいに巨大である。したがって、パンチが正確にあたらないと、身体がショックでしびれてしまう。パンチのひとつひとつに十分にウエイトをかけるため、1分間に40発から50発の間隔に調整しつつ、連打しつづける。
ブロウを1発でもくらったら、ふつうのボクサーなら簡単に肋骨を砕かれてしまうだろう。腹筋を鍛えていない者であれば、背骨まで折られてしまうにちがいない。
 リング上。二人は円を描き、フェイントをかけあい、一進一退をくりかえしてみせた。まるで、おたがいに銃口を向けあっているみたいだった。一方が発砲し、命中させそこなったら、相手に確実に仕留められるといわんばかりの様相である。パンチを放った場合、相手にそれを読みとられてしまえば、逆にしたたかパンチをくらうことになる。これほどショックなことはない。
 高圧線を素手でつかむようなものだ。いきなり、ぶっ倒れてしまうだろう。
アリは防戦一方の形をとって、自分のペースに相手のフォアマンをまきこんでいった。
 アリは、フォアマンに左のパンチを浴びせ、つづいて右を放った。チャンピオン同士が対戦する場合、右のリードパンチなど出さないものだ。第一ラウンドではなおさらである。
 それは非常にむずかしく、かつまた、危険をともなうパンチだから。命中率が悪く、しかも、自分にとってはガードが甘くなる危険性がある。ボクサーにとっては、1インチや半インチのリーチの差が勝敗の分かれ目となる。
 それだけのハンディを負いながら、右をくり出そうものなら、たちまち相手にそのすきを見破られ、絶好の反撃のチャンスを与えてしまう。
連打の雨をくぐり抜けおおせたアリは、何度もフォアマンの首をつついている。それは、家庭の主婦のケーキの出来ぐあいを爪楊枝でつついて試してみるような感じを与えた。フォアマンのパンチの威力は、ますます弱まるばかりである。アリは、ついにロープから放れ、ラウンドの終盤30秒のうちに、めまぐるしいパンチをくり出した。少なくとも20発は放っただろう。そのほとんどが命中した。
 何発かは、この夜の試合でも、もっとも効果的なパンチであった。
アリが狙いすましてパンチをくり出した。パラシュートを背負って、飛行機から飛び出す男みたいに、フォアマンの両腕が横に開き、このバランスを失った姿勢のまま、フォアマンはリングの中央によろめき出た。バランスを崩し、ふらつきつつ、ずっとモハメッド・アリを見つめつづけ、どうすることもできず、つまずき、よろけ、身を沈めた。その心は、チャンピオン・シップの誇りとともに高きにありながら、その身体は大地を求めていたのだった。
 フォアマンは、悲報を受けとった直後の、6フィートも背があり、60歳にもなる老執事みたいに、その場に倒れ伏した。そう、2秒間は、うちひしがれて身動きひとつしなかった。あらゆる階級のなかで最強のチャンピオンがダウンしたのである。
 なんともはや、目の前で実況中継されている気分になる描写の続く本でした。
(1997年10月刊。古本)

オバマの医療改革

カテゴリー:アメリカ

著者  天野 拓 、 出版 勁草書房 
 アメリカという国は本当に遅れた、野蛮な国だとつくづく思いました。だって、国民皆保険なんて、あたりまえのことでしょ。日本もヨーロッパも,
みんな当然のように古くから実施しているじゃないですか。政府が国民皆保険にしようというと、そんなのは社会主義だ、アカだなんて共和党の議員が絶叫して反対するだなんて、本気ですかと言いたくなります。信じられません。
 クリントン政府が失敗し、今度、オバマ政権がようやく実現したアメリカの国民皆保険制度は、なんと民間保険会社への加入を義務づけるものだなんだそうです。またまた民間の保険会社の金もうけ話になってしまうのです。それでも反対する人が多いなんて・・・。
 アメリカの制度は、日本や多くのヨーロッパ諸国の制度とはきわめて性格が異なる。アメリカのものは民間保険をベースにしている。日本などの国民皆保険制度は、基本的に公的な医療保障制度を中核としている。アメリカの制度は、民間の医療保険を中心とする。既存の医療制度をベースに国民皆保険制度の実現を目ざすものである。
 2010年3月、オバマ大統領が署名して医療改革法が成立した。それまでアメリカでは、1910年代に皆保険を導入しようとして、いずれも失敗に終わっている。医師会は国民皆保険制度は「社会主義化された医療」につながるという反対キャンペーンを張った。
 私などは、社会主義化されても大いに結構だと思うのですが、アメリカでは、とんでもないことの代名詞になっているようです。
 メディケアは、65歳以上や一定の病気をもつ人、障害者などを対象とするもので4700万人15%が加入している。受給者の3分の2が女性であり、6割がメディケアとメディケイドを重複して受給している。
メディケイドは、低所得者を対象とする医療扶助制度。2010年に5084万人(16.5%)の加入者がいる。2001年には3017万人だったから、10年間で2000万人の増加である。メディケイドは、アメリカの医療制度における「セーフティネット」であり、3100万人の児童をカバーしていて、アメリカの出産の4割を財政的に支援している。2011年度のアメリカ人口3億人あまりのうち、民間医療保険の加入者は2億人近い(64%)。
 しかし、戦前の1940年には、総人口1億3200万人のうち、医療保険に加入していたのは1200万人、10%にすぎなかった。戦後になって、民間保険の加入者は急増している。アメリカの医療制度のもっとも大きな特徴は、4861万人(16%)もの無保険者が存在すること。無保険加入者の多くは、19歳から64歳までの成人。無保険者はマイノリティに多い。ヒスパニックの30%(1578万人)、アフリカ系20%(772万人)、アジア系17%(270万人)。
ヒスパニック系の無保険者は1990年に700万人だったのが、2000年には1120万人へ急増している。
無保険者のうち就労者が2800万人で、年に1週間も働いていない人が1310万人もいる。無保険者は家計所得が中程度のミドルクラスのあいだで着実に増加している。
 無保険者問題が深刻なのは、それが個人、家族、コミュニティ、経済などに広範な影響を及ぼすからである。
 アメリカへの不法移民は850万人から1180万人まで増加し、それが180万人もの無保険者の増加につながった。アメリカぜんたいの無保険者の690万人の増加の27%になる。
アメリカは国民皆保険をうたいながらも、2019年時点で2200万人が無保険者のまま取り残される。アメリカは先進民主主義国のなかで、唯一、今後とも多くの無保険者がかかえ続けていくことになる。
民間保険会社は、健康状況の悪い人間の保険加入を拒絶しようとする傾向にある。
 マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』をみて、私はアメリカではうかうか病気になれないなと思いました。民間保険会社の査定・選別は営利主義一本槍でありまるで人道に反しています。
 アメリカ人の多くが医療改革を望んでいながら、現状維持を志向し、改革によって負担をこうむるのを嫌悪する傾向にある。
アメリカ先進国のなかで、もっとも医療費が高い国である。国民医療費は2兆7000億ドル(2011年)、1人あたり医療費は8680ドル。前年度より3.9%伸びている。国民医療費がGDPに占める割合は18%である。
 アメリカにおける医療費が高いのは、システムの大半が投資家によって所有されていることにある。医療ビジネスは、投資家を満足させるだけの利益を必要としている。
 病院は、効率的であるよりもむしろ利益の上がるサービスの提供に集中する傾向にある。それがコストの高騰につながっている。
 今日の民間保険の大半は投資家によって所有されたビジネスである。アメリカの民間保険産業は、その保険料から少なくとも5000億ドルの収入を得ている。その管理運営コストと利益が、医療費を何十億ドルも押し上げている。
 こんなアメリカのようにしようというのが安倍政権の考え方です。やめてほしいです。大金持ち中心の国にするなんて、とんでもありません。
 340頁もある。大変貴重な労作です。
(2013年10月刊。3800円+税)

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